嘯くはらから
 利己主義の賢者
 博愛の愚者
 信ずるに値するものは、何?



魔王の独白



 石造りの、何処か冷たさを纏う城内。窓は少なく、それも橙やら紫やらの色硝子が嵌め込まれており不自然な色合いの光のみを通している。
 柱は変に古めかしく、建物は薄いカエデの色で統一されていた。広く、部屋もたくさんあるのだが人影がほとんどない。薄気味が悪かった。
 そんな城の、とびきり豪奢な部屋にゼルダは軟禁されていた。調度は王家御用達のものに劣らぬ美麗さで、特にこれといった仕掛けめいたものは見当たらない。クローゼットには少女向けの服が――ラフなものから華美なドレスまで、大量に詰め込まれている。バスルームを完備しており、この部屋から出なくとも大抵のことは済ませることが出来るようになっていた。
「……慣れないわ」
 至れり尽くせりの生活であることはハイラル城にいた頃と大して変わっていないはずなのに、気持ちの悪い違和感は日毎に存在感を増すばかりだった。ゼルダの身の周りの世話にガノンが送って寄越したのは、ごく普通の人間の女。いっそ魔物でも送ってがちがちに縛れば良いのだ。その方がよっぽどすっきりする。
 監視を付けないのは空間を隔離したこの城から出ることが叶わないからなのだろうが、それにしたって気味が悪い。
「ゼルダ姫様」
 空の見えぬ窓を眺めていると、侍女が遠慮がちに声をかけてきた。
「ガノン様より、大広間で御食事を御取りになられよとの仰せでございます」
「そうですか、わかりました」
 ガノンは、ゼルダをここに閉じ込めてから今日までずっと出払っていた。それも相まってゼルダは退屈で退屈でたまらなかったのだが、今晩のディナーでは良くも悪くも退屈はしなさそうだ。
「すぐ行きますよ、聞きたいお話がたくさんあるんですもの」



◇◆◇◆◇



「お帰りなさいませ? 我が親愛なる魔王陛下」
 非常に刺々しく白々しいゼルダの台詞にガノンは苦笑した。本当に生意気な小娘だ。
 ……娘、というものがいて、それが反抗期を迎えたらこんな感じなのだろうか。
「城を長く空けてしまってすまなかったな。さぞや退屈だったことだろう」
「別に、あなたがいてもいなくても退屈であることに変わりはないわ」
「まあ、席に着きなさい。積もる話はそれからでも遅くはない……折角のディナーが冷めてしまうぞ」
「冷めたって構いませんけど。どうせ人が食べるようなものでは出来ていないでしょう」
「ふむ、ゼルダが牛や豚が嫌いだと言うのなら……そこは対処するがね。魚の方が良かったか?」
「……どちらでも結構です」
 どうも調子を崩したというか、出鼻を挫かれたらしくゼルダは早々にぐったりした顔を見せ、不満そうに席に着いた。しかし魔王がこの態度ではそれもおかしな話ではない。なんと形容すべきか、魔王はまるで家族のような温度でゼルダに接していたのだ。
 その態度が自身を丸め込む為の奸計にしか思えず、ゼルダはますます身構える。しかし目の前の食事が彼女の胃袋を刺激するのは確かだし、ゼルダを殺したいのなら毒など盛らずにあの時殺していたはずだ。ゼルダに利用価値などもうないのだから。
「姫ともあろう者がそうしかめっ面をするものではない。それに、私の話は聞いておくべきだと思うがね。何故生かされているのか――知りたいのだろう?」
「……では、お言葉に甘えて」
 その言葉に、ゼルダは逸らし気味だった視線を真っ直ぐに魔王に向ける。
 食事が載ったテーブルは美しかったが、奇妙な違和感を放っていた。多分サイズのせいだ。
 フルコースを載せるとしたらせいぜい三人ぐらいが限度の、そんな不思議な大きさ。
 どんな光景を想定してのものなのだろうか?
「ふむ、まずはゼルダを殺さなかった理由から、か?」
「ええ。まずはそれから」
 ゼルダの返答に頷き、ガノンはフォークをテーブルに置くとナプキンで口端を拭いた。
「単純な理由だが、単純なだけに信用してもらえぬかも知れぬ」
「それはわたしが決めることです」
 きっぱりと言い放ったゼルダの表情にしかし魔王はばつの悪そうな顔をする。少しばかり躊躇して、しかし彼はその言葉を口にした。

「……殺したくなかったから殺さなかった、と言って果たして本当に信用してくれるのかね?」

 あまりに自然に滑り出てきたその言葉にゼルダは一瞬己の耳を疑い、目をぱちくりさせて固まった。目の前にいるのは残虐無慈悲にハイラルの民々を虐殺してきた魔物たちの王だったはずではないのか?
 そんな人間臭い台詞を吐くわけがないのに。
「それ以上に深い理由などない。更に言うのなら、私はもう誰も殺したくない。力など要らぬ。権力の冠など要らぬ。そうだな、私の今の望みは、死ぬことだ」
「何を……言っているのですか」
 ゼルダは絶句して、しかし無理矢理に言葉を絞り出す。
「あれだけのことをしておきながら何を今更……!!」
「怒るのなら怒れ。私はその罪から逃れる気はない。そしてあわよくば私を殺してくれ……」
「……どういう、ことなの……」
 にわかに涙ぐみ出した魔王の態度に呆気にとられ、ゼルダはどうしていいのかわからなくなってしまった。演技には見えなかった。王族という立場上、野心ある臣下達の嘘に慣れているゼルダに見破れぬ演技などそうない。
 それに何より、右手が――彼女がトライフォースを宿していたその場所が、それは嘘ではないと感じていた。
「私は長の時を生きすぎた」
 魔王は独白する。
「ヒトの心を棄てぬ限り、千年生きれば誰であろうと気付く。永遠の命、絶大な力、欲にまみれた権力、それら全てが無用の長物であることに。朽ち果てぬ命はむしろ呪いよ。心臓を抉られ腹を裂かれても女神の玩具として弄ばれ続ける……!」
「……」
「出来るならば死にたい。かつてならば私を殺し得た残る二つのトライフォースも今は薄まりそれほどの力は残っていないだろう」
 そこで言葉を切るとガノンはグラスの中のワインをあおった。紅い液体は魔王の慰みにもならない。
 そういえばワインは「神の血」とも呼ばれるのだっけか――皮肉な話だ。
「女神の……玩具、とは?」
 憚りつつ、ゼルダは疑問を口にする。その単語の意味がまったく解らなかった。魔王を弄ぶ、女神?
「うつろう時の中で契約者すらトライフォースの意味を忘れたか。ハイラルを創世した黄金の三大神のことよ。そして"我ら"を縛る盟約の主」
 過去を懐かしむような口調でそう呟く。思うべき過去があり、心があり、死を望む願望が魔王にあるだなどと、ゼルダは考えたことがなかった。歴史に謳われる魔王は常に邪なる悪王、人に害なす暴君として描かれていた。勇者に倒される醜い猪がかようなことを想っていようなどと誰が想像するものか。
(……信じても、良いのでしょうか?)
 しかしゼルダはすぐに、その愚問を切り捨てた。今何をどう思っていようと、彼がハイラルを貶めたという事実は変わらない。
 先日彼が、父母を殺め兵達を虐殺したという現実は変えられようもない――。
(しかし、言葉が嘘ではなさそうであるというのもまた……一面。言動が噛み合っていないことには何か意味がある筈。もう少し見てみた方が良いのかもしれません)
 幸いなことに、自分はこの先も恐らく「生かされる」。ならば命の限り、見てみよう。出来ることはそれぐらいしかない。
「信じるも信じないも好きにすれば良い。いや、信じるなど、烏滸がましい願いだろうな。私はゼルダの父母を殺した」
「わたしが決めることです」
「そうか」
 その後しばらく、居心地の悪い間が続いた。カチャカチャと食器の触れ合う音が響く。ゼルダは無言で食事を続けガノンは漫然と漠然と、それを眺めていた。食欲が失せたのだろう。
 ゼルダがデザートに手をつける頃を見計らいおもむろにガノンが別の話を切り出す。
「……城を空けていた間、勇気のトライフォースを持つ子と会った。まあ私から会いに――見に、行ったのだが」
「勇気のトライフォースを継ぐ方に?」
 それは意外というか、それなりに恐ろしい発言だった。ゼルダはスプーンを落としかけ慌てて拾う。
 まだ力足りない勇者に力の有り余る魔王――予想されうる限り最悪の状況だ。ガノンがその気になればその彼など一捻りだろう。
 冷や汗が垂れる。
「まさかその方を――」
「砂漠で行きだおれていたから介抱した。死なれたくなかった……しかし、あの回復力の高さはやはり遺伝体質なのかね」
「はあ……」
 魔王が勇者を介抱。考えただけでなんだかぞっとする絵だった。
 いやまあ、どうせ一般人に変装してはいたのだろうけど。
「快活で屈託なく笑う子だった。私にあんな笑顔を見せてくれた人間は初めてだった……勿論、常に睨まれ憎まれ、嫌悪されてきた原因を作ってしまったのは紛れもなく私なのだが。馬鹿馬鹿しく情けない話だ」
 笑顔のくだりで、嬉しそうな――我が子が初めて言葉を喋ったのを見た時の父親みたいな――顔をして、まるで他人事のようにガノンは語る。本当に何を考えているのか解らない。
(よもやこの人、わたしと勇者の彼とを自分の子供か何かと勘違いしているんじゃあないでしょうね)
 流れから判別するに、あまり有り得ないとは言い切れない話だ。だとしたらテーブルのこの不自然なサイズもぴったりだと言えるし、二人をやけに慮る傾向にも説明がつく。
 正直なところ信じたくはないけれども。
「少年の名はリンクといった。知恵の欠片を探し集め、今も君の元へ向かっているよ、ゼルダ」
「わたしの元へですか」
 ゼルダは事実を一つ確認してふうんと頷く。誰かが動いているのならばインパがうまくやってくれたということだろう。それが偶然か必然か、神に選ばれた少年だったというだけの話だ。
「そうだ。君を助けるといって、かつての少年達と同じように」
「でもここに辿り着いたら殺しあうのでしょう」
「女神ディンがそう望むだろうからな」
 ガノンは何の変てつもないことであるかのように言う。
「それに彼も私を受け入れてはくれないだろう」
「わたしがあなたを受け入れることが出来ないようにね」
 その会話の後、二人は沈黙を守った。ゼルダはそれ以上ガノンに歩み寄ることが出来なかった。
 どうしようもないところで、ゼルダの心が彼を拒絶してしまうのだった。



(力の女神ディン。知恵の女神ネール。勇気の女神フロル。……彼女らは何を考えているの?)
 ガノン以上に読めない、三大神の思惑。
 神の思考など――所詮はヒトには理解し得ないということなのか。
(わたしたちに何をさせたいの?)
 ゼルダにも、誰にも、その答えはなかった。