沈む。
 水底に沈む。
 埋まる。
 暗闇に、埋もれる。



水のほこら



 水がひたひたと満ちるその建造物内部には、何処からか流れてくる水流を動力とした滑車だとか、跳ね橋だとか、そういったギミックが大量に仕掛けてあって少し進む度に執拗にリンクを足止めした。
 根気よく一つ一つ解いてゆくのだが、しかしそれにしても――面倒な作業の連続なのである。
 そして今、リンクがいるのは少し広めのホールみたいな場所だった。部屋の上層には丸い的らしきものがいくつか見える。
「せい……やっ!」
 ホールも無意味にスペースを取っているわけじゃあない。いや、無意味に広いから意味を得たのかもしれないが、とにかくそこはただ広いだけの吹き抜けではなかった。
 リンクが対峙しているのは、巨大な蛙。厚ぼったい鱈子唇にでっぷりと肥えた野暮ったい体躯で、どしゃんどしゃんと跳ね回っている。
「デクトード自体は鈍いから、プレスを避けさえすれば大したことないヨ。問題は周り! うようよしてるのはワートって言って、しかもマッドゼリーをまとってて――」
「何でそんなに大変なことになってるかなあ、もう!!」
 勘弁してよ、と言いたげな困り顔でデクトードのプレスをかわしつつ、弓矢を構えてワートをぷすぷす潰していく。簡単そうな作業に聞こえるかもしれないが、実際はまったく簡単ではない。
 ワート自体もそこそこ厄介なモンスターであるが、先程述べた通り弓矢が――炎の矢が使えれば戦うのはぐっと楽になると言える。問題はマッドゼリーだ。
 マッドゼリーをまとったワートには、弓矢が通じないのである。
 従ってリンクはまずマッドゼリーを剥がさなければならなくなり、逃げ回りながら試行錯誤を繰り返した結果唯一風の魔法だけが有効であるとの結論に達した。それが数分前のことだ。
「うげっ……また時間切れだ」
 女神フロルの加護たる風の魔法で、復活したマッドゼリーを切り裂く。真後ろにデクトードが落ちた。ずしりと部屋中に響く振動が重たい。
 横っ飛びで距離を稼いでから、ワートの泡に炎の矢。次にマッドゼリーが回復するまでの時間は約二分。泡は初めの二割程までに減っていた。出来れば、それまでに泡を剥がしてしまいたい。
「ナビィ! アシスト頼む!!」
「わ、わかった!!」
 ナビィのアシストとは、デクの樹サマの中で覚えた「ナビィを追尾させることで強制的に目標に命中させる」飛び道具の使い方のことだ。こうすれば八割方――敵が動いていると外れることもある――確実に命中させることが出来るのだ。
 だが当然ながら、デメリットというかリスクが存在する。ナビィに負担をかけすぎるのである。
 命中効率を飛躍的に上げる代わりに、持続時間はせいぜい三分ほど。なのでリンクはもっぱらラストスパートにこの時間を持ってくることにしていた。
「二分あれば……十分ッ……!」
 魔法力にもまだもう少し余裕がある。リンクは惜しむことなく炎を放つ。
 ワートの目玉が丸裸になるのに、一分とかからなかった。
「これでも喰らえ――!!」
 巨大でグロテスクな緑色の裸眼球となったワートがマッドゼリーに包まれる直前に、リンクの剣がそれを切り裂く。ずちゃ、と気色悪い音を立てて崩れ落ちたワートは程なくして霧散した。
「これであとはコイツだけってわけだ」
「油断しないでね!」
「わかってるよ、僕だって圧死はしたくない」
 まずはデクトードを足止めしなければならないのだが、魔法力の残りはほとんどない。リンクは魔法を使うのを諦めて他に遠隔攻撃が出来そうな武器を探した。
「……やっぱり、爆弾かな」
 爆弾を矢にくくりつけ、デクトードの正面を据えつつ距離を取る。飛び上がる瞬間、デクトードが口を開けた。すかさずそこに爆弾矢を撃ち込む。
 そして、口内の爆発に動きを止めてしまったデクトードに接近して切りつける。あとはリンクの独壇場だった。


 デクトードの亡骸が霧散すると、落ちた場所に何やら宝箱が現れた。
 がちゃりと開け、中身を手に取る。
「……なんだこれ。見た感じ、腕にはめるみたいだけど」
「リンク、名前書いてあるヨ。"フックショット"だって」
「ふうん……"ショット"か。そういや、上の方におあつらえ向けの的があったっけ」
 閉ざされた入口の代わりになりそうな扉が、吹き抜けの中腹にあるステップに見える。そのそばにある丸い的に目測で針の先を合わせると、リンクはフックショットの内側にある引金を絞った。



◇◆◇◆◇



 リンクがデクトードらと戦っている時より少し、遡り。
「ハイリア湖が枯れかけて、水の蓄えが減りつつある。ついては、そちに原因の追及解明と解決を頼みたいという次第ぞ」
「は……はあ、そうなの?」
「呆けた顔をするでない! よいか、ハイリア湖はあまねくハイラルの川の源流である自然の水瓶。今でこそ我らがゾーラの里のみに留まる問題であるが、事はすぐに王国規模の問題に成りうる!!」
 彼女――ゾーラ族の姫に圧倒されて、リンクは身を強張らせた。いちいち迫力のある女性だ。手なんか握られたら竦み上がってしまうかもわからない。
「過去に例があるからの、原因は大方予想がつく。ハイリア湖の付近に魔物が棲み着いたのであろうよ。尤もどこにかはまるでわからぬが」
「結構アバウトだね、お姫さま」
「ご託はよいわ。とにかくわらわがそちに頼みたいのはその魔物を見つけだして討伐すること。ゾーラの王族が継ぐ秘密が知りたくばまずはそこから始めよ。いかにトライフォースを宿す勇者とはいえ、そう簡単には教えられぬ!」



 ハイラル王国の水瓶、ハイリア湖に辿り着いたのはデスマウンテンを旅立ってから二日も経たぬ頃のことだった。遥か千年の昔よりほとんど変わらぬ姿を保つらしいこの湖が、賢者たちがヒントをくれた最後の場所だ。
 見渡す限り広がる広い湖面をぐるりと眺め、それからリンクはこの周辺にそれらしい建物がないことに気が付く。その内途方に暮れて座り込んでしまったリンクの前に現れたのが、ゾーラの姫君だった。無力な己を憂いて水かさの減りゆく湖を眺めにきていたらしい。
 運悪くというべきか運良くというべきか、リンクはそこを捕まえられてしまったのであった。
「ハイラル全土の川の流れそのものに干渉しうる場所というと、湖広しと言えどそれほど候補もない。恐らくは湖底――水底にある地下神殿あたりではないかとわらわは思う。……『水のほこら』が荒らされておるに違いない」

 水の祠。

 祠っていうのは、何かを祀る場所だ。神器だとか、宝具だとか。とにかく何か大切なものを奉る場所なのだ。
 そして大概、そういう場所には巫女なんかの守り人が付けられていたりする。
「水のほこらに行って原因を駆逐してまいれ。ゾーラの姫であるわらわからの、一族を代表した願いである。印を持つ少年」
「リンクだよ、僕の名前。……あの、でもね、一つ問題があると思うんだけど……」
「なにが」
「水のほこらに行くことは一向に構わないんだ。僕自身そういった場所を探していたし。でもそこ、湖の底なんでしょう? 僕はただの人間だから水の中で長時間活動することは出来ないよ」
 リンクが哀願にも似た声音でそう言うと、ゾーラの姫はぽんと手を叩いて「そういえばそうであるの」、と納得したように言った。今までリンクがなんとなく乗り気でないふうに見えたのにようやく合点がいったという感じだ。
「そうか、そちらハイリアの民は水中では溺れてしまうのであったな。失念しておったわ……如何んともし難い問題であるの。仕方あるまい、里までついて参れ。父上に許可を仰ぐゆえ」
「許可?」
「"ゾーラの衣"を託す許可をいただく。あれは我が一族の秘宝なのだ。しかし、だからといって仕舞い込むばかりで使わぬのもな。正しく宝の持ち腐れではないか」



◇◆◇◆◇



 フックショットで天井からぶらりと垂れ下がったまま、ブーメランでスイッチを遠隔操作。足下をかさこそ這い回ってリンクを襲おうと狙っているヒップループは鬱陶しいので柔らかい肉が剥き出しになっている尻のあたりがリンクの足の下を通るタイミングを狙って飛び降り、踏み潰した。
 ついでに小生意気に跳ね回るチュチュケラの中にフックショットを突き刺し、引き寄せて葬る。スパイクも近付かれる前にフックショット。
 室内を蠢いていた大量の雑魚モンスターを一網打尽にすると、リンクは大きく息を吐いた。
「なんか、結構無茶苦茶な仕掛けが多くないかなこの祠」
「えっ、やたら多いモンスターの方は無視なのネ? ……まあ、確かにネ、このダンジョンもう祠って感じじゃないヨ。もっと悪質な何かだとナビィも思う」
 小さな妖精は「はあー」と人でいう肩を竦める動作をする。水のほこら、だなんて可愛らしい名前のわりに内部構造は随分と悪辣だった。いるだけで疲労していく感覚だ。

 湖の奥底深くに不自然な空洞を伴って存在するこの建物が、常時より多くの水を吸い込んでいるらしいことはわりとすぐにわかった。
 苔むしてぬめついている線の後よりも大分高い位置に水位がきている。それだけ増水しているのだ。
「潜ったり上がったり本当忙しいヨ。――とりあえずリンク、これでバルブは全部締めたっけ?」
「ナビィは何もしてないでしょ。――そうだね、左右三つずつ、多分これで全部だと思うよ」
 建物は左右対称に出来ているみたいで(勿論、個々の部屋に仕掛けられているギミックは非対称だ)、その法則を外していないのならばこれでダンジョンの奥への扉を開く仕掛けは突破できたはずだ。
 しかしそれにしても面倒な作業である。エントランスホールのど真ん中に威風堂々と存在している、でも言ってしまえばただそれだけの扉を開くためにダンジョンの地上部を駆け巡らせる意味は一体なんなのだろう。
「一つだけ確かなことは、このダンジョンを作った人は突破させる気がないってことだと思うよ」
「ゾーラ族だとフックショット使えないし、人間は普通こんなに長く水中に潜っていられないからネ」
「それもそうだし、ブーメランとか弓矢とか爆弾とかがないと解けないパズルを当たり前のように出してきたでしょ。はじめっから僕みたいにダンジョン巡りをしている人間以外にはやらせる気がないんだ」
 着ているだけで何故か無限に水中で行動出来る謎めいた青い服……ゾーラの服を無意識につまみながらリンクはたるそうに言った。ちなみにナビィは、水の中ではずっとリンクの帽子の中に入っている。妖精だって空気がなければ窒素するからだ。
 リンクの帽子の中は蒸れるから決して快適とは言い難かったが、でも溺れ死ぬよりはましである。
「早いとこ、寄生してる親玉を倒してお姫さまに六賢者がいる場所に案内してもらおう」
「うんそうネ。リンクの体力がなくなんないうちにやらなきゃネ」
「……それは結構切実な問題だよ……」
 エントランスホールの扉を目指して、伸びをするとリンクは水に飛び込んだ。