何を信じれば良いのだろう。 かみさま? 両親? 大義? 自分すら信じられない時は。 何にすがれば良いのだろう? さざめきのしるべ 『みっともない姿を……晒した。光の、いや勇気の仔』 「勇気の仔?」 「リンクのコトだヨ。前も話さなかった? その左手のトライフォース、それは勇気を司る女神フロル様の印なんだヨ」 ナビィの説明に「ああ、そういえばそんなことを砂漠で会ったおじさんも言っていたなあ」と曖昧に頷きリンクは視線を光の精霊ラネールに戻した。それが纏う荘厳なはずの光は、くたびれて艶がない。 しかしそれよりもリンクの関心をひくのはやはり、ついさっきまでラネールはテスチタートとしてリンクを襲っていたという事実だ。何かに乗っ取られていたのではないかと思うが、本人に聞いてみるにこしたことはないだろう。 「――さっきまでの、あれはなに?」 『水棲核細胞モーファ。及びそれをベースとして僭王ザントに蘇らされた覚醒多触類オクタイール。……其れの亡霊に汚染された我の姿』 「なるほど。合点がいった」 何やら統一性に欠けたモンスターだとは思っていたがそういうことだったのか。ベースにラネール、それに更に二つのモンスターの寄せ集め。姿はちぐはぐだが、能力的にはきっと悪くない組み合わせだったのだ。第一形態は弱かったが第二形態の動きは、実はまだしっかり見切れていなかった。 『礼を言おう、勇気の仔』 「リンクだよ。……それよりさ、あなたをそんな姿にしたのは誰なの? やっぱりガノンなのかな」 『……いかにも。我を貶めたるは、貶め足り得るは、魔王ガノン。我は自由意思を剥奪されこの地の守護でなく汚染を強制された。民々には酷い思いをさせたであろう』 「それは……仕方ないよ。ガノンのせいだし。あなた自身弱ってるし……誰もあなたを責めたりはしないよ」 そっとラネールに手を触れる。手から漏れ出すトライフォースの力は、微弱ではあるが少しは回復の足しになるだろう。 それからふと思い立ち、ラネールに意見を伺う。 「あのさ、思ったことがあって。……最後に現れたぐにゃぐにゃのコア、あれはあなたの命の源だった――んだよね? あれを抜いて絶命するのはきっとあなたで、その二つの亡霊とやらが復活する仕掛けだったんじゃないかな……」 『……よく看破したな』 「なんか。第一形態が弱すぎたんだもん。それで第二形態では、これみよがしにそのコアを晒してきたりしてさ……不自然だったから。きっとガノンは僕にあなたを殺させるつもりだったんだ」 「え、えげつなー……」 ナビィがうへえ、と嫌そうな声を出して汗を垂らす。えげつない。確かにそうだ。だけど目的が見えない。 過去の亡霊なんか蘇らせてどうするというのだろう。蘇ったところで所詮それはかつて倒された怪物たち、つまりはその程度の力でしかないというのに。 何の意味もないお遊びで光の精霊を愚弄したというのなら、それはもう大した"ご趣味"であるとしか言いようがない。 「いくつか訊いていいかな」 気持ち悪くなってきたのでリンクは考えるのを止め、話題を元の方向へ切り替えた。 「僕はゾーラのお姫さまに頼まれてハイラルの水源を正しに来たんだ。あなたを救ったことによって、その目標は達成出来たとみていい?」 『……構わないだろう。我はこれより湖の守護に戻る』 「じゃあ、全然関係ないことなんだけどトライフォースの欠片について知らない?」 『すまぬが、その件に関して我は存じ得ぬ』 「……そっか……」 まさか全く知らないと言われるとは思っていなかったのだが、どうもあてが外れてしまったらしい。光の精霊ならトライフォースのことそのものは知って然るべきだから。 けれど、デクの樹サマも魂の賢者も「湖」としつこく言っていたのだ。音沙汰ぐらいはあってもいいはずだった。 『欠片ならばわらわが知っておるぞ』 「――誰?」 突然降ってきたまったく聞き知らない第三者の声に驚き、声のした方を振り向く。いつの間にやらそこには一人の女性が立っていた。 ハイリア人のような白い肌ではない。青くぬめらかなその皮膚はゾーラ族のものだ。 そしてご多分にもれず、透けている。 「六……賢者……?」 『いかにも。わらわは水の賢者ルトぞ。ふむ、しかし――似ておるのう』 「いい加減飽きたよ、その反応は」 『そのほうが飽きようとも似てるという事実は変わらぬ。諦めよ』 水の賢者ルトは、リンクの不満をさらりと受け流し取り合ってくれなかった。 地上で会ったゾーラの姫に、なんだかすごく良く似ていた。 ◇◆◇◆◇ 『成る程成る程、欠片を探すついでに我が末裔の頼みを引き受けて祠の最奥部まで参ったとな?』 「うんまあ……そうだよ」 リンクが面倒くさそうにルトの質問に答えると、彼女は何故か突然怒り出した。 『馬鹿者! 乙女の頼みをついでなどと言うでない! 今のは否定せねばならなかったのじゃ!!』 「え、え、ええ……?」 『ゼルダ以外の女には今一つ気遣いが足りないところまで瓜二つなのかそのほうは!!』 「いや、僕、ゼルダ姫には会ったことがないんだけど……」 なんだか理不尽な怒りにさらされている気がして、リンクは困ったように眉をしかめる。六賢者、彼らは本当に「賢しい者」なのだろうか? そのわりにはなんていうか随分――滅茶苦茶だ。色々と。 ダルニアが一番賢者らしい賢者だった気がする。言葉遣いは多少ぞんざいだったけれど……。 そんなことを考えつつ困惑顔でルトを見上げると、彼女ははっとして口に手を当てた。 『……まあ、今はそれはせんないことであるな。時間は足らぬことはあっても余分なことはない……。話してやろうぞ、その方に』 「うん。お願いします」 屈託なく自らを見つめる純朴な子供の瞳に、ルトは何を思ってか小さく息を吐いた。 『トライフォースの欠片はゾーラ族の王家祭壇に戴かれておる。我が末裔よりあとでせしめればよかろう。それについてはこれで終わりじゃ。あとは、そう――マスターソードの話であろう?』 「マスターソードのことを何か知っているの?!」 せしめるってなんだ、という疑問はとりあえず置いておくことにしてリンクは「マスターソード」の話題に食い付いた。 あのダルニアも「よくわからない」と言っていた代物だ。ラネールがまったく役に立たなかったことへの落胆もあり、これ以上この場所でヒントが貰えるとは思っていなかったのだ。 『いいや。所在を事細かに知っておるわけではない。わらわが知りうるのは"彼"が話し託してくれた在処に関わる伝承じゃ。……件の"彼"はいやに用心深くての。情報は我ら六賢者に分散して伝えられておる』 「そっか。……あの、それで?」 『ふむ、まあ落ち着け。今話す』 急くように先をせがむリンクを落ち着けとばかりに見やり、息を吐き胸に手を当てルトは仕舞い込んでいた記憶を引っ張り出した。 その伝承を伝えるのはあまり楽しいことではない。勇気のトライフォースを宿しダルニアに無欲の太鼓判を押された彼なら大丈夫であろうが、しかし過去に幾人もの人間が伝承に殺されるのを彼女は見ているのである。 伝承は、もとい聖剣を求めるという行為は酷く危険だ。聖剣は使い手を選ぶ。神の剣は持ち主を選別し選ばなかった者を断罪するのだ。 過ぎた力を求めた罰として。身に余る欲を抱いた罪として。 剣はその判断で命を奪う。 この千年の間に浅はかな望みを抱いた人間は、ごまんといた。その多くは幸運なことに――幸運だったのだ――神聖剣に辿り着くことすら出来なかった。しかし不幸な幾人かは辿り着き、そして死んだ。 死ななかったのは二人だけだ。 黄金の女神に愛された勇気の仔、黄昏を支配した僭王に対峙した光の勇者と悪臣アグニムを打ち破った反乱戦争の勇者。 彼らは一様に――"彼"の血をひく直系子孫だった。 『"高き塔、試練の塔、その頂きに神の慈悲があり。求める者よ、汝を示せ。汝の勇気を、守り人に示せ。赦されるならばしるべをその身に、赦されぬならば裁きをその身に。それでもなお望むなら――汝は光を見付けるであろう"』 「塔……」 『左様。その方が如何としても神の剣を求めるというのならば、わらわは止めぬ。試練を課す高き塔に行くがよい。尤も場所は知らぬがな』 「ううん、場所は大丈夫……のような気がする。多分。言っちゃなんだけど、これまでの旅でもなんだか作為的な匂いを感じたし。これまで通り僕がそれに呼ばれるんなら……それがどうしても必要なのならきっと辿り着けると思う。多分、僕は――」 言葉を切ると、リンクはふと空を仰ぎそれからルトに振り向いて、頼りなく困ったように笑った。 「――その先に行かなきゃならないんだ。望まないけど、神様に選ばれて呼ばれてる」 空の向こうにいる黄金の三大神のことを、今眼前にいる少年が覚えているはずはないのだけれど。 感じることはあるのかもしれない。 人はそれを本能とも呼ぶのだ。 「勝手な思い上がりだと思うけどね。だってそうとでも思わないとやってられないもの。僕、ただの田舎者だったんだよ? 特技なんて木登りぐらいだったし。剣なんて……持ったこともなかった」 『リン……ク……お主……』 「そんな僕がね、それでも前へ進みたいって思うのは滑稽なことかもしれない。なんて馬鹿げているんだろう、って笑われるかもしれない。でも僕はもう、色んな人に後押ししてもらってるから。今更諦めるとか止めるとか虫が良すぎるよ。そんな申し訳ないことできっこない」 『…………そうか』 「うん、そう。それに僕、一番初めに決めたんだ。絶対にゼルダ姫を助けるって。諦めないって。会ったこともないのに変かもしれないけど、でもそう決めたから」 少年は、屈託なく――笑う。 それがどんなに恐ろしいことであるかも知らず。ただ心が思い描くままを語り、素直に可愛らしく、笑う。 まだ何も知らないから。 本当のことなんか、一つも知らないから。 「僕は、一度決めたことは絶対に曲げないよ」 『ふふ……くくく、そうか、そうか』 「わ、笑わなくてもいいのに……やっぱりちょっと、おかしいのかな……」 『可笑しいとも。その方は間違いなく奇人変人の類いじゃ。――いや、そんな顔をせんでくれぬか、わらわは褒めておるのだぞ』 「なんか泣きたくなってくるんだけど」 リンクは憮然とした表情でルトを見据えた。唇を尖らせてはいるが、けれども彼女に認められたことは理解しているらしい。年相応の仕草は彼によく似合っていた。 ルトは、微笑む。 『やはり彼によく似ている。血は争えぬの』 「だからもうその言葉は聞き飽きたってば」 『何度でも繰り返すが、そう言われることに関しては諦めよ』 魂の賢者と炎の賢者、そして森の守り神が「彼を彼のままでいさせたい」と言っていた意味がわかったような気がした。 眼前の少年は。仕草や空気があんまりにも――あんまりにも、そっくりだったのだ。 そりゃあ、"あれほど"酷くは、ないけれど……。 ◇◆◇◆◇ 「というわけで、光の精霊を解放したから湖はもう大丈夫だよ。水かさは多分数日中に元に戻ると思う。――そうそう、だからこれも返さないと」 わりときっちり畳んであったゾーラの衣をザックから引っ張り出して、リンクは姫君に笑いかけた。 彼がよくする屈託のない笑み――に見えなくもないのだが、そこにはいつもと違って若干のおべっかと緊張、冷や汗が見え隠れしている。 これからトライフォースの欠片を水の賢者曰くのところ「せしめ」なければいけないのである。気の強い姫君がどんな反応をするかと思うと、リンクはとてもではないが平常心ではいられなかったのだ。 姫君はやや不思議そうな面持ちでそんな彼の顔を見たが、とりあえずは無言でゾーラの衣を受け取った。 「それでね、その、なんていうか……お願いがあって……」 「何であろう? 言ってみよ」 「い、言いにくいんだけども」 「はようせい」 優柔不断なリンクの態度に、姫君の顔付きが険しくなる。彼女はどうもはっきりしないことが嫌いなようだった。すっぱりと真っ正面から行かないでなあなあにしようと迂回したりするのは彼女におけるタブーらしいのである。 リンクは内心肝を冷やしながら、しかし意を決してその頼みを口にした。 「王家の祭壇にある、トライフォースの欠片……それを、譲って欲しいんだけど……」 心臓をばくばく言わせ、最悪姫君がリンクに対して怒り出すことまで想定してリンクは目を瞑る。 「せしめ」なければいけないということは多分、簡単には渡してくれないということなのだ。安置場所は「王家の祭壇」なのだと言うし、やはり下々の民は近付けない聖域なのだろう。 湖にあるはずの試練。水の祠での討伐が今ひとつすっきりしない終わりを迎えたとは思っていたし、それは実は欠片を手に入れることそのものなんじゃあないか――炎の山でもそうだったのだし――…… 「何かと思うたら、そんなことか。良いぞ、ついてたもれ。討伐の礼として祭壇まで連れていってやろう」 「いや、そこをなんとか――って。い、いいの?」 「構わぬ。尤も連れていくことしか出来ぬがの」 「……え? なんで?」 ぽかんと、馬鹿みたいに呆けた顔をするリンクに姫君は苦笑し、それからばつが悪そうに顔をしかめる。 「二ヶ月ほど前からかの、唐突に黄金の欠片が現れそれ以来誰一人祭壇に近寄れのうなってしもうた」 「……ああ……なるほど……」 「恐らくその欠片がそちが求めるトライフォースなのだろう。であるからして、そちの望みに応えられるかはわからぬ。だがわらわはこれで約束は守ったことになるぞ? 王家の者ですら祭壇に近付けぬなど、威信を保つ為には王家以外に漏らすわけにはいかぬからな」 ある意味それは王家のみに伝わる秘密であろう――? と勿体つけて姫君は言うが、たかが二ヶ月では伝わると言うほどには長い期間ではないようにリンクは思った。 プライドの高い彼女がどう反応するかわからなかったから、それを口に出しては言わなかったけれど。 「ほれ、ここから見えるであろう? やってみよ。黄金の聖三角の印を持つそちならばもしかすると触れられるやもしれぬ」 わらわはここに残る、と言って立ち止まった姫君に例を言うとリンクは黙って先へ進んだ。 祭壇に近くなると、欠片が発しているであろうちょっとした威圧感めいたものが強くなる。確かに、いつもよりも少し力が強いような気がしないでもない。 一番初めのひとつはなんてことなかった。インパもリンクの叔父も、近くにいても何ともなかった。二つ目はデクの樹サマの中に。三つ目は魂の神殿の奥深く。四つ目はトライフォースなくしては開かない扉の向こうに。 考えてみると、少しずつ少しずつ欠片の場所は普通じゃあなくなってきているみたいだった。まるでリンク以外には触らせまいとするかのように欠片一つ一つの防御が堅くなる。 もしかしたらそれが出来るのは、リンクが欠片を集めてばらばらになってしまったそれを完全な姿へ近付けていっているからなのかもしれない。 「これが……五つ目の、欠片」 そっとそれに触れる。欠片は眩く光り、金色の靄に溶けてすうっとリンクの印に吸い込まれていった。 途端、ぱあんと何かが弾けたような音がしてその場に張りつめていたトライフォースの気配が消え去る。あとには何も残らない。ゾーラ族王家の祭壇は、無事元の在り方を取り戻したのだった。 |