溶けてゆく境界線 曖昧に消えゆく自我 集団と云う名の足枷 ようこそ、死者の塔へ。 死者の塔の番犬 巨大な――巨大な双翼。 リンクとの対比はまるでガリバーの巨人とその小人のようだ。 室内の照明は蝋燭のほの暗い灯りがいくつかしかなく、薄黒いそのフォルムはところどころ漆黒の闇に溶けて見えなくなってり、だらしなく開いた口からは酷い臭いの涎が垂れ、汚ならしい跡を作っている。 そして腹から、亡者の遺骸が浮き出ていた。 「……これは、ちょっと……」 既に鼻が麻痺して、嗅覚は潰されている。拷問部屋を思わせる薄暗い室内では視覚も満足には働かないだろう。 頼れるのは聴覚のみ。リンクは聴覚に特化したハイリア人の長耳に感謝した。珍しい形だから、面白がられることや気味悪がられることもあって決して良いことばかりではないのだが、やはりこの形に進化したのにはそれなりの意味があるということだろう、リンクは物凄く耳が良いのだ。 音で方向を取るのはほぼ正確に出来る。空気の流れもある程度は読める。 その事実は暗に、ハイリア人以外には恐らくこのモンスターは倒せないであろうということをも仄めかしていた。 「ナビィ、何かわかること……ある?」 「……グリオーク。アレは、グリオークって言うの……。森にいた頃デクの樹サマが教えてくれた。ハイラルのどこかにいる、"絶対に遭遇してはいけない"存在の一つだって」 「もう遭遇しちゃったじゃん……」 今更遅いよ、と思ったが嘆いている暇などありはしない。相手の動きは鈍いが、翼やベロなどで攻撃されたりしたらそのリーチは計り知れない。ブレスやビームなんかで遠隔攻撃されたら最悪だ。 室内の広さは、基部フロア丸々分ある。グリオークが巨大すぎるからそれだけ取ってあるのだろうが、戦うとなるとそれでも手狭に感じるくらいだった。 まずはいつも通りにグリオークの攻撃パターンを見切るところから始める。だが、何故か仕掛けてこない。どしん、どしんと重たい足音を響かせ歩き回っているがそれだけだ。 「……攻撃する意志が稀薄なのか、それとも僕を見失っているのか」 「前者だといいんだけどネ。……ま、後者だと思った方がいいヨ」 「だよね。さて、どうしたものかな」 武器を再確認する。遠隔攻撃用が弓矢、フックショット、ブーメラン、フロルの風、それから爆弾。近距離攻撃用は剣とディンの炎と――マジカルロッド。 「これを一回も使ってないっていうのが気になるんだよね」 これ、というのはもちろんマジカルロッドのことだ。魂の神殿で戦った幽霊闘士に似たタートナックとかいう敵を倒して手にいれたはいいのだが、実戦で用いるタイミングがここまで一度もなかったのだ。 「効果は氷縛……なんだけど、けっこう範囲は狭そうだったし」 相当近付かないと意味がない。 しかし正攻法でリンクが近付けるのは、どれだけ頑張っても足までだ。そんなところに急所があるとは思えない。むしろ、ダメージを与えられない可能性の方が高いだろう。 つまり正攻法は捨てざるをえないということだ。 「となると、これしかないね」 剣をしまうと左手にマジカルロッドを握り、右手にフックショットを嵌める。刺さる場所がなければそれまでではあるが、リンクのことを見失っている今ならば狙うチャンスはあるはずだ。 真っ向から攻めて敵わないのならば、死角に入り込んで攻めるまでである。 「それっ――!」 グリオークのつるぴかの頭頂部を慎重に狙い、引金を絞る。果たして目論みは上手くいった。ぐちゃ、と僅かに嫌な音を立ててフックショットはグリオークに食い込み、鎖を巻き戻す反動でリンクをグリオークの上に引き寄せる。 「よっし……上手くいった。後は、凍らせて斬る、と」 「大丈夫、上に乗られたことには気付いてなさそうヨ。こいつ痛覚とか触覚が鈍いんだわ。皮膚が分厚いからかしら」 「さあ。好都合であることに変わりはないんだから、僕はどっちだって構わないけどね」 首尾よく頭の真後ろに着地するとリンクは間髪入れずにマジカルロッドを発動させた。ぱきぱき! と冷たく鋭い音がしてグリオークの頭部が固まる。 その流れのまま、勢いよく縦払いの一太刀を入れた。 グギャォオオオオオオオ!! という悲痛そうな悲鳴がそう広くない室内を満たす。 咄嗟にグリオークから飛び退き――フックショットで手近な壁を狙って距離を取り、更にブーメランで竜巻を発生させた――ことでその悲鳴をもろに聞いてしまうのをリンクは防いでいた。結果的にそれは正解であったと言えるだろう。 グリオークの悲鳴には、金縛り効果があったのだ。 「四肢……重っ……!」 「ナビィも羽根が重いのヨ……」 「風音で軽減してなかったら全身石化して数分は身動きがとれなかったんじゃないかな、多分」 リンクの体の動きも鈍っているが、しかしグリオークの動きは更に鈍い。その上グリオークの「敵を捕捉する能力」はどうやら著しく低いようなのだ。しばらくは考える時間を取れるはずだ。 だから、思考する。 (ダメージを与えられるのはわかった。でもそれには対策が必要だ。出来るなら、もっと効率よく安全にいきたい。そうすると、何が必要なんだろう――?) 「何が出来るんだろう?」 「ん、違うやり方を考えてるのネ。だったらアレは? フロルの風は試さないの?」 「フロルは……どうだろうなぁ……」 魔法といっても、あれはあくまで少し鋭利なだけの風にすぎない。もっと修練を積めばより切れ味の良い風を作れるのかもしれないが、あれだけ分厚そうな皮膚を切り裂くのは今の段階では無理だ。 マッドゼリーの時は、どっちかというとひっぺがすことが主な目的だったから出来たようなものなのである。 (でも……風、か……) さっきもブーメランの風で向こうの攻撃を軽減出来た。使い方はまだあるはずだ。 「――そうか!」 方法を一つ思い付き、手を叩くとリンクはまず目を瞑り風を聴いた。両耳に意識を集中させ、流れを読み取る。 「り、リンク、どうしたの?」 「ん? あのね、ちょっと。いいこと考えた」 「何ヨいいことって」 「まあ、うん、見てて」 返事もおざなりにグリオークに向かって一直線に飛び出す。先程と同様にフックショットでグリオークの体に飛び乗るとリンクは持てる魔力を限界まで絞り出して巨大な竜巻と火球を発生させた。 竜巻はグリオークの頭……特に口、を物凄い轟音を立ててすっぽりと覆いこむ。同時に火球は喉を直撃し、頭部を灼熱の炎で灼いた。 そのままリンクはマジカルロッドを構えて容赦なく凍らせ、そして―― 「でぇやああああああ!!!!」 渾身の一撃を、グリオークの首に叩き入れた。 ばき、というキレの良い音のすぐ後にぐちゃ、ぬちゃ、という生温い気持ちの悪い音が続く。グリオークの生首が中途半端に切断され、だらりと垂れ下がっていた。 リンクは急ぎフックショットで退避を終えていたが、心配するまでもなくグリオークは既に絶命しており、あの耳をつんざくような悲鳴はしない。リンクはふう、とほっとしたように息を吐いて額の汗を拭った。 その隣でナビィが、至極不思議そうに彼の回りを飛び回っている。 「え、え、ええ……? 何ヨ、今何があったの?」 「簡単に言えばグリオークを倒したってことかな」 「そんなの見ればわかるヨ。ナビィはどうやったのかが知りたいの!」 ぷんぷん、と興奮して湯気をたて出したナビィにリンクは何か切迫したものを感じ、慌てて彼女を抱き抱える。ナビィはしばらく手の中でばたついていたが、やがて疲れたのか、それとも飽きたのか静かになった。 「で。どうしてああいうことになってるのヨ?」 「そんなに難しいことじゃないんだよ。基本は最初の攻撃と一緒」 「でも、最初の時はあんなに切れなかったじゃない」 どす黒い体液をどろどろと垂れ流すグリオークの首を羽根で指して、ナビィが言う。 「急に威力が段違いになるなんて変だヨ。そりゃあ、リンクの覇気も違ったケド……」 「あー、それなんだけど。さっき攻撃の前に魔法を使ったよね?」 「そうネ。かなり派手に使ったわネ」 「実はそれでちょっと小細工をしたんだよね。まず暴風を作ったでしょ? あれはグリオークの悲鳴を無効化するため。あれだけ五月蝿ければ聞こえないから」 「ふうん。じゃ、ディンの炎は何のためなのヨ」 「根回し、かなあ……」 「根回し?」 何ソレ、と言いたげな妖精にリンクは曖昧な笑みを浮かべる。 「喉を狙って、まずは悲鳴を上げる器官そのものを出来るだけ潰しちゃうんだ。それと、もっと直接的には頭部を熱するため。その直後に浴びせるマジカルロッドの攻撃が効率よく効くように」 「……? ゴメン。ナビィまだ生まれてそんなに経ってないから難しくてよくわかんない」 「えっと、あのね……すごく熱いものを急に冷やすと、脆くなるんだよ。壊しやすくなるというか。そういうこと」 ディンの炎で炙り焼きにされ、温度が高まっていた頚部にマジカルロッドを当てる。マジカルロッドの効果は氷縛だ。当然、その攻撃は物凄く冷たい。 その連繋で脆くなった首に、渾身の力で剣を叩き込む。要するにそういうことである。 暴風が熱を奪う可能性に関しては、要は音がたてばいいのでそもそも熱風にしてしまうことで予め対処。リンクやナビィの身の安全に関してはブーメランの風起こしと、後はもう他力本願だがトライフォースの奇跡に頼った。 リンクは気付いていなかったが、結果として女神ネールの加護たる「ネールの愛」――絶対防壁の奇跡が発動し彼らは無傷で済んだのだ。 「うわあ、なんだかすごい勝ち方だったのネ……リンク、これってただの幸運以外の何物でもないヨ? 神様に感謝しとくのネ」 「あはは……そうだね。自分がやったことなのに笑えなくなってきた……。ま、いいや。とにかくマスターソードの手がかりを探さないと。もう奥の部屋に入れると思うし」 リンクの言葉に反応するように、部屋の灯りがボッ! と一斉に灯る。 グリオークの遺体の向こうで、扉の錠が落ちる音がした。 |