伝えられる偽り話。 闇に葬られた真実。 路線図のその先 『さて、結論から言おう――ここに聖剣はない』 「え? 今何て言ったの?」 ぽかんと馬鹿みたいに口を開けて、リンクは信じられないものを見るみたいに彼女を見た。 腕組みをする彼女は申し訳なさそうに目を閉じ、眉間には何故かしわがよっている。リンクの反応に彼女はさもありなんというふうに首を振った。 リンクが呆けるのも無理はない。そんなことは彼女だって解っている。しかしだからといって、同情したところでその事実は変わりようがないのだ。 闇の賢者インパが司るシーカー族の――闇属性の聖域にマスターソードなどあるはずがないのだから。 『すまぬ、としか言いようがない。だがそのミスリードは少なからず彼が意図したものでな……つまりな、アレを倒せぬようでは聖剣に触れる資格すらないと、まあそういうことだ』 「酷い……えげつないよそれ……折角苦労してここまで来たのに」 『落ち着け少年。どのみちここには来ることになったのだから。――必要なのだろう、トライフォースが』 「……そりゃあ、そうだけど」 疲労の色の濃い顔を上げ、リンクはインパの奥にある台座に鎮座するトライフォースの欠片を見た。落ち着いた色合いの室内でただ一つ輝くそれは、以前見たどの欠片よりも眩しく見えた。 「あれも目的の一つではあったけどさ。でもこれで手掛かりも途絶えちゃったかと思うと余計に虚しくて」 『聖剣の、か?』 「うん。だって"高き塔"だなんて、もう思い当たるものがないもの。これでまた振り出しだよ……」 『いや、そんなことはない。私も彼よりそのヒントを預かっているからな』 「……えっ?」 本当? とリンクは小首を傾げ、インパをじっと見つめた。眼差しは純真な子供のものに似て、そこに含まれる期待にインパは若干の心苦しさを覚える。 ヒント、と言ってもそれはそのままマスターソードの入手に直結するものではないのだ。 だけれども、その情報を欠かしたままでは絶対にマスターソードには辿り着けない。それはそういう類いのものだった。 ◇◆◇◆◇ 「インパさんには、"神の塔"への登り方を伝えておきます。ある意味、これが一番大事な情報ですから。あなたにお願いしたいんです」 「私は構わないが、それで良いのか? 姫様ではなくて?」 「はい。姫にはマスターソードそのものの守護を頼みましたから。その分辛いこともあるでしょうが、姫はそれを請け負ってくださいました。だからインパさん、あなたにはこの情報を。それが俺が出した結論です」 張り付いたような彼の薄ら笑いが一瞬だけ、何か別の表情に変わる。だけどもそれがなんなのかを確かめることはインパには出来なかった。気が付けば彼はもう、元の表情に戻ってしまっていた。 「次の世代――俺の後継までの面倒は、俺自身で見れる。でもその後は無理なんです。それはフロルとの契約に反するから」 小さな彼の肩の上で、蒼い妖精の羽根が震える。彼は妖精に微笑みかけ何事か耳打つと、真面目な顔をしてインパに向き直る。 「約七百年後のガノンの復活をもって、マスターソードは以前までの場所に安置出来なくなります。"歪に叶えられる願い"によって森の聖域はマスターソードを受け止めるだけの強度を喪う」 「それは……一体……そもそも何故そんなことを」 インパは戦くような表情を浮かべるが、彼はそれには答えない。「何故知りうるか」には――答えられない。 「トライフォースが揃い、闇の世界に覆われたハイラルに再び美しい世界をと"誰か"は願う。だけれどはじまりの契約は変えられない。十中八九その皺寄せを喰らうのは森の聖域です。時の神殿がその機能を半ば失った今、あそこが一番突出した力を持っていますから」 尤もこれは現段階での予測ですから、変わり得ますけれど――と注意を付け足し、彼は話を続ける。 「神の塔は簡単に言えば、マスターソードを納める為だけの場所です。マスターソードを仕舞い、管理し、然るべき者に渡す。機能はそれだけです。ですがそれ故にとても大きな意味を持つ」 「……常人が登れるようでは困るということか」 「はい。ですから――」 彼は淡々と饒舌に、その条件を語る。 ◇◆◇◆◇ 『"神の塔は真に勇者足りうる者の前にのみその姿を現し、虹の架け橋を映し出す"。これが、彼より預かった高き塔に登るための条件だ』 「神の……塔?」 『そうだ。それこそが高き塔の名。聖剣が納められた"七人目の賢者"が守護する場所』 「……今まで六賢者、って言ってなかったっけ」 七人目とはなんだ、とリンクはいぶかむように訊ねたがインパは小さく首を横に振って正確な答えを返すことを拒否した。 『お会いになればわかる』 「ふうん……そう。それで、真に勇者足りうるって一体どういうことなの? 僕は――勇者として認められるの?」 『何でも訊けば答えが返ってくると思っているようではまだまだだな。……と言いたいところではあるが、まあ私の判断としてはなんとか及第点といったところだ』 喜んでいいのか悪いのか判断しかね、何とも微妙な表情をするリンクにインパは微笑む。それはくすぐったい何かからくるものだ。 母性に似た、何か。 『神の塔に求められるものはそう多くない。勇気のトライフォース、そして我ら六賢者を納得させるだけの勇気――心根、志、そういったものだ。今、少年は私を含む五人の賢者にいわば承認を受けている状態だ。進みたくばこのまま行け』 「六賢者の承認、か。それは大事なことだったんだね。なんだかみんなちょっと変な人だったけど、やっぱりすごいんだ」 『本人の目の前で言うことか?』 「……あ、うん。インパさんはそんなに変じゃないよ。ルトさんとか、ナボールさんとかはちょっと変わってたなあって……」 『ダルニアはあれだけ暑苦しいのに普通なのか……』 インパは苦笑いをして、その少し焦ったような視線を受け止めた。 勇者であるということは、必ずしも素晴らしいことでは――ない。 勇者であるということは即ち、普通ではないということで。 勇者であるということは即ち、一身に世界を引き受けるということで。 勇者であるということは即ち、その身を差し出し擲つということで。 勇者であるということは即ち、あらゆるいのちに責をもつということで。 勇者であるということは即ち、少なからず女神に縛られるという――ことで。 この世界に生まれた何人かの勇者は皆一様にその宿命を背負っていたが、しかし彼らは少なからず恵まれていた。 黄金の三大神伝説を国の礎とするハイラル王国においてトライフォースは絶対の崇敬対象であり、また代々の姫君が例外なく知恵のトライフォースを宿していたために彼らは"然程"得意な存在ではなかったのだ。 人格的にも優れていた彼らは概ねすんなりと国に、民に受け入れられた。 そして人並みの幸福の中で息を引き取った。 彼ら自身のポテンシャルは決して人並みではなかったのだけれど。 神への近似性は代を重ねる度に薄れていたとはいえ、当たり前に人智を超えていたのだけれど。 「そういえば、神の塔ってどこにあるの? 全然検討もつかないんだけど、それって実は一番大事なことなんじゃないかな……」 先程何でも訊けば良いわけではないと言われたからか、遠慮がちに口をすぼめておずおずとリンクはその疑問を口にした。建物の名前はわかったけれど、それだけじゃ絶対に辿り着けない。地図にその名はなかったのだ。 『気が早い。神の塔に入る資格がまだ足りていないだろう? 六賢者最後の一人に会いに行くのが先決だ』 「あ……そっか。そうだった」 『深き森の奥に"過去への扉"がある。それを探せば自ずと会えるだろう』 「……丁寧にどうも……」 何か裏があるんじゃないかと怯える子供よろしく上ずった口調で礼をすると、リンクは無防備に伸びをして立ち居を正した。 「それでその、僕はもうそろそろ行きたいんだけども――それは。貰ってもいいのかな」 トライフォースを指差してそう訊ねる。グリオークを倒してインパに認められたのだから、訊くまでもなく良いのだろうけど、無言でただ持ち去るというのはやはり無礼だ。 『誰が止めるものか。それを手にする試練を潜り抜けたのだ。好きにしなさい』 「じゃあ、遠慮なく」 歩み寄り、翳された左手に欠片が吸い込まれる。いつも通り特に変わったこともなく、トライフォースの欠片はリンクの印の中に納まった。 『……最後に一つ、忠告をしよう』 「何?」 徐に口を開いたインパに、立ち去ろうかと考えていたリンクが振り向き立ち止まる。続きを促すような沈黙を確かめてからインパは「忠告」を口にした。 『勇を勇むことは無謀とは違う。思慮深くあれ。慎み深くあれ。己を確かに持て。――"明け渡すな"』 「…………?」 インパの言葉の真意を図りかね、リンクは小首を傾げる。「明け渡すな?」何をだろうか。 トライフォースだとすればそれは当然のことだ。これだけ苦労したのに、ゼルダ姫以外の人間におめおめと渡せるものか。 『そう難しいことではない。ただ心に留め置き秤にかけねばならない時が来た時、思い出して欲しい。"その命は自身のものである"と』 「……今はよくわかんないけど……了解した。覚えておく。忘れない。その時とやらが来るまで」 『来ないことを願うがな。――では、行きなさい。姫様に宜しく頼むぞ』 「? うん。わかった」 なんだか歯切れの悪い別れだった。 わからないことをわからないままに仕舞っておく気持ち悪さがあるが、それに拘っている暇はない。 知らない幸福を甘受しながら、少年は森への道を急ぐ。 |