あなたが信じるのなら、その道を往きなさい。 必ずしもそれが正しいわけではないけれど。 星泣きの夜の預言 老婆が差し出した包みは、リンクの左手に触れるやいなや弾けた。 眩い黄金の光を放って彼の手のひらに収まったそれは恐らく、ゼルダが別つたという「知恵のトライフォースの一欠片」だ。老婆が持って逃亡したというのならば成る程、確かに魔王が見付けるのは困難だっただろう。こんな年老いた人間がそんなものを持っているとは考えにくいし、彼女は絶えず移動していた。 だが、今問題なのはそこではない。 「それは……黄金の聖三角……」 老婆の細い目が驚愕に見開かれている。 「少年……あなたがそれを……!!」 老婆は酷く驚いていようだが、その事実に一番動揺していたのはリンク自身だった。彼女がトライフォースを持っていたのも十分驚愕に値する事実ではあったが、「自身の左甲で三角の光が燦然と輝く」という現象は完全に彼の想定の範囲内を超えていた。 「な、なんだこれ……」 確かに、リンクの左甲には生まれつき痣があった。しかしそれは微かなものであり、今まで然程気にしたことはなかったのだ。傷んだことも、ましてや光ることなんて一度もなかった。どうしてこんなことが起きているのか、まるで見当もつかない。 騒然とする家の中で、男だけがまるで全てを悟っているかのようにわかりきった顔をしていた。それはある種の別離を覚悟した顔だった。 「……間違い、ありません。少年、あなたのその光は勇気のトライフォースの印……魔王が言うところの"神に選ばれたしるし"に他ならない。図らずも出会えるとは。これも神のご導きなのか」 「そんなことを急に言われても、僕の頭が追い付きません」 興奮する老婆を制そうと、なるべく落ち着いた声を出そうと試みる。だが実際には少し上ずってしまって、上手くはいかなかった。 「だいたい、そんな都合のいい偶然があるわけな――」 「いや、ある」 リンクの言葉を、予想外の声が横切った。 「間違いなくそれは"勇気のトライフォース"とやらの印だ」 「……お、おじさん?」 ずっと黙っていた男が、急に口を開いたかと思えばそんなことをのたまった。その言葉の意味を理解しかねてリンクは間抜けに聞き返す。本当は、理解出来なかったわけではなく信じられなかっただけかもしれないが。 リンクに見つめられ、男は一呼吸間を置いてから覚悟を決めたように彼を見据えた。 「お前に黙っていたことがある」 「……父さんと母さんに関わる話?」 「そうとも言えなくはないが、本筋はそれより重いことだ。お前の人生に……運命に関わるだろう話だ」 「止めてよ、そんな……」 恐ろしく真剣な面持ちの男には、苦笑いして冗談でしょう、というふうに首を傾げる行為もなんら意味を為さなかった。リンクの心が男がするであろう独白を避けられないことなのだと受け入れるまでに、数分の時を要した。 「それは、どうしても必要なことなんだね」 魔王が現れお姫様が拐われた今だからこそ――と続いたリンクの言葉に、男は静かに頷いた。 ◇◆◇◆◇ リンクは星泣きの夜に生まれた。 涙の如く流れ落ちていく流星群はその赤子の誕生を祝福しているようであり、その一方で見方によってはなにがしかの因縁、凶事の予兆――そんなものにも似ていた。 ハイラル王族直属の騎士団、通称「ガーディアン」に所属する騎士である父と貴族出身の母の間に生まれた男の子はしごく健康で、その未来には明るいものが約束されているのだと誰もが考えた。 けれども、現実はそう甘くなかった。 「この子を……リンクを……どうか……」 今より十四年前。砂漠の民がハイラルに攻め入った。彼らは屈強で、ゲリラ的な奇襲作戦に秀でており、対したハイラル王国軍は相当な苦戦を強いられた。 なんとか勝利を得たものの、被害は尋常ではなく払わされた犠牲はあまりにも大きかった。これによりいくつかの地域は回復困難なほどの痛手を被り、半ば焦土と化してしまったのだ。リンクたち家族が住まう屋敷もその中には含まれていた。 驚くべきことに、ぼろぼろになりつつもリンクの母親は逃げ延びた。貴族の娘としてろくに苦労もせず、綺麗に綺麗に生きてきたにも関わらず彼女は唯一残った息子を抱えて遥か南の村まで落ち延びた。 彼女がそこを目指したのは、死ぬ間際に夫が遺した言葉に従ったからだった。そこには夫の弟が木こりとして、慎ましく暮らしていた。リンクの父は決して雅やかな生まれとは言えず、剣の腕一つでのしあがった実力者だった。 彼女は自身の義弟に息子を託すと、間もなくなくなった。か弱い体に無理をさせたことと、最愛の夫を亡くしたショックが恐らくは原因だった。 おぎゃあ、おぎゃあと赤子が泣き叫ぶ。今まで赤子の面倒など見たことがない男は困惑したが、取り敢えずおしめを変えようとおくるみを脱がせた。赤子の左手が露になる。 そして男は「それ」を見付け――神の声を、聴いた。 『――其の印は女神の仔の印』 『――女神にその全てを差し出した烙印』 『――かつて魔王を封じた古の勇者の血に連なる証』 『――やがて世界を動かす命運を刻む縁』 『――其の子もまた魔王とまみえる運命を持つ』 『――逃れることは出来ぬ』 『――その時は否応なく訪れ』 『――"最期"もまた否応なく訪れるであろう』 『――真実は来る時に自ずと悟る』 『――しかし時満ちるまで伏せて育てよ』 『――穢れ無き子となるように』 『――黄金の女神達に祝福され、望まれた通りに健やかに』 『――此の声は預言であり神託である』 『――ゆめゆめ、忘れるべからず』 その声はまるで戒めのようだった。祝福の祝詞を並べ立てているようでその実、呪詛の詞のようだった。逃れることはならず、忘れることなど赦されず。男というよりは、この赤子が運命という名の冷徹な楔に縛られているのだという警告じみていた。 声がしなくなってから数分の後、男は張りつめていた息を吐き出して辛そうに赤子を見た。生まれた時以来見ていなかったが、一応血の繋がった肉親――甥だ。酷い脅しのような神の声は、彼には押し付けられた災厄ではなく重たいものを背負ったか弱い庇護対象としてその赤子を認識させた。 「……兄さんの子……責任を持って俺が育てる。願わくば、健やかに伸びやかに育つように」 そしてリンクは、木こりの男に慎ましく育てられた。贅沢なことなど何一つなく、質素な生活ではあったが、しかしそれは充実して恵まれた日々だった。 ◇◆◇◆◇ 「なに……それ。難しくて何が何だかさっぱりわからない」 「わかりたくないだけだ」 リンクの泣き言を男は一言で切って捨てた。 「リンク、お前は賢しい子だ。本当はわかっているはずだ――俺だってお前を手離したくはない。過保護だと言われようと、この小さな村に閉じ込めておきたい。けれどお前は危険を顧みずに姫を助けたいのだと言ったな。初めは迷ったが……あの神託に従うのなら、俺にお前を止める権利はないんだ」 場を読んでか、老婆は口を開かずに二人のやり取りをじっと見守っている。トライフォースの反応を見た興奮はリンクの生い立ちを聞くうちにある程度冷め、落ち着いていたようだ。 老婆の目はいまや鋭く見開かれ、ことの成り行きを見定めるべく働いていた。それはシーカーの目だ。彼女が若かった頃、いつもしていた刺すような眼差し。 「お前の行きたいという思いに変わりがないのなら、行け。神の言葉におののき、意見を翻すのならそれでもいい。お前はずっといい子だった――離れたって俺の自慢の息子であることには変わりがないんだ」 「おじ、さん……」 努めて淡々と紡がれる男の言葉は、半分は自分自身に言い聞かせるためのものなのだとリンクは気付いていた。リンクは無鉄砲だし、考えなしで突っ込むこともよくある。賢しいだなんて――決してそんなことはないのだ。ただ、信念だけはいつだってちゃんと持っていた。それを揺るがしたり、蔑ろにしたことはなかった。 そして今の信念、志ってものを問われたら、迷わずにリンクはこう答えるのだ。 「僕はゼルダ姫を助けに行きたい」 戸惑いも、何もかも、この一時は放り捨てて。 かなぐり捨てても始めに抱いた、正しいと判じた思いは貫き通す。 「神様だとか、印だとか、そういうさっぱりわけのわからないものは関係ないよ。ただ、やっぱり僕は行きたいんだ。じっとしていられない。だから、強くそう思う」 リンクの言葉に、男も老婆も何も言わなかった。 彼らごときがかけられる言葉などなかった。 ◇◆◇◆◇ 「これと……これと。それからだな……」 「いい、いい、そんなに持ってけないって!」 どこぞの行商人だよそれじゃ、とぶつくさ言ってリンクは顔をしかめた。男が差し出した両の手いっぱいの荷袋を粗方突き返して、こざっぱりとした見た目のザックを背に引っ掛ける。少し大きめの荷物――寝袋だとか、布系のものだとか――は丸めて馬にくくりつけてあった。 「剣と盾と、エポナ。最低これだけあればなんとかなる。大丈夫、野生の草木は大抵食べられる自信があるから」 「そんな妙な自信よりも、剣の心配をするべきだ」 何処からわいているのかわからないリンクの自信に今度は男が眉をひそめた。 「お前はろくに剣を振ったことがないんだから」 「実戦でなんとかなるんじゃないかなあ、多分。……あ、うん、それは流石に冗談だよ。でもほら、インパさんが見てくれるっていうし」 ちらりと背後を見てリンクははにかむ。男にはリンクがこの先の旅がどれほど危険なものなのか、まるで理解してないんじゃあないかと思えて、今更ながら後悔の念がわきあがっていた。 「心配なさるな。年老いたとはいえ私はシーカーの者です。剣は握れませんが少年の剣を鍛えることならば出来る。……生き残り、その先に進むのに必要なだけの技量を責任を持って伝授致しますよ」 少年には辛い役目を買って出ていただいたのですからね――と老婆はまとめ、リンクの左手を見た。知恵のトライフォースに反応した三角の痣は以前よりずっと色濃さを増しているようだった。 「さて、少年……これを預かっておいてくださらんか」 トライフォースの欠片がくるまっている小さな包みを取り出し、差し出す。リンクはそれを受け取りおもむろに開いた。何故かそうしなければいけない気がした。 そして変化は起こった。 「……あれ……?」 欠片が一人でに中空に浮かび上がり、金色のひかりを撒き散らす。そのままそれは一直線にリンクの聖三角の痣へと降下した。 そのまま欠片は勢いを緩めず、当たり前のように痣に溶けた。印は輝きを帯び、しかしすぐにいつも通りの薄茶色い色に戻る。左手はなんてことないみたいに平静を装っているが、欠片が消えたことだけは明白な事実だった。 「なっ……なにがなにやら……」 「トライフォースが認めた」 インパは息を呑んでほう、と呟いた。 「少年の決意に応じて、トライフォースがあなたを認め宿ったのです。――姫様の元へ戻るための仮住いとして」 リンクは左手を見やって、それから静かに目を瞑った。 それがリンクにとっての"はじまり"を告げる鐘となった。 道々色んな人に出会って、迷ったり、苦しんだり、嬉しいことも楽しいことも悲喜こもごもあって。 そんな、彼だけの「運命」という名の物語。 「行ってきます、おじさん」 旅が、始まる。 |