大好きだヨ。
 だから絶対、忘れない。



森の子の面影



「インパさん、無事に村に着いたかな……まあ、あの人なら大丈夫だとは思うけど」
 旅立ってから数週。実は、トライフォースの欠片はまだ一つも集まっていなかった。
 リンクは一刻も早く欠片を集めたかったのだが、老婆が頑としてそれを却下し譲らなかったのだ。曰く、「そんな実力では何をするでもなく死んでしまう」のだそうだ。そして現実問題、その言葉は実に見事に的を射ていたのだが。
「さて……と。僕も頑張らなきゃ。ちょっとは強くなったはずだしさ」
 実際のところ、リンクの上達ぶりは「ちょっと」どころではなかった。彼は忘れていたことを思い出すだけであるかのように技術を吸収し、めきめきと腕をあげた。

「あの親にしてこの子あり、ということでしょうかね」
 ある時老婆はそう漏らした。
「私はあなたの父君を知っているのですよ。それは見事な剣でした。先の戦で……惜しいことをしたものです」
 それ以上、彼女は余計なことを言わなかったがリンクにとってはそれだけで十分感慨深い言葉だった。父に近付きたい。そんな思いが彼の中で芽生えつつあった。

「欠片はどこにあるかわからない……完全に運任せだなあ」
 飛ばしたゼルダが囚われてしまったため、場所の見当はまったくつかない。リンクも出来る限り考えてはみたが、思い当たるはずもなく数秒で諦めてしまったのである。
 仕方がないので足が赴くまま気ままにエポナを走らせ、この度辿り着いたのが鬱蒼と木々の茂る深い森だった。

「えーっと……なんだこれ。見たことのない文字だ」
 ふと目に入った看板を凝視して、そう唸る。大分腐食が進行したその立看板はどうもリンクには推し測れないぐらいの時を経ているらしく、今では使い手の途絶えている(勿論、リンクはそんなことなど知らなかったが)古代ハイリア文字で書かれていた。
 ちなみに、文献に残っているハイリアアルファベットよりも更に古いそれは解読法が発見されておらず、天空人の伝承とともに考古学者の頭を悩ませる要因の一つとなっている。
「読めない文字なんか見てたって仕方ないか。先に行こう」
 リンクの呟きに同意するように、エポナが鳴いた。



◇◆◇◆◇



「……デクの樹サマ! 大変、大変なのヨ!」
「何を慌てておる。大変、だけでは肝心の詳細がまったく伝わらんぞ」
「と、とにかく大変なの……! 向こうの泉近くに、ヒトが倒れてて……!!」
「なんと。ヒトが……」
 それは困ったのう、とデクの樹は皺を深くして唸った。ここは迷いの森、フィローネ。ヒトが無防備に迷い込めばいずれスタルフォスやスタルキッドに姿を変えてしまう。
 だからデクの樹は、森の入り口に視認できない結界を張っていた。その結界に近付いた人間が森に畏れをなして立ち退いてしまう、そんな結界をだ。
 その結界を抜けてくるとなると、これはもうただ事ではない。デクの樹は思案した。
(あれから千年近くが経った。……時が来るのかもしれんのう)
 思い出すのは、かつて森を旅立っていった金髪の少年。苦しそうな顔をして寄生していた魔物を斬り倒し、かなしそうに笑って最期を看取った神に愛された少年の顔だ。尤も、これは父から受け継いだ記憶であり、正確には今のデクの樹の記憶ではないのだが。
(この子が旅立つ時が来たのかもしれぬ)
 デクの樹の眼前でばたばたと羽根を忙しなく動かし、慌てふためく蒼い妖精。彼女は今はもう、何も知らない。全て洗い流して生まれ変わった存在のはずだ。でもきっと全てを忘れてはいないのだろうな、とデクの樹は微笑む。生まれ変わったぐらいではきっと、あの絆を完全に断ち切ることは出来ない。
 現に、あの妙になまった喋り方はちっとも変わっていないのだから――。
「ナビィ、まずは落ち着くのだ。それから、その人間をここに連れてくる。よいな?」
「あっ、は、ハイ! お任せなのヨ!!」
 念押しをするように動いた髭に似た枝葉に妙な圧力を感じて、ナビィはへこへこと頷くと、ぴゅうと飛びさった。


 妖精の泉のそばで横たわるその体躯はぱっと見健康体そのもので、何故倒れているのかと疑問に思うほどだった。ひょっとして単に眠りこけているだけなんじゃあないかと勘ぐってナビィは彼の顔を覗き込む。
「意識は……ないわネ。血の気はあるし……体温も……でも寝息がないわ……」
 仮死状態になられたら冗談じゃあないわヨ、とぶつぶつ呟いて息を吸うとナビィは大きく羽根を広げる。そのまま勢いよく羽根をはためかせた。蒼い粒子がきらきらと舞う。
「そらっ起きろっ……」
 妖精の羽根の鱗粉には一種の治癒効果が存在する、らしい。確かついこの前デクの樹サマがそうナビィに言って聞かせていた。
 ナビィは実は、まだ生まれて間もない妖精だった。言葉も、羽根の動かし方も知っている。デクの樹サマに教えてもらって、この森のことや妖精という存在についてなど自身に関わることから、はたまた言い伝えられている伝説――黄金の三大神だとか、勇者伝説、それに人の世の決まりごとなど、人間に関わることまで様々に識っている。
 だけれどそれらの多くは単なる知識にすぎない。識っているだけで、体験して実感し、知っているわけではない。ナビィはまだまだ赤ん坊みたいなものだった。
 けれど、時折不意に襲う奇妙な既視感がナビィにはあるのだ。それは有り得ないことだが、でも確かにナビィはある光景を知っていると感じることがあった。
 それは例えば、今目の前に横たわっている少年の姿形だとか――
「……まただわ……」
 ちょっぴり長めの金髪に、緑色の服。あどけない顔立ちで、振り向く蒼い瞳。度々夢に視る少年の幻。
 今までは不鮮明な残像に似て、ぼやけて細かなところはわからなかったはずなのに、今はいやにはっきりとその姿が視えた。
「寂しそうに……笑っている……」
「誰が寂しそうだって?」
「えっ?!」
 下から聞こえた声に現実へと引き戻され、ナビィは慌てて飛び回った。見れば少年が意識を取り戻し、どっこらしょと妙な声を出しながら起き上がっているところだった。
「目……醒めたんだネ」
「そう。何で寝ちゃったのかはわからないけどさ」
 何かを探すようにきょろきょろと辺りを見回し、見付からなかったのか、はあ、と溜め息をつくと少年はナビィを視界に捉えてじっと見つめる。ナビィは急に気まずくなって視線を逸らした。
「ところで君、何? なんか丸い光が浮かんでるようにしか見えないんだけど。もしかして僕……森の幻覚でも見てるの?」
「た、ただの丸い光?! 失礼ネ! この四枚の羽根が見えないの?!」
「あ、本当だ。よく見たら羽根がある」
 小馬鹿にしたかのような少年の態度が気に食わず、ナビィは彼に向かって急降下し詰め寄る。しかしそれが災いしてナビィはむにゅ、と両端を掴まれてしまった。
「いっ、痛ッ?! 何するのヨ離しなさい!」
「いや……何故だか落ち着くんでもうちょっと……」
 びよぉん、と餅のように引き伸ばされて喚き散らしながらも、ナビィはまた強烈な既視感に襲われた。まるで昔もおんなじようにそうされていたかのような、そんな感覚。
 ナビィに「昔」なんかあるはずがないのに。
 直に人間を見たのだって、実を言うと初めてなのに。
「まあいいや。どうやら僕は元気みたいだし、エポナも探さなきゃいけないし。いつまでも君を引っ張ってるわけにもいかないよね」
 はい、という掛け声と共に急に手を放され、ナビィはバランスを崩しぽてっと地に墜ちた。
「じゃあね、丸っこいやつ」
「――"丸っこいやつ"じゃあないわ! "ナビィ"ヨ!! それにダメ、行っちゃ!」
「なんでさ。ナビィ」
 僕は先に行きたいんだ、と続けた少年の言葉に今までの中で一番強い感覚を覚えてナビィは胸に得体の知れないちくちくを感じた。何か辛い感じだった。でもナビィはそれに構わず、デクの樹サマの言葉を実行するべく羽根を広げる。
「キミはネ、この森から見て部外者なのヨ! ここが妖精の泉だったからまだ良かったけど、不用意に動いたりしたら『森に取り込まれて』しまうわ!!」
「……取り込まれる?」
「スタルキッドとかスタルフォスとかになっちゃうってことヨ!」
 「それが嫌ならワタシに大人しく付いてきてよネ!」と息巻くナビィに、リンクはよくわからないままがくがくと頷いた。



◇◆◇◆◇



「君が……この森に迷い込んだ人間、かの?」
「樹が喋っ……?!」
「デクの樹サマに失礼なコト言わないの!」
 ぺしん! と羽根を乱暴に打ち付けてきたナビィを見てリンクは痛そうに顔をしかめた。
「何するんだよ、痛いだろ!」
「……二人とも、落ち着きなさい」
 でも、と何か言いかけたナビィを静止してデクの樹は続ける。
「ワシが君に聞きたいことが一つあるのだ……答えてくれぬか」
「……いいよ」
「どうやって、この森に?」
「はい?」
「この森にはワシの力で結界が張ってある。普通の人間には破れぬ」
「……ああ、そういうことか」
 デクの樹の言葉を反芻し、うなずくと「僕もよくわかっているわけじゃないんだけど」と前置きしてからリンクはさっと左甲を返し、デクの樹に見せた。
「もしかしたら、これの力かも」
「ウソッ……もしかしてトライフォース?!」
「もしかしなくとも、そうだけど。……尤も、今はゼルダ姫が散り散りにした欠片の一つ分しかないんだけどね」
 こともなげに言うリンクにナビィはびっくりし、その一方でデクの樹はやはり、と呟いた。
(あの子の生まれ変わりに相違ない。……酷なことだ、生まれ変わってなおその印を宿すとは……)
 神に魂を洗い流された彼は、見たところ何も覚えていなさそうだ。だがデクの樹には視えた。彼に嫌らしく絡み付く血の荊が。彼を縛る、女神の愛が。
 かつて森を旅立った少年が造り上げた祝福の足枷。
(ままならぬものだ)
 デクの樹は己の非力さを思い密かに嘆いた。大地に根を張り、動けぬ自分。黄金の女神に比べれば、森を守護する土地神にすぎない自らの力など塵みたいなものだ。
 トライフォースに関わってしまった以上、きっと目の前の少年の未来も"彼"に近い道を辿るに違いない。なんといっても生まれ代わりだ――かつての血に連なる者たちとは別格なのだ。

 その御霊は、愛され方が、違う。

(良くも悪くも、この子はきっと歴史を動かす。ワシがやってきたことが正しかったのか、試す時かも知れんの)
 ちらりとナビィを見て、デクの樹は息を吸う。
「……?」
 そして大口を、開けた。
 丁度子供が一人、通れそうなぐらいの。
「でででデクの樹サマ?!」
「少年、君はトライフォースの欠片を探しておるのだな?」
「……そうだけど……」
「ならば選択肢は一つ。ワシの中に入り"門番"を倒してくるのだ。ワシは姫が飛ばした欠片の一つを持っている。君の力を示してみよ」
 リンクはデクの樹の突然の申し出に一瞬驚いたが、すぐににやりと笑った。
「わかったよ、デクの樹サマ。その挑戦、受け取った」
「……そうか。幸運を祈る。……ナビィ、彼に付いて行きなさい」
「えっ? な、なんで?」
「いいから、行きなさい」
「……はぁい」
 あまり気乗りしないらしく(先ほど散々、引っ張られたり丸いやつだと言われたりして機嫌を損ねているのでまあ当然ではある)、渋々命に従ったナビィに、リンクは逆に嫌な顔ひとつ見せずにはにかんだ。
「よし、じゃあよろしく、ナビィ」
「引っ張ったら、ただじゃすまさないからネ……」
「うーん、それは保証しかねる」
 ナビィの睨み付けを受け流し、リンクは歩を進め出す。入口らしき口元に足をかけかけた時、デクの樹は静かに彼に問うた。
「もう一つ、ワシに教えてはくれぬかの。……少年、君の名は……」
 何故か躊躇いがちに訊ねるデクの樹に顔の辺りを見上げて、リンクは元気よく返事を返した。
 デクの樹の想像の通りに、あの少年と同じ名前を答えとして。

「……僕の名前? リンクだけど、それがどうかしたの、デクの樹サマ」