さやけさが支配する
 鬱蒼とした静寂の森
 オカリナの音響けど
 少年は振り返らない
 少女も振り返らない



森の記憶



「デクの樹サマっ!」
 うわああん、と涙ながらに飛んでナビィはべっちゃりとデクの樹にへばりついた。リンクはぽかんとしてその光景を見つめ、デクの樹は静かに微笑む。
「おお、久しぶりじゃのうナビィ。随分色々なことがあったようじゃ――。リンク、ここへは、目的があって来たのじゃな?」
「あ……う、うん。深き森の奥の扉を探せって言われたから……。ここ以外に、森って思い付かなかったんだ」
「ふむ。そうじゃろうて」
 ここ以外に森は存在せんしの、と茶化すように言ってからデクの樹はぴったりとくっついているナビィを優しく剥がした。

 女神フロルの名を冠する領域であるフィローネの森に再び訪れた一人と一匹は、折角訪れたのだし、情報収集の意味合いも込めてデクの樹を訪ねていた。
 デクの樹は、ナビィにとっては親にあたる存在である。にわかにホームシックめいたものに襲われかけていたナビィはやたら感動してしまい、デクの樹目掛けて一直線に飛んでいったのであった。
「デクの樹サマ。単刀直入に訊ねるけれどその扉がどこにあるか知ってる?」
「知らぬわけではないがのう」
 ほっほ、と愉快そうな声を出すデクの樹にリンクは嫌な予感を感じて、顔をひきつらせる。こういう態度を取る相手は大概ろくなことを考えていないものだ。
 おちょくるだけおちょくって、大事なことを教えてくれない。
「リンク、デクの樹サマに聞いてもムダヨ……。教えてくれる気、これっぽっちもないわ」
「……だよね」
 リンクはナビィの耳打ちに盛大に溜め息を吐き、がっくりと肩を落とした。
 まあ、ナビィをデクの樹の元に里帰りさせてやれただけでも十分な成果だろう。多分。



◇◆◇◆◇



 メロディが、聞こえてくる。
 三音の繰り返しで始まる、軽快な「森の音」。
 かつて魂の神殿でリンクの手を勝手に動かした、あのメロディ。
「誰が吹いてるの――?」
 音が聞こえる方向に、誘われるままに足を向ける。それが正解だと信じて疑わず。罠だという可能性を考慮せず軽はずみに。
 妖精もそれを止めない。
 妖精の感覚をもってすら、その音から敵愾心は感じられなかったから。
 尤もその音に邪念など、そもそもなかったのだけれど。
 だって、それはただの残留思念にすぎなかったのだから……。


 次第に音が大きくなっていくにつれ、森に射し込む光も強くなっていくようだった。薄暗かった森は今やきらきらした日射しを受けて半ば幻想的ともいえる煌めきを放っている。
 否、幻想的なのではなく――それは真に幻想であったのかもしれない。

 燦々と光の射し込む森の開けた場所に切株があって、一人の少女がそこに座ってオカリナを吹いていた。
 緑の服に、深緑の髪。ハイリア人と同じ長耳を持っているが、華奢な体つきはあまりにもか弱そうで普通のヒトであるようには思えない。
 彼女はぼうっと立ち尽くすリンクの方向を見ると嬉しそうに笑い、オカリナから顔を離してぱたぱたと走り寄ってきた。



『リンク! また来たのね? うふふ、×××嬉しいな』

「え……僕?」

『もう、リンクったら。ね、オカリナ吹こうよ。森が新しい曲を教えてくれたの。ミドには内緒よ?』

「は? いや、僕は」

『リンクは特別、だよ。ミドはいじわるするかもしれないけど、ホントはちゃんとリンクのこと認めてるの。意地っ張りだからそんなこと絶対言わないだろうけど……他のみんなだって、アナタのことを大事に思ってるわ』

「…………?」

『リンクは、×××達の大事な仲間よ。デクの樹サマの森の子供なの。だから泣いたりしないで』



 眼前の少女とリンクとの間で、会話が一切噛み合っていなかった。彼女はこちらの反応などお構いなしに話し続けるがしかし、内容的には誰かの返答を得ているようなのだ。
 それに、少女が己の名を口にしていると思われるところだけ、不自然にノイズがかって聞き取れない。



『そう、そんな感じ。うふふ、一緒に歌おう』



 少女が伸びやかにメロディを紡ぐ。リンクは何とはなしにオカリナを構え、彼女の歌声に合わせてその歌を吹いた。アンサンブルして――しかし唐突にその音色は途切れる。
 何事かと思うと、少女が哀しい瞳をしてリンクの方を見ていた。



『笑わないのね、リンク。×××はわかるわ、アナタは本当はちっとも笑ってなんかいないの。その笑顔は上っ面だけのものよ』
『ねえ、きっとアナタは何があったのかは教えてくれないのよね。それでもいいの。×××はアナタの声を聴きたいな』
『アナタが、笑ってくれなくとも』



(……場面が切り替わってるのかな……?)
 いつの間にか木漏れ日は薄くなり、広場は全体に仄暗い雰囲気を醸し出していた。ざわざわという葉擦れの音すらも不安定で、落ち着かない。
 森はまるで少女の心を映し出しているかのように表情を変えていた。彼女が嬉しければ森も明るく、彼女が哀しければ森もまたどんよりと湿り込む。彼女が森そのものであるかのように――反映され景色は映り変わる。
(あぁ……そっか。多分、そういうことなんだ)
 その現象にリンクは何がしかの理解を得て、漠然とした事実を認識した。
(彼女は……)



 少女は、森だ。
 森が、彼女なのだ。



 彼女が森そのものだというわけではないのだけれど。彼女と森は同調しているのだ。
「……森の妖精なんだ、あの女の子」
 ナビィがやっとわかった、というふうに呟く。リンクは少女から注目を外し、ナビィに視線を向けた。
「どういうこと? あの女の子は羽根なんかないしナビィみたいに丸っこくもないじゃん。どっちかって言うとハイリア人みたいに見えるけど」
「そりゃあそうヨ。デクの樹サマがハイリア人に似せて創ったんだもの。――リンク、あの子はね、森の民コキリだヨ。数百年前に途絶えた種族。人型の森の妖精」
「人型の?」
「うん。先代のデクの樹サマのが創った長命の種族。森で生まれて、木々と同じ速度で生きていた大人にならない種族なの。でも今のデクの樹サマは彼らを創れなかったから、滅んでしまったんだって。だからあの女の子多分は幻なのヨ」
 そう言ったナビィに、リンクはふるふると首を振る。ナビィが不思議そうにリンクの顔を見やる。リンクの顔は、いつもより何だか大人びて見えた。
「ううん、幻なんかじゃあない。あれは……森の、記憶だよ。森が守ってくれていたメッセージ。誰かに伝えたい過去の話」
「……リンク?」
「誰かが……"誰か"が、声高に言ってるんだ。それが聞こえる……」


『ねえ、お願いだから忘れないでリンク。×××はずっとアナタが大好きだよ。私たちみんながアナタを大事に、大切に思ってる。アナタは一人じゃないの。忘れないで。お願い』



『サリアはずっと、アナタの友達だから』



「サリア」
 "少女の名前"を呼んでかくん、と虚を突かれたようにリンクは崩れ落ちた。両手のひらを地に付き、項垂れる。ナビィは驚いて彼の肩をつついた。
 彼の口から、小さな声が漏れる。
「ごめん。ごめんね。君が伝えたかったこと、"僕が"今わかったから。森の賢者である前に君は一人の女の子だったんだ。サリア」



『今のアナタには伝わらないかもしれないけれど。私はこの思いを森に託すから』



「僕は遥か昔に生きていた"彼"とやらとは違う人間だよ。だから六賢者の人達が言っていたような強さは僕にはない。でも」



『いつか、いつかでいいの。わかってくれたらいいな』



「君の思いは、今僕が受け取ったから。代わりにだなんておこがましいよね。僕は僕でしかないんだもの。でも……森が見せてくれたってことは、僕が受け取ってもいいってことなんでしょ? 僕に受け取れって――そうなんでしょ? だから」



『バイバイ、リンク』



「僕がいつか彼に伝えるよ」
 不意に上げられた顔には根拠のない確信があった。まっすぐに少女に向けられる瞳は物憂げで、儚い。
「いつか会える気がするんだ。だからその時には必ず伝える。女の子が泣いていたって。あなたの為を思っていたんだって」
 リンクが立ち上がると、少女の姿は一瞬で消え失せた。森の広場には切株と石造りの扉だけが残り、一際強く吹いた風が木々を揺らす。
 リンクは振り返って空を仰いだ。森の隙間から見える青空は、一見すると何の変てつもない。



 遠くで「ありがとう」という少女の声がしたような。
 そんな気がした。