七年先の青空も
 宵闇の黄昏空も
 闇と光の反する空も
 回帰してゆく現の塔。



神の塔



 どこまでも広がる大海原に、ぽつりと浮かぶ塔。悠久の空を貫くように、高く高くその建物は伸びる。
 神の塔。試練の塔。神聖剣が最後のトライフォースと共に納められるその聖域は、異様な雰囲気を纏っていた。
 例えば目に見える事象として――塔の周囲だけ時が止まっていることが挙げられようか。
 目に見えない境界線を境に色を失い、海の揺らめきがぴたりと止んでさざ波一つたってやいないのだ。
「海なんて、デクの樹サマのお話の中でしか聞いたことなかった……見渡す限りしょっぱい水面なんて、有り得ないって思ってたヨ」
「海……これは、海っていうんだ……? 僕なんか話に聞いたこともない。湖と似たようなものだと思っていいのかな……?」
「うーん、ナビィもそう訊いたんだけど、似て非なるものだってデクの樹サマは言ってた」
 時の止まった海上を徒歩でとぼとぼと歩きながら、リンクとナビィはそんな会話を交わしていく。流石に、水面を当たり前に歩けるのはここら一体が正常ではないからだと理解してはいたが――それでも二人が覚えた感銘というのは結構なものだった。

 中央に聳え立つ塔をぐるっと取り囲むような白亜のアーチをくぐり抜けると、いよいよ塔の入口が見えてくる。大口をあけるように開かれた巨大な入口のまわりには、細かなレリーフが彫り込まれていた。
 オリーブにも似た枝葉、風を思わせる曲線、炎に似た造形、何処か慈愛や抱擁を連想させる優美なライン。黄金の三大神伝説を表しているのだということは明白だった。
「この建物は、初めからトライフォースに関わるものとしてデザインされてたんだネ。フロル様、ネール様、ディン様のモチーフが用いられてる。ふうん、信心深い建物ネ……」
「誰が建てたんだろうね? そもそもこの世界はなんなのかな」
「だから、ナビィに訊いたってしょうがないヨ。ナビィはそんなに色々知ってないっていい加減リンクだってわかるでしょ」
「んー、疑問を口に出しちゃうのは癖みたいなものだから……ごめんね」
 塔の内部にも水は満ちていたが、例によって固まっている為にあまり影響はない。時の止まった水は硬く、また大理石の床のようにすべらかだった。気を付けないとつるりと滑ってしまいそうですらある。
 しばらく歩き回ると、水面よりも一段高い床が見付かった。フックショットで段上の手頃な場所を狙い打ち、反動で登る。下からでは見えなかったが、大分開けた空間が広がっていた。少し向こうに扉が見えた。
 歩み寄り、きっちりと閉じきった扉に触れる。辺りにスイッチはない。
 ぺたぺたと手当たり次第に扉に触れて程なくして、リンクはトライフォースマークが刻印された扉の向こうに行くのがこのままでは困難だと悟った。

「……そういえばさ、ナビィ」
「んー、なあに」
「この辺、明らかに時間が止まってるよね」
「そうネー。もうガッチガチネ」
「つまり、建物も固まってるってことだよね」
「うん、多分。入口は扉がないアーチ型だからよかったケド」
「……この扉、開くの?」
「…………」

 つまりはそういうことだ。時が止まっているのだから、ものが動くはずもない。
 リンクは押し黙ってしまったナビィは最早役に立たないと判断すると顎に手を当て、唸った。しかしトライフォースマーク――三角が三つだけ――とは変わっている。
 今までの紋様は殆どみな聖三角を戴く鳥、ハイラル王家の紋だった。でも今回は鳥はないのだ。だからだろうか、左手の印を翳してもなんら反応がない。
(ヒントがなさすぎる……時が止まってるってことは多分、あらゆる干渉を受けないってことだ。つまり破壊は出来ない。でも、だったら尚更、どうやって?)
 一切の干渉を受け付けないというのは、今までの経過からリンクが導き出した観測結果だった。つるつるした建物や海には、リンクの足跡や指紋が残らなかったのだ。
 リンクの靴は言ってはなんだが、そう綺麗なものではない。冒険の間に様々な場所を踏んできたその靴底は少なからず泥やなんかで汚れている。
 従ってそこから得られる結論は、「干渉不可」。物理的なものは愚か魔法ですらその枠からは外れないだろう。所詮は人の造り出したものだ。
 「時」という超常の現象を打ち破る為には同じく超常の何かが求められるに違いない。

(うーん、時間……時…………あ、)
 ある一つの可能性に思い当たり、リンクはぽんと手を叩いた。あるじゃないか。そのもの「時」の名を関したものが!
 リンクは慌ててオカリナを取り出して、時の神殿に入るために覚えた歌を吹いた。時のオカリナで、時の歌。気付いてしまえばこれほどそれらしい答えもない。

 果たして、凍結していた時は元の有り様を取り戻した。みるみるうちに世界は鮮やかな色を取り戻し、何処からか風が吹き込む。
 ともなく、波うち蒼く揺らめく波音がリンクの耳をかすめた。



◇◆◇◆◇





『……扉が開かれたのですね』
 少女は言った。
『千年の時が過ぎ、マスターソードが還る時が訪れた』
「そうですね。そして、俺が彼とした約束の時もようやく、訪れようとしている」
『……それはまだ気が早いのではありませんか?』
 楽しそうに答える青年に、少女は釘を刺す。その役目はこの青年のものではない。今ここにいる彼の役目はもっと簡単で単純なものだ。
『折角彼が汚れ役を引き受けてくださったのですから……そんなことをしてはあなたが女神に睨まれてしまうでしょう』
「その前に彼に怒られてしまいますから、そんなことはしませんよ。わかっています。今俺に与えられている仕事は"試す"ことでしょう?」
『……ええ』
 大丈夫大丈夫、というふうにひらひらと手を振る青年の姿に一抹の不安を覚え、少女は溜め息を吐いた。でもまあ、この件に関して彼以上の適任はいないのだ。
 今は信じて任せるしかない。



◇◆◇◆◇



 びっしりと棘に覆われた茶色い球体。全長は約2メートル程で、とかくよく跳ねる。
 有り体に言えば巨大なウニに似たそれはデグドガという名であるらしい。ちなみに特徴は一切の攻撃が通用しなかいことだ。
「どうしろっていうんだよ! 試せる攻撃法はもう全部試したっていうのに!!」
「イヤーッ、ナビィもうアレには近付きたくないヨ! トゲトゲチクチク痛くてたまんないわ!!」
 デグドガの弱点を探すために体を張って接近していったナビィは、羽根を穴ぼこにする寸前にリンクに助けられて危機を逃れていた。……だというのに、得られた結果は「目に見える弱点なし」。
 八方塞がりもいいところである。
「一から十まで全部試したよ。あとはもうなんもない」
 円形の部屋は吹き抜けになっていて、上層に足場と壺がある。設えてあるフックショットの的で足場に登ることは出来たが、時間稼ぎにしかならない。
 何かもっと根本的な解決方法があるはずなのだが。
「あとは――……。オカリナ、ネ。あれだけネ、使ってないのは」
「ええー……? 確かに試してないけどさ。オカリナ吹いたからって……どうなの?」
「うーん、もしかしたらミラクルがあるかもしれないヨ」
「まっさかあ」
 ナビィの言葉に懐疑的な意見を示しつつも、リンクはオカリナを構えた。破れかぶれの、一か八かだ。どっちにしろ、吹かないのならばもう逃げるしかやることがないのだから。
 指が勝手に動いて、メロディを紡ぐ。時の歌ほど荘厳なものではない。けれど、森の――サリアの歌ほど軽快でもない。
 日の出を告げる、メロディ。


「ウソッ、見てリンク!」
 オカリナの音を受けて、デグドガに信じられない現象が起きていた。巨大な鞠のようにぼよんぼよんと跳ね返っていたデグドガが、しゅるしゅるとしぼみ出したのだ。
 リンクは呆気に取られつつも、この機を逃すまいと反射的に体を動かしていた。結構な高さの足場からひょいと飛び降り、あっという間にデグドガの背後――進行方向の逆だから多分――をとる。
 そしてその流れのまま、剣を振り下ろし真っ二つに切り裂いた。
「やったあ、リンク、ミラクルが起きたヨ!」
「うん。案外呆気……な…………くないっ?!」
 リンクは眼前で起こっている現象に度肝を抜かれて間抜けな声を上げる。切り裂かれたデグドガは確かに消滅したはずだ。今この目で確かに霧散するのを見た。
 しかしどういうわけか、2メートル大の丸い物体が三つほどどこからともなく現れて今リンクの目の前に鎮座している。
 目の前が、真っ暗になっていくような気がした。



◇◆◇◆◇



 何階層登っただろうか。デグドガをやっとの思いで倒しきり、申し訳程度に残っていた謎を解いて開けた扉――豪勢な鍵が掛けられた、いつも通りならボスの部屋へと続いているそれの向こうには、長い長い螺旋階段が待っていた。
 この旅の間に培った体力にものを言わせて登っているのだが、それでも結構辛い。何が一番辛いかというと、登れども登れども果てが見えないことだ。そういうのは精神的に地味に堪えるのである。
 壁には絵画と古代文字が彫刻されていた。ナビィに読んでもらったところ、どうやら勇者伝説が曖昧に濁されたものであるらしい。資料としてはあまり役に立たない、伝承の域を出ないものだった。


 たっぷり一時間は過ぎた頃に、ようやく頂上が見えてきた。オフホワイトの両扉に錠はない。リンクは思いきり力任せに、その扉を開け放った。



「……人?」
 これだけの"嫌がらせ"の後だ、どんなモンスターが出てくるかと身構えていたリンクは拍子抜けしてしまった。いや、人型のモンスターだとか人に化けたモンスターだとか、そういう可能性はまだ否定しきれないけれど。
 部屋の中央に立っていたのは青年だった。リンクと同じように緑の衣を纏い、背中に剣と盾を背負っている。きっちりと引き締まった体はともすると細く、少し頼りなげにも思えた。
「ああ……落胆してるね? ごめんね、俺は一応は人間に分類される存在だから。うーん、期待に添えず申し訳ない」
「あなたは誰ですか」
「単刀直入だね」
 飄々とした物言いに警戒心を強めたリンクに、青年はくすくすと楽しそうに嬉しそうに笑う。
「じゃあ俺も、単純に答えよう。俺は君の先祖の、過去の勇者だよ。今から700年前に起きたトワイライトの事件を解決した。まあ、それはどうでもいいことだけど」
「過去の勇者? ……でも、ここの賢者は女性じゃないの?」
「勿論。俺は賢者じゃあない」
「じゃあ何のためにそこに立ってるの」
 リンクがそう問うと、過去の――光の勇者は背から剣を抜き、リンクに向けて突き出した。
「神の剣マスターソード。君は"これ"を求めているんだろう?」
「どういうこと」
「幾ら長く旅をしてきたからといって、これはおいそれと渡せるものじゃあない。先達として君の覚悟を問う」
 光の勇者の言葉に、リンクは顔色を変える。今、この青年は何と言ったか。


「あの二人には及ばないけど、俺はそれなりに強い自信がある。とりあえずさ、俺を倒してごらん? ……これがマスターソードを手に入れるための、最後の試練だよ」