はじまりがおわりで。
 始まりは終焉。



Cross Over



 かつて"彼"は青年に問うた。
 「覚悟はあるか」と
 「いのちの重責を背負う覚悟はあるのか」と
 「何をもってこの剣を望む」のかと

 青年は答える。

 「その全ては不可能でも。この手が届く限りは守りたい」のだと――



「それじゃあ。あなたが、神の塔のボス……っていうことなんだ?」
「まあ、そんな感じかな」
 神の剣をその手に携えた青年は、リンクの質問に曖昧に答え手の中で剣を翻す。
 長剣をくるりと一回転させるその手の動きは優美ですらあった。かなり熟練した手付きだ。
 マスターソード――神の剣とすら呼ばれるそれ――で何をしてたんだと思わなくもないが。
(飄々としてとらえどころがない……けど。かなり強い)
 マスターソードを長いこと、使っていたのだろう。そうでなきゃあれまでの動きなんぞ出来ようもない。
 なりは優男じみていて、言動はお茶らけているようにも見えるが頭と剣の腕は相当だ。
「質問してもいい」
「うん。いいよ」
「倒してみろって言うけど。具体的にどうやって?」
「ああ、そっか。言ってなかったね」
 失念してた、と軽い調子で言って光の勇者はリンクの側に歩み寄るとその体をリンクに確かめさせた。
「ご覧の通り、俺は死人なんだ。だから君が今までやってきたように命を奪ったら終わり――というわけにはいかない。二度は死ねないからね」
「じゃあ尚更どうするの」
 まわりくどい光の勇者の台詞に苛立ち、先を急かす。リンクの性急な声音に険しい顔付きを見て、光の勇者はふむ、と小さく呟くと目付きを変えた。
 どこか子供っぽくも思えた、青年にしては丸くなつっこい猫のような瞳が細まり、狼の鋭利な眼差しになる。
(……人が、変わった)
 リンクは息を呑んだ。


「勝利条件は、俺を納得させること」


 回り道なしの、簡素な言葉は単純故にその条件が恐ろしく難しいことを暗に示していた。
 一本とるとか、そういうわかりやすい目標ではない。納得させなければならない。
 しかも言っては悪いが得体の知れない幽霊に――だ。
「マスターソードは単なる剣じゃあない。使い手にそれ相応の対価を、代償を求めるんだ。それは剣技に限ったものではなく、むしろ内面性に関わるものの方が重要だと言える」
「僕の人間性を図りたいってこと?」
「ご名答。……俺に審判者たる資格があるかは、この印を見て君が判断すればいい。尤も、君が俺を認めなくとも剣を手に入れる為には戦わなきゃあならないんだけどね」
 光の勇者が剣を握ったまま左手の甲をつき出す。言葉を引金にまばゆく光り出したその印は、間違いなく勇気のトライフォースのものだ。
 リンクの印なんかよりもよっぽどくっきりとしていて、神々しく眩しい金色の光。
「……僕があなたを疑う理由なんて何もないよ」
「そうか。それはよかった」
 観念したようにリンクが言うと、光の勇者は笑った。しかし声音は笑っているのだが瞳と口元はまったく笑っていない。


 ――怖い。


 ぞくりと背筋が凍るようだった。今この瞬間にも彼は自分を品定めしているのだ。勇者としての器足りうるのか、見定めようとしている。
(……でも。そんなこと、思ってたら負ける)
 恐れている場合ではない。戦いている暇もない。リンクが今成すべきことは、一刻も早くマスターソードを手に入れてゼルダ姫を助けに行くことだ。
 迷っている余裕など、あるものか。
 リンクはかぶりを振って雑念を振り払うと、鞘から剣を抜き光の勇者に向けて構えた。
「お手合わせ願います」
 光の勇者は満足そうに頷く。
「そうだね。始めよう――君の覚悟を、俺に見せて」



◇◆◇◆◇



 流麗な剣の動き。リンクに劣らない身軽さ。
 そして何より、獣の如く獰猛な眼差しから放たれる威圧感。
 全てが恐ろしかった。その全てがリンクの動きを、思考を鈍らせるようだった。
(考えて動いてたら、やられる)
 かわすだけで精一杯だった。いくつもの難関を潜り抜け、剣の腕はいくらか上達したつもりだったが……とんでもない。
「保身を考えて俺と間合いを取るようじゃ一太刀も入れられないよ。そして俺に一太刀すら入れられないのなら、絶対に魔王には勝てない。……君は、その程度で終わるつもりなのかな」
(そんなこと、わかってる……!)
 けれど声に出して反論する余裕なんてない。せめて彼の言葉通り懐に入り込めればいいのだが、このままではそんなことをした瞬間になます斬りにされてしまうだろう。
 どうしたらいいのか。
 ちなみにナビィは、この戦いに手を出さないよう光の勇者に忠告されている。ナビィと連携した打開方法は取れない。
「君が正統なる後継者であるのならば、出来るはずだよ。あとは自分を信じて――己を、御しきれるかどうか。自分を信じられない人間は何も信じない。そんな人間には、マスターソードは抜けもしないだろうね」
(ッ……!!)
 耳に痛い言葉だった。リンクが今、自分を信用しきれているかと問われれば答えはノーだ。目の前の青年に自分は勝てないのではないか、ここで何もかも終わってしまうのではないか、考えまいとしてもそういうふうに働く思考が確かにある。

(自分を、信じる……)

 ふと手のひらに感じている剣の重みに、意識を預けてみたくなった。それは一種の閃きだ。どうにもならない現実に、奇跡を望む破れかぶれの他力本願。
 でもリンクは、その感覚を知っていた。
 剣を握った自分の体が一人でに閃いて、魂の神殿でアイアンナックを倒した時の感覚を――。

("牙"を剥いた、かな)
 背中を撫でた、走った寒気に息を呑み光の勇者は笑った。わくわくする。
 今の今まで逃げ回っていた鼠が、ぎらぎら光る歯を剥き出しにしてその目の色すら変えた。
(いや、違うか)
 直後に味わった感覚に、彼は認識を改める。鼠だなんて――そんな可愛らしいものではない。
 あれは獰猛な獣だ。かつて精霊たちは彼を狼に例えたが、"それ"の場合は狼ですら生温い。



 あれは、鬼獅子だ。



「手加減している場合じゃあないか……!!」
 攻速、威力、迫力。そのどれもが先程までとは桁違いだった。まるで別人のようだと、見るものは皆思うだろう。
 しかし光の勇者はそうは思わない。かつて時の勇者から継承し、人ならざる影と"約束"をした青年は知っている。
 別人のようなのではない。正しく別人なのだ。
 今、少年の体を動かしているのは少年自身の意識ではなくその魂に染みついてこびりついて抜けなくなった、狂気の塊の残骸。
 かつて影はそれをこう形容した。


 「どうしようもなく歪みきってどうしようもなく爛れきった人間という種族の悪意を煮詰めたもの」。


 「ムジュラの仮面」が内包する狂気が"彼"という純粋なかたちを得て産み出した、一つの超常現象。



 その名を、鬼神の面と言う。



◇◆◇◆◇



「危惧、ですか?」
 意外ですね、と漏らしリンクはダークに振り返った。
「あなたにそんなものがあるなんて」
「……そりゃああるさ。人外の俺が言うのも何だが人並みにはな」
「はあ……そうですか……まあ確かに、ご先祖様の――あの人のことに限ればいくらでも心配事はあるでしょうが……危惧って、何に大してですか?」
「姫の水晶が城ごと消えるってのをハラハラしながら危惧してたこともあったがそれは流石に飽きたな。ま、普通にあいつのことだよ」
 右手を手持ち無沙汰に遊ばせて、ダークは言う。
「タルミナの話はしたよな。そこで、悪意の塊と対峙したことも」
「ええ。聞きました」
「それじゃあそこで、あいつが狂気を抱え込んだことは?」
「――え?」
「初耳か」
 どっこらせ、と非常に人間くさい声を発して(ひとなんかじゃないくせにだ)ダークはリンクに向き直り物憂げに瞳を細めた。
「鬼神の面と言って、親玉のムジュラの仮面があいつによこした力だ。そんなものがなくともあいつは絶望的に強かったけどな。……それで、もっと絶望的なことにあいつはそれを魂に呑んでしまった」
「それは……つまり……」
「まあ、な。俺の危惧はそこだ。――いつか生まれてくる、一応はまっさらになるはずのあいつの魂に、まだそれはあるんじゃあないかって。消えてないんじゃあないか、そういう危惧だ」
 はあ、と溜め息を吐くダークに倣いたくなるが、しかしリンクは呆気にとられ固まってしまった。女神の力はリンク自身嫌というほど知っている。その女神の手にかかってなお、消しきれない可能性のある狂気。
 そんなもの、一体誰に造れるというのか。
 そしてそれを、どうしたら受け止めて呑み込んでしまえるのか。見当もつかない。
「いつか生まれてくる奴にそれがあるのはやっぱり困る。ロクなもんじゃないからな。それに呑まれたらその存在はそう魔王と変わらないといっても差し支えない。なくなってるのが一番いいんだが……多分無理だろう」
「でしょうね。生命神フロルは俺たちが加護を貰っている最も関わりの強い女神ですから。フロルに出来ないことはどうにもなりませんよ」
「だよな。だが、それでは良くないわけだ。恐らく俺たちがどうにかしなきゃならない」
 しかし俺は最後まで動くわけにいかないから――と言ってダークはリンクの顔をびっと指さした。リンクは予想通りの流れに苦笑する。
 まあ、順当な配役だろう。ダークは表立っては絶対に動けない。
 そもそもそこらへんは請け負う、という約束だった気がするし。
「わかりました。俺がなんとかしてみます。昔あの人が俺に覚悟を問うた時、言ったんです。『後は任せた』って」
「そうか」
「はい。だから俺がなんとかします。生まれ変わった魂が仮面に侵食されそうになったら俺の全力で止めてみせます。……俺は強くはないですけど、そのくらいは出来るつもりですから」
「ん……そうだな。任せたよ。俺からも、姫さんに掛け合ってやり易くしておく」
「時の賢者にですか?」
 リンクがそんな大袈裟な、という顔をするとダークは真剣な表情でリンクを諭してきた。
「いや、お前な……やる気があるのはいいがどうやって止めるつもりなんだ? どう転んだっておまえは人間だ。そう遠くない未来に死ぬんだぞ」
「あ……確かに……あの人は"特別"なんでしたね……フロルと交渉出来るかと安易に思ってました」
「出来ないとは言い切らないが、それよりも確実な方法を採っておいた方がいい。保険の意味合いも兼ねてな」
 姫さんは姫とあいつの味方だから、とダークは呟く。
「時の勇者同様、時の賢者もまた"特別"だ。都合のいい奇跡も一つぐらいなら起こせるさ――世界を創るのに比べればよっぽど簡単だよ」