宵闇の口、 誘い招く 悪夢の宴 足元掬われ溺るるなかれ。 重き名の価値 剣撃をパリィ。踏み込んで一閃切り、バック宙で距離をとる。 (鬼神の面があってこの程度なら。まだ俺がどうにか出来る) 鬼神の面に意識を預けているリンクは確かに強かったけれど、しかし光の勇者からしてみればその程度、「少し強い」という程度のものでしかなかった。 光の勇者にとっての「規格外」には、遠く及ばない。 何故なら、光の勇者は知っているのだ。 かつて時の勇者は剣一本でいくつかの国を同時に潰せるだけの力を持っていた。 時の勇者のコピーであるダークリンクは、国一つぐらいなら一捻りで焦土に変えられる力を持っている。 かくいう光の勇者自身も、眠たい朝のウォーミングアップ感覚で城を制圧するぐらいならば簡単に出来る。 だから今のリンクは、どうしても「規格内」でしかないのだった。 それは最早、血の濃さ薄さのポテンシャル的な問題なのかもしれないが…… (しかし……どうにか出来るかもしれないだけで、状況が厳しいのは事実、か) 影との事前の打ち合わせで、もし万が一呑まれたリンクを元に戻すことが出来なかったら、殺してしまうということで話を纏めてあった。光の勇者は異を唱えたが、静かに制されてしまったのだ。 光の勇者が何故ですかと問うと、影は淋しそうに笑ってこう言った。 「もし完全に呑まれたら、永遠に姫の愛したあいつは還ってこない。それはあってはならないことだ。ならばいっそ殺してしまった方がいい。あいつは、また絶対に生まれ変わるから」 しかし光の勇者としてはそれは絶対に避けたいことなのだ。影のことを知っているからこそ、そんなことは出来るはずもない。 影は永いこと待っていた。 生命神フロルに引き離されてから光の勇者が現れるまでに300年。光の勇者が死に、この時が巡ってくるまでに700年。 ずっと独りで、水晶の傍らに立っていた。 永すぎて――感覚が麻痺しきってしまうぐらいの時を待ち続けた。 併せて実に千年の年月。出来るならばここで終わらせてしまいたいのだ。 悲劇を、惨劇を、絶望をかなしみを苦しみを、これ以上繰り返さない為にも。 これ以上、始まりの三人に全てを背負わせない為にも―― 光の勇者は、再びリンクに語りかける。 「君の――覚悟は。そんなものなのかな」 答えなんか返ってきやしない。少年の意識は混濁していて、届かないかもしれない。 だけどそれがどうした。 「何もかも億劫になって、だからといって信じるものも志したことも、擲って力に……便利なそれにすがりつく、そんな醜いものが君の覚悟だというのかい?」 一言二言届かなかったからといって、簡単に諦めてどうする。あのひとは諦めなかった。彼の影も諦めていない。 だから自分が諦めることは、許されない。 「それは最低の欺瞞だ」 揺さぶるように、言葉を選ぶ。 「愚者が選択する裏切りの結論に他ならない。君が旅に出たのは何故だ? 剣を手に取ったのは誰のためだ? 何を望んで、何を夢見てその足を動かしてきた?」 光の勇者はマスターソードを閃かせ、追い詰める形で自らの子孫の体を壁に押しやった。神の剣が石壁に突き立てられ、白光りする銀の刃が少年の動きを封じる。 「何の覚悟をもってこの剣を望んだのか――俺に答えてみせろ!!」 光の勇者の叫びが、神の塔に響き渡った。 ◇◆◇◆◇ 淡いミルクのような、曖昧な靄の中。 (……僕、は) リンクは微睡んでいた。 透き通って落ちていく思考は意味を成さず、ただ遠くで聞こえる誰かの声が反響しては虚しく消えていく。 (……何を……?) 問いかけすらもあやふやな輪郭で、何を考えることもままならない。 何をしていたのかすらも、思い出せない。 (……あ……、) また、遠くから声。 (上手く聞こえない……) 『――が君の――』 ぶつ切りのノイズが混じり、肝心のところが聞こえない音声にリンクはぼんやりと首を傾げ、睫毛を眠たげにしばたかせた。 何か大事な話をされている気がするのにまるでさっぱりだ。 『――億劫になって――信じ――のも志し――擲って――つく、そんな醜い――悟だとい――?』 (それじゃ、わかんないよ) 穴ぼこだらけの台詞は、虫食いの脚本のように全く意味をなせていなかった。聞き取る気がそもそもそれほどあるわけでもないのだけど、それにしてもだ。 (もう、面倒だ) 何かを頑張っていたような気はする。でももう忘れてしまった。 だから、もう…… 『――何故だ?』 (え?) 唐突に確かな意味をもって耳に響いたのは、問いかけだった。 逃げることを決め込んだリンクを逃すまいとするかのような、はっきりして単純でそれ故に恐ろしい言葉の並びだった。 しかも、問いかけはなおも確固たる意思を伴って続いている。 『剣を手に取ったのは誰のためだ? 何を望んで、何を夢見てその足を動かしてきた?』 (何のためって。知らないよ) 一度そう思ってから、リンクはすぐにそうではない、と思考を改めた。 知らないことはない。ただ思い出せないだけだ。 (……そうだ。僕は、理由を知ってる。理由を持ってた) でないのならば、こんなに胸がぽっかりとあいて寂しくなるなんてことが、あるはずもない。 だったら、何故思い出せないのだろう? (……あれ?) おもむろに顔をあげ、緩慢な動作で天井を仰ぎ見る。視線の先に何かあった。白粉に派手な隈取りの仮面が、世界の出口を覆うように塞いでいた。 (あれが邪魔なのかな) 割と視界いっぱいを埋め尽くすそれは巨大で、手なんか届きそうにもない。でもよく見ると少しひび割れていた。その蓋は頑強ではないみたいなのだ。 (?!) 覚束ない思考を少しずつ動かしていると、急にその仮面が揺れた。何かに揺さぶられているようだった。 誰かが、覆いを外そうと躍起になっているみたいだ。 『――君が!!』 ぴし、とひび割れが広がる音が落ちてくる。 『何の覚悟をもってこの剣を望んだのか、俺に答えてみせろ!!』 「……ああ、」 刺すような叫びに声を出して崩れ落ち、リンクは放心したようにへたりこんだ。 光景が勢いよくとめどなくフラッシュバックする。森、山、湖。蒼い妖精、"白亜の神殿"、たいせつなひと、終わらない、永の年月。 「そうだ……。僕は……"俺は"」 花に囲まれて微笑む、幼い少女。 「ただ、ゼルダを守りたかったんだ」 「いいや、それは違う」 横から声が降ってきて、リンクは思わずそちらを振り向いた。知らない声だ。 ……いや、魂の神殿で一度聞いたか。 声の主はなんだが判然としない恰好でリンクの隣に立っていた。リンクと同じ緑の服に、金色の髪の毛。だけど顔は奇妙な仮面に覆われてまったく見えない。 「ゼルダを守りたかったのは俺だ。あの時、運命を形作ってしまったのも俺。その先を縛ってしまったのも俺。君じゃない」 「……?」 「だったら。君の願いは何? 君の始まりは何? ――君は、答えを知っているはずだよ」 「僕の……願い」 望みではなく。 欲ではなく。 祈りでもなく。 誰が為の、願い。 「僕の願いは……」 「いいよ、俺は知ってるから」 答えようとしたリンクを制すると、少年は仮面が塞いでいる"世界の出口"を真っ直ぐに指差し、先へ進むよう促す。 「俺じゃなくて、あの子に言ってあげて。なんでかは知らないけど……今懸命に君を呼んでいる、光の勇者に」 右手でリンクの手を取ると、少年は左手で背から剣を引き抜いた。子供用らしい、少し小さな鋼の剣。しかしその剣が放つ威圧は尋常ではなかった。 遥か頭上の仮面が戦くように揺れる。 「願わくば、君が二度とここを訪れることがないように。そして二度と俺の眠りが妨げられぬように。――さあ、あちらへお還り」 左手に握られた剣が、空めがけて美しい軌道を描く。その軌跡に従って、かなり離れた場所にあったはずの仮面がぱっくりと二つに割れた。 がらがらと仮面が崩れ落ち、靄の中に溶けて消えてゆく。と、唐突に眩しい光がリンクの視界に生まれた。リンクの左手と少年の左手が呼応しあって、黄金の煌めきに輝いている。 「……トライフォース? あなた、は……?」 疑問の答えを得る前に、靄がかった世界がすうっと遠くなった。体が浮かび上がり少年が遠くなる。 伸ばした手は何を掴むことも叶わず情けなく空を切り、そして―― リンクは夢うつつの微睡みから目醒めた。 ◇◆◇◆◇ 薄く開かれ、虚空を見つめるようだった紅い硝子の瞳に唐突に意思が戻った。 元の蒼さを取り戻したその瞳は不思議そうに数度瞬いて、それから真っ直ぐに光の勇者の険しい顔を見つめる。 「……あなたは。覚悟を、知りたいんだよね」 顔に触れそうなぐらい近くに突き立てられているマスターソードなど全く意に介した様子もなく、剣呑にリンクはそう言葉を紡いだ。 「その覚悟があなたを納得させられれば、僕は先へ進めるんだよね。剣技で敵わなくとも、力に頼らなくとも」 確認するようにリンクは問いかけるがしかし、光の勇者は応えない。マスターソードの塚にかける力は先程から少しも変わらず、ただいかめつい空気を纏っている。 「だから、僕は覚悟……望みでも祈りでもない、願いをあなたに伝える。僕が旅に出てから歩き続けてきた理由を嘘偽りなく」 不思議と口はなめらかに動いた。予め考えてあったかのように、すらすらと言葉が口をついて出る。 「ゼルダ姫を助けたかった。憐れんだんじゃない。運命だなんて言わない。ただ、助けようと思った。誰もやりたがらなかったけど、僕には出来るって根拠もなく信じてたから」 神の塔は静寂を守っていた。リンクの声以外に響くものはない。少年の浅はかで子供じみた、大それた夢だけが、とうとうと語られる。 「旅先でいろんなことを知った。世界は広くて、信じられないこともいくつかあった。それで――願った。いつか皆がしあわせになれる世界が訪れればいいって。その為に自分は、精一杯の努力をしようって」 知らず、リンクの頬を雫が伝った。悲しいわけではない。辛いわけでもない。 ただ、遠かった。 世界が、理想が、自分が、誰が……何ともつかない何かが、遠かった。 「だから僕は、マスターソードを手に取ろうと思ったんだ。僕がそれを手にすることで、少しでも世界の選択肢が増えるのならば」 「それが、僕の覚悟」 その言葉がリンクの口から出るのと同時に、静まりかえっていた塔の空気がざわめき出す。 剣を握ったままの光の勇者の手が、動いた。 |