その先へ行きましょう。 少なくない犠牲を払ってでも。 夢みた場所へ行きましょう。 例え彼が望まなくとも。 masterpiece ハイラル城は壮麗であった。 その佇まいは貫禄を帯び、数ヵ月前に攻め落とされて城が無人になってしまったということを微塵も感じさせない。どう形容していいものか……とかく、完璧な城であった。 この国の威厳そのものであり、誇りがこもる白亜の城。 そう感じさせる力があった。 「……綺麗、だ……」 ど田舎の平民であるリンクは城に登城するなんてことは愚か、城下町に近付いたことすらなかったのだ。残念ながら人っ子一人見当たらないもぬけの殻と化した城下町は寂れていたが、しかしそれでも彼に与えた感銘は相当なものだった。 「さて、ハイラル城に行けって言われたから来てはみたけど。後は自ずとってどういうことなのかなあ?」 「さーネ。ナビィしーらない」 「うんまあ、ナビィが役立たずなのはわかってたよ……」 呆れたように横の妖精をちらりと見て、リンクは城の入口に向けて歩を進めた。平時ならば見張りが総出で止めにかかるだろうが、今ここに人間はいないのだ。 いるのは、魔王の手下たる雑魚敵だけ。 「お城に入ったら、多分ものすごい量の敵に襲われるヨ」 「構わないよ。マスターソードの力も試してみたいしちょうどいい」 「そうなの? リンクがいいんなら、ナビィ構わないけどネ」 「……何か言いたいこと、あるの?」 「アンデッド系のが出てきたら、リンクの帽子の中入れて欲しいんだケド……」 情けない声を漏らして、羽根を弱々しく垂らしたナビィにリンクは今更、と笑って彼女を指でそっとつまんだ。 ◇◆◇◆◇ 『――さあ。お聞かせ願えますか』 「姫さん……あなたは何を怒っているんだ……」 『怒り? まさか、馬鹿馬鹿しい。わたくしが怒るわけないではありませんか。ただ少し腹立たしいだけです』 「姫様ー、それを人は"怒り"と呼ぶんですよ。一般的には」 凶悪な笑顔でもってにこにこと影を問い詰めているのは時の賢者ゼルダ。 それを何とか諌めようとして結果視線に見事なまでの返り討ちを喰らっているのが光の勇者リンクだ。 ここは神の塔と「影の住まい」を無理矢理に繋いだ、時の賢者の力で造られた空間だ。守護場所を動けない影と神の塔を離れることが出来ない時の賢者と光の勇者が言葉を交わすためだけに造られた「時の賢者による都合のいい奇跡」の一つだ。 ちなみに一口に奇跡といっても、この程度ならば大したことでもない。 世界を創造したり、女神の定めた運命を操作しようと試みるのに比べれば、よっぽど簡単なことだ。 まあ、そんなことはどうだっていい。問題は単純に、ゼルダが怒っているというところにあった。 『ひやひやしました。ええ、わたくしがひやひやさせられたのです。確かに不確定要素が多々ある以上はそう何もかも思い通りというわけにはいきませんが――しかしあれはあなたの管轄でしょう』 「……返す言葉も無いな……」 「いやもうちょっと頑張りましょうよダークさん……一応、何とか元の枠には収まったんですから」 「お前の働きでな。俺の努力じゃあないから姫さんは聞いてもくれないだろうよ」 影は諦めた、と言わんばかりにそう小声で吐き棄ててどさりと椅子に座り込んだ。「ゼルダ姫」というのは、例外なく怒らせるとただではことが済まない人種なのだ。姫だってそうだ、と影は始まりの王女を思い出す。彼女が嘆き哀しんだ結果がどうだ――あの、リンクだったのだ。 『とにかく。今更起こったことに関してとやかく言っても仕方ありません。ですから説明を求めます。あれは何なのです?』 「あれ、ご存知なかったんですか」 『ですからこうして訊ねているのではありませんか。全くの想定外で視たこともなかった。彼女の記憶にもないとなるとわたくしには最早さっぱりです』 ぷりぷりと怒る姿は見た目相応に愛らしいものであったのだが、実情は可愛らしくもなんともない。リンクはヘマしたなあ、と内心盛大に息を吐いた。影は、リンクに告げたことを時の賢者には伝えなかったのだ。 彼の魂が内包する狂気の仮面について。 「……姫様、アレの名は『鬼神の面』というのだそうです。あのひとが異世界タルミナで取り込んでしまったマイナスのエネルギー。尤も、ミスをしたのはあのひと自身ですけれど」 リンクは場を取り持とうと口を開き、それについて彼女に説明をした。ついでに、影が余計な糾弾を受けずに済むように訊かれそうなことから先回りして話しておく。 彼女は時折不思議そうだったり怪訝そうだったりと表情を変えたが、リンクが恐る恐るできうる限りの説明を終えた頃には概ね納得してくれたようだった。 『つまり、何です、……避けられなかったのだと?』 「そうだ。アレが残ってるのはある程度予想されてたことだった。だから俺は姫さんに頼み込んでこいつをあそこに配置したんだ。最悪の事態を防ぐために」 みなまでは言わなかったが、二人には影の言わんとすることがよくわかった。影が――ひいては話を受けたリンクが危惧していたのは、中途半端なこのタイミングであの少年の魂のかたちが歪んでしまうことだったのだ。 あってはならないことだ。 神の想定を覆さんとするリンクと影にとっても、それはイレギュラーにすぎるのである。 「それはもう少し後の予定でしたから。少なくとも魔王を倒していない今は早すぎます」 「そういうことだな。ある程度は不可抗力であり、予測されていた事態だった。……悪かったと思うよ。姫さんに教えていなかったのは」 『もういいです。わたくし、今ようやく理解が追い付きましたわ。――つまりあなた方は、神に知られたらまずいことをしようとしているのですね』 リンクが影と同調し、お互いに解りあっているふうであるのを見てゼルダは深く嘆息した。ああ、つまりはそういうことであるのだろう。 神と――ひいては三大神と繋がっているゼルダには、漏れてしまう可能性を考慮して伝えることが出来なかったのだ。 どれだけ大それたことをしようとしているのだろう、とゼルダは考えてけれどもすぐにかぶりを振った。教えられていた触りだけでも、よく考えれば危険性には十分気付ける類いのものだ。それがわかっていればいい。 もし万が一真意に気付いてしまえば面倒なことになりかねないのだ。 「まあ、これで粗方の下準備は終わったってところか」 「ええ。俺の役目はここまでです。そして姫様のサポートを受けられるのもここまで。これ以上、時の賢者である姫様を巻き込むわけにはいきませんから」 『時の勇者は巻き込んでも、ですか』 「時の勇者が巻き込まれた時点で"全てが"終結します」 ゼルダの唱えた異に、リンクは短く妙に冷めた声音で答える。 「その頃には、姫様も女神たちも気付くでしょう。けれど全ては終わっていてどうにもならないところまで来ている」 「そうだな。すまない、姫さん。本来は何も教えるべきではなかったんだが、どうしてもあなたの協力は必要だったんだ。中途半端な情報で留めてしまうのを許してくれ」 『……ならば仕方ないでしょう。あなた方のお望み通り、わたくしはここで手を引きます』 神妙な顔でそんなことをのたまう彼らの瞳の奥に玩具を見付けた子供のような光を見付けて、ゼルダはまた深い溜め息を吐いたのだった。 ◇◆◇◆◇ ハイラル城内部の魔物を邪魔だと言わんばかりに剣の一振りで凪ぎ払って、リンクはどんどんと奥に進んでいた。 特別リンクが強くなったわけではない。ただ、魔物たちはマスターソードの前には笑えるほど無力でありまた、意図的にそう配されたのだとしか思えないほどに弱かったのだ。 こんなの、雑魚もいいところだ。確かに普通の人間から守るのならばそれで十分であろうが、神の剣を携えた勇者を阻む壁としてはあまりにもお粗末である。 「やる気ないよ。絶対にやる気がない。ダンジョンはわりと面倒だったのに、敵の本拠地へと続く場所がこれってどうなの?」 「そうネ……まるで、早く来てほしいみたい。敵意があるのかもはっきりしないし、誘っているような感じがするヨ……」 「うん……」 とりあえず目指していた玉座の間にはわりと簡単に辿り着いた。予測していた通り、そこには暗い闇のような穴がぽっかりと空いて、口を覗かせている。 けれど禍々しさは感じなかった。揺らめく黒紫はむしろ懐かしい色だった。 「魔王はどんな人なんだろう」 不意に、リンクの口からそんな疑問がついて出る。 「本当に悪い人なの? お伽噺にあるような、倒すべき悪の権化なの?」 ナビィは何を今更言っているのだ、というふうに羽根を傾げてその疑問を一蹴した。 「当たり前じゃない。じゃなきゃあどうして――どうしてみんなは苦しんでいるの。どうしてお姫様はいなくなったの。どうしてリンクは、旅に出たの」 「うん……そう、だけど」 渦を巻く暗闇の淵に手をかけて、しばらくリンクは立ち止まっていた。何かを思案して小声で反芻する。 ナビィはそんな彼の顔の付近を飛び回り、不安気に顔色を伺った。 「り、リンク。どしたの、大丈夫?」 「うん、ごめん。なんでもない」 意外にもすぐに返ってきた答えに少し驚いてナビィは羽ばたきを一瞬止めた。 そんな彼女を指先に止め、リンクは笑う。作ったような笑いだった。ナビィがよく知る笑いだった。 理不尽に憤ることすら飽きてしまって、ただ緩慢に受け止める寂しそうな笑い。 「ちょっといろいろ……思っただけだから」 そして少年は、魔王という存在への疑問を抱いたまま異空の城へと足を踏み入れた。 |