レールに従うことが悪だとは限らない。 レールに従わないことが善だとは限らない。 デクの樹サマの中 カサカサ、と何かが擦れる音が響く。デクの樹を「いきもの」としてとらえ、身構えていたリンクは想像との差に驚いてぽかんと口を開けた。 「うわ……すごい」 デクの樹の中とはつまり、巨大なうろの中の事だったのだ。年季を感じさせる皺の深い樹皮が壮大なその内部は階層構造になっており、蔦が随所に絡み付いている。 「うーん、このツタ、登れるのかしら」 「試してみればわかるよ」 蔦に手をかけ、足を引っ掛けて登り出す。意外なほど簡単に上のフロアに上がることが出来た。デクの樹の側がそのために用意したものなのだろう、よく見ると蔦は不自然に都合の良いところについているみたいだった。 ふう、と軽く息を吐き左手で額を拭う。何気なく見下ろしてみると、一層一層に結構な高さが設けられている。当たり前だが手すりや柵なんかはあるわけがなく、転落したらそれだけでただではすまない怪我を負いそうだった。 「……普通の人だったら足がすくむよ、この高さは」 「キミは大丈夫なワケ?」 「僕はよく木登りとかしてたし、これより高くても平気だと思う」 別に高所恐怖症なわけじゃないからさ、とリンクが言うとナビィはふうんと頷く。 「まあネ、高所恐怖症じゃ旅なんかやってられないわよネ」 「大袈裟だなあ。旅してるからって、そんなにしょっちゅう高いところに登るわけじゃないでしょ? まあ、崖に行くこともあるかもしれないけどさ」 冗談めかしてそう言ったリンクだが、ナビィはぷるぷると体を振ってちかちか瞬いた。何か遠いものを視ているみたいだった。 「……キミの場合は目的が目的だから、その程度じゃあ済まされないヨ。高い崖なんか当たり前。きっと、もっと大変なことがいっぱいあるわ」 「知ったふうに言うね。まるで見てきたみたい」 ナビィの言葉に若干驚きつつも、リンクは子供らしく無邪気に笑う。リンクはナビィを手招きすると肩に乗せた。不安そうに飛んでいた妖精は素直に彼の肩に止まった。 (ちっちゃくて白い骸骨……いっぱいいて……斬っても斬っても、夜中出てくる……) 今、ナビィはまた"何か"を視ていた。誰かの記憶のような映像。今は丁度、そう――骸骨のモンスターの映像だ。 森から出たことのないナビィは当然だが、モンスターなんぞ見たことがない。またあの既視感なのだ。哀しそうに笑う、少年の夢なのだ。 頭の中に次々と風景が浮かび上がっていく。 (明るい時は……何これ、変なの。飛んでる……爆弾植物だわ) どこまでも広がる青い平原を"彼"が走っている。森から始まって、川や火山、村に城下町、砂漠や湖、とかく様々な景色がナビィの目に入った。牧場もあって、そこには彼のともだちの馬が―― 「ナビィ! ねえナビィ!! この気持ち悪いの何か知ってる?!」 「えっ?!」 リンクの叫び声でナビィは夢想から現実に引き戻され、はっとして目の前のそれを凝視した。 巨大な、クモみたいなモンスター。天井から糸でぶらりと釣り下がっていて、表面には髑髏みたいな顔がついている。何の擬態をしているのだろうか。 (こんなの、見たことないヨ。普通の森にはどこを探したって……) 知ってるわけないヨ、と言おうと口を開く。しかしナビィの口は思った通りの言葉を発しなかった。 「これは大スタルチュラヨ! 裏側の柔らかいお腹が弱点で、それ以外への攻撃は跳ね返されちゃう。何か鋭いモノがあればどこからでも一発なんだけど」 「へえ、ありがとう!!」 ステップで飛んで大スタルチュラと距離をおき、裏返るのを待つ。腹部を見せた瞬間にジャンプ斬りを当てると呆気なく崩れ落ちて、大スタルチュラが塞いでいた道が露になった。見えにくかったのだが、道がまだ続いていたようだ。 おお、と感動の面持ちでリンクはナビィを撫でる。 「すごいねナビィ。あっという間に倒せた」 「な、ナビィも何がなんだかサッパリ……」 そぞろに答え、ナビィは頭を疑問符でいっぱいにする。どうしても不思議で不思議でならない。 褒められたことよりも、モンスターの名前だとか弱点だとか、そういうことが事細かに口をついて出たことが今のナビィにとっては重要だった。だっておかしいじゃないか。しつこいようだけど、ナビィは森の外に出ることがないどころかデクの樹サマの庇護下から出たことすらないのだ。 デクの樹サマに庇護されているということはつまり、たとえ森の属性のものであっても実際にモンスターに出くわすことがないということである。 何もかも不自然だった。 「しかし……まるで迷路だね、この中。確かにデクの樹サマは大きかったけどこんなに広いものかなあ?」 リンクの一人言に答えることもなく、ナビィは「不自然」について思考する。今までも時々、朧気な幻をちらりと見ることはあった。けれどこんなにはっきりとおかしなことが起こり出したのは、リンクと出会ってからだ。 屈託なく笑う目の前の少年。 左手にトライフォースのしるしがあった少年。 もしかして、彼にはなにか秘密があるのではないだろうか。 自分のこのわだかまりに、関係があったり――するのではないだろうか。 「ナビィ、ナビィ」 「え、何ヨ?」 「ちょっとあっちの壁、飛んで見て来てくれない? 僕にはちょっと無理」 考えごとをしている間に、リンクは大分先まで進んでいたらしい。呼ばれてあたりを見てみれば、周りの景色が様変わりしていた。 大スタルチュラがいたあたりでは樹木そのもののように延び放題だった壁や天井の枝葉が、このあたりはなんだか妙に綺麗に揃えられている。 「向こうになんかあるみたい。視力には自信がある方なんだけど、さすがにあれはちょっと辛くて……頼まれてくれない?」 「いいわヨ、そのくらいはお安いご用」 頼まれるままにふわふわと向こうに見える壁まで飛んでいき、ナビィは"それ"を確認する。銀色の台に赤いクリスタルが載っていた。スイッチのようだ。 「リンク、これは多分スイッチだヨ。何かで衝撃を加えれば作動すると思うけど、ナビィの羽根じゃ力が足りないヨ」 「……参ったなあ、そんな遠くまで届く便利なものなんて持ってないよ」 「でもこれはデクの樹サマが課された試練でしよ? そんな理不尽なことはないと思う」 どこかにヒントがあるんじゃない、と無責任に言う妖精にリンクは溜め息を付きながら辺りを見回した。すると右手の壁に判りにくく蔦が絡み付いているのが見える。スイッチのヒントにはなりそうにもないが、しかしあそこから先に行くことは出来そうだ。 道が見えないときは、いったん後回しにしてしまうのも一つの手ではある。 「ナビィ! ツタ見付けた。行こう」 「え、スイッチはいいの?」 「今はもう、いいよ。あとでここに戻ってこよう、その時は解けるかもしれないし」 「……楽観的ネ。まあいいケド」 ナビィは頷くと急いで、登り出したリンクを追っかけた。 上に登ると、そこには広めの空間があった。いくつかの苔むした柱が立っていて、人影らしきものがリンクの視界をかすめる。 「……ケケケッ?」 そこにそれは、いた。 ◇◆◇◆◇ 「なんっ……だあれ! ナビィ!! 知ってる?!」 ラッパを手に跳ね回るそれのことを、ナビィは今度はきちんと知っていた。デクの樹サマから何度か聞いたものだ。 いわゆる、「迷い子の成れの果て」。 「知ってる! スタルキッドって言うの、森に取り込まれた子供……!!」 「攻撃パターンは?!」 「ゴメン、それはちょっとわかんない!」 ナビィの言葉を聞きつつ、スタルキッドから距離を取る。どんな攻撃をしてくるのかわからない以上、近寄るのは懸命とは言い難い。 気になるのは手に持ったラッパだ。あれは一体なんなのだろう? もしかして、あれで攻撃してくるのだろうか? 「ケケッ」 スタルキッドが、不気味な声を漏らす。 「お前が、デクの樹サマの言ってた子供?」 「?!」 スタルキッドの言葉に、リンクの中でデクの樹サマの台詞が甦った。「門番を倒せ」。確か彼はそんなことを言っていなかったか。 つまりこれが、デクの樹サマが言っていた門番、ということなのか。 「そういうことか。面白い、まあこのぐらいは出来なきゃ先にも進めないよね」 「えっ、リンク?」 「大丈夫ナビィ。なんとかなる気がする」 「き、気がするって何ヨ?!」 今までの逃げの一手を変えて急にスタルキッドの正面に躍り出たリンクにナビィがすっとんきょうな声をあげる。相手が何をしてくるかもわからないのに、あんまりに考えなしな行動だ。 しかし突然の行動に戸惑ったのはどうやらナビィだけではなかったらしい。スタルキッドも不思議そうな顔をして慌てた。そこに一瞬の隙が生まれる。 「――もらった!」 狙い済ましたようにリンクは剣を振りかぶり、強烈な一撃を放つとくるりと後ろ向きに宙を返りまた距離をあけた。もろに喰らったスタルキッドは態勢を崩し、クケ、と呻く。 「どしたのリンク、急にそんな動き!」 アナタそんなに強かった? と失礼な質問をしてきたナビィにリンクはさあ、と曖昧に答えた。インパの特訓で鍛えたから、一応リンクはそこそこ強い部類に入る。けれど今の彼の動きはそれとは明らかに何かが違っていた。 動きには一切の無駄がなく、隙がない。しかも敵の急所を一撃で突いている。 「ケケ……似てる……リンクに……似てる……」 唐突にスタルキッドがそう漏らした。なんだか嬉し泣きしているようにも見える。変なやつだ、とリンクは肩の力が抜けてしまった。 「に、似てるってリンクはリンクなんだから当たり前じゃない! 本人なのヨ!」」 「違う。オイラのともだちのリンクに似てる……動きがそっくり。不思議……」 そう言うとスタルキッドは掲げていたラッパを下ろして、ふっとリンクの前に降り立った。リンクは一瞬身構えたが、スタルキッドの顔を見てすぐに剣をしまう。彼にはもう攻撃の意思がない。 スタルキッドはケケケッ、と楽しそうに笑った。 「オイラ、お前を認める。お前、デクの樹サマの試験に合格した。この奥にある宝箱の中身、持っていけ」 「ありがとう、スタルキッド」 「オイラこそありがとう。こんなに楽しかったのは数百年ぶり」 スタルキッドが指さした方向には鉄柵が下りた小部屋があった。その中に大きな宝箱が見える。 そちらに向かって歩き始め、ふと振り向くと既にスタルキッドの姿はなかった。 ゆっくりと開けた宝箱の中に収まっていたのは、何やらかわいらしいブーメランだった。柔らかい黄色を基調としたブーメランには真ん中に赤い宝石が嵌め込まれている。 「ブーメランだ。子供の頃よく遊んだ」 「なんだかあんまり強くなさそうネ」 「いやあ、使ってみなきゃわかんないよ? もしかしたらすごい能力があるかもしれない」 左手でひょいと掴みあげて、何とはなしに投げる。放たれたブーメランは物凄い勢いで飛び、風を起こして木の葉を巻き上げリンクの元へ返ってきた。 「……結構すごいヨ」 「ほら、だから言った……あ、」 何を思い付いたのかリンクはブーメランを手に一つ前の部屋へ向かって駆け出した。慌てて追いかけ、ナビィも気付く。 確か、遠くを攻撃できる武器がなくて諦めたスイッチが一つ残っていなかったか。 「アレ、押すの?」 「やってみる。距離があるから上手く当たるかは一か八かだけど……」 「距離があるって、生半可な距離じゃないヨ?!」 「そこは運任せ!」 スイッチのあった部屋に着き、位置を調整するとブーメランを投げる。しかしそれは的外れな方向に当たって返ってきてしまった。 「んもう、そんなんじゃあ無理ヨ! いつまで経っても当たらないわ!!」 「でも……」 「ナビィに考えがあるヨ。――ソレ、ナビィに向かって投げて!」 「へ?」 「いいから、投げてヨ!」 正確に狙えるぎりぎりの位置に移動したナビィに、リンクは思いっきりブーメランを投げた。そのままナビィは一直線にスイッチへ向かって飛んでいく。ブーメランはナビィを追尾し、遂にスイッチに当たってそれを作動させた。 「すっご……」 スイッチが青に切り替わると、今まで奈落に見えていたところから床がせり上がって道が出来た。道の先には何やらものものしい扉がある。 扉には黄金の聖三角を抱いた鳥――ハイラル王家の紋章が刻まれていた。広げられた両翼はまるで、王家の誇りと威厳を示しているかのようだ。 そして扉の奥に白い祭壇があった。厳かな空気の漂う白亜の部屋の中央に安置されたそれは、煌めくトライフォースの欠片を戴いていた。 |