死といふのはなんぞや?
 ひとが消えるといふこと
 喪はれてゆくといふこと
 魂が離るるといふこと?
 其れを裁くといふこと?
 死といふのはなんぞや?
 かくも愚かしき愚問よ。



オアシスの薄ら寒い夜



 鍋が湯気をたてている。中では簡素なスープが煮込まれていた。
 簡易コンロの側には適当に掃除されたテーブルがあって、ナビィがスプーンやらフォークやらをナプキンの上に置いている。
「おじさん、随分用意がいいんだね。移動用のコンロなんて初めて見た」
「昔はキャンプなんかでよく城下町の人々が持っていたものだがね、エネルギーの交換が面倒だったらしく今はほとんど見なくなったな。かくいう私もその手の面倒ごとは嫌いだから、交換用のエネルギーを持っていないんだが」
「え? じゃあどうやって火を?」
 リンクが疑問を口に出すと男は笑って答えた。
「魔法だよ。私は少々その口をかじっていてね、火ぐらいは起こせる」
「じゃあおじさん、魔術師なんだ! 珍しいね」
 王族以外の魔術師はほとんどいなくなってしまったのだと思っていたリンクにとってそれは結構な驚きだった。この世界には確かに魔法というものが存在するが、それは簡単に修得出来るものではない。確か、魂の資質が必要なのだと聞いたことがある。王族の姫君のように純粋な人間でないと使うのは難しいと。
 欲深い人間が魔法を使えると大変なことになるから、神様達がそういった人間は使えないようにしたんだそうだ。
 それでも、魔法を覚えてから欲を知る人間がいて、ハイラルの子供たちがよく夜のお伽噺に語り聞かされる「魔術師アグニムの反乱と勇者リンクの物語」みたいなことが起きたらしい。
「いいな、なんかかっこいい。火を簡単に起こせるし」
「食べ終わったら、少し話してあげようか? 君なら基礎ぐらいは理解出来るかもしれない」
「本当?!」
「よかったネリンク! もしかしたら使えるようになるかも!!」
「いや、よっぽど才能がないとそう一朝一夕には使えるようにならないよ。――さて、お喋りもいいが食べよう。冷めないうちに」
 その言葉に合わせて、丁度よくリンクのお腹が鳴る。一同は顔を見合わせて、リンクは恥ずかしそうに、他の二人は楽しそうに笑った。


「おじさん、このへん詳しいの?」
 スープのおかわりをよそいながらリンクは唐突に聞いた。
「僕をオアシスまで連れてきてくれたし、何かと手際いいし」
「そういえば砂漠の民だ――って、言ってたネ」
 ナビィも思い出して付け加える。でも、砂漠に人が住んでいるとは思えないし、城下町のことを知っていたから男はまず間違いなくハイラルの人間であるはずだ。
「先祖が昔砂漠に住まっていたんだよ。私は考古学者なんだが、その影響で今は砂漠の遺跡を専門にしている。だから今も、こうして地図からも消えてしまったような場所に出向いているんだ。人の手が入らない分保存も良いから」
「へえ……考古学者、か……あ、じゃあさ、これがどのくらい昔のものかわかったりする?」
 さっき見付けた地図を引っ張り出して男に手渡す。男は少し驚いて、興味深げに地図を眺めた。
「古ハイラル語が併記してあるから、この文字の解読法がまだ失われていなかった時代のものだね。おおよそ600年ほど前のものだと思うよ。ハイリアアルファベットとの対応で解読が出来るから、これを城の学者に見せたら数千万ルピーで売れる」
 歴史が変わるぞ、という男の言葉と値段に目を丸くしたリンクだが、すぐに売らないよ、と小さく呟いた。どんな大金を積まれても手放す気にはなれない気がした。
「……それにしても、そんなに貴重なものが野晒しになってるなんて。どうしてこの砂漠は地図から消えたんだろう? だって、僕みたいな子供が迷い込めるような場所なんだよ? 釈然としないよ」
「確かにそうネ……変ヨ、ココ」
「砂漠の民が滅んで、砂漠で大量の行方不明者が出たからだ。多くは熱砂の上で命を落としたらしい。まやかしが人々を襲ったと一説には言われている」
 リンクとナビィの疑問に男が静かに答える。すぐに答えが返ってきたので二人は驚いて、じっと彼を見つめた。
「さっきも言ったが、砂漠には遺跡が多い。それらのいくつかには伝説の『神の力』の手掛かりがあると言われていた。かつて砂漠の民はその遺跡を守る番人だったんだ。彼らがいなくなったことで遺跡荒らしが来ることを神は恐れ、阻んだからではないかと言うのが最終的な学者連盟の結論だよ。そして砂漠は地図から消された――」
「……じゃあおじさんは、どうして僕を助けられたの……?」
「言っただろう? 私は砂漠の民だ。城の学者に教えたくない砂漠の秘密もいくつか先祖から継いでいる。それ故に、この幻影の砂漠においても迷うことがない」
「ああ、そっか」
 そのこと忘れてたよ、と納得したように言ってリンクはスプーンを口に運ぶ。よっぽど腹が減っていたのか美味しかったのか、男の話を肴に鍋のスープはほとんど飲み尽くされてしまっていた。
「でも、"砂漠の民"なんて初めて聞いたよ。遺跡の話も……遺跡とか、もうちょっと詳しい方がこの先いいのかなあナビィ」
「そりゃあ知ってるにこしたコトはないヨ。でも今の人間って本当に何にも知らないのネ。砂漠の民って、かつてハイラルにいた六つの種族の一つヨ」
「……詳しくお願いします」
「えっとネ……森の民コキリ、山の民ゴロン、水の民ゾーラ、闇の民シーカー、砂漠の民ゲルド、そして王国を統治する光の民ハイリア。昔々はこの六種族が共存して生きてたらしいわ。でも長い時の中でシーカー族はハイリア族と混じりあってハイリア人となり、あんまり区別がつかなくなったのヨ」
「そしてゲルド族もまたハイリア人と交わった一部を除いて滅んだ。今砂漠の民を名乗るのは野盗化したあちら一帯のハイリア人達で、彼らはゲルドの名も知らない。哀しいことだよ」
 ナビィの言葉を引き継ぎ、男はテーブルに手をついてよっこらせと立ち上がる。空っぽの鍋を手に取ると、トントンとそれを叩いてあっという間に綺麗にしてしまった。また魔法だ。
 男がにこりと笑った。リンクも思い出す。
「――あ、ご飯の後に魔法を教えてもらう約束!」
「ふむ、忘れてはいないみたいだね。でもまあ、たくさん食べた事だし食休みをしてからにしようか」



◇◆◇◆◇



「ええと……自然の力を分けてもらうのが基本で、精霊様の加護もその"自然の力"に含まれる、と」
「そう。だから初めは自然の力そのものの形から始めるんだ。さっき鍋を綺麗にしたの、あれは物体の時を巻き戻す魔法だからああ見えてすごく難しいんだよ」
「じゃあ、火を起こすのは?」
 それは結構まんまじゃない? というリンクの疑問に男は頷く。
「女神ディンの力の代表例だよ。ディンの炎――こうやって起こす」
 きゅっと軽く手を握り、ぱっと放す。たちまち赤い炎が男の手の中に現れた。
「あ……熱くないの?!」
「術者が熱を感じたら不便だろう」
「それもそうか」
 ふんふんと頷きながら、リンクは手を握ったり開いたりを繰り返す。わかりきっていたことだが別に何も起こらない。ちょっとがっくりして、リンクは気休めに左手の痣を擦った。
「やっぱり、無理っぽい」
「そんなにすぐ修得されたら私の立場がないしなあ」
 残念そうなリンクに、男は楽しそうに笑いかける。それから彼はふとリンクの痣を凝視して唸った。
「……それは女神フロルの加護の印だね」
「女神フロル?」
「この世界を創った三人の女神様のうちの一人ヨ。生命を与えた勇気を司る女神様。へー、リンクの印は勇気のトライフォースなんだ。中に入ってるのは知恵のトライフォースなのにネ」
 ぶんぶん飛び回って、ナビィは羽根でリンクの印をつつく。印はふわっと輝いて、青っぽい緑のひかりを散らした。
 男は何事かぶつぶつと呟きながら、しばし考えごとをしているみたいだった。
 懐から手帳らしきものを取り出し、ぱらぱらとめくる。ぱたんと閉じると、男は真っ直ぐにリンクの瞳を見据えた。
「……女神の加護を直接、受けているならば君は絶対に魔法を使えるよ。ただ、きちんとした修練が必要だ。砂漠の遺跡に興味があるのだろう? どうかな、しばらく私と一緒に行動しないか」
「うん、出来れば。願ってもないよ」
 道案内をしてあげるよ、という男の言葉にリンクは特に深く考えることもなく頷く。男を信頼しているからこその反応だった。しかし、それは正しい判断なのだろうか?
 出会って一日も経っていない。男は本当にそれほどの信用に足る相手なのか?
「改めてよろしくね、おじさん」
「こちらこそ、少年」
 にこにこと笑いあって握手をする二人に、ナビィは突然言いようのない怖気を覚える。ざわ、と体を撫でたその薄ら寒い感覚はすぐに消えてなくなったが、ナビィの体に残った感触はそう簡単には消えなかった。
 別に嘘と欺きで出来た作り笑いを浮かべて薄気味悪い交渉をしているとかそういうことではないのに。
 ナビィの羽根を、冷や汗が濡らした。