歩みを止めるな。
 それを疎かにするな。
 何かを見過ごすことになるから。
 わかるはずのものを、見落としてしまうから。



魂の神殿



「ねえリンク……さっき、どうしてあの石柱を奥に押せばいいってわかったの?」
 神殿を探索し始めてから幾分か経った頃、ナビィが唐突に聞いてきた。男とリンクは歩みを止めて、蒼い妖精を見る。
「だって、それまで全然わかってなかったじゃない?」
「それは、まあ……その通りだけどさ。何て言えばいいのかな……本当に急に思い浮かんだんだ。"アレを押せばからくりが一つどうにかなる"って。まるで誰かが教えてくれたみたいに」
「ふむ……ならば本当に何者かが教えてくれたのかもしれないよ」
 リンクの答えに男が食いつく。
「この神殿は元ゲルド族の女盗賊に今も守護されているらしいからね。手を貸してくれたのかもしれん」
「へえー、そうなんだ。すごいネ」
(……女の人?)
 そのままその女盗賊についての話を始めてしまった男と妖精を眺めながら、リンクは漠然と思考した。男はどうやら守護する彼女の声だろうと結論付けたみたいだが、それは恐らく違うのだ。
 リンクは女性の声など聞かなかった。いや、そも、誰かの声など聞いた覚えがない。
 急に降ってきたのは自分の声。
 それすらも曖昧な自覚ではあるが、ともかく男――十代後半の青少年の声であったことは確かだ。


「……ほど。だ…ら、……ちゃ……残…………た…のグロー……必要……」
「まあ……普…に動か……モ…じゃ……な……ネ……」


 あの時思い浮かんだのは、一つの場面だ。
 薄ぼんやりしてセピア以上に退色し、その上腐蝕したネガフィルムのような映像に雑音だらけで何を言っているのかもよくわからない音声。それでもリンクにはこのシーンの何が、今自分たちに必要なのかがわかった。
(必要?)
 何かで石柱を押し込めて、道を切り開く。それさえわかれば十分だ。それ以上考える必要はない。
 けれど、思考してしまう。
(何の話をしているんだろう)
 先ほど見えたものはまるで、思考を阻むために考えれば考える程焼け朽ちていくようだった。記憶はどんどんと穴ぼこになり、薄れてゆく。
(何だろう、この感じは)
 終いには、何も思い出せなくなってしまった。



◇◆◇◆◇



「うっ……わああああああ!! 怖い、怖いんだけど!!」
「コレはアイアンナック! 破壊力抜群の斧を振り回す幽霊闘士ヨ! 一撃でも喰らったらひとたまりもないヨ……!!」
「破壊力のあたりは言われなくてもわかってたよ!!」
 神殿も半ばより進んだ頃――リンクは今、巨大な斧を持つ甲冑と戦っていた。ナビィの言う通りアイアンナックと言うらしきその敵の破壊力は凄まじいもので、一振りで太い柱を薙ぎ倒してしまうのだ。
 あんなものを喰らってしまったら、命がいくつあっても足りない。
「こんのっ……」
 横凪ぎをバック宙でギリギリかわし、そこからジャンプ斬りでこちらの攻撃モーションに入る。しかしその後すぐに退避しなければ、態勢を立て直したアイアンナックの一撃を喰らってしまう。
「……はあっ!」
「リィンク、頑張って!」
 一進一退の攻防が続き、ついにアイアンナックの鎧が剥がれた。リンクは胸を撫で下ろしかけるが、ふと嫌な予感がして思いっきり横に飛んで距離を取る。
 予感は見事に的中した。
「うっ……そだろ! 早っ――」
 先程までの、重たそうな甲冑の動きが一変し今や敵は恐ろしいまでの俊足で動いていた。一直線に猛スピードで距離を詰めてきたアイアンナックはつい一瞬前までリンクがいた場所に鈍重な斧を突き立てていたのだ。
 狙いを外したアイアンナックは地面に刺さった斧を抜こうとし、僅かなロスを生じさせる。心臓は早鐘のように鳴り内心恐ろしく震えていたが、リンクの体は真っ直ぐに狙いを定めて的確に動いていた。

 ガァン、と音が響きアイアンナックの心臓部に剣が勢いよく突き刺さる。鋭利な切っ先は美しい軌道を描いて強敵の命を奪った。
 アイアンナックの体が霧散する。
「……倒、したんだ」
「そうヨ、お疲れ様。なんだか不思議な顔してるけど」
「あ、うん……なんか、自分が倒したって気がしなくて」
「何言ってるの? あの男のヒトともはぐれちゃったしナビィは非力だし、今ココにいる闘えるヒトはリンクしかいないのに」
「それは、そうなんだけど」
 なんだか本当に、最後の動きは自分の意思じゃあないみたいだったのだ。あんまりに綺麗で、華麗で、美しかった。ばくばく言っていた情けない心音とはまるで正反対だった。
 オートパイロットでAIが操縦しているかのような完璧な動き。いや、機械独特のミスすらも撤廃されている。それはむしろ練達した剣士の反射運動に近かった。
「誰かが僕の体を動かしてくれたみたいだ」
 恐怖にすくみ、固まりかけた体を殺さないために。
 生かすために。
「変なの……」
「リンクがちょっと変なのなんて、いつものことヨ」
「それは酷いなー」
 傷付くな、と口先で嘯いてナビィの体をみよんと引っ張る。体はむにゅうと伸びたが、ナビィはもう何も言わなかった。言うだけ無駄だからだ。
 彼の好きなようにさせておくのが一番無難なのだ。
 だからナビィは引っ張られたまま喋る。
「ね、それよりリンク、あの男のヒト探しに行こうヨ。向こうも心配してると思うし」
「それもそうだね。はぐれてから大分、奥まで来ちゃったしなあ」
 でも戻るのは面倒だからとりあえず進もう、と笑ってリンクはナビィをぱっと離した。身構えていたナビィは地に追突する寸前に態勢を立て直し、大事を逃れる。
 リンクは小さく舌打ちをした。



◇◆◇◆◇



『おっどろいたね。久しぶりにここまで来る奴がいたと思ったら、まさかアンタとは』
「…………」

『なんとか言いなよ、魔王ガノンドロフ』

「……やはり、そう見るかね?」
 女――魂の賢者ナボールにそう言い放たれ、ワンテンポ遅れてガノンは言葉を返した。表情は悲し気で、どこか諦めの色が浮かんでいる。
 妙にしおらしいその態度にナボールは顔をしかめた。
『そうもこうも。魔王じゃなきゃあアンタは一体なんなんだい? アタシは認めないよ――アンタはゲルドの民ですらない。ただの、悪党だ』
「すまなかった」
『はあ?』
「すまなかった。私はゲルド族の誇りに傷を付けた……」
 しおらしい態度、どころではないその言葉に、仕草に、ナボールは驚愕し狼狽する。これが、ガノンドロフ? あの、ハイラルを陥れた魔盗賊ガノンドロフなのか?
 気色悪い。
『な、何言ってるんだ。なんだい、それはまた何かの謀り事なのかい?! そんな安っぽい言葉で――アタシを騙そうと?!』
「騙そうなどと。思うはずもない」
 賢しい者を相手にそのようなことが出来るわけがないからな、と言ってガノンは振り上げられたナボールの腕を掴んだ。
 荒々しさなどは欠片もなく、その挙作にはむしろ思いやりが感じられる程だ。ナボールは肌を粟立てる。気持ち悪い、気色悪い、これは最早そういう問題じゃない。
 おかしいのだ。有り得ないのだ。

 異常だ。

『何がしたいんだい、アンタは……』
「何もしたくなどない」
 手を離して、魔王は目を瞑り呟く。
「私は、むしろ――」



◇◆◇◆◇



 がしゃん! と格子が落ちる音が響き、思わず反応して振り向く。後戻りをさせぬという神殿の意思なのだろうか、扉は固く閉ざされ、リンクの力ではどうにもならなそうだった。
「……やられた」
「ちょーっと、ヤバイわネ……」
「ちょっと、じゃないよこれは。半端なくやばい」
 覚悟を決めたかのような顔で、リンクは改めて"それ"を見据える。巨大な三首の竜。炎のようなブレスを呼吸の度に吐き出していた。
「アクオメンタス」
 首に付いたプレートに記された文字を読み上げてリンクは唸った。名前と一緒に紋章が刻まれているのだ。子供が描いた幽霊のシルエットみたいな紋様が反転して二つ、円を象っている。
「ここは魂の神殿……ということは、あれは魂を表しているのか。廻る、輪廻の環。いよいよ昔話に似てきたなあ……あの話嫌いなのに」
 リンクはにわかに溜め息を吐いた。
 三首のドラゴン、アクオメンタス。それはハイラルの子供たちが決まって聞かされるお伽噺の一つだ。恐るべき巨躯、灼熱の吐息、地を裂く行進。その爪に切り裂けぬものはなく、その牙に噛み千切れぬものはない無敵の怪物。
 悪事を働いた子供たちは口々にこう脅されたものだ。「そんな悪い子供は、アクオメンタスに食べられてしまう――」。大概の子供と同じようにリンクも迷信と強がっていたが、本当はその話が大嫌いだった。
 だって、怖いではないか。無敵の怪物だなんて――
「ともかく、救いはお伽噺程は強くなさそうなこと、かな。床はぴんぴんしてるし柱も爪痕はあるけど折れてない。……まあ、灼熱の吐息とかは本当っぽいけど……」
「もう引き返せないし、やるしかないネ。ナビィも頑張る」
「うん。これの実力も試せるし良いこともなくはないよ。ポジティブに行こう」
 リンクはアクオメンタスから距離を取ると弓を構えた。先程、宝箱から拾ったばかりでその実力は未知数である。
 魂の神殿にあった弓矢だ。普通の弓矢だなんてことはまずないだろう。
「……なんかワクワクしてきた」
 不謹慎なことを呟き、矢を放つ。矢は一直線に飛んでいき、アクオメンタスの真ん中の首の目玉を射止めた。