005:正義について/罪狩りの男
「しゃあねえな。それじゃたまには、お望み通り玄関のチャイムを鳴らしてやるよ」
冗談めかして彼が言った。瞳がやさしかった。赤茶色の眼の向こうに、あまり記憶にない、「父親」のようなものを感じてカイは息を呑む。
長い間、カイにとって父の代わりだったのはクリフだった。しかし先日の大会で彼は命を落とし、カイの「父親」はこの世のどこにもいなくなってしまった、……はずだ。
その代替を、もしかしてこの男に求めているのか? カイは首を振る。そうじゃない。ソルを、そういうものに、したくない。
——ではそうでないのだとしたら、ソル=バッドガイとは、カイ=キスクにとって、一体何なのだ。
友なのか——或いは好敵手——はたまた、家族、のような?——どれもしっくりこない。そのどれもであるような気がして、また一方で、どれでもないような、ちぐはぐさがある。
私とおまえの間に、なんと名前を付ければいい、ソル。
聞いてみたかった。でも口に出して問うことが、その時はとうとう出来なかった。
◇◆◇◆◇
四日目から六日目まで、ソルはカイのそばを離れなかった。あらかじめ食料をやたらと買い込んでいたのは、ヘッドギアが出来上がったあと、こうすることを考えていたためだったらしい。とはいえ部屋が狭いので結果的に「そばにいる」という表現になっただけで、つきっきりで看病をしてくれていたかというとそういうわけでもない。彼はカイに暇つぶし用に買い与えていた本や新聞を自分でも手に取ってみたり、ラジオをつけて情報収集に努めたり、自分のやりたいことをやっていたが、とにかく、その間部屋の外へは出て行こうとしなかった。
ああ見えて意外にも律儀なのだ、彼は。ソルが個人的な因縁をギアという存在に感じているのは前々から知っていたし、先の一件でその理由もはっきりとわかった。だからソルはずっと、ジャスティスの始末を自らの責務だと考えていたに違いなくて、そのせいでカイをあの場に巻き込んでしまったことを悔いている。
「坊やがぶっ倒れたのは、一人で法術結界を使いすぎたせいだからな」とこぼしていたのがその証拠だ。言葉に出してこそいなかったがあの台詞には「俺の代わりに無茶させた」というニュアンスがあった。冗談じゃない。確かに拘束陣も次元牢も通常生身の人間が一人で行使するべき術式ではないが、封雷剣もあったし、それになによりまともに戦う力が残されていなかった以上結界を行使することが元聖騎士団団長としてのカイのせめてもの意地でもあったのだ。
でも、脊髄反射のようにのど元までせり上がってきた「おまえのためにやったわけじゃない」という言葉はぐっと呑み込んだ。ずっと考えている「正義とは何か」という疑問とそれにまつわるソルの思い出がカイに自制をさせていた。カイはもう大人になったのだ。いつまでも子供じみたままだと、この男に思われたくない。
「ソル」
「あ? なんだよ。別に、出ないぞ、今日は。あらかた急ぎの用は済んだ。坊やが動けるようになるまではここに缶詰だ」
「それは、もうわかった。ソル……私は聞きたいんだ。お前の話を。こんな機会、そうそうないし……」
「読み聞かせに適した話のレパートリーはあんまりねえな」
「そうじゃない!」
「ジョークだ。とはいえ、坊やの疑問の答えが俺の口から出てくるだなんてのは期待しないことだな」
「いや、この疑問の答えは、お前にしかわからないよ。……ソル、お前の正義は……お前にとっての正義は、一体何なんだ?」
「……いきなりか。ヘヴィだな」
口癖になっている言葉をこぼすと、ソルは組んでいた腕をほどいて思案するように右腕を頬に添えた。
安物のテーブルの上に散らばった新聞紙、そこにばらばらに落ちる髪。机と顔の間をつないでいる右腕。それらのシルエットが重なり、まったくイメージにそぐわないのに、何故かその時彼に眼鏡を掛けさせたいと思った。楕円形の、フレームの細い実用的なデザインのやつだ。それから白衣を着せて……
そこまで考えてカイは思わず目をしばたかせ、そして思考を巡らせているソルに気取られたくなくて顔を覆った。あれだけ、白を基調とした制服が似合っていなかった彼だ。白衣なんか似合うはずもないと思ったのに、想像の中でそれを羽織っている彼はどうしてか無性に様になっていて、カイの頬を赤く染めようとしてきていた。
「これが坊やの考える正義と同意義なのかはわからねえが、俺の存在理由はギアを葬ることにある。正確には、この世全てのギアと、そしてギアを造り出し、俺をギアに変えた『あの男』……《GEAR MAKER》を、ぶっ殺す。そのためだけに俺は生き長らえてきた。《オラトリオ聖人》の射出を可能にするためにアウトレイジを作り、……まあ結局扱いきれずにバラしちまったわけだが、ギアを求めて各地を転々と回った。クリフと出会ったのも、そのさなかでだった」
幸いなことに、自らの過去を辿って話している男がカイの不審な行動に気がつくことはなかった。カイは面をそろそろと上げると手を伸ばし、質問をする。
「少し待ってくれ。ギア・メーカーというのがジャスティスも言っていた『ギアを造った男』のことなのだろうというのはわかるが、その『オラトリオ聖人』だとか、『アウトレイジ』というのは……」
「《オラトリオ聖人》は理論上、出力上限を持たないとされる法術エネルギーのことだ。極論、こいつが撃てればメガデスを範囲内にいる限り一度に大量に葬れる。そしてアウトレイジはオラトリオ聖人を射出するための個人用携帯外装、のはずだった。俺が設計した時点ではな。ところが造ってみたら確かにサイズは個人用だったが要求スペックが高すぎてとても手に負えた代物じゃなかったので、仕方なく八つにバラした」
「……そんな術式、聞いたことがない」
「そりゃそうだろ。こいつは俺の独占研究テーマだったし、俺以外に再現出来るのはあの男ぐらいのもんだ。本にして残してるわけでもねえし」
「……お前の? それで……アウトレイジというのも、お前が造った何かなんだな?」
「アウトレイジはただの強化武器外装だ。お前も一部は見たことがある。八つに分けて国連に預けたら、いつの間にか神器だとか言われて崇められてたからな」
「神器…………え、ええ?! まさか、封雷剣や封炎剣のことか?!」
「他にあんのか?」
ない。神器と呼ばれている特殊な法力増幅機能を持つ武器はこの世にたった八振り。カイの封雷剣、ソルの封炎剣、国連が所持している閃牙と湖上白、益篤、そして行方の知れない三つ。それらがこの世にもたらされた経緯を、カイは漠然と「どこかの鍛冶屋が神託でも降ろして作成したのだろうか」と考えていたのだが、今その可能性は粉々に砕け散った。目の前の男が、神託なんぞ聞くたまか。
「本当にお前が作ったのか」
「ギアに対抗するために必要だったからな。俺自身もギアではあったが、相手にしなきゃなんねえ数がバカみたいに多い。素手でなんざやってられるかよ。作った後、結局コアを八つに割ってまた調整するはめになるとは思ってなかったが」
設計図も一応あるぜ、見るか、と言うので一も二もなく頷いた。彼がいつも持ち歩いている汚いデイパックからシェルケースが出てきて、その中から一束を無造作に掴み取る。ばらりと広がった紙から、古っぽいインクのにおいがした。几帳面とは言い難い乱雑な文字がそこかしこに書き込んである。ソルの字だ。カイはわけもなく嬉しくなって差し出された設計図に指を走らせていたが、しかし雑なアルファベットをなぞっていくうちに一つの事実に思い当たり、首をかしげた。
「これ、英語じゃないか」
アルファベットはアルファベットだが、現在では古典叙事詩を好む層や、伝統と格式を重んじる一部の貴族、或いは諸地域によって残されている方言……としてしか用いられない言語でそれは記述されていた。カイも趣味で古典を学んでいるので読めることは読めるのだが、しかし実用的ではない。
何しろこの世界では今、世界中どの地域を見ても国連加盟国なら大体「世界共通言語」がスタンダードになっているし、国連非加盟ではあるがツェップも結果的に共通言語を採用するに至っている。というのも、二〇〇八年に発足した聖皇庁がこの共通言語を当初から強く推奨しているうえに、彼らが広めた法術が共通言語で記述されたものだったからだ。世界中のエネルギーが法術にとってかわられ、また、多くの人望を集めた聖皇が使用を求めた結果、それまでばらばらになっていた言語は急速に統一されていった。俗に「リバース・バベル」などと呼ばれることもある歴史の流れの一つである。
「俺は英語が第一言語だからな」
「……おまえ、どこで生まれ育ったんだ?」
「アメリカ」
「現在のアメリカの、」
「現在は、な。それ以前は英語が母語の国だ。俺は、再起の日にはとっくに成人していた」
「……んんん?」
ますます訳が分からなくなってしまい、カイは再び頭を抱え込んだ。再起の日——一九九九年に起きた、この世の全てを変えてしまった日。今から二百年近く昔の出来事だ。なのにその時分にはもうとっくに成人してる、だなんて。
「おまえ、何歳なんだ」
思わず詰問するような調子で指さして尋ねるとソルがはぐらかすように笑った。
「さあな。忘れちまった」
「で、でもその話が本当なら、見た目と釣り合わなさすぎる。クリフ様も、気属性を極めることで一時的な若返りは可能だったけれど……おまえは気属性は使えないと言っていたじゃないか」
「前提を忘れるなよ、坊や。ギアは殆ど不老不死みてえなもんだ。俺の外見は、もう随分長い間このまま変わりやしねえ」
ソルの無骨な指先が、とんとん、と彼のヘッドギアの下を指し示す。そう言われてはじめて、カイは今までギアの生態というものに興味を持ったことがなかったことに気がついた。一通り、「倒すために」必要なことは聖騎士団に入ってすぐ習っていたが……たとえばそれがギア細胞を後天的に付与された生体兵器であるということ、ギア細胞さえ移植されれば全ての動物がギアに成り得ること、ギアを造るプラントが世界中に何カ所かあること、法力を用いて生産されるので元来は法術を行使するだけの知能を持たない生き物が素体の場合でも法術を使った攻撃が可能であること……そういったことに留まっていた。
生まれたギアがどう成長するのか、本当は何を糧に活動していたのか、それに、ギアが何のために生きていたのか(その答えの一端を、ジャスティスはカイに示したが)……それをカイはまったく知らないのだ。
「私は、何も知らなかったんだな」
逡巡の後にぼそりと漏らしたカイの言葉は少し突飛だったが、ソルは頭のいい男だから、彼はちゃんとその意味を解して「そうだな」と答えてくれた。
「頭でっかちなんだよ、テメェは。だがまだ若い。生きてりゃ、知ろうとしていける。今からでも遅くない」
「ギアのことは、ただ、殺せばいいものだとばかり思っていたから。ギアの都合なんて知らなかった。勝手に、主食は人間だと思っていたし。……けれどよく考えてみれば人間が造ったもののエネルギー源が人間に設定されているはずがないな。それにお前が人間を捕食しているところも見たことがない」
「ギアは人間より遙かに効率よく生きていける生命体だ。実際のところ、エネルギー摂取は殆ど必要ねえ。俺がものを食うのは、人だったころの名残だ。必要かと聞かれればそうでもない」
「それじゃやっぱり、ギアは人間を食べてたわけじゃなかったのか」
「基本的には、だ。ジャスティスの命令は『人間を殺し壊し蹂躙し殲滅し暴虐せよ』、……だった。手段は問われていなかったはずだから、中には食ってたやつもいた。見たことがある」
素体が肉食動物やそれに類するものだったギアに限ったが、と付け加えてソルがカイの顔を伺う。人間の、同胞の捕食に関する話などしているので心配だったのだが、カイの顔は危惧していたより随分冷静で、熱心にノートを取り理解に努める学生と同じそれをしている。大学教授をしている頃、そういった生徒の相手をするのはそんなに嫌いではなかったということを思い出してソルは僅かに笑んだ。人間だった頃の「いい記憶」を思い出すのは稀だったからだ。
「つまり、素体の生態を引きずるのか」
「三大欲求の中でも食欲は一番残りやすい部類だな。残りの二つは殆どねえよ。一番薄いのが睡眠欲だ。不眠不休で活動出来る。で、残った性欲だが、完全に消えるわけじゃあねえが肉体年齢と比例しない」
気分がよくなって、にやにやと笑いながらあえてカイの顔をまっすぐに見てそんな事を口にしてみせた。目論見通り、カイの顔が真っ赤に茹で上がって口をぱくぱくと開いて慌てふためきはじめる。相変わらず生娘のような反応だ。
騎士団時代に、カイの狂信徒みたいなやつが「カイ様は天使だから排泄も自慰もしない」というようなことを言っているのを通りすがりに聞いたことがあった。前者に関しては「なワケねぇだろ」と思わず胸中で漏らしてしまったものだが、実は後者に関しては、割と事実に近かった。少なくとも当時は。
「せっ……そ、ソル、その話はべつに、」
「新陳代謝の高さだけで言えば、ハイスクールのガキ並にがっついててもおかしくねえはずなんだがな? 綺麗なもんを見りゃ綺麗だと思うような、そういう程度の機能としてしか残ってねえ。ギアは生殖によって種の保存を行えないからな。必要のないものは、衰退する」
「あ、ああ。そうなのか」
しかしあまりからかうのもかわいそうになってきて、すぐに話を真面目な方向へ持っていってやると彼はあからさまにほっとしたような顔をして胸をなで下ろした。
カイの今の性生活に関しては知ったことではないが——十五歳のカイ=キスクは、こと性教育の観点においては生娘を通り越して無知そのものだった。十歳までの記憶がない上に、その後五年間は聖騎士団に箱入りで育てられていた。男所帯ということを考慮してか団に若い女は採用されず、そのせいなのかカイを色目で見る野郎もいなかったわけではないが、それ以上にカイには彼を神聖視する者達の方が圧倒的に多くついていた。
騎士団に入ってくるのは大体成人を迎えた者達ばかりだった上に(素質や能力が一定値を超えないものは入団できなかったためだ)、カイに次いでの若さで入団したレオでさえ思春期にさしかかり、そういったものごとは家庭や地元の学校で既に対処が終わっているのが常だった。だからクリフもうっかりと忘れていたのだ。カイがそれを知らないという可能性について。
「坊や、もう二十二なんだろう? まだそんなうぶい顔してんのか。国連のスケベジジイどもに足下すくわれんなよ」
「ば、馬鹿にするな! そういう、不愉快な視線で見られることへの対処にならば、非情に残念なことに手慣れてきたよ。何しろ私は丸腰でも人を感電死させる程度は容易い『ひとごろし』だからな」
「……チッ、やっぱいんのか。おいカイ、マジでお前を狙ってる阿呆がいるなら俺が特別料金でウェルダンにしてやるぞ」
「間に合っている。心配しなくとも直接の被害が及んだことはないので安心してくれ。それに相手は腐っても要人だ、あんまり不審な焼死体が続くのはよくないだろう? ……だからだな、今驚いたのはそういうわけじゃなくて……お前の口から今、そんなことが出てくると、思っていなくて」
カイの目が泳いで、ちらちらとソルの目を覗き見る。頬の赤みはまだ引いていない。美しく整った顔が林檎のような色に染まって上目遣いに見上げてくる構図にソルは危機感を感じてついと目を逸らした。このエメラルド・ブルーをずっと見ているとおかしくなりそうだ。
「思っていなくて……思い出したんだ。その……昔の、こと、を、」
カイの声は消え入りそうに細い。彼が思い出した昔のことというのが何なのかは火を見るよりも明らかだった。
『ソル、頼む。同期のみんなは、とても自分の口からは言えないとかで、かたくなに教えてくれない。けれどみんなが知っていることなんだ、私もきっと、知らないとまずいのだろう。ベルナルドも口を噤んでしまったし、もうこうなるとお前しか頼れない』
『坊や……何を言われた?』
『『じい』って、なんなんだ?』
『……あんだと?』
人形のような美貌、言うなれば現実離れした容姿を持つ美少年の口からその下世話な単語が飛び出してきた時の衝撃といったら、ソルの短くない人生の中でもかなり上位のそれだった。しかしカイは真剣そのものだし、団に他に任せられる人間も確かにいそうにないしで、ソルはたっぷり十分ほどカイを待たせて唸った末に部屋の戸という戸を全て閉めるに至る。
結論から言って、カイに性教育を施したのはソルだった。
それだけのことだ。
それ以上でも、それ以下でもなく。
「あの時の坊やの顔は、まあ、ケッサクだったな」
「忘れてくれ。頼む。今すぐに。何なら私が消してやりたい。微弱な電気信号をうまく通すことが出来れば、人の記憶を消すことが出来たはずだな」
「やめとけ、言いふらしたりしねえから。まあとにかく、ギアは基本生殖出来ない。コイツに関しては、後天性ギアのマウス同士を使った交配実験により聖戦勃発前に結論が出ていたはずだ。——ギアはプラントでしか増えない。例外がないとは言い切れないが……」
「例外」
「先天性ギア或いはギアの遺伝子を人と異種交配する可能性についてだ。ギア化したマウスはギア化してねえマウスを軒並み殺しちまって結果が出なかった。だがもし、相手を思いやる心のあるギアが人と交わったら? 『あの男』がそう言っていたのを覚えている。が、当時は人を素体にしたギアはいなかった……ギア細胞研究が政府に買い上げられ、使用目的が医療ではなく軍事に転向した段階で人間にギア細胞を付与することが禁止されたからな。例外は俺とあのテスタメントとかいう野郎、そして恐らくは……ジャスティス」
ジャスティスの名を出したあたりで、カイの顔色はすっかり元通りの平静さを取り戻していた。ジャスティスに正義を問われたばかりのカイは、やはりジャスティスの正体とも言うべきか、彼女の素体になったものに疑問を持っていたらしい。ギアの知能は基本的には素体になった生物に比例する。カイもおおよそのところの見当はついていたようだ。人以外が哲学を唱えるようになるケースは稀である。
「後から知ったことだが、人間のギア細胞定着率は極端に低いらしい。テスタメントにギア化処置を施した馬鹿野郎共の研究資料には実はありついていた。それを追っていたところで、今回の第二次聖騎士団選抜武道大会、だ。結果は斜めの方向にビンゴだったわけだが」
「それでおまえ、大会に出ていたのか」
「少なからずギアが噛んでるだろうって目星は付いてた。キッチリとジャスティスをシメられたのは予想外の幸運だった」
「……そうか。それで」
カイがひとりごちた。
何かまだ聞き足りなさそうな顔をしてはいたが、それきり、カイはソルに大会へ出たことやそれまでの足跡などを尋ねようとはしなかった。ソルの正義——ギアを殺す、滅ぼす、ということに関してソルがカイが思っていたよりも多くのことを自発的に教えてくれたせいで(「あの男」がかつてソルにとって数少ない親友であったことを含めて幾つかの情報は意図的に伏せていたにせよ)情報量が凄まじくなっていたのもあったが、その理由の殆どはカイのソルへの「配慮」なのだとソルにもわかっていた。
カイはやはりソルのことを「人間」として扱っている。それも、カイにとって長い間ソルが「人間であったから」というわけではないだろう。カイはちゃんとわかっている。ソルが繰り返し、自らを「化け物だ」と言い含めるように言うことの意味を。
ソルは本当の意味で化け物なのだ。人と同じ姿をしているが、不老不死で、治癒能力は人間の何倍も高くて、あのジャスティスと渡り合えるだけの力を蓄えている。おまけに頭も回るので、絡め手も効きにくい。もしもソルが今ここで人を滅ぼすことに決めてそのために動き出したら、きっとカイでは——いや誰がどれほど集まっても、ソルを無力化するのは難しいだろう。
それでもカイは無意識のうちにソルを人として扱っている。
(でかくなったな、坊や。……テメェは確かに成長した)
もしも聖騎士団にいた頃のカイがそれを知ったら、どうしただろう。ソルは思案した。躊躇いがちに俯き、振り絞るようになにがしかの言葉を吐いた後、十字架を胸に掲げて剣を抜く少年の姿がすぐに浮かび上がってきた。あの頃のカイは今以上にたくさんのものを「じょうずに殺せた」。そうしないと生きていけなかったので、殺す事に慣れ過ぎて、あまりにもたくさんのものごとを殺し、捨ててきていた。
「明日は外へ出るか」
頭を撫でながら声に出した言葉は自分でもびっくりするぐらいに優しく、子供に掛けるそれよりもともすると恋人に掛けるそれに近かった。カイが顔を上げて「一緒に?」と問う。「ああ」と肯定すると、曇っていた表情に薔薇色がさす。
「恋人はいないのか? 坊や」
それでかつて自分が愛して失ったひとのことを思い出し、なんとはなしに、尋ねた。
「なんだ、急に……そういうのは、いない。わからないんだ。誰かを愛するとか、たった一人に身を焦がすだとか。立場上、そろそろ身を固めないかという縁談は山のようにくるのだけれど実感もなくて、失礼だろうと全て断っている」
「坊やらしいな。まあ、そのうちわかる時が来るだろうよ」
「……そういうお前は、いるのか? 私だけ答えさせられるのは何か不公平だ……」
「——、」
『そういうフレデリックは、いないの? 好きな子。私だけ答えるの、不公平じゃない?』
一瞬、唇を尖らせるカイに、在りし日の彼女の面影が重なって見えた。
ソルは慌てて首を振った。カイにも彼女にも無礼きわまりないと思ったし、カイの中に彼女を見ようとしているのか、カイが彼女を思っていたかつての気持ちを揺さぶっているのか、わからなかったからだ。「ソル?」カイが怪訝な顔をして名前を呼んでいる。「ソル、すまない、嫌なら、別に……」
『私? 私はね、×××が、すき』
「いや……坊やは何も、悪くない……」
『——あなたが好き。フレデリック』
「悪いのは俺のけったいな思考回路だ」
カイの頬はまだ薔薇色をしている。それがエメラルドの海と一緒になってソルをじっと捉えている。
彼女の幻とカイの顔とを交互に眺めているうちに、何故だか、ジャスティスの今際の言葉が思い出されてソルは呻いた。『いいや……ソル。また、語り合おう。今度は……三人で……』三人……三人? ソルと、ジャスティスと、……誰と?
(あれに乱されたのは坊やだけじゃねえってか)
ソルは自らの頭を叩いて息を吐いた。目の前には、彼と別れた七年前より、もっと美しくなったカイ=キスクの顔があった。
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