06 電気羊のドリー
イリュリア王都から離れていたレオが大慌てで王城へ引き返して来た頃には、カイは既に彼の寝室に運ばれてすっかり周囲を整えられたあとだった。夫婦で使うためのベッドに今は彼しか横たえられておらず、ひどくがらんとしている。
「それで、容態は」
息せき切って走ってきたレオがぜえはあと呼吸を整えながら尋ねると、パラダイムが首を振った。
「命に別状はない、と言いたいところだが、あくまで今のところの見立てだ。何しろ原因がさっぱりわからん。私だけでは不安だとファウスト医師にも相席をお願いしたが、やはり原因はよくわからないらしい。彼は今、前例がないかどうか国会図書館へ確かめに向かっている」
「カイが倒れてからの正確な経過時間は?」
「うむ、五時間といったところだな。レオ殿がまだイリュリアからそう離れていなかったのは不幸中の幸いか」
パラダイムが深々と溜め息を吐いた。
一見してみると、寝かしつけられているカイは顔色もさほど悪くはなく、穏やかに眠りに就いているだけのようにも思われた。きちんと呼吸をしているし、心臓の音もしている。だがディズィーの証言によれば、突如覚醒したアリアと接触し、急激な痛みに襲われて意識を失い、倒れてしまったのだという。今はまだ五時間しか経っていないが、この先何十時間と目覚めない可能性も視野に入れる必要があるはずだ。
「あの、レオさん……」
ディズィーが伏し目がちに声を掛けるとレオは心得ているとばかりに頷いた。
「ああ、奥方、わかっている。こいつが目を醒ましたらそんな時まで仕事の心配などしているなと言ってやるつもりだが、執政に関してはこちらで滞りなく進むよう手配しておく。元々まとまった休暇をこいつに取らせようと思ってダレルと相談していたからな。そちらはあまり問題ない。しばらくの間はバカンスという体で押し通そう。あまり長引くようなら流石に公表せざるを得なくなるかもしれないが……」
「長引く、というとどのくらいでしょうか」
「まあどれほど多く見積もっても十日が限度だな。国際会議や国家式典なんかは、こいつを理由無く欠席させるわけにもいかん。祝勝会はほぼ毎年サボっていたが、十二月のレジオンドヌール勲章授与式典ともなると、第一連王不在では執り行うことすらままならない」
「そうですか……」
ディズィーがますます顔色を悪くして俯く。隣に控えていたシンが彼女を励まそうと肩を持ったが、カイが目覚めないことにはどうにもならないとわかっているようで、常に明るい彼自身珍しく気落ちした表情を覗かせている。
「そういえば原因になったという女性はどこだ。ソルの姿も見えないようだが……」
「ああ、彼女なら一応カイとは離した方が良いだろうということで別室でこれまた眠っているはずだ。肝心のフレデリックだが……」
「——たった今戻った」
きょろりとあたりを見回したレオにパラダイムが口を開いたのと丁度時を同じくして、寝室の戸が開かれ、ソルの常より低い声が耳についた。
驚いて振り返ったレオの視線の先に現れたのは、ソルだけではなかった。彼の後ろには白いフードを顔が覆い隠れるほどに被った男と、長い赤髪を揺らした女が立っている。一人はもちろんギアメーカー、そしてもう一人は、たった今話題に上ったばかりのアリアだ。「彼女も寝ていたんじゃなかったのか」とレオが漏らせば、ギアメーカーが右手をさっと掲げてその疑問に答える。
「フレデリックと話し合った末に、今一度ジャック・オーの人格を用いて再起動をしたんだ。アリアの人格は今、深いダメージを受けている。しばらくは目覚めそうにもない」
「そ、そうか……いや、というか。ここのところ貴様、ひょいひょいとイリュリアを出入りしすぎじゃないのか? 仮にもギアメーカーなのだろう」
「フレデリックに死んでも来いと言われてしまってはね。彼とはつい先日喧嘩の売り買いを成立させたばかりだったのだが、この問題が解決するまでは休戦するしかなさそうだ」
彼が参ったなあと言いたげな態度で肩を下げると、ソルがフンと鼻を鳴らした。
「錯乱状態のアリアを安全に起こすには、そもそも素体還元ユニットであるジャック・オーを作成したコイツにやらせるしかねえ。それに別口で問いただしたいこともある。インコが個人的に連絡先を交換していやがったおかげでさっさと都合もついたしな」
「……と、まあ、そんなわけだ。レオ殿、ひとまずのところは彼らに任せよう。ジャック・オー殿、それでアリア殿に何が起こったのかはわかるのかね?」
「ごめんなさい、それが全然なの」
尋ねられ、ジャック・オーの口調で彼女が語り始める。どうやら本当にジャスティスと統合する前の仮人格をどこからか持って来たらしい。とはいえあの男のことだ、バックヤードにバックアップコピーでも取っておいたのに違いない。そのあたりの備えはしっかりした男だ。
「私も出来る限りの手は尽くしてみたのだけれど、この身体がシャットダウンされる直前に起きた出来事に関しては、かなり強力な閲覧制限が掛かってしまっているわ。平たく言うと自分で自分の嫌な記憶を閉じ込めてしまっているのね。私は起動するために間に合わせで追加インストールされたゲストユーザーみたいなものだから、ホストであるアリアでないと正確なログの取り出しは出来ないと思うわ。ただ……」
「ただ?」
「彼……カイ=キスクとの接触でエラーが生じてしまったのは、確かみたいね。ねえフレデリック、彼、ちゃんと診てもらった方がいいわよ。飛鳥に診させるの、ちょっと抵抗あるかもしれないけど……」
その時、ジャック・オーが口にした名前にはっとディズィーが反応を見せた。
彼女はおずおずと周りを見渡し、それから唾を飲み込み手を上げて口を開く。
「あの、その『飛鳥』というのは、誰のことなんですか?」
「え? それは……」
「お母さんが、カイさんのことをそう呼んでいたんです。誰かと間違えていたみたいですけれど……それがわかったら、何か解決の糸口になるんじゃないでしょうか」
その言葉に今度はソルやジャック・オーが固まる番だった。
ソルの視線がより剣呑さを増してあの男へ向けられる。しかし彼はディズィーの疑問に答える気はなさそうだ。その様子を伺い見ているジャック・オーもまた、自分の口から答えを言っていいものか、思案しあぐねている様子である。ソルの眼差しがあまりにも鋭く怒りにも似た色を持ってあの男を射貫いていることに、戸惑いを隠し切れていない。
一方でパラダイムやレオはまるで心当たりがなく、「誰だそれは。発音からしてジャパニーズか?」などと首を捻っていた。そんな一触即発の状態のなか、シンだけが、きょろきょろとあたりを困ったように見回している。
それからたっぷり二十秒間をシンは待った。そして誰も母親の問いに答える気がなさそうだと判断すると、彼は恐る恐るディズィーに耳打ちをする。
「あの、母さん、オレそいつのこと知ってる。オヤジがこの前言ってたのを聞いたんだ。『飛鳥=R=クロイツ』……たぶん、あそこにいるフードのヤツのことだと思うぜ……」
シンは努めて小さな声で母だけに告げたつもりだったが、地声がよく通るうえに大きかったせいでその言葉は部屋中の全員に知れ渡り、数秒後、パラダイムとレオが素っ頓狂な声を上げた。
「ええと……それじゃ整理すると、彼はアリアとの接触で何らかの痛みを覚え、そのアリアは、彼を飛鳥と間違えて名前を呼んでいたのね。でもおかしいわね……アリアが知ってる頃の飛鳥って、彼とはあんまり似てないのよ。髪の毛の色も違うし、似てるのは目の色ぐらいじゃない? それにしたってまったく一緒というわけでもないし……」
「それなんですけど、途中でどうも違う人らしいってことには、気がついたみたいです。その後、うわごとみたいに呟きはじめて。単語しか聞き取れなかったんですけど、ギア・プロジェクトとか、TP感染症? とか、あとフレデリックさんや飛鳥さんの名前を言っていたのはわかりました」
ディズィーの説明にジャック・オーが顔をしかめる。彼女が発した単語自体は、別段、特筆すべき内容に触れたものではない。
唸り始めてしまったジャック・オーに対し、真っ先に反復確認を求めたのはパラダイムだった。
「む? では彼女は、はじめは誤認していたものの、自力でカイがギアメーカーと別人であるという結論に至ったのか。ディズィー殿、その理由はわかるかね」
「ええと、確か、目の色が違うって……」
「え、でもそんなに変わらないわよ。飛鳥より彼の方が少し青みがかっているぐらい。西洋人によくある普通の色だわ。髪型も色も全然違うのに気付かないような状態ではっきりわかるような違いかしら。それこそ赤と青ぐらい正反対の違いじゃなきゃ……」
「それは……私にはわかりません。でもそのあと、続けてこうも言っていました。カイさんがその飛鳥さんという方と別人なのなら、どうして『同じ配列』なのか、って。そうしたら急に苦しみはじめて……」
「配列」という単語に、ソルとジャック・オーがわかりやすく反応を示した。遅れてパラダイムもむうと唸る。
「ジャック・オー。アリアがその身体で器具等の補助を使わずに読み取れるもののうち、固有配列を有しているものはなんだい?」
同じくぴんときているらしいあの男が尋ねた。
「ううんと、生体法紋……はスキャニングを掛けないと難しいわね。この身体、元はジャスティスに改造されていたとはいえ、今は不滅の存在に近いだけで、人間と大差ないもの。司令塔機能は知識共有システムとしてギア細胞とは別に組み込まれたものだったからまだかろうじて残っているけれど、それも、現在もってギアであり娘である彼女の方が今は強いかもしれないわ。あとは何か特別なものといえばユノの天秤だけど……」
「——ユノの天秤が一時的に限界まで活性化した場合は?」
指折り数えて考え込むジャック・オーの台詞をソルの声が遮る。彼女は一層首を傾げ、それから少し困ったような顔をして返答した。
「……フレデリック、あなた、遺伝配列の読み取りを疑っているのね。でも、どうして? 飛鳥と彼の間にそんな相関関係があると思う? 飛鳥は、フレデリック、あなたと違って子孫を残したりはしていないわ。もう親類縁者だって一人もいないのよ」
「どうだか怪しいもんだな。まあいい。……ところで、テメェはカイの両親について何か知っているか?」
「え? 知らないわよ」
唐突な質問にジャック・オーが戸惑いを見せる。ソルはやれやれだぜ、とばかりに首を振ってじっとりとした眼差しであの男を見遣った。
「知っているやつもいると思うが、カイは天涯孤独だ。更に生まれてから十歳で聖騎士団に拾われるまでの記憶が一切ない。カイの人生は、聖騎士団の、医務室のベッドの上から始まっている。これはこの前カイに聞いたことだ。間違いない」
「なんだと? いや孤児なのは知っているが、人生そのものが医務室のベッドから始まっているというのは……」
「ああ、到底まともな話じゃねえな。直前にギアの襲撃を受けているから、そのショックから身を守るために忘れてしまったとも考えられるが、クリフの爺さんが生前に行った調査ではカイが拾われた南フランスには親族と思しき存在はいなかったとかいう話だ。爺さんはこの件に関して、聖皇庁や元老院の隠匿を受けていたのではないかという見方をしていたようだが」
「……いや、それはない。元老院……その唯一の生き残りであるクロノスとは先の聖皇アリエルスとの戦いに際していくらかの話を持ったが、カイ=キスクのことは偶発的な存在だと判断していた。慈悲なき啓示にしたって、彼に干渉していたそぶりは……」
「そりゃあ、そうだろうな……」
口を挟んできたあの男の声を忌々しげな言葉でソルが遮る。それからソルはひどく憎々しげな顔をして、急激に手を伸ばし、あの男の胸ぐらを掴み上げた。
あの男はされるがままにしており、突然のことに抵抗を見せない。それが一層ソルの疑心を深めたのか、彼は大きく舌打ちをする。
「いい加減しらばっくれるのはやめろ。アリアがテメェとカイの『配列が同じ』だと考えたことで俺はこの最悪の予想を確信に変えざるを得なくなった。おい、『ギアメーカー』。テメェは自分のクローンを造りやがったな。そして……こともあろうか……それを俺の前に落っことしやがった……!!」
ソルが叫んだ。
その叫びはまるで雄叫びのようだった。深くやり場のない悲しみと怒りをたたえた絶叫だ。痛ましいまでのその感情にその場の誰もが表情を歪めている中、唯一、真正面から罵られたギアメーカーだけが理解出来ないといったふうにソルを見上げている。
◇◆◇◆◇
——クローン?
それもこの、僕の?
「フレデリック……? それは一体、どういう……」
「どういう意味だと聞きてえのはこっちの方だ。テメェ、俺とアリアをギアに改造したばかりでは飽きたらず、一体どういう了見であいつを造りやがった。どんな太ぇ神経していたら、んな馬鹿な真似が出来る? 到底理解が出来ねえな。したいとも思わないが」
「いや、だから、どういうことなんだ。僕は自分のクローンを造った覚えなんか一度もないのに」
ソルの手にぶらさげられたままのギアメーカーの脳内をぐるぐると巡っているのは、一つの疑問だった。確かに……彼と自分の生体法紋が奇妙に似通っていると感じたことは過去にある。けれど自分に覚えがないから、おかしいなと考えたのだ。もしソルの言うようにギアメーカーが自分の意思でクローン体を作成していたのなら、生体法紋など似通っていて当然ではないか。
「本当に僕は知らないんだ。その様子では君に信じてくれと言っても無駄かもしれないが、僕が彼について知っているのは表面的なプロフィールと、生体法紋が若干似ている気がするというぐらいで」
「テメェからボロを出してるようじゃ世話ねえな。生体法紋が似てるだあ? あんなもん、近親者でもねえ限り似ないぞ」
「いや、だから、おかしいなと……」
ギアメーカーがしどろもどろに言う。それに聞く耳持たぬといった調子で更に締め上げようとしはじめたソルを見かね、ジャック・オーが横から口を挟んだ。
「ちょっとフレデリック、少しは彼の話も聞いてあげて。大体、アリアはまだ錯乱状態だったのよ。少なくとも思い込みではなくきちんとした物的証拠を揃えて比較し、その上で公明正大に判断すべきだわ。今の状態は全てあなたの独断よ。私、何かおかしなことを言っているかしら」
「う……うむ。フレデリック、あまり早まるな。私にはその話、些か飛躍しすぎているように思うぞ。確かに君がカイのルーツを探っているという話は聞いていたが、それにしたって何故そんなふうに……」
「簡単な話だ。顔が似てる」
「は、はあ……? オヤジ、それホントかよ……?」
そんなこと言ったらオレだってカイと顔が似てるってよく言われるぜ、と若干的外れなことを口にしたシンにソルは呆れたように息を吐いたが、それで毒気を抜かれてしまったのか、ようやくあの男から手を離した。
「本当も何も、コイツの素顔はこの前テメェも見たろうが、シン」
「や、確かに見たけど、金髪碧眼のやつなんて世界中に腐るほどいるだろ。それがスッゲェ変わった色の髪とか目ならともかくさ……」
「……ああ、そうか。ならこう言い換えた方が早いな。若い頃のカイと似てるんだよ」
テメェならわかるんじゃねえか、と顎をしゃくってレオを指し、ソルがあの男のフードを勝手に捲り上げる。突然指名されたレオは若干困惑した様子を見せたが、現れたギアメーカーの素顔に、すぐに驚愕に顔色を変えた。
「これは……」
「あるだろう、見覚えが」
「まあ、確かに……。十五歳ぐらいか? あの頃のカイはこんな顔をしていたような気もするが。いやしかしそれにしたって、クローンなんていうのは流石に突拍子がないんじゃないか? 旧文明の技術だろう。詳しいことは知らないが、今の技術じゃ難しいとクリフ様が昔……あ」
「そうだ。コイツは旧時代から何らかの手法で生き長らえ、旧文明と現代文明を融和させたシステムを独自に構築している。その上バックヤードにも精通しているんだ、出来ない理由はねえな」
ソルの追求にそれ以上言い返すことが出来なくなり、レオが口を噤んで唸り出してしまう。
そんな鬼の首でも取ったような顔をしているソルに次に反論したのは、疑惑を掛けられているあの男自身だった。
「いや、でも本当に心当たりがないんだ。そもそもフレデリック、僕が自分のクローンを造るメリットって一体何なんだ? バックアップ作業中の仮ボディは確かに造ったけど、利便性重視でもっと長身にしていたし、バックヤードの外には出せない不完全品だ。あまり僕には似せていないし。それに助手だってレイヴン一人で充分間に合ってる。そもそも……仮に造ったとして、あんな場所に配置する理由が知れない」
「ギアメーカー、あんな場所とはどういうことだね」
「聖戦の最中にある聖騎士団に拾われるように仕向ける理由がない、と言っているんだ。大体僕のクローンを造ったからって優秀になると決まっていたわけでもない。聖戦を終結させるための抑止力については確かに色々模索をしていたが、あんまり芳しくはなかった。イノが言ってたけど、彼女が一度書き換えて破棄された確率事象なんかでは、僕がギア側に捕らえられて大分間の抜けたことになっていたらしいってぐらいに……」
「そ、そんな事象分岐があったのか……。あー、ええと、ではクローンを造れる可能性自体は否定しないんだな、ギアメーカー?」
あの男が頷く。
「それはね。たとえば、ドクター、君が造ったギア細胞技術を応用したホムンクルス達ぐらいなら造作もない。何しろギア細胞について誰よりも詳しいのは僕だ。でもね……カイ=キスク、彼はギアではないのだろう? 少なくとも生まれついてのそれではないはずだ」
そうだろう、フレデリック。確かめるように問うと、ソルもそれにはすぐに頷いた。
「今更僕のような存在が禁忌を騙るのはおこがましいかもしれないが、バックヤードの知識を用い、人間の発生をコントロールすることは本来やってはならないことだ。フレデリック、君は、キューブを僕がバックヤード内に設置していたのを見たね。あれは啓示がバックヤードから直接理を書き換え、新人類を手っ取り早く創造しようとするのを阻むためだった。『人は、人を創ってはならない』。そんなことをすればいずれ人は人でなくなってしまうよ。ジャック・オーを造ったのは、元々存在した『アリア』という人間の復元のためであり、新しい人間を創り出すのが目的じゃない。
それに……君たちは先ほど旧時代の技術を話にあげたが、旧機械文明時代のクローン技術は未だ発展途上で、言い換えれば中途半端だった。特に人のコピーはタヴー視されていた分研究も進んでいなくて、とてもじゃないが自然生殖で生まれた人間と同じように成長する個体は造れなかった。寿命が極端に短かったり、奇形児ばかり生まれてしまったりしてね。法力学を応用すればヴァレンタインやギアベースのホムンクルスは比較的容易に作成可能だが、それは体質的には、年齢通りに成長する肉体をもつ人間には出来ない。人並みに老いる——人の社会に溶け込むために——生命を人造するのはその実、非常に困難だ。何しろバックヤードにはありとあらゆる事象の可能性が保管されているけれど、その可能性が膨大すぎて、バックヤード自身の淘汰機能に手を加えるのは現実的ではないんだ。ヴァレンタインが『アリアの要素を継承する』という点以外は妥協して調整されているのもそのため。それ以上の介入を行うと時間が掛かりすぎる。だから慈悲なき啓示でさえ、無駄な手間を省くために、自分の肉体はバックヤードから創出せず元々存在していた人間の肉体を乗り換えて使っていた。……一応体外受精技術なら、まあ、実用段階まではいっていたけれど……」
「なるほど。じゃあカイは父親によくよく似たテメェの息子ってことか? 最悪だぜ……」
「だから、人の話を聞いてくれ、頼むから……」
第一それじゃ、母親は誰になるというのだ。
そうまで言っても頑なに態度を変えないソルにいよいよ根負けしてしまいそうになり、あの男はぐったりと項垂れた。覚えのない息子を持たされかけていることに、自分でも思ってみなかったほどダメージを受けているのだった。
「それに……この姿を見れば分かって貰えると思うけど、僕自身ここ二百年あまりで様々な部分が変化してしまっている。単に肉体に逆行処理を掛けているだけじゃなく。ほら、昔はこの羽根とか、この耳とか、なかっただろ……」
かろうじて絞り出すように抗議すると、そこでようやくソルが小さく唸る。この男が、イメージチェンジ程度では片付けられないほど容姿を変えてしまっているのは事実だ。昔の彼は地毛の白髪だった。それに髪の毛だけなら染めた可能性があるが、耳やら羽根やらとなるとファッションで説明を付けるわけにもいかない。
「彼に親しみというか、僕と似た部分があると感じたことは確かにあった。フレデリックが聖騎士団に入った頃、少しね。ただ引っ掛かっていることがある。その時、なんでだかなくしてしまった十字架のことを思い出して…………ん?」
「あー、とにかく、ギアメーカーとカイのDNAを採取して比較してみるのが先決だろう。話の続きはそれからだ、フレデリック。それに……例え二人の遺伝子配列が本当に近似していても、どうにも私には彼がカイを造ったとは思えん。私達が過去に信じていた極悪人ならともかく、実態がこうともなるとな」
あの男が急に何かを思いつき、口を閉ざしてしまったのでその先をパラダイムが引き継ぐ。DNAを鑑定するにもある程度の時間と設備が必要なので、場を諫める必要があったのだ。
そんなパラダイムの横を素通りして、何かに気がついた様子のあの男は足早にカイが寝かせられているベッドの方へ向かった。そのまま彼の胸元に手を伸ばす。ごそごそと探るようにし、再び手を取りだした時、その中には鎖に繋がれた十字架が握られていた。
あの男の顔色がわかりやすく曇る。
「これは……まさか」
「どうしたの?」
「この、彼が身につけている十字架は、どこから手に入れたものなのか、誰か聞いたことはあるかい?」
問いかけるあの男の声は、誰の耳にもはっきりと震えて聞こえた。彼がこんなに動揺した声を出すのは、側近として動いていたジャック・オーにとってさえ初めてのことだ。心配になって彼女が駆け寄って覗き込んで見れば、あろうことか冷や汗が浮かび上がっているではないか。
「ああ。それなら確か、十歳で保護された時に唯一持っていた所持品だとカイから聞いたことがあるぞ。……それがどうかしたのか」
レオの簡潔な答えを聞き、あの男は更に顔色を青ざめさせた。アリアの記憶の方を探ってみても、こんな酷い顔は修士論文提出間際に致命的なミスが見つかり、放心しかけていた時まで遡らなければ見つからない。
「この十字架は……見間違いでなければ、僕がかつて師に譲ったものと同じ形をしているんだ」
あの男が震えた声のまま告白した。
どうか見間違いであってくれ、と彼が思っているであろうことは誰の目にも明白だった。