09 誰がコマドリを創ったか

「それで、つまり、どういうことなんだ?」
 両腕を組み、深々と溜め息を吐いてレオが問う。迷走していく事態に、レオは今ひとつ理解が追いつかずにいた。カイがギアメーカーに似ているだのなんだの、果てはクローンだ、人工授精だ、などと。とてもじゃないが正気の沙汰で行われている会話だとは思えない。
「なるべく簡潔に頼むぞ。この件に関して、俺はあまり複雑に考える脳の容量を残していない」
「オレもある程度噛み砕いて言って貰えないと全然わかんねえよ。大体カイの十字架がどうしたっていうんだよ? 単にそれ、オレとおそろいなだけだろ?」
 顔の後ろに両腕を回して、シンが不可思議そうな声を出す。問いかけられたあの男は、シンの胸元を見るや否やさっとシンの元へ寄ってきて、急にまじまじとそこに下げられた十字架を見つめた。
「な……なんだよ」
「いや、ちょっと確かめたくて……。本当だ。親子で同じ十字架を下げているのか。ではこれは、どこかしらで流通していたものだったりするのかな」
「いいえ、多分、そうじゃないと思います。シンが生まれた時にその十字架をお守りに、ってカイさんが自分のものを継承させていたんです。でも自分も使い慣れた十字架がいいからって、わざわざ鍛冶屋さんに持ち込んで、同じデザインのものを複製してもらっていたので」
「なるほど……」
 顎に手を添えてあの男が深々と頷く。それからひとしきり唸り、彼は観念したようにソルの方へ向き直った。
「フレデリック、今の話を総合すると、彼の下げている十字架がオリジナルということで間違いないんだね」
「あ? ああ、そうだな。シンが生まれるまでの十四年間、カイが肌身離さず持ち歩いていたものだ。どうでもいいが戦場で死んだ人間への祈祷に使われ続けていたから、恐らく滅茶苦茶な量の念が溜まっているぞ」
「ああ、では情報バイパスが尋常じゃない規模になってその中に形成されているのはそのためか。僕が手放した時より随分情報密度が高くなっていると思ったら、そういうことだったんだな……」
「なんだ、それじゃあの十字架はマジに元々テメェの物だったってことなのか?」
「それを今から確かめるんだ」
 あの男の声音は緊張を孕んでおり、ソルに振り向きもせず短くそう答えるのみだった。
 シンが首から外したそれを受け取り、なにがしかの詠唱を唱えながらあの男が十字架に指で触れる。すると、十字架は淡い光に包まれて宙へと浮かび上がるり、やがて十字架から小さな光たちが無数の奔流になって流れはじめる。
「……すごいな」
 その光景にあの男が息を呑んだ。
「この光ひとつひとつ、その全てが、カイ=キスク、彼がこの中に奉じた祈りだ。いかな敬虔な教徒といえど、これだけのエネルギーが蓄積されるまで一つの対象にこれほど強い祈りを繰り返すことは珍しい。しかもそのどれもがまっすぐな気の流れによって籠められている。ただひとつの曇りも邪念もなく、この世全てに生きる人間の幸福が願われ、また、守りきれずに死なせてしまった命への哀悼で満ちている。……はっきり言って狂気のレベルだ。まるで聖戦で死んでしまった命全てを自分の責であると感じているみたいな……」
「そうだな。聖戦が行われた百年で死んだ四十億人の命に責を求めるなら、そいつはテメェにかかるはずだ、ギアメーカー」
「…………。ともかく、これほどまでに強力な意思を持つ存在が、ごくふつうの人間として生まれて今日まで育ってきたことが不思議なくらいだ。この強固さはむしろ啓示のそれに匹敵する」
 プログラムに似ているよ、とあの男がぼやくと、ソルが鋭く彼を睨み付けた。
「んなこた、今はどうでもいいだろが。それより……」
「ああ、わかっているよ、フレデリック。これらのログを辿った先に、もし以前の持ち主の痕跡が残っていれば………」
 あの男の指先の動きに従っていっそうの光が放出される。それがぶわりと部屋中に拡散し、ぞろぞろと浮かび上がって空間を埋め尽くす勢いになりかけると、ようやく奔流が動きを止める。
 光を放出しきった十字架をそっと両手で掴み取り、あの男が小さく息を吐いた。落胆とも安堵とも取れぬその溜め息は、諦観の念を含み、少しばかり頼りない。
「あった。間違いない。この十字架は昔僕が使っていたものだ」
 ぐったりとした声音で彼が告げた。
「だが誓って言おう、僕は彼を造ってなんかいない。自然発生にしては、えらく数値の高い人間が生まれたんだな、なんて話を聖戦の頃にしていたぐらいだ。レイヴンに聞けばそう証言してくれるはずだよ」
 それを聞いたソルはぞっとしない顔であの男を睨み付ける。そのまま彼の胸ぐらを掴みあげそうになったところを、寸でのところで後ろからレオとシンとに取り押さえられ、苛立ちも露わに舌打ちを鳴らす。
「テメェの腰巾着に肯定されたところで、何の証拠にもなりゃしねえな。それとも、なんだ。テメェじゃないなら一体誰がカイを造ったのか……心当たりがあるのか、ああ?!」
「……さっきも言ったかな。この十字架は、昔僕の師に譲渡したものなんだ。フレデリック、君と僕が見解の相違から道を違えてしまった時に、神様なんかいないから必要ないと思って……。丁度君を改造した頃だったから、二〇一六年のことだ。今から百七十一年前。正直、その間にこの十字架がどこを転々としていたのかには確証を持てない。けれどもし、僕の師がずっとこれを持っていたとするのなら……」
 あの男はただただ申し訳なさそうにまなじりを下げ、ソルの行き場を失った拳を手のひらで握りしめた。
 その時、何故ソルと道を違えることが神の不在に繋がるんだ? とその場の何人かは首を捻ったが、口には出さず、事の成り行きを見守る。藪を突くのが怖かったし、そんなことを尋ねている場合でもない。
 一方で勝手に神の不在証明の拠り所にされてしまっていたらしいソルはまるでそれを気に留めたふうもなく、「師匠だと?」と剣呑な口調で繰り返す。
「そいつは確か、あの啓示についての話をした時に出てきた……」
「……うん。《オリジナル・マン》。歴史には第一の男と記される、人類史上はじめてバックヤードに接触した慈悲なき啓示の『父』」
 かつて人類の永久に続く幸福を願い、情報生命体とふたつの種を生み出したギアメーカーを超える大罪人。
 慈悲なき啓示、絶対確定世界到来のキーとなる「背徳の炎」及び「ユノの天秤」、そしてそれらをヒントに生まれたギア細胞、ある意味現世界の抱えるあらゆる病と原罪を生み出したその張本人。
「もしも本当にカイ=キスクが人の手により生み出された生命だとするのならば、そんな芸当が出来るのはあの人しかいないよ」
 あの男は悲しそうな顔を隠しもせず、そう、言い切った。


◇◆◇◆◇
 

「なあ、隣、いいか?」
 星が綺麗な夜だった。王城のテラスへ出てぼんやりと星を見ていたあの男を見つけ、寄ってきたのはシン。ソルやディズィーはカイにつきっきりだし、レオはカイの分の政務を引き受けるため玉座の間へ向かってしまい、パラダイムとジャック・オーは難しい話をし続けている。手持ちぶさたになってしまったシンは、父親を養父と母に任せることにして、外の空気を吸いに来たのだ。このテラスは父であるカイの部屋の中で、シンが最も気に入っている場所のひとつだった。
 あの気まずい遣り取りの後、パラダイムの主導でとりあえず二人のDNAを採取することになり、今は解析にかけてその結果を待っている最中である。綿密に調査をしたいということでやや丁寧に作業を行っており、もう幾らか時間がかかるため、あの男は夜風を浴びに来ていた。頭を冷やして状況を整理しつつ、フレデリックに気を遣って彼の前から姿を消すためである。
「君は……確か」
 思いがけない来客にきょとんとして尋ねるとシンが満面の笑みを見せた。
「オレはシン。オヤジの……」
「お弟子様、兼、孫……だろう? うん、知ってる。どうしたんだい?」
 彼が首を傾げるのに合わせて、頭上に生えている真っ赤な耳がぴょこりと揺れた。
 既に隠す必要がなくなったからなのか、あの男はフードを下げっぱなしにしており、両脇から生えた耳とは別にくっついているけもの耳も剥き出しになって晒されている。それが夜風に吹かれて震えているのを見ていると、なんとなく、以前ヴァレンタインとの戦いで出会ったイズナのサディスティックな耳を思い出して懐かしい気持ちになる。
 それでシンは、不思議と彼に対する親近感を覚え、へへ、と鼻をこすった。
「そ。よく知ってんのな。あ……でもオヤジにソレ言うと、すっげえ嫌がられるから、内緒なんだぜ。なんか、カイとギリの親子っていうのが嫌なんだって。母さんが娘ってのも、今更ちょっと父親面も出来なくて気恥ずかしい……とか言ってたけど」
「そうか。彼は今のフレデリック……いや、ソル=バッドガイという男にとって、特に大切な友人だものね。それは確かに……うん、気まずいかも」
「そういうもんなのかな。オレなんかは、今更そんなぐらいじゃ、オヤジとカイの関係とか仲っていうのは変わんないように思うんだけどさ。……なあ。それより、あんたの顔が昔のカイに似てるって、それ本当なのか?」
 シンがまじまじと顔を覗き込んできてそう尋ねたが、あの男はそれに頷くことが出来ず、うーん、と顎に手を添えて唸る。
「フレデリックはそう言うけどね。僕自身は、別にうりふたつっていうほどではないように思うんだよ。……ええと。誰か彼の少年の頃の写真とか、持ってないのかい? それと僕の顔を直に比べて見た方が多分早いんじゃないかな」
 父親の若い頃の写真を集めたアルバムなんかを知らないか、と問うとシンはぷるぷる首を振る。カイは、あまり自分の写真を収集して展示しておくタイプではないのだという。カイの妻であるディズィーは夫と子の写真を撮りためているとのことだが、それもここ数年のものに限られてしまう。
「えーっと、だからカイが子供の頃の写真を持ってそうな奴は…………オヤジかなあ。やっぱ。それかレオのおっさん。でもレオのおっさんは仕事中だし、じゃ、オヤジに聞くか。あんたも一緒に中入ってくれよ」
「え……でも、フレデリックは今あんまり僕の顔を見たくないんじゃないかと……」
「そうか? だってあんたも、オヤジの友達なんだろ? なら、友達の顔を心の底から見てたくないことなんてないと思うぜ。けどオヤジだって人間だ、多分今はちょっと頭んなかがぐるぐるしちゃってるんだ。そんだけ。……それにオレ、あんたが嘘吐いてるようには、思えないんだよな。本当に悪い奴って、そんな悲しそうな顔しながら師匠の話をしたり、友達に気を遣って外に出てたりなんかしねえよ。もっと堂々と、自分に非なんかねえって顔で、押しつけてくる。……エルとラムの母親みたいにさ……」
 室内へ向けて振り返ろうとしていたシンの足がそこで不意に止まった。ラムレザルを殺そうとして、それを悪びれもしなかったあの「お母さん」のことがシンは今も心のどこかで引っ掛かっている。シンの母親であるディズィーとはまるで違う考え方で出来ていたあの女は、それでもエルフェルトとラムレザルにとっては世界にたった一人しかいない母親だったのだ。
 それなのに娘を道具のように使い捨て、思い通りにならないと子供のように喚き、挙げ句やりたいだけやったあとはソルに娘達を頼む、などと託してあっさり死んでしまった。そんな彼女が何を考えていたのか、シンにはどれだけ考えてもわかりそうにない。
「……なあ。もしホントにあんたの師匠が勝手にあんたを元にしてカイを造ったとして、ソイツはどうして、そんなこと、したんだろうな」
 不意に、立ち止まったままぼそりと問うたシンにあの男は難しい顔をして首を振った。
「それがわかったら、こんなふうに皆で悩んでいないだろうね」
「うーん。そんじゃ、聞き方を変えるな。なんで……あんたを、『飛鳥=R=クロイツ』っていう、自分の弟子を元にしたんだ?」
「え?」
 しかしその直後、続けて投げかけられたシンの問いに、あの男は言葉を失ってしまう。
 それは画期的な問いかけだった。第一の男は何故、飛鳥=R=クロイツを複製せねばならなかったのか。確かにそれは尤もな疑問だ。ただ、あまりにもごく当然の疑問すぎて誰もそこに思い当たらなかった。飛鳥を複製しなければいけない理由など、普通に考えればどこにもないのだ。メリットがまったく思い浮かばない。
 けれど、もしカイが飛鳥の遺伝子から形作られていたならば……恐らくこの状況まで追い込まれてしまえば、そうでない確率はごく低いだろう……それを選んだことには、必ず理由があるはずである。
 たとえばくじ引きをした結果そうなったとか。
 或いはたまたま一番はじめに思い浮かんだ人物がそうであったのだとか。
 それがどんなにくだらなかったとしても理由は存在する。理由なしに行為は為し得ない。
「だってさ、コピー元は何もあんたじゃなくたって、良かったかもしれないだろ。そいつが教えてた他の弟子とか……そもそも、存在しないところからはじめてゼロからの構築にしたって良かったはずだ。オレの言ってること、なんか間違ってるかな。
 ……エルとかラム、ヴァレンタインのやつらは、アリアおばあちゃんがジャスティスだったから、参照元にそこを選ぶしかなかったって前にオヤジが言ってたんだ。ジャスティスをうまく利用するためにアリアおばあちゃんに出来るだけ近づけなきゃいけなかった。でもさ……カイは、あんたに近づけなきゃならなかったのか? オレにはそれがわからない。理由が読めないから、第一の男っていうのは、すげー不気味に感じる。話しても、通じ合えなさそうっていうか。そういうとこが慈悲なき啓示に似てるんだ。まあ、慈悲なき啓示を造ったのもソイツなんだから、当たり前のことなのかもしれねえけど」
 一息にそこまで言い切って、シンは大きく息を吸い込む。ずっと気になっていたことを当事者にやっとぶつける事が出来て、それでようやくちょっとだけすっきりして、シンは空を見上げた。星は相変わらず美しく瞬いている。初めて両親と見上げた夜空、旅先でソルと見上げた夜空、そしてラムレザルに見せたあの夜空、そのどれとも変わりなく、神様が作ったからそうであるのだと言うように……。
 星が綺麗である理由が神様が創ったからだとするのならば、カイが飛鳥に似ている理由は、やはり、誰かがそうであれと創ったから以外には、ないはずなのだ。けれど星に自分が美しく創られた理由がわからないように、カイも飛鳥も、それを知りはしないのかもしれない。
 思った通り、あの男は茫然自失として、シンの言ったことを口の中で反芻するばかりだった。
「それは……確かに、そうだ……。なんてことだ、僕たちはそんな当然の出発点を見落としてしまっていたのか」
「その様子じゃ、やっぱりアンタでもわかんないみたいだな。はあーあ。なんていうか、オトナって身勝手だよ、本当。そんなことやっといて、いや、まだやったかどうか決まったわけじゃねえけど、そいつ、もうずっと姿も現さねえんだろ? 啓示だって勝手に造って暴走させて、それで弟子任せの知らんぷりかよ。オレ、多分だけどソイツのこと好きになれないな。主義が合わない、ってヤツだ。カイもきっと同じこと言うぜ。最近アイツ、なんか吹っ切れてるし」
 だってこの前ぶっ飛ばすとか言ったんだぜ、あの言葉遣いにうるさいカイが。そう父親について話す時のシンの口ぶりは、第一の男に文句を付けていた時から一転してとても明るく、嬉しそうな声だった。


 ルームランプに照らされたカイは、先ほどと変わらぬ穏やかな寝顔を見せている。カイがこんなに無防備にすやすやと寝込んでいるのは珍しい。たとえばソルとふたりでソファに寝落ちていた時とか、或いはディズィーの膝に頭を載せて寝息を立てていた時、そういう時ぐらいにしかお目にかかれない。
 こんな時じゃなきゃ、ちょっと面白くなって、ほっぺたとか突っついてみるのにな。普段は寝顔を見守られる側であるシンは、ぼりぼりと頭を掻いてその思いを胸の内にしまう。
「聖騎士団時代のカイはいわゆるアイドルだったからな。その手のコレクターの方がおそらくもっといい写真をいくらも持ってるぞ」
 部屋に戻ってきた後、事情を説明してカイの写真を持っていないかどうかを尋ねると、ソルは意外にも深く突っ込んでくることなくすぐさま懐や手荷物の中身を漁り始めた。そして唐突にそんな突拍子もないことを言う。アイドル。アイドルっていうと、あの、テレビとかラジオで特集を組まれている歌手のグループとかのことか。
「アイドルぅ? カイが?」
 なんだか全然信じられなくて、胡散臭いものを見る目で訊き返してもソルは平然としていた。
「歌って踊る代わりにギアを斬って斬ってぶっ殺すタイプのな。まあ、人間誰しも若くて美しい存在を悪くは思わねえ。ソイツが戦争の前線に立って化け物共をぶち殺し、聖騎士団団長なんていうわかりやすいシンボルとして矢面にさえ立つとなりゃ尚更だ。おまけに美少年ともくれば、青物屋のおばちゃんは林檎を余分にオマケし、魚屋のじいさんは何故か鮮魚を買いにきたのに佃煮まで持たせ、カフェテリアでランチをとれば頼んでもいないデザートがついてくる。まあこれは聖戦終結後の話だが……あったぞ、ほら、これだ」
 よくわからないが妙にリアリティのあるたとえ話を三つほど羅列し終わる頃、ソルの私物の中からやや古っぽい写真が何枚か出てくる。それをひったくるように受け取って、シンとあの男は光沢紙の向こうに閉じ込められた過去の少年をまじまじと見た。
 一枚目はケーキを食べながら隣にいる誰かに話し掛けているカイ。口のそばにクリームが付いているのを、話し相手のものらしき手袋に覆われた指先が拭っている。
 二枚目は、なにがしかの演説をしているらしきカイ。一枚目はラフなインナー姿だったものが、今度はきっちりと制服を着込んで、ステンドグラスをバックに大きく口を開いている。手前には振り上げられた無数の拳。どうやら戦地へ向かう前の鼓舞をしている場面のようだ。
 三枚目は、聖堂で膝を突いて十字架を手に祈りを捧げているカイ。写真越しでも、しんとした空気が張り詰めているのが伝わってくるそんな一枚だ。彼の手に握られているのは、確かに、先頃散々話題に上ったあの十字架だった。ではこれは、遠征から帰還した後とかのものか。
 四枚目は……。
「……オヤジ、なんでこんな写真持ってんの?」
「フレデリック、このクリーム取ってあげてるの、もしかして君が?」
 そのあたりでどうしても気になって仕方なくなり、シンとあの男が同時にソルの方を振り返って尋ねた。
「なんかオレ、集合写真とか出てくるのかと思ってたのに……カイしか写ってねえじゃん」
「俺は写真には写らない主義だ」
「ええ、それじゃ家族写真とか撮れなくね?」
「そんなことはどうでもいいだろうが。家族写真が欲しければ親子三人で勝手に撮れ」
 ぶっきらぼうに切り捨てると、シンが露骨に不満気な顔をする。しかしそれに取り合わ素振りを見せないソルに対し、今度はあの男がちょいちょいと手招きをした。
「それでフレデリック、この指先と話し相手だけど」
「うるせえな、俺だ、何か不都合でもあんのか?」
「いや、別に。確かにこれは、義理の親子なんて言われても困るわけだ……」
「それ以上は命が惜しければ黙ってろ。で、結論は出たのか」
「あ……うん。まあ似てるっちゃ似てるかもなー、ぐらいだな、オレが思うに」
 鬼気迫るソルの勢いに押されて、写真をぱらぱら捲りながらシンが答える。しかしどうにも腑に落ちないらしく、彼の声音は右肩下がりだった。
「オレとカイぐらいじゃん、別に。クローンなんて言うからさ、なんかこうもっとスッゲェクリソツ! みたいな感じかと思ったのに」
「完全に同じ遺伝子配列を用いたクローン体でも育成環境が違えば内面はもとより外見にも差異が生じる。テキサスA&M大学の研究チームが行った実験では、でぶの三毛猫をクローニングしたところ、細っこい白と灰の縞猫になっちまった。二〇〇三年の話だ。人間にも同じことは十分言える」
「だがフレデリック、その理屈で言っても、以前確かめた僕と彼との生体法紋における相似性はいいとこ親子どまりだ。それにしては母親側の遺伝形質が見られないというのには同意するが……」
「なら単為生殖をしたとでも言いたいのか? テメェがいつの間にか聖母マリアになっていたとは驚きだ。こいつはヘヴィだぜ……」
「処女懐胎神話をそういうふうに言うのはやめてほしいかな……。ゲノム編集が行われている可能性を考慮するべきだって言ってるんだ」
 百七十一年前に信仰を棄てた男が困り顔で弱った声を出してみせる。科学は時に信仰を侮辱しかねないが、しかしここまでオブラートに包まず言うのは大概だ。そもそも飛鳥は男であり、ディズィーの守護をしていた例のギアのような両性具有ですらない。飛鳥に子供は産めないというのにとんでもない言いがかりである。
 ソルはそれに悪びれるふうも見せずに淡々とあの男の提言を却下していった。
「ゲノム編集技術は人の手に余るシロモノだ。オフターゲット領域へのアクセスが頻発し、使い物にならない。二〇三八年にはそう結論が出ていたはずだろうが」
「それは下界で通常レベルの科学者が行った場合の話でしかない。言っただろう、僕の師は人類で初めてバックヤードへ到達した存在だと。彼は文字通りの天才だ。人の物差しは通用しないよ」
「バックヤード産なら確かに問題はないが、そうするとカイが真っ当な人間であることに矛盾が生じるぞ。バックヤードから強引に編集を行った時点で、ある程度は旧人類の枠組みを超えちまう。よしんば気の遠くなるような強制採択とトライアンドエラーを繰り返し、限りなく真人間に近い情報を可決したところで、今度はわざわざテメェをベースにゲノム編集なんぞをやるメリットがない。そんなことをするぐらいなら初めから新人類を編み上げた方が確実だろうが」
「それは……そもそも、何故僕をコピーしなきゃいけないのかという疑問が解消されていない以上なんとも言えないな。それに一口にバックヤードの関与と言っても、あそこから情報を編集されるケースの他に単に保管・培養スペースとして利用されている可能性もある。……フレデリック。他に君が彼をどうしても僕のクローンだと考える理由が何かあるのか? 実は単に顔が似てるだけで法術に優れた赤の他人とかだったら、僕は詰られ損だ」
「テメェに限っては詰られすぎることはねえだろ、余罪がごまんとあるんだからな。……だが……そうだ……他には…………待てよ」
 そこまで述べ、ソルははたとある事実に思い当たって言葉を噤んでしまう。旧人類の枠組みを超える、という点について、カイにはその可能性を否定しきれない箇所があることに思い至ったのだ。
 ソルがこれまでに見てきた限り、カイの構成は基本的に人間のスペックをオーバーしないように出来ている。多少突出した部分も天才という冠をつければあり得なくはない程度のものだ。過剰な法力容量は単にそう生まれついた人間であるというだけ、繊細な術式を手足のように操る才能も人間の範疇で有り得る。そこに更に人々から愛される容姿が加わっても、天が五物を与えた程度のものだ。その程度で人外扱いしていては、レオナルド・ダ・ヴィンチが聞いていたら鼻で笑うだろう。
 だが、一つだけ、下界で自然発生したとすれば納得出来ない要素がある。バックヤード適正だ。
 この世の理を外れたバックヤードの法階術式に即時適応し、教えられずともヴァレンタインに対抗しうる「加護」を兵士達にものともせず付与したあの適応力は、一体どこからやってきたのか。人が生まれながらに持っているものではない。かといってカイがバックヤードへ足を踏み入れたことも(ソルの知りうる二十年間の中では)ない。けれどそれも、バックヤードで生まれたと言うのならば何の問題もないではないか。
「通常、バックヤードに対する適正値はどこで決まる? 遺伝子か? それとも環境か?」
「遺伝要素も少なからずあるが、殆どは環境によって左右されるんじゃないかな。長くバックヤードにアクセスしているほど、耐性は高くなると言って差し支えないはずだ。要はバックヤードの情報過密に対応出来るかどうか、ということだろう。慣れてくれば他人を情報圧壊から守る術式も使える。以前僕がそうしたように」
「確か、ギアは情報量と密度が通常の人間より高いためにバックヤードの圧力に対する抵抗も高めだとかいう話だったな。テメェはあの時俺達に保護を掛けたが、そのブロック率はパーセンテージにすればいくつになる」
「ギア相手だったからね、ほぼ九〇パーセントと言ったところだ。生身の人間だったら流石にちょっと、あんな最深部までは入れてない。ちょっとずつ慣らしていけば元老院やレイヴンのように完全耐性に近いところまでいけるけれど、いきなりは難しいだろう。もし普通の人間だったら、いいとこ六〇パーセントといったところだ。死にはしないが幾らかの後遺症は覚悟してもらってたと思う」
「『ゆりかご』が息継ぎの際にこの世と入れ替えていたバックヤードの情報圧力はどのくらいだ」
「入り口よりやや高く深部よりは低い。普通の人間には厳しいという点では変わりないが……フレデリック?」
「ああ……そういうことか……」
 ソルの声音がすっと冷えわたっていくのを感じ取ってあの男が恐る恐る彼の名を呼んだ。
 ソルが何を危惧しているのか、こんな質問をされ続ければあの男には嫌でもわかる。カイ=キスクのバックヤード耐性について彼は正確なところを知らないが、「普通の人間」という前提であれば、さほどの数値を持たないはずだ。これはたとえあの男の遺伝子を持っていたとしても変わらない。何故なら適応性は遺伝形質ではないからである。
 あの男は自らの記憶を手繰る。ゆりかごに突入した連王直属部隊の兵士達が生還したという噂は聞いていた。今の話の流れで言えば、彼らに保護を掛けたのはカイで間違いないはず。それもゆりかご突入がわかっていたわけではないから、そのためではなくもっと以前に保護を掛けていたはずだ。恐らくはバプテスマ13の時。それほどの長期間持続し、かつ生身の人間に傷一つ残さないブロック率だとすると……これは確かに「有り得てはいけない」事態だ。
 それほどの適応率を構成物質上は人間である存在に付与するにはどうすべきか。——バックヤードに長期間放り込んでおく他には方法がない。それも生まれるまでの期間などではなく、発生した以降もある程度継続的にだ。ヴァレンタイン達はバックヤードで発生した生命だが、バックヤード耐性は持っていても他人にプロテクトを掛けるところまでは為し得ない。その特徴は特にエルフェルトとラムレザルに顕著だ。これは彼女らが生まれてすぐに「お母さん」に与えられた使命のために下界へ降りてしまったからである。
「これが事実なら……確かに、カイを造ったのはテメェじゃねえんだろうさ。子供なんか育てられるタマかよ、飛鳥、テメェは。俺と同様にな。レイヴンにもイノにも出来ねえだろうしな。ジャック・オーは先日起動したばかりで勘定にも入れられねえ。何よりそんなわけのわからん回りくどい手段を取るような美意識は持ってねえだろ。いいぜ、納得してやる。テメェじゃねえってな。テメェの言うとおり、第一の男とやらの仕業ってセンが濃厚だ」
 ソルの絞り出すような声音はひどく冷淡で、冷え切った怒りをその端々にたたえていた。何かと面倒を見て今では無二の友とまで呼べるようになった男が、素知らぬ誰かの手によって弄くられている可能性が明るみになり、とても冷静ではいられないのだろう。忌々しげに舌を鳴らし、ベッドの柵を叩きそうになった寸でのところで腕を止める。その中で眠っているカイの顔が視界に入り、暴力的な衝動と行き場を失ったやるせなさを彼の身のうちに押し留めさせていた。
「テメェの師匠に問いただすことが山ほど出来た。は、通りでカイの十歳までの記憶がないわけだな」
「では……君が疑っていることは、つまり」
「ああ、そうだ。要するにカイが十歳まで暮らしていた場所こそがバックヤードだったっつうことだろ? 最低の結論だが、これで全ての理屈が通る。理屈はな。だが理由はまるで見えない。あとは直接本人に聞き出すより他にないだろうよ」
「しかし……そうは言っても、あの人はようとして行方が知れない。僕だってもう何十年も居所を探っているのに尻尾さえ掴めないんだ。すぐに会おうと言ったってそうはいかないよ」
「いや、一人だけそれを可能に出来るヤツがいる」
 そう言い切ったソルに何故、と問いかけるより前に部屋のドアが開き、解析のために席を外していたジャック・オーとパラダイムが戻ってくる。青ざめた顔であとをついてきているパラダイムを制し、カイのベッドサイドまで歩んでくると、ジャック・オーはソルの言葉を引き継いだ。
「ええ、たったひとり、ね。アクセル=ロウ、森羅万象の魔器であるイノと、バックヤードそのものたるイレギュラーな権限の数々を共有する規格外の存在。自分の力を受け入れた今の彼なら、望む全ての場所に転移出来るはずよ。
 ……そして、お待ちかね。カイ=キスクと飛鳥=R=クロイツの遺伝子相似割合についてだけど、ちょっと変わった結果が出たわ。カイの遺伝子配列は単なる飛鳥のコピーではなく、かといって優良個体になるようゲノム編集されていたわけでもなく……『両親ともを飛鳥の遺伝子から計算して掛け合わせて出来うる結果』と限りなく高い可能性で一致したのよ。要は近親交配ね」
 そう、丁度さっきあなたたちが話していた単為生殖の話と近くなるのかしら。ジャック・オーが眉一つ動かさず淡々とそう述べる。
「だから飛鳥、あなたとフレデリックは……」
「——残念。来ないわよ、アクセル=ロウは」
 だが彼女の言葉がそれ以上続くことはなかった。静謐を守るべき王の寝室に似つかわしくない大音量が鳴り響き、爆撃と共に招かれざる闖入者がそこに姿を現したからだ。