05 咎人の指、天使の犯す罪
※R-18描写を含みます。高校生含む18歳以下の方は閲覧をご遠慮ください。
「こっちへおいで、カイ。その顔を僕によく見せて」
鉄格子の向こうに男はいた。ギアメーカー、この世界最大の咎人、ギアを生み、世界を聖戦という混沌の海に叩き落とした張本人。二十二世紀の全ての罪を被るべき男。その彼が今、薄く微笑みカイに向かって手招きをしている。
不幸なことに、カイには彼の手を拒む自由がなかった。カイは無言で鉄格子の前に歩を進めた。何を考えているのか言いもせずアメリカ政府に出頭し、まんまと世界中の憎しみをかき集め、信じられないほどの身勝手さで全てを終わらせようとしている男を鉄格子の外へ放り出すためにも……カイは彼の招きに応じなければいけなかった。
「なんのつもりです」
「信じられないかもしれないが、君には今から僕の頼みを聞いてもらわなきゃいけない」
「……は?」
カイはギアメーカーの厚顔無恥さにぽかんと口を開け、言葉を失った。理解に苦しむ。一体何をどうすれば、これほどまでの恥知らずに育つというのだ。
「本当に信じられませんね。それからあなたの頼みを聞く理由も義理もない」
「けれど君はそうせざるを得ない。君が人を愛し、人類の恒久的な幸福と平穏を望むなら尚更だ」
「なんですって?」
「時間がない。一度しか言わないからよく聞いてくれ」
鉄格子の向こうからギアメーカーがカイの手を取る。やせ細り小さく脆い手のひらは、カイが本気を出して握り締めれば、粉々に砕けてしまうだろう。ましてや今のカイにはギアの怪力が備わっている。この不快な指を破壊してしまうことなど造作もない。
でもカイにはそれが出来なかった。
「過去へ行って、カイ。道行きはイノに案内させる。そして過去に辿り着いたら、歴史を正しい形へ進めるための羅針盤になるんだ。……すごい顔をしているね。初めて見た。フレデリックが激昂して僕に襲い掛かった時でも、君は為政者の顔を崩さなかったのにね。……カイ。これは確かに義務ではない。君にとっては義理でさえなく、立場を鑑みれば唾を吐きかけて遺棄すべき問題だろう。しかし残念ながら、君の性格を考えればほぼ一択しか残らない選択問題でもあるんだよ。
——カイ、君は、世界を愛しているね」
「——ッ、」
カイは喉から引きつった声を漏らした。ギアメーカーの手の暖かさが、カイが愛した人々と同じ温もりをもつこの肉の塊が、心底疎ましい。
この指は全ての忌まわしき罪を生み出した咎人のもの。ギアを生み、兵器の女王を生み、百年もの戦争を生み、そして数十億の人類を彼自身の手を汚さぬまま虐殺した禍津神。しかし同時に、この細く弱い手のひらはカイが愛した男を生み堕とした指でもある。
コロンブスの卵は破滅を招く。カイは既に彼の言わんとすることを理解し始めていた。何が罪を生み出すのか。どうして罪を背負うのか。誰が——彼を、殺したのか。
ソル=バッドガイの中で、何故フレデリックという男は、棺桶に入って引き摺られる死人であり続けるのか。
「君は世界を愛している。名もない無辜の人々を愛している。人々が手と手を取り笑い合う、平和と幸福に満ちたこの未来を愛している。君の愛は実に雄大で、そしてフラットだ。
「だから——なんです」
「君の愛する世界は、ある一人の青年が介入したことで存続してきた、ということさ」
ギアメーカーの声は平坦で色がない。とても機械的で、定められた真実だけを明かしている。せめてこの中に嘘の色があれば。儚い望みを、己の温もり全てを吸い取ろうとする指たちが塗り潰す。そんなものはどこにもない。どこにも……だってこの人は、本当は嘘を吐くのがあんなに下手くそなのだから……。
「これはシステムの話なんだよ、カイ。君がやらねばフレデリックは君の前に現れない。彼がいなければ聖戦は終わらない。彼がいなければ人々は救われない」
「そもそも、聖戦さえ起こらなければ——」
「さすれば人は〝慈悲なき啓示〟に抗う力を手に入れられない。どっちみち世界は詰みだ。これを言うと君は僕を糾弾し謗るだろうが、そもそも僕は聖戦を起こすつもりはなかった。しかしバックヤードを掘り返してわかったことは、人類が真に幸福な永遠を手に入れるためにはこの歴史を選ぶしかなかったという残酷な答えだけだ。……〝カイ=キスクという英雄〟を、先生が理想とする永劫の案内人をこの世に生み出すには、この犠牲が必要不可欠だった。傑物はいつの世も戦乱の中から生まれる。アドルフ・ヒトラーしかり、ナポレオン・ボナパルトしかり、織田信長しかり、曹操しかり」
「ッ……まさか……そんな……!」
「本当のことだ。聖戦がなければ君は生まれない。君という存在は屍の上に成り立っている。フレデリックがギアにならねば、君は今ここにいない」
「馬鹿なことを言うな!!」
カイはギアメーカーを睨み付けた。人殺しの目だった。いみじくもその眼差しは彼がかつてそう表したものとは違い、自殺志願者の背を押して崖下へ突き落とす類の人殺しではなく、握り締めたナイフで喉を突き刺そうとする種類の殺人者のものだった。視線ひとつで人が殺せるのならば、この凍てついた瞳だけで、カイの目にはこの地上に残った人類の大半を殺し尽くせるだけの力があった。
「そんな……そんなことが、私は……私は……!」
「確かに僕は、彼が人間として生きて死ぬ自由を奪った。その意味では、他の誰でもない僕が彼を殺したんだろうね。でも……歩く死体だった彼の息の根を今度こそ止め、棺桶に埋葬し、今なお土の下から起き上がって来ないように墓守をしているのは、僕じゃない。もうわかるだろう?」
けれどギアメーカーは死んでくれない。石になることさえなく、のうのうと喋り続ける。
心臓の鼓動が遠くなる。四肢が末端から冷え渡り、今にも死んでしまいそうな気持ちになる。触れているギアメーカーの指先だけが温かい。血の気の引いた顔でカイはギアメーカーを睨み続けた。立っているのもやっとだった。
「でも……」
唇が震える。視界がぼやけて歪む。カイは人間が好きだ。人々の住まう世界が好きだ。そして彼らと共に生きる家族を、彼を……愛している。
叶うならば、それを守りたいと思う。
叶うならば、家族と過ごすささやかな幸せが、続けばいいと願う。
叶うならば、どうか明日も世界が平和でありますように、と祈り続けている。
「それでも私は、あなたを許しません」
今日も明日も、これからも、ずっと。
◇◆◇◆◇
宇宙センターから帰ってきてから、どうも自分は変だ。有り体に言っておかしい。エンジェルとまともに目を合わせられない。うっかり視線でも合おうものなら、気が動転してそのまま何もない床で引っ繰り返ってしまいそうになる。
「近頃のフレデリックはなんだかばかに重症だよねえ」
何事も人と離れた感覚の持ち主である飛鳥でさえこう言うのだから、それはもう酷い有様なのだろう。しかし当のエンジェルはというと今までと何ら変わらぬ態度でフレデリックに接してきていたし——ばかりか、妙に距離が近くなり、あらゆるものごとを気安く行うので、フレデリックは参っていく一方だった。
「今日も散々だった……」
自室に戻り、どかりとベッドに座り込む。今日は夏休みの最終日。どうせまた明日から大学に通い詰めねばならないということで、最後の日ぐらいはと何の予定も入れずに自宅でごろごろと過ごしていた。
けれどその選択がそもそも間違っていたのだと思う。自室で静かに本を読んでいることが多いエンジェルが、この日は何故かリビングに本を積み上げ、ソファの端でずっと読書に精を出していたのだ。リビングは共同空間。無論フレデリックには、「本ぐらい部屋で読んでくれ」と言う権利がない。エンジェルが、フレデリックがラジオを掛けっぱなしにしていることを咎めてこないように。
「あー、その、エンジェル」
「はい、フレデリック」
「うるさい、か?」
「いいえ。こういった音楽は自分では聴かないので、興味深い」
遠回しに尋ねてみても、彼は笑顔でこう言うばかり。花が咲いたように笑うエンジェルの微笑みがフレデリックは大好きだが、しかしこんな状態で至近距離でそれをやられると非常に困る。とてもじゃないが、この笑顔を前に正常な判断能力を持ち続けていられる自信がないのだ。
あの日以来フレデリックを悩ませているのは、エンジェルに対する自分の思いだった。彼が越して来て数ヶ月、話の合う気の良い友人として付き合ってきたはずの青年に対して抱いてしまった、あってはならない感情。自分でもどう付き合っていいのかわからないその感情を、飛鳥や、ましてエンジェル本人に打ち明けるなんてとても出来ない。だって自分はストレートで——アリアのことはやはり好きだし、将来的には結婚して子供をもうけ、穏やかな家庭を築きたいなんていうありふれた願望もある。なら自分のエンジェルへの感情はなんなんだ? 一体フレデリックに、何が起こっているんだ?
そんなことを考えながら必死に己を諫め、素数を数え、羊も数え、ソファに座って日中を過ごしていたのでもうくたくたの疲労困憊である。ラジオから何の音楽が流れていたのかさえまったく思い出せない。記憶に残っているのは、隣に腰掛けていたエンジェルから漂う、どこか甘い汗の匂い。それから……シャツの隙間から覗いていたすべらかな皮膚の白さだけ。
「…………どうなんだよそれ」
自分で自分に嫌気が差してきて、がくりとうなだれる。もういっそのこと、寝てしまおうか。しかし明日は新学期だ。流石に今日一日もシャワーを浴びていないまま登校するのは気が咎める。朝、シャワーの時間を取れるとも限らないし……。
と、丁度その時だった。
コンコンとドアをノックする音がして、フレデリックはびくりと跳ね上がった。
「お、おう!」
「フレデリック? 私です、ちょっと入ってもいいですか?」
「あ、ああ——大丈夫だ」
噂をすればなんとやら。規則正しいノックの後、許可を待って入って来たのは風呂上がりのエンジェルだ。つややかな髪はしとどに濡れ、肩に湿ったタオルを掛けている。寝間着のシャツも微妙に濡れており、布地が白いせいでその下の肌がうっすらと透けていた。つい胸部を見遣れば布地を押し上げる乳首が目に入り、フレデリックは「うわ」と小さく呻く。
浅黒いフレデリックのそれとは違い、エンジェルの乳首は愛らしい薄桃色をしている。それがぷくりと立ち、薄いシャツをぴったりと張り付かせている。……どうしようもなく暴力的だ。
「フレデリック? どうかしましたか?」
さしものエンジェルも、フレデリックの反応を不思議に思ったのだろう。名前を呼ぶ彼の表情は思いやりに満ちており、いたたまれなかった。
「い、いや。なんでもない。それより……どうしたんだ、こんな時間に」
「ええ、実はドライヤーが壊れてしまっていて。ジール式はどうもうまく直せないので、見て貰おうと思ったんです」
「ああ、ドライヤーが……」
道理で髪が濡れているわけだ。タオルである程度は拭いたのだろうが、湿度の高いオースティンの夏はそう簡単に自然乾燥させてくれたりはしない。
「貸してくれ、見てみる」
努めて平静を装いながら手招きをすると、入り口付近で待っていたエンジェルがドライヤーを持ってこちらへ寄ってくる。彼はドライヤーをぽんとフレデリックに手渡すとその隣にすとんと腰を下ろし、フレデリックの手元を興味深そうに覗き込んだ。
「ああ、ジールの供給に使ってるバイパスがいかれてるんだな……」
隣からふわりと漂ってくる、どこか甘さの混じったシャンプーの香り。ああでは、この甘いのは、エンジェルの体臭なのだろうか。フレデリックは小さく鼻をひくつかせ、それからすぐに自制して意識をドライヤーへ集中させた。そうしていなければ、腹の底から続々浮かび上がってくるとんでもない考えに、意識を支配されてしまいそうな気がしたのだ。
一度立ち上がり、棚から工具一式を取り出してまたベッドに戻る。ジール式ドライヤーの構造は思ったより煩雑で、修理には緻密な作業が必要になった。間もなくフレデリックの関心は全てがドライヤーに向いた。甘い匂いもなにも知覚出来なくなり、ただひたすらに工具に意識が集中していく。
「よし、直ったぞ……って、う、うわああ?!」
だからその分、意識をエンジェルに戻した時の揺り戻しは一層ひどかった。
直したばかりのドライヤーが手から滑り落ち、床に転がる。突然叫び声を上げたフレデリックにエンジェルもぎょっとして体をのけぞらせ、しかしすぐに「どうしました」と身を寄せフレデリックの背をさすってくる。言うまでもないが、それが追い討ちになりフレデリックは再起不能の致命傷を負った。自分の身に起きた変化は明白で、エンジェルにどういった類の感情を抱いてしまったのか、フレデリックの中で最早言い逃れが出来なくなっていた。
「フレデリック、フレデリック、大丈夫ですか」
「だ、大丈夫じゃ……ない……」
頼むからみないでくれ、と弱々しい声を絞り出してフレデリックは懇願した。見ないで? 何を? エンジェルが首を傾げて言うのが聞こえる。みないでくれ。フレデリックは力なく繰り返した。そんな行いはかえって見てくれと頼んでいるようなものだということに、その時フレデリックは気がつけなかった。
「……フレデリック、もしかして」
気遣わしげな声と共にエンジェルの手が伸びてくる。払いのける力もなく接触を許すと、彼の手は迷いなくフレデリックの股間に伸びて中央をなで上げた。労るような手つき。どうしようもなく気まずく、情けない呻き声が漏れていく。
「勃起……してるんですか? 辛い……ですか……?」
「自分が信じられなくて辛い。死んでしまいたい」
「やだ、死なないで。生きてください、お願いですから」
「もののたとえだ……そのぐらい、ひどい、今回ばかりは」
もし部屋の窓が開け放たれていたらたまらず飛び出して行ったかもしれないが、ガラス窓はぴしゃりと閉め切られ、澄んだ夜空を反射しているだけだ。フレデリックは絶望的な心持ちでびくびくしながらエンジェルの方へ顔をもたげる。
あの美しい双眸に今浮かんでいるのは、何の色だろうか。軽蔑ならまだいい。嫌悪ならなおいい。こんな情けない男、忌避の表情を示されて当然だ。一番いけないのは、同情だった。こんなことでエンジェルに同情されるのなら、舌を噛んでしまいたい。
「辛いなら、とりあえずこれ、どうにかしてしまいましょう。大丈夫、私も男ですから、扱いはわかります」
けれど彼の瞳にたゆたうものはそのどれでもなかった。
「……はあ?! な、何言ってるんだお前!!」
「心配しないで」
フレデリックはおののき、エンジェルから体を遠ざけようとした。しかしそれは叶わない。鍛えられたエンジェルの腕が力強くフレデリックの体を押さえつけ、慣れた手つきでジッパーを降ろし、服の上からでもそうとわかるほど張り詰めていたものを、まるで手品のように一瞬で取り出してしまう。
「私に全部任せて。……ね?」
そうして向けられたエンジェルの瞳には仄昏い色情が灯っていた。怪しく揺らめく情欲の炎は、彼の存在を天使とはほど遠いものへ堕とし込んでいく。
つまり、そう——悪魔だ。
「んっ……む……は、ぁ、ふ……」
何もかもが信じられなかった。あのエンジェルが、いつも潔癖症で身なりはきちんとしていて、ありったけの美しいものだけで培養されたような青年が、フレデリックの股間についたものを愛おしげに手に取り舐め回している。彼がちろちろと舌を這わせ、その先端が赤黒い陰茎と可愛らしい唇の間を覗く度、ぴちゃぴちゃとはしたない音が立って嫌が応にもフレデリックの劣情を煽る。
「エンジェル、やめろ、そんな……汚い……」
エンジェルのこなれた舌遣いであっという間に追い詰められ、半勃ちだった陰茎は自分でもぎょっとするほどの大きさに育っていた。フレデリックはもう一度目の射精を迎えたあとだったが、巧みな愛撫のせいで既に二度目の限界が近い。しかし、まだ濡れたままの髪を揺らして一心不乱に奉仕をしてくる青年を引き剥がす勇気も出せず、ただされるがままに呻き続けた。
エンジェルの性奉仕のうまさといったら半端ではなく、童貞のフレデリックにでも、彼がこういうことをするのが初めてではないはずだということがはっきり分かってしまう。生温かい粘膜に包まれる未知の感覚がもたらす快楽に打ち震えながら、フレデリックはそのことに酷く絶望し、また興奮した。あれほど穢れを知らない存在だと信じていたものが見せた淫靡極まりない隠された側面は、フレデリックの若い体に底なしの精力を与えた。
「どうして……お前はずっと、こんなこと、やってきたのかよ、エンジェル。アメリカへ来る前から? 誰と? お前の恋人とか。それとも、ああ、くそっ!」
弾力のある舌が根本から一気に舐め上げ、その後をエンジェルの細い指が輪の形に括られて追う。カリ首を食まれ、亀頭を舐め上げて溝を刺激しながら幹を擦られれば、最早フレデリックに為す術はない。ちくしょう、と悪態を吐きながらフレデリックは射精した。吐き出したものが全て、口をつけたままのエンジェルの口内へ吸い込まれていく。どろりとしたものが喉奥を伝い、ごくりと嚥下する音が聞こえてくる。
エンジェルが満足そうに口を離し、顔を上げる。彼の顔面には一度目に射精したものが飛び散り、こびりついて乾きはじめており、ただでさえ白い肌をより一層真っ白に染め上げて卑猥にしていた。
「すごい……いっぱい出た。さてはフレデリック、あまり自慰をしていないでしょう」
「な、あ、お、そりゃ、してなかったが」
「どうして?」
「……何見てても全部、お、お前の顔に……なっちまうから……」
「え? あ、ああ——ふふふ! それは素晴らしくいいことを聞いてしまったな」
妖しく細められた両目が、フレデリックの答えを聞いた瞬間ぱちくりと見開かれる。エンジェルは猥らな行いとは正反対の快活な笑みを浮かべ、フレデリックのペニスにキスをした。触れるだけのキスとリップ音が合わさり、視覚的な効果と触覚が倍増しになったせいで、また性器がむくむくと起き上がる。
「質問の答えですけど、フレデリック」
彼は元気を取り戻したペニスをうっとりと見つめ、鈴口にちゅうと吸い付くと猫のように身を丸めた。
「確かに私は、こういうことをするのは初めてじゃありません。初めてでこんなにフェラが上手い人がいても困るでしょう。……でも、意にそぐわない性行為を強いられていたということもないんです。すきなひととしか、こういうのはしないことにしているから」
そうして物欲しげな顔で再びキス。腕はいつの間にか後ろに下がり、彼自身の尻に添えられている。程なくしてくちくちと何か柔らかい肉をいじくる音が聞こえてきて、フレデリックは顔を真っ赤にして固まった。
頭の中はもうぐらぐらで、足下は全て瓦解しきっていた。「すきなひととしか、こういうのはしない」という言葉が脳内で何度も何度もリフレインしている。エンジェルに好きな相手がいて、過去、そいつとこういったことを何度もしていたというのは、理屈として理解が出来た。エンジェルだってもう大学生になる年なのだ。フレデリックは無縁だったが、ハイスクールのクラスメート達の中にセックスをしているカップルがいるのは知っていたし、肉体はもう十分に発達しているのだから、そういうのを咎める年でもない。エンジェルは子供じゃないのだ。フレデリックが彼を縛ろうだなんて、それこそお門違いもいいところである。
だから問題は、「すきなひととしかしない」エンジェルが、彼の方から率先してフレデリックの股ぐらに顔を埋め、情熱的な奉仕をしてくれていることの方だった。だって、それって、つまり。エンジェルは、フレデリックのことが……。
「お、お前には……こういうことをしてきた、好きな相手がいるんだろ。故郷に!」
気がついた時にはもう叫んでいた。都合のいい妄想をどうにか否定してもらいたくて必死だった。
けれどエンジェルは妖美に微笑み、フレデリックの最後に残った良心を木っ端微塵に打ち砕く。
「いませんよ」
「ほら、いるんだろ——……は?」
「いませんよ。いないんです。無垢だった私に悪徳を教え、気ままに抱き、目玉焼きは堅焼きがいいと文句を付けて仕込んできた男は、ここにいない」
「いない、って。……死ん……だのか」
「ううん。そうとも、言えるのかな……」
フレデリックの知らない誰かのことを尋ねると、彼の目に宿る劣情がほんの少し薄れ、代わりに紺碧の寂寞が映り込んだ。深い夜の闇に似たまなざしはどこか虚ろで悲しげだ。考えるより早く、フレデリックの腕が動く。抱きしめたエンジェルの体は軽い。命を魂を燃やして、彼の肉体を包む熱に変えているかのように。
「お前は……俺のことが、好きなのか?」
返事は短く明瞭だった。
「はい」
「いつから……」
「出会った時からずっと」
おずおずと訊けば臆面もなくそんなことを言う。海色の双眸からは既に寂しげな闇が消え、とろりとした淫蕩だけがたゆたっている。隠し切れない欲望。それが彼から香る甘い匂いに混ざり、フレデリックの脳髄を刺激する。
「もう、我慢が出来ないんです。お願いフレデリック、私の中に、フレデリックをちょうだい」
甘ったるいおねだりと共に、床に膝をついて奉仕していたエンジェルがベッドの上に乗り上げてその腰にまたがった。それからくちくちと音を立てていた箇所から指を引き抜き、尻たぶの間にフレデリックの陰茎をそっと宛てる。据えられた亀頭部に蠢く穴の感触が伝わった。エンジェルの肉体は尻の穴に至るまでも淫猥だった。彼の身体そのものが「早く欲しい」と猫なで声を上げ、未だ知らぬ快楽へとフレデリックの手を引いている。
誘惑は耐え難く甘美だった。フレデリックには最早我慢がならない。
彼は己の中に住まう全ての理性と良識とを焼き払い、自分に馬乗りになっているサキュバスの腕を握り締めた。