エピローグ In the Heaven, at A.D.2172
「——チッ、ここもか。どいつもこいつも壊死してやがる。一体どんな殺し方して回ったら一面こんな死体で埋まるんだ?」
二一七二年の秋。どしゃぶりの雨の中、死骸の山を掻き分けてソル=バッドガイは悪態を吐いた。相手は兵器だ、雨だからといって攻撃をやめてくれたりしないと分かってはいるが、しかしこう酷く降っている日はろくなことがない。
ぬかるみに足を取られそうになりながら生き残りを探したが、人間も、ギアも、命の残滓は見つけられなかった。気分が優れないのでニコチンでも摂取しようかと思ったが、こう空気が湿気ていると煙草に火も点けられない。そもそも煙草の残り本数が少ない。
本当に散々な日だ。再び悪態を吐き、前へ進む。思えば今日は朝から何もかもがうまくいっていなかった。クリフに呼び出されてわざわざパリくんだりまで出向いてやったはいいものの、特に説明もないままいきなり実戦に放り出されるし、ごねたら「制服はまだ出来てない」とか適当なことを言われて追い出されるし、おまけに雨でずぶ濡れになるし。
「しかしマジで死体しかねえな。生きてるギアの一匹もないとなりゃ、功績も上がんねえ。ただの骨折り損じゃねえか。しくったぜ……」
行く手を塞ぐギアの頭部を投げ捨て、思いきり舌打ちをした。この場に転がっているギアの死骸達は皆、精密なコントロールで電気を通され、脳から壊死したうえ、とどめとばかりに鋭い剣か何かで胴と頭とを切り離されている。まったく手抜かりのないことだ。おこぼれ一つない機械的な手際には恐れ入る。
このギアを殺して回った人間は恐らくいかれているだろう。ソルが見た限り、それにはまず間違いがなさそうだった。数百体のギア、その全てが、教本通りの手順で殺されている。正確な切り口、正確な狙撃。一体でもやべえなと踵を返す類のそれがどさりと山積みになっているのだから、これはもう正気を疑うほかない。ソルも賞金稼ぎという職業柄、同業者が殺したギアの死骸を見る機会はいくらでもあったが、ここまで神経質に命を絶たれている連中を見るのは初めてだった。
一体どんなやつがこんな病的な殺し方をしてまわっているのだろう。せめてそれぐらいは確かめて帰らないと、外に出た意味がない。とりとめのない思考をぼんやりと弄びながら灰色の世界をずんずん進んでいくと、やがて小高い丘に出る。
丘の上には破壊されたチャペルがあり、剥き出しになった鐘が生ぬるい風に吹かれてりんごんと場違いな音を鳴らしていた。そのかたわらに、一人の人間が立っている。この戦場で見つけた初めての生存者だ。聖騎士団の白い制服は返り血で真っ赤になり見る影もなかったが、鳴り響く鐘の音に合わせて歌っている声が聞こえてくるのだから、生きてはいるはずだ。
どれ、ご尊顔でも拝んでやるか。そう考えて無遠慮にずかずかと歩み寄っていく。近づくにつれ、歌声が紡ぐ歌詞が聞き取れるようになる。聖歌だ。美しいボーイソプラノで、敬虔に鎮魂歌を歌い上げている。
「——あ、」
彼をそばで見た瞬間、思わず、声が出た。それから、「みつけた」という漠然とした思いだけが強烈に胸を衝く。ソルの声に反応したのか、血まみれの少年が歌声を止めて振り返る。少年の顔がソルをまっすぐに捉えた。金髪は制服同様血染めになって見るも無惨な有り様だったが、深くたゆたう海色の双眸は活力に満ちあふれ、死の臭いが充満するこの空間と比べると酷く場違いだ。
(すげえ美形だな)
泥と血と死の臭いに取り憑かれた少年を見て、すぐに浮かんだのはそんな間の抜けた感想だった。たぶん彼がなんとなく見覚えのある風貌をしていて、だから、こんな馬鹿げたことを考えてしまったのだ。そう。はるか昔にも、こんなふうな血まみれの青年を見た事がある気がする。いつだったろう。わからない。ソル=バッドガイと名乗るようになる以前の記憶はもう殆ど思い出すことがなかったし、ソル=バッドガイになって以降も、関わった人間は次々に死んでいくので、あまり記憶に残っていない。
会ったような気がするだけかもしれない。けれど胸を衝くものが、声高に何かを訴えかけ続けている。ソルは少年の頬に手を添えた。少年は見知らぬ男の手を拒まなかった。じっと品定めをしている少年の瞳を見つめ、ソルはゆっくりと口を開く。
「——お前はエンジェルか?」
口にしたソル自身、どうしてそんな質問をしてしまったのかは、全くわかりそうにもなかった。
あまりにも場違いな問いかけだったせいだろう、少年の顔が露骨に歪む。彼は警戒心を露わにし、ソルを訝しげに見上げた。
「天使
? 全然、違いますけど。いえ、そういうふうに私を呼ぶ人達は、いますけど。私は普通の人間ですよ。あなたこそ……誰ですか? 私の敵ですか?」
ソプラノは、聖歌を歌い上げていた時とは一転して張り詰めていた。「私の敵ですか」と口にした瞬間、少年の殺気が鋭く膨れあがる。歴戦の戦士であるソルをもってしても本能的に身を竦ませるほどの、リアルで生々しい気配。とても声変わり前の少年が出すようなものではないが、一方で彼の殺気は、まるで一度この気にやられたことがあるかのように奇妙に肌へ馴染む。
「答えて。あなたは私の敵ですか。場合によっては……」
「いや、その必要はない。クリフのじいさんから話は聞いてる。帰るぞ、坊や」
「な、ぼ、坊や?!」
ソルはゆっくりと首を振った。そして殺気をいなしながら血まみれの少年を抱き上げ、肩に担ぐ。急に担ぎ上げられた挙げ句不本意な呼び方をされたために、少年はじたばたと暴れてソルの手から逃れようとした。けれど力量差というものは歴然としていて、いくら少年が暴れたところでソルの腕はびくともしない。
「おい坊や、じっとしてろ。鬱陶しい」
「ま、また! 私の名前はカイです。カイ=キスク! 坊やじゃありませんし、天使でもありませんったら……!」
「はん、カイ、なあ」
救世主クリストスの頭文字からとって、カイ。なんだ、ほとんど天使と変わりないじゃないか。そんなふうに考えながら気のない返事をすると、再び耳元できゃんきゃん吠えられる。なおも無視しながら歩き続けると、そのうちカイは抗議を諦め、あなたの名前は、と力なく聞いてくる。仕方ないので名乗ってやると、「へんななまえ」と無邪気に呟いた。ソルはともかく、バッドガイなんて明らかに本当の名前ではなさそうな文字の羅列だから、そう思われても仕方がないが、割と気に入っている名前なので若干傷付く。
「それで……さっき、なんで私のことをエンジェルかって訊ねたんですか?」
肩の上で揺られ、足をぶらぶらしながら血染めの天使が独り言みたいに訊ねた。ソルは小さく首を振る。自分でもよくわかっていない質問に、深い意味があるはずもない。
「いや。ただテメェが、俺を殺しに来た死神
かと思ったのさ。それだけだ」
だから素直にそう答えてやったのに、カイはまるで納得していなさそうな息を吐いた挙げ句、「なんかあんまり詩のセンスはなさそうですね……」なんて堂々と宣う始末だ。
心ない言葉に、ソルは聞こえよがしに溜め息を吐き返した。まったく、本当に、今日という日はついていない。
/Who Killed the Rock Star?
二一七二年の秋。どしゃぶりの雨の中、死骸の山を掻き分けてソル=バッドガイは悪態を吐いた。相手は兵器だ、雨だからといって攻撃をやめてくれたりしないと分かってはいるが、しかしこう酷く降っている日はろくなことがない。
ぬかるみに足を取られそうになりながら生き残りを探したが、人間も、ギアも、命の残滓は見つけられなかった。気分が優れないのでニコチンでも摂取しようかと思ったが、こう空気が湿気ていると煙草に火も点けられない。そもそも煙草の残り本数が少ない。
本当に散々な日だ。再び悪態を吐き、前へ進む。思えば今日は朝から何もかもがうまくいっていなかった。クリフに呼び出されてわざわざパリくんだりまで出向いてやったはいいものの、特に説明もないままいきなり実戦に放り出されるし、ごねたら「制服はまだ出来てない」とか適当なことを言われて追い出されるし、おまけに雨でずぶ濡れになるし。
「しかしマジで死体しかねえな。生きてるギアの一匹もないとなりゃ、功績も上がんねえ。ただの骨折り損じゃねえか。しくったぜ……」
行く手を塞ぐギアの頭部を投げ捨て、思いきり舌打ちをした。この場に転がっているギアの死骸達は皆、精密なコントロールで電気を通され、脳から壊死したうえ、とどめとばかりに鋭い剣か何かで胴と頭とを切り離されている。まったく手抜かりのないことだ。おこぼれ一つない機械的な手際には恐れ入る。
このギアを殺して回った人間は恐らくいかれているだろう。ソルが見た限り、それにはまず間違いがなさそうだった。数百体のギア、その全てが、教本通りの手順で殺されている。正確な切り口、正確な狙撃。一体でもやべえなと踵を返す類のそれがどさりと山積みになっているのだから、これはもう正気を疑うほかない。ソルも賞金稼ぎという職業柄、同業者が殺したギアの死骸を見る機会はいくらでもあったが、ここまで神経質に命を絶たれている連中を見るのは初めてだった。
一体どんなやつがこんな病的な殺し方をしてまわっているのだろう。せめてそれぐらいは確かめて帰らないと、外に出た意味がない。とりとめのない思考をぼんやりと弄びながら灰色の世界をずんずん進んでいくと、やがて小高い丘に出る。
丘の上には破壊されたチャペルがあり、剥き出しになった鐘が生ぬるい風に吹かれてりんごんと場違いな音を鳴らしていた。そのかたわらに、一人の人間が立っている。この戦場で見つけた初めての生存者だ。聖騎士団の白い制服は返り血で真っ赤になり見る影もなかったが、鳴り響く鐘の音に合わせて歌っている声が聞こえてくるのだから、生きてはいるはずだ。
どれ、ご尊顔でも拝んでやるか。そう考えて無遠慮にずかずかと歩み寄っていく。近づくにつれ、歌声が紡ぐ歌詞が聞き取れるようになる。聖歌だ。美しいボーイソプラノで、敬虔に鎮魂歌を歌い上げている。
「——あ、」
彼をそばで見た瞬間、思わず、声が出た。それから、「みつけた」という漠然とした思いだけが強烈に胸を衝く。ソルの声に反応したのか、血まみれの少年が歌声を止めて振り返る。少年の顔がソルをまっすぐに捉えた。金髪は制服同様血染めになって見るも無惨な有り様だったが、深くたゆたう海色の双眸は活力に満ちあふれ、死の臭いが充満するこの空間と比べると酷く場違いだ。
(すげえ美形だな)
泥と血と死の臭いに取り憑かれた少年を見て、すぐに浮かんだのはそんな間の抜けた感想だった。たぶん彼がなんとなく見覚えのある風貌をしていて、だから、こんな馬鹿げたことを考えてしまったのだ。そう。はるか昔にも、こんなふうな血まみれの青年を見た事がある気がする。いつだったろう。わからない。ソル=バッドガイと名乗るようになる以前の記憶はもう殆ど思い出すことがなかったし、ソル=バッドガイになって以降も、関わった人間は次々に死んでいくので、あまり記憶に残っていない。
会ったような気がするだけかもしれない。けれど胸を衝くものが、声高に何かを訴えかけ続けている。ソルは少年の頬に手を添えた。少年は見知らぬ男の手を拒まなかった。じっと品定めをしている少年の瞳を見つめ、ソルはゆっくりと口を開く。
「——お前はエンジェルか?」
口にしたソル自身、どうしてそんな質問をしてしまったのかは、全くわかりそうにもなかった。
あまりにも場違いな問いかけだったせいだろう、少年の顔が露骨に歪む。彼は警戒心を露わにし、ソルを訝しげに見上げた。
「
ソプラノは、聖歌を歌い上げていた時とは一転して張り詰めていた。「私の敵ですか」と口にした瞬間、少年の殺気が鋭く膨れあがる。歴戦の戦士であるソルをもってしても本能的に身を竦ませるほどの、リアルで生々しい気配。とても声変わり前の少年が出すようなものではないが、一方で彼の殺気は、まるで一度この気にやられたことがあるかのように奇妙に肌へ馴染む。
「答えて。あなたは私の敵ですか。場合によっては……」
「いや、その必要はない。クリフのじいさんから話は聞いてる。帰るぞ、坊や」
「な、ぼ、坊や?!」
ソルはゆっくりと首を振った。そして殺気をいなしながら血まみれの少年を抱き上げ、肩に担ぐ。急に担ぎ上げられた挙げ句不本意な呼び方をされたために、少年はじたばたと暴れてソルの手から逃れようとした。けれど力量差というものは歴然としていて、いくら少年が暴れたところでソルの腕はびくともしない。
「おい坊や、じっとしてろ。鬱陶しい」
「ま、また! 私の名前はカイです。カイ=キスク! 坊やじゃありませんし、天使でもありませんったら……!」
「はん、カイ、なあ」
救世主クリストスの頭文字からとって、カイ。なんだ、ほとんど天使と変わりないじゃないか。そんなふうに考えながら気のない返事をすると、再び耳元できゃんきゃん吠えられる。なおも無視しながら歩き続けると、そのうちカイは抗議を諦め、あなたの名前は、と力なく聞いてくる。仕方ないので名乗ってやると、「へんななまえ」と無邪気に呟いた。ソルはともかく、バッドガイなんて明らかに本当の名前ではなさそうな文字の羅列だから、そう思われても仕方がないが、割と気に入っている名前なので若干傷付く。
「それで……さっき、なんで私のことをエンジェルかって訊ねたんですか?」
肩の上で揺られ、足をぶらぶらしながら血染めの天使が独り言みたいに訊ねた。ソルは小さく首を振る。自分でもよくわかっていない質問に、深い意味があるはずもない。
「いや。ただテメェが、俺を殺しに来た
だから素直にそう答えてやったのに、カイはまるで納得していなさそうな息を吐いた挙げ句、「なんかあんまり詩のセンスはなさそうですね……」なんて堂々と宣う始末だ。
心ない言葉に、ソルは聞こえよがしに溜め息を吐き返した。まったく、本当に、今日という日はついていない。
/Who Killed the Rock Star?