土実野町時計広場、平素はそこそこ人も多いこの場所が今は完全に人払いがされていて通りすがりの歩行者などはこの近辺から締め出されてしまっている。午前八時を差している時計を確認して遊戯は息を吐いた。これで粗方準備は整ったはずだ。
『後は、時間が来るのを待つだけかな』
「ああ。バクラ、千年リングは絶対に外すなよ。お前も座標で固定してるんだからな」
「そもそも外したら宿主のメンタルチェックが出来なくなるじゃねえかよ。貴様に言われずとも、それだけはない」
 愛想なくバクラがぶっきらぼうに返答する。遊戯は「だろうな。ならいい」と返して手持ち無沙汰そうにデッキに手を掛けた。ブラック・マジシャン。ブラック・マジシャン・ガール。クリボー。エルフの剣士。光の護封剣。馴染みのカード達だ。現役として活躍していた頃に比べると随分と環境も変わって流行も千変の様相を見せていたが遊戯のこのデッキはその時から何も変わっていなかった。それでも負けたことはない。だから例えどんなに時代遅れと揶揄されようがこのデッキを捨てるつもりはないのだ。そのことをことさらに強く思った。
 捨てては、作り変えてはいけないのだと思う。このかたちで留めておかなければならない。氷漬けになったように、化石のようなデッキだと言われてもそれでもだ。彼らが入って活躍するデッキこそが武藤遊戯の――いや、名もなきファラオの唯一の証明だった。きっとこれは名前が見付かる日まで、そして名前を見付けられた後も、自らをそう位置付けるものであり続けるのだ。
「バクラ。獏良くんは、まだ……」
「駄目だ。意識ってもんが殆ど死んでる。心がコールド・スリープ漬けにでもなってるんじゃねえかこれは」
「……そうか」
「なんだ、心配してんのか? オレ様がいつ裏切るかもしれねえって? ハッ――相変わらずだな。なァ、知ってるか『遊戯』。嘘吐きって奴ぁ息をするように嘘を吐くが、その分真実も何より嘘臭く語る生き物なのさ。王サマは真逆だ。王サマは、愚直に真実を語り人を騙ろうとしてもさっさと看破されるそういう生き物だ」
『うん……だろうね。だからボクは彼のそういうところをこそ評価しているよ。そしてきみは典型的な嘘吐きだ。なるほどきみの語る言葉はいつだって人を謀ろうとしているように響く。でも、ボクはきみを信じてる。そうだろう? バクラくん』
 にこりと含めるように名を呼ぶとバクラは舌打ちして「相変わらず、食えねえのは器の方だな」とぼやいた。千年リングを手に持って揺らすとしゃらしゃらと金属のかちあう音が鳴る。それに反響して円形に配置された千年アイテムが共鳴し、最後に遊戯の胸元の千年パズルまでそれが伝播する。
「術式起動はこの通り問題ない。間違いなくやり遂げるさ。宿主の精神が死ぬか生きるか、そのどちらになるかが懸かってるんだからな」
「さてな。その体が欲しいのならその方が都合がいいんじゃないか?」
「大昔にはそう思ってたさ。だがオレ様は気付いちまったんだよ。この体は『獏良了』でなけりゃ、意味がない。その体が『武藤遊戯』であり続けているように」
 バクラは共鳴を止めて千年リングを顔の前に翳し、目蓋を伏せた。千年リングを通じて見る獏良了の姿は未だに顔を伏せて蹲り、声一つ上げずにいる。了は必要不可欠の要素だった。いつか名を取り戻した王にチェックメイトを掛けるための最後のキーパーソン。それにこんなところで衰弱死されたって肉体を持て余すだけだ。千年の好機が泡になる。
 魂の抜殻のような宿主を見るとなんとも言い難い心地になった。どうしてだかバクラまで酷い喪失に襲われているような気分になるのだ。それは事実、バクラが宿主を喪失しかけているからなのかもしれなかった。
「しかしまあ、結界なんてもんを王サマが提案に持ち出してくるとは流石に想像付かなかったぜ。海馬の野郎、この状況を見たらかんかんなんじゃねえか。『遊戯貴様、我が社の近辺でそんな非ィ科学的なことをするんじゃない』ってな。ミニオン共に一体何を言われたんだ?」
「ん? まだ言ってなかったか? オレの発案だ。悪くないと思うんだが」
「ああ、維持コストを他人で賄おうっていうその見上げた根性は悪くないな」
「使わなければいけない気がしたんだ。敵をデュエルに引きずり込むために逃げ道を作るわけにはいかない。向こうはこちらとの交戦を出来る限り避けてきている。意地でもそいつは倒す。――許しちゃいけないものが、世の中にはあるとオレは思う」
「……へえ?」
 バクラは勘繰るように眉をひそめた。だが遊戯はそれに気付いていないようで、一人で拳を顎に当ててまた何か別のことを思案し出す。
「むしろ月行や夜行には迷惑を掛け通しだな。十代やヨハンにも。これでオレの目論見が外れたらえらいことになるぞ」
『そうだねえ。周りの人間を使えるだけこき使って成果なしだったりしたら、ただの迷惑でわがままな王様だね』
「あ、相棒!」
『モニタリングまでわざわざして貰ってるのにね』
「頼む……不安になるから止めてくれ……」
 割って入ったもう一人の遊戯におちょくられている姿を見ると、名もなきファラオ、《生ける伝説》と呼ばれたその人はまるでただのちっぽけな子供のようだった。現人神でもなんでもない、人間だ。
 少なくともそれは多くのデュエリストが彼という偶像の中に見出しているような完璧超人の姿ではなかった。三体の神を操ろうがなんだろうが、所詮はそれだけのことだ。
 世の中の武藤遊戯崇拝患者の奴らにこの光景を見せたらどうなるだろうか、とふと思う。あの遊戯のシンパどもだ。勿論その中には最終調整をかけているらしく今この場にはいない弟子の遊城十代と、その友人のヨハン・アンデルセンも含まれている。あの二人もすべからく夢を見ている類の人間だった。根本的に、この世界には遊戯崇拝の奴らが多すぎる。



◇◆◇◆◇



 土実野町に向かう二日前のことだ。連絡を受けて訪れた先で、ヨハンは扉を開けてその姿を確認するなり飼い主に飛び付く子犬のように二人の男の元へ駆けた。天馬月行と天馬夜行。《ペガサスミニオン》のツートップでありインダストリアルイリュージョン社後継者でもある双子の兄弟。
「月兄、夜兄も! いきなり驚いた。二人揃って会ったのは一ヶ月ぶりぐらいかな。元気そうでよかった」
「きみもね、ヨハン。お久しぶりです遊戯さん、お変わりないようで」
「御無沙汰しておりました。本日は急なお呼び立てで申し訳ない」
「情報は貴重だからね。きみ達が呼び出すとなればそれはもう相当なことだよ。殆ど身一つで来たからお土産の一つもなくてごめん」
「とんでもない。うちの末弟もお世話になったようで、遊戯さんには感謝こそすれ文句なんてつけようがないですよ」
 双子に向き合って遊戯は人好きのする柔和な笑みで握手に応える。彼らは、自分達が年上であるのに関らず遊戯に対して非常に丁寧な態度で臨む。へりくだられるのは好きではないが、好意と尊敬の念なのだと言われてからは素直に受け取るようにしている。
 ヨハンの案内で訪れ、天馬兄弟と相対している面子の中にバクラは含まれていない。彼が頑なに手を振り、「オレ様は遠慮しておく。絶対にだ。絶対に」と拒否の姿勢を表したからだ。「個人的に好かねぇんだよ、あのお綺麗な面が」とは彼の弁だった。まあ確かに天馬兄弟はバクラにとっては苦手な人種だろう。わからないこともない。
 《ミニオン》の子供達は、遊戯の知る限りヨハンを除いて全員がすべからくペガサスを崇拝していた。尊敬という言葉では生温いのだ。寵児達はペガサスの忠実な手足であり、目であり耳であり、言い方を憚らずに言えばしもべ達だった。ペガサスに仇なす全てを許さない絶対の集団だ。ひとかけらでも神への敵意を嗅ぎ取られてしまえばそこで全てが終わってしまう。かつてペガサスと戦って尚無事でいる例外は、ペガサスが認めて親身に思っている名もなきファラオと海馬瀬人だけだ。この二人に関してはペガサスの方にも非があるとさしものミニオン達も認めているらしかった。
 その中でもとりわけ苛烈な手段を美しく装って時に無慈悲に下すのが天馬兄弟だということを遊戯も知ってはいる。彼らの善人らしい表情からは想像しにくいが、事実だ。今までそれを何人か見てきた。天馬夜行と知り合ったのも丁度その「制裁」の時だった。
 バクラはそんなミニオン達を煙たく思って、胡散臭がっている。彼は対極の存在なのだ。誰よりも「神」を、絶対存在を胡散臭いと思っている人種の彼には信徒、とりわけ狂信者の類が許容出来ないのだろう。なんだって利用価値のある道具として捉えているようなそんな手合いだ。
(そんな彼も、少し、獏良くんへの態度は違ったように思えたんだけど……どうなんだろうね)
 遊戯の一人言に名もなきファラオは返事を寄越さなかった。彼もまた、その問題については考えあぐねているのかもしれない。
「それで、きみ達の独自調査の結果はどんな塩梅だい? ボク達もね、少しは新しい情報を齎せるかもしれない。これ、ちょっと見てくれないかな」
「はい。少しお借りします」
「色々あって手に入った……というより奪還に成功した、と言った方が正しいかな。十中八九城之内くんのレッドアイズだと思う。消失リストと照合、出来る?」
「勿論今すぐに。――これを、どこで?」
「サンマルコ広場でね。ボク達を襲ってきたんだ。コントロール奪取したまま持ち逃げ……って感じ、何しろモンスターの統率を執るプレイヤーがいなかったから……」
 カードには精霊が宿っている。しかしその精霊達を現実に干渉させるとなると特殊な媒介なり能力なりが必要になるし、実体化させるコントローラーがいなければ好き勝手に暴れられて被害を出すだけだ。であるにも関わらずあの場にはコントローラーが存在しなかった。それどころかまともに人の影すらもなかったとそう断じてもいい。
 それは明らかな異常だった。お膳立てされた空間に誘い込まれていたかのように。
「襲撃者はもしかしたら、予めボク達がサンマルコ広場を警戒に来ることがわかっていて仕掛けをしていたのかもしれない。誘導するためにあえてあそこを絞り出しやすい条件を整えてきたのかも。あそこならある程度は大型モンスターでも行動出来るし……そうだ。被害報告、聞いてる?」
「はい。市街は少なくない被害を被ったが建物の損害は軽微に留まっている……これですね」
「そう。二体のドラゴンは明らかにターゲットを絞っていた。まるで後始末が面倒だからって言いたいみたいに、建物は避けてた。由緒ある建造物が並んでる区画だしね」
「しかし、実体を伴う被害ということは遊戯さん、もしかして……」
 夜行が思案顔で口を挟んでくる。遊戯は小さく頷いた。
「きみの考えた通りだよ。向こうはどうもモンスターを実体化させることが出来るみたいなんだ。まるで闇のゲームみたいにね……そうなると、こっちもそれに対抗する手段が必要になってくるんだけど、ボクはともかくとして十代君達がちょっと分が悪い」
「実体化……ですか。それでは、サイコ・デュエリストの類が犯人なのでしょうか」
「ああ、あの最近見付かったばかりの」
 遊戯が手を叩くと今度は月行が頷いた。
「はい。我々の方でも何人かの協力者を得て調査を行っているのですが……なにぶんまだ未知の領域ですよ。個々人によって能力のばらつきも見られますし」
「じゃ、ブルーアイズやサイバー・エンドなんかを実体化させるのはかなり難しいんだ?」
「相当な能力者の仕業だと考えられます。最上級モンスターを扱えるのは一握りに過ぎない」
 サイコ・デュエリスト。デュエル・ディスクが普及してしばらくが立つこの世代で発生が確認され始めた新手の「異能力者」として昨今、一部でもてはやされているものたちだ。ディスクとカードを媒介とすることで、カードに描かれているモンスターや効果を実体化させることが出来るらしい。噂では先月の銀行強盗爆破事件は突如目覚めた能力者がその力を悪用して起こしたもの……などとも言われている。モンスター達の力は強大だ。例えば、神のカードがその身を現実に顕現させればどうなるのか……遊戯はバトル・シティでの出来事を思い出して僅かに身震いする。やはりこれは楽観視出来る状況ではない。
 遊戯の後ろで、十代が「サイコ・デュエリスト」と小さくその言葉を反芻していた。その後首を捻る。あるはずの心当たりが思い出せないでいる時の顔をしていた。
「海馬コーポレーション……というよりも、海馬瀬人社長本人と木馬さんの技術協力を得て、デュエル・ディスクと実体化のメカニズムに関してはミニオンで極秘裏に研究を進めている最中です。出来ればその能力は特異で済ませたくない。選民思想が興ってしまうと厄介ですからね。対抗策も今のところ乏しいですし……すみません、話が逸れてしまいました。とにかく、敵は強力なその手の能力の使い手であることが第一に予測されている、と」
「少し厳しいですね。そうしたら、ヨハンなんかはもう足手まといでしょう」
「そんな、足手まといだなんて」
「いいえ、遊戯さん。私達はヨハンを過小評価しているつもりはありませんが、過大評価もしません。彼は精霊と語らえるがそれを武力にされては抵抗出来ない。せめてデュエルにまで持ち込めれば話は別ですが……」
『なるほどな。『いつものやり方』に誘導出来れば、俺達の土俵、ってわけか』
「え、どうしたのもう一人のボク」
『月行夜行と話がしたい。相棒、体を貸してくれ』
「ああ、うん」
 幽体のもう一人の遊戯に了承を返すと、彼が首から提げた千年パズルが瞬間光って人格の交代が起こった。十代にとっては最早見慣れた光景だがヨハンは物珍しいらしく何やら少し興奮している。まあ無理もないかもしれない。《決闘王》武藤遊戯と名もなきファラオの噂話は巷では殆どお伽話のような扱いだった。都市伝説だ。
 実際のところ、体を操る主人格ではない方の遊戯は普段は引っ込んでいるか、傍らにふわふわと浮かんでいるかのそのどちらかである。しかしその状態はいわゆる「幽霊」と形容されるもので、精霊の見える人間には大抵見えているがそうでなければ目視がままならない。だから都市伝説扱いになってしまうのだった。そのために一応、気心の知れた面子以外の前ではあまり会話をしないようにしているらしい。
 遊戯が先程までの穏やかだが強かな表情から一変させて鋭い眼光を天馬兄弟に向ける。二人は特に驚いたふうでもなく、遊戯の言葉を待っていた。
「月行、夜行。そもそもきみ達は『犯人を誘き出す手立てが確保出来た』からオレ達をここに呼び出したんだよな?」
「ええ、その通りです。正確には以前よりも段違いに高い精度で出現地点と時刻を特定出来た、と言った方が正しいでしょう。空間の歪みの規則性を利用しました。二十三次元方程式が……」
「すまないが、そういう専門的な話はオレには理解出来ない。オレが聞きたいのは二つだけだ。まず、それは絶対に信用出来る予測なんだな?」
「勿論です」
 夜行が静かに、しかし堂々と確かに言い切った。遊戯は腕組みをしたまま笑む。
「そうか。きみがそう自信満々に言い切るのなら、そうなんだろう。では二つ目だ。『幻魔』は出せるか」
「……三幻魔ですか? アーミタイルこそ消滅しましたが、確かにラビエル・ウリア・ハモンは無事です。あの一件以来更に警備を厳重にしてアカデミア本校に安置してあります。ただ、今から指令を出してもそう簡単には取り寄せ出来ないかもしれません」
「ならば無理を道理にしろ。予測地点に結界を張るのにあのレベルの媒介が欲しい。三幻神ならばオレの手持ちですぐに用意出来るが、こっちは保険に取っておきたい。敵が手に入れていると予測されるカードには神クラスに匹敵するカードもいくつかあるはずだ。結界に回している余裕があるかというと正直微妙だな」
「結界、ですか」
「そうだ。非科学的な言葉だな。海馬が最も胡散臭いと信じているものでもある。だが、海馬には悪いがオレは迷信深い古代エジプトの人間らしいんでね。魔術も否定はしないし、何より千年パズルと強大な精霊の力は本物だと考えている。ペガサスがかつて千年眼を用いてオレに勝負を挑んで来た時、千年眼は周囲に然程大きくないとはいえ結界を作り出した。飛び込んで来た襲撃者を一定の空間から逃れられないようにするぐらいのことは出来るはずだ」
 何しろ遊戯の存在そのものが非科学的だ。そしてこの場の誰しもが、名もなきファラオと千年アイテムの存在を疑う気力もつもりも持ち併せてはいない。
 月行がゆっくりと頷く。
「了解しました、遊戯さん。確かにあなたが立てば、デュエルで敵う相手などいないでしょう。すぐにアカデミアに要請を送ります。誰かが取りに行かねばならないでしょうが、幸い、予測時刻まであと二日ある。それまでにまた詳細に対策を練ることにしましょう。私達がやるべきこともいくらか見えてきた」
「それは頼もしい限りだ。最後に月行、もう一つ尋ねてもいいか?」
「なんなりと」
「その、予測地点、っていうのは一体どこなんだ」
 遊戯が人さし指を立てて尋ねる。月行は夜行と少し顔を見合わせて、それから「少し奇妙に思っていることなのですが」と前置いて言葉を続けた。
「土実野町の時計広場です。既にプログラムの延期は告知しましたが、本来ならばペガサス様自らが出向いて地域親睦の大会を開いていたはずの場所となります」



◇◆◇◆◇



「外の準備は滞りなく完了してる。ヨハン、それから十代君も。そろそろ遊戯さん達の方へ合流するといい」
「はい。デッキ、ありがとうございました。カード達も綺麗になって喜んでるみたい」
「何枚か魔法カードを複製しておいたから少し調整するといい。融合系統のカードがかなりあるからバランスは考えないと」
「それからヨハンには、ペガサス様から預かっているものがある」
「え、俺に?」
 クリーニングをしてぴかぴかになったデッキをシャッフルしていたヨハンが名前を呼ばれて驚いたような声を出した。養父からの預かりものにあてがなくてぴんとこない顔をしている。夜行に招き寄せられるままに彼の前へ立つと、小さな包みを取り出した。カードケース大のものだ。
「今がその時だろう、と。受け取っておきなさい」
「はい。……あの、」
「勿論開封していい。この場で開けないでどうする」
 包装材を剥ぎ、リングケースのような材質の箱を手に取る。おもむろに蓋を開けると、中からデュエルモンスターズのカードが顔を出した。つまみ上げて表に返す。それからヨハンは息を呑んだ。
 モンスターカードだ。最上級の効果モンスターである。種族はドラゴン、属性は光。ヨハンがずっと探し求めていたものでもあった。「究極宝玉神レインボー・ドラゴン」。
 ――宝玉獣を束ねる主のカードだ。
「ペガサス様が仰ることには、夢にヴィジョンを見たのだそうだ。このドラゴンとE・HEROネオスが立ち並ぶ姿を。きみも十代君も、少し大人びて立っていて、そしてペガサス様に何か語り掛けたらしい。その時ペガサス様は考えられたそうだ。大事な時に、きみにこれが欠けていてはいけないと」
「父さんが」
「イエス。ヨハン、私達の父が」
「俺に、期待してくれてる?」
 ヨハンの声はずっと願っていたカードが手に入った喜びよりも恐怖や畏れが勝っているようにか細く聞こえた。
 十代や月行が首を傾げる。夜行だけは黙ってただヨハンの頭を撫でていた。末弟が何を恐れているのか、誰よりも優れた兄を持つ夜行にはわかるつもりだった。
「月兄。夜兄も。俺は、どうすればいいのかな。俺は月兄みたいにパーフェクトじゃない。夜兄みたいに磨き込まれた宝石でもない。ああいうところに出ると、まだまだがらくたなんだって思う。でも何かしたいんだ。出来ることをやりたい」
「……ヨハン」
「ずっと強くなりたいって、兄さん達みたいになりたいって思ってた。一番眩しい光にはなれなくっていい。でも……」
「ヨハン」
 月行は末の弟の言葉に少しだけ困ったような顔をして、それからキッズスクールの生徒にするように柔らかく抱き締めた。視界いっぱいにヨハンのエメラルド色が広がる。兄弟の中で一番、愛されてきた色だ。
「ヨハン、きみは、間違いなく類稀な宝石だ。きみが使う宝玉獣のように。そしてきみの親友も。でもそれがどれだけの意味を持っているっていうんだ? ヨハン、私がね、パーフェクトと呼ばれているのはきみが考えているような理由じゃないんだ。ペガサス様は私を『パーフェクト・デュエリスト』と称された時にこう仰られた。『成長しきっている。ポテンシャルを限界のぎりぎりまで高めきった、ゆえにパーフェクト』なのだと。だからヨハン、才能なんてものは本当はたいしたことじゃない。大切なのはきみが私達ミニオンの家族であることだ。親友と共にきみが意志を持っていること。違う?」
 ヨハン・アンデルセンは他のミニオン達同様に孤児だった。生まれてすぐに棄てられた彼は、ろくに人間の家族を知らずに育ってきたのだ。大抵の場合世間の人々というものはみなしごを憐れんで見たり、或いは不機嫌に見下した。ヨハンは幸福を知らなかった。
 いつも人間の純粋な愛情に飢えていた。
「ペガサス様がきみを連れてきて以来、私達は幸せで仕方ないんだよ。きみが来るまで、他のミニオンはライバルでしかなかったんだ。きみが私達を本当の意味で家族にしてくれた。そのことを誇りに思っていい。ヨハン、きみは決して役立たずなんかじゃない。そういうふうに自分を卑下するべきではない」
「……うん」
「行って、やるべきことを果たせばいい。信じられるものがあるだろう?」
「うん。家族と、それから仲間達。俺はそれを信じている」
「それでいい。きみがそうやって素直に信じられるものを持っていれば、きっと誰かがきみを助けてくれる」
 私達も、きみの友達も。月行はヨハンの髪を撫でてそう言った。それは一つの確信だ。ヨハン・アンデルセンは然るべき時にきっとヒーローに出会う運命を持っている。どんなに歴史や世界が変わったって、彼がヒーローに出会って、もしかしたら誰かにとってのヒーローになるかもしれないという運命は変わりようのないものなのだ。
 レインボー・ドラゴンが彼を守護する限りに。

















 四人だけが立って、閑散としている時計広場に鐘が鳴った。遊戯が顔を上げる。異変はすぐに、分かり易い形で表出した。
「――時間だ」
 広場の上空、既に展開されている結界の内部に「時空間の歪み」が発生する。そこから現れたのは、大型の白いバイクだった。時空渡航型のバイクとは、これは随分と未来からの闖入者ではなかろうか?
 バイクはそのままゆったりと降下し、砂埃をあげて着地をする。煙が晴れてあらわになったバイクの操縦者は奇妙な仮面を付けて、そこに立っていた。
「お前がカード泥棒の犯人か?」
「随分と《正史》と異なった顔ぶれだな。しかも一人多い。最も驚きはしない。この時標だけはどうしても避けて通れない、摂理だったからな。予測出来ていたことだ」
「答えろ。お前がそうなのか」
「いかにも、理想郷の人形達。……ふ、そうか。私を逃がさぬために小細工とは存外粘着質だな、名もなきファラオ。そうまでする望みは何だ? カード達の解放か? 叶わない相談だ。この歴史にあるべきでない歴史を狂わす可能性を持つカードは根絶されなければならない」
 仮面の男は高圧的によくわからない言葉を並べたててくる。だがはっきりしていることもある。――この男は敵だ。遊戯達が守らなければならない秩序の。
 遊戯は無言でディスクを展開する。敵であれば、打ち砕くのみだ。話が通じなければこれで屈伏させるより他に方法などない。
「ならばデュエルで勝ち、お前をひれ伏させるまで。どうせ逃げられないんだ。お前はオレ達と戦うしかない」
「一対多か。随分と弱気だな」
「なんとでも言うがいいさ。オレは彼らを信じている。それだけだぜ」
「反吐が出るな。……良かろう。私の名はパラドックス。暇潰しに君達の相手をしてやる。安心しろ、殺しはしない。大切な人柱だからな」
 バイクがパラドックスを乗せてまたゆるやかに浮上する。それを受けて海馬コーポレーションの叡智の結晶であるソリッド・ヴィジョン・システムが起動しライフゲージがホログラム表示で現れた。「気を付けろ」遊戯が十代達に耳打ちする。これは十中八九間違いなくライフがプレイヤーの生命に直結する闇のゲームだ。
「大丈夫です。俺は、遊戯さんを、皆を信じてる」
「オレもだ。誰一人疑っちゃいない」
 そうしてデュエルが始まった。
「機械仕掛けのアルカディア」‐Copyright (c)倉田翠.