※長丁場のデュエル後半戦となります。オリカ・原作効果・OCG効果入り乱れていますがご容赦ください。



 いつだったか、ヒーローの出てくるお伽話に魅入っていた。
 《わるものの怪物》が大暴れして、街中をめちゃくちゃに破壊している。逃げ惑う人々、倒れていくビルディングの群れ。無造作に踏み躙られて粉々になり、もはやこれまでかと思われたところにヒーローがやってくるのだ。
 奇跡のように現れて皆を分け隔てなく救い出してくれるヒーロー、待ちに待った三分間に悪者をこてんぱてんにやっつけてくれる世界中全員の正義の味方が大好きだった。憧れて憧れて、いつかそういうヒーローになりたいと思った。年を重ねて世界を救うヒーローなんてものにはそうそうなれやしないのだと知った後も、せめて彼らのように皆の笑顔を守れる人間になりたいと、いつも、そう願った。
 
 空から現れた青年は手を差し伸べて、「大丈夫ですか、間に合ってよかった」だなんて十代に向けて言う。あの憧れのヒーローのようだった。絶体絶命の大ピンチをチャンスに変えて、皆の期待を一心に背負って、その通りに平和をもたらしてくれる。絶対に誰かを見捨てたりなんかしない、正義の英雄。
 青いヒーローは颯爽とジャケットを翻し、バイクから外したディスクを展開させる。遊戯が使っているものと同タイプのKCオリジナル・ディスク初期型デザインだ。ただ虹色のホログラフのような光を生み出しながら高速で回転しているモーター部分を見るに、技術的には大分先の時代のもののようだった。
「遊星、君はどうして……どうやってここに? ここには結界が張ってあって、少なくとも中からは任意で脱出出来ないようになってるんだけど」
「約束したんです。別の世界の未来で、あなたと。誰かが助けを求めていたらどんなところへだって飛んでいくって。……ここには、赤き龍の力を借りました。数年前に寝てしまったのを無理矢理叩き起こしたので少し寝ぼけていますが。そのせいで時空座標がズレて遅れてしまって……でも、問題はありません」
「問題ないって、まさか君、この局面のことをそう言っているのか? そいつはちょっと目算が甘いっていうか……」
「いいえ。自分では、気は確かでいるつもりですよ」
 遊星がきっぱりと言い切る。透き通った空に似た彼の瞳と同じぐらいにその言葉は澄み切っていた。濁りが、不安や怯え、そういった「ドレッド」からもたらされる全てが遊星の中にはなかった。
「俺の話は、多分あなた方にとって胡散臭いものでしょうが……お願いです。今だけでいいから俺を信じて欲しい。俺は、いつだって、あなたの味方です。十代さん」
「いいぜ。君を疑うって気持ちが全然わいてこないんだ。――それに未来から来たなんてすごくワクワクするじゃないか。俺はそういうの、好きだな」
 十代ははにかんでそれに応えた。だってそうだろう、ワクワクしないはずがない。この局面を、敗北の空気を、遊星はあっという間に塗り変えてしまったのだ。十代は元より遊戯やヨハンだって驚いたような顔をして、だけどそれと同時に楽しそうに息を吐いたのだ。突然現れたヒーローを拒むつもりなんてどこにもない。
 十代はカードを構える。そうだ。ヒーローになりたいと思って今までずっとずっとこのヒーローデッキと一緒に戦ってきた。セブンスターズだって、光の結社だって、アメリカ・アカデミアの猛者達――古代エジプトの怨霊とだって。十代が信じるヒーローは絶対に諦めたり、見捨てたり、嘆いたりサレンダーしたりなんかしない。
 それじゃ仲間のヒーロー達に顔向け出来ない。
「サンキュー、遊星。俺は君と今初めて出会ったけど、不思議とずっと前から君のことを知っていたんじゃないかってぐらい君の言葉はストンときたぜ。君に励まされてちゃ、始まらないとも。うん、思い出したよ。ヒーローにとっちゃ、屈伏こそが最大の屈辱だ。行くぜ、俺のターン!」
 ドローしたカードを見てシミュレートする。遊戯が十代に預けてくれた一枚のカード、そして遊戯自身が持っている二枚のカード。それらを召喚出来るように、という作戦は実のところバクラがいる内から立ててあったのだ。焦っていた時はもう何もかも無駄かもしれないと思えた手札だが、今こうしてもう一度見直してみると、これ程状況に適した手札もないとそんなふうに思える。
 これなら今からでも十分巻き返しが出来る。十代はヨハンと遊戯に目配せして、今から何をやろうとしているかをそれとなく伝えた。
「手札から魔法カード『融合』を発動し、手札のフェザーマン及びバブルマン、そしてスパークマンを素材に『E・HEROテンぺスター』を特殊召喚する!」
「なるほど得意の融合戦術は健在というわけか。だがぬるいな。その程度のモンスターで何が出来る?」
「勿論目的はテンぺスターを呼ぶことじゃない。続けて速攻魔法『融合解除』。テンぺスターの融合を解除し素材となった三体をフィールドに特殊召喚!」
「いけ、十代」
「はい、遊戯さん! 俺は三体のモンスターを生贄に捧げて――」
「なんだと?」
「手札から『ラーの翼神竜』を召喚する!!」
 パラドックスが眉を顰める。ラーの翼神竜。三幻神が一柱にして例えコピーカードであったとしても召喚者を選ぶ、いわく付きの一品だ。かつて身の程知らずにもラーを召喚しようとしたリシドは神の怒りを買ってその報いを受けた。それを名もなきファラオが知らないはずがない。だというのに、弟子に同じ轍を踏ませようというのか?
 しかしパラドックスの考えはどうやら外れのようで、十代は何のリバウンドも負うことなく、ラーをそこに顕現させた。球体のスフィア形態から緩やかに姿を変え、その黄金の翼を威嚇するように広げる。三幻神の階級ピラミッドの頂点に君臨する太陽神は、驕りたかぶる三邪神を見下すように高くに舞い上がった。
 遊戯がラーを見て満足そうに頷く。一つ目の賭けはどうやら上手くいったようだ。
「ラーはコピーの時、きみに力を貸したようだからな。恩義もある。アカデミア島での一件があるから恐らく上手くいくだろうとは思っていた」
『危険な賭けだったけどね。ボクは、本当言うとちょっと反対だったんだよ。もしものことがあったらじゃ遅いんだ』
「だが十代は自ら志願してそれをやり遂げた。それで十分だ」
 ラーを使わせてくれ、と作戦会議の時に申し出たのは十代本人だった。いかに遊戯のデュエルセンスが他の追随を許さない突出したものだとしても、流石に独力で神を全て並べるのは骨だ。ある程度のリスク分散は必要だったが、かといってバクラに神を渡すわけにもいかない。
 そこで白羽の矢が立ったのが、たった一人の弟子でありそしてカードとの強い絆を持つ十代だったのである。
 神のカードは確かに、使用する者を選ぶ特別な一枚だ。選考基準は恐らく「古のファラオと繋がりを持つかどうか」。今までに問題なくコントロールをして見せたのは名もなきファラオたる遊戯、古代神官の生まれ変わりであろう海馬、ファラオの秘密を守り続ける「墓守りの一族」の末裔マリク。この原則に則って言えば、例えば城之内はコントロールに失敗して反動を受けるだろうが、マリクと同じく墓守りの末裔であるイシズは制御をし切ると思われる。
 そのラーを、コピーとはいえ十代が何故操ることが出来たのかその理由はわからない。だが理由などどうでもいいのだ。彼がラーと絆を結んでいたという事実が何より重要だった。絆のないデュエルは悲惨だ。カードとの信頼がデュエリストの強さなのだ。
 パラドックスのデッキは借りものの威光だ。海馬のブルーアイズを見れば分かる。プレイヤーとの間には何もない。他人のものをかさにして威張りくさっている、あれは紛いものの道化師だ。
「ラーの攻撃力は生贄に捧げたモンスターの攻撃力の合計分の数値となる。よって攻撃力は三四〇〇! このままじゃ届かないけど、ラーの持つモンスター効果を使えば……」
「思い上がるなよ。『邪神ドレッド・ルート』のモンスター効果! ドレッド・ルートがフィールドに存在する限り、このカード以外のモンスターの攻撃力は半分になる。よってラーの攻撃力は一七〇〇。更にこのモンスター効果は対象の攻撃力が変動する度に適用される」
「なっ……?!」
「つまりドレッド・ルートを破壊するには単純計算で八〇〇〇以上の攻撃力が必要になるってことか……!」
 歯噛みする悔しげな音が十代の口から漏れる。だが神を呼んで遊戯に繋げることが出来た。それでも、遊戯なら何とかしてくれるはずだと信じて十代はラ−にかけた手を収めた。十代の敬する師匠はどんな相手よりも強いのだ。絶対無敵の初代決闘王。彼はいつだって勝利をもたらしてくれる。
「……俺は、これでターン・エンド」
「十代、よくやった。俺のターン、ドロー! 手札から魔法カード『金科玉条』を発動! デッキからレベル三以下の『宝玉獣』と名の付いたモンスターを選択して永続魔法扱いで置く。俺はエメラルド・タートルとアメジスト・キャットを選択。更に手札から『宝玉獣』と名の付いたモンスター一体を特殊召喚しこのカードを装備する。手札から『宝玉獣トパーズ・タイガー』を守備表示で特殊召喚し、ターン・エンド!」
 十代を労うとヨハンは手早く下準備を終えて遊戯にサインを送った。遊戯もヨハンに頷き返す。そして今考えられる最善の一手の為にデッキに手を掛けた。
「俺のターン、ドロー。――来たな。ヨハン、頼む」
「はい。魔法・罠ゾーンに存在する『ルビー・カーバンクル』の効果発動! 魔法・罠ゾーンに存在する宝玉を可能な限り特殊召喚する! 『ルビー・ハピネス』!」
 紅玉となり眠っていたルビーが起き上がりその能力を発揮する。フィールドにルビー・カーバンクル、アメジスト・キャット、エメラルド・タートルが特殊召喚されて代わりにトパーズ・タイガーの姿が消滅してデッキへと返っていく。「金科玉条」の効果で特殊召喚されたモンスターはその効果で魔法・罠ゾーンに呼び出された宝玉がその場を離れた時、デッキへと帰ってしまうのだ。
 でもそれも今は関係ない。大事なのは遊戯が神を呼ぶための段取りが整ったということだった。
「すまない、ヨハン。恩に着るぜ。俺はルビー・カーバンクル、アメジスト・キャット、エメラルド・タートルを生贄に捧げ『オベリスクの巨神兵』を召喚! 更に手札から魔法カード『融合』を発動、手札のジャックス・ナイト、クイーンズ・ナイト、キングス・ナイトを融合し『アルカナ ナイトジョーカー』を特殊召喚し、『融合解除』!」
 十代と同じ手法でモンスターが揃えられ、遊戯の手がカードの上をひらめく。美しく整った指先がカードを操るその所作が既に王者の風格を持っていた。遊戯が一枚のカードをディスクにセットして発動する。先にパラドックスも使用したものだ。かつて海馬はこのカードをこう評した。――『最高の手札補充カード』、と。
 そして手札を一枚でも多く持つことが、彼が一番最初に取り戻した神にとって重要なファクターとなるのだ。
「魔法カード『天よりの宝札』を発動。お互いに手札が六枚になるようにカードをドローする。更に魔法カード『二重召喚』を発動し、このターンもう一度だけ通常召喚を可能とする。三体の絵札の剣士を生贄に捧げ、現れよ、『オシリスの天空竜』!」
「現れたか。名もなきファラオのしもべが」
「オシリスのモンスター効果はダメージステップに攻撃力を随時計算し直すアバターには意味を持たない。だが、固定四〇〇〇の攻撃値を持つドレッド・ルートには有効。オシリス! 『招雷弾』!!」
 オシリスがいかめつい口角を大開きにしてモーションに入る。だがパラドックスはそれに動じる様子を見せず、少しだけ俯いてそれを見守っている。
 おかしいと思ったものの遊戯も強制発動のモンスター効果を引っ込めるわけにはいかない。そのままオシリスで宣言を続行した。
「まずはドレッド・ルートからだ! 二〇〇〇となったドレッド・ルート相手ならオベリスクで相討ちに出来る。『オベリスクの巨神兵』で『邪神ドレッド・ルート』に攻撃!」
「フフ……ハハハ……!」
「……何?」
 突如高笑いをし出したパラドックスに遊戯が顔色を変える。「まさか」という彼の言葉にパラドックスが「その、まさかだ!」狂気じみた声音で肯定をした。遊戯と十代、ヨハンに明らかな戦慄が走る。遊星もやや表情を崩し、しかし彼は無言で押し止まっていた。
「かかったな、名もなきファラオ。私はこの時を待っていた!」
「馬鹿な。貴様何をするつもりだ!」
「お前達の敗北の未来は変わりようがないのだ! それが定められた運命、絶対の真実! さあ絶望しろ、己の無力さを懺悔しろ! 嘆き、自らの無力を、愚かさを呪え――! 罠オープン、『逆刹の絶望』!! 互いのフィールドに存在する神と神が攻撃を行う時、フィールドのモンスター全てを相討たせ、効果破壊する。その効果により次の私のターンまでバトルフェイズは強制スキップされ、そしてそのエンドフェイズに、破壊された私のモンスターは復活する!!」
 六体の神の姿がぶれて重なり、次々に四散していく。頼みの綱であった『神』が墓地へ吸い込まれていく光景にとうとう遊戯も息を呑んだ。それは彼らの想定を超えた結果だった。
「絶望しろ――お前達に未来などない! 全ては絶望、絶望、絶望……破滅の未来だけが唯一の結論。希望など、絆など――信じられる者など、全て全て私が奪い尽くしてやる! さあ! それでもまだ、儚い夢幻にお前達は縋っていられるのか!」
「くっ……」
「何かまだやる事があるのか? ないのなら、ターンエンドを宣言するのだな!」
「……カードを一枚、伏せる。……ターン、エンドだ」
「ハハハハハ! そうだ、それでいい! 見ものだぞ――あの不敗神話に語られた王者がそうして項垂れる姿。滑稽だ。そう……絶望の未来は変えることなど出来ない。かつて私達が成し得なかったように」
 パラドックスの狂ったような高笑いが辺りに響き渡る。最早反論する力さえ遊戯にも十代にもヨハンにも残されてはいなかった。絶望的状況であることは、悔しいが認めざるを得ない真実なのだ。
 一度拭われたはずの重たく陰鬱な敗北の空気がまた戻ってきて辺りを覆った。神が四散するというエフェクトは強烈な衝撃をもたらして三人の表情を曇らせている。神の存在というのは、それ程に大きなものだった。
 ただ一人だけが、表情を異にしてカードを握っている。遊星だ。遊星は未だ強い意思を保ち、きつくパラドックスを見据えてその言葉を否定する。
「いいや。俺達は絶望などしない。誰一人として未来への希望を捨てない」
「……何?」
「未来は決まったものじゃない。俺達が作っていくもので、これまでもこれからも何度だって変えていけるものなんだ。パラドックス、お前は間違っている。歪んでしまった。お前は哀れだな。最早友ですら心の底からは信用出来ないんだ。……だが、俺はお前とは違う。お前が諦めたものも、俺は絶対に諦めない。何度だって乗り超えてみせる。――俺達は、前に進むしかないんだ! 俺のターン!」
 カードをドローし、一瞥した。救世の英雄は微笑む。それは諦めを知らず、いつだって勝利を確信しているそういった目だ。
「手札を一枚捨てて『クイック・シンクロン』を特殊召喚。更に墓地の『グローアップ・バルブ』のモンスター効果! デッキトップのカードを一枚墓地に送ることでこのカードをフィールドに特殊召喚することが出来る。そして魔法カード『ワン・フォー・ワン』を発動、手札のモンスターカード一枚を墓地に捨ててデッキからレベル一モンスター一体を特殊召喚する。現れろ、『チューニング・サポーター』! レベル一、『チューニング・サポーター』にレベル一チューナーモンスター、『グローアップ・バルブ』をチューニング。集いし願いが、新たな速度の地平へ誘う。光さす道となれ! シンクロ召喚、希望の力、シンクロチューナー『フォーミュラ・シンクロン』! 俺はフォーミュラ・シンクロンとシンクロ素材となったチューニング・サポーターの効果でカードを二枚ドロー。……続いて!」
 矢継早にカードを繰っていく。遊星は手を休めることなく召喚を続けた。
「『ジャンク・シンクロン』を手札から通常召喚し、そのモンスター効果で墓地から『ボルト・ヘッジホッグ』を効果を無効にして特殊召喚する。レベル二『ボルト・ヘッジホッグ』にレベル五チューナーモンスター、『クイック・シンクロン』をチューニング。シンクロ召喚、『ジャンク・アーチャー』! まだだ! 俺は墓地の『レベル・スティーラー』の効果を発動。フィールドのジャンク・アーチャーのレベルを一つ下げ、レベル・スティーラーを特殊召喚。レベル一、『レベル・スティーラー』にレベル三チューナーモンスター、『ジャンク・シンクロン』をチューニング。シンクロ召喚、『アームズ・エイド』!」
 フィールドに三体のシンクロモンスターが並び立った。しかし遊星はそこで止まることをせず、彼が信じる奇跡のかたちを顕現させるべく最後の召喚宣言を行った。十代も、遊戯も、言葉を口から出すことなくその圧倒的なデュエルタクティクスを半ば呆然と見ている。
 遊星の右腕の痣が光り、やがて、その背に円形の巨大な赤い痣が出現した。
「これが俺の導き出した答えだ。レベル六となった『ジャンク・アーチャー』とレベル四シンクロモンスター『アームズ・エイド』にレベル二シンクロチューナー、『フォーミュラ・シンクロン』をチューニング。集いし星が一つになる時、新たな絆が未来を照らす! 光さす道となれ! ――リミットオーバーアクセルシンクロ! 進化の光、『シューティング・クェーサー・ドラゴン』!!」
 フィールドを光が覆い尽くし、次の瞬間、巨大なモンスターがそこに降臨していた。
 それはまさに、降臨という表現が相応しいモンスターだった。『シューティング・クェーサー・ドラゴン』、ドラゴン族光属性、レベル十二。神のレベル十すらも超越する最上級モンスターの中でも一握りの、ハイエンド。どんなに遠く離れていても強く強く光り輝いて誰しもが振り向かずにはいられないようなそんな星だ。遊星そのものを映し込んだようなそのドラゴンは誇り高く吼えて時空を乱す主の敵に対峙する。
「デルタアクセルではない……ゾーンを退けた奇跡の体現か。英雄因子の結晶体……」
「俺は英雄でも、救世主でもない。これは俺達の――仲間達、そして俺を信じてくれる人達の希望の形だ。お前のカードの効力でこのターン俺のバトルフェイズはスキップされる。カードを一枚伏せてターン・エンド」
「私のターン。ドロー、私のバトルフェイズはスキップされ、そしてこのエンドフェイズに三邪神がフィールドに戻る。舞い戻れ悪魔の神々よ! 邪神ドレッド・ルート、邪神イレイザー、邪神アバター!!」
 三邪神が再び姿を現してフィールドを圧迫する。クェーサーも巨大な体躯を持っているがそれに引けを取らない存在感だ。思わずまた息を呑み、ぶるりと全身を震わせた。
 遊星の召喚したモンスターは頼もしいと思う。だがあの三幻神、名もなきファラオが従えるしもべ達ですら葬り去ってしまった三邪神を恐れる気持ちはゼロになったわけじゃない。十代は心の奥底でちりちりと燻っている恐れを自覚して歯噛みした。
 びびってなんかいる場合じゃない。奮い立たせて、進んでいくべき時なのだ。そんな十代の胸の内を見透かしたかのように、邪神ドレッド・ルートがにやにやと十代を嗤って見ているような気がした。恐怖を生み出し司る根幹にふとした瞬間に押し負けてしまいそうな気がして、気が立った。
 遊星が十代の不審な様子に気が付いてこちらを向く。
「……怖いですか? この状況が……」
「……正直。君は失望したり落胆するかもしれないけど……怖いよ。びくびくしてる。そりゃ強敵とのデュエルはワクワクするさ、今までもずっとそうやってきたんだ。だけど遊戯さんもいてヨハンもいるのに、神ですらああなって……」
 顔を俯かせる。惨めったらしい目をして、助けてと縋り付く子犬のような瞳だ。
 遊星は首を振る。
「十代さん。今、俺があなたに言えることが一つあるんです。俺はかつて、俺がいる世界のあなたと共に戦ったことがあります。俺はその時あなたを眩しく思った。誰よりも英雄らしい、美しく凄まじい人だとそう思いました。あなたに憧れたんです。それで、俺もせめて誰かを守れる人間になりたいとそう思って……あなたは俺の目標なんですよ。いつだって、今でも」
「……でも遊星。俺は君がそうやって言う程凄いやつじゃない。全然駄目だよ。俺にとっちゃ、君の方がそういうふうに見える。堂々として怯まず、さながら救世主みたいだ」
「勘違いしないで下さい。俺は思い出話をしているわけじゃない。信じてるんです。俺だけじゃない、きっと沢山の人があなたのワクワクしている姿を愛してる。だからあなたも自分を信じてください。胸を張って、そうしたら――あなたはどこまでも行けるそういう人だ」
 遊星の目には迷いも偽りもない。「十代さん」と彼は名前を繰り返した。十代さん、――俺の敬愛する、無敵のヒーロー。
 はっと息を呑む。「ああ、そうだ。そうだったんだ」という奇妙な理解がその時十代に訪れた。はっきりした言葉には直せなかったけれどそれは確かな直感だ。
 ぶるぶるとかぶりを振る。ぱんぱん、と両頬を叩いて気付けをする。それからしっかりと前を向いて、背筋をぴんと伸ばして、しゃんとして地面を踏み直した。
 そこにはもう、ほんの少し前まで縮こまっていた子犬はいなかった。それは紛れもないヒーローの姿だ。
「サンキュー、遊星。そうだよな。自分を信じてなきゃ、絶対に運命を変えて見せるって、そう思えないようじゃヒーロー失格だぜ」
「相談ごっこもようやく終わったか? ならば、挑むがいい。遊城十代、お前達が信じる希望という名の儚き幻に縋りついて! 未来は変わらない。私達がいる限り、絶望を変えさせなどしない!!」
「いいや、それは違うぜパラドックス」
「ほう?」
「儚いのは、果敢無いまやかしはお前の方だ。だってお前の力は皆偽物じゃないか。紛いものだ。皆から奪い集めたカードで何が出来るっていうんだ。だから、お前は未来を変えられなかったんだ。……そうだろ。きっとお前だって一番最初は、絶望の未来なんて望んでなくてそれを変えようと思っていたはずなんだ」
 パラドックスの叫びはどこか悲痛な色相を帯びていた。はじめっから純粋に何の疑いもなく、破滅を望む奴なんてそうそういるわけがない。その言葉からしてパラドックスがそうでないことは明らかで、きっと彼は絶望を重ね過ぎて希望を見失ってしまったに違いない。
 だったら見せてやればいい、とそう考えた。絶望を打ち破る希望はこういうものだってことを、今ここで。
「俺は遊戯さんを信じてる。ヨハンを信じてる。バクラさんも信じてる。遊星も信じてる。たくさんの俺の仲間達を、何より自分自身の絆を信じてる! 諦めちまったお前なんかに絶対負けるもんか。……だから俺は、奇跡だってなんだって起こして見せるぜ。俺のターン、ドロー!」
 少し前に「誰か助けて」、と祈ったことを思い出す。だから今度もまた、十代は祈った。神様、どうか俺に奇跡を起こす力をください。皆の信じる未来を守るための力を。
 願うような指先で繊細にしかし強くカードを引き抜く。それから引き当てたカードを横目に確認して、十代はその時電撃のように体を走り抜けていく感触があることを自覚した。これだ。こいつしかない。このカードを、今、この時、使わずにいる理由がない。
「月行さんに入れて貰った新しい融合カード……月行さん、ありがとう。大事に使わせて貰います。……俺は、手札から魔法カード『平行世界融合』を発動! ゲームから除外されている、融合モンスターカードによって決められた自分の融合素材モンスターをデッキに戻し、融合モンスター一体を融合召喚扱いとして特殊召喚する! 俺は『E・HEROネオス』と――」
 ちらりと隣のヨハンを見た。ヨハンは「全部分かってる」とでも言いたげな顔でこくりと頷いて親指を立てる。
「GO、十代。今こそあいつに、目にもの見せてやる時だぜ」
「ああ! ネオスと『究極宝玉神レインボー・ドラゴン』を選択し、『レインボー・ネオス』を特殊召喚する! 現れろ、俺達の友情の証――『レインボー・ネオス』!!」
 十代の声と共に、光の巨人が天を切り裂いて降臨した。美しい七色の宝玉の羽を持つ正義の使者ネオスの一つの究極体。遊城十代とヨハン・アンデルセンの絆の象徴だ。今までに見たことのないモンスターだったが十代には感じられるものがあった。このモンスターには、十代とヨハンの傷跡と悲しみ、それから喜びと情愛、そういったものが秘められてそれがポテンシャルになっている。
 レインボー・ネオスを仰ぎ見た遊星は懐かしそうに目を細め、パラドックスはばかな、と息を呑んだ。有り得ないものを見て動揺していることは傍目にも明らかだった。
「馬鹿な。異世界事変が消失しレインボー・ドラゴンの生成そのものが遅れたこの歴史にそのモンスターは存在しないはずだ。因果律は歴史にそぐわないカードを尽く否定し尽くす。それが存在するいわれがない!」
「その因果律が十代さんに味方したんだろうさ。パラドックス。所詮お前はヒーローには敵わないんだ。十代さんは、いつどんな時だって誰かのヒーローだ。ヨハンさんが隣にいてこの人が負けるはずがない」
 平行世界融合、というカードの名前がそれを暗示していた。この世界、ゼロ・リバースが奪われた崩壊へ向かう未来から除外された「ネオス」「レインボー・ドラゴン」をパラレル・ワールドで生み出された二人の究極の可能性である「レインボー・ネオス」として蘇らせるという芸当は紛れもなく空恐ろしい程に奇跡じみていた。
 何故ならレインボー・ネオスはI2が正式に作成したカードではないのである。それは異世界で覇王を受け入れて強固な精神力を自らのものとした十代が、異世界だからこそ可能に出来たことだったのだ。
「遊星、このカード知ってるのか?」
「はい。俺の世界のあなたが大切に大切にしていたカードです。ヨハンさんとの絆のかたち。俺も一度見せて貰ったことがあるんです。俺が聞かせて貰った話では、このカードは……」
 遊星が記憶している「赤いヒーロー」は、あの時美しい横顔をまっすぐに空へ向けて内緒話をする少女のようにはにかみその事を教えてくれた。「レインボー・ネオスは俺とヨハンのふたり分のきもちなんだ。俺はヨハンを救うために初めてこのカードを召喚したんだけど、ヨハンだけじゃなくてたくさんの命を救うことが出来た。俺一人じゃ、どんな意志を持っていてもそんなことは出来ない。このカードには俺のこころと一緒にヨハンのこころも入ってる。だからこいつは、いつだって、俺達を繋ぐ絆の証になる」。
 十代の眼差しが遊星には眩しかった。彼がヨハン・アンデルセンに向ける全幅の信頼、混じりっけのない純粋で高潔な愛情、ありとあらゆるうつくしいもの。それは遊星がかつて誰からも向けられたことのないもので、また向けたこともないものだ。遊城十代はヨハン・アンデルセンと二人で完結していた。それは遊星には永遠に手に入らないものだった。
「いつか、世界を救った時に二人の想いを込めたものなんだと」
 レインボー・ネオスに相対する邪神ドレッド・ルートが姿を誇張して見せようとしている。精一杯の虚勢を張っているみたいで、あまり凄そうには見えない。
「盛り上がっているところ悪いのだが」
 パラドックスが苛立たしげに言った。
「忘れたか、ドレッド・ルートの効果を。どんなに攻撃力を上昇させようとその度にドレッド・ルートはモンスター効果を発動させ強制半永続の攻撃力半減を引き起こす。唯一の例外はドレッド・ルートに勝る位階を持つアバターだけだ。因果律を凌駕したことには感嘆するが、それでもその虹の巨人では邪神は倒せない。『邪神ドレッド・ルート』の効果を発動。これにより『レインボー・ネオス』の攻撃力は四五〇〇から二二五〇になる!」
「げっ、やば、そのこと考えてなかった」
「詰めが甘いな。これだから人間は、人形は愚かだと言わざるを得ない」
「――なーんて、言うと思ったかよ。お前が思ってるより人間ってのは強かなんだぜ? なあ、遊星!」
「はい、十代さん。『シューティング・クェーサー・ドラゴン』のモンスター効果! 一ターンに一度、魔法・罠・モンスター効果の発動を無効にし、その対象となったカードを破壊する。俺は『邪神ドレッド・ルート』のモンスター効果を無効にし破壊!」
 シューティング・クェーサー・ドラゴンからまばゆい光が発せられ、邪神ドレッド・ルートが悲鳴のような雄叫びを上げ、霧散する。同時にシューティング・クェーサー・ドラゴンの攻撃力が四〇〇〇まで回復した。十代が「やりい!」と楽しそうに指を弾いて見せる。
「こいつで、最も厄介な邪神ドレッド・ルートはいなくなった。こっから反撃だぜ」
「……だが! 他の二体の邪神は未だ健在だ。アバターでなくイレイザーを狙ったとしても、私のライフ一八五〇〇をどう対処するつもりだ? たった四五〇〇ぽっちではとてもゼロにはなるまい!」
「そ、それは……」
「いえ、大丈夫です十代さん。既に手は打ってあります、攻撃を」
「…………わかった」
 十代は頷いた。
「『レインボー・ネオス』! 『邪神イレイザー』に攻撃!」
「罠オープン、『スターダスト・スパイラル・フォース』! フィールドにスターダスト・ドラゴン、シューティング・スター・ドラゴン、シューティング・クェーサー・ドラゴンいずれかが表側表示で存在する時に発動出来る。このターン、それら以外のモンスター一体の攻撃力をエンドフェイズまで倍にする。選択するのは当然、『レインボー・ネオス』だ!」
「たかだか九〇〇〇だ。致命傷には程遠い!」
 攻撃宣言を続行すると、すかさず遊星の言葉が流れるように彼の整った唇から紡がれてゆく。セットされていた遊星のカードによって攻撃力を底上げされてソリッド・ヴィジョンで作られたレインボー・ネオスの姿が更に巨大化した。だがそれでもパラドックスの言う通りまだ届かない。次のターンをパラドックスに渡すことだけは状況が許してはくれないのだ。
 しかし遊星の伏せは流石にもうない。残るもう二枚の伏せカードも、この状況を想定しているとは考えづらかった。
「どうした。意気込んでもその程度か」
 パラドックスが煽り立てる。するとそこに、予想していなかった声が響いた。
「えへへ……それは、どう、かな……?」
 瓦礫に囲まれた場所から柔らかい声が弱々しくだが発せられる。獏良了、バクラが守らんとした、閉じ籠もって昏睡を続けている宿主のものだ。
 獏良はゆっくり、ゆっくりと起き上がってこちらを見ている。その様子にパラドックスが眉を顰めた。
「……何?」
「獏良くん?! きみは確か、心の部屋で療養していたはずじゃ……」
「約束したんだ。バクラがボクにお願いごとなんて、滅多にないんだよ。それに遊戯くん達の信頼に応えたい。だって、ともだちを助けない道理なんて、どこにもないじゃないか」
 ぼろぼろに疲弊した肉体を引きずるように動かして獏良了がにこにこ笑う。千年リングを握り締めていた指を腕に装着したままだったディスクによろよろと持っていって、彼はしっかりと発動の宣言を行った。
「罠オープン、『リビングデッドの呼び声』。自分の墓地からモンスターを一体、攻撃表示で特殊召喚してこのカードを装備する。ボクが選択するのは勿論『ブラック・マジシャン』」
 ブラック・マジシャンが墓地から蘇る。バクラが自らのラストターンにセットしたカードは、バクラがゲームから降ろされてしまった今でも発動出来るカードとしてフィールドで生きていたのだ。死霊デッキ使いの最後の意地だろう。そしてその意地が今希望を繋ぎ通した。遊戯は確信を深める。絆に孤独は勝ることが出来ない。それをいつだって証明してきたのだ。
「ああ、獏良くん。きみとバクラ、二人の心意気は受け取った。きみ達のおかげでオレはこいつを発動することが出来る。罠オープン、『ブラック・スパイラル・フォース』! フィールドにブラック・マジシャンが表側表示で存在する時、ブラック・マジシャン以外のモンスター一体の攻撃力をエンドフェイズまで倍にする。このターンブラック・マジシャンは攻撃をすることが出来ない。オレは『レインボー・ネオス』を選択するぜ!」
「……何?! だが、それでも、私を倒すには至らない!」
「どうした、パラドックス。あの余裕はどこへ行ったんだ? みっともなく取り乱しているように見えるぞ。残念だが、お前はもうここで終わりだ。決着を着けよう、パラドックス! ――手札から『オネスト』のモンスター効果を発動! 相手モンスターの攻撃力を自分フィールド上の光属性モンスターに加算する! ……さて、効果はここから逆順で処理される。意味は分かるな?」
 レインボー・ネオスの攻撃力がまずは「オネスト」の効果で底上げされ、一〇五〇〇になる。そこに「ブラック・スパイラル・フォース」の効果、二一〇〇〇。とどめに「スターダスト・スパイラル・フォース」、四二〇〇〇。
 十代が人指し指を高く掲げ、高揚した面持ちで高らかに、宣言する。
「パラドックス! 俺は絶対に諦めない。絶望しない。共に戦う仲間達、そして守るべきもののために!!」
「ああ、十代。見せてやるんだ、きみの信じる希望を。オレ達の覚悟を!!」
「いくぜ! これが俺とヨハンの友情に――遊戯さん、バクラさん、遊星、皆の絆の結晶だ。『レインボー・フレア・スパイラル・ストリーム』!!!」
 きらきらと眩しく光り輝く虹の咆哮が邪神もろともパラドックスに襲い掛かり、吹き飛ばして塗り変えていく。ピピピピピ、ビーッ、とシステムの乾いた機械音声が響いてパラドックスのライフがゼロになったことを五人に報せた。もうもうと白煙が立ち込め、やがてそれも晴れてゆく。
 ソリッド・ヴィジョン・システムによる「sin World」の投影が終わったコンクリート敷の地面にバイクと人影が転がっていた。ボディのあちこちが焼け焦げて、ところどころ中身が剥き出しになっていた。
「おい、お前、大丈夫か――?!」
 一番に駆け寄ってそれを間直で確認した十代は思わず息を呑み口を閉ざしてしまった。遅れて集まってきた皆も一様に目を丸くして、驚愕の眼差しでそれを見ている。驚いていないのは遊星だけだ。彼だけは、予定調和のありふれたエンディングを見ているかのようにさして驚きもせずゆっくりと歩いてきて、「ああやっぱり」というふうに息を吐いた。
 パラドックスのボディは酷い損傷だった。捲れた表皮の下から無数のコードやネジ、ゼンマイ、そういったものが見え隠れしてむしろ色とりどりのコードなんかは鮮やかですらある。磨耗してぷちんと切れたコードの端から、たらたらと液が漏れ出ていた。鼻をツンと刺激する深い飴色の液体。オイルだ。
「……驚いたな。本当にアンドロイドだったのか」
「はい。オイルは潤滑を兼ねた補助ですが。心臓部に高性能の小型モーメント・エンジンが搭載されていてそれで動いています。半永久機関ですよ」
 遊星がパラドックスをつまみ上げながら解説を始めた。夢のエネルギー機関モーメント。自らの父が造りあげた世紀の発明にして未来を滅ぼす原因の一つとなった破滅の光。遊星は淡々と言葉を連ねていて、その間瞬き一つせず声音も表情も何一つ変えなかった。繰り返されてきた懺悔の言葉は、酷く重い実体を伴って耳から入り込んできた。
 茶色い革手袋に覆われた指先が無雑作に機械人形の眼球をなぞる。光彩のない硝子玉の瞳。壊れてしまった宝物の人形を撫でるような手付きで遊星はそれを確かめ、懐からおもむろに工具を取り出してカチャカチャといくらかボディを弄り始めた。程なくしてぎょろりと眼球が蠢く。どうやらぴくりともしなかったのは壊れていたかららしい。
「……何のつもりだ。不動遊星、正史の英雄よ。私をまだこれ以上辱めでもする気か?」
「いいや。一つ二つ確かめたいことがあるだけだ。俺は可能ならば十代さん達のところに戻るが、その前に。パラドックス。『世界など破滅させてしまおう』と、そう言ってお前に絶望を植え付け、指示したのは誰だ。俺が知っていたお前達イリアステルは破滅の未来で一度絶望を味わいこそしたがだからこそネオドミノを犠牲にしてでもその未来を回避しようと足掻いていた。間違っても破滅を望んだりなんかしなかった。答えろ、誰だ? 一体誰が唆した?」
「……決まっているだろう。私が従うのは一人だけだ」
「やはり、そうなのか」
「何が『そう』なのだ? 歴史は塗り変えられる。君が救った歴史すら、その気になれば私達は抹消出来る。有史から、私達はそうしてきた。イリアステルは」
「……『Z‐ONE』、なんだな。そうか」
 二人にしかわからない単語の遣り取りを交わしながら遊星が顔を歪める。どん底を知らない英雄の苦悩と哀切の眼差しは、いつまで経っても、やはり機械人形達には苦しい。
 パラドックスにも、今ならアンチノミーが、いや、ジョニーという名のD・ホイーラーがあそこまで伝説の男に焦がれていたのかが分かるような気がした。そんなものになれはしないから、手を伸ばすとそれだけで火傷をしてしまいそうだと分かっているから、だからこそ自傷行為を求めているみたいに追い掛けてしまうのだ。不動遊星が遊城十代を敬しているように。或いは遊城十代が武藤遊戯を崇拝していたように。
 活動限界が近い。四二〇〇〇のダメージを受けたボディはいかに天才の手による施工を受けたとしてもこの設備の悪さではとても完治には程遠かった。
 頭部の機能がもう少しだけ駆動することを確かめてパラドックスはゆっくりと口を開く。この英雄とその器達には話をしてやらねばならないだろう。お伽噺だ。パラドックスに勝利して希望を欠片でも掴み通した彼らのそれは正当な利権なのだから。
「……不動遊星。君は『氷結界』の龍達を知っているかね。モーメントエンジンの暴走に大きく寄与したシンクロ・モンスターだ」
「ああ。グングニル、ブリューナク、トリシューラ……いずれも強力なモンスター達だ。何回か相手にしたことがあるが強敵だった」
「ではその龍達にバックグラウンドストーリーがあることは知っているか? 禁呪使いの一族に封印を解かれた龍達はその猛威をふるうが、後に彼らすら凌駕する一つの勢力が登場する。その名をヴェルズという。ヴェルズは種族や属性を問わずあらゆるモンスター達を取り込み侵食し手勢に変え、次第に世界を占領し始めた。そしてそれは氷結界の龍達も例外ではない。彼らもまた、侵食を受けてヴェルズのモンスターにその姿を変える。……どうした、顔色が優れないぞ。これらは元々I2社がパック販促に制定したシナリオだ、現実にこれそのままの事が起きたわけではない」
「だが……わざわざお前がそれを持ち出したということは……」
 遊星が苦し気にそう言うとパラドックスはふっと笑う。それはここにきて初めて彼が見せた安らかな表情だった。遊星の藍色のまなこを、くず鉄の王様が憧れ続け成り変わりたいと思いまでした「本物」に、ひょっとすると彼は願っているのかもしれなかった。
 負の感情、ありとあらゆる邪念に汚染されてしまった友を救って欲しいと、そんなありふれて当たり前の人間の心で。
「そう、例えるならば……私は『ヴェルズ・オピオン』。君が知っていたイリアステルは既にない。ブリューナクもトリシューラも、疑問を抱いてはいても答えが見えずにいる。私達には従うしか方法がない……」
「何故だ。お前達は、どうして……」
 パラドックスは目を伏せって首を振った。答えは持ち併せていない。
 正しさなど、万人に望まれた正義などとうの昔に失くした。
「伝えてくれ。『コッぺリアル』に魅入られた私達の友に。人形を造ってまで傾倒している彼をヴェルズの悪夢から解放してやってくれ。この時代では事を成せないかもしれない。だが、この世界の不動遊星がいる時代なら……本物の二人が介入しているあの場所ならば……」
 そのままアンドロイドは口を閉ざして動かなくなった。既にそれは、もの言わぬ置物の人形だった。
 獏良が一人で何か呟いて、おずおずと千年リングを揺らす。するとぱちんと弾け飛ぶような音がして、同時に「パラドックス」と名付けられたボディも、狭間に吸い込まれるようにして消えた。
「機械仕掛けのアルカディア」‐Copyright (c)倉田翠.