03:ジェミニ(01) 試験管双生児 |
「ねえドクター、僕達には名前はないの? 名前が欲しいよ。だってそうでなきゃ、お互いになんて呼び合えばいいのかわからないんだ」 子供の一人に請われて、「ドクター」は曖昧に頷いた。試験管が巨大化したみたいなガラスケースの水槽から生まれたばかりの彼らには名前がない。実験動物につきものの識別ナンバーすらもない。コードネームを決める前に、彼らを生み出そうという愚かな願いを抱いた男は死んだ。 二人の子供は一様に濁った昏い暗黄色の瞳をしていて、胡乱な目付きでドクターを見上げてきている。その瞳の中に覇気はなく、およそ一遍通りの「子供」というものからはかけ離れた空気を纏っていた。彼らは人ではない。だが、彼らを生み出そうとした男が研究していた精霊でもない。どっち付かずの半端ものだ。 生まれたままの姿をしている子供達は今まで全身が浸かっていた水槽の中に満たされていたオレンジ色の溶液を体のあちこちに付着させたままで、子宮内の垢を付けたまま母の腹から出てきた赤子と少し似ていた。だが決定的な差異として、彼らは「生まれ落ちた」その瞬間から発達した知性を持ち、自我を持ち、世界にたった二人しかいない実験動物であるお互いを強く強く愛し合っていた。兄弟愛という言葉で片付けるにはあまりにも重々しいそれはしかしとてもシンプルな生存本能だった。 子供達は兄妹だ。同じ親の精子と卵子を人工授精されて一つの試験管の中で二つの命が育てられた。それは酷く悪趣味な意趣返しだった。彼らを創ろうとして死んだ研究員の男が、とうとう手に入らなかった「被検体リリス」の腹から生まれ落ちたオリジナルを模した偽物だった。二人はオリジナルの兄妹に非常によく似た姿かたちをしている。そしてオリジナルの兄妹によく似た、親への愛を持っている。 「ねえドクター。名前をちょうだい。パパとママに呼んで貰う名前が欲しいよ。パパとママも名前がなかったら抱き締めてくれないかもしれない。名前がなきゃ、パパとママに会いに行けない」 兄にあたる少年が必死になって名を求めてくる。しかしドクターはあくまで彼らの試験管の中での発育を手助けしただけであり、はたして名を付けてやってもよいものかという葛藤があった。そうこう思っているうちに妹に当たる少女がくしゅんとくしゃみをする。当たり前だ。ラボの室内は水槽の中と違って裸で生活出来るほど暖かな温度を維持しているわけではない。 「とにかく、シャワーを浴びて着替えなさい。名前はその後だ。風邪を引いてしまっては元も子もない」 「しゃわー?」 そう言ってやると不思議そうな目付きをして顔を傾げる。知らないものに対する反応は妙に子供らしくて、通常体の子供らしくなさとのギャップが異様に生々しい。 仕方なくドクターは二人の背中をぐいぐいと押してラボに備え付けられているシャワー・ルームまで連れて行った。デュエル・エナジーの溶媒液が手に付いてぬるぬるとぬめる。ドクターは一瞬眉を顰めてそれからシャワーのコックを捻った。天井近くに設置してあるシャワーからざあざあとスコールのような水が落ちてくる。 「うわ、冷たい」 「変な感触」 「体が汚れたらこうやって身を清めるものなんだ。パパとママに会いたいのならまずきちんと学ぶことを学んで、服を着て、それからにしなさい」 シャワーの水に体を洗い流されて子供達は初めて体験するその奇妙な感覚にあー、だとかうー、だとかむず痒そうな声を出す。だがそれもしばらくすると慣れてきたのかなくなった。黄緑色の髪の毛を濡らし、双子の子供達が未成熟の少女の体と少年の体を揺らす。 試験管の中で育てられ、碌に世界と言うものを知らない子供達の知識は酷く偏っていた。彼らの中にあるのは世界に一人しかいないつがいの妹、或いは兄と会ったこともない両親への盲目的な愛情と渇望だった。機械で無理矢理脳味噌に流し込まれた知識は断片的で歪だ。彼らは小さなフラスコの中で育ったホムンクルスによく似ている。世界のあらゆる真理を知っているとされるが、肝心なことは何にも知っちゃいないあのフラスコの中の愚かな小人だ。 「君達は知らないことが多すぎる。そんなので会いたいと言ったって無理なものは無理だ」 「ドクター、大人ぶって言うなぁ。こういうのなんて言うんだっけ、えーっと……」 「先生。子供にものを教える大人。それに似てる」 兄の言を妹が冷めた口調で継ぐ。兄が「そうそうそれ」と言って妹の頭を撫でると妹は微かに頬を赤らめた。 「先生みたい、ドクター」 「私は昔教師をやっていたから、それは仕方ない」 シャワーのコックを閉じ、どこからか大判のバスタオルを取り出して来て順繰りに双子の体を拭き取っていく。双子はくすぐったいのか変な声を上げた。今まで二人の皮膚を包み込んでいたものが除去されていく。素肌が何を通すこともなく外界の冷たい空気に触れると、ひゃあと情けない声が上がった。 そっくり同じ容貌の顔をもたげて双子が「寒い」と文句を付けてくる。ドクターは用意してあった籠から色違いの洋服をそれぞれに渡して寄越したが、案の定二人が二人とも洋服の着方というものを今一つ理解していないようで完全に持て余してしまっていた。仕方ないので一人ずつドクターが手ずから着せてやる。 下着を着せてやる最中に、突起のない滑らかな肌が目に入る。兄の体にも、妹の体にも、生殖器が付いていなかった。でっぱりも窪みもなくただなだらかな肌色の皮膚が下から上まで繋がっていた。二人が人でないものを証明しているものの一つだ。人造生命である子供達には生殖機能がない。 二人を少女と少年に区別させている要素は胸部の僅かな膨らみの差と、そしてその口から発せられる声のみに留まった。それ以外に差はなかった。意図的に気味が悪い程に似通っている生命としてデザインされているのではないかと思う。オリジナルの子供達は、模造品の彼らより人間臭いし、あれらは人間に分類される生き物だった。その意味でこの子供達はオリジナルよりも親に近い生き物だ。 「ドクターのところで勉強したら、パパとママと暮らせる?」 「それは無理だ」 「……なんで」 「『パパとママ』には、子供がいる。君達のことじゃない。『ママ』のお腹から生まれた子供だ。『パパとママ』はその子供達を育てている。君達が入る隙間は、ないんだ」 兄の期待が詰まった問いかけにドクターは冷徹な現実を返した。すると子供達の顔が一気にすっと醒め切って、眼差しが虚ろになる。兄は憮然とした顔で「なんだよそれ」と吐き棄てた。 「パパとママの子供は、僕達だけだ。お腹から生まれた子供? 誰だよ、それ。そんな奴ら知らないよ。……そんな奴ら、要らないよ。パパとママの子供は僕達だけ。世界に二人っきりだけ。それ以外は、必要ないんだ」 兄の拳が掴んだガラス瓶をくしゃりと割った。人ならざる腕力がそれを可能にしている。割れたガラスの破片が兄の皮膚に食い込むが、出血はない。刺さったそばからしゅうしゅうと変な湯気を立てて自動で皮膚が再生していく。ものの三秒も経たないうちに怪我は跡形もなく消え去った。 二人の元になった精子の提供者「被検体アダム」と卵子の提供者「被検体リリス」も人の枠組みからは大きく外れた存在だったが、ここまで露骨な自己修復性は兼ね備えていない。それはどちらかというと精霊に近い性質だった。精霊は人界のもので傷付くことはない。 ガラスの破片は人界のものだ。兄の皮膚は人界のものであるガラスに「傷付けられたフリ」をして見せたが、しかしそれはフリであって実際に傷付いたわけではないのだろう。だからこんなにも早く傷口は塞がってしまう。元々刺さってやいないのだから。 「じゃあ、今から君達に名前をあげよう」 着替え終わった子供達の髪を結いあげながら、子供達を宥めるようにしてドクターが言った。兄の荒んだ目付きが一瞬できらきらした子供のものに近くなる。だが瞳の中の色はやっぱり濁っているし、死んだ沼のような様相を呈している。 「兄の君が『龍亞』。妹の君が、『龍可』だ」 もったいぶるような口調でドクターが告げると、双子の兄妹は揃ってわき立って、お互いに向き合って、手を握った。人の物に良く似ているが人ではない指を絡め合う。彼らの体には体温がない。 「僕が『龍亞』で、」 高い位置で一つに髪の毛を括った少年が嬉しそうにそう言って妹の頬にキスをする。 「わたしが、『龍可』」 サイドの高い位置にツインテールに似た形で髪の毛を括った少女がはにかんでそれに応え、兄の頬にキスを返した。 |