Beautiful World

04:ファミリア(03) 月曜日の家族論

 目覚まし時計のベルに眠りを妨げられて、龍亞は寝呆け眼を擦りながら起き上がった。時計の針は十時を差している。時差ボケなんかがあったということを考慮すれば早く起きた方ではないだろうか。
 通路を挟んで向かいのベッドを見るとそこには既に龍可の姿はなく、きちんと畳まれたパジャマが枕のそばにちょこんと置かれていた。どうやら龍可はとっくに起き出しているようだ。龍亞だけ寝坊して仲間外れにされているのかと思うと少し面白くなかったが、恐らくいくら龍可がゆすっても起きる兆しを見せなかったのだろう。しょうがない。
 ベッド脇に立っているハンガーツリーから洋服を取ってもそもそと着替える。まだ頭がややぼんやりとしていて本調子ではない。だが、キッチンから食べ物の匂いがしてくるので龍亞は眠気に耐えて着替えを進めた。この匂いはきっとハムエッグとトーストだ。家族で食べられる食卓を逃すのは本意ではなかった。
「おはよう、パパ、ママ、龍可。あれ、パパ仕事にでも行くの?」
「ああ、おはよう龍亞。父さん今日の午後から支社出向なんだ。休暇の間に溜まってる仕事をチェックしてこないといけないんだな」
「そっか。頑張ってねパパ」
 ダイニングに出てまず目に入ったのがスーツ姿の父だ。ダークグレーの背広はいま一つ父の雰囲気にそぐわなかったが、その服を着込んでいることで「年齢不詳の年若い父」というイメージを「仕事人」に近いものに押し上げていた。
「パパってネクタイ似合わないなぁ」
「普段あんまりしていないしなぁ。いつもはスーツだって着ないんだ。どうも着苦しくてかなわなくて……ベストに指定の白衣を着て社員証さえ付けておけば仕事着なんてものは賄える」
 真顔でそんなことを言う。白衣ということは研究者か何かなのだろうか? 龍亞はそういえば父の勤め先も知らなかったことに気が付いた。これまではそんなことを気にかけたことがなかった。
「おはよう龍亞。龍亞はお寝坊さんだな。龍可が準備は手伝ってくれたから龍亞は片付けやってくれよ」
「オッケー。ちゃんとやる」
「ご飯食べたら荷物整理して、首尾よく終わったら買い物に行こうなー。制服の採寸もしなきゃいけないし。二人とも来週から学校に行くんだ」
「そんなにすぐにドイツ語なんて喋れるようになんないよ?」
「心配ない。日本人学校だから」
 ドイツ語と英語の授業はあるけど、基本は日本語。そう言ってやると龍亞は露骨に安堵してふうと息を吐いた。十代はくすくす笑って、「でもドイツ語覚えないとこの街で買い物も出来ないぜ」と息子に忠告してやる。すると龍亞はびくりと体を震わせて、うわあと頭を抱えた。実にわかりやすい。
「まあそんなに心配することもないさ。母さんだって喋れるようになったんだから、龍亞も龍可もすぐに出来るようになる」
「ママも喋れたんだ」
「当たり前だろぉ?」
 龍可がぽつりと漏らしたのに不満そうな顔をして、十代がドイツ語でヨハンに語りかけてきた。ヨハンもドイツ語でそれに返してやる。子供達二人は何が何だがわからないといったふうに目を白黒させて目線で回答を求めている。
「さっぱりわかんない」
「父さんは世界一かっこよくて、母さんは世界一綺麗だって言ったのさ。そして子供達は世界一可愛いと」
「……ある意味予想通りだったわ」
 龍可が「なんだか損しちゃった」と言わんばかりの声で呟いて食事を始めたので、自然、家族四人でそれからは朝食を食べる時間に移り変わった。それで会話が途切れるということはなく、龍亞は食べながら喋ろうとして妹にも母親にも注意されたりしていた。



◇◆◇◆◇



 インダストリアルイリュージョン社のドイツ支社はミュンヘンにある。何故そこにあるのかは知らないし、誰かに聞こうと特別思ったこともないが、ミュンヘンという街そのものはヨハンにとって馴染んだ場所だった。プロデュエリストになるか研究者になるか迷って一年ぶらぶらした後、結局研究者になろうと思って通った大学がミュンヘンにあるのだ。ついでに言えば、「花を添えると恋の願いが叶う」というヴェローナのジュリエット像に十代と二人で何故か子宝祈願をしたなんて思い出もあるが、まあそれは蛇足だ。
 ドイツ支社に出向するのは日本に旅立つ前以来五日ぶりのことで、ほんのちょっと離れていただけなのに懐かしい気持ちになる。だがそれも建物の中に入るまでのことだ。中に入ったら仕事仕事で郷愁どころではなくなる。
 本社はアメリカにあるが、ヨハンの所属する部署はこのドイツ支社に本拠を置いていた。五年前までは日本支社にあったのだが例の事件、責任者「Y.Y.アナセン」の拉致監禁失踪を受けてこの地に部下達が移転させたのだという。なかなか慧眼であるとは思う。日本警察、セキュリティはそういう「きちがいじみた宗教的異端組織」の検挙は得意ではないし、違法研究機関《EX‐Gate》の研究所の在り処もドイツの僻地だった。
 結果的に彼らの判断はヨハンと十代の脱出に多少なりとも貢献した。まあヨハンの研究は世界中どこでやったって構わない類の物だから影響も別段ない。
 出社を管理しているリーダーにIDを認識させてエレベーターで最上階に上がる。廊下を歩く時にひらりと翻る白衣の感触が好きだ。それがあるから研究職を選んだのだと一割ぐらいは本気で思っている。
 金ぴかのプレートが嵌った部署のドアを開けるとコンピューターに向かっていた部下達が振り返った。彼らは皆頭が良く偏見が少ない。ヨハンをヨハンとして受け入れてくれる貴重な思想の持ち主達だ。
「あ、おはようございます博士。五年ぶりに会うお子さん達はどうでした?」
「大分大きくなってた。そして変わらず可愛い。二人とも妻に似てきた」
「それは良かった。博士、嫌われてたらどうしようかってぐずってましたもんねぇ」
「ぐずってはいない。断じて」
 からかうような言葉にそればかりは肯定してなるものかと毅然とした態度で臨むと何故か部屋中がわき立った。憮然として眉尻を上げる。一体何を滑らせたのだ。
「博士はよくぐずってますよ。泣きそうな顔で『十代に嫌われたらどうしよう』って言うのは最早博士の代名詞なんじゃないでしょうかね。俺達が嫉妬するどころか手を叩いて祝福する仲の良さなのにそりゃないぜ! って何度言おうと思ったかわからない」
「……それ、ぐずるの意味とずれてないか?」
「それはそうと本社から連絡が来てましたよ」
 横やりが入って話題が逸らされる。まだ納得がいっていなかったがいつまでも続ける話題でもないので黙ってその連絡とやらの詳細を聞きに歩いて行った。見当はおおよそ付いている。家族懇談会のお報せだろう。
「またリリーのラブレターか?」
「残念、外れです。CEOからの経営者会議の通達はまだ来てませんよ。これは総務部からです。近々KC《MIDS》の主任が交代するので顔合わせの日程を組んで欲しいとのことですよ」
「へえ、MIDSが世代交代したのか。今回は早いな。阿久津君になってからまだ十年経ってない」
「また不本意な引き継ぎされてるんでしょうね博士。ご愁傷様です」
「いいんだ。しょうがないことだし」
 海馬コーポレーションモーメント開発研究局《MIDS》。前身の《未来エネルギー研究局》の頃から数えて百年近くの付き合いになる部署だ。その百年の間会談に出席するこちらの責任者はヨハンとなっているわけで、四十年を数えたあたりからあちらの方で「どうものI2のアナセン博士は変だ」という噂になってしまったらしい。近頃では《不死者》だとか《例の不老不死》だとか呼ばれていると風の噂に聞いたことがある。不本意だが仕方ない。
「ほら、最近ネオドミノで新型モーメントが完成したらしいじゃないですか。それを受けてネオドミノ市長が是非にと強く推薦したらしいですよ。あの街はKCの企業城下町ですから、逆に言うと街の発言力も馬鹿に出来ないんじゃないですかね。それにフォーチューンの完成は素人の僕から見ても画期的だと思いますから、実績的には申し分ないですし」
「なるほどなあ」
 次の主任は誰だろうかと二割程期待しつつヨハンはスケジュールをチェックする。向こうの都合もあるしそうすぐに時間は割けないが、しかしお上から命令が来ている以上あまり後々にするのも面倒だ。一先ず一月後の日曜を第一候補として検討することにして、それで文面をKCに送るように総務部に返答を書くよう指示した。それから、溜まった仕事のチェックに回る。主なものは不在の間の所員達の提出レポートのチェックで、殆どそれだけなのだがそれがまあ一筋縄ではいかない作業なのだ。
「懇談会に備えて洋服新調しておくかな……」
 思わず考えていたことが口を滑って出る。すると今ヨハンが読んでいるレポートを提出した部下が苦笑した。慌ててヨハンは手を振る。別に欠伸が出る程退屈だったとか、そういうことではない。
 ただ、仕事するのが久しぶりなので休みボケしているだけだ。



◇◆◇◆◇



 トップスの家から運んできた荷の封を解くと、それを皮切りに大整理が始まった。鞄の容量よりも多いんじゃないかというぐらいに衣類や生活必需品、娯楽品、それからカードがばらばらと床に散らばってせっかく綺麗に掃除されていた床が汚れていく。どう見積もっても利用価値のなさそうな玩具の数々を横目でちらりと見て龍可がこれ見よがしに溜め息を吐いた。プラスチック製の安っぽい玩具は龍可にはがらくたにしか見えない。
「龍亞、そんなもの棄てないで持ってきてたの?」
「そんなものって、なんだよ酷いなあ。一つ一つに思い出があるの。いいじゃん、別に」
 スパイごっこがしたいといって通販で昔買ったトランシーバーを手のひらで弄びながら龍亞が口を尖らせる。天平達と遊ぶのだと言って買ったそれだが、WRGPのトラブルに巻き込まれてごたごたしているうちに機会を逃してしまって結局開けたっきり一度も使われていない。ぴかぴかだ。初期傷の目立つブラックの機体は壊れやすそうだった。
 龍可は龍亞の片付けが捗らなそうだと踏んでまず自分の片付けをさっさと済ませてしまうことにする。両親が整えておいてくれた子供部屋の箪笥の引き出しを開け、衣類を詰めながらこれが終わったら龍亞の衣類を代わりに詰めてやろうと考えた。龍可の荷物は龍亞に比べると格段に少ない。お気に入りの本が何冊か、どうしても身の回りで必要なもの、手放すことが躊躇われたぬいぐるみ、そのぐらいだ。
 ハネクリボーのぬいぐるみは、龍可がまだ三歳ぐらいの時に母が作ってくれたもので龍可の枕代わりにされたりしていた。よだれが付着していて白い羽は薄汚れてしまっていたが、だがそれでも思い出の品であることには変わりなく龍可はトップスの自宅に置いてくるのを止めたのだった。でもそれだけだ。龍亞のようになんでもかんでも箱に詰めたりなんかしない。
 母は「ちょっと食材の買い出しに行ってくる」と言って籠を引っ提げてどこか近所のスーパーに行ってしまったので今は家に子供二人しかいない。ここ数日の賑やかさが嘘みたいに、以前の二人っきりの生活に戻ってしまったかのような奇妙な静けさが家中に漂っていていた。もしかしたら父と母と再会したというのは夢幻で、兄妹二人でドイツに越してきただけだったのかもしれないという益体もない考えが頭をかすめた。
 龍可はすぐに首を振る。母は買い物に行っただけで、そう時間がかからずに帰ってくる。父は仕事だ。家族を養う家長として当たり前のことをしているだけで、平日の昼間から家にいるほうがおかしいのだ。
 もう両親が忽然といなくなるなんてことはないのだ。
 龍可には、両親がある日突然帰ってこなくなってしまった時の記憶があまりない。薄ぼんやりとしていて曖昧だ。それどころか、両親と再会するまでは両親との思い出それそのものが随分と希薄だったように思う。まるで何か魔法の呪文でも掛けられてしまったかのように、暖かな思い出の数々が白けたものに薄れてしまっていた。
 今は、鮮明に思い出せる。ハネクリボーのぬいぐるみを渡してくれた時の母の笑顔も、父に肩車をしてもらった時の感触も、両親に兄妹で抱き締められた時の心地よさも。だけど両親がいない間は、そんなことは忘れてしまっていた。
 龍亞と二人っきりで暮らしていた頃、龍可はあまり「父親」という言葉と「母親」という言葉を好ましく思っていなかった。皆にはあって、私達にはないもの。あるようでないもの。事務的なメールの文面に龍可は父性も母性も見い出すことが出来なくて、本当はパパもママも死んじゃっているんじゃないかと何度か考えた。メールを寄越しているのは全くの赤の他人で、だからあんなにもよそよそしいのだ。だが、そう思っていても父と母の署名を最後にくっ付けた無味乾燥なメールは月に一通ずつ規則正しく届き続ける。月初めにメールボックスに入っているそのメールを開封し、三分で読んで、何も見なかったみたいにメールボックスを閉じる。両親がいなくなってからの三年間はずっとそんな感じだった。
 遊星達と出会ったのは、両親がいなくなって二年経った頃のことだった。その頃には兄妹二人だけの生活にも慣れていて、寂しいという気持ちも殆どなくなっていた。遊星を匿えたのも両親がいなかったからこそで、あの繋がりときっかけを手に入れられたことに関しては両親の不在に感謝していた。でもそれだけで、龍可は両親という存在に関して随分とドライになってしまっていたように思う。龍可ばかりでなく、龍亞もだ。あの子供っぽい龍亞でさえあの頃はもう写真でしか顔を見れない父と母に対する信頼というものをほんの少ししか持っていなかった。いなくったってなんとかなるものだと思っていた。
 そんな折に、十六夜親子の騒動に双子は立ち会うことになる。両親に反抗するアキ、なんとか距離を詰めようとするアキの父。傷付けられながらも娘に愛を告白する両親。優しい母。アキの叫びを聞きながら、同情をする反面で龍可は冷めた心を感じていた。反抗することが出来る親が目の前にいることが羨ましく、その幸福を蹴飛ばしているアキが不思議な生き物に見えた。ディスプレイに映る味気ないフォントの並びではなく、実体を持った存在がそこにいるのに。恵まれすぎているんだと心のどこかで思っていた。今になって、それがよくわかる。
 あの時から、龍可も、そして龍亞も家族という共同体を羨んでいた。
「……急に、何考えてるんだろ。私」
 衣類を詰め終った箪笥を閉じて龍可はぼそりと呟く。何だか気分が沈み込んで暗い。ママが太陽みたいに明るいからだ、と思った。太陽が雲に覆われてしまって気分が沈んでしまうのだ。
 その時、玄関の鍵ががちゃがちゃとねじ回される音がして程なくドアが開く。ばたばたという忙しない靴音の後に「ただいまあ」、という明るい声が続いた。母の声だ。龍可は振り返って、玄関の方へ小走りに駆けて行く。
「お帰りなさい、ママ」
「おう、ただいま龍可。しばらくぶりでスーパーのおばさんと話しこんじゃって遅くなった。片付け、進んでるか?」
「うん。私は殆ど終わったわ。龍亞は玩具ばっかり持ってきてるから、まだ当分終わらなそう」
「そっか……じゃ、今日中に出掛けるのは無理かなぁ」
 両親が帰ってこなくなってから四年経ち、丁度ダークシグナーとの戦いにも一段落着いて遊星達がWRGPの出場を目指し始めた頃に月一度の「報告書」は少しずつ様子を変えていった。まず届く頻度が月一から週一に上がった。それと、機械が打ったような型通りのメッセージが人間らしい文章になった。
 それからだ。三年の間もう死人と大して変わらない認識だった両親が龍可の中で「もう一度会いたい人」になったのは。メールの最後に書いてある「愛する龍亞と龍可へ」という言葉に真実味を感じるようになったのは。
 家族が絵空事でなくて、きちんとそこにあるものになる。手を伸ばせば触れられるものになる。龍可は母に手を伸ばして抱き着いた。洋服越しに伝わってくる体温が、安らぎを与えてくれる。
「ん? どうした龍可、ちょっと寂しくなっちゃったか?」
「そうかも。なんだかナイーブな気分なの」
 龍可がそう言うと母は笑って優しく抱き締めてくれた。大丈夫だ。母も父も、ここにいる。
 何の説明もなく手の届かないところに行ってしまったりなんかもう二度としない。



◇◆◇◆◇



「近いうちに、KCの新しい主任と会談することになりそうだ。今度はどんな奴が来るかな」
 夕飯のソテーを飲み込んでヨハンがそんなことを言った。
「新しい主任?」
「うん。阿久津君から市長の勧めで交代することになったらしい。なんでもフォーチューンの実績を買われてだとかなんとか……」
「よくわかんねぇけど、すごいやつが来るってことか」
 十代は曖昧に頷いた。かつてアカデミアのドロップアウト・ボーイと呼ばれていた十代は難しいことを考えるのが苦手だ。頭が悪いってわけではないのだが、苦手なのである。面倒くさがりなのかもしれない。
 そんな両親の会話を横聞きして龍亞と龍可はひそひそと言葉を交わす。ネオドミノの市長が推薦する、フォーチューンの開発者。そんな人は一人しかいない。
(遊星だよ、それ絶対遊星だ。市長ってイェーガーでしょ。イェーガーが遊星を推薦したに違いないよ)
(それにしても、KCってあの海馬コーポレーションでしょう? ネオドミノで一番大きい会社。そこの、どこの部署か知らないけど一足飛びで主任になるって並大抵のことじゃないわ。遊星って本当にすごい)
(うんうん、遊星はすごいんだ。かっこいいし。……ていうか、朝から疑問だったんだけどパパって何の仕事してるんだろ)
 そう思うと、またいてもたってもいられなくなる。龍亞はコップの中の牛乳をぐいっと飲み干してから「ねえ」と徐に切り出した。「どうした?」という両親の声が龍亞に向けられる。
「パパって、何の仕事してるの?」
「おー、いい質問だ。だけど一言で答えるのは難しいな。父さん割となんでもやってるから」
「何でも屋なの? 白衣は?」
「何でも屋みたいなもんだよ。一応白衣着て、コンピューターや何やらと睨めっこして研究をするのを主にしてるけど、純粋な研究職ではないな。専門分野は精霊と人間の繋がりについて、ってことになってる」
「精霊」
 龍亞は今更のようにその言葉を反芻した。デュエルモンスターズのカードの精霊。兄妹で龍可だけが見ることが出来る。でも、龍亞も近頃はいろいろと機会があって見ることが何度かあった。そうするとわかるのだが、彼らは意外な程近くにいる存在でそして大概のものがベクトルこそ違えど純粋さを持っている。
「ヨハンは学生の頃から、『精霊と人間の架け橋になるのが夢だ』って豪語してたんだ。最初聞いたときはびっくりした。ほんとに夢だなって思ったさ……勿論、今も昔も素敵な志だと思ってるけど」
「架け橋って、随分ロマンチックな物言いね」
「いい夢だろ? 精霊も人間も皆が幸せになれる世界を作るのが父さんの夢なんだよ」
「その前に、今度は子供を幸せにしてちょうだいね」
 龍可が五年間の放蕩を根に持っているように言うとヨハンは弱り顔になって、十代は「え、俺は?」とすっとぼけた声を出した。「ママはいいの。ね、龍亞」と龍亞に同意を求めると龍亞も「そうそう」と同調する。
「ママはパパとめちゃくちゃ仲良しじゃん。ラブラブって言うか。見てるこっちが恥ずかしいぐらいだよ……それって、幸せってことじゃないの?」
「あー、まあ、そりゃそうだ。そう、母さんは父さんと一緒に居られればそれで幸せなんだ。うん」
 しあわせ、と拙い口運びで十代がその言葉を繰り返す。「しあわせ」。幸福であるという気持ち。ふわふわと浮ついて実体がなく、定義が難しいものだ。だが誰しもが手に入れる権利を持っている。皆どこかしら幸福なところがあって、だが物質社会に慣れきった現代人はそれに気付くことなく飢えていると叫ぶ。いつだったか国語の授業で読んだ文章にそんなことが書いてあった。寝こけていた龍亞は覚えていないかもしれないけど、龍可は覚えている。父と母の存在がそれらしいものになってきて、丁度そういうものについて考えていた時だったから。
「簡単なことなんだよな、幸せになるのって。まずは感謝するんだ。あらゆる命に敬意を払って、感謝する。それから大事な人に抱き締めて貰って、キスをして貰えれば、俺にとってそれ以上の幸せはないなぁ」
 母が知ったふうに、老獪な教師のように言った。母、十代の口から哲学的な教えが飛び出してくると見た目にはいまいちそぐわないくせ、妙にしっくりと馴染んでいた。
「じゃ、俺は後で十代をハグしてキスしてやればいいのかな。ところで、龍可。そんなことを言うぐらいだ、龍可は今幸せじゃないのか」
 父が心配そうに龍可の顔を覗き込んでくる。龍可はううん、と否定して首を横に振った。
「全然。パパもママもいるし、龍亞もいるし。遊星達と離れてちょっと寂しいけどそれだけよ」
「そうか。それはよかった」
 ヨハンは安堵したような顔になってキスの代わりに娘のおでこを撫でてやる。この父は、彼なりに子供達をほっぽかしていたことへの負い目というものをもっているようだった。それに気付いて、龍可は言ってやる。
「大丈夫、私、パパのこともママのことも別にうらんでたりしないわ。二人とも私の大事な人。大切な家族なの。龍亞と、パパと、ママと、私。家族四人が揃ってれば私は幸せなのよ」
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