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05:ファミリア(04) 不死のアナセン

 アキちゃん、元気にしてるか? うちの双子はすこぶる元気で、この頃は学校にも大分慣れてきたみたいで楽しそうにやってる。遊星達のデュエルをずっと見ていたおかげか、校内でもデュエルの腕は結構な位置にあるんだって龍亞が自慢してた。俺からしてみりゃ、まだまだってところなんだけどそう言ってやったら「十代は基準にならない」ってヨハンの奴がさ。俺、こう見えてもデュエルの腕には覚えがあるんだぜ。アカデミア本校でいろんなこと体験したし。
 機会があったらアキちゃんや遊星ともデュエルしてみたいなぁ。俺のヒーローデッキ、結構すごいぜ。
 っと、話が逸れたな。再会して一ヶ月ぐらい経ったけど家族でよくやってる。龍亞はちょっと心配になる時が多々あるけどあれでヨハンに似て思慮深い子なんだ。おっちょこちょいなのが直れば随分良くなると思うんだけど誰に似たんだろうな。俺かな。
 龍可はすこぶるいい子で、時々本当に俺の血をひいてんのかなって思うけどヨハンと龍亞が言うには俺に似てるとこが結構あるってさ。龍亞と龍可の関係がちょっと俺とヨハンに似てるような気がするってヨハンが唸ってた。俺は龍可が龍亞にする程厳しくヨハンに当たってないと思うんだけどなぁ。そう言ったらデコピンの後にキスされた。よくわからない。
 そうそう、この前ヨハンが遊星と会ったんだって。なんでも遊星、あの若さでKCのどっかの部署の代表主任になったらしいな? ヨハンが随分褒めてた。ヨハンはI2の方の代表としてその新しく交代した主任と会うことになってたんだけど、そしたら来たのが遊星だったらしい。遊星も忙しそうだな。アキちゃん、連絡はしといて損ないと思うぜ。余計なお世話って思うかもしれないけどな。
 とりあえず、今回はこのあたりで終わりにしておく。長々と変なメール送って悪いな、アキちゃんも体調とか十分気をつけるんだぞ。それじゃ、また。

 遊城十代



◇◆◇◆◇



「最初はですねぇ、親の七光だと思ってあまり君のことをよく思っていなかったんですがあれを見せられてはねぇ、納得するよりほかないってもんです」
 海馬コーポレーションモーメント開発研究局《MIDS》の前任主任だった男――阿久津がしみじみと言った。立話をする二人の目の前には先日完成したばかりの「フォーチューン」が鎮座している。
「不動という苗字が同じだからなんだと内心思っていたのが恥ずかしいぐらいですよ。血とかそういうのは関係なく、君は結果を出した。私が部署移動するのにそれ以上の理由はありません。より一層の我が社とネオドミノシティ、そしてモーメントの発展と君の貢献に期待しています。不動遊星新主任」
「ああ。あなたの新しい部署での活躍を俺も確信している」
 前主任からの引き継ぎを終わらせて遊星も素直な言葉でもって好意を返した。かつて遊星の父である不動博士の元で働き、その後にキャリアを積み上げて主任の位置に登り詰めたその男もまた不動博士、ルドガー・ゴドウィンと同様にモーメントの光に魅入られた一人であったのだと思う。彼はモーメントに携わるどの人間よりもモーメントを愛していた。正しく彼はモーメントの虜であった。
 阿久津の次の職場はモーメントの小型化と民間利用を主な課題とする部署だ。人事移動の後も彼は愛するモーメントとの戯れを十二分に堪能出来るであろう。阿久津の顔はそれ程曇ってはいない。
 だが遊星が納得して立ち去ろうとすると、「ああそういえば」という声が発せられて遊星の足を引き留めた。
「近々挨拶も兼ねてインダストリアルイリュージョン社の極秘部署責任者との会談があると思いますが、それには十分留意した方がいい。いや別に、相手方の人が悪いってわけじゃない。ただ妙な話が絶えないんですね」
「……妙な、というと?」
「今現在はMIDS、それ以前は未来エネルギー研究局の代表がその部署とパイプを繋いでいるんですが――嫌な顔しないでください、別に癒着してるってわけじゃありません。うちとI2は正式に提携していますし――ここ百年の間、向こうの代表はずっと変わっていないらしいですよ。俄には信じ難い話ですが。見てくれは年若い男なので私自身は代々襲名をしているだけなんじゃないかって思うんですがね」
 そんなことを言って阿久津はまるで怪談話でもしているみたいにずずいと人差し指を立て、顔を遊星の方に近付けてくる。遊星はやや後ろ退った。あまり迫られると顔が怖いのだ。
「それに、個人の感情としてあの人のことが苦手なんです。なんだか人離れしているような気がしてねぇ。あの人のことを知る身内では彼をこう呼ぶ者が大半です。《例の不老不死》《若年寄》、そして《不死のアナセン》。ようは百年生きてるんじゃないかってことを怖がって揶揄している」
「……その人の、本当の名前は」
「わかりません」
「えっ?」
「あの人はあまり自分のことを話したがらないんです。名刺には『Y.Y.アナセン』とだけ書いてあって、仕方ないので本人と対する時はアナセン博士と呼んでいます。まあ、会った時に君なりに考えてみてください」
「はあ……」
 遊星はなんだかすっきりしない気分になったが、阿久津の方に「話はこれだけです、引き留めてすみませんね」と言われてしまったので話はそこで途切れ、もやもやとした後味の悪さを残したまま終わってしまった。

 結局今に至るまでその人についてそれ以上の詳しい情報は得られていない。そして、今遊星は本社上層部からの通達を受けてインダストリアルイリュージョン社の極秘部署とやらに来ている。不死者、不老不死、皮肉った呼称の若年寄、等々。そういったあだ名を付けられている「Y.Y.アナセン」なる人物は一体いかような存在なのだろうか? 疑念と不安は尽きないが、遊星は金ぴかのプレートが嵌め込まれたドアを思いきって開けた。とりあえず言葉の通じる存在が出て来ることには違いないのだ。



◇◆◇◆◇



 ドアの向こうにいたのは、白衣を着た人間だった。髪は綺麗な蒼碧で、上方にはねていた。どこかで見た覚えがある髪型だ。それも大分最近に。
 ドアが開いたことを察知してか、その人が振り返る。眼鏡の下にあるエメラルドグリーンのきらきらした瞳が遊星の姿を認め、にこりと笑った。人好きのする笑みだ。
 遊星はまず最初に自分の見間違えか、人違いを疑った。世界にはまったく同じ顔の人間が三人存在するという。もしかしたらその手のそっくりさんかなにかではなかろうか。だって遊星が一瞬可能性を考えた人物はよく知った双子の父親で、その双子は今年十四を数えるかどうかの年齢だ。百年生きているなどという噂の立つような怪しい男と双子が親子であるとは思えない。
 だがその人の口から出た声と言葉は無情にも遊星の現実逃避めいた思考を打ち砕いたのであった。
「や、久しぶり遊星君。新任って君のことだったのか。若いのにすごいなぁ」
 かたんという音が立ってマグがテーブルに置かれる。白いマグには、「Love My Wife」という文字とハートマークがややピンクがかった濃い赤で描かれていた。いかにも外国人が好きそうな、アメ横丁あたりで売っている「何か間違った商品」に見えた。
「あなたが、『Y.Y.アナセン』?」
「そ。『遊城・ヨハン・アンデルセン』の略みたいなもんだよ。偽名だけど。俺の故郷のデンマークではアンデルセンって綴りでアナセンって発音するんだ。あんまり本名教えたくないもんで、基本そう名乗ってる。まあ君に隠す必要はないから今言っちゃうけど」
「不老不死だとか不死者だとか言われてる?」
「イエス。改めて自己紹介しよう、不動遊星君。インダストリアルイリュージョン社極秘研究部門最高責任者、遊城・ヨハン・アンデルセンです。主な仕事は経営統括とマーケティングリサーチ、カードと精霊の相関研究その他。要はなんでも屋なんだ。ちなみに君のスターダストも俺が選んだ精霊なんだぜ」
 スターダスト、という単語にぴくりと肩が震えた。かつて聞いたゴドウィン兄弟の話を総括するとスターダスト・ドラゴン、及びモーメントの制御装置として造られた四枚のカードが誕生したのは二十年ちょっと前のことになる。若く見える性質だとしても、彼は双子の年からしていいとこ三十代のはずだ。年齢がうまく噛み合わない。
「君の父親の不動博士には良くして貰ったよ、酒飲み友達だったんだ。彼はいい奴だった……俺にも普通に接してくれたし」
 いよいよ計算が合わなくなる。遊星の父は二十年前に死んでいるからそれ以前に二十歳を超えていなければ話が合わない。
「あなたは何者なんです」
「ストレートに聞くねぇ。君のそういうところが俺は好きだよ」
 けらけらとその人が笑って指を鳴らす。その瞬間、何もない所から突然白いドラゴンが出現した。以前もっと大きなサイズのその龍を見たことがある。ヴェネチアのサンマルコ広場、赤き龍の力でタイムスリップし遊城十代と出会った場所でパラドックスが操っていたカードだ。
「究極宝玉神レインボー・ドラゴン、俺のフェイバリットにしてエース、そして『俺自身』でもある。俺イコールレインボー・ドラゴンだ。くくっ、遊星その顔傑作だぜ。『何が何だかわからない。これは悪い夢なんじゃないか?』そんな感じだな。だが残念なことにこれは夢じゃなくて現実だ。俺はね、半分人間で半分が精霊なんだ。だから確かに百年ちょっと生きてることになる」
 不老不死なんて言われてるのはそのせいさ。ヨハンが肩を竦めてぺろりと舌を出してみせる。悪戯っ子のような仕草だが、しかし言っていることは悪戯なんて生易しいものではなかったし、頭が沸いているんじゃないかというぐらいにぶっ飛んだ内容だった。まず彼は自らが百年以上を生きているということを肯定した。次に半分が精霊なのだと言った。――半分が、人でないのだと言った。
 それは一体どういう意味なのだろう? 遊星の頭の奥の方で、冷静な自分が「だから、半分はレインボー・ドラゴンなんだろう?」と腕組をしていてあたふたとした自分が「何が何だかわからない。何もかもが謎だらけだ!」と漏らしていた。秤が後者にずるずると傾き落ちていく。ヨハンがレインボー・ドラゴン? 言葉が上手い具合に頭の中で繋がろうとしない。
「……龍亞と、龍可は。十代さんは。……どう、なんです?」
 やっとの思いで出てきた二の句は話の斜めにずれていたが、ある意味遊星にとっての核心でもあった。仲間の双子、尊敬する十代、彼らは遊星の信じる世界の一部で遊星の信仰する世界を形作る一ピースなのだ。そのうちの一つである十代に関しては一月とちょっと前にやや変形してしまっているような気もするが、だが大事なものであることに変わりはない。
「龍亞と龍可はごく普通の人間だよ。俺の自慢の子供達だ。目に入れたって痛くない。可愛いだろ? 十代は俺とおんなじさ。いや、十代が俺を彼女と同じものにしたんだ。俺が、十代と同じになった。でもそのことを恨んでるとかそういうことはなくてむしろ感謝してる。世界でひとりぽっちの化け物になってしまったのだと嘯くあいつを大丈夫なんだって抱き締めてやれる」
 ヨハンの答えは決定的に遊星の価値観を揺さ振った。この人達はいつもそうだ。いつもそうしていとも簡単に遊星の常識を破っていく。男は女にはならない。人は百年余りで老いて死ぬ。殻がぱきぱきと破れて飛び散る。遊星の当たり前がそうでなくなる。
「半人半精の俺達から普通の子供が生まれるってのも妙な話かもしれないが、あの子達はちょっと変わってるだけの人間だよ。昔の俺達と一緒だ。ちょっとだけ不思議な世界を知っていて好奇心が強い。それだけさ。きっかり年齢通りに成長していて、だからあの子達はいずれ俺達より先に年老いて死んでしまうだろう。それはしょうがないことなんだ。だから俺達は精一杯あの子達を愛してる。これまでもこれからもずっと」
 遊星は深く考えることを止めてただヨハンの言葉を聞いていた。どうしてこんな話の流れになっているのかも、考えないことにした。考えるだけ無駄なような気がした。
「遊星君、大事な人が次々と自分より先に死んでいってしまう気持ちってわかるか? 命が永らえるってのはそういうことなんだ。不老不死を望む人間のなんと愚かなことか――馬鹿みたいだよ。生きれば生きるだけ苦しいことがあるんだ。その分だけ辛いことと悲しいことがある。それは孤独であり、絶望だ。理を外れるってことはろくなことじゃない」
 《不死者》が、《例の不老不死》がそう言う。《不死のアナセン》、理を外れた張本人の言葉にはいやな重たさがあった。その言葉には確かな現実味があって、遊星にのしかかってきた。想像も出来ない様々な苦痛が遊星の脳裏を掠めた。前任者の阿久津が彼を苦手だと言った理由がわかった気がする。阿久津にこういう込み入った話を彼がしたとは思えないが、だが普通に話をしていたとしても彼の言葉には生きた年季に相応しい重みがあるのだ。
「俺は幸運なことに、十代と生きる可能性を与えられた。とても幸せなことだ。愛する人のそばに寄り添っていられるというシンプルでそれゆえに至上の幸福だよ。……突然長々とこんな話をしてしまってすまない。だが君が『知りたそうな』顔をしていたものだからついね。不動博士によく似ている。どうも不動の血縁には喋らされ過ぎてしまってよくない」
「父も同じ話を?」
「した。まだ子供達は生まれていなかったけれどね。彼は数少ない理解者の一人で、気の許せる友だった。……惜しいことをした」
 ゼロ・リバースのことを指してだろう、ヨハンの顔が暗くなった。遊星の顔も重くなる。遊星にとって人生最悪の記憶にして今でも忘れ得ぬ罪の形こそがゼロ・リバースだった。遊星にとっては原罪に等しいものだった。
「親友だったんだ」
 知りたいかい? 君の父親のことを。寂しそうに笑ってヨハンがそう尋ねてくる。遊星はただもう、黙って頷くことしか出来なかった。聞かなければいけないような気がした。
「あれは、ゼロ・リバースが起きる一ヶ月前のことだった。君の父親は突然俺の元を訪ねてこんなことを言ったんだ。『カードを作りたい』ってね」



◇◆◇◆◇



「そんなことで俺を使う人間は君ぐらいのものだよ、不動博士。I2社との体のいいラインだからってみだりに乱用するんじゃない。オリジナル・カードを作る権限自体は俺は持ってないんだ」
 ヨハンが呆れ声でそう言ってやるとその男は「あれ、そうだったんですか?」と本気で驚いたように目を見開いた。何の根拠があってそう信じていたのだろうか。ヨハンはカードデザイナーではないし、カードデザイナーの部下もいない。ついでにカードデザイナーを統括する立場でもない。
「アンデルセン博士ならなんでも出来ると思ってたんですけどそうじゃないこともあるんですね。いやー、すみません」
「いや別に面白いからいいんだけど。一体どうしてそんなことを思ったんだ」
「今作ってる機械の制御キーにカードが四枚欲しかったんですよ。なんとなく。持ち運びやすいし隠しやすいし、託しやすくそして強度もいい」
 カードは時に刃物顔負けのことをやってのけますし。真面目な顔で言ってくるのでそれは手品か何かの手口に違いないと教えてやるべきか一瞬迷ったがヨハンはすぐに思い直した。I2謹製のカードなら確かにそのぐらいはたまにやってのけるからだ。鋼鉄のように頑丈でありしかし拳で握りつぶせるデュエルモンスターズのカード。あれがどのような製法で作られているのかは未だにヨハンの中でも解明されていない謎の一つである。
「制御キーにカードかあ。そういう奇抜な発想が科学者には大事なのかね……で、種類は何にするつもりなんだ。魔法カードか? フィールド魔法なんかいんじゃないか」
「なんだかんだ言いつつ話に乗ってくれますよね、アンデルセン博士は。種類はもう決めてあるんです。シンクロ・モンスターにしようと思って」
「へえ、シンクロか」
「ええ。モーメントと同じ進化の光のカードですよ」
 シンクロ・モンスターは通常モンスター、効果モンスター、融合モンスター、そして儀式モンスターに次いで最近新しくデザインされたモンスターカテゴリだ。融合と同じようにエクストラデッキにカードを収め、チューナーモンスターを用いて呼び出す新たな上級種。儀式と融合のハイブリッドと言うのが近いか。
 真っ白いカード枠、召喚時にグリーンのわっかのエフェクトを潜り抜ける演出、それらのことからシンクロ・モンスターは一部で「進化の光」などと呼ばれている。純粋な希望の体現なのだ。
「モンスターなら、断然種族はドラゴンだな。ドラゴンはいいぞ、なんといってもかっこいい。力強く気高く美しい」
「アンデルセン博士のフェイバリットもドラゴンですもんね。でもそれ、いいなぁ。私も龍は好きですよ。武藤遊戯のオシリスの天空竜とか、海馬瀬人のブルーアイズとか子供の頃は憧れたもんです」
 そう言って不動博士が大昔の「伝説のデュエリスト」の名を出す。懐かしい響きにヨハンは年甲斐もなくうっとりとまなじりを下げた。二人ともヨハンにとっては生きて動いていた人間に相違ないが、不動博士にとっては文献の中の英雄だった。そこにはアイドルと神話の英雄ぐらいの認識の差がある。
「ドラゴン……ドラゴンかあ……どいつらがいいかなぁ。なあエンシェント」
 気楽に呼び掛けるふうに気安く精霊界の女王龍の名前を呼ぶ。すると呼び出された妖精女王エンシェント・フェアリー・ドラゴンは腕組をしてぷんぷんと可愛らしく怒るような素振りを見せた。
『宝玉神。大した用がないのなら呼び付けないでくださいな。私だって暇をしているわけではないのです』
「そうつれないこと言うなって。四体、ドラゴンの力を借りたいんだ。エンシェントのお眼鏡に叶う奴ら、紹介してくれないか?」
『ドラゴン?』
「ああ。ちょっと特別なシンクロ・モンスターにさ。一体はスターダストがいいなぁ。十代が昔言ってたモンスターがスターダスト・ドラゴンっていう名前のシンクロモンスターだったはずだ」
『ああ……概ねわかりました。ドラッへが会ったという未来の青年が操っていたのならばあの子もいずれかのタイミングでカードになる運命なのでしょう』
 もの分かりのいエンシェントが文句を言いつつもヨハンの要望に応えて精霊界からドラゴンの精霊を呼び出していく。まず星屑を散らす白銀の龍が現れ、次いで全身が赤薔薇で彩られた龍が現れた。炎を纏った悪魔の龍が猛り、最後にやんちゃそうなオレンジ色のドラゴンが全身を震わせる。
「この四体?」
『い、いえ……ライフ・ストリーム、あなたのことは呼んでいません』
 どうやら自身を含めて四体のつもりだったのにライフ・ストリームというらしいそのドラゴンが勝手に飛び出してきてしまったようだ。エンシェントはおろおろしてライフ・ストリームに精霊界への帰還を促したが聞いてくれる様子がない。
『ライフ・ストリーム、そうしていつまでも聞き分けがないからあなたは子供だと言われるのです』
 エンシェントが困ったように嘆いた。ヨハンはなんとなく出来の悪い子供が怒られている気分になってしまって「まあまあ」と彼女に声をかける。
「じゃあ五枚カードを作ればいい。最後の一枚は俺が預かって、いつか生まれる子供に渡すさ。そんなに怒ってやるな」
『ですが……』
「いいんだよ。なあ、不動博士」
「ええ。折角来てくれたのに悪いですし」
 不動博士がにこにこと気持ちのいい笑顔でヨハンに賛同した。五体の実体化したミニサイズのドラゴン達を撫で、ライフ・ストリームに特に優しく触っている。ライフ・ストリームがきゅるきゅると喉を鳴らした。他のドラゴン達もその様子に好意を示してヨハンに加勢する。
 最終的にエンシェントが根負けすることになって、彼女はライフ・ストリームが余分なカードとなってヨハンの元に渡ることを認めた。
『改めて紹介しましょう、スターダスト、ブラック・ローズ、レッド・デーモンズ、ライフ・ストリーム、そして私エンシェント・フェアリー、こちらから提示するのはこの五体です。不動博士、あなたが何を目的としてシンクロ・モンスターのカードを製作するのかは知りませんが”特別な”力ある精霊達を望むのであれば彼らが相応しいでしょう。ブラック・ローズとレッド・デーモンズは多少気難し屋ですがその分これと決めた主には誠実に対応するはずです』
「サンキュー、エンシェント。まあ、不動博士なら悪いようにはカードを使わないさ。きっとこいつらも最後にはいい主に巡り合える。不動博士、一ついいこと教えてやるよ。このドラゴン達のうち一体、『スターダスト・ドラゴン』は巡り巡って不動遊星という名の少年の元に辿り着く。らしいぜ。昔な、妻が言ってたんだ。未来から来た青年がこのドラゴンと共に闘っていたって」
 不動遊星、不動博士の生まれたばかりの息子の名前だ。他の歯車を支える核となることでその真価を発揮する遊星ギアから名を取って付けられた。きっと、その名が示す通りに人と人とを繋ぐ架け橋のような存在になるだろう。なんと言ってもこの不動博士の息子なのだ。
「博士の息子はヒーローになるぜ。何故なら、うちのヒーローがそういうふうにべた褒めしていたからだ。あいつはちょっとのことじゃそういうふうに褒めたりはしない。よっぽど気に入ったんだろうなぁ」
「出ましたね、アンデルセン博士のヒーロー。世界一綺麗で、世界二にかっこいい奥さん」
「実際そうなんだ。あいつは何度も世界を救ってきた。あいつは、十代は、俺達の英雄だった。だけど人間だから完璧なわけじゃないんだ。それを知ってしまったから抱き締めてやりたいと思って俺は十代と結婚した。俺の唯一無二なんだ」
 ヨハンがしみじみと言った後で、耳たこだよな、悪い、と言って恥ずかしそうにぽりぽりと頭を掻く。不動博士がアンデルセン博士の妻である十代という人について知っていることはそう多くない。まず彼女が夫と同じく永の時を生きる存在であるということ。夫のヨハンは妻に一途に惚れ込んでいるということ。十代自身もヨハンのことを愛しているのだということ。
 不動博士にはなんとなく思うところがある。半分が精霊であるという彼女にとって世界は異質で、彼女こそが世界の異端分子だった。同じもののふりをしてみてもやはり何かが違う。相容れなくて、受け入れて貰えない。しかしそこにヨハンが現れる。ヨハンは彼女を十代という一つの生命として受け入れてくれる。
 ――それは、救世ではないのか。
「アンデルセン博士は奥さんのことをヒーローだと言いますけど、私は博士自身が奥さんにとっての救世主だったんじゃないかなって思いますよ。お互いにお互いを必要としていたんです。惹かれ合った。違いますか?」
「メシア? よしてくれ、柄じゃない。昔は教会に通ったりしたもんだが、ここ数十年で信心深さなんてものは落っことしてきてしまったよ。だが、惹かれ合った、っていうのはそうかもしれない。子供みたいな発想だが、赤い糸ででも繋がってるのかもしれないな。自慢だが、俺は多分五感を奪われたとしても十代の元へは辿り着くと思うぜ。そういうふうに出来てる。俺と十代はよく似てるんだ」
「願わくば、このドラゴン達もそういった主の元に行けるといいですね。この子達が、主を象徴する。そう考えると素敵だと思います」
「ああ。辿り着くさ。魂で繋がった人間の元へ。なあ、エンシェント?」
『うふふ、それが望ましい形ですね』
 静観していたエンシェントが穏やかな声で微笑んだ。彼女も、いずれ現れるかもしれない魂で繋がった主を楽しみにしているふうだった。

 結局、ルドガー・ゴドウィンの反乱によりモーメントをそのカードが御し切ることはなくネオドミノの一部はゼロ・リバースにより滅びの運命を辿ることとなる。その時に不動博士は死ぬが、しかし意志を引き継いだレクス・ゴドウィンの手でエンシェント・フェアリー・ドラゴンを除く三枚の制御カードは野に放たれ、紆余曲折を経て後に主となる不動遊星、十六夜アキ、ジャック・アトラスの手元に渡る。
 あの時ヨハンの手によって呼び出された五体の精霊は主の人間を一人選び、やがてそのドラゴン達の力と主との結び付きに目を付けた赤き龍は彼らをシグナーとシグナーの龍と認めて力を分け与えた。カードが手元になかった龍可は精霊界を通じて直接エンシェントとの交流が図られ、他はカードを通してドラゴン達との絆を深めていったのだという。
 カードを最初に造ろうと言い出した不動博士は既にこの世を去ってしまっていたが、しかし博士の遺したカードは世界を変えた。運命は巡る。不可思議なことだ。最後は、上手くピースが嵌り込む。
 今も、五体のドラゴン達は主のデッキの中で眠り、その主のために力を蓄えている。



◇◆◇◆◇



「ライフ・ストリーム?」
 話を聞いた遊星が最初に反応したのがその単語だった。
「あの、龍亞が最後に目覚めさせたパワー・ツールの殻を破って出てきたモンスター。それも、俺達のカードと一緒にあなたが作ったものだと言うんですか」
「そういうことになるな。そもそもライフ・ストリームというドラゴンは存在していた。それがどうかしたのか?」
「だったら、龍亞は何故最後までシグナーとして目覚めなかったんだろうかと思って」
「そこらへんは、まあ、いろいろあったんだ。そのシグナーやら、赤き龍やら、俺はそこらへんの事情にはあまり明るくない。ただ大切なのはドラゴン達は君達と深い絆で繋がっていてドラゴンのポテンシャルがそのまま主人の可能性、能力に比例するってことだ。そのぐらいに強い力を持った精霊だから。そしてライフ・ストリームは俺と十代の手で意図的に押し込められていた。……パワー・ツール・ドラゴンという殻に。結構きつく入れ込んだ。それでライフ・ストリームが出てくるのに手間取ったから龍亞の目覚めも遅れたんじゃないか」
 あくまで仮説だし、俺が論ずるには情報が不足しているけれど。その人はそう捕捉して遊星の青い目を真っすぐに見据えた。
「龍可とエンシェントが繋がっているように、龍亞とライフ・ストリームもまた繋がっている。だがライフ・ストリームは幼くそれゆえに危なっかしかった。五年とちょっと前に事件というか、事故というか、まあそういうことがあったんだ。ライフ・ストリームは已むなく封印された。仕方なかったんだ」
「……事故」
「本当に君は俺をお喋りにするのが上手いな。そんな目で見られたら、答えないわけにもいかない……君はサテライトにいたから知らないかもしれないが、五年程前にシティでKCとI2の共同実験として強引に処理された事例があったんだ。特定の区域で突如ソリッド・ヴィジョンが実体化してあろうことか異世界――精霊達の世界までもが顕現した。事態は数時間で沈静化したが、一時期は随分と話題になったもんだ。有識者の間ではその事件をこう呼んでいる。《精霊暴走》と」
 五年前。遊星が丁度サテライトでデュエルギャング・チームの「チーム・サティスファクション」をやっていた頃の話だ。シティの噂はネットワークをハッキングした時に垣間見られる程度だったが、そう言われればそんなニュースが当時見出しに踊っていたような気がしなくもない。
「《精霊暴走》の中核にいたのは龍亞だ」
「……えっ?」
「双子のうち、龍可だけが特別だったわけじゃない。龍亞だって本当は精霊が見えるんだ。俺と十代の子供だからな。だが、龍亞の能力は危険だった。あの子にとって」
 過ぎた力は身を滅ぼす。典型例だよ、そう囁かれる。遊星には今一つ話の内容がぴんと来ない。龍亞と破滅をもたらすほど強力な異能というワードはかけ離れた存在に思えた。龍亞は無邪気な子供だ。この人は何を言おうとしているのだ?
「正確にはその能力を欲しがって涎を垂らした馬鹿どもが群がってくる、と言った方が正しいかもしれないが。二人が精霊界に守護されていなかったら間違いなく今頃どこかの研究所で廃人送りだったと思うよ。それだけ危なかったんだ。シグナーになって、君達と出会えた幸運がなかったらと思うのも恐ろしい」
「そんな、廃人だなんて! あんな幼い子供達を」
「事実さ。好奇心を満たすためなら手段を選ばない連中なんて掃いて捨てる程いる。そういう奴らにはそれは『実験体』としてしか映らない。子供だとか大人だとか、男、女、そういう些細なことは些末な情報として捨てられる。奴らにとって大事なのはその被験物が己の欲望を満たしてくれるかどうかの一点に尽きる。知れば神になれるとでも思ってるのかもしれない」
 吐き棄てるような声が遊星の鼓膜を刺激して脳味噌の中に入り込んできた。ヨハンの言葉には妙な真実味があった。体験談であるかのように一言一言に嫌悪と毒気が詰まっていて、呼吸が苦しくなるようだ。遊星も人間がただ美しいだけの生き物なんかじゃなくって醜い心を必ずどこかに持っているということは知っている。サテライトへの差別からなにから、遊星にも経験のあるものだ。
 ヨハンは醒めた声音を唇から吐いて、それから、でもにこりと遊星に笑いかけた。人間不信で、それでも人を裏切ることが出来ないどこかのフィクションに出てくる怪物みたいな笑みだった。
「なあ、遊星君。君には感謝してる。龍亞と龍可が今ああして生きているのは、君がいたおかげだと思ってるんだ。スターダスト・ドラゴンに選ばれた君は、とても尊い輝きを持ってる。遊星粒子のように他者を惹き付ける。スターダスト・ドラゴンは君の半身みたいなものなんだ。破壊を包み込む『ヴィクティム・サンクチュアリ』、あれは君自身の心の現れたものだよ」
 ヨハンの言葉に遊星は他の龍たちの効果を思い浮かべた。『ブラック・ローズ・ガイル』――アキの他者を拒絶する心が生み出した破壊能力。『デモン・メテオ』――孤高たるキングであろうとしたジャックの心が生んだ他者を除去しようとする破壊能力。『プレイン・バック』――龍可の龍亞を守りたいという願いが生み出した庇護の能力。『ダメージ・シャッター』――龍可を守りたいという龍亞の切望が生み出した回復能力。
 彼らがそのドラゴンに願いと力を求めた時の心の在り方、渇望がそのもの効果になっているのだという考えは確かに一理ある。
「なんだか嫌な話になってしまったな。悪い。気分を害すつもりはなかったんだが……」
 遊星が考え込んでいるのを見てヨハンが申し訳なさそうに眉を下げた。慌てていいえ、と手を振る。
「いいんです。父の話も聞けてよかったし、いろいろ考えさせられました」
「なら、いいんだが。……遊星君、一つ頼みがあるんだ。身勝手な話だが、これからもし龍亞と龍可が困るようなことがあったら手助けをしてやってくれ。なんとなく俺と十代では手が回りきらない気がするんだ。虫の知らせって奴かな、今話した内容を知っていれば何かしらその時対処に役立つだろう」
「あ……はい」
 それを言うとヨハンはこんなもんかな、と言ってポケットから名刺を取り出して遊星に手渡した。「インダストリアルイリュージョン社極秘研究部門代表取締主任兼委員会特別顧問 Y.Y.アナセン」と素っ気ないフォントで記されている。委員会特別顧問という文字の並びに密かに驚愕しつつ遊星は名刺入れにそれを仕舞った。
「外では、あんまり本名を話さないでくれると嬉しい。これで顔合わせはおしまい。蛇足で付きあわせてしまってすまない」
 その一言で、「Y.Y.アナセン」と「不動遊星」の顔合わせは終わった。遊星の目の前に立っているその人は既に「人好きのする笑みが出来る、双子の父親のヨハン」ではなく「I2のお偉いさんのアナセン博士」になってしまっているのだとなんとなく遊星は悟った。「また機会があれば」、とアナセン博士が言う。遊星はお辞儀をしてそれに応え、退出した。


 その人があの時遊星に語って聞かせた話は、思えば一種予言のようなものだったのかもしれない。龍亞の特異性、ヨハンの冷たい言葉、それらを知っていたことがまさか本当に役に立つ時がくるなんてことは、その時遊星は思ってみてもいなかった。
 ヨハンの心配を、心の奥底では杞憂だと思い込んでいた。
「Beautiful World」‐Copyright (c)倉田翠.