Beautiful World

06:ジェミニ(02) デッドコピー・エラー・チャイルド

 試験管から生まれた子供達がドクターの元で学び始めてから二ヶ月が経つ。子供達は呑み込みが早く、また意欲も旺盛で先へ先へと進みたがった。その根底にあるのはまだ見ぬ両親への過剰なまでの恋慕だ。彼らは親を恋しがっていた。教育者のドクターは庇護を与えてくれる存在ではなく、ただそこにいる便利なものという程度の認識であるようだった。
「ドクター、この数式の羅列に一体何の意味があるわけ? パパとママに会うために、なんで俺達掛け算割り算やらされてるの? 意味が分からないんだけど」
「基礎数学ばかりは外せない。そこは教師としての私の矜持なんだ。それにこのへんが出来ないと後々困ることがあるかもしれない……デュエルとかで」
「デュエル、ねえ。デュエルは楽しいけどそれもパパとママに会うのに必要だとは思えないよ」
「どうだろうか。案外習っておいて損はないと私は思うがね」
 ぶつくさ言いながら龍亞がペンを走らせる。腰のデッキホルダーにはドクターに与えられたカードで組まれたデッキが入っている。数千枚のカードの中から龍亞が選び出したのはやはり、ディフォーマーシリーズのカードだった。龍可は森の小動物をモチーフにしたファンシーなシリーズモンスターだ。虚ろな瞳とは正反対の、活発で愛らしいモンスター達を彼女が選び出した理由は恐らく龍亞と龍可にしかわからない。
「時々、思い出すんだ。オレンジの海の中で龍可と育ってた時のこと。未発達で眼球の器官もまだなかったはずなんだけど、視界いっぱいに開けたオレンジの世界とぶくぶく上がっていく泡、龍可の顔、それからパパとママの声だけを鮮明に視てた。胎児の龍可さ、しわくちゃで変な顔してるんだ。きっと僕もおんなじようなしわくちゃの顔してて、龍可に笑われてたんだろうなぁ」
「……そんなこと、別に考えてなかったわ。私はただゆっくり成長していく龍亞の眼差しを感じていただけ。綺麗な顔になっていく龍亞を見てるのが好きだったから」
「……龍可」
「私が大きくなると、龍亞も大きくなるの。ガラスケースの世界が狭くなっていくのを感じるのが好きだった。小さな世界が壊れて、もっと大きな世界が広がっているのがなんとなくわかったから。こういうの、なんていうのかしら。大海原に漕ぎ出す気持ちに似ているのかしら」
「概ね間違っていないだろう」
 龍可の問いをドクターが肯定する。龍亞も龍可も聡明だったが、龍可の方が抜きんでている傾向にあった。だが少なくとも母親の「被検体リリス」よりは二人とも格段に学び良かったし、思考することと世界を知る喜びを理解していた。リリスの学生時代ときたら酷いものだった。リリスには学ぼうという意欲がまるでなく、大体いつも居眠りを決め込んでいた。頭は決して悪くないのだが素行が最悪だった。
 両親に会いたいという強い思いが子供達に発破をかけているのは明らかだったが、その勤勉性は被検体アダムから受け継いだものなのかもしれない。リリスと違いアダムはいわゆる秀才であり天才で、つまり努力する天才だった。
「ねえドクター、これが終わったらまたパパとママの話を聞かせてくれる?」
「満点が取れたら食事の後にしてあげよう」
「ドクター、厳しい」
 文句を付けながらも龍可は真面目に数式を解き続ける。難解で複雑な式は、恐らくリリスにはすぐ理解の付かないものであろう。それは生命創造の数式だった。神に牙を剥く、反逆と冒涜の可能性式だ。
 そしてそれは双子が生まれ落ちたメカニズムを示したものでもある。試験管の中で受精した人造生命である子供達が数々の確立という名の関門を潜り抜けて動く体を得る可能性を示す数値が、計算を終えた龍可の手で等式の隣に書き出された。
「〇.〇〇〇〇〇〇〇〇一八。酷い式ね。苦労して出たのがこんな数だなんて」
「だが、自らの起源を知ることは重要な意味を持つ行為だよ。限りなくゼロに近い可能性から這い上がって君達は生まれた。絶対に不可能だと思っていた成長を君達が遂げているのを見付けた時、私は身震いを覚えたものだ」
「……その、難しい可能性を潜り抜けてさ、僕達が生まれた意味はなんだろうってドクターは考えたりした?」
 同じ数値を書き付けて龍亞が挑発するように問う。ドクターはただ無言で首を横に振った。そんな大それたことは考えちゃいない。
「なぁんだ、ないの? つまんないなあ。それに答えなんて決まり切ってるじゃん。すごく簡単なことなのにドクターって頭いいのか悪いのかわかんないよ」
「それじゃあ、その答えを聞かせてくれはしないのか?」
 逆に龍亞に問うと、「いいよ。特別」と言ってペンをケースに放り入れる。龍可がそれに顔を顰めたが龍亞に気にする素振りはない。龍亞は立ち上がると背伸びしてドクターの耳に自分の口を近付けて創世の秘密を人間に吹き込む堕天使のように囁いた。
「子供は皆、パパとママに愛して貰うために生まれて来るんだよ」
 ――哲学だ。
 それも酷く難しい命題だ。
 はたして、親に望まれずそれどころか預かり知らぬところで生まれた彼らは、本当に本当の意味で両親の分け隔てない愛情を受けられると信じているのだろうか?



◇◆◇◆◇



 試験管から水槽に移り、その殻をも蹴破って生誕した双子が今入れられている檻はラボの部屋だ。いつだって双子が見る世界は狭量で、井戸よりも狭っ苦しい。双子の世界は狭い。畳三十畳ばかりの器具だらけの部屋が今のところ彼らの世界で、その世界には兄妹とドクターの三つしか喋るものが存在していなかった。
 ラボには空がない。いつ見上げても頭上には陰気臭い人造の蓋が広がるばかりで兄妹の目を妨げる。だから近頃双子は盛んにこんな話をするのだ。――パパとママに、星が見える丘に連れていって貰うんだ。
 星座図鑑の写真とイラストでしか見たことのない星空というものに特に強い関心を二人は抱いていた。双子はとにかくラボにないものに興味関心を抱く傾向があって、そしてラボにはあらゆるものの本物は存在していなかったから、つまり彼らは大抵のものに関心を持っている。流れる川、大地、真っ青な海、果てのない空、そこに浮かぶ雲、虹、太陽、月、星々、木々、偽りのない生命、あらゆるものがラボという箱庭には欠如していた。ラボにある殆どのものは偽者だった。双子の兄妹それすらも。
「君達のママが、高校三年生になった時パパが留学生として同じ学校にやってきた。その頃のママはまだ随分と子供っぽい性格で純粋だったから、同じようにデュエル馬鹿だったパパとすぐ仲良くなって打ち解けた。まるで十数年来の付き合いがある幼馴染みのようだったと私は記憶している」
 本当はその時からそんな可愛らしいものではなくごく単純な依存関係に二人は陥ってしまっていたのだがそのあたりの説明は省く。リリスがアダムありきの性質に変貌していた事や、アダムがその頃からリリスに友愛を越えた情愛を感じていた事、その他諸々は子供達に必要な情報ではない。
「パパとママは友人としてその期間を過ごし、その後パパは色々あってママとすれ違ったままママと一度別れることになってしまう。恐ろしいことにパパのデッキはママが持ったままで、ママはしばらくどうやってそのデッキを返してやるかで悩んだりしていた」
「……パパってヘタレ?」
「まあ、そうといえなくもない。……それで二人が別れてそう時間が経たないうちに人類が滅亡の危機に陥って、パパは連絡を受けてママと合流する」
「デッキは?」
「ママが郵送した後だ。ちゃんと持ってた」
「デッキを国際便で送るっていう命知らずな発想がすごいなあ」
 デッキ郵送は疑問に思っても突然人類が滅亡の危機を迎えていることになんら疑問を覚えていない様子の双子にドクターは一瞬あえて聞いてみるべきか考えて止めた。双子は基本的に自分達と両親以外のことはどうでもいいと思っているし、そもそも彼らは人間ではない。その内包的な「人への無関心」は世界の狭さに加えて「自分達と異なる種族への無関心」からくるものが大きかった。彼らにとって人類の存亡なんてことはどうだっていいことにすぎないのだ。
「ママはいつパパのこと好きになったんだろ」
 龍亞が零す。龍可はそんなの知らない、と言って首を振った。二人の視線が自然とドクターに集まる。だが、ドクターとて常にリリスのそばにいたわけではないし正確にはわからない。
「パパはきっと一目惚れだと思うんだ。なんとなく。ママも、半分はそうだよ。でもママはパパと結婚しようと思うまでにブランクがあったんでしょう? パパとそこは一緒じゃない」
「結婚を決めたのは、高校を出て一年ぐらい経った頃だよ」
「結構すぐなのね」
「お腹の子供が流れ落ちてしまった後だ。ママは子供が出来にくい体で、子供を腹に宿したはいいが一度目は姿を見ることなく死なれてしまった。それを受けてママはパパと結婚したんだ。ママは大好きなパパの血を分けた子供が死んでしまったことがショックで、どうしても子供が欲しいと思ったんだ」
「へえ……」
 実際それが、リリスを女にした最大の要因だ。子供を得、失い、母の悲しみを知ることでリリスは女の側面を得た。自己認識が男から女を併せ持つものにスライドする。入れ替わり、成り変わる。
 無条件の家族の愛を知る。
 リリスは家族に恵まれない子供だった。幼い頃はいつも一人だった。両親は仕事に忙しく留守にしがちで、ユベルの存在が友人を作ることも許さなかった。
 だからリリスにとって、アダムは酷く尊く素晴らしいものだったのだ。アダムは常に無条件でリリスを愛した。何が彼をそうまで突き動かしたのかはわからない。
「僕達は、生まれなかった兄妹を含めて何番目の子供なの?」
 思考に耽り黙り込んでしまったドクターに龍亞が先をせがむように尋ねてくる。隣で龍可の瞳も興味深げに細められた。ドクターは一瞬息を詰まらせ、それからリリスが流した子の数を数える。リリスは本当に子供が出来にくい体質で、それはアダムがリリスと同じ存在になってしまってから特に顕著になった。奇跡的に人間の部分だけが抽出されない限りリリスの腹から子が出てくることはなかった。だから十四年前にリリスの腹から一揃いの双子が生まれてくるまでに、彼女は通常では考えられない数の子を失ってしまっている。
「龍亞が九番目で、龍可が十番目だ。ママは子供を六人失っている」
「……あいつらは」
「人間の龍亞が四番目で人間の龍可が五番目。君達の十三年上にあたる」
 暗に二人が目の前の双子達の兄と姉にあたるのだと言ってやると双子の目が苛立たしげにつり上がった。会ったことのない兄妹。自分達が喉から手が出る程欲しがっているパパとママの愛情を今一心に受けている「人間の龍亞と龍可」。幸福な子供。試験管から生まれた双生児が、憎んですらいる存在だ。
 龍亞がむしゃくしゃとしたのか、壁に掛けてあるプレートを睨んでひしゃげさせる。プレートには一枚の写真と一緒にいくらかの添え書きがしてあった。「人間の龍亞と龍可」「二一××年生誕」「現在デュエルアカデミア・ヨーロッパ特別日本人学校に在籍」「ミュンヘン在中」「家族と再会し四人暮らし」――等々。人造の双子にとって気にくわない事柄が並べられている。だが一応それは彼らに必要な情報で、そうひょいひょいと異能でもって破壊されても困るのだがドクターは溜め息を吐くに止まった。龍亞が癇癪を起こすのはそう珍しいことでもない。いつものことだ。
「歳なんか関係ない。大事なのはパパとママにどっちが似てるかだもん。なんでパパとママの子供なのに普通に人間なの? 変な奴ら。本当に子供なの?」
 子供面しやがって! とその後に続く。それを見かねた龍可が表情を変えないまま顔を横に向けて慰めるように兄の頬にキスをした。龍亞の癇癪が止まる。
「龍亞、落ち着きなさすぎ。あいつらがなんだって私達には関係ない。その時まで好きにさせておけばいい。……もうちょっとで、パパとママは私達のものになる。せいぜい幸せを謳歌させてあげればいいわ」
「でも龍可、」
「今、幸せだと思ってれば思ってる程パパとママを失ってから辛くなる。そういう遊びよ、龍亞。玩具をあげてから奪い取るの。でしょ」
「……う、うん。そうだね」
 龍可にキスされてやや肌を上気させつつ、龍亞はだらしなく頷いた。それから龍可の頬にキスを返す。龍可はまんざらでもなさそうな顔でそれを受けている。ある種の女王然としたその様相はリリスに似ていると言えなくもない。
 リリスは有無を言わさぬ高圧さで他者を支配することが出来る存在だった。その気になったリリスを阻止抑止出来るのは十二の異世界全てを探してもアダムしかいない。
 ドクターがかつて聞いた話に手てくる「覇王」は、ドクターの見立てでは恐らくリリスの抑圧された部分が表面に引きずり出されたものだ。リリスの持つ他者を引き寄せる魅力には二つの種類があって、そのうち普段は奥底に閉じ込められている方が恐怖政治に似たカリスマ性だった。
 表裏一体の魅力は時に蠱惑的でもある。覇王に付き従ったもの達はその毒気を孕んだ魅惑に侵された。当てられ、枷を取り払いただその唯一絶対の主たる覇王の命に従う。精霊大虐殺。覇王の第一の罪がそこに完成する。全てはリリスが生まれ持つ素質の成せる結果であり、そしてアダムを失ったという嘆きと絶望がもたらした悪夢だった。
 ――覇王は、悪い夢から逃げようとするリリスが閉じ籠もった殻だった。
 リリスの持つそのチャームは、毒女或いは悪女の誘いと似通った性質を持っていて、だから龍可がその部分を色濃く現したのだろう。龍亞は時折高慢だったが、それは言ってしまえば子供のわがまま程度のことで大したものではない。本当に恐ろしいのは龍可で、リリスだった。龍亞を失った龍可とアダムを失ったリリスは恐らく同種の反応を見せるものと思われた。
「ねえ、ドクター。私達の『とっておき』は出来た?」
 龍可が可愛らしく小首を傾げる。そこらの人間なら簡単に骨抜きに出来てしまうのではないかと思わせる毒気があったが、だがドクターはそれに惑わされることなくただ緩慢に頷いた。ドクターの双子達への関心には被験体に寄せる僅かな興味と庇護保育者としての自責しかない。
「ああ、約束通りもうあと少しだ。そう日を置かずに君達にプレゼント出来る」
「そう。楽しみにしてていい」
「いいとも。だが、これだけは覚えておきなさい。無闇に使ってはいけないよ」
「それ、耳たこだよ」
 龍亞がもう飽きたと言わんばかりに言って腰に手を当てる。龍亞の視線の先には透明な筒状のカプセルがあって、その中央に二枚のカードがホログラムで浮かび上がっていた。ドクターが子供達のために作ってやっている「とっておき」だ。
 レベル七シンクロモンスター、「機械竜パワー・ツール」。同レベル七シンクロモンスター、「妖精竜エンシェント」。
 オリジナルの双子が持つシグナーの祝福を受けた龍「パワー・ツール・ドラゴン」と「エンシェント・フェアリー・ドラゴン」を模して造られたデッドコピーカード。
 試験管から生まれた双子と同じ、エラーコピーのドラゴンである。
「Beautiful World」‐Copyright (c)倉田翠.