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07:ファミリア(05) 平穏の終わり

 かったるいから、そういうのは好きじゃない。インダストリアルイリュージョン社の経営会議が一部のものから「家族会議」或いは「家族懇談会」などと揶揄されているのは百年程前にものぐさの十代がそう面と向かって言い切ったからだった。あろうことかあのペガサス会長にだ。I2社創設の偉人に十代は本当に面倒臭そうな顔をして「面倒だからやだ」と堂々言ったのだった。
「ヨハンだけじゃ駄目かなぁ、ペガサス会長。ほら俺頭悪いからそういうの向いてないんだ。主婦になるって夢もあるし」
「ノォー、嘆かわしいことデース。十代ボーイ、私はユーのことを高く評価していマース。私知ってマース、ユーはやれば出来る子デース」
「残念、それは買い被りさ。俺はそういうことに関してはこれっぽっちもやる気なんか出さない」
 十代が「主婦になる」などと言っているのを無視して「ですが十代ボーイ、」そう食い下がったペガサスに十代はこっそり舌打ちして横目でヨハンを見た。気だるい、微かに色を含んだ視線だ。だがヨハンはその視線に惑わされることなく首を横に振った。今回ばかりはてこでも動かないという、それは夫から怠惰な妻への確かな意思表示だった。
「駄目だ、十代。ペガサス会長をあまり困らせるな。この人は本当にいい人なんだ」
「でも遊戯さんが昔本気で殺しにかかってきたって言ってた」
「オゥ、それは誤解デース。殺そうとしたのではなく、魂をカードに封じ込めようとしていただけデース。若かりし頃の過ちデース。愛するシンディアに私はもう一度会いたかっただけなのデース……」
「好きな人に会いたいっていう強い気持ちは人を狂わせる。よくあることだ。ペガサス会長は根はいい人なんだ。遊戯さんはちょっと危なくなっちゃってた頃の会長にうっかり遭遇してた。それだけだよ。……だから十代、だだこねないで諦めろ」
 それでも嫌そうに顔を顰める十代にヨハンは宥めるように言ってやって、それからレディにするみたいに手を取って甲にキスをした。十代が顔を赤らめて「馬鹿」と小さく叫ぶ。
「やめろよぉもう! その程度で俺が絆されるとでも思ったのかこの」
「じゃあどうすれば絆されてくれる? この際十代が聞き分けよくなるなら何してやってもいいぜ俺」
「人前で恥ずかしいこと言うな!」
 十代が純粋な男でなくなってしまって、ヨハンと結婚するのだと言い出した後でもペガサスは十代のことを「十代ボーイ」と呼んだ。そのことについて十代がやや自分を卑下して尋ねた時、彼は大真面目な顔をして「十代ボーイは十代ボーイデース。私は遊戯ボーイがしわくちゃのおじいさんになってしまったとしても遊戯ボーイと呼ぶでしょう。そういうことデース」と答えたのだった。彼にとって遊城十代は永遠に「十代ボーイ」であるらしい。それがこそばゆいような、かえって心地良いような、不可思議な感触がある。
 十代の周りにはそういった気持ちの良い人間が多く、ヨハンにぼろぼろに負けた後の翔は「でもアニキはアニキだもん」と言っていたし、万丈目も「貴様が阿呆の十代であることに何ら変わりはない」などと言った。明日香だって最後には「それでも、あなたはあなたでしかないのよ」と言ってどこか諦めたふうに腕組みをしていた。
「別に悪い話じゃないだろ。これからお世話になるんだ。意見を求められて答えるぐらいいいじゃないか」
「でもよぉ、その……なんだ、ケイエイシャカイギってつまり会社にとって重要な難しい話だろ。そんなとこに俺が行ったって邪魔なだけだ。ヨハンもペガサス会長も俺がクロノス先生になんて言われてたか知らないなんてことはないだろ?」
「『ドロップアウト・ボーイ』な。だがそれがどうした」
「どうした、じゃない!」
 だから、俺は頭が悪いの! と子供のようにわめいて十代は唇を曲げる。だがヨハンが「かわいくない」と一言漏らすとすぐに元に戻した。十代はヨハンに弱い。惚れた弱味というやつだ。
 それでも、この事案に関してはそのヨハンにこれだけせがまれても首を縦に振らない。どうせ実際出席したら彼は口八丁でお偉いさん方を煙に巻いてしまうのだろうというのが鮫島校長や影丸理事長に対する彼の対応を見たヨハンの考えだったが、十代は頑なに出席を拒否した。
「偉そうなおっさんがたくさんいてしかも難しい話してて、カードで解決出来ないんだ。俺の出る幕なんてない。ヨハンが代表で二人分喋ってくれ。それでいいんだ」
「なるほど、そういうことデース? ならば十代ボーイ、これならどうデース。私の家族と、ユー達だけ。これで問題はありまセーン」
「……会長、それ、どういうことです?」
「そもそも現段階で我が社の経営は養子夫妻が主となって行われていマース。私はそこにユー達の柔軟な発想と意見を取り入れたいだけなのデース。ユー達にしか出来ない長期的なスパンでの考察。提供に対するほんの些細な見返りデース。いけませんか?」
 「提供に対する、些細な見返り」。十代は僅かに息を詰まらせる。ペガサスに対する十代の弱味だった。好奇の対象として見られかねず、生きることが難しくなった十代とヨハンに職を提供して貰っているという立場上の弱さだ。
「つまり十代ボーイが気負わない環境を作ればいいわけデース。どうデース、これでもまだ気に入りませんか」
「って会長、いいのかよそれ。よくわかんねぇけど財閥とかそういうのみたいになっちゃって経営上問題が出たりしないのか?」
「ノンノン、心配ご無用デース。私には養子夫妻が三組いマース。『ペガサスミニオン』、私がこれと見込んだ優秀な後継者達デース。彼らならば問題なくこれからの社を支えていけるでしょう」
「だったら尚更、俺達要らないじゃないか」
「十代ボーイは相変わらず分からず屋デース。私はユーに大きな可能性を見ているのデース。デュエリストとしてのユーは遊戯ボーイにも引けを取りまセーン。アンデルセンボーイも同様。そのセンス、発想、どれを取っても素晴らしいものデース。それをデュエルだけに埋没させておくのが惜しいのデース。我が社の更なる飛躍のために欲しいと私は考えていマース」
 ペガサスがウィンクをした。そこですかさずヨハンが十代をホールドする。後はまあ、お察しの通りという奴だ。
 そんな事情が裏であってから今年で百年余りが経ち、この度また十代とヨハンはアメリカの本社へと旅立つ運びとなったのであった。



◇◆◇◆◇



「戸締り火の元に気を付けてな。寝坊して学校に遅刻したりしちゃ駄目だし、朝昼晩どこか一つでもご飯を抜かないようにするんだ。食べなきゃ人は生きていけない」
「そんな心配しなくても大丈夫だよママ。俺と龍可は五年二人で生活してたんだから、そういうの慣れてるもん」
「でもここはネオドミノじゃなくてミュンヘンなんだ。ずっと住んでた慣れ親しんだ街じゃない。ボタン一つで買い物出来るってことに変わりはないけど宅配を運んでくる人は日本語を喋ってはくれない」
「Nie angst 、大丈夫よママ。私が対応出来るから」
 心配性の母親を見上げて龍可がすました顔で言う。それに同調してヨハンが十代の肩をぽんぽんと叩き、「少しは子供達を信用してあげなさい」と溜め息を吐いた。
「二人とも中学生だし、昔の十代みたいに危なっかしいわけじゃない。特に大きなイベントもないしご近所さんとの付き合いもいい。大丈夫だよ。このままじゃ逆に子供達に心配をかけてしまいそうだ」
「そうそう。ママが心配性すぎて、逆に私と龍亞の方が余計なこと考えちゃうわ。だってこれから行く先ってI2の本社なんでしょう? 向こうで私達のことばっかり考えてて上の空とか止めてね」
「しない。慣れてるもん」
 両腕を腰に当てて言い張る。仕草がどことなく子供っぽくて、まるで龍可と十代で親子の立場が逆転してしまったようだ。龍可は非常に大人びているし、十代は妙なところで意地っ張りだ。家族にはよく甘えた態度を取る。信頼の裏返しだろうか。
「じゃ、大丈夫かしら。パパもママも、気を付けてね。お土産楽しみにしてていい?」
「ああ、勿論さ。何がいい? 一応希望を聞いていくよ」
「お菓子と、あとアメリカ先行発売のパック!」
 龍亞が大きな声でパック、パック、と自己主張をする。基本的にデュエルモンスターズは日本中心に展開しているのだが、本社があるのはアメリカなのでアメリカで先行販売される種類のものが年にいくらかあるのだ。それらが日本を含めた他国に輸入されてくるまでには大体半年から一年のブランクが存在する。一部の輸入代理店なんかでしか入手が出来ないので子供にとっては厳しいものがある。
「オッケー、龍亞はパックな。龍可は? お菓子か?」
「なんでもいいわ。でも、甘すぎるチョコレートは好きじゃないかも。あと妙に青いのとか、赤すぎるのとか、緑色のとかも好きじゃない」
「日本人的な感覚だなあ。ああいう毒々しさは、それはそれで面白いんだが……」
「外人のパパと違って日本で生まれ育った私達は慣れてないの。合成着色料とか体に悪そうだし」
「了解。そういうのは外しておく」
 頷いて龍亞と龍可の頬に順にキスをして、ヨハンは十代の手を引いてドアを開けた。玄関先には十代と龍可が手入れしている小綺麗な植込みがあって、丁度ガーベラの花が咲いてその色とりどりの花弁を揺らしていた。子供達が行ってらっしゃい、と手を振る。両親はそれに笑顔で手を振り返した。順調に進めば、アメリカ本社への出張は一週間かそこらで終わるはずだ。


「本社に行くにあたって唯一面倒なのが移動だな。百年で進歩したのは機体の安定性と騒音の軽減ぐらいのもんだ。もうちょっと速度が上がったっておかしくはないと思ってたんだけどなぁ」
「仕方ない。あんまり上げすぎると乗ってる方の体が耐えられないんだ。それに俺は好きだぜ、こういうゆったりした空の旅」
 口には出さす、暗に「ゆったりしてない空の旅」のことを示して十代はコーヒーを口に運んだ。その気になれば、十代もヨハンも飛行機など使わなくても長距離の移動は可能だ。その身に宿る精霊を実体化させればいい。レインボー・ドラゴンなら問題なく二人を輸送出来るだろうし、そうでなくとも各々背から翼を生やすだけで飛行は容易に可能となる。それこそ飛行機なんか目じゃない速度が出ることには間違いない。
 それでも二人がその手段を取らない理由は簡単かつ明白で、おいそれと精霊を使うと衛星観測とかに引っ掛かって面倒なことになる可能性が高いからだった。翼を生やすだけなら安全性は上がるが、非常に疲れる。飛行機に乗った方が何かと楽なのだ。
「リリーは元気かなぁ。今年でいくつになるっけ、あいつ」
「七十八だっけ? すごいよなぁ、俺達が初めて会った時はあんなに小さい赤ん坊だったのに時が経つのは早いもんだ」
「あのお転婆さんが『将来はヨハンのお嫁さんになる』って言い出した時は焦ったぜ。ヨハンの嫁さんは俺一人でもういっぱいだってのに」
「まあまあ、いいじゃないか。リリーの初恋だったんだそうだ。光栄なことじゃないか?」
「どうだろ」
 十代は懐かしむふうのヨハンに渋い顔をして見せる。キッズスクールに通う幼女だったリリーのことをヨハンは妹か娘のように思っていたらしく適当にあやしてやっていたのだが、一方のリリーは幼い少女なりに本気でヨハンのことを思っていたのだということに十代はわりとすぐに気付いていた。そうと知らず会う度にやや甘やかされていたリリーが勝ち誇ったように十代を見てきた嫌な視線を未だに覚えている。幼い子供相手だと思って必死に我慢したが、ペガサスの孫娘でさえなければちょっと気の迷いで闇のゲームを仕掛けていたかもわからない。恋は人を狂わせるのだ。
「俺は気が気じゃなかったんだ。いつ何の弾みでヨハンがロリコンに目覚めるかと思うとこう、きゅっと……芽を摘んでしまいたいという欲求がこみ上げてきて……」
「おっかないな」
「でも必死で耐えたんだ。ヨハンは絶対俺を叱ると思ったから」
「当然、そうだなぁ。それに俺が十代よりも誰かを大事にするなんてことがあるわけないだろ。子供達はそりゃ大事だが、十代とおんなじくらいに大事なんだ」
「どっちかしか助けられなかったらどっち取るんだよ」
「どっちかという条件が間違ってるんだ。俺なら条件を書き換えて皆助ける」
 ヨハンは大真面目な顔で十代の瞳を見つめ、
「家族だから」
 こともなげにそう言った。ヨハンはいつだっていい男だ。少し悔しくなった。昔は十代だってけっこういい男だったと思うのだが、この人の前ではなんだか女々しくなってしまう。
 でもそれが、十代の中の弱さなのかもしれなかった。ヨハンの前でだけ出てしまうというのは逆に言えばヨハンの前でしか弱さを露呈出来ないということだ。遊城十代という人間は周囲に過大評価を受け易い傾向があって、本質的なものがそれに隠れてしまいがちだった。
「今でも、家族って言葉はこそばゆいよ」
「もう百年は家族をやってるのに? そりゃいいや、俺達はいつまでも新婚気分やそういう初々しい気持ちでいられるわけだ。若いっていいなぁ」
 見てくれは今でも十分に若いくせにじじむさいことを言う。十代はなんとなく本当に歳を取って老いたらヨハンがどんな姿になっているかを想像しようとして、止めた。本来なら今頃とっくに彼が成り果てているはずの容姿は、当然老いが酷くあまり面白くないものだった。


 気負わないフォーマルに身を包んで「家族会議」の行われるクロフォード邸に二人が辿り着いたのは午後一時を回ったあたりのことで、既に出席者の半分がそこに揃っている。年若い青年から壮年の夫婦、多様な年齢層の人間達に共通しているのはペガサス会長の親族であるという点だ。皆名にクロフォードの苗字を頂いている。そうでないのはヨハンと十代ぐらいのものだ。
 その中でも一際大きな存在感を放っているのは一人の老齢の女性だ。相当な歳を召していることは明らかであったがその威圧に衰えはない。相変わらずだなリリーは、と内心呟いて十代は肩を竦めた。在りし頃の可憐な少女であった彼女がよもやこのように成長しようとは誰が想像しようか。
 そんなふうに考えているとリリーがこちらに振り返った。リリー、本名リリアンヌ・J・クロフォード。ペガサス・J・クロフォードの孫娘にして現在クロフォード財閥で最高の権力を持つ女傑だ。リリアンヌは相変わらず若々しい夫婦を見付けると微笑み、「歳を取るのは嫌だね」と溜め息を吐く。
「私がしわくちゃの婆さんになったって言うのに初恋の人はどう見積もっても二十代にしか見えない外見をしてる。詐欺だね。一人で歳を重ねて馬鹿を見てる気分だ。……ようこそヨハン、十代、私の愛する兄さん達」
「ああ、リリー。しばらく振りだ。少し見ない内にまた随分貫禄が増したんじゃないか」
「ヨハン、それはレディーにかける言葉じゃない。ようリリー、ガキ共は元気に暴れてるか?」
「元気すぎて手に余るぐらいさ。十代、出来れば孫達のデュエルの相手をしてやってくれないか。今日こそヒーローを倒すって息巻いてる」
「俺のヒーローを倒すとは大きく出たなぁ。デッキコンセプトは?」
「エーリアン巨大戦艦」
「……それ、ほんとに俺に勝つ気あるのか?」
 十代が怪訝な顔をして尋ねるとリリーは知ったこっちゃないと言うふうに「さあね」と首を横に振る。エーリアンで正義のヒーローに勝とうとしている――なかなかシュールなキッズ的発想である。
 異星侵略者と男のロマンで構築されたデッキが手加減容赦を知らない潔癖のヒーロー達に無残にも散らされる未来がヨハンの脳裏を掠めた。十代のヒーロー達は決して十代を裏切らないしやるとなったらどんなしょぼい悪党でも完膚なきまでに叩き潰すリアリスト共だ。それで何人痛い目に遭った奴らを見てきたかわからない。



◇◆◇◆◇



「ママには大丈夫って言ったけど、やっぱり本当のこと言うとちょっと心配よね。ゴミ出しとか」
「ママが慌ててた日だから月水金だっけ? 学校行く前に出してけば大丈夫かなぁ。早起きすればいいよね。問題はそんなことより、ご飯だよご飯」
 食べることと寝ること、それから遊ぶことが生活の殆どを占めている龍亞にとっては結構な死活問題だ。朝ご飯が食べられなければ、龍亞の一日は始まらない。ある意味健康的で大いによろしいことである。
 今日は休日で、冷蔵庫と戸棚にインスタントの食材がしこたま買い込んであったから食べることに困ることはそうないだろう。ただ、冷蔵庫からは生物がごっそりと姿を消していて(計算してなくなるように使っていたらしい)あまり栄養バランスの良くない一週間を過ごすことになりそうだ。
 インスタント食品はドイツ語が書かれたパッケージよりも日本語が書かれたものが多かった。味噌汁の大量のパック、それ用の軟水のボトル。コーンフレーク、数種類のインスタントスープ、それにカップラーメンも山程ある。「レッドデーモンズ・ヌードル」を見付けて何となく楽しくなってしまったのは内緒の話だ。ジャックの魂であるレッドデーモンズを象ったこのラーメンはやたら辛口のジャック御用達銘柄だった。今も異国の空の下で彼はこのラーメンを輸入して食べているのだろうか。
「あー、なんかジャック達のこと思い出したらしんみりしてきちゃった……。皆今どうしてるんだろ。元気にやってるのかなぁ」
「龍亞が大丈夫なんだから、そうに決まってるわ。遊星はすごい頑張ってるみたいだし。そういえばママがアキさんとメールしてるって聞いたけど、何を話してるのかしら」
「さあ。俺達のことと遊星のこととかじゃない? そのぐらいしか思いつかない」
「それもそっか」
 一先ず何か少しでも健康的なものを食べるべく龍可がパスタの袋を手に取る。大きなパスタ鍋を取り出して水を入れ、沸騰を待つ。日本製のレトルトソースがあるから、パスタなら簡単に作れるだろうという見込みだ。だけど毎日それというわけにもいかないので、明日からは卵と牛乳、それから野菜ぐらいは買って来ようなどと龍可は考えていた。龍亞を放っておくと嬉々としてカップ麺ばかりの堕落した食生活を始めてしまうに違いないからだ。
「龍亞も料理出来るようになってみたらいいと思うの。この先出来た方が何かと便利だろうし」
「いいんだよ、男は出来なくったって」
「でも遊星もクロウもブルーノも出来たわ」
「……それ言われると、頑張らなきゃ駄目かなって気分になってくる」
 龍可の手伝いを隣で覚束ない手付きでやりながら、龍亞が唸る。遊星は本当に器用に何でもこなせる人だった。万能という言葉が良く似合う男だ。彼に足りないのは睡眠時間と食欲、それから女の子の気持ちをさし計ってやることぐらいだったのではないだろうか。龍亞のみならず、同級生の天平やボブも遊星に憧れを抱いていたことを思い出す。
「そういえば、この前ママは料理が昔すっげえ下手だったって話してたよね。俺、別に何やっても焦がすとかそういうレベルの料理音痴じゃないじゃん。調理実習は普通に出来たし……龍可は割合綺麗に作るし、ママの遺伝子が来てないんだとしたらパパが実は料理上手だったりするのかなぁ」
「そうかも。パパって器用よね。ママがヒーローで、パパがメルヘンの絵本から出てきた人みたいな感じがちょっとするわ。私達はそんなにメルヘンじゃないけどね」
「親子だからって皆絵本の中の人みたいなのは変わってるよ。そりゃ当たり前。俺達はパパとママのコピーじゃないもん。ちょっとずつ似てるところをもらって自分らしく成長していくんだ」
「龍亞のくせに、いいこと言ってる」
「くせにってなんだよぉ、遊星の受け売りとかじゃないぞ!」
 龍可の意外そうな発言に龍亞がぷうと頬を膨らませて抗議した。それに見かねた龍可が幼稚園児じゃないんだから、と溜め息を吐くとまた頬が膨らむ。龍亞はこういうところで、子供っぽいところがまだまだよく見られた。だけど龍亞は龍可のヒーローだ。龍可だけの、ヒーロー。
 今思えば母である十代の影響だったのかもしれないが、ヒーローに憧れる少年だった龍亞は幼い頃から「龍可を守る」「龍可と一緒にいる」ことによく気を遣った。そのために「龍亞に守ってもらう」「龍亞がいつも隣にいる」ということが日常になっていた龍可は時折、兄の自立を心配してはいたもののいつの間にかこんな思いを抱くようになっていた。――龍亞は、私のヒーローなの――。
 色々な出来事を経験して、守られるばかりでなく守る方になりたいとも思ったけど、やっぱり心のどこかで「龍亞に守られる自分でいたい」という欲求が微かにあった。弱い自分でいたいというわけではない。自分でも、どうしてそう思うのかよくわからない。
「……あのね、龍亞」
「ん? なに、龍可」
「龍亞は、私のヒーローなの。龍亞はずっとヒーローになりたがってたし、私を守ってくれた。……ママはヒーローデッキを使う男らしい人で、ヒロインって言うよりはヒーローみたいよね。パパは王子様。ちぐはぐの二人が結婚しちゃったみたいなのに、二人並ぶとあんまり違和感がないの。ヒーローが王子様のことをヒーローを見るみたいな目で追いかけてるような気がする。……なんでかな?」
 ぐちゃぐちゃと整理の付かない事柄を思った通りに並べていくと案の定龍亞は一回で理解しきれなかったのかしかめっ面になってうんうん唸り出した。十代は男らしくてかっこいいヒーローを使う。本人もさばさばして遊星に近い何かがあるような感じだ。ヨハンは逆にきらきらした宝玉獣達を使っていて、時々洋服の袖にフリルなんかが付いていたりする。こうして考えてみるとなんだか逆の性質を持っているみたいに思える二人だけども、でも、よく見てみると実のところはそっくりだ。
「難しく考えるからわかんなくなるんだよ、きっと。ママはママじゃん。ママだってことは、女の子だってことだよ。パパは男。いくらママがヒーローみたいだって言ってもさ、女の子が男の子に恋をしたら、颯爽としたヒーローのまんまじゃなくなるでしょ。ヒーローだけどヒロインになるんだ。……何言ってるのかわかんなくなってきたけど、とにかく俺はそう思う」
「うん……そっか。それはそうかも」
「でも龍可、急にどうしてそんなこと考え出したの? まさか龍可、誰か好きな男の子が……」
「違うわよ。龍亞はどうしてそんなに目の色変えて食い付いてきてるの?」
 セットしたタイマーがぴぴぴぴ、と鳴ってパスタが茹で上がったことを告げる。龍可は澄ました顔になってパスタをざるにあけ、湯切りをした。龍亞はソースを用意しながらまた唸っている。龍亞は龍可に妙に過保護なのだ。近頃は、龍可に男の影が出来たかどうかを勘繰ってくることもある。正直鬱陶しい。
 龍亞のことが心配でそんな余裕なんてちっともないっていうのに、龍亞はそこのところを今一つわかっていない。



◇◆◇◆◇



 がしゃん、と如雨露を取りこぼして水があたりに漏れ広がった。龍可は動揺を隠し切れずに、ぶるぶると体を震わせている。この感情はなんだろう? 知っている。
 これは恐怖だ。アイデンティティの崩壊を可能性として目前に見せ付けられたことへの、本能的な恐怖だ。
「龍可! 何やってんだよおっきな音立てて……龍可?」
 音を聞きつけてやって来た龍亞も、玄関の前に立っている「もの」に気が付いて常はお喋りな口をぴたりと閉じた。冷や汗をかいていることが伝わってくる。龍可は龍亞のことなら、大抵のことはわかるのだ。
「……だれ、あなたたち」
 双子の正面に当たり前のように立っている異質なもの――龍亞と龍可に良く似た顔をしている双子――に向かって警戒を隠し切れない低い声で尋ねると、龍亞に似ている方の少年が嫌な感じで鼻で笑った。顔には酷薄な笑みが浮かべられている。なまじっか龍亞の顔に似ているだけに、気分の悪いものだった。胸の動悸が収まらない。
 龍可は心中で思う。『私の龍亞は、あんな顔はしない』。
「なにこれ。こんな間の抜けたのが、ドクターの言ってたオリジナル? 馬鹿っぽい。ねー龍可、そう思うでしょ」
「……龍亞、お喋り。うるさいわ。……でもわたしも思ってることは一緒。……納得いかない、どうしてあの子達がパパとママと一緒に暮らしてるの?」
「パパ? ママ? お前ら、なんなんだよ」
「わたしたちは、わたしたち。パパとママの子供。名前は龍亞と龍可。……あなたたちの、」
 龍可と同じ顔をした、とても暗い表情をした少女が剣呑にそう言う。顔の半分を白いフードか何かですっぽりと覆っている少女は腕の中に抱き込んだ巨大なクリボンのぬいぐるみのなかに無造作に手を突っ込んでカードを引っ張り出した。真白い枠のシンクロ・モンスターだ。少女の挙作にはぬいぐるみのはらわたからカードを抜き取っているようなグロテスクな雰囲気があって、龍可はその様子に気圧される。
「弟と妹に、あたるらしいわ」
 少女はカードを軽く振り翳し、なんでもないふうにそう言った。
「わたしはそんなの認めないけど。パパとママの子供はわたしたち二人だけで十分。あなたたちなんて要らないわ。……パパとママに愛してもらう『龍亞と龍可』は、わたしたちだけ」
 「カードから」何の前触れもなくドラゴンが姿を現す。黒ずんだエンシェント・フェアリー・ドラゴンが咆哮して龍亞と龍可を威嚇した。その隣で龍亞に似た少年が同じようにカードを取り出し、色の浅黒いパワー・ツール・ドラゴンを顕現させる。二人の体のどこにもディスクはないが、ドラゴンは間違いなく現れていてそして恐らくは実体化していた。
 闇のデュエルに似た嫌な空気がぴりぴりと肌に訴えかけてくる。
 龍亞と龍可は応戦すべくデッキホルダーからカードを取り出した。だがディスクを持っていない。龍可がそのことに気が付いて躊躇いがちに龍亞を見ると、龍亞の手が龍可からカードを抜き取った。
「無理だよ龍可、ディスクを家に取りに戻ってる暇はない。闇のデュエルだったらこっちのカードも多分実体化する。一か八か呼びかけてみた方が早いと思う」
 そう龍亞が言い終る前に龍可と龍亞を守るようにエンシェント・フェアリー・ドラゴンとパワー・ツール・ドラゴンが現れる。かくしてそこに出来上がったものは、酷く奇妙で歪な構図だった。なんとなく気持ちの悪い図がそこに完成していた。
 向かって左側に龍亞と龍可、エンシェントとパワーツール。右側に二人と二体に良く似た別物。不完全な鏡で映した虚像のようだと龍可は考える。あの「紛いもの」は一体何なのだ? 彼女らが言うパパとママというのは、まさか自分達の両親を指すものなのだろうか。だけど弟と妹が、それもこんなに年の近い顔までそっくりの双子がいるだなんて話は聞いたことがない。
 彼らはまるで龍亞と龍可の出来損ないのクローンのようだった。失敗作のコピー・キャット。表面は似てるくせに、その実どこも同じなんかじゃない。見てくれだけどころか、それすらも模倣し損なっている贋作。
 だけども、胸騒ぎが収まらない。ふともうあと一日か二日で出張から帰ってくるはずの両親の姿を思い浮かべた。急に二人のことが心配になってくる。
「あなた達、パパとママに何をしたの?」
「えっ? 龍可、それどういうこと?」
「答えて。あなた達は何。何の目的があってここに来たの。パパとママは、遊城・十代・アンデルセンと遊城・ヨハン・アンデルセンは、二人は無事なの?」
 ざわつきいた心のまま急くように問うと龍亞に似た少年は意味もなく笑いこけた。何も面白くなさそうな顔をしているのに、声だけが笑っている。きちがいめいた反応に龍可は思わず「答えなさいよ!」と語調を荒くして叫んでしまう。龍亞が心配そうに顔を覗き込んで龍可の手のひらを握った。
「……馬鹿かと思ったら『お姉ちゃん』の方は結構鋭いんだ。何も言ってないのに気付いた」
「馬鹿なのは、龍亞だけよ。『お兄ちゃん』は所詮龍亞だもの。馬鹿でもしょうがないわ。あなたも馬鹿でしょ」
「ひっどいなぁ、あんなぬるま湯でぬくぬくしてきたような奴と一緒にするなよ。拗ねるなって龍可ぁ、龍可のことはちゃーんと僕が守るから!」
「あーあ、龍亞は子供だから嫌」
 龍可に似た少女はぷいと顔を背け、それから龍亞と龍可に向かって真っ直ぐにその凍て付く視線を向けてきた。ぞっとする表情だ。とてもじゃないが自分とそっくりの顔が形作っていると龍可に思えるものではなかったし、また子供が出来るものでもない。大人だってあんな冷え切った表情はそうそうしない。
 龍可に似た少女はそのまま龍亞と龍可を睨み付けると我が侭な王女のように泰然として隣の少年にもう一度向き直った。
「でも、『お兄ちゃん』と『お姉ちゃん』の方が龍亞よりもっと嫌。めんどくさいわ、龍亞やって」
「はいはい、了解っと。龍可はわがままだな〜」
 少女の命を受けて少年の瞳が真剣味を帯びる。濁った黄色の瞳を獲物を見付けた肉食動物のようにきゅうと細めて少年はげらげらと下品に笑った。その様に怖気を覚えて龍亞が龍可を庇うように一歩前に進み出る。
「危ない龍可、俺の後ろに隠れて!」
「でも、そんなことしたら龍亞が……」
「何やったって無駄だよ。――機械竜パワー・ツール、わがままな龍可のために一働きしないとな。あいつらむかつくからブッ飛ばしちゃえ」
 少年が咆えるように叫ぶと従えられた偽物のパワー・ツールが応えるようにプラスチックのボディを蠢かせた。龍亞の肩が強張るのが龍可の目にはっきりと映る。龍亞も本当は怖いのだ。だが龍亞は、そこにきっちりと立って動かない。龍可はその理由を知っている。……龍亞が、龍可のヒーローであろうとしているからだ。
 龍可が龍亞のヒロインでありたいと心の奥底で思っていることを龍亞は知っているから。
「フルメタルデモリション!!」
 偽パワー・ツールの口が大きく開かれて光を集束させる。龍亞の背に庇われながら龍可は漠然と思考した。
 ――どうして、こんなことになってしまっているのだろう?
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