17:ファミリア(08) 精霊暴走 |
両親と妹と、家族四人で過ごしていた幼い頃の記憶の中に時折、広大で美しい草原や生い繁った木々、そういった「ネオドミノシティにはありえないもの」がいくらか混じっている。そこがどこなのか詳しいことはあんまりよくわかっていなかった。今の今まで殆ど忘れていたし気にも留めていなかった。 今はもう、はっきりとわかる。草原も林も湖も、ファンタジーそのままの建物も全て精霊界のものだ。自分達兄妹は幼い頃まるで自分の家の庭に出るかのような感覚で精霊界に行き来していたのだ。 『ははっ、やっぱ十代の子だな。そそっかしいし危なっかしいけど、精霊達と友達になるのは得意なんだ』 『俺っていうか、ヨハンじゃねーかな? ああいうふうにきらきらしてるのはどっちかっていうとさ……』 『俺の知ってる十代も、結構きらきらしてると、思うんだけどなぁ』 『ん……結局両親それぞれによく似てるってことか』 『ああ! そもそも俺とお前がよく似てるからな!』 両親はいつも少し離れたところでそんなふうに話をしながら兄妹とお付きの精霊を見ているのだった。カード・エクスクルーダーとカード・フリッパー、兄妹の相手をしていた二人の小さな魔導士は母十代のデッキに入れられていたカードなのだ。 庭のベランダでベゴニアが咲いたから、という理由で向こうに行くこともあったしただ遊びたかったからという理由で行くこともあった。精霊界はすぐそば、すぐ隣にいつもいてくれるもう一つの居場所だった。精霊達はいつだって兄妹によくしてくれた。 なのに、どうして精霊界に行かなくなってしまったのだっけか? 「きっかけはね、簡単なこと。君が妹のことをすごく大事に思っていたから」 エクスクルーダーは今日の夕飯のおかずを何にしようか、と尋ねてくる母のようになんでもなさそうな声でそう切り出した。あたりはその声音に似つかず木々が鬱蒼としていて影が色濃く、なんだかひんやりとしている。あまり龍亞が好きな景色でも、感触でもない。精霊界の林は綺麗すぎて怖かった。 「精霊と人間と、半分ずつで出来ているヨハンと十代から生まれた君達兄妹は人間なんだけど、私達精霊に近い性質を持っているの。だからこっちにも簡単に来ることが出来るし、精霊ととても深い繋がりを持ってる。――精霊界の外でも精霊と触れ合うことが出来るの。家族四人皆ね」 「……文字通り触れるのはパパとママが出してくれた時だけだよ。龍可は見られるけど俺なんかそれさえも出来ないし」 「今はね、ヨハンと十代が二人で抑えてるから。龍可に出来ることが双子の龍亞には出来ない、ってことはないんだよ。でも、龍亞の力はちょっと危なかったんだ。だから二人は龍亞を普通の人間と同じように精霊と触れ合えないようにして兄妹二人の精霊界の記憶を閉じてしまったの。それが今から七年前の話」 「七年前?」 「うん、そう。七年前に、すごく、君にとって辛いことがあったの。それをどうにかしようとして君は自分の力を無理に使役してしまった。そして起こったのが《精霊暴走》。あれが引き金で……」 声を曇らせてエクスクルーダーは龍亞の方に振り返った。言葉端を伸ばしたまま傾けられている顔には続きを言うことを躊躇っているふうな表情が浮かべられている。 龍亞は黙って続きを促すように顎をしゃくりあげた。するとエクスクルーダーは沈欝な面持ちで頷き、また唇をやんわりと開く。 「……引き金で、五年前家族がばらばらになってしまった」 ばらばらの家族。一家離散。罅割れて砕け散った硝子。直らない傷跡。嫌な響きが何重にもエコーを伴って襲い掛かってくるようで気持ちが悪かった。突然父と母が消えてしまった夜に聞き分けなくみっともなく泣いたことを思い出す。心臓がちくちくと針で突付かれているような緊張と焦燥が龍亞を苛んだ。思い出したくないけれど思い出さなければいけないような気がした。 「君が、龍亞が龍可を守ろうとしたことで《精霊暴走》は起き、そしてヨハンと十代は自らを犠牲に差し出して子供達を守ることを選んだ。あれは不幸な出来事で、本当は誰も悪くないのに四人とも辛い思いをしなきゃいけなくなっちゃったんだ」 ◇◆◇◆◇ 炎が燃え盛って、蛇のようにのたくっている。地をするする這うように施設を取り込んでちろちろと火の粉が飛び交い、視界をかすめた。酷く熱い。手を不用意に伸ばして皮膚を走る痛みを感じる。だがそれがいかほどのことか。龍亞は動くのを止めない。 「龍可、龍可、死なないで龍可ッ……!」 蛇のようだと思った炎は一瞬のうちに大蛇に成長し、そしてふと気が付いてみれば東洋の龍に勝るとも劣らぬ非常に巨大な姿になっていた。建物を抱き込む火の手が上げる不愉快な音は赤い炎の龍が咆哮したもののように思えた。ものが焼ける音と匂いがあたりに充満している。頭がぐるぐるして、気分が悪く、今にも眩暈で倒れてしまいそうだった。 「龍可、返事をしてよ龍可、お願いだから……!!」 ごうごうと燃え盛る中に龍亞は身を省みず突き進んでいく。どうしてこんなことになっているのか理解出来なかったしわかりたくもなかった。父と母が出かけていていないからいつも通りに児童施設に遊びに来ていて、それだけだったはずなのだ。何も悪いことなんてしてない。龍亞も龍可も、何も。 突然火の手が上がって大騒ぎになり、けれど幸運にも施設内にいた人間は全員大怪我を負う前に避難することが出来た。勿論龍可もだ。龍可は一度安全な場所まで退避していたのだ。 ただ、大切な人形を中に置き忘れてきてしまったと泣き出した女の子がいたのがよくなかったのだ。龍可は優しいから、そして家族以外には隠していたけれど少し特別で精霊に守られているという思いがあったから大人の手を振り切って中に駆け出していってしまった。でも龍亞は知っている。「特別」にだって限度はある。 いくら龍可でもこんなのは無茶だって龍亞は知っている。同じ特別の双子だから。 「龍可ーっ!!」 ただ我武者羅に叫んで走った。建物のどこかで龍可が酸素不足で倒れていたり、擦り切れてぼろぼろで息も絶え絶えになってしまったいるかもしれないと思うと気が気ではなかった。その龍亞の思いに呼応して次々と精霊が龍亞の周囲に呼び出され、実体化していく。龍亞の能力によるものだ。 ウォーター・ドラゴン、ハイドロゲドン、水霊使いエリアとその使い魔ガガギゴ、黄泉ガエル、その他水属性のモンスター達が実体化して水の力で龍亞を守り道を開いてくれる。その中央をただまっすぐにひた走る。もっと速く、もっと、という思いが龍亞を急かしたてた。龍可は泣いていたりしないだろうか? 「お願いみんな、もっと、もっと、もっと強い水の力を貸して。いっそこの炎を全部消しちゃうぐらいに強く。もっと強く――」 龍亞は願う。龍可を苛むあらゆる全てを消し去ってしまいたいと。 「――もっと、龍可を守れるぐらいに強い力を」 龍亞は祈る。龍可が傷付く姿は見たくないのだと。 「あとはもう、何がどうなったっていいんだ」 龍亞は望む。友達の精霊達がこの世界でその力を貸してくれることを。 「だからお願い」 だから精霊達は、精霊に愛された少年のその無垢ですらある願いを叶えた。 ライフ・ストリーム・ドラゴン、龍亞の一番の友達で龍亞を守護する龍の精霊は龍亞と感応し合う非常に特別な能力を持っていた。龍亞の能力を増幅させる力だ。精霊界を現実世界に引っ張り出して顕現させる龍亞の能力を支援して、より強力に長時間維持させることが出来る。 だがライフ・ストリームは幼い精霊だった。それ故に自身の能力を上手い具合にコントロールすることが出来なかったのだ。だから本当は、龍亞はライフ・ストリームの力を借りてはいけないのだとそう両親に言い含められていた。 でも、この時はそれ以外に方法が思い付かなかったのだ。なりふり構ってなんていられなかった。 龍亞が通った後に無数に水属性の精霊がわいてきて、様々な水の力でもって炎を消し流していく。黒く焦げた焦土の足跡を作りながら龍亞は走った。ただ龍可のことしか考えることが出来なかった。両親の警告なんてすっかり忘れていた。走っている途中にちくりと頭に痛みが走ったが、気にも留めない。 それが能力のオーバーフローからくる痛みだということを龍亞は理解していない。痛みが危険信号であり、サインであることを龍亞は理解していない。だが、龍亞は気が付いていたって能力の使用を止めなかっただろう。止めてしまえば龍可がどうなってしまうかわからないという脅迫観念が龍亞の中に息付いていたからだ。 段々息苦しくなってきて、ぜえぜえと荒い呼吸を小刻みに繰り返す。呼び出した精霊達が気遣わしげに、また或いは切迫した様子で『龍亞さま!』と声を掛けてきたが龍亞は息切れした掠れ声で「だいじょうぶだから、るかを、」と返した。精霊達は押し黙って火を消す作業に戻っていく。龍亞の表情は有無を言わせないものだった。 建物の奥の方で、ぬいぐるみを抱きしめたまま龍可は倒れ込んでいた。慌てて駆け寄り揺すると小さく反応が返ってくる。龍亞はほっとして息を吐き、涙を滲ませた。龍可の体に酷い火傷はない。ところどころ擦っていたようだが絆創膏を貼れば治りそうな程度の軽いものだけだ。 「良かった……龍可……」 安堵して座り込むとどっと疲労が襲ってきて、ずぶずぶと沼に沈み落ちるように視界がぼんやり不明瞭になっていく。ぱきん、と頭の中で硝子のパネルに罅が入って割れるような音が響いた。次の瞬間眩暈と強烈な酩酊感が龍亞を襲う。気持ち悪くて、わけもわからないまま吐いてしまいそうだったが胃の中も口の中もからからと乾いてしまっていた。ライフ・ストリームとエンシェント・フェアリーが自分を呼ぶ声が随分と遠くから聞こえてきたように思った。 覚束ない意識を微睡みの中に捨て去って、龍亞はゆっくりと意識を手放す。精霊界から現実世界への干渉を制御する思考回路が停止したこの瞬間、後に《精霊暴走》と呼ばれる事件が始まったのである。 ◇◆◇◆◇ 「誰もね、悪くないの。君は龍可を守りたかっただけ。ライフ・ストリームは、君を助けてあげたかっただけ。でもあれが全てのトリガーになった。きっかけなんて、終わってみれば些細なことなんだ。――そう、些細なことだよ。人形を置き忘れて泣いた女の子だって君達を陥れようとしてたわけじゃない。ただ不幸が積み重なって倒れてしまっただけ」 龍亞が忘れてしまったあの日の出来事をカード・エクスクルーダーはぽつぽつと語った。エクスクルーダーは見ていた。龍亞が異能でもって精霊界から呼び出した精霊のうちの一人であった彼女はその場に居合わせていたのだ。だけどあの事故を防ぐことが出来なかった。その自責の念は今でも強く残っている。燻っていて、消えない。 「コントロールを失っただけで、君が気絶した後も能力の発現は続いてた。半径五キロ圏内で見境なくあらゆる精霊が実体化したわ。その中にデュエル・アカデミアが入っていなかったこととI2日本支社が入っていたことだけが不幸中の幸いだった。事態に気が付いて十代とヨハンが沈静化させるまでに実体化した精霊の数は数百超。ネオドミノシティ、海馬コーポレーション、インダストリアルイリュージョン社、そのどれもが大きな力を持った組織だったけどあの規模の異変をなかったことには、やっぱり出来なかったの。世界中で悪い奴らが精霊と深い関わりを持つ家族の存在に気付いてしまった」 「悪い奴らって、遊星が倒してきたのみたいな?」 「ううん、もっと性質の悪いもの。下卑て、狡く、無正義な……。あのさ、十代とヨハンが家に帰って来なくなった日、覚えてるよね。二人は子供を棄てて逃げたわけじゃないんだよ。その逆。何よりも大切な子供達の安全を確保する代償に自分達を差し出したの。……実験動物として」 「……なんだよそれ」 エクスクルーダーの、人権も何もない酷い形容に龍亞は言葉端を荒らげた。実験動物。マウスやらモルモットやらと揶揄される、あまりよろしくない言葉だ。怒りと、怖気すら感じる。愛する家族である父と母とその言葉は線で繋がらないものだった。二人は人間で、立派な大人で、そういう虐げられ方をされるような人ではなかった。 「実験動物ってどういうことだよ。パパとママを乱暴に扱ったり酷いことをいっぱいしたっていうこと? パパもママもそんなこと、少しもこぼしたことなかった。いつもにこにこ笑って……」 腹立たしさが後から後からこみあげてきて、いてもたってもいられなくなる。父母を虐げたらしい誰かへの残虐な思いが腹の底で渦を巻いていた。ぎしぎしと痛んだ。ぎちぎちと締めあげてやりたかった。すごく、ざわざわする。 家族を傷付けた奴に情け容赦なんかいるはずないというふうに頭の中で結論付けられていく。龍亞は目を吊り上げてエクスクルーダーの方を睨む。 「教えて、カード・エクスクルーダー。パパとママにそんなことをしたのはどこの誰?」 「非合法研究機関の《EX‐Gate》って組織だけど……ねえ龍亞、お願い落ち着いて。あの組織はもうどこにもないの。十代とヨハンが二人がかりで叩き潰してきた後だから、ないの。だからそんな表情しちゃ駄目。十代とヨハンは、君にそんな顔されたってちっとも喜ばないし悲しむよ」 「だって!」 「もう全部終わってるの。二人を襲った君達によく似た双子の話、私も聞いたけどその子達は多分その組織の遺物でしかないわ。組織自体はとっくにぼろぼろに壊滅してるんだよ。本気になった十代とヨハンに勝てる奴らなんていないもん。世界を滅ぼそうとした光も、闇も、あの二人は全部やっつけてきたんだから」 龍亞は間違いなく十代の息子で、ヨハンの息子で、そして覇王の血をひく少年なのだということをまざまざと見せ付けられてエクスクルーダーは深く息を吐いた。十代は子供達に何かを呪うだとかそういう感情を覚えて欲しくないと思ってずっと子育てをしている。それは昔自分が世界を呪い、世界を敵に回し、あらゆる全てを否定した苦い過去からくる切実な願いだった。弱さを罪とし殻に籠もり、そして残虐非道の限りを尽くした。でもそれは振り返ってみれば、ただのわがままにすぎないのだ。個人の未勝手な感情に「世界への怨嗟」という大仰な名を付け正統化していただけだ。 みっともない逃避は情けないだけで本当はなんにもいいことなんかありはしなかったのだと、十代は言っていた。ばかみたいだよな、と苦笑いした。それらの醜く、無様で、だが変えようのない救いようのない過去のことを彼はあまり楽しい思い出だと思っていなくて、しかし忘れることも出来ないものだからせめて子供達には無縁でいて欲しいと願っているのだ。 ろくなことなんかないんだって十代は言う。ヨハンも、言う。 「家族のことを好きなのは、わかるよ。愛してるのもわかる。私にとっても、十代は家族。あの人は元々私達を仲間だって言ってくれてて、結婚してから家族としても見てくれるようになった。ヨハンがデッキは家族だって言ってたからね。だから家族のことはわかるよ。私は、お姉さんなんだから」 「……エクスクルーダー?」 「私を誰だと思ってるの、龍亞。十代のHEROデッキのアイドル、カード・エクスクルーダーだよ? 私はね、君達のこと大好き。龍亞も龍可も十代もヨハンもみんな大好き。私は君達のお姉さんになりたいってずっとそう思ってる」 そういうことだよ、と笑ってエクスクルーダーは龍亞のほっぺたを引き寄せ、それから小さく音をたてて触れるようにキスをした。龍亞の顔がかっと赤くなる。慌てて顔を上げると、「どんなもんだ」というふうに立っているエクスクルーダーの頬も少し赤くなっていた。龍亞はごしごしと頬を擦って口を尖らせる。 「なんだよ、最近は龍可にもして貰えないのに」 「普通そこはして貰ったことがないって言うとこじゃないかな……」 「エクスクルーダーも今したんだから、おあいこだろ。龍可は妹で、エクスクルーダーはお姉ちゃん。兄妹だって言ったのはエクスクルーダーだよ」 ぷいと顔を背けて言ってやるとエクスクルーダーは「なにそれ」なんて笑った。つられて龍亞も笑う。こういうふうに笑うのが随分久しぶりなような気がした。龍可と朝早く起きて学校へ行かなくちゃと話ていたのが、大分昔の出来事に思えた。 「そんなに、昔でもないよ。君が眠ってるのはまだ丸一日ぐらいだから。ねえ龍亞、こっちに来てから眠りっぱなしの君が目を覚ますにはクリアしなきゃならない条件があるんだ。君はライフ・ストリーム・ドラゴンの能力負荷によるフィードバックで眠り込んでしまったの。だからライフ・ストリーム・ドラゴンを御しきれるようにならないと……」 「そういうの俺あんま深く考えないよ。一番大事な時にはどうにかなるって思う。きっとね」 「でも適当じゃ、何も出来ないんだよ」 「適当なわけじゃない。絶対にできるって信じてるだけ。――だよな、ライフ・ストリーム」 きゅいい、とオレンジの幼竜が甘えるように鳴いて龍亞に擦り寄った。鼻を龍亞の手のひらに当てて嬉しそうにしっぽを振る。するとどんよりとした空が急に晴れ渡って、陰気な森の木々が一様に瑞々しく枝々を揺らした。花の元に現れて踊り出した「踊る妖精」を指差して龍亞が「だから、ね、大丈夫だよ」と言う。してやったりというふうな顔だ。 エクスクルーダーは驚いて目を丸くしてしまったが、すぐに緩やかな笑みを浮かべて見せた。 「俺だって、いつまでもなんにも出来ない子供のままなわけじゃないもん」 「……そっか。そうだよね。君はもう子供じゃない。誰かに守られるだけの子供じゃない。なんか……変な感じ。ちょっと前まで赤ちゃんだったのに……」 「そんなの、もう十四年も前のことだよ」 「わかってるよ。ただ、十代が大人になった時のこと、少しだけ思い出してね」 ユベルとその魂を一つにし異世界へ旅に出て、十代はいっそ劇的なまでに「大人になった」。龍亞がライフ・ストリームを制御して精霊界に干渉してみせたのを見るとやはりそのことを思い出す。目を橙と黄緑に発光させてデュエルモンスターズを現実のものとする異能を使う時、初めのうち決まって十代は切なそうに眉根を下げた。まだ子供だったのだ。だがある日を境に顔色一つ変えなくなった。その時、彼は大人になったのだと思う。 境目でどんな心境の変化が十代に起こったのかは知る由もないが、だがもしかしたら、実のところなんにもなかったのかもしれない。 きっかけはいつだって些細なことだ。 「龍亞はおっきくなったなあ。私、もう昔みたいにお姉ちゃん、やってけないかな」 「え? やだなあエクスクルーダー、自分で言ったことは守ってよね。エクスクルーダーはずっと俺と龍可のお姉ちゃんでしょ? ……ちょっとね、見えた気がする。原っぱでさ、鬼ごっことかするの好きだったよね。パパとママが帰ってきたらまたやろうよ。家族みんなでさ」 くるりと翻って龍亞が言った。昔同じように振り返った二人の少年の面影がきれぎれに重なる。まだ幼稚園児だった龍亞と、まだ世界は楽しいことばっかりで無条件に美しいのだと根拠もなく信じていた子供だった十代。でも妹と、父と母が概ね世界の全てだった無知な子供はもういないし何にでもワクワク出来て、失う怖さを忘却していた在りし日の少年ももうどこにもいない。 二つの面影が太陽の方に走って行って、そのままふっと消えてしまったようなそんな幻が見えた。少年の面影は大人になって思い出になる。 「子供はみんな、こういうふうに大人になっていくんだね」 少しだけ寂しいよ、とエクスクルーダーはそう言った。 |