21:ファミリア(10) 英雄の肖像 |
舗装されていない山道をがたがた言わせながら走っていると無性に懐かしい気分になってきて、龍亞はちらりと運転している遊星の横顔を盗み見た。赤いD・ホイール、遊星の相棒にして幾度ものピンチを救ってきた遊星号を駆る姿というのが男の自分でも見惚れてしまうぐらいにかっこいい。遊星がかっこよくなかった時なんてないと龍亞は思っているけれどその中でも飛び抜けてかっこいいのだ。 遊星号やアキのブラッディー・キスはタイヤの形状からしてオフロードバイクではないから本来こういうでこぼこ道には不向きであるはずなのだが、そのことを意に介す様子はない。遊星が作ったバイクだからそんなことが問題にならない程頑丈なのかもしれない。何しろ遊星号は空も飛べるし大気圏も突破出来るのだ。 「遊星、今になって言うのもあれだけど迷惑かけてごめんね。遊星だって暇じゃないはずだもんね」 「気にするな。龍亞、俺達は仲間だろう?」 「……うん!」 「それに俺は十代さんの頼まれ事には弱いんだ」 「ママ?」 思いがけず出てきた名前に龍亞は首を傾げる。遊星は「危ないからきちんと前を見ていろ」と注意をした後に「そう、十代さんだ」と肯定をした。 「何故かな。あの人には逆らえないんだ」 「へー……そういえば遊星、ママのことさん付けで呼ぶし、敬語だよね。牛尾のおっちゃんとか呼び捨てなのに、確かにちょっとかしこまってるかも。言われてみればだけど遊星の敬語ってすっげーレアじゃん?」 「青眼の白龍程じゃないさ。父さんや、遊戯さん、十代さん……俺が尊敬する人には自然、そうなってしまうんだな」 「じゃ、遊星はあんまり他人のこと尊敬してないんだ」 龍亞が挙げ足を取ってわざとらしくくすくす笑うと遊星は「そんなことはないぞ?」と弱り顔で否定する。どこか、十代がからかっているかのような雰囲気があった。悪戯っ子だ。龍亞の十代に似ているところの一つなのだろう。もう何十年も禁止カードリストに入っている「悪戯好きの双子悪魔」というカードを思い出した。龍亞の父であり十代の夫であるヨハンは苦労することも少なくないんじゃないかと思う。案外龍可と結託して二対二で楽しくやっているかもしれないが。 「言い方が足りなかったな。単純な尊敬や認めるに足る、という意味ではないんだ。そうだな、少し畏怖する気持ちにも似ている。自然と畏まってしまうような人達だ」 「……なんか遊星がそんな真面目にママのこと話してると調子狂うなあ……どうしてそんなにべた褒めなのさ」 だってママだよ。龍亞が不思議でたまらないという声を出す。あのおっちょこちょいで惚気夫婦で、大雑把で適当でゴーイングマイウェイのママなんだよ? だが遊星は龍亞の言葉に首を振った。確かに普段の十代は龍亞が言うような性格なのだろうが(例えばそれは悪戯好きで遊星のことをからかったりするところだ)、本気になったあの人は凄まじい。容赦はないし、慈悲もない。倒すべき敵を前にした時の遊城十代の気迫といったら、筆舌に尽くし難いものがある。 パラドックスに対峙した十代の横顔、声音、それら全てを遊星は今でも鮮明に覚えている。名もなきファラオに匹敵する威圧を忘れることは出来そうにない。あれは確かに王者の風格だったのだと思う。「優しさ」を排した十代は玉座に君臨するに相応しい威厳を持っていた。だから遊星はずっと、武藤遊戯と遊城十代、その二人には敵わないと思う。遊星は所詮ごみ溜めの英雄止まりでしかない。 しかしそんなことをかいつまんで話してやると龍亞は不機嫌そうに頬を膨らませて「遊星、自分を卑下しすぎ」と文句を付けてきた。 「そりゃ、昔のサテライトは確かにごみ溜めみたいなもんだったかもしれないけどさ。遊星は俺達みんなの英雄なの。超かっこいいんだよ。すっごいんだから。もっと自信持っていいのに……それに遊星の言い方だとママが完璧超人みたい。ママだって人間なんだから、駄目なところの三つや五つや七つぐらいあるよ」 「……多いな。まあ、いつか龍亞が大人になった時にまた見えてくるものもあるだろう」 話はそこで途切れてしまって、そこからしばらくの間二人は無言になる。先導を務めるハネクリボーと地図を広げて飛んでいるカード・エクスクルーダーが何か言いたげに振り向いてきたが、結局何も言わずにまた正面に向き直ってしまった。 それから三十分程して、エクスクルーダーが『……多分、ここよ』と言って止まる。深い森の中にひっそりと隠れるように建っている奇妙な白い建物はさして大きくも見えなかった。だが、ゲームで敵の待つダンジョンにあるような共通する特有の空気がある。龍亞と龍可はお互いに頷きあって遊星とアキに目配せする。 「行こう、パパとママのところ」 「……ああ」 遊星は肯定した。この双子にとって危険で、なおかつ手に余るものからは守ってやらなければならない。それが十代に頼まれたことだからだ。 案の定と言うべきか何と言うべきか、広大な地下フロアが建物には備わっていた。小学生の考えた秘密基地をそっくりそのまま形にしたようなそういう広さだ。白一色の殺風景な、かわり映えのしない廊下が時折何股かに分かれつつ延々と続いている。 パイプが剥き出しで壁沿いに伝っていたり、何かのコードが配線ボックスから伸びていたりして雑多かつ適当な印象があった。一体どういう人物がこの施設を建設し、そして今利用しているのか。建設した人物と今この施設を管理している人物とのセンスの間にずれがあるような気がする。 「シャッキーン! って感じがしない? ここ。悪の秘密結社みたいな」 「その割には真っ白というか、結構綺麗よね。案外埃、少ないし……何でかしら。あんまり人がいるようには見えないんだけど」 「お掃除ロボットとかいるんじゃない?」 「ああ、確かにそうかも……」 龍亞と龍可がそんなふうなことを話しながらどんどんと進んでいく。ハネクリボーは龍可に抱えられたクリボンの横に、エクスクルーダーは龍亞の隣に浮かんでいた。遊星とアキは彼らの一歩後ろを歩いていく。 「ところで、龍亞。さっきから結構歩いているが考えて道を選んでいるのか? 二叉路や三叉路が途中何箇所かあったぞ。そういうことをきちんと検討しているか」 「え、やってないよ」 「……やはりか」 「でも大丈夫だって。多分パパとママはこっち、っていう方に向かってるから。俺と龍可が両方ともそっちだーって感じた方なら、多分大丈夫でしょ」 自信まんまんに言う。遊星とアキは思わず顔を見合わせてしまったが、この件に関しては確かに双子の直感というものを馬鹿に出来ないようなそんな予感がある。双子は十代とヨハンの血を分けた実子で、また精霊に関する特殊な能力を備えているから超直感のようなものがあってもおかしくはないと思えるのだ。 だが妙な不安が遊星の中にはあって、それが拭えないのだった。双子が受け止めるには辛い過去がもしかしたらこの施設の中には眠っているのではないか、そんな気がする。両親が双子の前から消えていた五年間の片鱗があるのだとしたら。ヨハンは遊星にこんなことを言った。吐き捨てるようにだ。 『正確にはその能力を欲しがって涎を垂らした馬鹿どもが群がってくる、と言った方が正しいかもしれないが。二人が精霊界に守護されていなかったら間違いなく今頃どこかの研究所で廃人送りだったと思うよ』 『事実さ。好奇心を満たすためなら手段を選ばない連中なんて掃いて捨てる程いる。そういう奴らにはそれは『実験体』としてしか映らない。子供だとか大人だとか、男、女、そういう些細なことは些末な情報として捨てられる。奴らにとって大事なのはその被験物が己の欲望を満たしてくれるかどうかの一点に尽きる。知れば神になれるとでも思ってるのかもしれない』 ヨハンの言葉には重たさがあった。そのような非人道的で倫理にもとる実験をまるで見て来たかのように言うヨハンの表情と声は、あの穏和でともすると家族ばかですらあるようなその人の人柄にはあまり似付かわしくないものだった。冷たく鋭利だった。静かな怒りが根底に沈み込んでいるんじゃないかとそう思う。 五年前に龍亞を中核として発生したという《精霊暴走》事件のことも気に掛かる。その事件の後に行方をくらました両親。そして両親は、双子の子供達のことを深く愛している。もし子供達に危機が迫ったりなんかしたら身を挺して守るだろう。二人はそういう人達だ。 だから、もしかしたら、或いは。 遊星は嫌な想像に眉を顰めて、その発想を頭の外へ消し飛ばすよう努めた。まさかそんなことがあるはずがない。遊城十代もヨハン・アンデルセンも強い人だ。その二人が「被験」されている可能性なんて万に一つも有り得ない。 だが、遊星の嫌な予感というのは大抵の場合よく当たるのだ。 「……せい、ゆーせい、遊星!」 そこまで考えて、はっと意識が返ってくる。立ち止まり振り返った龍亞が遊星の腕を握り込んでゆすっていた。心配そうな瞳が二揃い、遊星を見上げている。龍亞も龍可も困惑気味だ。 「龍亞、龍可」 「遊星、どうしたの? さっきからずっとぼーっとしてたわ。心ここに在らずって感じで……それに顔付きも厳しいし……」 「なんか変なもんでも見ちゃった? それか、気持ち悪くなっちゃったとか。お腹ごろごろしてない?」 「ああ、大丈夫だ。考え事をしていて……考え込んでしまっていたんだな。それだけだよ」 平気だと示して見せると龍亞は「ならいいんだけど」と言ってから「あのね」と言葉を繋ぐ。向き直った双子の視線を追うとその先に二叉の別れ道があった。 「どっちか、わからなくなってしまったのか?」 「うん。俺と龍可の意見が割れちゃって。もしかしてパパとママがバラバラになってるのかも、って思ったんだ。俺はママのことを探す方が得意だし龍可はパパの方が得意なんだよね。多分。ねえ遊星、アキ姉ちゃん、どうしようかなあ。どっちに行ったらいいと思う?」 「二手に別れるんじゃ駄目なのかしら」 「……アキさん、それは駄目なの。あの子達……私達を襲った『弟妹』と一人ずつで会うのは、駄目だと思う。私は龍亞と一緒にいなきゃ。あの子達と話をしなきゃ……」 龍可が首を振った。龍亞も龍可も強い瞳をしていて、とてもその意見を翻しそうにはない。 遊星とアキは改めて二つの道の奥を交互に眺めた。右の道も左の道もおんなじふうに深く奥へと続いていて、行き止まりは暗闇に呑まれまるで見えなかった。遊星にはそのどちらにも確たる気配を感じることは出来なかったが、ただ、例の「嫌な予感」が左の道に対して警告を発している。ついさっきの嫌な想像とそれが重なった。また顔を顰める。 「龍亞と龍可は、左は駄目だ。あまりいい予感がない。二人は、どうしても離れられないのなら揃って右に行った方がいい。アキも一緒に行ってやれ」 「遊星はどうするのさ」 「俺は一人で左に行く」 「ええぇ? それは、なんかよくない気がする……」 一人ってほら、リスク高いし。龍亞が腕組みをして唸った。遊星はデュエル・ギャング時代など単独行動に出ることも少なくなかったからあまりそういうふうに考えたことはないが(シングルにはそれなりのメリットもある)、龍亞の言い分にも一理ある。龍亞は「せめてアキねーちゃんと一緒の方がいいと思うよ」、と真剣な顔でアキの腕を握った。 「二人っきりにして何とか、っていうパパみたいな変な考えじゃなくてね。一人より二人の方が心強いでしょ。それにね、二人が俺達のこと心配して、ここまで連れて来てくれたことには感謝してるけど……」 握り込んでいた腕をぱっと放すと龍亞は龍可と示し合わせて頷き合い、二人で手を取って右の道へと方向を定めた。振り返り、龍亞が笑ってその言葉を口にする。 「これは家族の問題だから」 だからごめんね、遊星。ありがとう、と投げ掛けて二人はぽかんとしている遊星とアキを置いて行ってしまう。足取りには迷いがなかった。未来だけを見ている。 足早に駆けて行った龍亞と龍可の後ろ姿は既に、フォーチュン・カップ前にまだ格差の残るシティでトップス最上階にかくまってくれた幼い子供達のものではなかった。あの殻の中に閉じ籠もっていた未熟さはもう脱ぎ捨てられて、過去のものになっている。チーム・ファイブディーズの一員として双子も幾多の試練を乗り超えてきた。わかっていたことだ。今日の朝方にも昨日も思ったことだ。 彼らはもう子供ではない。 だが、大人でもない。それは強みであるが同時に弱さでもある。 ◇◆◇◆◇ ドイツの遊城・アンデルセン家を発つ前に、準備をしていて見付けたものがあった。何冊かのアルバムだ。見付かったもののうち数冊は「龍亞・龍可ベスト」という丁寧な書体で書かれた(恐らくヨハンの字だ)タイトルの下にナンバリングがふってあった。中を開くと幼い龍亞と龍可の写真がぎっしりと納められていて、まだおしゃぶりを付けている龍可やハイハイをしている龍亞などがこちらを見返してきている。 「遊星、何見付けたの? あ、俺達の写真じゃん。恥ずかしいなー」 「それ、『ベスト』って書いてあるでしょ。選り抜き集なのよ。全部しまってある分厚いのがそれと違う場所に何十冊もあるってこの前パパが言ってたわ……あれ? その赤いの、見たことない」 寄ってきた龍可が赤い革表紙の一際年季の入っている一札を指差す。他のアルバムに比べてくったりとしていたが、大切に保管されていたのか然程の痛みはない。 真っ赤な表紙には、金色の縁飾りが施されているだけでタイトルは何も記入されていなかった。ファンタジー小説によく出てくる「開けてはいけない禁断の書物」というものに近い空気がある。 「なんだろ。遊星開いてみてよ」 「でも、いいのかしら?」 「そんなの、見られて困るものを簡単に見付かる場所にしまっておくパパとママが悪いのよ」 龍可がゴーサインを出し、龍亞が躊躇う遊星の手から奪い取って表紙を開けた。遊び紙を飛ばして一ページ目を開く。アルバムを覗き込んだ四人の目に入ったのはやや茶色く変色した、古い写真だった。 「子供だ……」 青い髪の聡明そうだがどこか近寄り難いような、寂しそうな目をした子供がお仕着せの服に着られて写っている。あまり楽しそうな顔ではない。面倒臭い、かったるい、そういう顔だ。年の頃は五つ、六つ、そのあたりだろうか。 写真の中の少年が、決して多くない枚数の中で急速に大人びていく。どの写真も良くも悪くもないつまらない表情でカメラのレンズを見ていた。姿形は綺麗なのに台無しだ。 「アカデミア・アークティック中等部主席入学」と書かれた写真も、表面上はにこやかだがやはりちっとも嬉しそうではない。むしろにこやかさを取り繕えるようになってしまっている分、妙だった。 「パパかな。すっごい古い写真だけど……なんでこんな黄ばんでるんだろ。そういえばパパとママって写真を印刷するの好きなんだよね。今時デジタル・フォトフレームとかデジタルアルバムとかの方が主流なのにさ」 「しかし、家族写真がまったくないな」 「そう言われれば親戚の話も、聞いたことないわ」 双子が首を傾げる。次のページを捲ると、別の子供の写真に移り変わった。ヨハン少年の写真集はどうやら中学時代で区切りが付いているらしい。 青髪の少年が終わり、今度は茶髪の少年が四角い囲いの中でおどおどとしている。この子供は随分と大人しくまた臆病そうだ。カメラを前に緊張して縮こまってしまったり萎縮してしまったりしている。ヨハン少年は「写真が好きじゃない」といったふうだったがこちらは純粋に「苦手」そうだ。 「じゃ、これママ? 随分男の子っぽいけど。っていうかあんまり今のママと似てないね。弱虫そう」 「弱虫っていうより弱気ね。あ、でもカードは好きなのかな。カードしてる写真はちょっと楽しそう」 ぱらぱら捲っていく。こちらはヨハンよりも少しだけ量が大かったがやはり少ない部類に入るぐらいだった。そして家族写真がない。墨で塗り潰された教科書のようだ。まるで、家族という共同体がタブーであるかのようだった。 「中学卒業式」と書かれた看板の隣で卒業証書を持って写っている、にわかに浮き足だった写真でまた一区切りになる。その次を捲ると、写真の雰囲気ががらりと変わった。 ぴかぴかの赤いジャケットを着た十代がディスクを装着し、デュエルを行っている。制服は、他の写真に一緒に写っている女生徒のものからして男物であるようだった。すごく楽しそうだ。ワクワクしている。「ガッチャ!」のポーズを取っているものが多く見られた。 恐らくデュエルアカデミア本校――言うまでもなく、海馬瀬人が自ら創設した一番最初にして最高の名門デュエリスト養成学校である――の高等部に在籍していた頃のものだろう。写真好きの生徒か教師でもいたのか、この頃の写真は数が多かった。それに十代もそれまでとは打って変わって明るく開放的な表情をしている。四人がよく見知った遊城十代の姿に近いものだ。今の龍亞とよく似ている。 寮で食事を取っている写真、授業で居眠りをしている写真(担当教師が撮影したのだろうか)もあったが大半はデュエルをしている写真ばかりだった。デッキを繰る姿、不敵に笑んでモンスターを召喚する姿。いつだって楽しくて仕方ないという表情をしている。実際、ワクワクして仕方なかったのだろう。 更に進めていくと、ヨハンと十代が向かい合ってデュエルをしている写真が現れた。写真横の「なれ初め」というメモが二重線で消されて「留学生対本校代表模範デュエル」と粗雑な字で添えてある。 「あ、これがなれ初めなんだ。パパは留学生だったんだね」 「すぐ仲良くなったみたいね。パパはもうあんまり変わらないけど、ママは何だかまだ子供っぽい」 「なんで俺の方見て言うんだよ……あれ。なんか随分イメージ変わったね」 龍亞の言葉の通り、たった数ページで十代は急激に印象を変じさせていた。大人び、クールで、そして儚なげだ。写真が嫌いそうな横顔で写っている。一人になりたがっている雰囲気があって、隠し切れていない。 一人ぼっちの十代ばかりが並んでいた。人を避けているのだろうということがよくわかる。でも人間が嫌いになったわけではない。遊星にはわかった。 彼は自分が嫌いなのだ。 卒業式の写真の後に丸々見開き二ページの空白があって、それを捲ると結婚式のページになっていた。花嫁衣装を着せられた十代がやたら恥ずかしそうに頬を赤らめてカメラを睨み付けてきている。隣の新郎は鼻高々になって新婦の晴れ姿を褒めそやしているようだった。キスを交わして、色とりどりの花が束ねられたブーケを投げようとしている。ハネクリボーとルビー・カーバンクルが白いリボンを巻かれて、それぞれ十代とヨハンの隣に浮かんでいた。 その更に次を捲る。出てきた写真に面食らって遊星は噎せ込んだ。 「遊星、どうしたの」 「いや、なんでも……続けてくれ」 妊娠をしているらしく腹が大きく膨らんでいる。双生児を宿しているのだ、大きくて当然ではないか。遊星は自身にそう言い聞かせてみせた。しかし汗がひかない。 それでもなんとか気を取り直し、もう一度アルバムに視線を落とす。写真の横のメモ書きを追うと、「双子の男女・九ヶ月」と書き込んであった。出産間近なのだろう。 その時、ふと違和感を覚える。何か、引っ掛かるところがあるのだ。この写真における十代の最大の異常は腹部だが、それは仕方ない。ではどこか? どこがおかしいのか? 違和感を覚えたまままたページを捲った。おしゃぶりをした双子を抱えた十代がはにかんでいる。別の写真では、肩に乳幼児の龍可を乗せて困ったふうな顔をしていた。 「――あ、」 それで違和感の正体が判明した。 現在の十代に比べて写真の十代は随分と胸の膨らみが小さかった。殆どない。しかし、乳幼児を抱えている授乳期のこの頃が最も胸が綺麗に見える時期であるはずなのだ。それ以降に、あそこまであからさまに変容が訪れることは考えにくい。 ページを更に捲った。双子がどんどん成長していき、入学式に同伴しているらしい十代の写真でアルバムが終わる。その時の十代もスレンダーな体型をしていた。双子がアカデミアに入学したのは七年前のことだから、少なくともそこまではこの体型だったということになる。 しかし今は、あれだけ男らしい人だった十代が母親らしい容姿になっているのだ。一体この七年で何があったのか? 子供達の前から消えていた空白の五年間に、一体あの夫婦に何があったのか? 『そっか。君はそのことに、気付いたんだね』 「君は何か知っているのか」 『知ってる。でもあんまり、言いたくない』 左の道に進んでいる遊星とアキに付いてきたカード・エクスクルーダーが仄めかすように言う。彼女はどうやら真相を知っているようだった。しかし教えたくないらしい。 『ちっとも楽しい話じゃないんだよ。子供に語って聞かせる話でもない。あ、気を悪くしたらごめんね、君が二十歳だってことは知ってるから。単純に龍亞と龍可に知られたくないの』 それからうーん、そこのお姉ちゃんもあんまり気分のいい話じゃないと思うの。エクスクルーダーは幼い少女のその外見とは裏腹に大人びた声でそういうことを述べた。百余年あまりを遊城十代のデッキに住まうモンスターとして過ごしている彼女は主のプライベートに関わることとなると秘密主義だ。それは正しいことだと思う。だが教えてくれないのなら仄めかさないで欲しい。 『私がこっちに着いて来たのはまあ、必要になってしまった時に君に説明をするためなんだけどね。君は、すごく聡いし賢しいよ。だからその分あのことを見聞きするのが辛いと思うんだ。でも私は知ってる。君が君にとっての英雄のことをもっと知りたいと思っていること。手に届かないはずだった英雄が一人の母親になっているとわかってしまった時に君が抱いた感情。英雄の痛みを――彼が、遊城十代がどうして英雄たらしめたのかを知りたいという願望』 遊星は無言で肯定を返した。手に取るように把握されている。しかし十代のモンスターだからしょうがないのだろう。十代には何を見透かされていてもおかしくない。幼稚さも愚かさも全てだ。 『知識欲は身を滅ぼすよ』 エクスクルーダーは言った。言葉は酷く冷たく鋭利だった。冷や汗が知らず頬を伝う。覗いてはいけない暗部に手を伸ばそうとしていることに今更ながら気が付いた。エクスクルーダーの言い方から察するに、それはおぞましい内容なのだろう。つまり究極のプライベートだということではないか。 「遊星」 アキが手を握り込んできた感触にはっと意識を取り戻す。心臓をわし掴みにしていた氷の指先が、アキの温かな手のひらに溶かされていくようだった。いつものリズムで、呼吸が戻ってくる。 「唇が真っ青だわ。……遊星、あなた、十代さんの何に気が付いてしまったの? 私はあなたの言う彼女のことを知らないから、わからないわ。あなたが思っているような違和感には思い至らない。それは大事なことなの? あなたが知るべきことなの?」 「……わからない。好奇心が出張っているだけなのかもしれない。本当は知らなくていいことなのかもしれない。もしかしたら、それを知られることをあの人は厭うかもしれない……」 遊星はそこで立ち止まってしまった。カード・エクスクルーダーに視線をやると彼女は小さく首を振る。 『それでも私は、君が知ろうとするのなら咎めることはしないし、出来ないんだよ』 「話したくないのにか?」 『そう。この中には記録があるから。二人がいなかった数年の実験記録。ハネクリボーが教えてくれた、ここにはそれが残されてしまってるって……どうしてもわからないって顔してる。でもね、理由は簡単なんだよ。何故なら君が不動遊星だから。君がとても高潔で、十代とヨハンに信頼されていて、そして二人が唯一、打ち明けてもいいと考えている人物だから』 あの過去を。少女魔導士はそう続けた。それから衣服の裾を翻して、扉を一つ指し示す。いつの間にか、そこに辿り付いていたらしい。 扉には何も書かれていなかった。パス・キーを判別するために設置されていたのであろう機器は既に破壊されていて機能しそうにない。立ち尽くす遊星とそんな彼の様子を伺っているアキの代わりに、龍亞の能力で実体化したままのエクスクルーダーが無雑作に扉を開け放つ。 いとも簡単に開放された扉の奥は資料室として作られているようだった。無数に立ち並ぶ書架に同じようなファイルが陳列されている。奥の壁には、電源が切れているらしいモニターが嵌め込まれていた。コンソールは然程複雑なものではない。遊星にとっては玩具も同然の簡易なものだ。 『ここに、全ての記録が保管されてるって。内容は悪趣味もいいとこだし、陰惨でむごいよ。だけどヨハンは言ってた。同じ過ちを繰り返してしまわないように世界に影響力のある人物がこれを知ることは悪い案じゃないって。十代も言ってた。子供達を守ってくれた遊星には、真相を知る権利があるって。……ねえ、ネオドミノのヒーロー。君はそれでもこの重たい過去を知りたい?』 「……俺、は……」 青い英雄、赤いヒーローが認めた世界を救った青年は今一度資料室を見回した。遊星が感じた違和感、知りたかった痛み、苦しみ、それらの答えが今全て手の届くところにある。 唇をきつく噛んでアキの手を握り返す。遊星は自分が十代とヨハンの信頼に報いることが出来るのか、それがわからず判断しかねている。 ◇◆◇◆◇ 兄妹二人っきりになって、ハネクリボーとクリボンと一緒に龍亞と龍可は駆けていた。思えばこうして二人だけで行動するのは随分と久しぶりであるように思う。遊星達と仲間になって、両親と再会して、また遊星とアキが助けに来てくれて……その間にこうやって二人だけの冒険をすることはあまりなかった。 でも昔はいつも二人っきりだった。二人ぼっちだった。世界に兄妹二人だけで暮らしているみたいだった。友達はいたしヘルパーさんも来てくれたけど、どこか異質だった。彼らのことを嫌っていたわけではない。ただ、この人達は自分達とは同じじゃないとそういうふうに感じていたのだ。 「でもやっぱり、二人ぼっちはさみしい」 「……当たり前じゃん。人間は一人じゃ生きてけないもん。人間だけじゃないよ。精霊も、動物も、一人じゃ駄目。みんなじゃなきゃ。それが生きてるってことだよ」 「あの子達は、二人ぼっちね」 「よく似た二人は独りと変わんないよ。だからあいつらパパとママが欲しいって叫ぶんだ。愛して欲しいって叫ぶのは、愛を知らないから。親を知らないから。中途半端な知識でしか知らないんだ。――世界を知らないんだよ。ちっぽけな水槽の中が世界だって信じてる水族館のイルカみたいに。独りだから、世界は自分達とパパとママだけで出来てると思ってる」 「龍亞が可哀相って言うのは、そういうこと?」 「うん。俺達には仲間がいるでしょ。友達もいる。それはすごく幸せなことだけど、でもそんなの当たり前の幸せじゃないか。そうじゃない方が少ないよ。だから可哀相だって思うんだ」 濁った瞳で「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼んできた自分達によく似た双子のことを、まず最初に全然違う偽者だと思った。出来損ないのコピーだと。だがそうではないのだ。二人は寂しがり屋だった頃の自分達と酷似している。 でも両親のことに関しては納得がいかない。そのことで許せるような気持ちには当分なれそうにもない。 それに彼らは自分達から両親を奪う気でいるようだった。「パパとママの子供はわたしたちだけで十分」「パパとママは、あなたたちのところへは返さない」そう言ったのだ。挙句の果てに「赦さない」などとものたまった。 「自分達が欲しいから略奪するなんて間違ってる。可哀相だとは思うけど、それとこれとは別なんだ。落とし前は付けなきゃ」 行き止まりの壁の前で立ち止まって龍亞は厳しい表情になる。今度ばかりは龍可も龍亞の言葉に同調しているようで文句を言わなかったしたしなめたりもしなかった。その代わりに強く頷き、扉に手をかける。 二人が戸を押すと、予め受け入れる準備が完了していたかのようにあっさりと扉が開いた。剥き出しのチューブやコード、オレンジの溶液に満たされたガラス・ケースが存在感を主張する奇妙な部屋が二人の前に現れる。 その中央に父と母と、それから例の双子がいた。猫と見知らぬ白衣の男もいる。疑問が脳裏をかすめる。 両親はどうしてあんな偽者を腕に抱いているのだろう。ひょっとして憐れんでいるのかもしれない。二人はとても優しい。 「パパ、ママ」 「龍亞、龍可!」 「お兄ちゃん、お姉ちゃん……」 それぞれに十代とヨハンの手に抱かれている、双子の紛いものがびくりと体を震えさせた。本物の龍亞と龍可、兄姉の登場に恐れを抱いている。恐怖の内訳は簡単に推察がついた。両親を取り返されてまた独りになってしまうことへの怖れだ。 だけど気に掛けてやれる程優しい気分にはなれそうにない。龍亞はきつく睨んで口を開く。 「そいつらを離してパパ、ママ。可哀相だとは思うよ。でも龍可を傷付けたこと、それからパパとママを奪おうとしたことだけは簡単に赦してやるわけにはいかないんだ」 封印の解けた異能を発動させてコントロールし、モンスターを実体化させる。龍亞の隣にはライフ・ストリーム・ドラゴン。龍可の隣にはエンシェント・フェアリー・ドラゴン。シグナーが操るシンクロ・モンスターの選ばれた精霊だ。二人が魂で繋がった一枚。 父と母が目を見開いたのがわかった。龍亞が実体化能力を取り戻したことに驚いているのだろう。でも説明している心の余裕なんかどこにもない。 「続きをして、決着を着ける。モンスター、出せよ。あの黒いパワー・ツールとエンシェントを。俺達に赦すとか赦さないとか言って攻撃してきたじゃんかよ。――出せよ!」 激昂して叫んだ。大切な人を傷付けられた痛みを思い出すと歯止めが効かなくなっていってしまうようだった。 ◇◆◇◆◇ 「……俺は……俺は……」 生唾が口内に溜まっていく。気持ちが悪くて一度ごくりと飲み込んだ。人の秘密を覗き込もうとする自身への嫌悪感と、無邪気で無責任な好奇心が抗争を続けている。しかし前者の方が圧倒的に不利なのは確かだった。天秤がずるずると右に傾いていく。知りたいものはやはり知りたいのだ。 アキの手のひらから伝わってくる心音を数えて遊星は目を閉じた。少しづつ抑え込んでいく。知りたい。あの人を、知りたい。 しばらくの間、遊星は立ち尽くしてそうしていた。アキは黙って遊星の手のひらに心音を重ねてくれる。そこまで来てしまえば決断は時間の問題だった。秤を振り切らせて遊星は口を開く。 「……それでも。それでも……俺は、権利の行使を選ぶだろう」 口をついて出た言葉は思いの他シンプルだった。 「どんなに陰惨でむごたらしくても、おぞましくても、あの人の痛みと真実を知りたいとそう願っている」 『そっか』 「身勝手でもわがままでも。俺にそれが許されているというのならどうしてそれを望まないと言える? 俺は研究者だ。愚かな知識欲を棄てられない職種に就いてる。知れるのならば、知るだろう」 遊星がそう答えるとエクスクルーダーが書架の方に飛んで行って、一冊の本を取り出して来る。躊躇いをかなぐり捨てて受け取った本を開いた。手書きの手記だ。相当分厚い日記帳に几帳面な字が延々と延々と綴られている。 女性が付けているのか、丸みを帯びた文字だ。遊星はまず一ページ目を捲った。少し古くなった万年筆のインクの匂いが鼻につく。 中身を読み始める。出だしはありふれた日記帳のように形式の定まった日付の記入から始まっていた。 「『二×××年五月十七日。念願の実験体を手に入れたと研究所内はわきあがっている。私は上司に呼び出され、実験体の世話係を命じられた……』」 綴られている字は、機械的だった。感情がないというよりはそう努めることで何か迷いを消し去ろうとするようなそういう意思が感じられる。 「『つがいの実験体の識別コードは、「アダム」「リリス」というらしい』」 |