25:ジェミニ(06) 星の見える丘へ |
ルアとルカ、試験管で育ち硝子の世界を破って生まれた双生児は夢を見ない。そういうふうに出来ていない。人間と異なる体を持つ二人にはそもそも眠りという概念が存在しない。 そんな二人が一度だけ見れない夢に見た理想がある。まぶしい光の中の光景だ。その光景の中では二人とも美しい庭のある家で家族に囲まれ、幸福を謳歌していた。両親は頭を撫でて「生まれてきてくれてありがとう」、「愛してる、大事な子供達」、そう言ってキスをしてくれる。それだけじゃない。兄も姉も、からかったりしながらも自分達を大切にしてくれる。 夢の中で姉は言う。 『あなたは女の子なんだから、もっと自分を大事にしなきゃ。私の大切な妹なのよ』 夢の中で兄は言う。 『もー、男なんだからさあ、豪快にガツン! って行かなきゃ。俺の弟なんだからそのぐらい余裕だって!』 夢の中の兄と姉は優しかった。自分達をまっすぐに愛してくれていた。抱き締めてくれた。笑いかけてくれた。 『うん、お姉ちゃん。ふふ、わたし、お姉ちゃんみたいになりたいな』 『わかってるよお兄ちゃん。俺だってガツン、ドカン、バキッ! って感じに出来るんだから! お兄ちゃんみたいにね』 『龍亞そんなことしてるの。ドカンバキッってただの破壊音じゃない』 『そ、そんなことしてないって龍可ぁ……』 人間じゃないからって馬鹿にしたりしなかった。精霊の氷みたいに冷たい体でも、温かい命として受け止めてくれた。よく失敗をしたけど、一緒になってパパとママに怒られてくれた。そこにはルアとルカの求める全てがある。 家族になりたかった。 『大好き、わたしのお兄ちゃんとお姉ちゃん』 一度きりの夢想の中でルカはそう言って笑う。ルアも、同じように笑って言った。 『愛してる、僕のきょうだい。龍亞お兄ちゃんと龍可お姉ちゃん』 本当は二人とも、兄姉が憎くて憎くてたまらなかったわけじゃない。ただ羨ましく、そしてほんの少しだけ、怖がっていただけなのだ。 「ルアもルカも、馬鹿だなあ。そんなのわかり切ってることだろ? 子供はな、親に愛されるために生まれてくるんだ。両親の愛情を一心に受けるために産声を上げるんだ。両親だけじゃない。たくさんの人間からいろんな愛情を受けてそうしてその中で大きくなっていく。だからな、お前達は数え切れないぐらいの思い違いをしてるんだ。龍亞と龍可が一人しかいないようにルアとルカも一人しかいない。何の代わりにもなれないし何も代わりになれない。ドクターもきっと、二人のことを愛していたよ。短い命の中で願いが叶うようにあの人は大切に育ててくれただろ?」 不器用なんだよ、大徳寺先生は。母はそう言って笑った。ドクターの方をこっそりと盗み見ると猫をだっこして苦笑いを浮かべている。ドクターはルアとルカを試験管から上手に生まれさせてくれて、その後も世話をして育ててくれた。助けてくれた。 愛して、くれていたのだろうか。 「子供を愛さない親なんて本当はどこにもいないんだ。自分の血を分けた子供がちっとも可愛くないなんて俺や十代が思うもんか。最初は驚いたけど。……あのな、間違って失敗してしまったらそりゃあ俺も十代も叱るさ。間違いを直してやることも親の愛情だからな。そして子供達が反省してごめんなさいと言ったら最後は、『今度からは気を付けるんだぞ』、そう言って頭を撫でて抱き締めてやるんだ。俺達はそういうふうに子供を愛そうって、もうずーっとずっと昔に二人で決めたんだよ」 母の声と父の声に四人の子供達はしんと静まりかえって耳を傾けている。龍亞と龍可は二人で顔を見合わせて昔のことを思い浮かべた。両親がいなくなってしまう前の記憶だ。優しい父と母がいつもそばにいてくれた頃のこと。 トップスの最上階にある自宅でいつも両親は優しい笑顔を龍亞と龍可に向けてくれた。食器を割ってしまった時は注意されたし、二人で悪戯をしたのがばれた時にはこってりと絞られたりもしたけれど二人がとても優しい人だということを子供心に感じ取っていた。龍亞も龍可も両親を愛していた。両親が愛してくれていたのと同じように。 あの眩しい光のような温かい陽だまりの美しい世界、家族の住む家には幸福があった。 しかし試験管から生まれた子供達はそれを知らないのだという。触れたことすらなかったのだという。きっと喉から手が出るぐらいに欲しくって、何度も何度も渇望して叫んだだろう。その中で何かがすれ違ってしまってしまったのかもしれない。すり変わってしまったのかもしれない。 いつの間にか場から「光の護封剣」が消え失せ、二組の兄妹を隔てるものはなくなっていた。四人は親の庇護の元から抜け出して自然と歩み寄っていく。龍亞はルアの手を、龍可はルカの手を取って立ち止まった。精霊の温度のない手のひらに人間の命の温度が伝い移っていく。 「あなた達はパパとママに会いたかっただけなのね。パパとママに抱き締めて貰いたかっただけなのね。私、ようやくあなた達のこと少しでもわかってあげられるような気がする」 「うん。俺もそういうふうに思うよ。なあ、二人はいつ生まれたんだ? 俺達とどのくらい年の差がある?」 「……生まれたのは半年ぐらい前。お兄ちゃんとお姉ちゃんより十四つ年下なの」 「えっ?!」 龍亞も龍可もびっくりして同じタイミングで間の抜けた声を漏らしてしまう。それを見てルアとルカも呼吸を合わせてくすくすと微笑んだ。それからばつの悪そうな寂しそうな顔になる。でも仕方のないことだ。生まれた時からわかっていた。その時がいつ訪れるのかをルアもルカも本能で知っていた。 「でもね、そんなに年が下なのに僕たちの方が先に死んじゃうんだ」 試験管双生児が命を失う日のことは、最初から知っていた。 「僕たち中途半端な人工精霊だから人間と成長の仕方が違うんだ。寿命も違う。つくりものの僕たち、もうあんまり生きてられないんだって。あと一ヶ月ぐらいで死んじゃうんだって」 わかりきったことだったから何でもないふうにごく当たり前にルアは告げた。兄と姉の表情が一瞬で驚愕に染まるのがわかる。そういう反応を見せるというのは少なからずこの人造生命を気にかけてくれているということの証拠だ。それが何だか少し嬉しくて、はにかんだ。 儚い幽霊のような表情だった。 「なんで……そんなこと、そんな顔で言うんだよ……」 「それが当然のことだから。急に生まれて急に育ったら、そりゃあ寿命も急激に削られていってあっという間にその時が来るわ。それまでにパパとママに愛して貰いたかった。それがわたしと龍亞が生きてる意味だったの。だからお兄ちゃんとお姉ちゃんが邪魔だった。……二人がいる限りパパとママはわたしたちを愛してくれないと思ってたから。わたしと龍亞が愛されるにはお兄ちゃんとお姉ちゃんにならなきゃいけないんだって思ってた。――でも、違うのね」 「パパもママもこんな僕たちでも愛してくれたもんね」 ルアとルカはお互い顔を見合わせて頷き合った。なんだかふわふわして、無性に嬉しい心地になっていく。愛して愛されることの意味を知る。 「家族になりたかったって今更思うわ。お姉ちゃんに成り代わるんじゃなくて、お姉ちゃんみたいになりたかったんだって……今になって……」 一度言葉を切ってルカはああそうだったのか、と言うように目を瞑った。憑きものが取れたみたいにすっきりした顔をしている。何もかも全部納得がいった、そういう表情だ。 「そう。わたしも龍亞も人間になりたかったんだわ。精霊の体を誇っていたわけじゃない。自分達の方がパパとママに似てるって、だから優れてるって、そう思い込まなければコンプレックスに押し潰されてしまいそうだった。人間ならこんなに短命で果敢無く死ぬこともなかったのに、こんなにパパとママが遠いこともきっとなかったのに、そう考えると苦しくて、痛くてたまらなくて」 怖くて。ルカは硝子玉のような瞳で龍可の生きた人間の瞳を覗き込む。父親譲りのきらきらした瞳はルカがどんなに望んでも永遠に手に入らないものだ。 それこそがルアとルカにとっての明確な敗北の証であるようにも思えた。所詮自分達は望まれず生まれたつくりものの命。両親に望まれて生まれた兄と姉に勝れるはずもなかった。 「わたし、本当は普通の人間でも良かった。罵ったのは羨ましかったから。傷付けたのは、眩しかったから。ママのお腹からちゃんと生まれた、短命じゃない普通のお姉ちゃんたちが羨ましかった。……わたしたちはね、『ほんもの』が怖いの。でも同じぐらいに憧れてる。パパとママに星を見せて貰おうって、わたし龍亞に言ったわ。プラネタリウムの夜空じゃないほんものが見たいって。恐ろしいけれど惹かれるの。愛しいけれど拒絶するの……」 「ルカ」 「わたし、試験管じゃなくってママのお腹から生まれてたら……せめてお姉ちゃんを傷付けなかったら、ほんとの家族に、なれたかな……?」 ルカが尋ねた。龍可は涙混じりになって、「私の妹なのに、ほんと、ばか」と抱き締める。 「ばかね。きょうだいなんだから喧嘩ぐらい、するでしょ? そうしたら仲直りすればいいのよ。簡単なことだわ」 「……信じていいの?」 ルアもルカも目を見開いて何か信じられないものを見るように龍亞と龍可を見返してきている。そんな可能性は考えたことがなかった、と顔が語っていた。 「出来損ないのわたしたちが完成品のお兄ちゃんとお姉ちゃんを愛してもいいの?」 「その無意味な線引きをするのを止めてくれたらね」 嘆息して龍可は妹の頭を撫でる。この子はとても頭がいいが、良すぎるばかりに一度自分がそうであろうと決め込んだ事柄に縛られてしまうきらいがあるようだ。確かに得体が知れなかったから龍亞も龍可も彼らを警戒した。傷付けられたから応戦の構えを取った。だけど蓋を開けて事情がわかった。素直になって、こんなにも弱々しく自らを恥じて反省しているのに何を求めるというのだろう。 龍亞も同じ気持ちのようで、龍可に頷いて見せた後に小さな子をあやすようにルアをぎゅうと抱き締めてやった。ルアもルカもぽかんとしている。 「でも、僕、」 「でもって、何がだよ。だって二人とも俺と龍可の妹なんでしょ。パパとママの子供なんでしょ。じゃあそれでいいじゃん? 家族であることに、それ以上何が必要かなあ?」 「ほんとに、いいの?」 「あったりまえだろ。さっきからずっとそう言ってるじゃん」 龍亞が肯定すると弟と妹は一斉にまた泣き出す。見ているとつられて龍亞も龍可も泣き出してしまいそうになった。でもそれは悲しみでも痛みでも怒りでもない。嬉しいような切ないようなそんな涙だ。 二人ぼっちだった兄妹は家族の手に抱かれて、思いきり泣きじゃくった。夢に見たように父も母も優しく兄妹を愛してくれた。兄も姉も慈しんでくれた。すごく簡単なことだったのだ。怖がって卑屈になって、ごちゃごちゃと事態を難しくしてしまっていたけれど本当はこんなにも単純でありふれたことだった。 「家族で星を見に行こう。綺麗な星の見える丘を知ってる」 ハッピー・エンドを手繰り寄せることの出来る正義のヒーローが大好きだった母が内緒話をするように言った。 「そして帰るんだ。家族の住む家に」 あのありふれた幸せのある場所に帰ろうと、そう繰り返した。 (ジェミニ*エンド) |