02:アカデミア・ハイスクール
「母さん、もう俺高校生なんだよ。そんな心配しなくったって大丈夫だってば」
「そ、そうよね。わかってはいるのだけど……」
「十代の言う通りだ。アキがこの年頃の時は……」
「や、やめてちょうだい、この子の前でその恥ずかしい頃の話は!」
母さんが顔を真っ赤にして父さんの方に振り向いた。父さんはと言えば、澄ました顔でコーヒーなんか飲んでいる。昔父さんにこっそり聞いた話では丁度中学から高校に上がったぐらいの頃にかけて、母さんは相当グレていたらしい。今の優しい母からは想像できないけど。
父さんも意地悪なことするなぁと思いながら俺はぐっと右手を父さんに向かって突き出した。――「ガッチャ!」のポーズだ。楽しかったり嬉しかったり、その他いろんな時に使える魔法の呪文みたいなもので、もうずーっと何年も使っている。なんだかすごくなじむのだ。
「遅刻する前に行きなさい、十代。母さんは父さんが責任を持って仕事に行かせるから」
「うん、サンキュー父さん。父さんも仕事頑張ってね」
「ああ」
ジャケットを翻して俺は玄関へ走って行った。ばたばたとスニーカーを履いて勢いよくドアを開ける。
「行ってきます!」
今日は始業式の次の日。つまり、入学したばかりのデュエル・アカデミアでの初めての授業がある日なのだった。
◇◆◇◆◇
俺の家は「トップス」と呼ばれるいわゆる高級住宅地の中にあって、シティ中央からは少し離れている。とは言っても電車で四十分とかそのぐらいの距離だ。別に裏路地を通るわけでもないし、母さんが心配するほど危険なことはないと思う。
好きでやってるとはいえこんななりだから、痴漢もナンパも生まれてこの方遭ったことがないのだ。父さんは「親というのは、そういうものだ。心配したがるものなんだよ、特に娘のことは」と言っていたけどそれにしたって母さんは心配性すぎると思う。自分が非行に走ってたという過去がその心配性の最たる原因のような気がする。
まだ慣れない道をぱたぱたと走り、学校を目指す。昨日は始業式が終わってすぐにレストランへ連れ出されてしまって友達を作る余裕もなかった。でも今日は違う。今日こそは、目いっぱい周りに話しかけて、そしてデュエルを申し込むことが出来る。
俺の家族はデュエル一家といっても差し支えないぐらいに、みんなデュエルが大好きだった。しかも父さんも母さんもものすごく強い。俺自身もスクールとかジュニアカップとかではけっこういいセン行ってたし、弱くはないはずなのに二人にはまるで敵う気がしない。
スターダスト・ドラゴンを召喚した父さん。それから、ブラック・ローズ・ドラゴンを召喚した母さん。この状態の二人には一度も勝てたことがなかった。
だからジュニアスクールに在学していた時、ようやくインターネットの使い方を覚えた俺がまず最初に調べたのは父さんと母さんの名前だった。不動遊星と不動アキ。最初に引っ掛かったのが二人の職場のホームページだ。「海馬コーポレーション研究部門モーメント開発局」と「ネオドミノシティ中央総合病院」。それをスルーして更にスクロールしていった先に、俺が求めていた情報はあった。――「海馬コーポレーション主催第二十八回ワールドデュエルグランプリ優勝、不動遊星」。
そこから先は芋づる式で、あとからあとから父さんや母さんの輝かしい戦績が湧いて出てきた。一つ二つなんて生易しい数じゃない、両手両足を使ってもまだ足りないぐらいの数だ。でもその戦績は丁度俺が生まれたあたりでぷっつりと途切れてしまっていた。子育てに専念してくれたのだろう。
とはいえそれまでは、多忙な仕事の合間を縫って年一つ二つとはいえ大会に参加していたのだからすごい。ムービーで見た若いころの父さんのライディングデュエルからは何か並々ならないものを感じたぐらいだ。きっとデュエルを定期的にしないと耐えられない人なのだ、父さんは――――
「う、うわぁ?!」
「ってぇ……!」
考え事をしすぎて、不注意気味になっていたらしい。俺は盛大にぶつかってしまって尻から地面に倒れこんでしまった。打った部分をさすりながら前方を見ると、俺と同じ制服を着た少年がこれまたおんなじように倒れこんでいる。どうやらお互いに突き飛ばす形になってしまったようだ。
「わ、悪い。考え事に夢中になってて……怪我ないか?」
「俺は大丈夫。君こそしこたま打ち付けていたみたいだけど、どこか痛んだりしてない? 俺も焦ってたら前方不注意になっちゃってたみたいだ」
二人で声を掛けあい、よっこらせと立ち上がる。ぱんぱんと埃を払って俺は相手の少年の方へ歩み寄った。
「その制服、アカデミア・ハイスクールのだろ? 俺も一緒。昨日入学したばっかの新入生なんだ。……ところで、アカデミアはあっちだと思うけど君はどこに向かって走ってたわけ?」
「へぇ、奇遇だな、俺も新入生。で、どこかって聞かれたらそりゃ決まってるだろ? アカデミアだよ。君こそどっちに向かってたんだ」
「いや、俺はアカデミアの方にまっすぐ……」
「俺もまっすぐ……」
「んん? なんか噛み合わないぞ……」
昨日通った通りの道順で正しいとするのならば俺が目指していた方向こそがアカデミアのある場所のはずだ。なのに少年は俺が来た道こそが正しいのだという。どう考えても向こうが間違っている。
「あのさ、もしかして君、方向音痴?」
俺は思い切って尋ねてみた。
「……うん。実は、かなり」
ぺろりと舌を出して恥ずかしそうに少年が答える。ああやっぱりなぁと俺は溜め息を吐いた。「やっぱり間違ってた?」と聞き返してくる少年に「多分ね」と返事をする。なんだか変な奴だ。でも何でだろう、悪い気はしない。
「まあ、いいや。時間はまだ間に合うはずだしこれも何かの縁だ、二人で行こうぜ。俺は不動十代。君の名前は?」
「俺の名前はヨハン。遊城・ヨハン・アンデルセン。よろしくな、十代」
ヨハンが差し出してきた手を握り返して握手をする。その瞬間妙な感慨が俺を襲った。ある種の既視感ってやつだ。なんだかその手のひらが無性に懐かしく感じられたのだ。
「……変なの。君とは初めて会った気がしない」
「ああ、俺もだ。なんだかずっと君のことを待っていたような気がする」
何年も何年も、ずっと。
握手をした態勢のまま道端に突っ立っていると、不意にハネクリボーが出てきて俺の頭をつついた。通行の邪魔だから早く学校へ行けと催促しているらしい。するとヨハンの肩にも精霊が一匹現れた。小型の猫みたいにもリスみたいにも見える不思議な紫色の精霊だ。
「なあ、そいつ、なんて言うんだ?」
「え、お前ルビーが見えるのか? 一族以外では初めてだ。ルビーが見える奴」
「ルビー? そいつはルビーって名前なのか?」
「ああ、こいつはカーバンクルのルビー。伝説上の生き物さ」
「伝説って?」
「ああ! ……ところで君のそれって、ハネクリボー?」
「あ、うん。ハネクリボーのこと知ってんだ」
「そりゃあまあね。俺の曾じいちゃんがいつも連れてたモンスターだから」
俺は会ったことないけどね、曾じいちゃん。そう言ってヨハンは悪戯っぽくウインクした。俺は足を動かしながら(ハネクリボーがまた催促してきても面倒なので歩きながら話をすることにしたのだ)ぱちくりと目を見開く。ハネクリボーをいつも連れてた人? かつてハネクリボーを初めて家に連れて帰ってきた時父さんが言っていたことが本当ならこの世界にハネクリボーはこいつただ一匹しかいない。だとすればものすごい偶然だ。たまたまぶつかった相手の曾祖父がハネクリボーの以前の持ち主だなんて。
「へぇ……なあ、どんな人だったのか知ってる? その曾おじいちゃん」
「んー。すっげーデュエルが強かったらしいぜ。でもちょっと変わってる性格だったみたいで……あと精霊が見えたって。まあうちの家族はみんな見えるけど、普通は珍しいだろ?」
「まあなぁ、俺も自分以外だと龍可姉ちゃん以外には知らなかったもん。でも良く考えたら見えなきゃハネクリボーとは話出来ないよな」
ハネクリボーはカードの精霊達の中でも特に人懐っこくてお喋り好きなのだ。見えない人の手元にいたってつまらないんじゃないかと思う。
「そうそう。だから精霊が見えない奴らは絶対損してると俺は思うんだよ。こんなに面白い奴らがこっちに向けて色々喋ってくれてるのに何一つわからないんだぜ?」
「あー、わかるわかる! 勿体ないよな、気のいい奴らばっかなのに」
俺とヨハンは揃って笑った。なんだか面白い奴だ。しかも同じ学校で同じ学年。いい友達になれそうな気がする。
「ヨハンってクラス、どこ?」
「Aクラス。十代は?」
「俺もA! じゃあ、一年同じクラスなんだな!」
「そっか、これからよろしくな!」
ヨハンが嬉しそうに笑って、十代の手を握る。そのまま手をひいて走り出そうとするので十代はおいおい、と少し呆れたように口を開いた。
「よろしく、って気持ちは俺も一緒だよ。でもその方向はアカデミアとは真逆だ。後ろ向きに走り出さないだけましだけど、そこで左に曲がったら迂回路に入って駅の方に戻ることになるぞ」
「あー、そうだった。悪ぃ悪ぃ、俺すっげー方向音痴なんだよ」
「それはさっき聞いた」
ヨハンがまるで悪びれないふうに言うものだから、俺は呆れるよりも、こいつめほんとに面白い奴だとなんだかワクワクしてきてしまう。そのままヨハンの手を握り返して俺はヨハンを引っ張る形で走り出した。もちろん、交差点の右叉路に向かって、だ。
◇◆◇◆◇
授業を受けるのは退屈だ。大半の授業はあまり好きではない。でも両親ともそういうところは真面目な人だから、別に必要のなさそうなものでもそこそこきちんと受けるようにしている。
ある日母さんが言っていた、「授業中に顔を描いたお面を付けて堂々と眠り続けていたアカデミア伝説の人」みたいなことは流石に出来ないし、父さんや母さんが立派な大人なのはそのへんを蔑ろにしなかったからだろうということを十代はなんとなく察していた。……ゼロ・リバースの事件によって孤児となり貧民街で暮らしていたという父は学校というものに行ったことがないらしいのだが。学校に行かずに独学だけで博士号を取ったらしい父さんは天才すぎる。
まだ自分が小学校に通っていた頃に、あまりにも聡明な父とごく平凡な自分は本当に親子なのだろうかと寝ぼけた質問をしたことがあって、その時は盛大に笑われたものだ。二人ともその質問は予想外だったようでそんなことあるわけないでしょう、こんなにかわいい私達の娘が、と十代の頭を優しく撫でて十代が生まれた時の話をしてくれた。
「結婚して一年経った頃だったわ、あなたが生まれたのは。お父さんは堅物というか鈍感な人だったからまず結婚に漕ぎ着けるのが大変で苦労したのよ。でもその分、生まれてきてくれた時は嬉しかった。おぎゃあと泣く赤子が自分の腹から生まれてきて、今腕の中にいるのだと思うとそれまでの苦労なんか吹きとんでいくみたいだった」
「一目見てびっくりしてしまって、十代が父さんと母さんのところに生まれてきてくれたことを感謝した。俺は日頃あまり神を信じてはいないんだが、あの時ばかりは神に感謝しようとそう思ったものだ。五体満足で元気な娘を授けてくれたことを」
そう言われてしまっては十代としても疑うべくもない。嬉しくなって、それ以来十代は嫌いな科目の授業も話半分ではなくある程度はきちんと聞くようになった。そうすると意外にも、そういう「十代にとって関心のない科目の授業」でもたまにいいことを言っていたりすることがわかってきたのだ。たとえば今みたいに。
「一九九六年、海馬コーポレーションが主催したバトルシティによってデュエルモンスターズの存在は飛躍的に有名になりました。今から100年近く前のことですね」
近代史担当の教師がそんなことを言いながら黒板に初代決闘王の絵を描いている。妙に上手い。
今日は初日なのでオリエンテーションです、と言って教師が始めたのは簡略化されたデュエルモンスターの歴史だった。I2社創設者の故ペガサス・J・クロフォード氏がエジプトで古代の石板を見付けたという少しオカルトチックな話から、伝説の初代決闘王武藤遊戯にまつわる逸話(多少眉唾ものに聞こえるものもあったが。古代エジプト王朝のファラオの生まれ変わりだったという話は流石にナンセンスだと思う)――それに近年の、精霊学の話まで。
「精霊研究はアンデルセン博士が基礎理論を確立し、ソリッド・ヴィジョン、それから何人かのサイコ・デュエリストの方々の協力のうえ彼らとの対話を一般観覧者にも認知できるようにしたことから近年注目が集まっている分野です。100年経ってようやく精霊の存在が世間に認められ始めたということですね。……アカデミアには精霊と生徒との交流話がたくさん伝承として残っています。これから学園生活を過ごしていくうえで皆さんも幾度か触れる機会があるでしょう。先生が生きている内に精霊に触れるようになるといいんですけどね」
その発言にクラスの生徒の大半がうんうんと頷いた。でも何人かは興味なさげに、或いは何を今更といったふうに頬杖を付いたりしている。十代はその中にヨハンの姿を見付けて驚いた。
だって彼は精霊が見える一族なのだ。その他の、精霊という存在に懐疑的な生徒たちとは違うはずである。
「……と、いうわけで今日はここまで。次回からは昭和時代の話になりますので、各自準備をしておいてくださいね。それでは」
そう思った時丁度チャイムがなって、起立礼の挨拶をして休み時間となる。十代は席を立ってぼーっとルビーのしっぽを突ついているヨハンの元に駆けて行った。
「ああ、十代。どうかしたのか?」
「どうかしたも何も。ヨハン、何でお前さっきの授業あんな態度だったんだ? お前だって精霊が見えるんだから、あんなつまらなそうにしてることないだろ」
十代が咎めるように言うとヨハンはああそのことね、と苦笑いをする。
「だって、先生が話してたアンデルセン博士って俺の叔父さんだもん。身内の話されても今更感があるっていうか、あとちょっと恥ずかしいんだよなー」
「なんだ。そういうことだったんだ」
ヨハンの言葉に合点がいき、十代は手を叩いた。
「確かに身内の人が先生の話に出てきたら恥ずかしいよな。悪いことじゃないんだけど……俺もそうだったから、わかる」
「へえ。十代の親戚にも有名人がいるんだ」
「有名人とはちょっと違うんじゃないかなぁ。俺の父さんは普通の研究者だよ。フォーチューンの開発者の不動遊星」
「……有名人じゃないって十代、それ本気で言ってるのか?」
十代が何でもないことのように言うとヨハンはものすごく変な顔をして十代のおでこに手を当てた。熱を測る動作だ。
失礼な。
「本気だよ。華々しいプロ・デュエリストでもないし、まあ一部の人には有名だろうけど……」
「だとしたら十代、お前相当変わってる。うちの一族も変人揃いだけど負けてない感覚のずれ方だと思うぜ。――あのな、不動遊星ってのは英雄なんだ。21年前のいわゆる<世界改変の危機>の時に世界を救った張本人。仲間たち、そしてスターダスト・ドラゴンと共に幾何もの危機を乗り越えてきた生ける伝説そのもの。今はまだ本人が嫌がってるから教科書には載ってないけど、そのうち絶対に載るってぐらいの人だ。このぐらいネットをいじればすぐ出てくると思うんだけど……」
「……俺ネットあんまり使わないんだよな。必要に感じたことないし……でも、それ、本当なのか?」
「嘘をつかなきゃいけない理由はどこにもない」
「そっか」
帰ったら父さんと母さんに聞いてみよう、と決めて十代はヨハンの腕をのけた。熱がないのにいつまでも触られている道理もない。
ヨハンは何故か名残惜しそうな顔をして払われた手のひらを見ていた。
「どうしたんだよ、じっと手なんか見て」
「ん……なんか、変な感じがして。十代から離れるのを寂しがってた気がする」
「手が? お前って本当変わってるよなヨハン」
「十代もな。でもなんか居心地いい。今日出会ったばかりなのにずっと親友だったような、そんな気がする」
「朝もそんなこと言ってなかったっけ。……でも俺もそうかも。ヨハンの声ってなんか気持ちいいな」
十代は微笑んだ。
◇◆◇◆◇
「ねえ、父さんが英雄だって、本当?」
母が作った夕食を食べながら十代は不意にそう切り出した。あんまりに唐突だったので、案の定二人はきょとんとした顔をしている。
「どうした、いきなり」
「今日さ、学校で友達が言ってたんだ」
「友達が出来たのか。良かったな」
「はぐらかさないでよ」
十代がむっとした顔をすると父はどうしたものかと思案顔になる。十代は十五歳だ。確かに、もう話してもいい時期かもしれない。避けていた話題ではあるが、別にどうしても隠し通したいことではないのだし。
「……そうだな。何度か、そういうふうに世界の命運と向き合わねばならなくなった時はあった。でも英雄だんてたいそうなものじゃない。いつも誰かがそばにいて励ましてくれたし助けてくれた。皆で乗り越えてきた。その友達は父さんのことを過大評価しすぎだ」
「ふうん……?」
「英雄という言葉は俺みたいな矮小な人間には相応しくない。俺なんかよりあの人の方がよっぽど素晴らしい英雄、ヒーローだった。誰もが彼という存在に憧れずにはいられなかった」
また、「あの人」だ。父さんは何かにつけてその人を話の引き合いに出した。父さんにとってのヒーロー、憧れの英雄。すごく尊敬しているのだという。十代の名前も、彼からもらったと昔聞いた。
「また、『あの人』の話? 父さんがそんなに憧れるその人って一体どんな人なの」
「いつも言ってるだろう、ヒーローだ。エレメンタル・ヒーローみたいな人だとも言えるし、ネオ・スペーシアンみたいな人だとも言える。ところで十代、その友達はどんな子だ?」
「どんなって……ちょっと変わってる奴。俺と一緒で精霊が見えるんだって。名前はヨハン。遊城・ヨハン・アンデルセン」
「遊城?」
十代がそう言うと、父は一瞬だけ呆気にとられたようなそんな顔をして、不思議そうにヨハンの名字を反芻した。
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