03:ヨハンと十代、それからヨハン
『名前はヨハン。遊城・ヨハン・アンデルセン』
遊星は食事時に娘が言っていた名前をもう一度頭の中で繰り返した。遊城、それから、ヨハン。
知っている名前だ。それはまだ遊星が十九歳だった頃、「パラドックス」という敵と戦わねばならなくなった時にふとした縁で共闘することになった二人の伝説のデュエリストの内一人に関わりのある名前だった。
遊城十代、遊星の尊敬する人間の一人。
パラドックスがsinレインボー・ドラゴンを召喚した時に十代が発した「貴様、よくもヨハンのカードを!」という鮮烈な叫びを遊星はよく覚えていた。怒りを露わにすることを少しも躊躇わないその荒い語調は恐らく彼自身そう口にすることのなかった類のものであるはずだ。それほど強い思いがその言葉にはこもっていたように遊星には感じられた。声音はどこか、彼らしくなかった。
「ヨハン。ヨハン・アンデルセン。偶然にしては出来すぎている」
あんまり強烈に印象に残っていたものだから、悪いとは思いつつヨハンという人物のことはこの時代に帰って来てから調べられるだけ調べ上げた。だが出てきた情報は大概が素っ気ないものだ。アカデミア・アークティックを首席で卒業し、その後プロ入り。『宝玉獣のヨハン』の名で親しまれ、同期のエド・フェニックスやカイザー亮と並びリーグでも好成績を残した。二〇一六年に二十八歳の若さでプロリーグを引退、その後精霊学の研究を始める。エースカードは「究極宝玉神レインボー・ドラゴン」。
それらの判で押したような記述が並ぶ中、一つだけ遊星の目を引いたものがある。学生時代にアカデミア本校へ留学し、そこでいくつかの怪奇に巻き込まれた――というものだ。言うまでもなくアカデミア本校とは遊城十代が卒業した学校であり、であるならば、ヨハン・アンデルセンと遊城十代が恐らく友人関係にあったのだろうということまでは容易に想像できる。
でも想像はそこで行き止まりに突き当たってしまう。どうして十代が彼の名前にあそこまで反応するのかはとうとうわからずじまいのままなのだ。パラドックスが使ったsinサイバーエンド・ドラゴンもまた十代の知人のモンスターが奪われsin化させられたものであるはずなのだが、彼はレインボー・ドラゴンの時ほどの反応を見せなかった。
もしかしたらその差異には特に意味なんかなくて、単に遊星が深読みしすぎているだけなのかもしれない。でもそれは、そうと片付けてしまうにはあまりに明確な温度差だった。彼はレインボー・ドラゴンがsin――罪の名を付けられその仮面に縛られた姿を見た一瞬、とても悲しい顔をしたのだ。
まるで、レインボー・ドラゴンに映る己の罪を見せられて詫びるかのような。
そんな顔だった。
でもそれは少しおかしなことなんじゃないかと今でも遊星は思っている。自らの過失でスターダスト・ドラゴンを奪われた遊星と違ってレインボー・ドラゴンがパラドックスに奪われてしまったことは十代にとっては不可抗力のものであったはずなのだ。ならばあの時彼は何に対して詫びたのだろう? 略奪を許してしまった己の不甲斐なさでないのだとすれば、何に対して?
そこには、遊星の知るべくもないもっと大きな何かがあったのだとでも言うのだろうか?
「……文字通り、知るべくもない、ということか。不確定要素が多すぎる。十代さんはもうとっくに故人になっていて……ヨハンさん……も死んでいる」
彼らが生きていたのは百年近く前の時代だ。シンクロ召喚もなく、アドバンス召喚がまだ「生贄召喚」とやや前時代的な呼び方をされていたデュエルモンスターズの確立期。武藤遊戯に至っては融合召喚のルールすらあやふやな黎明期の立役者だ。そんな彼らと共闘する機会が持てたことを幸運とこそすれ、その先を知りたいなどと考えてしまうのは欲深い行為なのかもしれない。
だが。
「あの子が……俺の元に、生まれてきてくれたこと。これに何か意味があるとするのなら、或いは」
遊星は机の上に立てかけてある二つの写真立てを交互に見比べた。左側の写真立てにはあの不可思議な邂逅の際に撮らせてもらった遊戯と十代、遊星が三人で写っている写真が入っている。そして右側には、娘の十代が妻のアキと共に写っているものが。
二人の十代は性別こそ違うが、非常に良く似通っていた。瓜二つだ。龍可や龍亞と同じように双子の兄妹なのだと言われたら納得出来るぐらいにおんなじ顔付きをしている。
でも二人はまったくの赤の他人だった。
不動の血縁にも、そして妻であるアキの十六夜の血縁にも、遊城十代と繋がるものは何一つないのである。
◇◆◇◆◇
「あ、十代! 昨日言い忘れてたことがあったんだよ」
登校するなりヨハンはそんなことを言いながら十代の机の方へ寄って来た。
「なんだ? 父さんに伝言でもあったとか?」
「そうそう、まさにそれ。あのさー十代、お父さんにサイン貰ってきてくれないか? サイン。すごく欲しいんだよ、若いころの不動遊星のビデオクリップとか全部見たけど超かっこよくてさぁ。大好きなんだ、ファンなんだよ」
「お、おお……わかった。何やらヨハンが父さんのファンらしいってことはわかったからちょっと離れてくれねぇ?」
ヨハンの顔が圧迫されていると感じるほどに迫っているのを受けて十代はやんわりと彼の顔を押し返す。昨日から度々身振りやなんかがオーバーな奴だなとは思っていたが、なんというかヨハンは日本人的な距離感に疎いような気がする。正直密着しすぎだ。
この密着具合は「友達」の近さではないと思う。外人の感覚では普通なのだろうか。……名字からしてヨハンはハーフとかクォーターとかそのあたりっぽいけれど。
「なあヨハン、大したことじゃないんだけどさ。ヨハンは多分純日本人じゃないだろ、ハーフ? クォーター? どっちだ?」
「んー。そのどっちでもないんだなぁこれが」
「え。お前その外見で欧米人の血が入ってなきゃ詐欺だぞ」
「そりゃ入ってるよ。ただし曾祖父さんにな。だからまあ、ワン-エイツとでも言うのか? 八分の一だけ北欧人の血が入ってる。『宝玉獣のヨハン』の」
ひらひらと手を振りながらそう言うとヨハンは何故か不機嫌そうな顔になった。顔付きが渋い。知らない内に彼にとっての地雷を踏んでしまっていたのだろうか?
「……ヨハン、その嫌なこと聞いちゃったんなら……」
「あー、悪い。別にそういうわけじゃないんだ。ただ俺がそっちの曾祖父さんのことあんまり好きじゃないだけ。別に曾祖父さんが悪いわけでもないし、まあ完全に八つ当たりなんだけどさ」
ヨハンは彼にしては珍しく殊勝な表情をして、宙空に視線を彷徨わせていた。すると彼が腰に提げているデッキケースの中から、するりと一匹の精霊が躍り出てくる。薄い桃色の猫の精霊だ。胸のあたりに紫の宝石らしい装飾が付いていた。どことなくルビー・カーバンクルときらきらした雰囲気が似ている。
『ヨハンは曾祖父と比べられるのが嫌いなのよ。自分は自分だ、いくら名前と顔が同じでも先祖の"ヨハン・アンデルセン"と自分は別人なのにって拗ねてるの。比べてしまうのも仕方がないほど、確かに二人は似ているのだけどね』
「おい、アメジスト。余計なこと言うなよ」
『だって十代が不思議そうな顔をしているんだもの。あなたはこのことを説明しないでしょう? 私が言わなければ十代は何が何やらさっぱりよ』
「でもさぁ……」
「おおっ、そいつもヨハンのデッキに入ってるモンスターなのか? 名前はえーっと……」
『アメジスト・キャットよ、十代。ルビーと同じく七体の宝玉獣の内の一つ』
自己紹介をして一礼をするとアメジストが十代に手を差し伸べてくる。それに手を返しつつ十代は宝玉獣? とそのワードを頭の中で反芻した。さっきヨハンが言っていた言葉だ。――『宝玉獣のヨハン』。
ヨハン、というのは勿論今十代の目の前にいる少年の名前なわけだが、自分自身を指す言葉としては随分そういう時の彼の言葉は冷めていた。それにさっきアメジストは言っていたじゃないか、先祖のヨハン・アンデルセンは、と。名前と顔が目の前のヨハンと同じらしい曾お祖父さん。
大分ややこしい話だがつまり総括すると、
「ヨハンは曾お祖父さんとそっくりの顔で、なんか名前も一緒で、それで比べられるのが嫌なんだけど何故かデッキはその曾お祖父さんと同じものを使ってるんだ?」
『そういうことになるわね』
アメジストが短く肯定した。
「……でも、俺は曾祖父さんとは違う。ヨハン・アンデルセンじゃなくて遊城・ヨハン・アンデルセンなんだ。それなのに祖父さんも父さんも俺が生まれたのを一目見るなり『こんなに似てるなんて、まるで生まれ変わりのようだ。あやかって名前はヨハンにしよう』だなんてふざけてる。お前だってそんな理由で名前つけられたら微妙な気分になるだろ。だから俺はあんまりそっちの祖父さんは好きじゃないの」
『子供っぽいわねぇ』
「いいんだよ。十五歳はまだ十分子供で通用する範囲だ」
「……それじゃあ、ヨハンは自分の名前嫌いなのか?」
渋い顔どころかとうとうぶすくれて拗ねだしてしまったヨハンに十代はふと湧き上がった疑問を躊躇せずに尋ねる。今のやり取りでヨハンが先祖のヨハンをあまり好きでないことはわかったが、その割には彼は堂々と自らの名前を名乗るのだ。昨日の朝、出会った時もそうだしクラスでの自己紹介の時だってそうだ。
自分の名前が好きでなかったらああも堂々と自信満々に名乗りはしまい。
「へ? 別に名前は嫌いじゃないぜ。遊城・ヨハン・アンデルセンっていう文字の並びはいいんだ。自分の名前だし、嫌いなわけないだろ」
「ああ、そうなんだ」
聞いてみれば案の定である。アメジストもこちらを見て苦笑していた。変な矛盾。でも何故か、ヨハンらしいとも思う。
理由は特にないけど。
「じゅうだーい、なんだよその顔はー」
「え、俺変な顔してる?」
「してるしてる。なんか突っつきたくなる顔だ」
先ほどまでの話題は彼の中で終わったことになっているのだろう、すっかりいつもの顔になったヨハンが人差し指を十代の頬に向けて突き出してくる。十代はそれを手のひらでやんわりと受け止めると指をぎゅうと握りこんだ。「痛い痛い」とちっとも痛そうじゃない声を出しながら、ヨハンが「そういや全然関係ない話なんだけど」と次の話題を切り出す。
「十代はなんで青いブレザー着てないんだ?」
なんでそんなことを、と思って力が緩んだ隙にヨハンの人差し指が俺の手のひらを脱した。
「確かに赤の方が似合ってるけど」
「……青いジャケットってあんまり好きじゃないんだよな。父さんのイメージと被るし。それに俺は赤がすごい好きなんだよ。でもどうしてそんなことを聞くんだ?」
なんというかとんちんかんな質問だ。確かに十代は趣味でスカートではなくパンツを選択して穿いてはいるが、れっきとした女子生徒である。まあ確かに最初は間違えられることもあるだろう。でも先ほどの体育の時は女子の中に紛れて移動し、違う部屋で着替えていて同じ部屋にいなかったりしたわけで、いくらなんでも十代が男ではないということにクラスメートたちももう気付いていていい頃だ。勿論その気付いているはずのクラスメートの中にはヨハンも入る。
であるならば女子生徒である十代が男子指定の青ではなく女子の指定制服である赤のブレザーを着るのは必然のことであるはずだ。ヨハンはそんな簡単なことにも思い当たっていないのだろうか。
「どうして、って……いや、うん、大したことじゃないんだけど。何となく気になって。ふぅん、そっかぁ」
「?」
「俺も赤いブレザー買おうかな……いやダメだな。俺は赤って感じじゃないな」
「は?」
何を言っているんだろうこいつは、と十代は首を捻る。
だから女子指定の赤は男のお前じゃどうやったって買えっこないだろ?
◇◆◇◆◇
「組み換えったってなあ。俺のデッキはこれで完成してるし。なんかこれは弄る気にならないんだよなぁ……」
『クリィ?』
「ああ心配しなくて大丈夫。お前をこのデッキから抜くなんて絶対ありえないからさ」
手のひらの中でぷらぷらともてあそんでいた「進化する翼」のカードをすっとデッキの山の中に入れてから十代は大きく伸びをした。一応形式上、十代もサイドデッキは所持している。でもマッチ形式のデュエルをする時にもそれらのカードを入れ替えで使用したことはほとんどなかった。エクストラも含めてそうだ。十代のデッキは初めからかくあるべきという形で完成していた。普通はデッキなんてプレイヤーの性格が出るもので、他人から譲り受けたとしてもうまく回せないものなのだがこのデッキは違ったのである。
初めてデュエルをしてから今までずっと十代が使い続けているのはいわゆる≪HERO≫カテゴリのデッキだった。E・HEROをメインに据え、それにネオスペーシアンやハネクリボー、そして「ユベル」という不可思議なモンスターを混ぜたデッキ。デッキレシピを見た人間はみんな「どうしてそんなに統一性のないデッキであんなに強いのかわからない」と言う。でも十代に言わせればこれ以上のデッキはないってぐらいに素晴らしく完成されたデッキだ。
まあ尤も、エクストラに何枚か入っていた用途のわからないカードは流石にサイドに移した。「レインボー・ネオス」なんかはその最たる例で、カードのポテンシャルはすさまじいのだが何分素材となるカードがデッキに入っていない。「究極宝玉神レインボー・ドラゴン」というらしいそのカードがないことにはどうにもならないし、十代はそのカードを見たことも聞いたこともない。
「うん、やっぱ俺のデッキはこれでいいよ」
十代はデッキをトントンと揃えるとケースの中に戻した。デッキ構築の再調整という名目で与えられた時間はまだたっぷりと残っているが、やる気が起こらないことにはしょうがない。残り時間はクラスメートの邪魔にならないようにハネクリボーとでも遊んでいればいいだろう。
そもそも、何故十代がデッキと向かいあう羽目になっているかというと実技授業の第一回で担当教師が「今日の課題はデッキの見直しです」とつまらないことを言ってきたからだった。そんなことは家でやればいい、今はとにかく実技、デュエルがしたいんだよと思ったが授業なのでやらないわけにもいかない。でも組み直す気なんてさらさらない。十代も始め十分ぐらいはそれなりに真面目にデッキをぱらぱらとめくっていたのだが、やはり二十分もしない内に飽きてしまったのである。
四十枚のカード一枚一枚に、今まで共に戦ってきた絆がある。そうおいそれと変えられるものではないのだ。
「そういや、ユベルだけは精霊が出てこないんだよな」
『クリー。クリクリィ』
「ん。カードにもそれぞれ事情があるんだろうなとは思ってるけど。でもほら、他のモンスター達はみんな一回は姿を見せてくれてるだろ? だから余計に気になって……」
十代はデッキから一枚のカードを抜き出してじっと見つめた。「ユベル」という名を冠した闇属性悪魔族、星十の上級モンスター。全体は女性のようなシルエットでいて、左半身は男性形でかつ右半身は女性形という奇妙な姿のイラストが描かれている。
今まで、デュエルで「ユベル」を呼べたことは数えるほどしかない。星十のユベルはアドバンス召喚の際に二体のリリース要員を要求される扱い辛いモンスターだからだ。大概は手札に持った状態でネオスと融合してネオス・ワイズマンを召喚してしまう。
そしてその数少ない幾度かも、ユベルは精霊として現れなかった。……いや、その表現は正確ではない。正しくは、「ユベルがバトルしているところを見た記憶がない」のだ。まだ十代が本当に幼かった頃、気が付くとフィールドに何故かユベルが出現していてデュエルが終了している。デュエルの相手はよくわからない大人達で、地面に突っ伏していた。十代にはいつ彼らとデュエルを始めたのか、そんな簡単な記憶さえもないのだ。
そしてその時朧気に見た「ユベル」も、ネオス・ワイズマンを召喚する時にちらりとだけ見えるユベルも、他のカード達とは違い精霊が宿っている映像ではなくただの空虚なソリッドビジョンなのである。他の精霊が見えないプレイヤー達が見るものと同じように。
『クリィ〜?』
「ああ、でもいいんだ。いつか必要な時が来ればわかる、そんな気がする。だから今はまだいい」
「何がいいって? 十代、お前もデッキ調整に飽きたのか?」
ハネクリボーに向けた言葉に思いがけず人間の声が返ってきて、十代は慌てて振り返る。思った通りヨハンだ。デッキをケースに突っ込みながら実に暇そうな顔をして十代の椅子に手を掛けている。
「ヨハン」
「俺も飽きちゃってさ。そんなもん家でやればいいだろって思うんだけど」
「そりゃ、俺も思うけどさ。……お前、俺の席まで移動してきちゃってるけどいいのか? 監督の先生がいないわけでもないのに……」
「あれ、十代って意外と真面目なのな。でもいいんだよ、黒板よく見ればわかる」
指差された方をよく見ると、中央に「二時までに調整が終了した者は対戦者を見付けた場合のみ隣空き教室に移り、実技練習をすることを許可する」と書き足されていた。言われて見渡してみれば、教室の人数が数人減っている。
「なあ、暇なら俺とやろうぜ。十代のデッキ見てみたい」
「いいぜ、俺もヨハンの宝玉獣と戦ってみたいし」
断る理由もないし、何より興味がある。十代は二つ返事でヨハンの誘いを受けるとデッキケースを持って席を立った。実技授業は午後の二時限をフルに使っているから、後一時間以上デュエルに時間を割くことが出来る。運が良ければ一回と言わず二回戦目も誰かと出来るかもしれない。そう思うと気分が良くなってきて、いつの間にやらユベルのカードのことは頭の隅に追いやられていってしまっていた。
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