04:遠い呼び声
前半は普通にデュエルをしているので、その手の描写が面倒だという方はこちらまで飛ばしてくださっても大丈夫です。
机が規則的に並べられた空き教室では、既に四組の生徒がデュエルの練習を始めていた。皆机を向い合せに二つくっつけてプレイマットを敷き、デュエル・ディスクを使わずに進めている。
どうしてだろうと黒板の方を見ると「複数人が同時にデュエルをするためデュエル・ディスクの使用を禁じる」と但し書きがしてあった。ソリッド・ビジョンでデュエル内容をギャラリーと共有できるのがデュエル・ディスクやデュエルリングを使用したデュエルの最大の特徴であり利点なのだが、確かに同じ部屋でいくつものデュエルが並行して行われるとなればそれは利点とは呼びにくい。ソリッドビジョンを展開すると場所を食うし、つい興奮して大声を張り上げてしてしまったりするので他のペアに迷惑をかける可能性がすごく高いのだ。
「まあいっか。俺達は精霊が見えるから、皆に出てきてもらえばソリッド・ビジョンを使ってるのとそう変りなくプレイ出来るよな」
「でもあんまり声出しちゃ駄目だぜ。周り、結構静かにやってるみたいだし……」
恐らく隣室でデッキ内容を熟考しているクラスメートへの配慮だろう。他のペア達はなんとか声のトーンを落としてデュエルをするように努力しているようだった。ならば、その努力を無視してしまうのはあまりにもいただけない。
「そっか、そうだよな。……ま、精霊達の声は周りには聞こえないから俺達が頑張って努力すればいいってことか」
「そういうことだな。じゃ、始めようぜ」
教室の備品となっていたプレイマットを広げ、お互いのデッキをカット&シャッフル。この作業は普段ならディスクがオートで行ってくれるものなので相当久しぶりというか、新鮮な感覚だ。オートシャッフル機能に慣れすぎて手動だと上手くこの工程がこなせない人もいるとかいないとか聞く。
「ダイスロール……俺が先行な。俺のターン、ドロー。モンスターを一体セットしてターンエンド」
「よし、俺のターン。ドロー、E・HEROエアーマンを攻撃表示で召喚。エアーマンの効果発動、デッキからHEROと名のつくモンスターを一体手札に加え、その後シャッフルする。俺はネオスを選択。……バトルだ、エアーマンでモンスターに攻撃」
「え、ネオス?……っと、ルビー・カーバンクルの効果を発動。この効果でルビーは宝玉となり、墓地へ行かず永続魔法扱いとして魔法・罠ゾーンにセットされる」
「俺はカードを一枚伏せてターンエンド」
プレイマットの上に三枚のカードをめくれないように伏せ、エンドの宣言をしてから十代は向かいの魔法・罠ゾーンに置いてあるルビー・カーバンクルのカードを見た。カードの上にやや半透明の紅玉が浮いている。
「それがルビーなのか?」
非公式の練習試合であるのをいいことに十代は躊躇せずにそうヨハンに尋ねた。これが公式試合だったら文句を付けられ最悪反則を取られる可能性もあるが、今はその心配はない。それにヨハンはきっとその質問に答えてくれるだろう。彼はさっきからずっと自分のデッキを紹介したそうな顔をしていたのだ。
「そう。原石である宝玉の姿になっているけれど、間違いなくルビーさ。宝玉獣は破壊された時に墓地へ送らずにこうしてフィールドに残すことが出来る効果があるんだ」
「でも、それだと場が埋まっちまうだろ。ちょっと扱い辛いんじゃないか」
「そんなことないぜ。効果の発動は任意だし。いろいろと利用方法もある……まあそれはおいおい見てればわかると思う。それより十代、十代はHEROデッキを使うんだな。俺もHERO好きなんだ、感激だぜ」
予想通り快く回答してくれたヨハンがエアーマンを指差して嬉しそうに言う。十代もはにかんだ。自分のモンスターを好きだと言われて悪い気はしない。
「うん。三歳の誕生日の時だったかな、俺がデュエルを始めるにあたって父さんがくれたデッキなんだ。父さん自体はHEROなんて全然使わないんだけどな。きっと気に入るはずだって、用意してくれてた。以来ずっとこいつらと戦ってる」
「へえ、そうか。実は俺が宝玉獣デッキを手にした経緯も似たようなもんなんだよな。父さんがくれたんだ。まあ正しくは曾祖父さんのデッキだから、現当主の父さんが大事にしまってあったのを俺に託してくれたってのが正解かな? 曾祖父さんが死んで以来デッキに引きこもりっぱなしだった宝玉獣達がデッキを抜け出して俺に会いに来てくれたのを見て決めたらしい」
「デッキに引きこもり?」
「そ。曾祖父さんが死んで以来うんともすんとも言わなかったんだってさ。その間宝玉獣達を使いこなせる人間は一人もいなかったってことらしい」
「ふーん……あ、」
カードの上で待機していたエアーマンがそろそろ進めてほしいと催促してきたのを受けて十代は意識をデュエルに引き戻した。いつの間にやらハネクリボーもデッキから飛び出てきて早くしてくれと言わんばかりの目でこちらを見ている。
「ヨハン、モンスター達が早くしてくれってさ。次お前のターンだろ?」
「ああ。じゃあ遠慮なく行かせてもらうぜ。俺のターンドロー、宝玉獣サファイア・ペガサスを召喚。サファイアの効果発動、デッキ・墓地・手札から宝玉獣と名のついたカードを一枚選び宝玉として魔法・罠ゾーンに置く。俺はデッキのコバルト・イーグルを選択。サファイア・コーリング」
青玉に彩られた天馬が現れ、モンスター効果を発動させる。デッキから選び出されたモンスターカードの上に紺碧の宝玉が浮かんだ。これで宝玉となった宝玉獣達が二体。
「更に手札から魔法カード宝玉の導きを発動。魔法・罠ゾーンに宝玉が二つ以上ある時、デッキから宝玉獣と名の付いたモンスターを一体特殊召喚する。出でよ、トパーズ・タイガー」
「なるほど、そういう風に宝玉を利用するんだな」
「それだけじゃないぜ? それに十代、うかうかしていられないんじゃないか……バトルだ。トパーズ・タイガーでエアーマンを攻撃」
ヨハンの宣言に十代はそこでそうくるか? とやや懐疑的な目つきになる。エアーマンの攻撃力はトパーズより上なのだ。トパーズは宝玉となり場に残るがダメージを食らってしまう。現実的な策とは思えない。
『十代、わからねぇって顔してるな? だが心配するな、俺は別に無意味な玉砕をするためにそっちのエアーマンを攻撃するわけじゃないぜ』
「え、どうしてだよ」
言葉を向けてニヤリと笑ったトパーズに十代は困惑顔になった。
『まあ見てりゃわかる。行くぜヨハン、俺に任せな!』
「トパーズ・タイガーの効果発動、モンスターに攻撃する時バトルステップ終了まで攻撃力を四〇〇アップさせる。これによりエアーマンを撃破、続いてサファイア、ダイレクトアタック」
「……そういうことか」
その効果があるならがら空きにして一方的に攻め込める。完全にしてやられた形だ。これでライフは半分削られてしまったことになるのだ。
「これで俺はターンエンド」
「むむ。でも俺もやられっぱなしってことはないぜ。俺のターン、ドロー。手札のフェザーマンとバーストレディを融合、現れろ、E・HEROフレイム・ウィングマン」
「……フレイム・ウィングマン?」
「俺はさらに手札からミラクル・フュージョンを発動して墓地のバーストレディとフェザーマンを除外しE・HEROノヴァマスターを召喚する。……フレイム・ウィングマンがどうしたんだ?」
「ん、いや……いい。気にしないで続けてくれ」
「そっか? わかった。ならいかせてもらうぜ、バトルだ。フレイム・ウィングマンでサファイア、ノヴァマスターでトパーズを攻撃。フレイム・ウィングマンの効果でヨハンはサファイアの攻撃力分の一八〇〇ダメージを受け、さらに俺はノヴァマスターの効果でカードを一枚ドローする」
カードの上に小さなサイズで出現していた四体のモンスターがバトルを行い、トパーズだけが魔法・罠ゾーンに移動して宝玉になる。何らかの意図があるのか、サファイアは墓地送りだ。十代とヨハンはメモ用紙にライフ計算をして再び向き直った。これでヨハンのライフは七〇〇、十代のライフは二〇〇〇。ライフ差は逆転した。
「これでターンエンド」
「……俺のターン、ドロー。魔法カード金科玉条を発動、デッキから宝玉獣と名の付くモンスターを二体魔法・罠ゾーンに宝玉扱いで置くことが出来る。俺はエメラルド・タートルとアンバー・マンモスを選択。さらにアメジスト・キャットを召喚」
昨日会話を交わしたアメジストが、ミニチュアサイズになってカードの上に出現する。挨拶代りに鋭い爪を煌めかせて十代を威嚇してみせた。あの爪に引っかかれたらものすごく痛そうだ。
十代がアメジストの爪をじっと見ているとヨハンはにやりと笑って「アメジストも怖いけど、もっとすごいもの見せてやるよ」と不敵な言葉を吐いた。ヨハンの指が手札にかかる。どうやら、モンスターを特殊召喚する腹積もりのようだ。
「これで七体の宝玉獣が全てフィールド・墓地に出揃い条件は満たされた。――自分フィールド上及び墓地に合計七種類の宝玉獣が出ている場合、このカードは手札から特殊召喚することが出来る。よく見てくれよな、これが俺のエースカードだ。現れろ、『究極宝玉神レインボー・ドラゴン』!」
ダン、と勢いよく置かれたカードの上に一体の龍が降臨する。プレイマットのサイズに合わせてミニチュアライズされているにも関わらず、そのフォルムは圧倒的な威圧感と荘厳さを兼ね備えていた。白亜と黄金、二種類の翼に七種の宝玉の装飾。体をくねらせて翼を広げ、胸を張る様はどこか誇らしげですらあった。正に宝玉を束ねる究極の神と呼ぶに相応しい出で立ちだ。
それは、確かに凄い。
「究極宝玉神、レインボー・ドラゴン」
でも十代が気になったのはそこじゃない。そのモンスターが冠している名だ。今まで見たことも聞いたこともなかったレインボー・ネオスのもう一つの融合素材。それが今、目の前に召喚されて存在しているのだ。
十代はつい数十分前に調整したエクストラデッキのことを思い浮かべた。確か今なら、タッグデュエル用に入れていたシンクロモンスターの代わりに(十代自身はチューナーモンスターを滅多なことではデッキに投入しないのだ)レインボー・ネオスが気まぐれで入れてあるはず。このターンの攻撃を凌ぎきって次のドローで"あの"カードを引くことが出来れば、レインボー・ネオスを召喚することも不可能ではない。
十代は手札をもう一度確認した。E・HEROネオス、異次元からの帰還、並行世界融合。この手札なら次のターンにネオスを召喚することが可能だ。そしてこのターンのレインボードラゴンの攻撃を凌ぐ手立ても、既に整っている。
十代ははやる心を抑えてごくりと息を呑む。焦ってはいけないし、それをヨハンに感付かれても駄目だ。
「レインボー・ドラゴンの攻撃力は四〇〇〇、この一撃で俺の勝ちだな。レインボー・ドラゴンでフレイム・ウィングマンを攻撃。オーバー・ザ・レインボー!」
「そうはさせるか。トラップ発動、ヒーローバリア。E・HEROと名のつくモンスターがフィールドに存在する時、一度だけ相手の攻撃を無効にする」
「おっ、用意周到だな。それなら俺はアメジストで攻撃を行う。アメジストの効果発動、攻撃時に攻撃力を元々の半分にすることでダイレクト・アタックを可能にする。アメジスト・ネイル」
初手の攻撃は防いだものの、手痛い(なんというか、アメジストの攻撃は本当に痛かった。精霊だから触れられていないはずなのだが)一撃を食らってしまう。これで残りライフは一四〇〇。凌ぎきったら、あとはあのカードを引き当てるだけだ。
「これで俺はターンエンド」
「俺のターン。……ドロー」
祈るようにデッキトップに手を掛け、ただ一枚のカードの姿だけを念じた。あれさえ手元に舞い込んで来ればレインボー・ネオスが呼べる。形勢も一気に逆転できるが、そんなことは今の十代にとっては些細なことでしかなかった。あのカードを召喚することが出来るかもしれないという興奮の方が大きいのだ。ずっとずっと、その姿を見てみたかった。サイドデッキで何年も眠っていたその姿を。
「――来た!」
果たして手札に加わったのは、求めていたカードであった。手札一枚をコストにすることで相手フィールド上のモンスターを融合素材にしてしまえる掟破りのカード。
不思議なエネルギーを放つ、「超融合」のカード!
「手札より『異次元の帰還』発動、ライフを半分払って除外されているバーストレディとフェザーマンを特殊召喚する。そしてその二体をリリースしてE・HEROネオスを召喚」
カードの上にネオスの精霊がミニチュアサイズで現れ、ポーズを付けた。精霊が宿っていることを確認したヨハンが何事か言っていたような気がするが、今の十代の耳には入らない。あと、ちょっとだ。あとは超融合のカードを発動すればいい。
そう思ってカードに手を掛けた瞬間、意識が遠くなった。
『駄目だよ、十代。君はまだこのカードを使うべきじゃない。このカードは僕と君の繋がりの証であり、そして覇王の罪の象徴。……今の君には、早すぎる』
突然頭の中で声が響いて、があんと後頭部を殴られたかのような強い衝撃が襲う。それに気付いたヨハンとネオス達精霊が「十代!」と慌てて名前を呼ぶ声が遠くで聞こえたが、体が思うように動かない。
「だ……れ……?」
意識が落ちる寸前のか細い声でそう尋ねたが、その声は十代が倒れたことによってわいた教室のざわめきに紛れて消えていった。
微睡の中にいる闇のような、懐かしいあの声は誰のものだったのだろうか?
◇◆◇◆◇
「目が、覚めたか」
気だるいぼんやりとした意識の中に、耳慣れた優しい声が聞こえてくる。低すぎないトーンの、こちらを気遣うような柔らかい声。十代が大好きな父の声だ。
「……父さん、ここ、」
「土実野総合病院だ。母さんはさっき休憩時間が終わって仕事に戻った。後で知らせてやらないとな。十代のことを相当心配していた」
ほっとした様子で遊星が十代の額を撫でる。十代はこの、父の大きな手が好きだった。辛いことや悲しいことがあった時にいつもこうして撫でてくれた手だ。
「デュエルをしている最中に倒れたと聞いた。今は異常はないそうだが、大事を取ってもうしばらくここで寝ていた方がいいと思う」
「父さんは? 仕事が……」
「十代に付いている。今は仕事の方も切羽詰まっているわけではないから大事な娘に付き添っていてやるぐらいは出来る」
「そっか。ごめん」
「謝らなくていい。お前が無事なのならばそれ以上のことはない」
そう言って、また十代の顔を撫でる。また甘やかされてるなぁ、とまるで他人事のように考えて十代は父の手に触れた。カードを持つ時やキーを叩いている時にとても美しく伸びている綺麗な手だ。
「起きる。多分もう大丈夫だと思うし……えっと、なんで倒れたんだっけ……確かそうだ、ヨハンがレインボー・ドラゴンを召喚したんだっけ。そういえば、ヨハンは?」
「さっき会ったが、十代のデッキを父さんに渡してすぐに帰ってしまった。なかなか鋭い子だな、彼は」
「え? そうか? なんか面白い奴だとは思うけど」
「ああ。お前が目覚めるまで色々と考えさせられたよ」
「ふうん……?」
ヨハンは確かに気さくで明るい人間だが、鋭いイメージは持っていなかった。まあどんくさい印象はないし、まだそういう一面を見ていないだけで実はものすごく機転が効いたりするのかもしれない。会って二日しか経っていないのだから、知らない面が多々あるのは致し方ないことだ。
それに関しては納得したのでうんうんと一人で頷き、次いで十代は次の疑問を父にぶつけた。
「それで父さん、考えてたって何を?」
「十代のことだ」
「俺のこと? ヨハンと話してたのに?」
「彼に問われたのは十代のことだったからな」
遊星は自分に突っかかってきたヨハン少年の顔を思い出して少し口端を緩ませる。若さとはああいうものだったかな、と考えて自分も年を取ったのだとしみじみと思った。娘が生まれてもう十五年経つのだ。スターダスト・ドラゴンを駆り我武者羅に戦い続けたあの日々はもう二十年近く前の出来事になってしまっていた。
「まあ、いずれ彼とカードを交える日がくるかもしれないかと思ってそのことも考えてはいたな」
「俺の頭じゃ父さんが何言ってるのか理解出来ないみたいだ」
十代がまるで意味がわからないというふうに言った。
◇◆◇◆◇
十代が病院に運び込まれたとの連絡を受けて慌てて職場から飛んで来た遊星をまず最初に迎えたのは、医師が診察をしている最中なので面会はもう少しお待ちくださいと事務的な言葉を向けてきた看護婦だった。勢いを削がれて近場のベンチに座る。すると、一人の少年がこちらにやって来た。
「十代のお父さんですか」
それが彼の第一声だった。あどけなさが残る顔立ちに反して、背格好や声は大人びた鋭さを孕んでいる。彼は遊星をぐっと見据えるとカバンから一つのデッキケースを取り出して差し出した。
「十代のデッキです。倒れた時に散らばってしまっていたので俺が集めてこれに収めました」
「そうか。すまな……」
「これを、どうやって手に入れたんですか?」
受け取ろうとして手を伸ばしたところを堅い声に遮られる。彼は差し出していたデッキケースを自分の方に引き戻し、更に強張った声で言葉を続けた。
「このデッキにはネオスやハネクリボー、その他にも俺の曾祖父が使っていたカードが入っていました。初めはレプリカかもしれないと思ったけど、召喚されたネオスには精霊が宿っていた。――精霊が宿ったE・HEROのカードは曾祖父のものしか存在しないはずです。そして曾祖父のデッキは死後ずっと行方不明になっていました。十代は父親がくれたものだと言っていましたが、これは……遊城十代のオリジナルデッキはそう簡単に手に入るものではないはずだ」
「君は俺が非正規の手段でそれを手に入れたと?」
「……その、可能性もあるかと思っただけです。俺はあなたの大ファンだし、デュエルを見ればあなたがそういうことをする人ではないってことはわかる。でもどうしても気になって」
ヨハン少年は振り絞るように言う。憧れの人を疑わなくてはいけないことが相当辛いみたいだった。それでも彼は疑って、その疑問を遊星にぶつけてきている。それほどまでに彼にとってそのデッキは大事なものであるらしい。いや、この場合は遊城十代という存在がか?
遊星は軽く息を吐いて、ヨハンの手の中のデッキに触れた。確かにこのデッキは遊城十代のものだ。コピーデッキではない完璧なオリジナルデッキ。曾祖父が、と言うからにはヨハンは彼の子孫なのだろう。確かにそれならば本来は彼の家にあってしかるべきものかもしれない。
でもこれは特殊な経緯を辿って遊星の手に渡ってきたものだ。まるで、娘の十代に渡すためにしつらえられていたかのように。
「残念だが、これはそういう汚いやり方で手に入れたものじゃない。十代さんのものに、とてもじゃないがそんなことは出来ないさ。これは彼から遺品として預かったものだ」
「遺品って……曾祖父が死んだのはもう三十八年も前のことで……」
「ああ。ある日手紙が届いて、それに指定された金庫にデッキと十代さんのメッセージが入れてあった。『君にこれを渡しておく。遊星の好きな奴に渡してくれ、多分お前なら正しい相手を選べると思う。ガッチャ、出来れば君ともデュエルをしてみたかったぜ』――これが手紙の内容だ。見たければ家に来るといい。筆跡も恐らく間違っていない」
「それは……そもそも、曾祖父とあなたの繋がりは……」
ヨハンは大分混乱しているらしく、しどろもどろになりながら疑問符を浮かべていた。遊星はその様子にさもありなん、と頷く。
彼の死が三十八年前だというのは初耳だが、例えそれが何年前だったとしても彼と遊星の間に面識など本来はないはずなのだ。遊城十代という人間は武藤遊戯のような有名人ではなかった。デュエル・アカデミアでこそ密やかに語り継がれているようだったが、それも年月と共に正確な情報が削ぎ落とされていってしまっていて彼だとは特定出来ないものになっている。そもそも遊星が物心ついた時には、彼はとっくに隠居してしまっていた。常識的に考えて出会っているはずがないのだ。
しかし、遊星と十代が出会う機会がなかったことは問題ではない。十代の側は遊星が生まれるずっと前から不動遊星という存在のことを知っていて、しかも遊星自身は望んだわけではないがそれなりに名の知れた……言い換えれば痕跡を辿りやすい、見つけやすい存在だ。彼の方からはいくらでも遊星のことを調べられたのである。
だから遊星が受け取った十代からのものと思しき手紙は二通とも相当黄ばんでいて、実に古めかしいものだった。恐らく自分が死ぬずっと前からこうすることを決めていて、周到に準備しておいたものなのだろう。彼の真意は察することが出来ないけれど。
「十代さんが何故俺に自身のデッキを託してくれたのかはわからない。だが、俺と十代さんとの繋がりは存在するんだ。信じるも信じないも君の勝手だが、俺は若い頃に一度時を超えて……十代さん、それから遊戯さんと共に闘ったことがある」
そう告げるとヨハンは押し黙って何事か思案し出した。何か思い当たる節でもあるのだろうか? まあ遊星には知る由のないことではある。
三十秒程経った頃、ヨハンは再確認するように頷いた。
「……信じます。ここに来るまでに俺がした質問にこのデッキの精霊たちは答えてくれなかったけど、皆十代のことが好きみたいだったし、少なくともそれは彼らが望まない相手の元にいるわけじゃないってことですよね。元々、別にデッキは盗まれてたわけじゃないし。気が付いたら行方不明になってたんだけどそもそもあの人はデッキを家に残したなんて一言も言ってなかったらしいもんな」
最後は独り言のように呟いてヨハンは顔を改めて遊星の方へ向けると、引っ込めていたデッキをもう一度遊星に差し出してどうぞ、と手に握らせる。
「十代に渡しておいてください。今日は中断になっちゃったけどまたリベンジマッチしようって。――こんな質問をしておいて何なんですけど、俺はやっぱり、十代……不動十代には、HEROが似合うと思う。まだ一度見たっきりだけど」
にこりと笑って見せる。ヨハンの笑顔は年相応の可愛らしいものだった。屈託のない笑み。十代にも通じるものだ。
「そうか。では、これは十代に渡しておこう。遊城・ヨハン・アンデルセン君」
「はい。なんですか?」
「君とはいつか、カードを交えることになるかもしれないな」
「ゆ、遊星さんと俺が?! そんな恐れ多い!!」
フルネームで名を呼ばれたことに不思議そうな顔をしたヨハンは、遊星が思った通りのことを告げると急にびっくりしたような顔になってぶんぶんと手を横に振って見せた。遊星としては何も不思議なことを言ったつもりはないのだが、うまく意図が伝わらなかったのだろうか。
「いつか自然な流れでそうなることがあるかもしれないと思っただけだ。すまない。深い意味はないからあまり気にしないでくれ」
仕方がないので遊星はそう取り繕って彼の頭をぽんぽんと撫でた。面倒だし、伝わっていないなら伝わっていないでそれはそれで問題のないことだ。
「なんでもないんだ」
そう。娘が欲しければまずは父である自分を倒してもらわないと困ると、そう考えただけなのである。