05:誰かが見た夢と誰かのメモリア
これは、ずっとずっと昔の誰かの記憶。
ずっと、同じことを繰り返している。
互いに剣を向け合って振りかざす。剣先が舞い、それを握る腕が振るう体が踊る。パリィに失敗すれば鋭利な刃物が肉を抉り血が噴き出す。そうしてじわじわと互いの命を削り合っていって、先に命が尽きた方が一先ずの敗者となり黒星を一つ増やすのだ。
何年も何十年も何百年も何千年も、そうやって飽きることなく殺し合いを続けてきた。一方が他方を殺せばその関係が終わる、だなんてことはない。片方が死ねばもう片方も程なく死んでしまう運命なのだ。だから決定的な決着はいつまでもつかない。
そしてその時々の肉体は死に絶えて朽ちてしまうけれど、いくらか時が絶てばまた次の肉体を得て二人は殺し合いを再開させる。終焉の見えない永久サイクル。でもそこに憎しみとかの感情はなく、ただ怠惰に同じ動作を繰り返しているにすぎない。
「そういうふうに出来ているから」二人は互いを殺す為に求め合う。これまでその関係は変わることがなかった。そしてこれからも、この意味のない争いは同じ形のまま飽きることなく続いていくと、そう思っていたのに。
「気でもふれたか、破滅の光」
「まさか、至って俺は平静さ。しかしまあ今代は随分といい男になったなぁ、優しき闇よ」
「そういう貴様は今代もへらへらと軽薄そうだ」
「誉め言葉として受けておこう。俺は君以外にこの素顔を晒したことがないんだ」
「ふん、馬鹿馬鹿しい。俺以外に? 当たり前だろう、"思い出した"その時から俺達は二人で顔を付き合わせて緩慢に剣を交えているだけではないか」
「緩慢? 言うねえ、この殺伐としたやり取りを緩慢だなんて評せるのは君ぐらいだよ。そこも好きだ」
ああ、叶うことならば剣で切り裂くよりもこの両の手で君を抱き締めてあげたい、と夢見がちな少女のようにうっとりと破滅の光は言う。優しき闇、覇王は汚いものを見る目で破滅の光を睨んだ。
「寸分も隙を見せず俺の命を刈り取るべく挙作を続けているくせによくもまあぬけぬけと」
「本心さ。俺は君を抱き締めたいんだ。なあ、その物騒なものを捨てて俺の胸に飛び込んで来てくれよ」
「ご免被る。俺はやっぱりお前が嫌いだよ、破滅の光!」
「つれないなぁ、だがそんな君も愛おしい。気高く孤高で美しい。罵倒すらも君からならば愛の言葉、陸言と何ら変わらない」
「……変態が」
恍惚とした表情の破滅の光に、優しき闇は心底忌々しそうに舌打ちする。どうやったって相性最悪だ。この変態、気色悪い優男! 優しき闇はこれまで、負であれ正であれ破滅の光に対して特別な感情を抱いたことがなかった。でも今は腹の底にもやもやしたものが渦を巻いている。気持ち悪い。
そもそもこいつがいつまでも自分の正面でへらへらしているからいけないのだ。向けられた視線だけで吐いてしまいそうだと思う。ひんやりとした闇を照らし出そうとする破滅の光の熱量が疎ましい。嫌だ、と首を振る。
こんな視線は欲しくない。誰かを意識するのも、誰かに意識されることも望ましくない。ましてや永劫死のワルツを躍り続ける運命の相手に対して、何らかの意味を覚えるなんてことはあってはならないことだ。
剣先が鈍るだとか、円環が歪になるだとか、そういうことはあってはならない。意味も目的もなくいつも通りのエンドレス・キラーズであればいいのだ。
「嫌いだ。嫌い。お前なんか死んでしまえ」
「本当にそれでいいのか? 俺はお前に殺されるでもなく俺がお前を殺すでもない、第三の選択がそろそろ現れてもいいと思うんだけどなぁ。駄目か? やっぱり君にはその選択はお気に召さない?」
「嫌だ。俺とお前が交わるのは、死の瞬間だけでいいんだ。平行線こそが望ましい。こんな近さは間違ってる」
優しく問いかけるような破滅の光の声が妙に腹立たしかった。剣隙を縫って伸びてくる指先が、愛しげに髪に触れるのが苛立たしい。
(何故、俺はこうも揺れている。一挙手一投足に左右されている。この胸の疼きは。苦しくて息が詰まるような、この思いは、)
優しき闇は戸惑う生娘のような複雑な顔をして息を呑んだ。
――こんな感情は、要らなかったのに。
◇◆◇◆◇
これは、ヨハンの記憶。
『ところで、見たことない顔だけど新入生かなんかか?』
『え? ……まあ、そう言われればそうかもな』
『そっか。よく来たな、デュエル・アカデミアへ』
『ああ』
『……なんか、不思議な気がする』
『俺もだ。初めて会った気がしないぜ』
なんてことはない、始業式の朝に交わした会話だ。初めての会話。俺と遊城十代が出会った時の。
まだ、たったの十日前の出来事。
「十日しか経ってないんだって考えるとなんか変な感じするよな。もうずーっと親友だったような気がする」
「ああ。俺は十代と出会うのが必然だったって言われても驚かないぜ。そういう風に考えるとさ、ロマンチックじゃないか?」
「はは、ヨハンってロマンチストなんだな! でもそういうのもいいかな」
「僕は良くない。アニキ、何へらへらしてるんすか?! いくら脳味噌フリルだっていってもこいつは男なんだよ!」
「そうザウルス、この部屋の空気は危険だドン! さっきから薄いピンクに花がたくさん散ってるザウルス」
「いや、やばいのはお前ら二人の妄想じゃないかな……俺と十代は運命的な出会いに感謝してるだけだぜ」
「だからーっ! そもそも運命とかそういうワードがおかしいんだよ! アニキは僕のアニキなんだからな、お前には絶対渡さない」
「丸藤先輩、それは流石にドン引きだドン」
ヒートアップして机にバン、と手を叩きつけた翔を見て剣山が冷や汗を垂らす。翔はものすごい剣幕でヨハンを睨んでいた。生半可なものじゃない、殺意にも等しい何かだ。
「十代、時々翔の扱いに困ることってないのか?」
「え? 何でだよ。いい奴だぜー翔は」
「そうか……お前が気にしてないんならいいんだけど」
そのやり取りにムキー! と暴れ出した翔の口を塞ぎながらこればっかりはヨハンが正論だと剣山は溜め息を吐いた。
「まったく、アニキにも困ったものだドン。アニキがオープンワイドすぎるから面倒なことになるザウルス。……丸藤先輩もヨハン先輩もあんまりアニキに変なことを教えないで欲しいドン……」
「心外だなぁ。俺はそんなことはしてないぜ。翔みたいにぶっ飛んでるわけでもないし。というか、翔はもう少し落ち着いた方がいい。心頭滅却すれば火もまた涼し……これはちょっと用途が違うかな」
「んー。俺には合ってるのか合ってないのかわかんないや」
「アニキはもうちょっと勉強した方がいいザウルス。ヨハン先輩は日本人でもないのに日本語が上手すぎる時がある気がするけドン」
何でザウルス? と剣山が問いかけてきたのでヨハンは顎に手を当ててうーんと唸った。日本語は好きだ。好きだから勉学が捗った。でも好きになった、学ぼうと思ったきっかけは何だったろうか?
「うーんと……昔からさ、学校には日本語の教本があったんだ。ほら、日本の土実野町はデュエリストの聖地だからさ。本校も日本にあるし……そもそもここへの留学条件って日本語を使ったコミュニケーションが十全に出来ることなんだけど」
「へー。それで?」
「でも昔はあんまし日本語の教本、好きじゃなかった。暇つぶしにぱらぱら捲る程度で、テストでいくらか出るから片言では喋れたはずなんだけど流石にこう流暢には使えなかったな。日本人高校生の英語みたいな感じだったと思う」
「妙にわかりやすい例えだドン。それで、上手くなったきっかけって結局何ザウルス? やっぱり留学に向けてドン?」
「違うよ。それじゃ間に合わないだろ? 留学が決まったのは今年の春だ。流石に半年じゃなー」
ヨハンは物覚えが悪い方ではないが、それでもやはり半年で日本語を会得するのは不可能だと思う。この言語は相当複雑で難解なことばだった。何しろ文字の数が半端じゃない。平仮名を覚えて、片仮名、それで終わりではなくその先には漢字が待ち構えていて……
ヨハンは首を振った。今は日本語を習得するまでの道のりを思い出したいわけではない。
「確かそう……二年前の夏だったかな? 十代が高一だった頃。あの夏に不思議な夢を見た……気がするんだ。あんまりよく覚えてない。内容はピンボケしてていまいちはっきりしないんだけど、その夢から覚めたときにあ、日本語勉強しようって思ったんだ。片言じゃ困るって。今思うとなんかの啓示だったのかもなぁ」
「夢で啓示ねぇ。ほんとロマンチストだね」
「はは。俺はロマンを追いかけるのもまた一興かと考えてる男なんだよ、翔」
「そのうちロマンに呑まれて大変なことになりそうだね。……ま、せいぜいその時は頑張ってよ。僕は遠くからせせら笑っててあげるから」
「丸藤先輩、もうちょっと歩み寄って欲しいドン……」
「なぁに剣山君。僕、こいつとは致命的に相性が悪いんだよ。君は黙っててくれないかなぁ」
「俺は翔とも仲良くしたいんだけどなぁ」
復活した翔が毒舌を吐くと一同は揃って苦笑した。何が彼を反ヨハンに突き動かしているのかは知らないが頑なな奴だ。
「高一の夏かぁ……高二の時も島に残って野宿とかしてたけど、なんか高一の時はそんなに寂しくなかったような気がするんだよな。両方一人ぼっちだったはずなんだけど。誰かと喋ったような、喋ってないような……俺も夢見てたのかなぁ、もしかして」
「アニキも、夢見てたかもしれないザウルス?」
「ん。あやふやだけど。そう、確か食糧探しに行ってなんか踏んづけちまったの。そいつが人でさあ、いろいろ話した。ような気がする」
「「「ふーん」」」
三人の声が綺麗に重なる。十代はその声がどうでも良さげな反応に聞こえたのか、渋い顔をして「じゃあこの話は止めよう」と言った。
「みんなつまらなそうだし。……そういやさ、この前トメさんが購買に新しく入荷してくれたパックなんだけどさ……」
「お、何々? なんかいいカード収録されてる?」
「トメさんが言うには新しい融合モンスターとか、あと絶版カードの再録もあるって」
「マジかよ、その再録カードって何かわかんないかなぁ」
「秘密だってさ。買ってからのお楽しみ」
「ちぇー。じゃ、今から購買行くか……」
ヨハンは十代の肩を掴むと、さっきまでの話題なんてまるでなかったみたいに新しいカードの話に花を咲かせて購買へと足を向ける。そんな感じで、この時その不可思議な夏の話題は終わった。
その後、あの夏の話には一度も触れていない。
◇◆◇◆◇
これも、ヨハンの記憶。
アークティックに併設されている学生寮はやや古めかしく、しかし品のある古城の名残を見せる造りである。
そう言うとなんだか聞こえがいいが、実際は冷暖房設備がいまいち整備されていないというだけの話で、夏はまだましだが冬などは本当に恐ろしく寒かった。無駄に風通しがいいから、と何度思ったかなんてもう数えていない。ヨハンはジュニアスクールの頃からずっとアークティックに在籍しているから、この古城で暮らしだして五年が経っているのだ。
いろいろと不便なことはあるけれど、それなりに快適にやっている。でもそんなヨハンには近頃悩みがあった。目が覚めた後の異様な倦怠感だ。
床に就き、目を瞑って夢の世界へと旅立つ。そして数時間後に目を覚ます。するとぐったりと疲れ切っているような感覚に襲われるのだ。けれどそれはほんの数秒ぐらいのことで、いくらか経つとすっきりと晴れやかな気分になっている。
何か悪夢を見たのかと勘ぐってみたが、肝心の夢の内容というのがさっぱりだった。ただ真っ白なイメージがあった。まばゆく、何もかもを覆い尽くしてしまいそうな白。目が眩んでしまいそうな閃光の色。
「ま、ものすごく困ってるってわけじゃないんだけどさ……」
『るび?』
「うん。なんかわからないことがあるっていうのが気持ち悪いんだよなぁ」
ひょこりと顔を覗かせた新しい家族であるルビーに返事をしてヨハンはベッドから抜け出た。今日は休日ではない。それはつまり普通に授業があるということで、遅刻したらまずいということだ。
いつまでも夢に構っている場合ではない。
「でも最近はルビーがいてくれるから、校内の移動時間が半分で済むようになったんだよな。本当助かる。サンキューな」
『ルビルビィー』
頭を撫でてやるとすごく嬉しそうな顔をしてじゃれついてきた。かわいい奴だ。
ルビーを初めとした「宝玉獣」達は先のヨーロッパ大会で優勝した時に偶然居合わせたI2社のペガサス会長が手ずから譲渡してくれたものだ。今まで眠っていた宝玉達が俺に反応を示したことを受けて決めてくれたらしい。
細かいことはわからないが、彼が宝玉獣達と出会わせてくれたことには本当に感謝している。みんないい奴で、出会った時から良くしてくれた。デッキの持ち主であるヨハンを慕い、愛してくれている。ヨハンも勿論そうだ。七体の宝玉獣達のことを本当の家族だと思っている。
「さて、じゃあ道案内よろしく頼むぜ、ルビー」
『ルビルビッ!』
勢いよく肩から降り立ち、部屋を飛び出たルビーを追いかけてヨハンも走り出す。その時ふと思った。
――今日もまた、あのよくわからない夢を見るのだろうか?
白い。
真っ白で、後は本当に何にもない。潔白すぎて逆にむせ返るようだった。なんだろう。この白さは、不自然だ。
どこまでもどこまでも純白。潔癖、白、光、ああ――
目が潰れてしまいそうだ。
(……?)
その時、どこからか「色」が現れた。一面の白を穢す赤。くれない色だ。やがてそれは黒い何かを纏った。空間を埋め尽くす色と対局を成す漆黒。
『お前こそ、何様のつもりだ! 何がやりたいんだ、学園を白く染めるだけじゃ、足りないのかよ!』
漆黒が言った。どこか幼い声だった。
『ああ! 世界を、宇宙を、白紙に戻そうと言うのだ。お前などには理解できない、崇高な目的の為にな!』
それに真っ白な世界が答える。崇高な目的? ヨハンは首を傾げた。
そんなもの、あったっけか?
『っ……』
『十代! 今の斎王は破滅の光の意思に肉体を奪われている』
『その声はネオス。ネオスなんだな!』
ぎり、と歯を鳴らす漆黒がまた別の第三者の台詞に振り向く。第三者は漆黒の言葉に深く頷いた。
『ああ。全ての戦いの源は光と闇の対立。生命を育む優しい闇は、今破滅の光によって滅びようとしている。……君は、その破滅の光と戦える正しき闇の力を持っている』
『正しき闇の力、ネオスペーシアンの言っていた宇宙を破滅から救う力……』
(宇宙を、破滅から救う力?)
漆黒の呟いた言葉にまたヨハンは首を傾げる。真っ白なあれはそんなたいそうなことをしようとしていたのだっけか? あれは、確か力を持て余していただけではなかったか。それで暴走している。抑えるものがないから。
(……何で俺、こんなこと考えてるんだろう)
そこまで考えてからヨハンは首を捻った。あれって何だ? あの真っ白は何者なのだろう? 世界と宇宙を白紙に戻すだとかよくわからない戯言を言っている純白は。
(なんで、だろうな)
良く見知った仲のような気がしてならない。
『斎王! いや、破滅の光の意思!』
(破滅の光の意思?)
漆黒が何か決意を固めたようにそう叫んだ。あの純白は――破滅の光。そう、破滅の光って言うのだ。
『でも大丈夫。俺達は、光と闇は、惹かれ合う運命にある。そう遠くない未来にヨハンと十代は出会うだろう。今度こそ、現実でね』
『おやすみヨハン。いずれ君は俺という存在を理解するだろう。何故なら、俺はいつだって君の内に存在するからさ。また会おう』
(ひかりのヨハンと、やみの……じゅうだい)
そこで唐突に夢は終わりを告げる。
純白は消え失せ、寮の石造りの天井が目に入った。ヨハンはごしごしと目を擦り、ああまただ、と体に残った気だるさを受け止めた。
夢で何があったのか、ヨハンは何も覚えていない。
◇◆◇◆◇
これは、十代の記憶。
「いろいろ……色々あったよな。セブンスターズ、光の結社、異世界……アカデミアに入ってから事件続きだった。アカデミアってすげーとこだなー、なんて何度か思ったよ」
十代は自嘲気味にそう言った。隣でユベルが変な顔をしている。
「でも、違った。アカデミアに事件が集まってたわけなんかじゃ全然なかった。全部俺のせいだ。俺が事件を呼び寄せてた。簡単なことだ」
『十代。君はまた、そうやって背負い込むんだね。前世でもそうだったよ。王子は僕のことを愛してくれたけど、でも最後まで僕を頼ってはくれなかった』
「そんなことないさ。俺なんかの為に美しかった少年の姿を捨てて、いつも俺を護ってくれてた。信頼してたよ。誰よりも」
『でも君は――!』
「それでも、俺はああしなきゃならなかった。それは定められたことなんだ。二つが目覚めてしまったらあの帰結は必然。ユベル、お前を愛しているとか信頼しているとか、そういう次元の問題じゃないんだよ。ごめんな」
『……』
「破滅の光と優しき闇は殺し合う。どっちかが先に死んで、もう片方は後を追って衰弱死する。どっちにせよ待っていたのは避けられない死だ。だから……ごめん。俺にはあの選択しかなかった」
数百年前のこと。破滅の光と向き合った覇王、前世の十代はその手に握った刃でもって破滅の光の心臓を貫いた。
その代償に己もまた、心臓を貫かれながら。
『……。君は、ずるいよ。十代』
「ああ、自覚してる」
『でもそんな君だから……王子だから、僕は君のことが好きだった。自己犠牲を厭わない王なんてろくな結末を招かないって、僕は知っていたけど。……それでも僕は、君に幸せになってもらいたかった』
「うん」
『でもやっぱり、叶わなかった。破滅の光と心中して死んでしまうなんて信じられないよ。あれは君と反発する異質のものだよ。そんな得体の知れないものに命を捧げるなんて』
「うん」
『どうして君が覇王だったんだろう。どうして君がそんなくだらないものの犠牲にならなきゃいけなかったの? 君より優しい王子はいなかったよ。尤も過度な優しさは国を傾けるだけだけど。その証拠に、教えてあげるよ十代。君が死んだ後国は滅びた。君という王が優しすぎて、自らを擲ってしまったから!』
覇王は類稀に見る素晴らしい王だった。民を思いやり、慈しみ、何よりも愛した。王自身は贅沢をせずに慎ましく政務に精を出した。王国は空前の発展を遂げ――
でもあっけなく滅びた。王が自らの命を持って世界を滅ぼさんとする破滅の光と相打ったからだ。賢王を突然失った国は政治が乱れ、混乱の渦に叩き込まれあらゆる悪が蔓延り、傾き潰れた。
『君はろくでなしの王だ』
「自覚してる」
『……君は、優しすぎる。そして馬鹿だ』
「知ってる」
『でも……だから、僕は君を愛してる。一度歪んでしまったけれど、それでも君は変わらず僕を愛してくれた。ねえ十代。君は今度もまた、おんなじことを繰り返すつもりなのかい? また僕を置いて死ぬの?』
ユベルが懇願するように言う。十代は薄く微笑んで彼女の頬に手を添える。ユベルの瞳から、水滴が伝った。
『また自分一人を犠牲にするつもりかい?』
「いいや。今度は、それはやめだ」
その問いに十代はきっぱりと否を返した。
「同じことを繰り返してたんじゃ、芸がないぜ。……それに翔に約束したんだ。俺は大人になる為の旅に出るんだって。だから帰って安心させてやらなきゃ。探し人もそっちにいるしな」
『探し人? あの忌々しい破滅の光が?』
「ああ」
ユベルが驚いたような声を出す。十代は静かにそれを肯定した。覇王を受け入れ、「優しき闇の化身」として目覚めた十代にはわかる。永遠の宿敵である破滅の光がどこにいるのかが。
「破滅の光は、ヨハンだよ。まだ目を覚ましていないけど」
十代が寂しそうに言うとユベルは絶句した。
◇◆◇◆◇
これも、十代の記憶。
『ところで、見たことない顔だけど新入生かなんかか?』
『え? ……まあ、そう言われればそうかもな』
『そっか。よく来たな、デュエル・アカデミアへ』
『ああ』
『……なんか、不思議な気がする』
『俺もだ。初めて会った気がしないぜ』
十代の頭の中でそれらの光景が蘇る。一年半前にヨハンと出会った時のことだ。悪夢を見て飛び起きた十代の元に迷い込んできたルビーを追って現れたアークティックからの留学生、ヨハン・アンデルセンとの、それが今世の出会いだった。
――そう、今世の。
「初めて会った気がしない、か。当たり前だよな。"本当は初めてじゃなかった"んだもんな」
十代は自嘲気味に呟いて腕の中で眠る青年の顔を見た。気絶して眠るヨハンの髪を撫でる。まだ起きる気配はなく、十代はふぅと安堵の息を吐く。
……これで、今世は……今世はもう、あんな不毛な戦いを繰り返す必要はなくなったのだ。
それは問題の先送りにすぎないのだけれど。
『ねえ十代。僕はまあそいつがどうなろうと一向に構わないんだけどね。それでいいのかい? 封じ続けることで継続的に要求される労力と、半覚醒状態のそいつを叩き潰す労力なら後者の方が少なく済むはずだ。もしそのために十代が……』
「いい。いいんだよユベル。たとえほんのちょっとの間でもヨハンが、ヨハンが――破滅の光として目覚めてしまうだなんて俺には耐えられない」
『それは君が覇王、優しき闇であることを自覚しているからかい? 覇王として親友であった破滅の光と争うのが嫌だから?』
「……それもあるよ。どっちかが死ぬまで争って、そして片方が死んだら後を追うようにもう一人も死んでしまう、それを繰り返すのにほとほと嫌気が差してるからっていうのは確かにある。でもそれ以上に嫌なのがヨハンが俺に『そういう感情』を覚えてしまうことだ。だってさ、もしヨハンが破滅の光として目覚めてしまったら、あいつはあの顔で、あの声で、俺に愛してるって言うに違いないんだぜ?」
十代はユベルの疑問に目を伏せって簡潔に答えた。破滅の光の意思は強大だ。前世の自身を含んだ覇王の人格、そしてユベルと融合した十代は優しき闇――まあそもそも優しき闇には破滅の光と違ってそう強力な自我などないのだが――の意思に呑まれてしまうことはない。
でもヨハンがそうだとは限らないのだ。今代の破滅の光はいやに調子が良く、まだ体を得て目覚めてもいない状態であれだけの力を有しているのである。斎王琢磨を操り、微睡の中の本能だけで世界を光で満たし滅ぼそうとした。それだけじゃない。宇宙に打ち上げられたユベルを汚染して間接的にせよ十二異次元を消滅させて得体の知れない「超融合神」で世界に破滅をもたらそうとした。
そんな破滅の光に普通の人間であるヨハンの意思が打ち克てるとも思えない。破滅の光はあの時、異常なまでに強固な優しき闇への愛を覚えた。妄執的とすら言えるものだ。そのせいで前世はえらく苦労したものである。
「俺はさ、ヨハンとそういうことにはなりたくないんだ。ヨハンは俺の唯一無二の親友で、でもそれだけで、それ以上にはなれない。なりたくない。だから今は、こうするしかなかった」
あんな思いをするのはもう懲り懲りだし、そんな狂執的な得体の知れない存在にヨハンを明け渡すだなんてことはあり得ない。ありえていいはずがないのだ。
ヨハンは少し変わっているけれど、ごく普通の人間だ。彼はごく普通に生きごく普通に死ぬ権利を持っているのだ。
『そうは言うけどね……』
「あーはいはい。俺が決めたことだから、な?」
何か言いたげなユベルの言葉を制止して十代はヨハンの肩に現れたルビーの頭を撫でた。「るび?」と鳴くとルビーは十代の頬に己の頬を擦り付けてからヨハンの肩に戻る。
こちらにくりくりした瞳を向けているルビーを見て十代はやっと表情を柔らかくする。思えばルビー……宝玉獣とも長い付き合いだ。究極宝玉神レインボー・ドラゴン、その他の宝玉獣達、彼らと刃を交えたのは一度や二度ではない。勿論それは学園に入ってからヨハンとデュエルをした数回のことだけを指しているわけではない。彼らがまだカードになるずっとずっと前からの話だ。
「ルビー、お前、何か覚えてたりすんの?」
『ルビィー。ルビ』
「……ヨハンがこの命を終えるまでは目覚めないって、そうだよな、理解しているよな。それでなんか俺に言いたいこととかあるか? 聞くだけなら聞くぜ」
『ルビルビ。るび』
「ああ、そう? ないんならいいんだ」
さてヨハンを元の場所に戻しとかないとな、と一人ごちて十代は立ち上がる。両手で抱えたヨハンは実に静かなもので、微動だにしない。
「……なあ、ヨハン。今のお前には何聞いたって無駄なんだけどさ。だから聞くな。……どうして俺達は惹かれ合うんだろうな。何回も何回も出会いを繰り返して、でも行き着く先は死だ。殺伐とした殺し合いがあるのみで後は何もない。ずっとそうだった。俺はさ、もう何回お前が俺を殺して、何回俺がお前を殺したのかを覚えていないんだよ。――でも」
ヨハンは答えない。ただ、返事をする代わりに眉がぴくりと痙攣した。十代の言葉が眠りを妨げているのかもしれない。
「二代前、千五百年前だったか? お前は急に愛してるってそんなことを言い出したんだ。びっくりしたよ、俺は。急に脳味噌ご機嫌になっちゃったのかと思った。だけど考えてみるとお前のその行動はあながち間違っていないような気もする」
ユベルが眉を顰める。破滅の光から優しい闇への愛の感情と言うのを彼女は信じていないらしい。そりゃそうだ。そんなことをのたまいながら彼は覇王を殺そうとしていたのである。
でも十代はそれが全てだとは思わない。
「何度でも出会いを繰り返すって、それは恋の始まりを繰り返してるのとあんまり変わらないんじゃないかなぁ? 抱き合う代わりに剣を向けているみたいな気がする。きっと破滅の光も優しき闇も、愛し方を知らないだけなんだ」
「Deadend World」-Copyright(c) 倉田翠