08:大人会議と子供の喧嘩
ヨハンの家は本当に十代の家とそう離れていない場所にあって、色々と考え込んでいる間に着いてしまった。古めかしい、歴史を感じる邸宅だ。代議士である祖父が建てた十六夜の家には劣るがそこそこ大きい。
「曾祖父さん二人が結婚した子供夫婦のために建てたんだってさ。ご丁寧に自分達の隠居スペース付き。どうも曾祖父さん二人は相当仲良かったらしいんだ」
「ふーん……」
先程のことが気にかかってヨハンの説明も曖昧にしか頭に入ってこない。上の空で生返事を返すとヨハンははあ、とわざと耳につく溜め息を吐いて十代の肩を軽く叩いた。
「遊星さん達が何を話してるのか気になるのはわかる。だって俺もだもん。……でも今はいつまでもそのこと考えてたってしょうがないぜ。とにかく家の中に入って、それから俺達なりに考えてみよう。な」
「わかってるさ。子供みたいに扱うなって」
「はいはい」
ふてくされた声が返ってくる。これで子供っぽいと言わなかったらどんな状態を子供みたいだと思えばいいのだろうと考えてしまいそうになるくらいだ。
玄関を開け、ヨハンが「ただいま」と慣れたふうに言う。十代もならって「お邪魔します」と口に出した。ルビーがヨハンの肩からぴょこんと飛び降りて廊下の奥へと消えていく。
「ルビー行っちゃったけどいいのか?」
「俺達が帰ってきたって両親に伝えに行ってくれたんだ。リビング、結構ここから離れてるからさ」
「ああそっか、家族皆精霊が見えるんだったな。そういうことも出来るわけだ」
「そ。――さあ十代、ちょと面倒かもしれないけどまずリビングな」
そう言ってヨハンは十代をリビングの方へと先導していった。
「いつもヨハンから話を聞いています。はじめまして、不動十代さん」
「こちらこそ。すみません、突然押しかける形になってしまって」
「お父上の不動博士から話は伺っているから、自分の家だと思ってくつろいでくれて構わないよ」
リビングで出迎えてくれたのは穏やかそうな夫妻だった。青い髪の色もそうだが雰囲気がヨハンに良く似ている。そして優しそうなヨハンの母の側には「電池メン-ボタン型」の精霊、そして人の良さそうなヨハンの父の側には「エレキリン」の精霊がいた。
本当に一家揃って精霊が見えるのだ。そう思うと何だか不思議だった。わくわくしてきてしまう。
「電池メンとエレキを使われるんですか? 両方とも人なつっこそう」
「ああ、うちの両親揃って雷族使いなんだ。だからタッグデュエルで相手すると面倒なの。雷の裁き合わせて六枚積んでんだもん。エレキュアも漏電も厄介だし……」
両親に負けた時のことでも思い出しているのか、ヨハンが眉を寄せてぶつぶつと呟き始める。しかしヨハン以外が黙って自分が口を閉じるのを待っていることに気付くと慌てて口を閉ざした。
「ヨハン、お部屋はあなたの隣の客室を用意しておいたからきちんと案内するのよ」
「わかった母さん。ご飯は食べてきたからいらないんだけど、お風呂用意しといて貰えないかな?」
「はいはい、わかりました」
ヨハンの母が鷹揚に頷くのを確認するとヨハンは十代に目配せしてこっちだ、と付いてくるように促す。十代はヨハンの両親に短く会釈してまた廊下へ出た。
邸内は綺麗に手入れされていて、外見程の古さを感じさせない。建ててから今までの間に数度リフォームをしているのだろうが、それにしても美しい。住人達がこの家を愛して大事に住んできたのだろう。そして家の匂い、鼻孔をくすぐる微かな木の匂いがどこか懐かしかった。
「三世帯住宅だったらしいからさ、そこそこ広いんだ。だから俺から離れないでくれよ? ほら俺方向音痴だからさ、物心付いたばっかの頃はそりゃあもうしょっちゅう迷ったもんだ。自分の家で迷子になってるんだから世話ないぜ」
「迷子になる気持ちはわからなくもないなぁ。俺も十六夜のお祖父ちゃんお祖母ちゃんの家では迷ったことあるもん。とにかく部屋数が多くて」
「そうそう。誰も使ってない部屋とか絶対に無駄だと思うんだけどな」
ヨハンが昔は探検とかしたけどまあ今はな、とぼやいた。
時折邸内をぼーっと漂っている精霊達……電池メン-単二型やエレキンギョ、それから誰が使っているのかは知らないがジェリービーンズマンなど……を目で追っていると程なくして目指す場所に到着する。いくつか部屋が並んでいて、一番右端から「書庫」「ヨハンの部屋」「客室」……とプレートが提がっていた。
「ここ。とりあえず十代、この客室に荷物とか置いてくれ。俺も一先ず着替えるから何かあったら呼んでくれな。隣のこの部屋にいる」
「ん、わかった。じゃあ借りさせて貰う」
ヨハンと手を振りあって別れると十代は客室の扉を開けた。
一般家庭に客室があるというのも珍しい話だが、そこはまあ古くからある邸宅である。一部屋あたりの面積もそこそこ広い。この家を建てたというヨハンの曾祖父二人はどういう財力の持ち主だったのだろう? ヨハンの今までの言を照らし合わせてみた感じでは高名なプロ・デュエリストあたりだろうか。
ヨハンの叔父がやっているという精霊学の研究にしたって、日の当たらない分野の研究を続けるのは資金調達の面で色々厳しいものがある。俗っぽい邪推だがあいつ本当に金持ちの家の息子なんだなぁと十代は一人で感嘆した。そもそもアカデミア・ハイスクールに通うような子供はそれなりの収入を得ている親の元で生活しているのが普通で、十代自身もまあ良家の子女といってもあながち嘘ではないのだがなんとなくヨハンには負けると思う。
『くりぃ、クリクリ〜』
「おっとそうだった。さっさと着替えてヨハンと話しないとな。本当、なんだったんだろう」
いくらか考え込んでいるとせっかちなハネクリボー(ハネクリボーに言わせれば十代の方がのんびりしすぎているだけらしいが)が急かしてきたので十代は思い出したように着替えを始めた。返ってきてすぐにホームパーティに滑り込んでしまったので実はまだ制服を着たままなのだ。パジャマは持ってきているが流石にまだ早いと判断して鞄からシャツとジーンズを引っ張り出す。シャツにはハネクリボーのシルエットイラストがプリントされている。母アキが自作してくれた世界に一枚だけのシャツだ。
制服の赤いジャケットを脱ぎ捨てて備え付けのハンガーにぶら下げ、更にYシャツを脱ぐ。ささやかな胸を申し訳程度に包むブラジャーを見下ろして落胆の溜め息を吐いてハネクリボーTシャツを着ようとベッドの上に投げてあるそれに手をかける。
その時、急に部屋の扉が開いた。
「十代ー、着替え終わったか? 多分そろそろ風呂沸いたと思うから案内する……ぜ……」
何のてらいもなく唐突に扉を開けて顔を覗かせたヨハンに十代は言葉を失ってしまった。あまりのことに驚くよりも先に呆れの感情が浮かび上がってくる。せめてノックをするとか、という言葉も出てこない。だって十代は女の子なのだ。女の子は男の子よりも着替えに時間を食う生き物で、それは決して十代も例外ではない。そして女の子が着替えている部屋のドアを遠慮なく開けるという行為を十代は想定出来ていなかった。想像の前提からそんなことは外れている。
この家からも、両親からも、そして普段の言葉づかいだとか性格、態度なんかからヨハンはその手の常識くらいはまともに持ち合わせている人間だと十代は思っていたのだ。十代が男ならましてや女である以上そんな不用意なことはするわけがないと。そう思っていたのだ。
けれど十代のその考えは次にヨハンが口にした言葉で根底から覆された。
ヨハンが、ブラジャーだけを付けた上半身を晒し続けている十代の方を指さして恐る恐るといったふうに口を開く。
「じゅ、十代? お前、女だったんだ……?」
ヨハンは酷く呆けた顔でそう言った。
その予想外すぎる一言に十代は数秒程何も考えられなくなってしまって固まっていたが、やがて怒りの為だろう、わなわなと体を震えさせ――
「ヨハンの、馬鹿野郎――!!」
ベッドの上に置いてあった枕を掴むと思い切りヨハンの顔に向けて投げた。
◇◆◇◆◇
子供達が家を出てしばらくしてから、六人は机を囲んで話し合いを始めた。と言ってもそう難しいことは出来ない。情報が不確定すぎて、簡単な意見交換をするのがやっとという具合だ。
「纏めると、レインボー・ドラゴンの攻撃宣言の後六人全員の右腕に急に痣が出て、それでゼロ・リバースの映像が見えた……と。そして龍可はその最中の試みでレインボー・ドラゴンの意思を探ろうとした。こんな感じか?」
「うん。概ねその通り。その結果、レインボー・ドラゴンには心がないことがわかったわ。冷血とかそういう意味じゃないのよ。本当に、」
クロウの言葉に頷き、龍可はわかったことを述べる。
「心がなかった。そもそも心とか意思とかそういうものが丸っきり存在していなかったみたいなの」
龍可が口を閉じると室内はしぃんと静まり返った。六人とも頭の中で情報の整理と考察を試みているのだ。ややあって一番にその沈黙を破ったのは遊星だった。遊星は電子パネルを取り出すとそれにペンで要点をまとめて書き出す。
「まず、考えるべきはヨハン少年とレインボー・ドラゴン、それから赤き龍の警告するものとの関係性だ。それがやがてあのゼロ・リバースの光景に繋がるはず」
「ねえ遊星、そもそもあのまっぶしい光はなんなの? あれがゼロ・リバース? ……でもあのモーメント、昔旧サテライトで見たあのモーメントとは違う気がするんだけど」
龍亞がほらあれ、と言って二十年ちょっと前にダークシグナーとの戦いで訪れたモーメントのことに言及した。逆回転して光を撒き散らしていたのはモーメントで間違いないが、しかし龍亞の指摘する通りあの映像のモーメントはかつてゼロ・リバースの惨劇を引き起こしたそれとは違う。そのことには遊星も気が付いている。
「ああ。あれは四十年前にゼロ・リバースを引き起こしたモーメントじゃない。俺の管轄区域外のものだから明言は出来ないが背景から察するに相模原地区のものだ。あのモーメントはシステムが大分旧式のもので、こちらから再三新型に買い替えるよう勧告をしているのだが財政に余裕がないらしく未だに旧型モーメントが動いている」
「へー」
龍亞があまりよくわかっていなさそうに頷いた。
「とりあえず、明日早急にスケジュールを調整して相模原に視察に行ってくる。今も昔も好かないがこういう時ばかりは権力のありがたみという奴がよくわかるな。権力を振りかざしてデッキに禁止カードを入れておくのは許せないが……」
遊星がサテライトを飛び出して最初に戦った時、禁止カードを「セキュリティ」だからという理由でデッキに入れることを許可されていた牛尾のことを暗に示してぼやく。クロウが苦笑いした。彼もその手の輩に苦労した思い出があるのかもしれない。
「ゼロ・リバースのことはとりあえずそれでいい。話が逸れているぞ遊星、結局あの現象は何だったんだ? お前はさっきから何か知っているようなそぶりだった。ならばもったいぶらずにさっさと言え」
「ああジャック、今話す。とはいってもそう大層な事は知らない。レインボー・ドラゴンのことなら龍可の方がまだわかっているかもしれない。……一先ず、これを見てくれ」
先を急かすジャックを宥めるように遊星は告げ、そしてパネルに新しい画像を映して提示させた。一枚の写真だ。いつも遊星の机の上に飾ってある写真のうちの一枚。
在りし日の、まだ年若い青年だった頃の遊星と遊城十代、そして武藤遊戯が写っている写真だ。
「なにこれ。手の込んだ合成?」
「目つきが鋭い方の武藤遊戯だわ。それにこれ、十代?」
龍可と龍亞が写真を示して疑問符を浮かべる。写真右端に若干縮こまっている遊星、左端に微笑む武藤遊戯。そして中央には両脇の二人を抱えるように肩に手を回し破顔している茶髪の青年が写っていた。ミルクとビター、二色のブラウンで出来た不思議なツートン・カラーの髪の毛は重力に逆らってぴんと上方に跳ねている。その姿は遊星の娘の十代に瓜二つだった。ただ、目に見えてわかる情報として写真の中の十代の方が大人びていたし、体格がいい。そして写真の十代はどこからどう見ても男だった。
「龍可の答えは半分正解で半分不正解だ。左に写っているのは遊戯さんで間違いない。中央は……十代さん。約百年前にデュエルアカデミア本校を卒業した遊城十代さんで、俺の娘とは、よく似ているが赤の他人だ」
「赤の他人って、嘘だろ? だってすっげー似てるし名前も一緒じゃん」
「名前は遊星が決めたのよ。一目見て『十代』と名付けるっていって聞かなかったの。理由を聞いたらその写真を見せてくれたわ。……二十二年ぐらい前に遊星のスターダスト・ドラゴンが盗まれて、過去の歴史が書き換わっていた事件があったでしょう?」
覚えてるかしら、というアキの言葉に四人は頭の中の記憶を手繰り寄せる。確かにそんなことがあった。図書館の古い新聞の写真に、変な仮面をつけた男とスターダスト・ドラゴン、それから見たことのない二体のドラゴンが写っていたのだ。スターダストは世界に一体しか存在しない遊星だけのドラゴン。その事件を追っている最中に遊星は赤き龍に連れ去られてどこかへ消えてしまい、戻ってきたときには事件が解決していた。その間に何があったのか詳しいことは教えてもらっていない。
ただ、遊星に尊敬する人が増えたのだとそれだけは聞いていた。
「その時に共闘したのが決闘王武藤遊戯とその遊城十代さんなんですって。舞台は西暦一九九六年の旧土実野町。遠目に故ペガサス会長も見たらしいわ」
「それマジだったら羨ましいってレベルじゃねーぞ。勿論サインは貰ったんだろうなおい」
「……現像した写真の裏に書いてもらったが、今はそれはどうでもいいだろう」
「う、確かに。後で見せろよ遊星」
クロウは仕方なしというふうに引っ込んだ。それを確認するとアキが再び口を開く。
「ともかく、私が知っているのはここまでよ。そのこととさっきの出来事がどう結び付くのかはさっぱりわからないわ」
「……その時戦った相手のパラドックスは各時代から強力なドラゴン族モンスターを盗み出して何かに利用しようとしていた。俺の時代からはスターダスト・ドラゴン。遊戯さんの時代からは真紅眼の黒竜と青眼の白龍。そして十代さんの時代からはサイバー・エンド・ドラゴンと究極宝玉神レインボー・ドラゴン」
「レインボー・ドラゴン? さっきの?!」
「ああ。そして十代さんはパラドックスがレインボー・ドラゴンをリリースしてsinレインボー・ドラゴンを召喚した時にこう言ったんだ。――『貴様よくもヨハンのモンスターを!』と。……E・HEROネオスを操るヒーローデッキ使いの遊城十代と究極宝玉神レインボー・ドラゴン擁する宝玉獣デッキを操るヨハン・アンデルセンは親友だった。二人とも百年前に実在していた人物で、ヨハンさんは当時のプロリーグに在籍していたこともある」
遊星の言葉にまた室内が静まり返った。遊星が話をしているのは百年前のことだ。けれどその状況は現在と似通っていた。ヒーロー使いの十代とその親友で宝玉獣を扱うヨハン。十代の性別こそ違うが名前も、立場も何もかもがそっくりだった。空々しさにいっそ寒気を覚える程に。
ただの偶然にしては出来すぎている。不動十代の名前には遊星の人為的な手が加わっているとしてもヨハンの方が残っているのだ。「ヨハン・アンデルセン」と「遊城・ヨハン・アンデルセン」。「不動十代」と「遊城十代」は名前が同じだけだが、あちらには遊城十代と同じ遊城という苗字までくっついていた。
「つまり……ええと……どういうこと?」
龍亞が尋ねる。混乱しているようだが、無理もない。龍亞以外も理解しかねているようだ。実際説明している遊星もはっきり全てが理解できているわけではない。
「二人には何かしら因縁があるのかもしれないと、そう思った。そしてその因縁が呼び寄せようとしているものを赤き龍が警戒しているのではないかと」
「遊星は、二人が生まれかわりかもしれないって思ってる?」
「ああ。否定はしない」
「……ナンセンスだ。お前は娘をなんだと思っている」
「十代は俺の愛する娘だ。大事に思っているし、かわいい。正直目に入れても痛くない。そして十代さんは俺の憧れだ。永遠のヒーロー。誰よりもかっこいい俺のヒーローなんだ。俺にとって、二人は同一じゃない。同じ目では……見たくないし、見られないだろうな」
厳しい口調のジャックにそう切り替えして遊星は目を伏せった。
「俺が知っているのはここまでだ。このままでは、情報が足りない。もし二人に因縁があったからといってそれが何故ゼロ・リバースに繋がるのかはさっぱりだ。――わかっているのは、十代もヨハン君も何も知らないということだけ。二人もしくは片方が知っていることを隠し通しているという可能性も、或いは疑わなければならないのかもしれないが」
◇◆◇◆◇
「ごめん! 本当にごめん! 俺が悪かった、デリカシーなくってごめん!!」
「そういう問題じゃないんだよ馬鹿!」
ドア越しにそんな問答がもう十分は繰り広げられている。結構大声なのだが、階下から両親が上がってくる様子はない。恐らく両親は十代が女の子だと知っていて、息子がどう後始末を付けるのかを他人事のように楽しんでいるのだ。ヨハンは心中で小さく舌打ちをする。ヨハンは父母の娯楽ではない。
「別に今更女の子として扱って欲しいとかそういうわけじゃないんだよ! ただショックなんだ。ヨハンに誤解されてたってことがショックだった」
「じゅ、十代」
「ヨハンのことはいい友達だと思ってる。あの朝、変な奴だって思ったけど嬉しかった。出会えてよかったと思った。ワクワクドキドキした。精霊が見えてデュエルが好きで、すごく楽しい。今も。別に全裸見られたわけじゃないし、なんでこんなに動揺してるのか俺もわかんない。……男だと、思われてたことが、悔しいのかなぁ……?」
確かに十代は男っぽい。スカートなんてもう何年穿いてないかわからないし、髪もずっと短くしてるし言葉遣いも粗雑だ。声もちょっと低い。女らしさがまるでなくて粗野。でも制服は女子のものだったし(胸に留めているのはネクタイでなくて蝶々結びの紐だ)その他十代を女子だと判断する決定的材料はいくつかあったはずだ。なのにヨハンは十代を男だと思っていた。
「俺、一応着替えとかは女子更衣室でやってたんだけど。それでもヨハンは俺が女だって気づかなかったんだ?」
「……ああ全く。俺、着替えてる時別に周り見ないし。十代ズボンだったし。性別を気にしなきゃならないことなんてなかったから考えてなかった」
「制服、女子の赤だったんだけど」
「十代赤似合うなーと思った」
「ばか」
「その通り。申し開きも出来ない。俺は馬鹿だ」
二人の間を隔てている木製のドアにもたれ掛ってヨハンは十代の言葉を甘受する。何と言い返すことも出来ない。完全にヨハンの側の過失だった。性別を間違われるということがどれ程空しいことであるかをヨハンは知らないつもりではない。幼い頃、フリル付きの服を着せられていた頃は顔つきも相まって少女と間違えられることが少なくなかったのだ。それに対する反発心があったからこそ今ヨハンはそれなりの筋肉を身に着けているのだとも言える。
扉の向こうで十代がどんな表情をして、どんな感情を持て余して、どんな姿で自分と対峙しているのかヨハンにはまるで想像出来ない。ヨハンに対して怒っているのだろうか? わからない。彼女はさっき「ただショック」なのだと言った。怒るより前に呆れてしまっているのかもしれない。
ヨハンに出来るのは辛抱強く待つことだけだった。この扉を開け放してしまうことはあまりにも容易い。鍵は掛けられるが、ヨハンの部屋の鍵と同じ造りになっているので合鍵代わりに使用できる。でもそれでは意味がないのだ。十代自身が開けてくれなければ。
「俺は馬鹿で、そのために十代を傷付けてしまった。でもどうしてやったら君の気が済むのかわからない。だから、落ち着いたらこの扉を開けてくれないか? 部屋の前で待ってるからさ。そしたら、話をしよう。なんでもいい。中断されてしまった遊星さんたちの話でも」
それに対して返事は返ってこなかったが、ヨハンは沈黙を肯定とみなしてどかりと廊下に座り込んだ。
待つのは慣れている。気まぐれな精霊たちの気を引くのは泣き出してしまった女の子を宥めるのとそう変わらないくらいに気の長い作業なのだ。
◇◆◇◆◇
遊星は立ち上がると受話器を手に取りどこかへダイヤルした。短い会話の後、すぐに電話を切るとノートブックを持ってダイニングに帰ってくる。そしてノートブックを立ち上げ、何やら高速でキーを叩き始めた。
「遊星、何してるの?」
「イェーガーに交渉してネオドミノの管轄する全データベースのアクセスを許可させた。今ならこの街が保管するすべてのデータを参照できる」
「でもそのパソコン、遊星の私物でしょ? アクセス権って言ったって向こうが認識しているものじゃないし、特別なネットワークに繋がってるわけでもないし……」
「だから、アクセス権だ」
不思議がる龍可に遊星は簡潔に答える。
「俺の端末からのハッキングに対してのみお咎めなしになるように話を付けた。証明は簡単だ。現在用いられているネオドミノのファイアウォール防壁を突破できるのは俺しかいない。……非正規アクセス用に展開される防壁プログラムは俺以外に解除出来ないように二十年前に組んだからな。ブルーノなら解除できたかもしれないが、あいつはもういない」
画面から視線を動かすことなく遊星はそう言い切った。二十一年とちょっと前にセキュリティのデータバンクへ侵入を試みた時、隣でその補助を行ってくれていた天才メカニック。未来から来たアンドロイドであった彼は遊星に敗れて消えていった。
昔の話だ。
「で、どこを覗くんだ?」
こういう不法行為に慣れている元泥棒のクロウが黒字に高速で大量のコンピューター文字が流れていく画面を遊星の背後から示しながら言った。いつの間にか皆立ち上がって遊星の周りに群がっている。いつもの光景だ。二十一年前によく見かけたもの。
「まず戸籍謄本だな。ヨハン君の口ぶりからして遊城十代とは血が繋がっていると見て間違いなさそうなんだが」
「ああ、それで苗字に遊城って付いてるのか」
「――ヨハンさんとの繋がりは今のところ不明だ。こちらも先祖とかそういう類のものだろうが……。後はデュエルデータ・サーバベース。ネオドミノが土実野町だった頃から海馬コーポレーション本社があることを使って集められるだけのデュエル映像を集めて管理しているサーバだ。海馬コーポレーションから提供を受けたバトルシティ等の大会映像からアカデミアで行われた非公式戦の映像も百数年分保管してあるらしい」
「アカデミアまで? あそことこの街に何の関係があるのさ」
「龍亞、アカデミアの創立者は?」
「知ってるよそのぐらい。海馬コーポレーションの故海馬瀬人社長でしょ」
そこまで言ってから龍亞はあ、と小さく息をもらした。
「そういうことか。でも何のデュエルを見たいわけ?」
「モンスターが、同一のものであるかどうかを確かめたい。龍可、データ越しでも確認出来るか?」
「やってみないことにはわからないわ。でももしかしたら、録画されてる精霊達の声が聞こえるかもしれない」
「なら頼んだ」
無線で繋がっているらしく、先程使っていたパネルにまず遊城・ヨハン・アンデルセンの家系図が出る。次いで、家系図を隠してしまわないような位置にムービープレイヤーが展開された。
家系図を辿っていくと三代前のところに目的の名前が見付かった。遊城十代と天上院明日香、それからヨハン・アンデルセンとカーレン・アルトマイヤー。それぞれの名前を繋ぐ横線の中央からその子供達の名前へと縦線が伸びていて、更にその子供同士の名前が横線で結ばれている。仲良し同士だった遊城十代とヨハン・アンデルセンは寄しくも子供達の婚因によって血縁関係となったらしい。
大方家系図の確認が済んだことを受けて遊星がプレイヤーの再生ボタンをクリックする。再生が始まった映像は相当古いものであるようだった。展開されたプロパティの備考覧に「二〇〇六年度始業式にてプロフェッサー・コブラの指示によって行われた本校三年オシリス・レッドの遊城十代とアカデミア・アークティックからの留学生ヨハン・アンデルセンによる模範試合」とある。
『ヨハン、いきなりお前みたいな奴と戦えるなんて、超ワクワクするぜ』
『俺も、君とデュエルするのをずっと楽しみにしてたんだ』
スピーカーから聞こえてきた声はやや古っぽかった。本校三年の遊城十代とアークティック校からの留学生ヨハン・アンデルセンの声だ。十代こそやや低めな声質であるものの、記録の中の二人は何から何まで不動十代と遊城・ヨハン・アンデルセンとおんなじだった。特にヨハンなんかは生き写しだ。過去からタイムスリップしてきたのだと言われても驚かない。
ヨハンが宝玉獣を呼び出す。画面の中でソリッド・ヴィジョンとは思えない仕草をするモンスター達を龍可はじっと見つめていた。龍可は直感的に感じる――彼等は主であるヨハンに語りかけてきている。
「どうだ、龍可。何か聞こえたか?」
「……あんまり。喋りかけてるってことはわかるけど、何を言っているかは……」
「そうか。まあ同一だろうとは思うが……先租だと判明した以上、一族の租先からデッキを譲り受けるのはそうおかしなことではないし。ちなみに十代のは十代さんのオリジナルデッキだ。ある日金庫に入ったそれを託すと手紙が届いた――では龍可、これは?」
遊星が次に示した映像は先程のものよりも鮮明だった。キャプションには「二〇一二年度グランプリリーグ決勝戦(カイザー亮VSヨハン・アンデルセン)」とある。遊星がコントロールで先送りにすると、丁度ヨハンがレインボー・ドラゴンを召喚しようとしているところだった。
『現れろ、俺のマイフェイバリット――究極宝玉神レインボー・ドラゴン!!』
『さあ、来るがいいヨハン。そいつとオレのサイバーエンドがぶつかって始めて我がサイバー流とお前の宝玉獣の結着が付く――!』
『ああ、俺も本気で行かせて貰うぜカイザー! レインボー・ドラゴンの効果発動、フィールドの宝玉獣と名の付くモンスターを墓地に送ることでその数の千の倍数攻撃力を上昇させる。俺はアメジストとエメラルドを選択して攻撃力を二千上げ、サイバー・エンド・ドラゴンに攻撃。レインボー・リフレクション!!』
レインボー・ドラゴンが主の命に従順に、しかし無感動にその鎌首をもたげる。一直線に放たれたその攻撃には何の意思もこもっていなかった。空虚。あのレインボー・ドラゴンと同じように。
「この子も、空っぽ」
龍可が脅えるように零す。
「誰かが細工をしたとかじゃないんだわ。この子は生まれた時から空っぽだった。ただ命令を受けるものとして出来上がった。それがカードデザイナーの意思なのか、それとも元になった伝承のせいなのかはわからない。でも、それってろくでもないことよ。精霊だって生き物だもの、心があって然るべきなの。絶対服従の機械人形とは違う――!」
「そうか」
遊星は短く頷いて龍可の言葉を受け止めると動画の再生を停止した。
「Deadend World」-Copyright(c) 倉田翠