10:若気の至り、鈍感、虫の知らせ

「ヨハンが過保護だ。父さんみたい。一体どうしちゃったんだよ?」
 朝からヨハンは十代の隣を付かず離れずでキープし続けている。そりゃあ休み時間や放課後は二人で話をしていることが多かったが、ここまでぴったりと張り付いてくるなんてことは昨日までなかった。トイレの前にまで付いて来た時には「お前は俺の父親か何かか」とつい口に出してしまった。これじゃあまるで、幼稚園児が勝手にどこか変な場所へ行かないか見張っている親のようだ。十代はそんなに幼くはないしヨハンは十代の保護者ではない。
 口を曲げてそう尋ねるとヨハンは非常に気まずそうな顔をして、小さく息を吐いた。
「どうしたって……その十代、自分に視線が集まってることには気付いてるよな?」
「それはまあ。鬱陶しいもん」
「じゃあその理由は思い当たるか?」
「さっぱり。目立つヨハンが側にいるのはいつものことだし。なんでだろうな? ヨハンも変だけどそっちもおかしいよな」
「おかしいのはお前だ、十代……」
 そう言ってやると十代が納得行かないというふうに睨んできたのでヨハンは仕方なしに「スカートだよ」と十代の下半身を指さしてやる。いつもは黒いズボンが覆い隠している少女らしい華奢な足は頼りない黒靴下に包まれているに留まり、大部分が滑らかな素肌を晒し出していた。
 女子生徒である以上そちらの方が然るべき姿であると言えばそうなのだが、今まで十代は頑なにズボンを穿き続けてきた。ヨハンのように男子生徒だと思っていた人間がどれだけいるかはわからないが(アメジスト曰く、その誤解は通常"有り得ない"らしい)、少なくともその要素が、彼女がそれなりに整った愛らしい外見を持つ少女であるということを他の男子生徒達の頭から忘却させていたことは確かだ。
 ヨハンは溜め息を深々と吐く。ヨハン自身はそういうのにあまり興味がない。十代もない。でも、十代に視線を向けてくる男子生徒達は恐らく多いに興味があるに違いないのだ。
 友達として放っておくことが出来ない。十代が自分で対処出来るのなら何もヨハンだってこんなことはしないのだ。でもきっと十代のことだ、相手に上手く騙されてしまうということがどこかで起こり得る。そうなる前に守ってやらなければならない。
「お前はお子様だもんなー。俺も大して変らないけどさ。でも十代わかってくれ、こうして俺がお前に付きっきりになることはお前を思いやってのことなんだ。遊星さんだって俺が放っておくよりはこちらを望むはずさ」
「わっけわかんない。スカート穿いてるからなんだよ? まあ物珍しいって気持ちはわかるけどだからっていじめが起きるとかそういうことはないだろ」
「よし十代。何なら今夜も家に泊まるか?」
「荷物取りに一旦お邪魔させてもらうけど今日は家に帰る。父さん達が何話してたのか、手がかりになることを探しておきたいし。まあお前の家面白かったしまた機会があったらな」
「そうか……」
 ヨハンの誘いを数秒できっぱりと断ると十代は鐘が鳴るぜ、と言ってヨハンを座らせた。大講堂で行われる授業は自由席なのでヨハンは当たり前のように十代の隣に座る。十代のもう片方の席は空席だった。いつもなら他の友達とか、仲間と並んで座れる席を取り損ねた奴とか、とにかく誰かが十代の隣に座り込むものなのだが何故か今日は誰も近付こうとしない。
「なんか寂しいなぁ。何で今日は一ブロックにたった二人ぽっちしか座ってないんだろ。真ん中なんていつも真っ先に埋まるとこなのに」
「俺の危機感が周りに伝わったってことなんじゃないかな」
「はあ? 危機感?」
 十代は小馬鹿にしたような目をヨハンにくれてやる。やっぱり今日のこいつはおかしい。
「お前、熱でもあるんじゃねーの?」
 ヨハンがやや堪えたような顔をして、でも顔を横に振った。酷く無理をしている顔で十代は逆に心配になってしまった。


 大昔に破滅した虹の都レインボー・ルインの景色の中に集まって各々好きなことをやっているのが、デッキの中に籠っている時の宝玉獣達の常だった。いつでも晴れ渡ってている空の下、コロッセオの残骸の中でごろごろしていたり、昼寝を決め込んでいたり、様々だ。
 アンバーとエメラルドが世間話に興じ、コバルトとトパーズは暇潰しに競争をしている。ルビーはいない。小さくて愛らしい彼女はヨハンが生まれてからあまりデッキの中にいることがなくなった。大体いつもデッキの外に出て行ってヨハンのそばをふわふわと漂よっていたりヨハンの肩に乗っていたりしている。最近昔なじみの友達であるハネクリボーに再会して、二人でよく遊んでいるらしい。
 石がところどころ欠け落ちているコロッセオの片隅でサファイア・ペガサスとアメジスト・キャットが表情を重くして先程からずっと話し込んでいる。アメジストは厳しく眉間に皺を寄せたままだし、サファイアも顔色が優れない。
 二人が頭を悩ませているのはヨハンのことだった。朝からヨハンの十代に対する態度がおかしいのだ。
 ヨハンは男だし、今の十代は女だ。ヨハンがその手の感情を抱くこと自体は別におかしなことではない。しょうがないことだ。ただあまりに唐突で、そして恐ろしく一途だった。親友が少女だったからという理由にしては急すぎるし、ヨハン自身その感情を持て余しているきらいがある。
 そこで二体はある可能性を懸念しているのだ。ヨハンはもう十五歳。もう少しで十六歳になる。そろそろ、その時が来てもおかしくない年頃なのだ。十代も同じように。
『あからさまなまでの独占欲だわ。今まで無関心だったくせにころっといっちゃて……ねぇサファイア。やっぱり、"そういうこと"なのかしらね』
『多少はあるだろう。無関係であるとは思わない。その時期も……そろそろ、であるだろうしな』
『どうなるかしら、今度は』
『わかるはずもない。我々に許されているのは成り行きを見守ることのみで、今までもずっとそうだった。それは変わらない』
『……そうね』
 サファイアの言葉にアメジストは小さく頷く。
『愛し合うも殺し合うも、二人の意思次第よね』



◇◆◇◆◇



 相模原モーメントの視察に行きたいと申し出た遊星に部下は「そうですねぇ、見た方がいいかもしれませんね」と答えるとスケジュールの計算を始めた。今やっているプロジェクトはいつも通り難解なものだが、近頃は部下達も力を付けてきているから遊星が付きっきりで様子を見ていなくても上手に進むことが多い。勿論その限りではないから遊星のスケジュール調整が必要なのだが。
「そういえばまだあそこは旧式モーメントが稼働してるんでしたっけ。チーフ、よくそんなこと覚えてましたね」
「夢でお告げがあったんだ、と言ったら笑うか?」
「いいえ。チーフ以外の人間だったら思い込みだと笑い飛ばしますがチーフに限っては現実味がありますからね」
 ペーパーをぱらぱら捲ったりコンピューターの画面にデータを次々映し出したりしながら部下はいつものことでしょう、とこともなげに言う。
「うたた寝していたチーフが突然飛び出して行ったと思ったら奥さんが倒れたという報せが病院から来たとか、がばっと飛び起きたチーフがフォーチューン二号の運転を突然停止したら娘さんを誘拐していた犯人の張った電子バリケードが機能しなくなって確保に繋がったとか、そういうことはうちの所員の中じゃ語り草になってます」
「……そんなこともあったな」
「ご家族に関わる災事にはすごく鋭いですよね、チーフは。どんな連絡手段よりチーフの堪の方が早い。近々娘さんが相模原まで課外授業にでも行く予定があるんですか?」
「いや、確かなかったはずだが……とにかく酷い夢でな。ゼロ・リバースのような光景だった。思い過ごしならいいが打てる手は打っておきたい」
 遊星が真剣な顔で言うと部下の顔が曇った。「ゼロ・リバース?」といぶかしげに反芻している。信じたくない現実を突きつけられた人間がよくする表情だ。
「……それが本当だとしたらろくでもないことになりますよ」
「本当かもしれないという可能性が残っているから、そのろくでもない未来を潰しに俺が出向くんだ」
「頼みますよ、チーフ」
 部下は遊星のスケジュール一覧の、二日後の日付の欄に赤文字で大きく「最優先事項・相模原視察」と入力すると相模原の役所番号を表示して担当者呼び出しのコールをかけた。すぐにコール音は止み、ディスプレイの向こうから事務的な女性の声が聞こえてくる。
「ああ、止めてみせるさ。それが俺の仕事でありやるべきことだ。――あの人みたいなヒーローにはなれなくても」
 遊星は一人ごちた。遊星の永遠のヒーロー、赤いジャケットを翻して憧憬を隠さない自分にシニカルな笑みを向けていた彼ならこんな時、どうしたのだろうか。



◇◆◇◆◇



 不動と遊城が最近怪しいらしい、というのが近頃もっぱらの噂である。
 先日のスカート事件で男子達が不動十代という生徒の魅力に遅ればせながら気付いてしまったことに過剰な危機感を覚えたらしい遊城・ヨハン・アンデルセンが彼女にぴったりと付くようになった。元々二人は非常に親しい間柄であったのだが、不動の立ち居振る舞いから男女のカップルというふうには見えなかったのである。それが今やご覧の有様だ。
「十代、今日は何食べたい?」
「んー? Aランチかなぁ。でもCも捨て難いっていうか……」
「わかった。じゃあ俺がCにするから分けてやるよ」
 そう言ってヨハンはAランチとCランチの食券を購入する。ちなみに以前の十代は弁当組だった。ヨハンが奢ってくれるというのでありがたく恩恵に預かっているらしい。
 食事が載ったトレイを貰うと、当然のように二人は隣り合わせで着席する。近くに座席を取った勇気ある同志からの報告によると話している内容はひたすらデュエルのことについてで色気もくそもへったくれもなかったらしいのだが、傍から見ている分には十分以上にそれらしいカップルに見える。
 それでも二人は、その事実を正しく認識していないらしい。以下勇気ある同志その二とその三(※女子)の報告である。

「遊城。お前最近どうしたんだよ? 付き合い悪いぜ」
 同志その二が偶然一人になっているヨハンを運良く捕まえることに成功し、さり気なくそう尋ねた。ヨハンはああそのことね、とばつが悪そうな顔をする。
「友達が大変なんだ。俺が見ててやんないと」
「下手な嘘は止せよ。最近お前に彼女が出来たってもっぱらの評判だ」
 同志その二は単刀直入にそう伝えた。するとヨハンは彼女ぉ? と何か的はずれなことを言ったみたいな顔をしてけらけら笑うのだ。
「あいつも俺も、そういう惚れた腫れたには全然興味ないぜ。そりゃ思い違いってやつだ。誰だろうな、そんな妙な噂たてたのは」

 同志その三は一人で手洗いから出てきた十代を見付けるとまず手を振った。人付き合いのいい十代はそれに手を振り返し、同志その三の方へかけ寄って来る。
「ひっさしぶり。何か大分顔を合わせてなかった気がするなぁ。ハイスクールに入ってからクラス違ったもんな」
「ええ。以前のように会えなくなったのは寂しいわね。最近は四六時中そばに付いているナイトさんもいるみたいだし?」
 同志その三が茶化すように問う。十代は「ああ、ヨハンのことか?」とやや辟易したような顔で言った。
「俺はそんなに子供じゃないって何回も言ってるのにあいつ聞かねぇの。そろそろ疲れてきた」
「嫌いなの? 彼のこと」
「いや? 別に。嫌いだったらとっくに突き飛ばしてるよ。奢ってくれたってご飯は一緒になんて食べない」
「あら、そう。ところで十代、今度の日曜は空いてるかしら」
「ん、ごめん無理」
「あら残念。もしかして先約が? 彼氏?」
 ジュニアスクール時代は一度も言われたことのない即答の不可返事に同志その三は違和感を覚え、更に問い正した。
「そ、先約。ヨハンと出掛けんの。でも彼氏とは違うぜ。あいつはただの友達」
「ちなみに行き先は」
「海馬ランド」
 どう考えてもデートである。


「何か付き合ってるって噂が立ってるらしいなぁ」
 十代はラーメンをすすりながら困ったような声を出した。
「そんなんじゃないのに。あいつら俺達のことからかって面白がってんのかな」
「その線は有り得るかもしれないな。何が楽しいのか知らないけど」
 それにヨハンはチャーハンをかきこみながら同意する。撫然とした声だ。
「な。いい迷惑だぜ。――ところでヨハン、日曜大丈夫そうか?」
「万事オッケー。十代と海馬ランド行くって言ったら二万円くれた。交通費はこれで問題ない」
「うちも母さんが一万くれた。何か楽しみにされてるから帰りに海馬ランドの外売店でお土産だけは買って帰った方がいいかもな」
「ああ。ブルーアイズマウンテンの豆が欲しいって言われたし、証拠は作っておいた方がいいな」
「ブルーアイズマウンテンかぁ。ジャックに買って行った方がいいかなぁ。いやでも一万しかないし、電車賃馬鹿にならないからな 」
「帰りに余裕あったら買えばいいじゃないか」
「ああ、そっか。でもあんまり遠いとこじゃなくて良かった。本州抜けてたら流石に行きにくいもんな」
 二人が日曜に出掛けようとしているのは海馬ランドなんかじゃない。父が調べている何かがあるらしい、相模原という場所だ。父の電子メモが履歴で残っているのをこの前見付けたのだ。父は娘が無断でコンピューターを覗くかもしれないという可能性を考慮していなかったらしい。
 ヨハンと二人で手分けして調べた結果一番遊星と関係がありそうな施設はその町にあるモーメント施設だということがわかった。遊星は世界で髄一のモーメント・エネルギー研究の権威なのだ。
 何があるのかはさっぱりだがそうとわかればやることは決まっている。相模原モーメント施設にお邪魔して父とその仲間達が話していたに違いないものが何なのかを突き止めるのだ。遊星は十代にはあまり知られたくないみたいだったが、そういうふうに禁止されれば余計に知りたくなるのが子供心というものである。
「でも、どうやって入るんだ? あそこはシティ第三発電局みたいに子供向けの見学路とかは用意されてない。遊星さんは簡単に出入り出来るだろうけど俺達は門前払いにされるのがオチだ」
「そこでほら、俺の力を使う時が来るわけだよ。モンスター達を何体か実体化させて混乱させて、その隙に緊急テレポートで内部に侵入しちゃえばいいんだ」
「テロじゃんそれ。バレたら捕まりかねないぜ」
「あー、それは困る。牛尾のおっちゃんに迷惑かけたくないし。まああれだ、要求とか出さないし職員と施設にあまり被害が出ないようにすれば……」
「今さらだけど、ものすごい悪事の相談してるような気がしてきたよ」
「ばれなきゃいいの。それに今は実体化能力もそんなに珍しいものじゃない。サイコ・デュエリストのカミングアウトも進んでる……もしかしたら小学生のいたずらで捜査が済むかもしれない……」
「アルカディア・ムーヴメントの犯行ってことで処理されるのが一番自然かな。あそこ今話題になってんじゃん」
「ああ、サイコ・デュエリストが集まってるっていうあの新興宗教団体? あの名前見た時母さんは目を丸くするし父さんはかんかんになるしで大変だったな。幸いまだ俺はお目にかかったことがないけど」
 じゃあ万が一危なくなったらそういうことにしといてもらうか、と言って十代はカーリー・アトラスのメールアドレスを携帯のディスプレイに表示させた。ジャックの妻である彼女は若い頃ジャーナリストをやっていたらしく、その伝手なのか何なのかはわからないがマスコミへの口ききが広い。十代も知り合いの狭霧セキュリティ長官と二人の力を合わせればもみ消せない事件はないんじゃないかと思う。尤も二人とも正義感のある人間だからそうほいほいと悪事には加担してくれないが、ジャックを使って上手くやればそこそこの成果は見込める。
 一番良いのは大きな問題に発展しないことなのだが。
「やってみなきゃ結果はわかんないさ。人間若さ故のつっ走りも大事だってのが俺の持論なの。あの父さんだって若い頃はデュエルギャングなんてやってたらしいし」
「マジで? それは初耳だ」
「大マジ。……まあ、サテライトって無法地帯だったらしいから俺達とは環境が違うけど……」
 とにかく、とラーメンを食べ終った箸を勢いよく机に叩き付けて十代が無理矢理流れを逸らす。ヨハンもスプーンをチャーハンが乗っていた皿に置くとコップを手に取ってわかったというふうに目を伏せた。水を胃に流し込む。だんだん事態が洒落にならない方向へ向かって行っている気がするが、努めて気にしないことにする。
 失敗する気は何故かしなかった。「ヨハンと十代が失敗なんかするわけがない」と、その時は根拠もなく思っていた。



◇◆◇◆◇



 相模原モーメントに特に大きな異常というものはこれといって見られなかった。施設の老朽化に伴う種々の問題もそれ程脅威的なものは見受けられない。腐っても永久機関。流石は父の開発した機械である。
 ただやはり、旧式――破滅の未来を回避するために防御策を施してあるフォーチューンとは違い、Z-ONEらがいた未来をもたらした初期型――であるという懸念はどうしても付いて回る。そこだけは遊星にとっても予想しきれない要素があった。慎重さを欠くことは許されない。
「いかがでしょうか、この町のモーメントは……」
 遊星の対応にあたった相模原モーメントの運行責任者である男が心もとなさそうな面持ちで控え目に尋ねてくる。国内外におけるモーメント技術の最高責任者にして権威者の遊星に過剰に気を遣っているらしい。権力者に対する自己防衛の手段としては妥当なところだし、ある意味仕方のないものだとは思うのだがいつまで経ってもこれには慣れない。気持ち悪いのだ。生理的嫌悪というやつである。
「機械の状態にはそれほどの問題はありません。きちんとメンテナンスされている。稼働開始から十年以上経っているのでやや脆くなっている部位もありましたが修正可能な範囲内です。今直しましたから当分は大丈夫でしょう」
「そ、そうですか。それはよかった」
「ただ旧型であるという一点がどうしても不安要素として残りますね。シティの私の部署から遠隔でモニタリングとコントロールを出来るように調整しますがよろしいですか?」
「それはもう。不動博士に見ていただけるというのでしたらこれ以上のことはありません」
 へりくだられるのも慣れないが「不動博士」という呼び名も慣れない。遊星にとってそれは父を指す名称であって己を指すものではないのだ。掃き溜めのサテライトで育った孤児の自分が、博士。その文字の並びが考えれば考える程酷く滑稽に思えてしまうのだ。
 だから遊星の職場の人間は誰一人「不動博士」とは呼ばない。皆示し合わせて「チーフ」と呼ぶ。その響きは心地よい。だが、出張先でそんな我が侭を言うわけにもいかないので遊星は黙って耳に引っ掛かる呼び名を甘受する。仕方ないのだ。
 遊星はモーメントを統括制御するマザーコンピューターに持ち込んだ愛機を直結するとその場でプログラムの組み立てを始めた。直結した自機を認識・記憶させた上でこの機械でのみ遠隔制御可能なプログラムを作る。ベースは予め組んであるから、日付が変わる前に自宅には帰れるだろう。二十二年前に廃材から組み上げた「遊星号」の馬力は健在だ。高速を飛ばせばそう時間はかからない。
 キーボードを連打しつつ、気がかりである娘の動向について思考を巡らせる。あの好奇心旺盛な娘は自分が今抱えている仕事――ひいてはあの夜六人で話していた内容にえらく興味を持っているようだった。こそこそと嗅ぎ回ってなんとか尻尾を掴めないものかと忙しそうに駆け回っている。まさか相模原モーメントにまで辿り着いているとは思えないが、あの年頃の子供の行動力を甘く見ると痛い目に遭うのだ。遊星がチーム・サティスファクションの仲間達と共にサテライトを統一したのも丁度あの年頃のことだった。
 それに近頃、ヨハン少年がやや過保護気味であるらしい。夕飯を食べながらぼやいていた娘の姿は記憶に新しかった。思春期の少年が少女に向ける態度。それは本当に過保護という言葉で表されるものなのだろうか?
「……何も、ないといいんだが」
「は、何か仰りましたか?」
「いいえ、一人言ですのでお気になさらず」
 はあ、と遊星は溜め息を吐く。
 年を取ると心配事が尽きることがない。老けたという現実を如実に突きつけられているという事実はなかなかにくるものがあった。



◇◆◇◆◇



 A・O・Jクラウソラス、それからA・O・Jサイクロン・クリエイター。A・O・Jリサーチャー、A・ボム、A・マインド。とどめにスフィアボム-球体時限爆弾-。
 およそ普段の十代が扱うものとはかけ離れたモンスター達が十代のディスクに展開され、実体化している。
「どうしたんだよそれ。いつものカードと全然違う」
「牛尾のおっちゃんが昔一式くれたんだ。セキュリティが採用してるシリーズの一つなんだってさ。シリーズ名称は「A・O・J――アーリー・オブ・ジャスティス」。これでもセキュリティの正義の味方さ。闇属性だけど。毒を持って毒を制するって考えなのかな?」
「ふーん。十代メカ弱いくせに、なんで機械族なんだろうと思ったらそういうことか。なるほど貰いもんね」
「趣味に合わないから今まで使ったことなかったけどな。手入れっていうか意思疎通はしてたからどんな精霊なのかぐらいはわかる。見た目はいかにも闇属性ーって感じだけど案外根はいい奴らなんだぜ」
 十代がそう言ってサイクロン・クリエイターの頭を撫でると機械仕掛けの鳥はうぃん、と短くファンを鳴らしてそれに応じた。喜んでいるらしい。主である十代を純粋に慕っている様子が伝わってくる。
「ほんとだ。見た目の割に可愛い奴らじゃん」
 ヨハンも彼等を褒めてやるとクラウソラスは誇らしげに機械の翼を広げた。A・ボムも丸い体を揺らして感情を表現しようとしている。なかなか愉快なモンスター達だ。
 その横でハネクリボーが恨みがまし気な顔をしてじっと十代と見慣れない機械族モンスター達を眺めている。羨ましいらしい。
「……十代、ハネクリボー拗ねてる」
「あー、こいつら対光属性特化性能のモンスター達なんだ。だからハネクリボーとは懐滅的に仲が悪い。ネオスもあんまりいい顔しない。バースト・レディとかフェザーマンはそうでもないみたいだけど。俺がこいつらの手入れしてやってる時はいつもこうなっちゃうんだよ」
「どおりで。ルビーが珍しくデッキから出てこないと思ったらそういうことだったんだな。対光属性特化型ねぇ」
 ぷいと不機嫌そうに顔を背けてしまったハネクリボーはとりあえず放っておくことにしてヨハンは「当て付けみたいだな」とぼやいた。
「かつて死の光を撒き散らした半永久機関モーメントに対光属性除去特化型の機械仕掛けの正義か。皮肉っぽい組み合わせ」
「別に俺はモーメントを叩きに来たわけでもないし、こいつらを選んだのだって手持ちの中で一番潜入に使いやすそうだったからだよ。そんな細かいこと一々考えてない。ヨハンは深読みのしすぎだ」
「ああ。俺も言ってみただけ。気にしないでくれ」
 ひらひらと手を振ったヨハンにむぅと顔を顰めてから十代は改めて眼下の建物に向き直った。相模原モーメントを擁するコントロール施設だ。三日前に父遊星が恐らく出張をしていたと思われる場所である。
「ここにこれから潜入するんだぜ。スパイ映画みたいでドキドキする」
「俺はバレた後のことを考えると別の意味でドキドキしてくるよ」
「でも止めないんだろ?」
「まあな。俺だって知りたいもん」
 そう返し手を入れた後、それに、とヨハンは続ける。
「行かなきゃいけないような気がする。あの建物の奥から俺を呼ぶ声が聞こえてくるような……」
「へ? なんか言った?」
「いや、何でもない。……そろそろやろうぜ十代。昼前には終わらせよう」
「上手くいったらな。それじゃあお前ら、よろしく頼んだぜ。中の人とか機械とかあんまり傷付けないようにしながらモーメント周囲の職員を避難させてくれ。三十分ぐらい人払いが出来ればいい。スフィア・ボムとA・ボムが軽く爆発する程度で十分だ。サイクロン・クリエイターとクラウソラスは準備が整ったら呼んでくれ。すぐに緊急テレポートでそっちに行く。モーメントの前にいてくれよ」
 十代が指示を出すとモンスター達は各々了解の意を示して施設に向かって飛んでいった。いよいよこれで後戻りは出来ない。
「十代、これ失敗したらどうなるんだろうな?」
「セキュリティの採用シリーズったって市場にも普通に出てる量産モンスターだから特定は難しいと思う。それにあいつらに限ってやりすぎるってことはない。みんな気のいい奴らで、人を傷付けるのは得意じゃないんだ。だからまあ手の込んだ愉快犯ってとこで落ち着くんじゃないかな?」
「気楽すぎるぜ、お前……」
「ヨハーン、男は度胸だぜ?」
 今更になって若干怖気付いた様を見せると十代はにやりと人の悪い笑みをヨハンに向けた。
「若い内にやりたいことやって、満足しておかないとなぁ!」
 こんな十代の顔は初めて見た。
 ――もしかして自分は、ものすごいことに片足どころか両足を突っ込んでしまったんじゃないだろうか?