16:英雄崇拝

 ヴェネチアのサンマルコ広場。
 イタリアの観光名所として有名なその場所だが、今は観光名所特有の賑わいなど殆どない。広場は爆炎と炎に包まれ、瓦礫が散乱し、今もまた新たな破壊によって粉塵を上げている。
 一連のモンスター失踪事件の解決に乗り出し、調査をして世界中走り回っていた十代が最終的に辿り着いたのがこの場所だった。予想は嫌な方向に的中。奪われたモンスターの内の二つ――カイザーのエースモンスターであるサイバー・エンド・ドラゴン、そしてヨハンのエースモンスターのレインボー・ドラゴンが主の元から遠く引き離され略奪者に強制的に戦闘をさせられている。それもデュエルでじゃない。建物と民間人に対してだ。
 二体の巨大な龍は何者かの未知の能力によって実体化し、その攻撃は甚大な被害を全世界にもたらしていた。勿論奪われたモンスターはその二体だけではなく、これまでの目撃情報を総合したところ城之内克也の有する真紅眼の黒竜のオリジナル(天上院吹雪に確認を取ったところ彼の真紅眼は黒竜の雛やレッドアイズダークネスメタルを含めて無事だった。同系統のカードは二枚も要らないということなのだろうか)や海馬瀬人の青眼の白龍らも確認されている。両名とも高名なデュエリストでそう簡単に己のエースを略奪されるような腕ではないはずだ。尤もそれはカイザーやヨハンにも十分そうとあてはまることなのだが。
 ちなみに、名立たるデュエリスト達のドラゴンモンスターを奪っているその犯人だがどうも武藤遊戯の破壊竜ガンドラは手付かずであるようだった。キング・オブ・デュエリストの称号を持つ彼を後回しにしているだけなのかそれとも単にガンドラが趣味ではなかっただけなのかはわからないが今のところ彼はその略奪者には遭遇出来ていないらしい。彼と相まみえていれば略奪者とて無傷ではいられないだろう。
「――おわっ?!」
 考え事をしている間に隙が出来たらしい。十代は持ち前の反射神経で不意打ちの形を取った爆撃を避けると体勢を整え、額を拭った。
「あぶねーあぶねー、……ん、」
 時計塔の裏から回り込む形で白く流麗なフォルムの龍が姿を現す。ヨハンのエースでありその魂を象徴し縛り付ける究極の宝玉の神、レインボー・ドラゴン。心が欠如した慈悲なき光の龍。レインボー・ドラゴンが攻撃を放つために音波を集束させる。だが出力が甘い。
 本来の主の元にいてこそ十全にその力を発揮することが出来る白龍は、略奪者の命にこそ逆らっていないものの完璧なコンディションではないようだった。攻撃が実体化している今完全な威力で「オーバー・ザ・レインボー」を放たれては流石の十代といえど危うい。でもあの程度ならばそこまで危惧する程ではない。十代は焦ることなくディスクを構え、一枚のカードをセットする。
「――ネオスを召喚!」
 本来は二体の生贄を必要とする上級モンスターだが、相手もルールを無視してリアルアタックを仕掛けてきている以上こちらがルールを守る必要はない。守備表示で呼び出されたネオスは実体化してレインボー・ドラゴンの攻撃を受け止めると左右に攻撃を拡散させ、十代に降りかかる被害を軽減した。
 レインボー・ドラゴンが上空に飛び立つ。
「遊城十代。精霊を操る類稀なデュエリスト」
 略奪者……妙な仮面を付けた男が二体の奪ったドラゴンを我が物顔で従えて言う。
「……名前が売れてて光栄だぜ」
 十代は皮肉を込めてそう言ってやった。何も知らないで呑気なものだ。サイバー・エンドはともかくレインボー・ドラゴンがどれだけ恐ろしい精霊なのかそいつは多分わかってないのだ。



◇◆◇◆◇



「ところで、気になってたんだけど……あれは未来のデュエルディスク?」
「あ、はい」
 虚を突かれたような形になって不動遊星は間の抜けた声を漏らした。赤いジャケットを羽織った青年はへー、だとかおー! だとか感嘆の声を上げて遊星自慢の手製D・ホイール「遊星号」を興味深げに眺めている。
 「俺は、遊城十代。よろしく」――そう名乗ったその人はともすると子供っぽいとさえ思える言動をしているが、どうしても彼に不敬な態度を取ることは躊躇われた。出会ったその瞬間から彼からは何か底知れぬオーラとでも言うべきものが滲み出ていた。逆らう気のまるでしない絶対的な威圧感。やや細身の体にその青年は恐ろしい程の覇者の脅威を内包している。
「すっげー、あそこまで進化するのかぁ!」
『乗ってみたいんだなー、十代君は』
「大徳寺先生、急に現れるなって。遊星が驚くだろ」
『僕達を見たぐらいでは驚かないさ』
『彼も強力な精霊の力を宿しているにゃ』
「……この痣のことですね」
 突然十代の隣に半透明の存在が二人現れてそう解説を入れてくる。十代の足元で丸まっていた猫がにゃあごとだるそうに鳴いた。成人男性の姿をした人物と女性のように思えるが人らしからぬ姿のその二人組がどういう存在であるのかが少し気になったが、今はその話をするべきではないかと判断して遊星は手袋を脱ぐと袖をまくる。右腕には赤き龍のシグナーである証の痣が刻まれていた。ドラゴン・ヘッド。赤き龍そのものが宿っているわけではないがその力の媒介となる印だ。
「なるほど。君もデュエルモンスターズの精霊に選ばれたデュエリストってわけだ」
 十代がウインクして見せた。悪戯っぽい笑みはけれどどこか大人びていた。

 十代の力を借り、調べた結果わかったのはあの仮面の男がデュエルモンスターズの生みの親であるペガサス会長を抹殺して歴史からデュエルモンスターズというカードゲームの存在を消し去ろうとしているらしいということだった。インダストリアル・イリュージョン社と海馬コーポレーションが共同開発し製造・販売をしているデュエルモンスターズというゲームはただのカードゲームではない。ペガサス会長の手によって生み出されたカード達にはしばしば「カードの精霊」が宿ることがあり、その中でも特に強力な力を持ついくつかのカードは現実世界に影響を及ぼし実際の歴史に干渉することがままあった。武藤遊戯が持つと言われる三体の神のカードはその最たる例だ。遊星のスターダストだってネオドミノをその身で救ってきている。
「ブラマジガールの精霊が昔アカデミア島――俺が通ってた全寮制の学校があった孤島な――に現れたことがあるんだけど、あれ多分遊戯さんのブラマジガールだと思うんだよなぁ。滅茶苦茶デュエルが強くて自立した自我を持ち、俺達の学園祭を盛り上げることを手伝ってくれたんだ。あんな芸当そうそう出来るもんじゃないぜ。……っと、話が逸れたな。今はともかく過去の土実野町に行って遊戯さんと合流し、歴史の改変を阻むのが先決か」
「ええ。時間移動は赤き龍に頼めばなんとか……問題は武藤遊戯さんとの接触でしょうか……」
「なーに、そんなのやってみりゃなんとかなるさ。俺達が出会えたようにな。引き合う人間同士ってのは特に意識しなくったって出会えるように出来てるんだ。そうとわかれば話は早い」
 十代は立ち上がるとコンピュータをバックパックにしまい、肩にひょいと引っ掛けると改めて遊星の方に向き直る。
「んじゃ、過去までの道案内は頼んだぜ。あのバイク、俺も乗っけてくれるんだろ?」
「え、ええ。そうしないと過去へは到達出来ないでしょうし……一人乗りの座席に無理矢理二人乗ることになりますから少々きついでしょうが、ご了承願います」
「だいじょーぶ、そんくらい平気平気!」
 ひらひらと手を振って気の早い十代はさっさと遊星号に乗り込む。赤いD・ホイールに腰で翻る真っ赤なジャケットはよく映えていた。ふと、日がそう高いわけでもないのに眩しさを覚える。遊星は目を細めた。遊城十代という人間が放つ光はまるで太陽のようだ。
 遊星の時代にそう有名な記録が残っているわけではないが、十代は相当な腕のデュエリストに相違ないと遊星は考えた。彼は「君も」精霊に選ばれたデュエリストなんだなと言っていた。ということは彼自身がそういう選ばれた特別なデュエリストなのだろう。精霊という言葉には聞き馴染みがないし遊星にはその存在をはっきりと見ることは叶わないが存在は疑っていない。無垢な少女である龍可が精霊の姿を見ることが出来るからだ。彼女が嘘を吐くような子供ではないということを遊星は知っていた。
 遊星の持つ世界でただ一枚のカード――父がモーメントの制御をするために創り出し、やがてシグナーの操るドラゴンの一つとなったスターダスト・ドラゴンのカードもまた何らかの意思を持っているようだったし、恐らくそれが「精霊の意思が宿っている」ということなのだろう。魂のカードと言っても過言ではないスターダストとは今まで幾何もの危機を共に乗り越え、その確かな存在を感じ時に己を重ねてきた。一時期ジャックに奪われていたこともあって(だがジャックがデュエルでスターダストを使ったことはなかった。彼はあくまで魂の一枚であるレッドデーモンズに拘りスターダストはエクストラに封されていた。それはジャックなりのけじめだったのかもしれない)遊星のスターダストへの愛着というのは並のものではない。
「……スターダスト」
「ん、どうしたよ遊星。エースがいないことが不安か? その気持ちはわかるぜ。俺も昔カードの精霊の声が聞こえなくなって、カードそのものも真っ白にしか見えなくなっちゃったことがあってさ。あの時は辛いやら苦しいやら心細いやら……まあ、そういう時はあれだ。ワクワクを思い出すんだ。今の君はそれでいい」
 スターダストを取り戻すまでの間にもし何かあったら、俺と俺のHEROが守ってやるから心配するな! そう自信慢々に言いきって十代は遊星の肩を叩く。その姿は、まるで物語の中のヒーロー、英雄であるかのように堂々として遊星の目には映った。


「……君達に面白いものを見せてやろう。私はデッキの究極宝玉神レインボー・ドラゴンを墓地に送り手札からsinレインボー・ドラゴンを特殊召喚」
「――貴様、よくもヨハンのカードを!」
 パラドックスが召喚した新たなsinモンスターの姿に十代が声を荒らげた。遊星は驚いて彼の方を振り向く。出会ってから今まで常に余裕を伺わせる大人びた表情をしていた十代は何故か取り乱し、怒りをその端正な顔の前面に押し出している。一瞬、その憤りの奥に暗い翳りも垣間見えた。悲哀の表情。だがそれは本当に瞬間のことで、すぐに引っ込んでしまう。
「私のデッキはあらゆる時代から最強カードを集めた別次元のデッキ。その力の前に平伏すがいい。sinレインボー・ドラゴン! オーバー・ザ・レインボー!」
 パラドックスがsinレインボー・ドラゴンで攻撃宣言を行う。他人から奪ったもののくせに盗人猛々しいと遊星が眉を顰めると、視界の端で十代の唇が小さく動いた。気になって彼の唇の動きを追う。……ざ、ける、な。ふざけるな。それが彼が押し殺したように紡いだ言葉だった。
「その……名前を呼んでいいのは……ヨハンだけだ……ッ!」
「え? あ……ッ、ジャンク・ガードナーの効果発動、相手のターンに一度攻撃してきた相手モンスターを守備表示に変更出来る!」
 友のモンスターを我が物顔で使役され、ターンプレイヤーでないが故にそれに抗することが出来ない苛立ち。どこかぞっとする声音。遊星に見せていた明るい表情とは真逆の凍り付きそうな眼差し。
 それに気を取られかけたが、今のターンプレイヤーが自分であることを思い出し遊星は慌ててモンスター効果を発動した。今パラドックスの攻撃に対抗出来るのは遊戯でも十代でもなく遊星ただ一人なのだ。
「……防いだか。だがsinサイバー・エンドの攻撃が残っている。――受けてみろ、エターナルエヴォリューションバースト!」
「ぅっ、ぐ……ぐあぁっ!!」
 苛立たしげな声でサイバー・エンドに攻撃宣言がかけられ、物凄い爆撃と共に遊星は下方に押し飛ばされた。風圧と痛みに顔が歪む。そのまま攻撃を喰った勢いで遊星は地面に叩き付けられた。流石は敗北者を死に追いやらしめる掟破りのフィールド魔法「sin World」の影響下だ。そのフィードバックはダークシグナー達と闇のデュエルをした時のそれに勝るとも劣らない。
「遊星」
「大丈夫か?!」
「……大丈夫です」
 多少ふらつきながらも立ち上がる。大したことではない。もっと辛いことが過去には幾度もあった。でも耐えて、生き抜いて遊星はここにいる。突き詰めればゼロ・リバースだってそうだ。遊星はネオドミノシティを滅亡に陥れたあの今世紀最大の悲劇における、爆心地唯一の生存者だった。ゼロ・リバースが破滅の光をその地にもたらす寸前に父にカプセルに入れられ、爆心地から輸送された。その結果として遊星は今心臓の鼓動を鳴らしこうしてカードを繰っている。生きている限り案ずることなどない。
「この瞬間、ジャンク・ガードナーの新たな効果を発動。破壊された時、相手モンスター一体を守備表示にする。更にトラップ発動、奇跡の残照! このターン、バトルで破壊されたモンスターを墓地から復活させる!!」
 ジャンク・ガードナーを蘇生させて一息吐く。ここは凌いだ。遊戯も十代も卓抜したデュエルの腕前の持ち主だ。自分よりは上手くやってくれるに違いない。
「……すまない。ライフを大きく削られた」
「いいや、よくやったぜ」
「攻撃力四〇〇〇もあるモンスター二体の攻撃を凌ぎ切ったんだ。上等だぜ!」
「……遊戯さん。十代さん……」
 何ら揺るぐところなく堂々たる威風の佇まいの遊戯と右手をぐっと握り込んでどこか楽しそうですらある表情を浮かべた十代が遊星を励ました。――笑顔? 遊星は違和感を覚える。遊戯の方はともかくとして、十代がワクワクしているみたいに笑顔を浮かべている?
 さっきちらりと見えた怒りの表情も苛立ちも悲哀も、今の彼からは露程も感じ取ることが出来なかった。太陽のような明るい表情。諦めを知らない強さがそこにある。まるでsinレインボー・ドラゴンが召喚された時の表情の歪み方が嘘のようだった。もしかしたら本当に、あれは遊星だけに見えた目の錯覚だったのではないだろうか? そんな考えさえ脳裏を過る。
 だが遊星は胸中で首を振る。そんなはずがない。あんな生々しい表情が幻であるはずがない。
 だとしたら、十代はどうしてこうもすっきりとした表情を浮かべているのだろうか。
「奴のデッキは確かに途方もなく強力かもしれない。だが、俺達の力を合わせればきっと倒せる!」
 遊戯が確たる口調で告げる。遊星と十代がそれに頷くと、パラドックスはふっ、と息を漏らした。
「敗北の決まった未来を前にどこまでも足掻くか。面白い。これこそが人間の持つ矛盾。……私はカードを一枚伏せてターンエンド」
 パラドックスがエンド宣言をすると同時に、待ってましたとばかりに十代の右腕が動いた。顔には緊張も焦りも、およそ負に属する感情がまるでなく純粋なワクワクとドキドキが隠し切れずに興奮として表れている。
「――よっしゃ! 行くぜ、俺のHEROデッキの力を見せてやる!! 俺のターン! 遊星、お前の力を借りるぜ!」
 呼びかけられ、短く頷くことでそれに応じる。「俺のHEROデッキ」という言葉が耳についた。ヒーローのように颯爽としている彼が操るのはやはりHEROのデッキだったのだ。ヒーローが戦う時、そこに私怨が入ることはまずない。ヒーローが敵にどんな感情を抱いていようと、戦う時にそれを表に出すことはない。遊星は考える。遊城十代という人は――この人は本当にヒーローなのではないだろうかと。
 だってあまりにも十代の「切り替え」は見事だったのだ。こんなに淡々と当たり前のように、周囲に悟られることなく感情は切り替えられるものだろうか? なんてことなかったように、初めっから怒りも何もありはしなかったかのように「ワクワクしている」ことが、不器用な人間に出来るものなのだろうか?
 ヒーローというマスクを被ったところでその下にある皮膚の動きを隠し切ることは出来ない。だとすればやはり、遊城十代は本物のヒーローなのだ。マスクを被った紛い物ではない本当の。
「魔法カード融合! フィールドのジャンク・ガードナーと手札のE・HEROネオスを融合する。遊星、これが俺と君の力を合わせたニューヒーローだ。――現れろ、E・HEROネオス・ナイト!!」
 融合魔法が生み出した渦の中からモンスターが一体降り立った。これもまたヒーローだ。ヒーロー・遊城十代が操る正義の使者。
「行け、ネオス・ナイト! ラス・オブ・ネオス・スラッシュ!」
 ネオス・ナイトの攻撃が直撃し、sinサイバー・エンド・ドラゴンが爆散した。だが十代の進撃の手は緩まない。彼の右手はチョキの形にすらりと伸び、二回目の攻撃を予期させる。
「ネオス・ナイトの効果! ネオス・ナイトは一ターンに二度攻撃することが出来る。行けっ――!!」
「な、何っ……?!」
 ネオス・ナイトが二度目の攻撃を仕掛け、sinレインボー・ドラゴンもまた爆散した。パラドックスも流石に慌てた様子で、それに十代は満足気に右拳を握り込む。
 遊星は彼の口元に視線を寄せる。sinレインボー・ドラゴンを撃破したからだろうか、喜びと共にある種の安堵も見て取れた。やはり最初の、sinレインボー・ドラゴンに対する暗い表情も台詞も夢や幻ではなかったのだ。そう考えると酷く巧妙だった。子供に夢を見せるために決して舞台裏は晒さないところもある意味ヒーローらしさではある。
「調子に乗るなよ十代。この瞬間、私の罠カードが発動する。sinチューン! sinと名の付くモンスターが破壊された時、デッキからカードを二枚ドローする」
「ふーん……ならば、俺は手札を全て伏せてターンエンド」
 効果音を響かせ、十代が手札に持っていた四枚のカードが矢継ぎ早にセットされる。遊戯はその行動にやや目を丸くするが、しかし微笑んだ。
「ふっ、思い切った戦術だ。十代、君は全く破天荒なデュエリストだな」
「俺はあなたと遊星を信じる。だから力の出し惜しみはなしです」
「ああ。俺達三人の最強コンビネーションを見せてやろう!」
 遊戯が劣性である今の状況を楽しむようにそう声をかけ、十代も大きくそれに頷く。間に挟まれて遊星はただ無言で思考を巡らせた。両隣に立つ二人がとても遠い存在のように思えた。
(……流石だ)
 ただ感嘆の言葉しか思い浮かんでこない。
(二人はこの強敵を前に、デュエルを楽しんでいる)
 初代決闘王、後世では教科書に載る偉人として称えられた史上最強との呼び名が高いデュエリストである武藤遊戯と、彼に遜色ない実力を発揮し武藤遊戯の存在に気圧されない遊城十代。
 遊星は思う。武藤遊戯が神であるとするのならば、遊城十代は限りなく神に近い英雄なのだ。



◇◆◇◆◇



 ペガサス会長御自らが出向いて子供達に笑顔とカードを配っている。イベントは滞りなく進行し、思い思いのモンスターの扮装をした参加者達はデュエルを楽しんでいた。夕陽の元、そんなイベント会場の様子を見下ろす位置のビル屋上に三人は陣取っている。帰りに備えて遊星が遊星号の点検をしている間、二人は時代が近い都合上何か共通の話題でも見つけたのか世間話に興じていたのだがそこはやはりデュエリスト。話題はいつの間にか先のデュエルについての討論に移り変わってしまっていた。
「えっ、遊戯さん手札にそんなカードもあったんですか?!」
「ああ。それにしても君が『クリボーを呼ぶ笛』というカードを持っていたことには驚いたよ。俺のクリボーのために入れていたわけではないだろう、カードに描かれている羽根の生えたクリボーが君のデッキに入っているのか?」
「はい! 俺の相棒、ハネクリボーです。入学式の朝、ラッキーカードだって俺の尊敬する人がくれたもので……大切な宝物です」
「へえ。君にそんなに大事にして貰えれば誰だか知らないがその人物も満足していることだろう」
「ええ。そうだといいなぁ。……ところで遊戯さん、六ターン目の遊戯さんの手なんですけど、そのカードがあるならこっちをこうしても……」
「いや。これを保険に持っておく意味合いでこの手が最善だと思ってだな……」
「ああ、そっか。そんじゃうーん、……おぉーいゆうせーい! お前もちょっとさっき使ったデッキ持ってこっち来てくれ!」
 お前の手札がわかんねぇと反省会が上手く進まねぇの、と十代が遊星を手招きする。断る理由もないので大人しくデッキホルダーからデッキを引き抜き二人の方へ向かった。屋上のフェンス際には、どこから出てきたのかKC社謹製のプレイマットが広げられその上にばらばらとカードが散らばっている。「E・HEROネオス」「ブラック・マジシャン」「ブラック・マジシャン・ガール」、そしてあえて表向きにセットされている「クリボーを呼ぶ笛」などの魔法・罠カード。墓地に相当するであろう場所には「古のルール」や「師弟の絆」といったカードが置かれていた。
「あの、俺のカードを使われるのは構わないんですがお二人とも時間は大丈夫ですか……? まあ確かに俺や十代さんは都合のいい時間に帰ればいいかもしれませんが、遊戯さんはお祖父さんを待たせているのでは……」
「そういえばそうだったな……どうする、相棒」
『まあじーちゃんのことだから可愛い女の子でも捕まえて遊んでるとは思うけど、そうだね、あんまり待たせるのはなぁ』
 遊星からしっかりと「スターダスト・ドラゴン」や「ボルト・へッジホッグ」、「奇跡の残照」などのカードを受けとりつつも遊戯が半透明な姿――何故遊星や十代に見えるのかはわからないが魂だけの姿であるようだ――で現れたもう一人の遊戯とそんな相談を始める。今体の主導権を握っている方の遊戯はやや渋っているようだったが、魂の方の遊戯に弱いのか暫く唸ってからカードを遊星に返した。
「十代とは十分に話が出来たしな。遊星、君と話し足りないのが残念だが君達にも君達の事情がある。一先ずはここでお別れだ」
「そっか、しょうがないよな。双六さんを放っておくのも何か悪いし」
『あれ? 十代君はじーちゃんのこと知ってるの?』
「ええまあ。高校の修学旅行先がこの町で、その時ちょっとした縁で双六さんに助けてもらったり助けたり……その内機会があったら話しますよ。未来の話だから今は止めときます」
 十代も残念そうではあるが素直にカードの片付けを始めて荷物を整える。ややあって広げられていたものが所定の場所に収まり切ってしまうと、十代がそういえば、と手を叩いた。
「別れる前に写真だけ撮りましょうよ、写真! 折角こうして出会えたんですし、写真を撮る暇もない程急いでいるわけでもないでしょう?」
「写真、か? 別に構わないが……俺も相棒もカメラは持っていないぜ」
「心配要りません。俺、旅してるからカメラはいつも持ち歩いてるんですよね。インスタントのやつ」
 そう言って十代がバックパックから取り出したのは遊星にとってはかなり旧式にあたるポロライドカメラだった。資料でしか見たことがないものだ。実物を見たことでバラして構造を見たいというメカニックの本能が疼くがぐっとこらえる。
 ポロライドカメラの仕組みよりも二人の先達の写真の方が大事だ。ついでにいうのであればその際写真の裏面に書いて貰えるかもしれないサインの方が。
「タイマー付いてるし三人一緒に撮りましょうよ! 遊星のバイクを台にすれば上手く撮れるんじゃないかな」
「あの、それを少し貸してくれませんか? 俺のD・ホイールに固定してみます。接続出来れば制御も多少は可能かもしれませんし……」
「……マジで? お前ってすげーな」
 遊星がジャケットから工具を取り出して見せると十代が感嘆の声を出す。遊戯は何が何だかわかっていないようで首を捻っていた。機械にはあまり精通していないのかもしれない。
「それぐらいですよ、取り柄は。お二人には遠く及ぶべくもない……今日共に闘って思ったんです。やっぱり俺はまだまだだ」
 手際良くカメラを設置して二人に位置を指示し、十秒タイマーをセットしてから遊星は慌てて走って行った。二人に近付くと、十代の手が遊星の肩に伸びる。ぐいと頭を引き寄せられ十代の体に触れた。あ、と思っている内に右腕が遊戯の左腕に組み取られ、十代の眩しい笑顔が遊星の目に入ったと思った時、フラッシュが焚かれてシャッターがおりる。
 ワンテンポ置いて、ポロライドカメラから写真が一枚ぺっと吐き出された。


 遊戯と別れて十代を彼の時代に無事送り届けおせたことに遊星はふうと息を吐き額を拭った。遊星号からひょいと降り立ち、十代がジャケットの袖を翻らせて遊星の方を見る。
「今度は俺とデュエルしようぜ遊星。きっとまた会えるさ。こうして一度集まれたんだからな。未来は任せたぜ? お前ならきっと上手くやってくれる。――なんとなくわかるんだよな。お前もきっと、誰かにとってのヒーローなんだろうって」
 なあ、そうだろ遊星? すっかり破壊の跡が消え去ったサンマルコ広場の時計塔前に立って、十代はそんなふうに言った。次いで右手の指を二本だけ立ててぐっと前面に押し出す仕草をする。バックに聳える時計塔、それから茶色い煉瓦造りの街並みの中に立つその人は赤く、よく目立っていた。世界中どこにいたってその人のことは誰もが一番に見付けられるんじゃないかと思う。
 世界の中心に立っている太陽。誰かのヒーローなのではなく、万人のヒーローである存在。でも明るいだけじゃなくて影の部分も理解している。月も太陽も等しく併せ持っているのだ。
 憂いを知る大人であるのに無邪気な子供のように笑っている彼はどんな人生を送ってきていてどんなふうなことを考えているのだろう。
「ガッチャ、君と一緒のデュエル、楽しかったぜ。この先大変なことがあるだろうけど、諦めなきゃ絶対に乗り越えていける。頑張れよ!」
 それを知りたい、と思う。だが遊星は引き留める腕を伸ばすことが出来なかった。彼を踏み止まらせてはいけないような気がした。彼は走っている。あるべき時間で、彼の信じる未来へ。
「ええ、俺も……あなたに会えて本当に良かった。もしもまた会うことが出来たならその時は教えてください。あなたのことを」
 遊星号に跨りエンジンを掛ける。モーメントが回転する小さな音を合図に赤き龍が現れた。赤き龍が一声咆えると視界が切り変わる。遊星号が遊星を元いた場所へ連れ帰っていく。遊星のいるべき時間へ。仲間達が待っている時代へ。
『君にも、帰りを待っている人がいるんだろう』
 遊戯にかけられた言葉が脳裏に甦った。ジャック、アキ、クロウ 龍亞、龍可、ブルーノ、多くの仲間達が遊星の帰りを待ってくれている。遊星のことを心配してくれている。
 遊星は一瞬だけ後ろを振り返って、しかしすぐに視線を前方に戻した。後ろを――過去を見たってもう十代はいない。

 遊城十代の姿は、もう見えない。