18:三文芝居と疑問符の螺旋

 ――赤に濡れたその人はうつくしい。
 ヨハンが抉り抜いた内臓を撒き散らして飛沫する己の血液に全身を染め上げる姿も。逆に抉られたヨハンの体から噴出したヨハンの返り血に濡れる姿も。血じゃなくったっていい。トレードマークとしていた赤いジャケットに身を包んで凛々しく立つ姿もいい。
 白い肌と鮮血の赤の鮮烈なコントラストも、焦げ茶の髪の中に沈み込んでいくような赤もどちらも綺麗だ。
『おはよう、我が愛しき覇王十代。そしてお休み、遊城・ヨハン・アンデルセン』
 そんなことをぼんやりと思い、それからどうしてそんなふうに考えてしまったのだろうと思考の糸を手繰る。すると声が聞こえてきた。酷く腹立たしい声だった。
 そしてヨハンは思い出す。閃光に呑み込まれて今まで自分は夢をみていたのだ。いくつかのちょっとした長さの夢だった。でもどれも楽しいものではなく殺伐としていた。
 意識があった時に最後に見たのは自分に「おやすみ」と声を掛ける「破滅の光」だ。ヨハンはゆっくりと振り向く。
「……なあ、破滅の光。どうせ俺はもうお前には勝てないだろうから聞いておくけど。俺はどうなるんだ? 俺というありふれた高校生の自我はどこに行くわけ?」
『どこにも行きやしないぜ。この体の中でただじっと外を眺めていることになる。十代の傍にはいられるさ』
「……それ、どういうことだよ?」
『どうもこうも。しかし物怖じしないんだなお前』
「したって仕方ないだろ。覆せないことは覆せないし自分と同じ顔に言われても迫力ないし」
『いや。思い出したはずなのに、その割に何も変わらないと思っただけだよ』
 ねえ? 破滅の光が肩を竦めて見せる。思い出す? 何をだ。そこまで考えてヨハンは破滅の光の言わんとすることを理解した。赤に塗れた幾数種類かの十代のイメージ。つまりあれが破滅の光の言うところの記憶なのだ。過去の色々な時代の十代。
 ヨハンははっきりと理解した。ヨハンと十代は延々生まれ変わりを繰り返していて、なんでだかはわからないけれどその度に邂逅を繰り返しているのだ。出会い、親交を深め、だがその行きつく先は赤色だった。破滅の光と優しい闇がしゃしゃり出てきて、築かれていたどんな関係も破壊してしまう。血飛沫とサーモンピンクのグロテスクな肉片が視界に映る。それでジ・エンドだ。
「別に。俺は俺だから。生まれ変わる前の自分ですとか言われたって実感わかない。……それにしても不器用だな、お前。愛してるんならもっと他にやりようがあるだろうに」
 ヨハンが素直な感想を言うと破滅の光はきょとんとした顔をしてしゃがみ込み、ヨハンの顔を覗き込んできた。妙に子供っぽい顔だ。こういう無邪気な顔は発言が変質者のレベルのこの存在がしていいものではないと思う。気持ち悪い。
「なんだよ、その顔……。なあ、試しに聞いてみるけどさぁ、お前にとっての愛って何なんだ? 殺して永遠にするとかそういう類のものなのか?」
『否定はしないけどそんなに安っぽい言葉で俺の愛を片付けないで欲しいなぁ。優しき闇、あいつを独占したいという気持ちは確かにあるけれどね、どちらかというと……俺の愛を理解してもらいたいんだ。俺を拒絶しないで欲しい。愛してくれとは言わない。ただ、俺の顔を……』
 変な顔をしているヨハンに構わず、破滅の光は恍惚として謳い上げる。いやに普通の言葉だった。主張の前半の字面は普通だ。愛してる、だからこっちを見て。この気持ちに気付いてよ! 現実の汚らしさを知らない夢見がちな少女のように見えないこともないぐらいだ。
『俺の目を、見て欲しい。どうしたら見てくれる? どうしたら俺の愛を受け入れてくれる? 肉を抉ろうと内臓を抉ろうと駄目だった。目玉を穿り返そうが心臓を鷲掴みにしようがあいつは冷えた金色を俺に向けてくるだけだ。それじゃ足りない。俺が欲しいのはそれじゃない』
 だがやはり、根本的なところで破滅の光の思考というものは狂っていた。どうしてそうなるのだ。どうして、相手を傷付けることが愛の伝達手段になり得ると思っているのだろう? ヨハンには理解できなかった。愛する相手の気を引こうとして内臓を抉りとり、目玉を穿る? 正気の沙汰じゃない。もっと普遍的で平和的な解決法がいくらでもあるのに。そりゃあ「優しき闇」とやらも暴力的な手段に出るわけだ。防衛しなければ死ぬのだから。
 刺し違えても致し方ないと思っているんじゃないだろうか。
「お前、やっぱ変だよ。なんで殺しちゃうんだ。抱き締めるとか、キスをするとか、もっと何かあるだろ」
『出来るんならやってる。俺だってあいつの髪を撫でるのは好きだし出来るなら剣を向けるのではなく抱き締めてやりたいと思うさ。でも無理だ。血と肉でもって交わる以外にあいつに触れる方法はない。……俺が愛の感情を理解するずっと前は意味もなく殺し合いを続けてた。何回殺して、何回殺されたかなんてもう覚えてない。その間に俺達の本能に刻み込まれたものは何だと思う? デス・オア・デッド――死か、はたまた、死か。殺されるか殺すかだよ。俺が殺さなきゃあいつに殺されるんだ。それならこの手でぐちゃぐちゃのばらばらにしてやって、いやでも魂に刻んでやる。俺の愛を!!』
 お喋りが過ぎたな、と言って破滅の光はヨハンの体を抱いた。手のひらは冷たかった。死者の温度だ。いや、そうではないか。
 これは人間の感情を置き忘れてきてしまった冷たさだ。
『ま、しばらくはお前のふりでもして十代のことを可愛がってることにするよ。彼女はまだ目覚めていない。寝込みを襲うのは卑怯だろう? 確かに寝てる間に俺の物に出来たら楽だけどさ』
「ふりって。俺の体を俺じゃない奴が動かすのに見た目だけは変わらないってのか? ……やばい。頭こんがらがってきた。あとお前の物ってなんだよ。十代は誰の物でもない」
『なんでそういう目をして俺を睨むかなぁ。俺の物即ちお前の物ってことだぞ? 喜べよヨハン。そんなに十代を手に入れるのが嫌か? 潔癖だなぁ。……まあ……そうだなぁ、いっそ覇王が目を覚ます前に絆しちゃうってのもありかもな。今ならいくら抱き締めても、キスをしても、体を暴いたとしても、殺されることはないわけだし』
「なんでそうなるんだよ。あと暴くってなんだ」
『んー。実はあいつが女として生まれてきたの、初めてなんだよなぁ。今なら俺の子も産めるかもしれない。この身体には破滅の光と優しい闇、両方の血が流れてるし案外上手くいくかもな』
 「子を産む」という発言にみるみるヨハンの顔が赤くなる。十代が、中身は違ったとしてもヨハンのこの体の遺伝子を持つ子供を産む? 考えたこともない。破滅の光が一体何をどうするつもりなのかなんて考えたくもない。
 十代は確かに女の子ではあったけど、それ以上にヨハンにとっては大切な親友だった。彼女の意思を無視してそんなことをするだなんて有り得ない。十代を性的対象として見たことはヨハンにはこれっぽっちもないのだ。そして破滅の光も恐らくそういう風に見ているわけではない。ただ、女だから、やってみたら出来るかなぁ程度に考えているに違いない。
「冗談じゃないぜ。俺はそういうのは嫌だ」
『仮定の話だよ。今すぐ実行して取って食っちまおうってわけじゃない。確かにこの状況はそういうのにはうってつけだけどな。手籠めにするのは後でいいよ』
 そろそろここを出ないと本当にゼロ・リバースが起きかねないからな。そう言われてヨハンははっとし、今まで忘れていたことを思い出した。そうだ。破滅の光の異常さにすっかり忘却してしまっていたが今相模原モーメントは逆回りに回転していて、ここら一帯を壊滅の危機に追い込むかそうでないかという瀬戸際のところにあるのだった。破滅の光がこの場にいることが相互干渉を引き起こしてマイナスエネルギーを生じさせているのだという。
『あと、まだ理解してないみたいだからもう一度言ってやるけど、俺とお前は正しく同一の存在なんだ。同じ魂。お前はどうも武藤遊戯のように自分とは違う魂が入り込んで来ただとかそういうふうに捉えてるみたいだけどそれは誤解だぜ。この状況は、お前の魂の中で眠っていた俺がモーメント・エネルギーに宿る破滅の断片に触れたことで目を覚ましたということに過ぎないんだ。……ま、そういうことだから仲良くやってこうぜ。なぁ?』
 破滅の光はひらひらと手を振ってそうのたまい、薄く笑った。真っ白くて何もない空間から遠くへ――肉体を動かすことの出来る現実の意識が収まるべきところへ進んで行く。ヨハンにはそれを見ていることしか出来ない。
 仲良くなんかやっていける気がしない。ヨハンは頭を抱えた。情報が多すぎて何も上手く理解できていなかった。ただ、破滅の光をこのまま放っておくと十代が危ないということだけはわかった。そしてわかったところで、ヨハンには何も対抗策がないということも。



◇◆◇◆◇



「ヨハン、おいヨハン! 返事しろよぉっ……! ヨハン!」
 耳障りな甲高い回転音がどんどんと音量を上げていく。耳鳴りが酷く頭がわんわんと割れてしまいそうに痛い。十代は喋れるし動ける。だけど床に伏しているヨハンは喋らないし動かない。
 逆向きに回転をしようとしているモーメントが五月蠅くてヨハンの心音は聞き取れなかった。首筋に当てた手が震えている。ヨハンは目を伏せったまま瞬きもしなかった。でも、十代が触れたヨハンの肌はまだ確かな温かさ、体温という熱を孕んでいる。生きてる。絶対に、まだ、死んではいない。
 死なせるわけにはいかない。
 十代は腕にディスクをセットすると二枚のカードを手に取った。まずそのうち一枚をセットする。レベル二サイキック族モンスター、サイ・ガール。彼女は呼び出されると十代の方にこくりと頷きかけ手に持ったロッドをふっと掲げた。ヨハンの体が軽くなり宙に浮く。サイ・ガールに自らの左腕に触れさせ浮かんだヨハンの体を己の右腕で軽く支えると十代は用意したもう一枚のカードを発動させた。
「発動――緊急テレポート!」
 手で繋がった二人と一人の精霊の姿が現実に干渉した「緊急テレポート」の力で施設から一瞬のうちに消え去る。相模原施設のモーメント・ルームにはもう誰もいない。



◇◆◇◆◇



 相模原の全施設を統括するマザー・コンピューターは暴走していて手が付けられない。いつネットワークを遮断されてしまってもおかしくない状態だった。遊星は必死にキーを叩く。逆回転により生まれる負のエネルギーの干渉域の広さには絶句するばかりだ。あの光はまず第一段階として機械を狂わせ、制御不能に陥らせてから一帯を焼き尽くすという非常にいやらしい仕組みを持っていたらしい。
 唯一の救いであり希望と言えるのはマザーに干渉出来る端末が相模原から遠く離れたネオドミノの遊星の元にあることだった。これだけ距離が離れていれば遊星の端末が直接負のエネルギーに触れることはまずない。ならば多少荒っぽい方法になってしまったとしても、マザーにモーメントの影響を超える最上位命令を下してさえしまえば対策は取れるはずだ。机上の理論だが、そのままで終わらせる気はない。実行して成功させる。それが遊星の仕事だ。
「破滅をもたらす光、ゼロ・リバースか。嫌な響きだ。相容れない。……ろくでも、ない」
 全てを「ゼロ」に「リバース」する光。後には何も残らない。命は塵一つ分も残らない。誰が名付けたのかは知らないが本当に皮肉な名前だ。ゼロ・リバースが起こる以前はモーメント・エネルギーは純粋な希望の光だった。化石燃料を必要とせず、環境廃棄物も作らずそのうえ半永久的にエネルギーを生産・供給し続けることが出来る。正に夢のエネルギーだ。だから真っ白な光はクリーンで清潔なイメージを人々に与えていた。
 だがその夢の永久機関は、実験を急いだお偉いさん方の指示とルドガー・ゴドウィンの暴走で結果的に人類に牙を剥いた。クリーンで清潔な印象はたちまち全てを虚無に帰する畏怖に塗り替わった。ゼロ・リバースは今世紀最大の事故として歴史に刻まれ、世論は一時期モーメントを危険視する声と反対キャンペーンに占拠された。
 だというのに、それでも人々はモーメントエネルギーを使うことを止めようとはせず逆に普及させていったのだ。今この街にモーメント機関で駆動しない機械はほんの僅かしかない。発電も電車も自動車も、果てはデュエル・ディスクに至るまで何もかもがモーメントの力で動いている。人間の欲深さが更なる悲劇を引き起こすのだとも知らずに「便利な技術」は世の中に浸透していった。恐るべき圧倒的なスピードで。
 アポリアやZ-ONE、アンチノミーらが示して見せた破滅の未来は今のところ――遊星がモーメントに新しい制御アルゴリズムを搭載したいわゆる「タイプGXモーメント・フォーチューン」を開発、実用化させたことで「やがて確実に訪れる未来」から「限りなく低い可能性で起こり得る未来」に修正された――らしい。人間の汚らしい部分、際限のない心の欲を読み取ってその結果人類を不要と判し機皇帝を送り込む決断を下したオートコントロール・ネットワーク部分を書き換えて人の希望を信じるようにプログラムし直したからだ。
 だからもう、ゼロ・リバースは起こらないはずだった。九十九パーセント起こり得ない予定だった。だが絶対などというものはこの世の中には存在しない。
 そんなものは幻想に過ぎない。
「チーフ、報告します。指示された解析は全て完了。結果はあちらのモニタに出しておきました。防壁プログラムの構築は未完成です。総出でやっていますが、これ以上時間短縮をするのは……」
「了解した。作業をそのまま続行。俺はこいつで干渉を続ける。何としても、マザーの思考領域をブロックし制御統括機能を明け渡させる」
「目算は?」
「限りなく零に近いな。だが零ではない。諦めなければ成功するというのが俺の尊敬する人の言葉だ。針がマイナスに振りきれない限り俺は諦めない。絶望もしない」
「イエスチーフ。我々も引き続き死力を尽くして作業に臨みます」
 部下の一人が冗談めいて敬礼をする。遊星は目線でそれに応えた。この段階で相模原モーメント施設で爆発が起きた時刻から四十分、モーメントの回転グラフが反転に向けた下降を始めてから二十分が経過していた。

 遊星が遠隔制御を試み出してから三十分あまりが経過した時、モニタに映る計測波長グラフに変化が現れた。不規則に小刻みな上下反応が現れ、グラフ全体がごく緩やかに上昇の兆しを見せ始める。それと同時にマザーの暴走にも停止の兆候が現れ始めた。今まで拒絶されるばかりだった遊星からの命令を僅かではあるが受理し始めたのだ。
「第一関門――クリア。第二関門――クリア。第三関門――クリア。自律防御防壁突破確認。汚染解除いけます」
「All accept, システム正常に受理されました。プログラム完全展開、――やりました! マザー・コンピューターのコントロール確保成功です!!」
 展開にあたっていた所員達からそんな歓喜と安堵の声が上がる。遊星のモニターにもつい先程までなら有り得なかったであろう文字が並んでいた。――「system all green. manualcontrol-mode ACTIVE.」。
「……何故急に?」
 手は制御のために動かしながら遊星は極自然な疑問を発する。ほんの少し前までは、うんともすんとも言わずにどんな命令も受け付けなかったのだ。予めマニュアルモードに切り替えていたにも関わらずシステムはこちらからの命令を一切無視してオートパイロットで運転されていた。ただひたすらに、モーメントを逆に回し続けていた。
「何かはわからないが、影響が突然切れたということなのか? だとしたら何が影響していたのか……あの施設にもう人はいなかったはずだ。全員の退避が確認され、施錠されていた。超能力でも使えない限り侵入は不可能に近い。……サイコ・デュエリストが現実に出来るカードの効果にも限度がある」
 一瞬、近頃また活動を再開したという「アルカディア・ムーヴメント」のことを思い浮かべたがその可能性は除外した。アキ曰く、サイコ・デュエリストだからといって全てのカード効果を実体化させることは出来ないのだそうだ。例えば「ファイアー・ボール」や「サイコ・ソード」は遊星自身が昔ディヴァインから喰らったことからもわかる通り「現実に干渉出来る範囲内」のものにカテゴリすることが出来る。だが「融合」や「突然変異」のように直接生物に影響を与える類のものは現実にはならないそうだ。人の脳味噌で出来るレベルを超えた、いわゆる「神の領域」の所業であるからではないかというのが見立てである。
 人を運ぶようなカード効果は融合程ではないものの人体に影響を及ぼす種類に入る。アキでも現実に干渉させるのは難しいだろう。
「ならばやはり、一時的なオーバーフローなどだったのか? スペックオーバーの演算処理をさせるような計画があったとも思えないが……」
 そこまで思考を巡らせて、遊星はキーを一際強く叩く。モーメントの完全制御に成功し、回転は正常位に戻っていた。これで一先ずの危機は去った。
「手の空いている者は施設内のカメラ映像を可能な限り収集・分析してくれ。原因となり得るものが映っている可能性がある。マザーの全権能を掌握、現時点をもって相模原モーメントの運行管理は全て俺の手で行えるようになった。現在相模原モーメントは正常に運行している――ゼロ・リバースは回避された」
 通達した直後、所内で割れるような歓声が上がる。その声を聞きながらしかし遊星は渋い面持ちを隠せなかった。一体何がモーメントを狂わせたのだ?



◇◆◇◆◇



 サイ・ガールが心配そうに十代とヨハンの顔を交互に見ている。緊急テレポートで「とにかくどこか安全な場所へ」と念じた結果辿り着いたのはどこかの野原だった。相模原モーメント施設はここからは見えない。それなりに離れているのはまず間違いないが、しかしどこだかはわからない。でもそんなことは今は問題じゃないのだ。
 ヨハンの心音は一定の間隔でとくんとくんと静かなリズムを刻んでいた。目蓋はまだ閉じられているが時折ぴくりと痙攣している。どうやら気絶しているだけのようだが、それでも十代は気が気でない。
「あー、どうしよう目を覚まさなかったら……俺が侵入しようなんて言ったのが悪かったんだよなぁ。あそこに行かなければ、こんなことにはならなかったはずなんだ。どうしよう。なあ、起きてなんか喋ってくれよヨハン。このままじゃ、俺落ち着けないよ」
 あのまぶしい光の正体だって今一つ掴めていない。モーメントが急におかしくなってしまったことぐらいは十代にも見てとれたが、何がおかしくなってしまったのか、あの機械があの後どうなったのか、そういうことはさっぱりわかっていない。
 そわそわと気が落ち着かないので、十代は癒しの能力とか健康観測の能力とか、とにかくその手の能力を持っているモンスターは何かいなかっただろうかと鞄の中のカードを探った。とはいっても所持している全てのあカードを今持っているわけではない。いつものHEROデッキとA・O・Jシリーズのモンスター達、それから緊急テレポートと一緒の箱に入れていたサイキック族モンスター達が数枚ぐらいだ。サイキック族モンスターを持っていたのはラッキーだったなと考える。彼女がいなければヨハンを手でしっかりと触れた状態でディスクにカードをセットするのは難しかったはずだ。ヨハンは男子高校生だから、当然だが十代が片手で持てるような重さではないのである。
 ぱらぱらとカードを捲るが、めぼしい効果を持つものはなさそうだった。自らが戦い皆を守ることが使命のヒーロー達に本業とは全く関係ない治療の技術をを披露しろというのは酷な話だし、A・O・Jシリーズのモンスター達もそれは同様だ。サイキック族モンスターはライフゲインどころか能力の対価にライフの支払いを要求してくるものが大半でまるで役に立たない。ギフトカードでも持っていれば状況は違ったのかもしれないがシモッチバーンなど組む気のない十代はギフトカードのカードは箱の奥の方に仕舞い込んでしまっていた。そもそもあのカードを持っているのだってイラストにハネクリボーが描かれているからと龍可がくれたからに過ぎないのだ。
「あー、もう、必要な時に限ってないんだもんなぁ! 頼むよヨハン、何か喋ってくれよ!」
 気が動転してしまって、十代はヨハンの体を揺さぶった。ヨハンの眉が僅かに顰められる。そして、ゆっくりと開かれた。
「……痛い、十代。なんでそんなに揺するんだよ……?」
「ヨハン!!」
 寝ぼけているのか今の状況をまるで把握していなさそうな呑気で、かつ眠たげな声がヨハンの口から漏れた。瞳は半分だけ開けられてとろんとした容貌を見せている。ごしごしと目を擦るとヨハンはのっそりと起き上がった。「あれ、ここどこ?」間の抜けた声が漏れる。
「良かった、本当に良かった……!」
 ヨハンが目を覚まして、喋った。その上起き上がった。そのことにいたく感動して十代はがばりと彼の体に抱き着いた。ヨハンが驚きからだろう、目を丸くする。だがそれに構うことはしない。
「もう起きないかと思った。喋ってくれないかと思った。……俺のせいで、ヨハンが、死んじゃうかもって思った……」
「え、と、十代。……俺はどうしてたわけ?」
「ヨハン、モーメントのそばでぶっ倒れてたんだ。きんきん五月蠅い音が響いててヨハンの心音も聞こえないし脈もわからないしで俺もう慌てちゃって……それで、緊急テレポートをもう一回使ってどこでもいいからあそこじゃなくて安全なところに行きたいって念じた。あー、ヨハンの声がこんなに安心するなんて思わなかった」
「そりゃどうも。……となるとここがどこだかはまるでわからないってわけか。ふぅん……参ったな」
「ああもう。お前俺がどれだけ心配してたかわかってないだろ! でもいい。ヨハンが生きてるんだもんな!」
「十代、とりあえず深呼吸だ。あたりに人が見当たらないからまだいいけど、落ち着いてくれないとちょっと困る。恥ずかしい。……その、まず腕、離してくれないか? 密着しすぎっていうか……」
「あ……ああ!」
 指摘されて初めて今自分がどんな体勢を取っていたのかに気付いたようで、十代は顔を赤くしてぱっとヨハンから離れた。彼女はヨハンをこれでもかというぐらいの力で抱き締めていたのだ。口に出すことではないので黙っていたがささやかな胸もしっかりと当たっていた。
(こういうふうに優しくされるのは初めてだなぁ。刃物なんてどこにもないし手のひらも視線も優しいし。射抜くような視線に慣れてたけど、こういうのも可愛くてなかなか……)
 あー、とかうー、とか下を向いて唸っている「やがて覇王になる」生き物を見てヨハンは――破滅の光は思考した。十代は、今はまだ普通の女の子だ。デュエルモンスターズのカードを現実に干渉させる能力はサイコ・デュエリストのそれを遙かに超越した次元のものだがそれだけである。コントロールが出来ているからいつもそうしてしまうわけではないし、至って人畜無害だ。
 でもそのうち彼女は「優しい闇」に触れてそして知ってしまうだろう。遊城・ヨハン・アンデルセンが何者であるのかを。ちょっと変わってるぐらいだと思っていた少年が何に成り代わられているのかを。そうしたら、今のようには接してもらえない。この心地よい距離と温度は瓦解して弾け飛ぶ。今は手を伸ばせば届くところにあるけれど、いくら求めても手に入らなくなる。ずっとそうだったように冷たい刃の煌めきと冷めた瞳しか見られなくなる。
(もうちょっと見ててもばちは当たんないかな。覇王になる前に手に入れてはおきたいけど、まだ早急すぎる……とりあえず、)
 十代の頭を後ろ手に優しく抱き寄せると、おでこにキスを落とした。マーキングだ。今度は手に入れてみせる。この愛しい魂を。
 また、最後は切り裂くことになってしまうとしても。
「な、な、何、するん、だよっ?!」
「ありがとう、俺の心配してくれて。もう大丈夫だから次の心配をしようぜ。ここがどこだか調べてネオドミノシティに早いとこ帰らないとな。海馬ランドに寄ってなんか買わなきゃならないし……」
「お、おう。そうだな。コーヒー豆買わないと……って! 流すなよ、今のキスだろ!」
「親愛の表現だよ。感謝の気持ちって奴。嫌だった? だったらもうしないよ、ごめん」
「……別に嫌じゃないけど。納得出来ねぇ……」
 まだ顔を苺のように熟れさせたまま十代がごしごしとでこを擦っている。動きが小動物のようで微笑ましく、くすりと笑むと「笑うな! お前が悪いんだ!」と返された。
(さて、これからどうしようか)
 そんなことを思うと「何やったってろくでもないに決まってる」というヨハンの声が魂の奥底から聞こえてくる。心外だ。破滅の光は「酷いなぁ」とおちゃらけて返してやった。
(十代を可愛がってやることの何がろくでもないんだ? お前がしてたことと大して変わらないさ。優しい闇が目覚めるまでの座興だよ)
 尤も十代がどんな感情を抱こうが優しい闇の破滅の光に対する態度は変わりようがないのだけれど。それはこれまでの歴史が証明していた。
 破滅の光と優しい闇の宿主はいつも決まって親しい間柄になっているのだ。ある時は親友だったし、またある時は盟友だった。この前など宿主のヨハンは男同士であったにも関わらず遊城十代に恋をしていた。それでも覇王の取る行動は変わらず一貫している。絶対の拒絶だ。
 「相容れない」というナイフのような言葉の元の拒絶だった。