22:エンド・オブ・ザ・ワールド

 放課後の、がらんとしたデュエル場。模範デュエルや校内大会の決勝などを行うこともあるその場所には客席も多く設置されているが、誰もギャラリーはいないのでややわびしい。
「どうしたんだよ十代。急にデュエル場なんか借りきっちゃって。そんなに実技練習したいのか?」
 ヨハンが不思議そうな声で尋ねる。彼の言葉通り、今アカデミア・ハイスクールのデュエル場には十代とヨハンの二人しかいなかった。入口の鍵は今しがた十代が施錠してしまったので途中で誰かが乱入してくることもない。
 厳しい表情の十代の手には、担任を通じて申請したこの部屋の使用許可証が握られている。一体急にどうしたっていうのだ?
「あのな。俺、最近のヨハンは何か変だなーって、思う時があった。相模原に行った後からヨハンがヨハンじゃなくなっちゃったみたいに思える時があったんだ。でも俺の思い違いかもしれないし、気にしないようにしようとしていたんだけど……」
「うん。それで?」
「この前、龍可姉ちゃんもやっぱりちょっと変じゃないかなって。龍可姉ちゃんはそういうのすごく鋭いし、絶対に適当なことは言わない。それで、気になるんなら確かめてみたらどうかって言われたんだ。だからさ」
 十代はそこで一度言葉を切るとデュエルディスクを腕にセットした。デッキを取り出し、ディスクにがしゃんと入れ込む。きゅいぃん、と軽快な音がしてディスクが起動した。
「俺とデュエルしてくれ、ヨハン。手加減も容赦も一切なしで。俺は本気のヨハンと戦って、ヨハンの本当の気持ちを知りたい」
「……そんなこと言われると、俺本当に全力で君を叩きのめしに行っちゃうかもしれないぜ。いいのかよ」
「うん。そっちの方がいい。嘘偽りのないヨハンの全てを知りたい。それで、もし、俺が思っているようにヨハンが変なふうになってしまっているのだとしたら……」
「うん」
「俺がお前を連れ戻す」
 十代はすごく真剣な瞳でそう言い切った。
「そこまで言われちゃ、しょうがないな。どんな後悔しても知らないぜ」
 だからヨハンは、破滅の光は意を決してディスクを装着した。十代と戦えば、自分がどんなふうになってしまうかわからない。彼女を無事でいてやらせる自信がない。優しい闇と嫌になるぐらいの殺し合いを繰り返してきた破滅の光は、向こうから剣を向けられたら手加減出来ないのだ。習性として、喉元を食い千切ろうとしてしまう。殺られるぐらいならこの手で心臓を貫いてやりたい。それがずっと殺し合いを続けてきた結果だ。愛の感情を理解したってその習性は変わらない。何故なら破滅の光にとっては優しい闇の心臓を抉り取ることもまた愛情表現の一種だからだ。
 手に持ったものが血塗れの剣ではなく、玩具のディスクと紙切れのカードだとしてもそれは変わらない。かつてかの武藤遊戯が言ったようにデュエルディスクは盾であり、であるならばカードは剣である。優しい闇が出来るように、破滅の光もまたカードを実体化させることはお手のものだった。片割れに出来てもう一方に出来ないはずがない。
「「――デュエル!!」」
 二人しかいないデュエル場に、闘いの開始を告げる文言が響き渡った。


「じゃあ、先行は十代からでいいぜ」
「……俺のターン。モンスターを一枚セットしてターンエンド」
 十代は手札を一瞥して渋い顔をした。手札事故が起きてしまっている。素材はあるのに融合カードがない。
「どうしたんだよ、十代。いつもみたいに攻めてこないんだな。まあいいや、俺のターン、ドロー。――ホルスの黒炎竜LV4を召喚」
 ヨハンの声と共にフィールドに現れたモンスターは見慣れた宝玉獣ではなかった。「ホルスの黒炎竜」。武藤遊戯の「サイレント・マジシャン」や「サイレント・ソードマン」と並ぶ知名度を持つレベルアップモンスターの一つだ。ドラゴン族の炎属性。あまりヨハンのデッキとシナジーを持っているカードであるとは言えない。
「なんだよ、そのカード……」
「有名なカードだろ。君の対策用に今サイドから入れただけだよ。ホルスの黒炎竜LV4でセットしてあるモンスターに攻撃。ブラック・フレイム!」
 ホルスが口を大きく広げ、炎の吐息を吐き出した。フェザーマンの守備力は一〇〇〇、ホルスの黒炎竜LV4の攻撃力は一六〇〇。あえなくフェザーマンは戦闘破壊される。
「更に手札からフィールド魔法『虹の古代都市レインボー・ルイン』を発動。そしてこのターンのエンドフェイズ時、モンスターを戦闘破壊したことでホルスの効果が発動、ホルスの黒炎竜LV4はホルスの黒炎竜LV6に進化する。これで俺はターンエンド」
 十代のフィールドがまっさらになり、更にフィールド魔法が発動したことで古代都市の映像が部屋中に広がる。朽ちた石造りのコロシアム、その遠くに繁る木々。真っ青な気持ちよく晴れた空にかかる虹。
 何度見ても美しい、しかし衰退してしまったもの悲しさを感じさせるカードだ。
「レインボー・ルインが入ってるってことは宝玉獣を使わないってわけじゃないんだな」
「そりゃそうだよ。宝玉獣は俺と切っても切れないものだ。この古代都市も思い出の中の風景って奴だな。よく覚えてないけど棄て難いんだ」
「……家族なんじゃなかったのかよ。家族だって言わないのか?」
「まあそうでもあるかもなぁ」
 さして重要なことじゃない、と言わんばかりの態度だ。そのままエンド宣言をして「そんなことはどうでもいいから早く進めろ」というふうに促してくる。――宝玉獣達、彼の家族達のことがどうでもいい?
 もし「ヨハン」が「ヨハン」なのだとしたら、頭がどうかしてるんじゃないかとしか思えない台詞だ。
「俺のターン、ドロー。モンスターを一枚セット、カードを一枚セットしてターンエンド」
 十代は憮然とした顔でカードをセットし、またすぐにエンド宣言をする。融合魔法がなければ十代のデッキは真価を発揮できない。そしてホルスの黒炎竜は進化を遂げると、魔法効果の発動を封じるモンスター効果を得る。今セットした「攻撃の無力化」で次のターンのバトルフェイズを終了させてしまえば一ターンはホルスの進化を食い止められるだろうがそれもその場凌ぎに過ぎない。
「おいおいどうしちゃったんだよ十代。君がどれだけ事故ってても俺は手加減できないぜ。君自身がそう望んだんだからな」
「ああ。そうだよ。……だけど目的は半分ぐらい達成出来た」
 ヨハンが眉を顰めて言う。十代は憮然とした表情を崩さずにそう返してやった。一番最初の目的、「ヨハンに感じる違和感が思い過ごしかどうかを確かめる」ことは達成できた。結論は単純明快だ。どう考えてもヨハンは普通じゃない。
 ヨハンは家族――人間の両親にしろ宝玉獣の精霊達にしろ、そう認識した存在をすごく大事にしていた。愛おしんでいた。でもあそこに立っている「ヨハンの姿をしたもの」はそうじゃない。あれは宝玉獣を「切っても切れないもの」と形容はしたが、本当の意味で愛しているわけではない。
 それがわかったら、次に十代がやるべきことも自然と見えてくる。ヨハンがどうして変わってしまったのかの原因を突き止めて、そして可能であれば、可能じゃなくても諦めないけれど、元々の「ヨハン」に戻す。
「確かにちょっと事故ってるけど、目的のもう半分のために俺は負けない」
「そう。まあ十代はここ一番の引きは外さないもんなぁ。逆転するつもりがあるんならこのターンを凌いで見せてくれよ? ……俺のターン、ドロー。手札から魔法カード『レベルアップ!』を発動。召喚条件を無視し、デッキから『ホルスの黒炎竜LV8』を特殊召喚する」
「なっ?!」
「予想してなかったのか? 甘いぜ十代。レベルアップモンスターを使うんならこのカードを入れておくのが普通だろ。更に俺は宝玉獣サファイア・ペガサスを召喚。サファイアの効果発動、サファイア・コーリング!!」
 ターンエンド時に召喚されると踏んでいたホルスの最上級がいきなり降臨し、十代はやや焦った。だが無力化を発動させる手筈は変わらないし、罠は無効化出来ないからまだ除去の余地はある。ミラーフォースが敗北までに回ってくればの話だが。
 サファイア・コーリングの効果で「ルビー・カーバンクル」が宝玉としてフィールドに呼び出される。宝玉獣達を取り纏めるリーダーのような印象があり、いつもヨハンを励ましていたサファイアだが今は無言でフィールドに降り立ち淡々と命令を処理しているだけのようだった。瞳が死んでいるわけではないが、だが、何かしら喋ってくれていた天馬は沈黙を決め込んでしまっている。ちらりと視線をやるが目線ですら応えてくれない。
「バトル。ホルスの黒炎竜LV8でセットされたカードにアタック」
「――罠発動、攻撃の無力化! このカードが発動された時、相手モンスターの攻撃を無効にしこのターンのバトルフェイズを強制終了する!!」
「そうきたか。なら俺はカードを一枚伏せてターンエンド」
 エンド宣言をすると、ヨハンは意地の悪いにやにや笑いを顔に浮かべた。あまり「遊城・ヨハン・アンデルセン」という人間がする表情ではなかった。窮地に立たされている十代を見て、その様を楽しんでいる。「なあ、困っちゃっただろ?」ヨハンの姿をしたそれは言う。
「君の戦術を封じるのは案外簡単なんだ。HEROは魔法が使えなきゃ呼び出せない。だって所詮はお伽噺の中の存在だもんな。――考えてもみろよ。摩天楼のヒーロー達、そんなものが現実に存在したためしがあるか? この世界にヒーローは、いない。そういうふうに出来てる」
「そんなことあるもんか。だってそれじゃ、それじゃあんまりだ。ヒーローはいる。絶対に。少なくとも俺の心の中には!」
「でもこんなに大事な時なのに君のフェイバリット、フレイム・ウィングマンだって出てこない。そんなのは子供騙しの夢だよ。まやかしだ。アメリカン・コミックの中にしかそんな都合のいい世界は存在しない」
 ヨハンの冷たい声が響き渡って、ターンが十代に移り変わる。ヨハンのフィールドに出ているのはホルスの黒焔竜LV8、サファイア・ペガサス。それから魔法・罠ゾーンに永続魔法扱いのルビー・カーバンクルの宝玉と伏せカードが一枚。
 十代の場には守備表示のバースト・レディが一枚っきりだ。状況は圧倒的不利だが、でもまだ敗北が決まったわけではない。
 十代は手札のカードを一枚一枚確かめた。E・HEROネオス、ネクロダークマン。R-ライトジャスティスはホルスが場にいる限り使えない。
(次の……ドローで父さんから借りたカードを引ければ。レベル八の上級モンスターを二体召喚出来る)
 ヨハンが、変わってしまっているのはもう明らかなことだった。彼はヒーローを否定した。十代が友達になった少年はそんなことは言わない。
 変わってしまった理由はわからないけれど、でもせめて彼の言だけは否定してみせる。ヒーローはいる。どんな時でも正義の味方は弱者を見捨てたりなんかしない。
「――俺のターン、ドロー!!」
 十代は目を閉じてデッキからカードをドローした。恐る恐る薄く目蓋を開き、カードを確認する。
 求めていたカードだ。父の魂に繋がるモンスター。
「俺は手札一枚をコストにしてクイック・シンクロンを特殊召喚する」
「……シンクロン?」
 ヨハンが変な声を出した。そりゃそうだ。クイック・シンクロンは普段十代が使っているカードではない。レベル五のチューナーモンスター。シンクロ召喚を好まない十代には本来必要のないカードだ。
「父さんから借りた。ヨハン、俺はお前に勝って証明してやる。ヒーローは誰の心の中にもいるんだ。ヒーローは未来と希望を信じる人のことを絶対に裏切らない。そのために、俺は俺の魂と父さんの魂を呼ぶ」
 セット状態のバースト・レディを反転召喚する。炎を纏った女戦士は十代の方を振り向くと「全部わかってる」というふうに頷き、先を促した。クイック・シンクロンもホルスターから二丁銃を抜き準備万端といった様子だ。十代は二体の精霊達に「頼むぜ」と声を掛けると生まれて初めて口にする、その口上を頭の中で思い描く。大丈夫だ。大好きな父の言葉はしっかりと記憶に刻み込まれている。
「レベル三のバースト・レディにレベル五のクイック・シンクロンをチューニング! 集いし願いが、新たに輝く星となる。光さす道となれ! ――シンクロ召喚! 飛翔せよ、スターダスト・ドラゴン!!」
 滑らかに紡がれたシンクロ口上と共に、眩い星屑の煌めきが奔流となって地面から溢れ出る。きらきらと輝く父不動遊星のエースカード、「スターダスト・ドラゴン」がフィールドに降臨した。



◇◆◇◆◇



「へえ、これが十代の本気か。《世界改変の危機》を救った英雄不動遊星のエースカード。お前も見たのは始めてだろ? もっと興奮していいんだぜ」
「そんなこと言ってる場合かよ! ああもう、なんで十代を本気にさせてるんだよ。もうちょっと平穏な時を楽しむとか言ってたくせに結局自分から状況を破壊してるじゃないか!」
「へへあ、まあなぁ。習性なんだ。向こうから仕掛けられたら全力でいくように俺の思考が出来てるんだな」
「……十代はもうお前が俺じゃないってことに気付いたぞ。どうするんだよ。俺が知ったことじゃないけど!」
 ヨハンがもう知らない、と子供っぽく拗ねてそっぽを向く。破滅の光はくすくすと笑って、ヨハンの頭を撫でた。
「どうせ十代に負けてやるつもりはなかったしな。どうなろうとこてんぱてんに倒す未来は変わらなかったわけだ。勝ったら考えるさ。そろそろ潮時かもしれないしなぁ」
「潮時って……」
「遅かれ早かれな、優しい闇の目覚めは訪れたんだ。避けられない未来。能なしの神が定めた予定調和。十代が覇王と出会うことは、お前が俺という意識と出会ってしまったことと同じぐらい確実なことなんだよ。ずっとそうだった。お前だって見ただろ」
「……百年前はそうでもなかった」
「だから、そっちがイレギュラーなんだって。あれは十代がわがまま言ったせいさ。『気持ち悪いヨハンなんて見たくない』だそうだ。おかげで今、その報いをあの子は喰らってるわけだけど」
 今の不動十代の苦悩は遊城十代が現実から目を背けた代償だ。いつもは大体似たようなタイミングで目覚めるかもしくは優しい闇が早いかだったのだが、彼に押し込められていたせいで色々と溜め込んでしまった結果破滅の光が先に目を覚ましてしまった。それだけじゃない。溢れた破滅の光の欠片、断片は幾度となく暴走をした。ゼロ・リバースはその最たる例だ。突き詰めれば斎王琢磨の件だってそうである。遊城十代として生まれる更に前の時代でのしわ寄せだ。
 尤もあれは目覚めの前の前哨戦といった感じだったが。
「なんだかんだ言っても、俺達はそういうふうに運命付けられてるのさ。決められてる。出会ったら殺し合わずにはいられない。確かに俺はあいつを抱き締めたいとも思ってるけど、でもやっぱり殺してしまいたいとも思う。――あぁ、誰よりも愛しくそして憎らしい俺の覇王! 前、そんな軽くないって言った気がするけど愛してるから、俺だけのものにしてしまいたくって、ならば儚くしてしまおうって感情は確かにあるんだよ。だって優しい闇、あいつが死んだら俺も一緒に死ねるんだ。俺が死んだら、あいつも一緒に死ぬ。どっちかだけ生き永らえるなんてことはない。……俺一人惨めにも生き屍を晒すことはない。それってある意味幸福なことだと思うんだよなぁ」
「なんだよそれ。死んじゃったらもう何もないじゃないか。なんで……」
「それは人間だったらの話な。俺は人間じゃない。そして優しい闇も人間じゃない。ただの意思を持った何かだ。延々生まれ変わりをし続けて、生まれ変わった肉体が新たに育んだ意識から体を奪い取って出会いと死を繰り返す。俺達二人にとって、死は世界の終わりじゃない。新しい生へ続く通過地点に過ぎない」
 お前にはまだ難しかったかな、そう言って破滅の光はヨハンの髪をくしゃくしゃと撫で回した。ヨハンは眉間に皺を寄せて破滅の光を見る。
「お前は、可哀想な奴だな」
 そう言ってやると、破滅の光は寂しそうに笑った。
「そうかもしれないなぁ。俺自身は別に困っちゃいないからいいんだけど。……さあ、デュエルを続行しよう。希望を信じているあの子の顔が絶望に歪むかもって思ったら面白いと思わないか?」



◇◆◇◆◇



 スターダスト・ドラゴンを召喚した十代だが、彼女の手はまだ止まる気配がない。手札の一枚に指が伸び、更なる手を打つべく口が動く。
「墓地に存在するE・HEROネクロダークマンの効果発動。一デュエル中に一回だけ、E・HEROと名の付く上級モンスターをリリースなしで召喚することが出来る。俺はE・HEROネオスを召喚。――現れろ、マイ・フェイバリット!」
 ハッ! という掛け声と共にフィールドに二体目の上級モンスターが現れた。十代のフレイム・ウィングマンに続くエースカードネオス。優しい闇の洗礼を受け、その使者として遊城十代を守り導いた「ユベルの代替」の存在。
 十代が信じるヒーロー。
「バトル! ネオスでサファイア・ペガサスに攻撃、『ラス・オブ・ネオス』!!」
 「絶対に十代を裏切らない」正義の味方の攻撃が青玉の天馬を直撃した。サファイア・ペガサスは無言で戦闘破壊され宝玉となり、ルビー・カーバンクルの隣にセットされる。今の一撃でダメージは七〇〇入った。だがそれだけだ。致命傷には程遠い。
「サファイアを破壊したか。でも、忘れてないよな十代。例え二体並べたところで両方とも攻撃力は二五〇〇止まりだ。ホルスの攻撃力は三〇〇〇。それじゃあ、ホルスは倒せない」
「うっ、それは……。……ターンエンド」
「なんだ。もうエンド宣言? 十代、この状況で君が勝つことはどうやったって出来っこない。次のターンにあのカードが巡ってくれば、このカードが引ければ或いは、そんな薄っぺらい望みを君はまだ捨ててないんだろう? だったらわからせてやるよ。このターンで終わりにする」
 言い返せない十代の表情を眺めながらターン宣言をしドローする。トパーズ・タイガーのカードだ。まあ何のカードが来てもこちらの勝ちは揺るがないのだが、攻撃力の高いアタッカーが手札にいた方が安心するのは確かだ。
「君と他愛のない日々を過ごして、人間みたいなふりをするのもまあ悪くはなかったよ。でもそれはいつか崩壊してしまうんだ。ぬるま湯はそのうち冷めてしまう。いつか崩れてしまうなら今この手で壊してしまった方がいい」
「……お前、誰なんだよ。ヨハンの体で、変なこと好き勝手喋って。……人間みたいなふり? 人間じゃないとか、そんなこと言うのか」
「昔は人間だったかもしれないなぁ? 忘れてしまったよ、そんな大昔のことは。今わかっているのは――」
 もったいぶって言葉を伸ばす。本当に、いちいち十代は可愛い。ヨハンの体をねめつけてくるその瞳すらも愛らしい。
「君を屈服させたいっていう衝動」
「なっ……?!」
 ぺろりと舌なめずりをしてからカードに手をかける。十代は顔をやや青くしたり赤くしたりして酷く困惑しているようだった。ネオスとスターダストが心配そうに後ろを振り向いている。ネオスは何事か喋っているようだった。――「気をしっかり持つんだ、十代。ヨハンは悪いものに体を奪われているだけなんだ。破滅の光が全ての元凶だ」――このへんが妥当なところだろう。
 百年前の十代なら、「何言ってんだぁ?」と屈服の意味がいまいちわかってなさそうな顔で首を傾げるか「出来るもんならやってみろよ。なぁ?」と不敵に笑むかのどちらかで流してしまったかもしれないが、今の彼女は大人になってしまった遊城十代程すれてはいないけれど馬鹿だった子供の遊城十代より賢かった。そして女の子だ。身に危険を感じても仕方ないかもしれない。
「手札から魔法カード金科玉条を発動。デッキから二体まで宝玉獣と名の付くモンスターを選択し、永続魔法扱いとして魔法・罠ゾーンに置くことが出来る。俺はアメジスト・キャットとコバルト・イーグルを選択」
 これで魔法・罠ゾーンに宝玉が四つ置かれたことになる。別に必要があるわけではないが、条件を満たしたのでレインボー・ルインの効果を発動してもう一枚ドロー。罠カード「虹の引力」。破滅の光の象徴それそのものである究極の宝玉の神、七色の光で対象を滅ぼす虹の龍を呼ぶカードだが、今回は使うことはなさそうだ。
「手札からトパーズ・タイガーを召喚し、更に永続魔法扱いの宝玉三つをリリースすることで降雷皇ハモンを特殊召喚。――現れろ、三幻魔が一体、降雷皇ハモン!!」
「こ、降雷皇ハモン?! なんだよそのカード。そんなの聞いたこともない……!」
「まあ、一般には出回ってないしなぁ。三幻神は知ってるだろ? あれをモチーフに制作された悪魔のカードだよ。ちょっとした伝手でな、今でもヨハン・アンデルセンのデッキに残ってたんだ。ユベル様々ってやつか? ……さて、バトルといこうか。降雷皇ハモン、スターダスト・ドラゴンにアタック! 『失楽の霹靂』!!」
 降雷皇ハモンが鎌首をもたげ、楽園を追放された愚者の嘆きを雷に変え放つ。スターダスト・ドラゴンも星屑の息吹を吐き出して応戦の構えを取ったが攻撃力の差は歴然としている。スターダスト・ドラゴンは失望と絶望の力の前にあっさりと飛び散った。
「スターダスト!」
「威勢は良かったけど、それだけだったな。――ハモンの効果発動、モンスターを戦闘破壊した時ライフに一〇〇〇ポイントのバーンダメージを与える。『地獄の贖罪』」
 ハモンの効果で更に十代のライフが損なわれる。ピピピピピピ、という機械音が響いてモニタに映る十代のライフが一五〇〇まで減少した。伏せカードもなく、場にはネオス一体のみ。一枚残っている手札は恐らく腐った魔法カードだろう。オネストがいれば状況は違ったかもしれないが、彼女のデッキにそのカードは入っていない。
「続いてホルスの黒炎竜LV8でネオスにアタック。ブラック・フレイム!」
「うあああああっ!!」
「止めだ。トパーズ・タイガー、ダイレクトアタック!!」
 ホルスの炎に焼き焦がされ、ネオスが消滅する。間を置かず命を受けたトパーズが十代に向かって飛びかかっていった。ヒーローたちが十代を裏切らないように宝玉獣達もまた絶対にヨハンを、破滅の光を裏切ることはない。宝玉獣達はいつの時代も忠実だった。ただ、「ただの人間であるうちは」うるさいぐらいに話しかけてくれるのに目覚めてしまったら途端に愛想が悪くなってしまう。ただ一匹ルビー・カーバンクルを除いて。
 トパーズの鋭い爪が十代に直撃する。十代をそんな手段で傷付けるつもりはないから、トパーズはソリッド・ヴィジョンのままだ。派手な音が響いて十代のライフがゼロになる。彼女は床にぺたんとへたりこんでしまった。
「なあ、これでわかっただろ。希望なんて儚いものなんだ。あっという間になくなっちまう。絶望と失望に押し潰されてどっかに消えちゃうんだ。だから俺は希望は持たない。期待もしない。君が、俺の愛する優しい闇が、いつか俺を受け入れてくれる未来をただ待つようなことはしない」
 そのまま動かない十代の方にゆっくりと破滅の光は歩いていく。さっき破壊されたはずのネオスやスターダスト、カード・エクスクルーダー、E・HERO達、何体かのモンスター達がデッキから現れて十代を守るように取り囲む。でも無駄だ。
「邪魔だよ。どけ」
 目覚めてもいない覇王に負ける気はさらさらない。モンスター達を無理矢理カードに押し戻すとヨハンは無言で十代の頬を両手に抱いた。十代は目を細めて泣きそうな顔をしている。悔しそうな表情。すごく魅力的だ。
 なんというかこう、くるものがある。
(ばっ、馬鹿お前止めろ! 十代に手出すなって言っただろ?! 傷付けるなって!!)
 破滅の光が何をするつもりなのか理解したのだろう、魂の中でヨハンが真っ青になって叫んだ。「馬鹿言うな」、と破滅の光は澄まして返してやる。ヨハンが若造なのが悪い。もっと子供か、あるいはとっくに枯れ果てたじいさんなら良かったのだ。
(阿呆か、馬鹿、馬鹿、変態、いいからやめろって!)
 尚も続くヨハンの制止を無視して破滅の光は十代を床に押し倒す。流石に十代もこの展開は予想していなかったようで、驚愕に目が見開かれた。床に強制的に押し付けられ、顔の真上に猛獣のような表情をした男の顔が迫っている。たまったもんじゃないだろう。
「何の……つもり、だよ」
「んー? いや、なんかさ。衝動的につい。だって十代がすごく俺の好きな顔してるんだもんなあ。ゾクゾクする。頑張ってるこの気丈な顔をさ、ぼろぼろ零れる涙でぐしゃぐしゃにしてみたい」
「何言って……ひゃっ?!」
 唇を吸い上げてから、やや骨ばった少年の指が少女の衣服に伸びる。赤いブレザーのボタンを外した下には薄い角襟のシャツが覗いていて、それはそれでまた蠱惑的だったのだが躊躇せずにシャツのボタンも外した。ささやかな胸部を覆うブラジャーが見える。だが、もどかしくなってそれにも手をかけようとした時――
『こ、の、腐れフリルがああああああああッ!! 僕の十代を傷物にしようだなんて五百億光年早いんだよッ!! どけっ、穢らわしい。もう怒った。我慢の限界だよ!!』
 十代の体からものすごい衝撃波が発生してヨハンの体は派手に吹っ飛んだ。


「……よっ、ユベル。百年ぶりか? 相変わらず容赦ないなぁ。結構痛かったぞ」
『ああもう結構痛いで済むなんて本当お前って頑丈だよねぇ。僕結構本気でやったんだけど。むしろ殺したいと思ったんだけど。ああもうお前本当に死なないかなぁ!!』
「馬鹿だなー、ユベル。俺は死んでもまた生まれ変わるぜ。それに俺が死んだらお前の大事な大事な十代も程なくして命を落とす。俺達は一蓮托生なんだって、忘れちゃったのか?」
『覚えてるよ! 本当に――本当に忌々しい。この変態フリル。十代にべたべた触って。汚ならしい。ああむかつく!』
 出来るだけ穏便に挨拶をしてみたのだが、相変わらずユベルは苛烈でその上破滅の光のことを嫌っていた。憎んですらいる。十代を守るために人の姿を棄てることも厭わなかった彼女は、それでも十代を死の底へと連れて行ってしまう破滅の光のことが気に食わないのだ。そもそもユベルがまだ人間だったころからヨハンは嫌われていた。妙なライバル意識を持たれていたんじゃないかと思う。
『僕の十代を襲おうとするだなんて馬鹿なんじゃないのかい。盛りのついた犬かって話だよ。気が遠くなるぐらい生きてるくせにまだ性欲が残ってるわけ? 天使みたいな十代を押し倒すなんて。本当、許せないよ。殺して永久に甦ってこなきゃいいのに』
 翼をばさばさ羽ばたかせ、髪の毛を逆立たせてユベルが憎々しげに言い放つ。破滅の光は参ったなぁというふうに顔を掻いた。さっきまでわあわあ喚いていたヨハンもユベルの気迫に気圧されてしまったのか叫ぶことを止め、ただ茫然と掴みかかって来ようとする悪魔族の精霊を見つめている。
「仕方ないだろ、俺は確かにずっと生きてるみたいなもんだけどこいつは年頃の男なんだぜ。その体を使ってるわけだから、枯れてろってのもちょっときつい話だよな。まあ『ヨハン』は潔癖だけどなー、だからこいつのことは許してやってくれ」
『だとしてもお前だけは許せないね、破滅の光!!』
 説得を試みるが聞く耳など持ち合わせていないらしい。上空に浮かんでいたユベルだが、堪忍袋の緒が切れたらしく破滅の光目掛けて勢いよく飛んで来た。爪も翼も鋭利だ。当たったらただの人間の体とそう変わりないヨハンの体は相当なダメージを負ってしまう。
 魂の中のヨハンが驚いて怯え出したので何か手頃なモンスターでも実体化させようかと破滅の光は考えたが、それを実行に移すことはなかった。ユベルの攻撃がぴたりと止まったからだ。
「――ユベル。そのぐらいで、止めておけ。あいつはお前をからかってるだけだ」
『……十代』
「覇王」
 はだけたシャツのボタンをぷちぷちと留めながら十代が起き上がる。言葉遣いは冷たく硬質で、瞳は高潔な金に染まっていた。不動十代ではない。覇王、ひいてはそれと統合された遊城十代の人格だ。
「こうして戦う運命は何年ぶりだ? 相変わらずお前の考えていることは俺にはよくわからない」
「つれないなぁ、覇王様は。いつになったら俺の愛に答えてくれるんだい? 俺はさあ、女になった君を見て殺し合いを止めて抱き合って、子を成して、そういうのもありかと思ったんだけど」
『あるわけないだろう。調子に乗るんじゃないよ脳味噌フリル』
「――ありかと思ったんだけど、駄目かなぁ?」
「さあな。不動十代はショックで気を失っているから俺は彼女がどう思っているかは知らない。だが、俺個人としてはお前が今のままであるのならば駄目だ。俺達は決して相容れない」
「……そっか」
 覇王、優しい闇がそう告げると破滅の光はやや考え込む素振りを見せる。それから徐に口を開くとさもなんてことないみたいにこんなことを言った。
「じゃあ、戦争だ」