23:小さな願い
「……女の買い物って、なんでこんなに長いんだろうな?」
「知るかよ。俺は女だった記憶は一度もない。知りたきゃ自分の奥さんに聞けよ」
「聞いたってどうせわかんないに決まってる。十代のとこだってそうだろ」
「……まあな。解明されない女の神秘だよなぁ……」
別にどうしても暴いてみたいと思えるような神秘でもないけど。そうくたびれた声で呟いて十代は手首を捻った。ごきごきと骨が擦れ合う音がする。
デパートで奥方二人が意気投合してしまってからかれこれ数時間が経つ。その間、手持ち無沙汰になってしまった夫二人は待合室のソファに座って最初のうちこそ活発に会話を交わしていたものの二時間程で話の種が尽きてしまい、今の気だるい空間が出来るに至る。二人はそれぞれにそれぞれの子供を子守に押し付けられ、腕の中に抱いていた。座っているからまだましだけれどもこれがなかなかに重い。生まれてまだ七ヶ月と八ヶ月しか経っていないのに、成長するのは早いものだ。
十代の腕に抱かれた子供がヨハンの腕に抱かれた子供にげしげしと叩かれたり蹴られたりしている。だが十代の子はそれに反撃することなく目を瞑ってじっと耐えていた。健気な子だ。ヨハンは自らの娘をじっと見てぱちぱち瞬きをする。
「やんちゃ過ぎねぇ? 女の子なのに」
「それいうならこっちなんて男なのに、なんでこんなに大人しくしてるんだろ。なあ、何かやり返せよー。父さん悔しいぞ」
「十代と明日香の子供なら、絶対元気でちょっと強気なぐらいの子になると思ったのにそうでもなかったな」
「ああ……むしろお前んとこの娘、元気有り余りすぎだろ。将来が心配だ」
「どっちの?」
「俺の息子の」
溜め息を吐き、十代はじっと縮こまっている我が子の頭を撫でた。
「なんかさ、最後は結婚する気がする。この二人」
「俺の思惑通りじゃないか」
「そこがちょっとネックだけどな。……まあ、そんなこと言ったって今はまだなんもわかんないか。このちび二人が成長してみないことにはな」
「命が生まれて、大きく育っていくんだもんなぁ。ワクワクしないかー? 十代」
「どうかな。うん、やっぱちょっとはワクワクしてるかもな。だってまったく未知のことなんだ。何が起こるのか予想もつかない。自分から違う生き物が出来たって、すごいことだよなぁ」
まだげしげしと攻撃を続けているヨハンの娘から息子を引きはがして、十代は高い高いをしてやった。すると先程までの耐え忍ぶような寡黙な表情は消え去り、赤子らしくきゃっきゃと笑う。何をやっても予想の付かない、新鮮な反応が返ってくる。自分から生まれた、守ってやらなきゃいけない小さな命。でも決して儚くはない。生命力にあふれ、小さな体で懸命に生きていることが伝わってくる。
「かわいい。面白れぇし。……なあ、ヨハン。このちび達さ、どうして俺等のとこに生まれてきたんだろうな。ちび達だけじゃない。いろんな環境があって、いろんな境遇がある。すごく裕福だけど愛情のない家、普通に財力があって普通に愛される家、ものすごく貧しいけど家族の愛情に守られている家。千差万別だ。どんな気持ちで俺達を選んでくれたんだろう」
「うーん、難しいなぁ。そもそもさ、赤ん坊は生まれる親なんか選べないだろ。だってそうじゃなきゃ紛争地帯とか、とにかくそういう住みにくいとこに赤ん坊が生まれなくなるぜ」
「そういうとこだからこそ、子供という希望を親に与えたいと思って生まれてくるのかもしれないだろ」
「ああ、なるほど。随分ロマンチックな理論だ」
「夢見がちってか? うるせー。いいだろ別に」
ヨハンがあはは、とからかうように笑う。十代はぶすっとしてそれに返答をした。ちょっとロマンチックなことを考えていたってばちなんか当たらない。
「ちなみに十代、その理論で言えば俺もお前も、何かしらの理由があって親を選んできたことになるけど。それに関してはどう思う?」
「……そんなの覚えてるわけないだろ。きっとここだって決めて、お母さんのお腹に収まって、そして生まれてくる頃にはそんなこと忘れちまってるよ」
十代の両親は仕事で忙しく、いつも家にいない人達だった。勤勉で無駄遣いをしない性質だったから、経済的には結構裕福だったけど心は満たされなかった。寂しい子供時代だった。十代を慰めてくれたユベルも危険だとみなされて宇宙へ飛ばされ、あげく脳味噌を弄られた。
勿論両親としては、そのことに他意なんてないだろう。ただ息子の異常を取り除いてやりたいという純粋な気持ちがあったはずだ。でもその「異常」は、一人ぼっちの十代にとっての唯一の依り代だった。例え十代の周りの人を傷付けてしまうのだとしても、大切な「ともだち」だった。
やや学費の高いデュエル・アカデミアに高校三年間の間通わせてくれたことには本当に感謝している。でも十代はどうしても彼らが好きにはなれなかった。明日香と結婚する時も、彼女の両親にだけ挨拶をして式は身内数十人で慎ましやかに済ませた。
彼等は忙しすぎたのだ。子供に構ってやらなかった。彼等なりの愛情というものも勿論あったのだろうが、十代が、子供が過不足なく育つための愛情としては不足していた。
「ヨハンは。ヨハンはどうなんだよ。俺もあんまり家族の話はしないけど、ヨハンもしないよな。そういえば俺、お前に兄弟がいるかどうかも知らないんだ」
「兄弟はいないよ。両親とそれから祖母も一応健在らしいな。でもあんまり一緒にいた覚えがない。俺、ジュニアスクールからずっとアークティックの寮に入ってたんだ。年に一、二回帰省するかしないかだった。ハイスクールを卒業する頃にはどうでもよくなってたな。悪いけど」
「ああ、そうなんだ。俺と一緒だな」
「やっぱ十代も両親との関わりって薄い方だったのか?」
「相当な。……だからかな。余計に、明日香やちびとは親密でありたいと思う。いつもいない父親じゃなくてさ、いつも必要な時にいてくれて愛情を注いでやれる父親になりたい」
十代は真面目な顔で、ぽつりぽつりとそんなことを言う。それは本心からの気持ちだった。自分が寂しかったから、あまり子供にはそういう思いをさせたくない。楽しい家で、健やかに育って欲しい。
ヨハンがへぇ、と興味深げな声を漏らす。彼は微笑むと自分の娘をきゅうと体に引き寄せた。
「うんうん。わかるぜ。俺も、だからこの子は高校までは寮に入れないつもりなんだ。家族が疎遠なのはやっぱりよくないよな」
『るびるびぃ』
『くり。クリクリ!』
ふわふわと現れて、二匹の精霊がそれに同意する。ルビーとハネクリボーだ。その姿を見付けて子供達が触ろうと手を伸ばす。子供二人にも精霊が見えているのだ。遺伝体質になっているのかもしれない。精霊視が遺伝するなんて聞いたこともないけど。
マスコット精霊と戯れる我が子を愛おし気に眺め、ふと十代が思い出したように言う。
「今度、もしまた生まれ変わるとしたらさ。俺は遊星のとこに生まれたいんだよなぁ」
「……誰だよ遊星って」
「遊戯さんと共闘したって話は昔しただろ。その時に会った奴。俺達の生きてる時代よりも未来からやってきたらしいんだ。すごいんだぜ、その時代ではデュエルディスクがバイクになってるんだと」
「ディスクがバイク? また随分と斬新なことになってるんだな未来は」
「ああ、カッコイイぜ。俺もその時代に生まれてみたかったなー」
期待に胸を膨らませる子供のような顔をするとヨハンがにやにやして十代の頬を突っついてくる。十代は「やめろよ」と短く言って彼の手をどかした。
「くすぐったい」
「いや、悪ぃ。子供みたいな表情をするもんだから」
「……まあいいけどさ。元気にやってるかなぁ、あいつ。すごくいい奴なんだ。真っ直ぐで芯が熱くて、一本筋の通った奴。あいつも誰かのヒーローなんだろうなって、そう思わせる奴だった」
「十代みたいだな」
「いや、俺はあんなに綺麗じゃないし真っ直ぐじゃないよ。あいつには俺みたいにどっかで曲がっちゃわないで欲しいもんだ」
俺はもう純粋じゃないからなぁ? わざとすれた口調で言って十代はヨハンを見る。ヨハンはあのなぁ、と言葉を返してよしよしと子供にするみたいに十代の頭を撫でた。どうやら今日のヨハンはとことん十代を子供扱いしてくるつもりのようだ。
「お前は綺麗だよ。だって十代だ。十代が、真っ黒に汚れてるわけがない。もしそうだとしたら世界が真っ白すぎたんだよ」
「はいはい、ありがとな。ヨハンは神様よりよっぽど心が広いなぁ?」
「まあな」
「褒めてないから。……あのさ、ヨハン。俺、神様ってあんまし信じてないんだ。ろくでなしだと思ってる。だって大事な時に何もしてくれないだろ。所詮形のない崇拝を集めるための偶像だよ」
「随分はっきり言い切るなぁ……」
ヨハンが顔を顰める。キリスト教圏の人間だからもしかしたら機嫌を損ねたのかもしれない。
でも咎めることをしなかったから、あまり気に留めないことにした。ヨハンはそういう気遣いが出来るのだ。妙なところで気が回る。でも肝心なところで場の空気を読まなかったりする。
「でもさ、もし本当に神様みたいな存在がいるのなら、この願いを叶えてくれねぇかなぁ。あいつはすごく仲間を大事にする奴なんだ。だからきっと家族のことも大事にすると思う。……例え俺がどんなふうに変わってしまったとしても、軽蔑したり遠ざけたり、そういうことをしないで愛してくれると思うんだ。一回ぐらい、そういう無条件の親の愛を受けてみたい」
「じゃあ、俺のとこに生まれて来いよ。俺もお前のことは絶対に愛し続ける自信があるぜ」
ヨハンがそう言ってやると、十代はちょっと驚いた顔をしてでも首を横に振る。
「それはやだな。ヨハンとは対等でなきゃ」
遊城十代ははにかんで、息子を優しく抱き締めた。
<セカンド・ゼロ・リバース・完>