24:戦争をしよう
「じゃあ、戦争だ」
そう、破滅の光は言った。
「戦争? 手勢は己が身だけだろう。馬鹿馬鹿しい。俺達のあれはただの小競り合いだ。神の右手と左手の喧嘩。すごくどうしようもないものだよ」
「はは、本当に君は賢しいなぁ。知ってるさ、そんなことは。すごく空虚だ。でも俺は、そんな関係性でもありかなって思ってる。俺はね、君に殺されるのも君を殺すのも好きなんだよ。だってそれも愛してるってことだろう?」
両手を広げてのたまう破滅の光の姿にユベルは嫌な既視感を覚えて舌打ちする。百年前、異世界でヨハン・アンデルセンの体を使って行動していた時のことが頭をちらついて、あまり気分がよくない。「それが愛し合うってことなんじゃないかなぁ!」だとか、そういう言葉をかつてヨハン・アンデルセンの体を乗っ取っていた時に言わせたのは間違いなくユベルなのだ。でもそれは、半分ぐらい当て付けでそして残りの半分は破滅の光による汚染の悪影響だった。
遊城十代の両親達の手で十代から隔離され、宇宙に飛ばされたユベルを待っていたのは大嫌いな破滅の光の洗礼だった。心が折れそうになっていたユベルは破滅の光にあっさりと心を汚された。十代への愛は狂執的なものに変貌し手段を問わず覇王を目覚めさせるために手を下した。でもそれは全部、十代への愛故のことだったのだ。ユベルの愛も、破滅の光の愛も、両方が両方ともとても強いものだった。相乗した結果ああなってしまったわけである。
苦い過去だ。
「俺は殺されるのもご免だしお前を殺すことも別に楽しくない。だが、お前がねじ曲がっている限り駄目なんだ。俺にはお前を理解してやることは出来ない」
「それも知ってる。だから今度は君が起きる前に手籠めにしてどうしようもなく俺を渇望してしまうようにその体を作り変えてやろうかとも思っていたんだけど、手を付ける前にやっぱりこの状況に至ってしまったね。ユベルは本当によく出来た守護者だよ」
『お前に褒められたってちっとも嬉しくないんだよ。気色悪い』
「お気に召さないかい? まあ、しょうがないと言えばそうなんだけどね……それで話を戻すけど、戦争をしようぜ覇王。お互いの体の意思を裏切って、踏みにじって、ずたずたのぼろぼろにしてまたいつものように殺し合いをしよう。君が俺を愛していくれない限り、俺の愛は成就しない。この運命に縺れ込んでしまったからには遊城・ヨハン・アンデルセンの願いも不動十代の望みも叶いっこない。光と闇はお互いを傷付けあってまた一時の死の眠りに落ちる」
「もってまわった言い方をするな。だが、答えは依然としてノーだ。その体を動かすのが破滅の光である限り俺はお前を拒絶しよう。不動十代が望むのはお前ではない」
目をかっちりと閉じてしれっとした口調で覇王は言う。破滅の光はその答えに興が削がれたように残念そうな顔で首を振った。
「んー。またそれかぁ。いい加減馬鹿の一つ覚えみたいなことを言っていないで考え直してくれてもいいのに」
こんなに愛してるのになぁ、と気安い手のひらが覇王の方に向けられる。それに対して俺は愛してない、と覇王は無表情のままに淡々と告げた。元より覇王にそのような感情は存在しない。優しい闇に感情はない。
元々は破滅の光もそうだった。あの頃の二人はただ本能のままにお互いを求め合い、そして肉を刃で抉り合うという行為でもって文字通り貪り合った。血生臭い空間と何の意思も宿していない瞳が交差することこそが全てだった。だがある時破滅の光は思い出してしまう。「愛」という、とても気難しい感情をだ。
ある時破滅の光は言った。「思い出したんだ。俺は君を愛していた。今でも狂おしいぐらいに愛している。何よりも愛しい。溢れ返って破裂してしまいそうなこの思いはなんだ? ――愛だ!」でも彼の手に持った剣はこちらに向けられている。そして彼の体そのものは覇王の剣に深々と貫かれていた。酷くグロテスクな光景だった。
血塗れの少年が恍惚とした表情で愛を謳っている。
それを見せられた時、覇王は初めて感情らしきものを覚えたのだった。嫌悪感と、ざわざわと胸の辺りが落ちつかない感覚。それからほんの少しのむず痒くて熱い衝動。それまで一切の人間らしい思考というものを持たなかった「優しい闇」はその瞬間ちょっとだけ人に近いものになった。文字通り愛の為せる技であるが、それが本来の意味での「愛」なのかというと甚だ疑問であるというのが今現在の覇王の意見である。
百年前、遊城十代が意識の明け渡しではなく「超融合」と意志の力を用いた統合の道を選んだことで、優しい闇はある側面での人間らしさを手に入れることに成功した。大いなる力にして災い、宇宙を育む母にして破壊者、ただそこで活動をしているだけのものであった優しい闇は覇王十代として倫理と理性を得た。そしてその中にある遊城十代の意識――というより思考する残留記憶は少なくとも一般的な意味ではその小難しい感情の意味を知っているのだ。
愛するというのは、つまり慈しむということだ。優しさでもって包んでやるということ。自己ではなく他者に思いとエネルギーを消費する。勿論そこに打算はない。
だが破滅の光の言うそれは違う。あれには慈しみなどない。ただ強烈な所有欲が体を突き動かしているというのが恐らく一番近い。確かに代を重ねる事にどんどんと人間の愛に近くなってはいるけれど(恐ろしいことに、そうなのだ)それでもやっぱり違っていた。正しい愛し方を丸っきり忘れてしまっていて持て余した感情を殺害のフラストレーションに昇華してしまっている。抱き締めたいと言ってはいたけど、その後どうすればよいのかをあれは多分理解していない。
「『愛してるけどよくわからないから殺す』から『肉を抉り合うよりも抱き合いたい』に変化したことは評価しよう。だがそれでもやっぱり駄目なものは駄目だ。何も知らない少女を強姦しようとする奴を信用出来るはずもないだろう。次の世代ではそこをもう少し学習しておくんだな」
「しょうがないだろぉ。むらむらしたんだ。今度の十代は女の子で、それで俺は男だった。人間の若い男としての当然の反応だと思うけど」
「人でないくせによく言う」
「昔は人だったかもしれない。さっきもそう言っただろ」
「仮定論だな」
破滅の光がまるで悪びれるふうもなく言うものだから覇王は渋い表情でその言を切り捨ててやる。不動十代は信じていた親友の姿をした「けもの」に襲われかけたことに酷いショックを受けたのだ。それこそ気絶してしまうぐらいに。
「それで、覇王様。一応駄目元で聞いておくけどこのまま俺に大人しく押し倒されてくれる可能性ってどのくらいだい?」
「マイナスに振り切ってる」
「それは残念。せっかく密室に二人っきりなのに」。ぴしゃりとした覇王の返答に破滅の光は肩をすくめ、そして「十代」、声音を甘ったるくして「体の名前」を呼んだ。覇王は訝しんで眉を顰める。この状況下でなおその名前を呼び続ける意義がどこにあるのだ? 彼は戦争をしようと言った。ならばこのまま今までの人生を擲った二つの意思の殺し合いが始まるものとばかり思っていたのだけれども。
「……なんでその名前を、」
「もうすぐ最終下校のチャイムがなる。いくら許可証取ってるからって、下校時間過ぎて部屋に籠ってたらどんな処罰を喰らうかわかったもんじゃないぜ。さっさと照明を落として学校を出よう。"明日も学校はあるんだからさ、十代"」
ついさっきまでのきちがいじみた言動が嘘みたいに、「ごく当たり前の学生の台詞」をその口は紡いだ。覇王はあまりのことに口をあんぐりと開け、唖然としてしまっている。一体この男は何を目論んでいる?
「……茶番に愛着でもわいたのか?」
「はぁ? 何わけわかんないこと言ってんだよ。ほら」
「おい待て、お前何考えて――」
手のひらが腕を掴み取って、ぐいと引っ張る。よろめきかけたが何とか体勢を立て直し、前に引きずられるようにして不動十代の体は小走りに走り出した。振り向いたその男の顔は、明るくて綺麗な遊城・ヨハン・アンデルセンのものだ。いや、そう見えるだけでその表情を作っている意識は破滅の光の物に相違ないのだろうけども。
「帰りにさ、あそこ寄りたいって言ってただろ、昨日。十代は結構甘いもの好きだもんなぁ」
嫌になるぐらい爽やかな笑顔でそんなことを言われて、ようやく覇王……遊城十代はそいつの意図するところを理解した。王子様みたいな笑顔。だけど空々しい。寒々しい。
どこまでいってもそれは茶番劇でしかないというのに。
「そうだよ。甘いもんを食べるのは止められねぇの。――もう、五百年ぐらいは前からな」
だから「十代」はそう皮肉を込めて返事を返してやる。でも「ヨハン」はそんな皮肉なんてまるで意に介すことなく「だろぉ?」と嬉しそうな声を続ける。
「ドローパンもいいけどケーキもドーナッツも、みんな好きだったもんな! ――五百年ぐらい前から。俺の倍くらいの量ぺろりと平らげるんだもんなぁ」
手を引かれるままに部屋を出た時、最終下校時刻まで残り十分を告げるチャイムが鳴り響いた。相変わらず握る手のひらは優しい。覇王はやれやれと首を振って思考した。こいつはいつの間にこんなに人間くさい生き物になったのだ?
◇◆◇◆◇
昨日不動十代が通りすがって物欲しげな目を向けていたのが、今二人が入っている小さなカフェなのだった。女の子が好きそうな内装が十代の目を一際強く引いた……なんてことは勿論なく、彼女にとって一番大事なのはそのカフェの提供するケーキだ。
「友達にさ、すごいおいしいって聞いたんだよなぁ。苺のミルクレープが」
そう言ってじっと店のショーウィンドウを眺め出したが、ヨハンは自分の腕時計を彼女の目の前に示して見せる。時刻は夜六時を回っていた。既にこの日は書店へ寄り道をしてきた後なのだ。
「明日でいいだろ、明日で。な? 奢ってやるからさ」
「マジで。ケーキと紅茶で六百円ぐらいだって聞いたけど」
「安いもんだろ。十代がそれで幸せになれるのならさ」
「恥ずかしいこと真顔で言うなよなぁ……」
……と、いう会話を交わしたのは昨日のことなのだが。
ちょっぴり頬を膨らませ顔を赤くしてそんなことを言った彼女はまだ気絶している最中なわけで、つまり今ショップの中でケーキを口に運んでいるのは遊城十代、みたいなものなのであった。甘いものは人並み以上に好きだった彼ではあるが食べたがっていた彼女に申し訳ないんじゃないかとついそんなことを思ってしまう。
そんな十代の正面で気味が悪いぐらいにこにこして紅茶のカップを揺らしているのも、だからまた破滅の光なのだった。破滅の光と覇王十代がそれぞれ遊城・ヨハン・アンデルセンと不動十代に擬態して座っている。この上なく不自然な状況であるのにも関わらず傍目からはただのカップルに見えてしまう自然さを繕えてしまっているのが恐ろしい。
「……やっぱうめー……。もちもち……」
そしてそれでもケーキを美味しく頂けてしまえる自分は案外神経図太いよなぁと思わずにはいられない。だがケーキが美味いというのは否定の出来ない事実であり、それならば折角のケーキを無為にするわけにもいくまい。成り行きである。
「それは良かった。俺のも食う?」
オレンジピールの乗ったガトーショコラを一切れ切り分けて十代の方へ寄越す。断る理由もないので即行「食う」と返すと何がおかしいのかヨハンは蒼緑色の目を細めて笑んだ。人差し指で子りすのように食べ続けている十代の髪を愛おしげにすく。
きちがいの欠片もない優しい挙作に思わず十代はこいつは本当に破滅の光なのかな、ということを疑ってみてしまう。破滅の光、あの常識とは百八十度反転した境地にいる存在がこんなふうに笑うなんて信じられなかった。そして彼の言うところの愛の表現である殺害、傷の付け合い肉の抉り合い……に踏み切らずゆるい日常の延長を演じようとしている。
「お前って、そういう表情も出来たんだな」
「あいつにも言われたけど、出来たみたい。十代の顔を見てると無性に優しい気持ちになってくるんだよなぁ」
さっきは強姦しようとしたくせにいけしゃあしゃあと。そう考えたのが筒抜けだったのか即座に「幸せそうな顔見てると俺まで幸せになってくんの」、彼はそう捕捉を加えてきた。丸っきりただのバカップルだ。今はこんなでも数日後には殺し合いに及ぶ仲なのだとはとても想像がつくまい。
「何が目的なんだよ? こんな手の込んだことしてさ」
「だって昨日食べたいって言ってただろ。約束は守んなきゃ。……守れるとしたら今日までだから」
「……ああ。そういうこと」
つまり今日の内に後顧の憂いをなくしておけということか。
「明日は? 明日も"学校があるんだろ?"」
「学校はな。でも明日の放課後は、"大事な用事"が入ってるだろ? 俺達」
――「この街を巻き込んだ大事な用事が」。耳元に唇を寄せられ、そう囁きかけられた。十代は完全に合点がいって小さく息を吐く。やり残しがたくさんあるから後腐れをなくすために今日という猶予が設けられているのだ。なんでわざわざ普通の人間のふりをしてまでケーキを食べに来たのかはいまいちわからないけれど。それで絆せるとも思ってはいないだろうし。
「俺はさあ、やっぱ十代が好きなんだよなー。黙々とケーキ食べてる十代すげー可愛い。お前は笑ってる方が可愛いよ。ずっと笑ってだけいられたらいいのになぁ」
恥ずかしい言葉の連呼が思わず耳に入ってきたので十代は何を言っているんだ、こいつはという目で見つめ返してやった。誰が不動十代から笑顔を奪ったのだ。誰が遊城十代の眉間のしわを深くした? 誰が、王子を寂しく物憂げな表情で友の殺害に向かわせた?
全部こいつだ。破滅の光のせいだ。そんなことはわかりきっているだろうに。
だからケーキを飲み込んでから、きっぱりと言ってやる。
「お前がそれを、許さないんじゃないか」
破滅の光は曖昧に微笑んだ。
◇◆◇◆◇
「何考えてるのかわかんない」
「俺もわかんない」
「そんな返答は認めないぜ。無責任だ」
例の、魂の奥の真っ白い空間でヨハンが両腕を腰に当てて仁王立ちをしている。破滅の光は彼を宥めることをせずに言いたいように言わせることにしていた。押し潰してしまうより面白い。
「十代を押し倒して、キスして、しかもあれ唇じゃないか。その上服を脱がせようとするなんてどうかしてる」
「興奮しただろ?」
「青ざめたよ! 女の子にあんなことするなんて最低だ。そういうのは本当に好きな奴とやらなきゃ……」
「はじめては好きな奴と、って考えてるんならそれは問題ない」
わぁわぁとやかましい潔癖症の少年に向かって破滅の光はひらひらと手を振ってみせる。
「あの子はお前のことが好きだよ。お前があの子のことが好きなように。唇の一つや二つそんなに惜しく感じちゃいないはずだ」
「……んなわけあるかっ! 冗談は存在だけにしろよもう!」
「俺の存在を冗談で片付けるなって、それは割と深刻な問題だから。まあ俺自身自分が何者かはあまりわかってはいないんだけどさ……それでも俺がここに存在してるっていうのはすごく確かなことなんだよ。あいつを愛しく思う気持ちも。手に入れたいと願う心も。二度と失いたくないという切望も」
「…………。そういや、なんでさっきあんなふうに振る舞ってたんだよ? 向こうだって困惑してた。俺みたいな喋り方して」
さっき、というのは言うまでもなく十代にカフェでケーキを奢ってやった時のことを指す。基本的に物分かりの良い優しい闇は破滅の光の考えに気付いたうえでそれならばと美味しくケーキを平らげていたわけなのだが、どうもヨハンはそのことが上手く呑み込めていないらしい。男にしては大きな瞳が不思議そうにこちらを見つめ返してきている。
「女の子の十代には無性に優しくしてあげたくなっちゃうんだよなぁ。それに、カフェで俺が愛を叫んでたら浮くだろ」
「自覚あったのかよ」
「変な注目浴びて困るのはお前だしな。俺は実は空気の読める存在なんだ」
「それは嘘だ」
じっとりとした眼差しで破滅の光を睨みつけてくるヨハンの頭を、いい子いい子をするように撫でてやるとヨハンはくすぐったそうに眼を細めた。基本的に育ちのいいこの少年は素直で純朴で、人から寄せられる好意には反発しない。それが例え破滅の光からの物であったとしてもだ。そういう発想がないのだろう。彼は恵まれた少年だった。
優しい両親に愛情の限りを尽くされて成長した彼はすごく幸せな遊城・アンデルセン家の跡取り息子なのだ。過不足のない愛情、不自由のない財力、歪んだところのない人間関係。幸福を幸福で塗り固めていったみたいな人生。破滅の光を宿して生まれてしまったことが彼にとっての最大で唯一の不幸だった。そしてその体を乗っ取られてしまったことも。
それでも彼は破滅の光という存在を憎んではいない。疎ましいと思ってもいない。得体が知れないものに対する恐怖と理解できないものへの嫌悪感は人並みに持ち合わせているようだったがそれだけだった。強大な存在である破滅の光に平伏することも存在を否定して拒絶しようとすることもなかった。今までとのこの差異は、やはり遊城の血なのかなと思う。遊城十代の血統だ。
「今日のうち……正確には、猶予期間が過ぎた明日の夜までに約束は実行しておかないと。まあ別に猶予を決めるのは俺なんだけど、あんまり延ばし延ばしにしておくのも良くないし。お前は多分自覚ないだろうけど、破滅の光と優しい闇っていうのは結構やばい力なんだ。放っておくと人の体という器じゃ抑えられなくなる。今ならこの街をやや巻き込む程度で済む喧嘩が世界規模の話になる。それは困るんだよな。だって人間がいなくなっちゃったら俺もあいつも生まれ変わってこられなくなるし」
「……どういう意味なのかさっぱりわからないんだけど」
「言葉通りだよ。さっさとどっちかを殺さないと道連れがビル数棟から全人類に切り替わっちゃうってこと」
「はあ?」
まるっきり人を馬鹿にしている、胡散臭そうな声だ。スケールが壮大過ぎて理解してもらえなかったらしい。
「信じないのはお前の勝手だけど、事実だぜ。あのなあ、お前も見ただろ。国を一つ二つ吹き飛ばしてるような記憶がその中になかったか?」
「あったようななかったような気はするけど……マジかよそれ。俺達のネオドミノを吹き飛ばすつもりだってことか? 遊星さんの口が開いたまま塞がらなくなるぞ」
「別に吹き飛ばすつもりはないんだけど、正面衝突したらそうなりかねないかもって話さ。……そうそう、不動遊星といえばその辺りの処理もそろそろ付けてるとこかな覇王は。いや、先に不動十代と話をしているか。そっちの方が大事だもんな」
「……遊星さんの処理って……」
処理という言葉の中に不穏な響きを感じとってヨハンが顔を曇らせる。不動遊星は他の多くのネオドミノの人間にとってそうであるようにヨハンにとっても英雄だった。憧れの人なんだそうだ。率直に心配している。
「まあ伊達に英雄と呼ばれてないってことかな、俺はともかく自分の娘が『得体の知れないもの』になってしまうんじゃないかってことにあの男は勘付いていた。ただ一人、この時代で遊城十代に触れている人間であるということも大きいな。あの感じじゃ恐らく覇王から仕掛けなくても何かしら一悶着起こることは避けられない」
「一悶着?」
「親は子供を危ない目に遭わせたくないし覇王も可愛い後輩をこんなくだらない争いに巻き込みたくないのさ。あいつのことだ、こてんぱてんにのしてでも不動遊星の行く手は阻むぜ。娘の尊敬する、一度も勝てない絶対的な存在であった父親であるという事実もかなぐり捨ててな」
これっぽっちも抵抗できないまま一方的にやられる不動遊星ってのは相当レアだよな、とふざけた声で破滅の光は告げる。
「ま、どっちにせよ俺達が争う運命は避けられない。誰がどう足掻こうと最後にはどちらかが死ぬ。さよなら平穏な生活。お前のふりでもさ、結構楽しかったぜ。だらだらした平和と自由。お前も次は俺なんかとは関係ないところで生まれてくるんだぞ。普通の人間はさ、本当は人生を謳歌しなきゃならないと俺はそう思うんだよなぁ」
◇◆◇◆◇
「……おはよう。嫌な夢だったろ?」
目蓋をうっすらと開いた不動十代を出迎えたのは気遣うような男性の声と黒一色の世界だった。暗く、しかしどこか温かみのある暗色の空間。永遠に続く果てなし底なしの真っ暗闇。
半分閉じたままだった目蓋をぱちりと数度瞬きしてから開けると、目に入ってきたのは赤色だった。深く吸い込まれそうな黒の中にあって強烈なコントラストを放っている赤。しかしよく見てみるとそれは全身が赤に染まりあがっているわけではなく単に赤いジャケットを羽織っているだけなのだった。ジャケットの下はダークグレーのパンツで、上にはブラウンの髪がもっさりと生えた頭が乗っかっている。人だ。人の姿をしたものだ。
「悪いな、こんなもん見せて。でも通過儀礼なんでそういうものとして諦めてくれ。俺も昔見せられた時は閉口したもんさ……その時は仲間から孤立して精神状態が危うくなってたしな。結局心を閉ざしちまって覇王に代わりに体は動かして貰ってたんだが……と、悪い。余計な話だったな。君はもうそんなことは知ってるか」
「……あなたが、遊城十代? 父さんの尊敬してる人の」
「一応、そういうことになる。残りかすみたいなもんだけど。本物の遊城十代はとっくに死んだよ」
三十八年前に。そう言って「遊城十代の残りかす」は寂しそうに笑った。幽霊みたいに儚い表情だった。
手を伸ばしたら透けてしまいそうだ。
「しかしまあ、死んで二十年ちょっとでこんなにあっさり生まれ変わるとは思ってなかったし本当に遊星のとこに生まれるとも思ってなかったなぁ。ちんけな神様もたまには仕事をしてたってことか」
「二十年は早いよね。他は百年単位で間が空いてたのに」
「うん、すげー早い。遊星が生きてる時代に無理やり合わせたらこうなっちゃったんだって感じがする。確かに昔そんなことをちょっと願ってみちゃったりなんかした気はするけど。遊星はどんな反応したのかなー、俺を見て」
だって名前に十代って付いてるもんな。そう言う彼は悪戯を企む子供みたいな表情をする。遊城十代。精霊とその魂を分かちた優しい闇の継承者。闇の眷属を統べるもの。覇王。彼を形容する言葉はたくさんあるけれども、そのどれもが中途半端であまり本質を写しこめていなかった。彼は言葉じゃ表せないぐらいにいろんな顔を持っている人だった。デュエルアカデミア伝説のドロップアウト・ボーイ。宇宙を育む強大な力である優しい闇を宿す覇王。家事と子育てに精を出す一児の父。でもどんな側面にも共通するものがある。めっぽう勝負ごとに強いことだ。
そして根は優しい人だっていうこと。
「あのさ。急にあれだけのものを見せられて、君自身としてはどんな気持ちだ? その調子じゃわけわかんない、って感じではなさそうだけど。でも納得はいかないだろ?」
「それはまあ。だけど、ヨハンがどうして変になっちゃったのか、それはわかった。――ヨハンも、俺と同じ運命を持ってたんだ」
「そう。そしてその運命っていうやつは二人が殺し合うことを最終的に定義づけてる。馬鹿げてるよな」
「どうにか出来ないの?」
「百年前に先送りにしてみたらこのザマだ。強姦されかかるってのはかなり手痛いしっぺ返しだったな、うん……あー、すまん。君を傷付けようと思ってたわけじゃなかったんだが……」
彼の言葉にそういえばそんなことがあったのだということを思い出して十代はさっと顔を青くする。眼前に迫るヨハンの荒い息遣い。物欲しそうな瞳。ぺろりと舌なめずりをした赤い舌。触れた唇の柔らかさ。全部覚えている。シャツを半分剥がして肌に触れようとしてきた手のひらの大きさも、何も、かも。
「……いい。あれは不幸な事故だったんだ、多分。ヨハンが望んでいたことじゃないし。それにヨハンだったから、まだ、いい。ヨハンじゃなかったらって思うとぞっとするけど、ヨハンの体だったからいいんだ。……あのさ、幽霊の俺。俺さ、きっとさ……」
赤いジャケットの端を握り込んで、地にへたりこんで十代は面を伏せる。それを今になって自覚するのが酷く苦しかった。空しかった。十代が好きになった少年はもう「違うもの」になってしまっていた。今更遅かった。手遅れの感情だった。でも、それは嘘偽りのない事実だ。
「ヨハンのこと、好きなんだ」
遊城十代の残りかすは「そっか」と言って十代をそっと抱き締めた。透けたりはしなかったけど、死人だから体は温かくなかった。でも心はあったかい。それはわかる。
「まだ会って一ヶ月ぐらいなのにおかしな話だよな。でも、そうなんだ。あいつの笑顔とか、今思い出してみるとどきどきする。好きだよ。……優しい闇が破滅の光を殺そうって言うんなら、俺はそれに反対しない。出来ない。そんな力なんてねえもん。でももしも一つだけ願いが叶うのならば、一回だけでいいんだ。もう一度だけ、ヨハンと何でもないことでも笑ってみたい」
「わかるぜ。俺も実は、あいつのこと好きだった。誰よりも大切な友達だった。なんでかは知らないけど、いっつも俺達は惹かれ合うんだ。だったらあんな殺伐とした運命なんか要らないのにな」
「うん」
「運命なんかくそくらえだ。そろそろこのくだらないだけの繰り返しに決着をつけてやらなきゃ。こんな循環世界は必要ないよ。行き詰まっちまえ」
――世界なんか、行き詰まっちまえ。連鎖する世界に行き止まりを。残りかすはそう漏らした。十代もそう思う。どの時代の十代も、親友や親しい人間であったヨハンを殺すことに何らかの感情を抱いていた。優しい闇と破滅の光には感情はなかったけれど、でも何度も何度も繰り返すうちにそのうちのいくつかの人格と混ざって人に近いものを手に入れている。遊城十代の姿をした優しい闇、これが人間らしさを持っていないとしたら何が人間らしいってことなのだろう? 大好きな友達を思いやることの何がいけないっていうのだ?
この辺が潮時だ。今度はこの永久サイクルを止めることがもしかしたら出来るかもしれない。
そう残りかすが呟く。
でも、と十代は首を傾げた。止めると簡単に言うけれど、この何千年に渡る歴史にどうやったら折り合いが付くというのだろう?
「だけどどうすればいいのか、全然わかんないよ」
「やってみなけりゃ、わからない。同じようにやってみると案外どうにかなるもんさ。なぁ、そうだろ?」
そう尋ねると残りかすは堂々と言い切った。その宣言には何の根拠もないのだということを彼と同じ存在である十代は勘付いている。だけど十代はその言葉にある種の希望を見たような気がした。死んでしまって、残りかすになってしまったのだというのにそれでも、遊城十代という人の言葉にはそう確信させる何かがあるのだ。
「Deadend World」-Copyright(c) 倉田翠