04


 九月の初旬。夏休みがあけ、夢ノ咲学院は二学期に入った。スターマインの一件以来、Knightsは――というか泉は、以前にも増して精力的に活動をこなしている。小さな依頼から大きめのライブまでをしっかりこなし、その一方で休業していたモデルの活動を小規模だが再開した。
 全ては、「Knightsの瀬名泉」としての矜持を保つため。
 朔間凛月は友人の姿をそのように解析している。
「瀬名先輩、近頃は本当に張り切っておられますね。Modelのお仕事も、表面上、鳴上先輩が巻き込むので仕方なく〜などと言っておられますが、とても生き生きしているように感じます。この調子で【夏フェス】もつつがなく終わると良いのですが」
「ん〜。あれは、ナッちゃんとみかりん主導のライブだし、大丈夫でしょ。俺は別のところが心配」
「と言いますと」
「最近のセッちゃん、ソロの仕事とかばんばか取ってきてるじゃん。俺たちがいないところで暴走しすぎないかなあ? ただでさえ気負いすぎてて、見てらんないぐらいなのに〜……」
「……そうなのですか?」
 私にはそうは見えていませんでしたが、と司が小首を傾げる。ああ、相変わらず、年下にはかっこつけしいなんだから。凛月は司の純粋な面差しを見て、これ以上この末子に不安を覚えさせるのはよくないなと思い直し、黙った。司にはのびのび育ってほしい、出来れば余計な心配とかせずに、というのが、Knightsの総意だ。泉が司に気丈な姿しか見せないのは、やせ我慢もあるのだろうけど。
「そうねえ、でも、泉ちゃんが心配なのはアタシも一緒よォ。もちろん、個々の事情に干渉しない……っていうのは、Knightsの暗黙の取り決めではあるけれど。それでもアタシたちは仲間なんだから、多少の苦労は分配していくべきね」
 凛月が唇を固く結んで指先を弄んでいると、嵐がやってきて口を挟んでくる。司がぱっと顔を輝かせ、嵐の方を振り向いた。
「鳴上先輩」
「凛月ちゃんも、なんでもかんでも蓋してしまってちゃ、司ちゃんのためにも泉ちゃんのためにもならないわよ。ねえあなたたち、今日の放課後、暇でしょう? 一緒に現場へ行っておかない?」
「セッちゃんの? どうだろ、ぞろぞろ来られるの、一番嫌がるでしょ」
「いいのよ、用事があるのは本当だし。今日の現場はアタシたちが普段お世話になってるモデル業界のお偉いさんが視察に来てるの。……そろそろ、『鳴上嵐』とか『瀬名泉』としてだけじゃなく、『Knights』としても顔を売っておかないとね」
 だってそれが泉ちゃんが今目指してることの一つでしょ、と嵐がウインクする。凛月はのっそりと起き上がり、わかった、と頷いた。そういうことなら仕方がない。泉の暴走を誰より恐れているのは凛月なのだし。
『好きだよ、今でもまだ』
 あのスターマインの夜に、絞り出すように啜り泣いていた泉の声が今も凛月の脳裏にこびりついている。
『殺しちゃおっかな、れおくんの、首をきゅっと絞めてさ』
 あれから泉は変わった。なんというか、危機感とか覚悟がそうさせているのだろうか、アイドルとして、より美しくなった。
 けれどその美は砂上の楼閣みたいに脆い。その危うさに、凛月も嵐も、気がついている。
『そしたらもう、二度と俺のこと、置いていけなくなるもんね』
 儚いものは美しい、それは人間という一過性の美と熱を愛でる吸血鬼にとっては歓迎すべきものなのだろうけれど。
「……いつになったら帰ってくるんだろうね、王さまは」
 泉の友人としては、どちらかというといやな予感がして、早々に追い払ってしまいたい、立ちこめる暗雲に思えてならない。
「限界が来て壊れてからじゃ遅いのに……」
「それは実体験かしら、凛月ちゃん」
「ん〜ん。他人事。俺の兄らしきひとが立ち止まっちゃった経緯について、俺はぼんやりとしか……わかんないし。でもそんな俺にだって、大切なものを失ってから気付いたんじゃどうしようもないってことぐらい、わかる」
「そうねえ。……本当に、困った王さまなんだから」
 アタシ、あのひとのことはよく知らないけれど。最後の頃、ちょっとだけすれ違ったぐらいだし。
 ――でもあのひとを見る泉ちゃんの眼差しがどれだけキラキラしていたかは、覚えてるのよ、ずっと。
「アタシもあんな顔してみたいわって思ったのは、後にも先にも、あの頃の泉ちゃんに対してだけよ。だから余計に思うのかしらね、今の泉ちゃんの危なっかしさを放っておけないって。本当に止めてあげられるひとはたった一人しかいないだろうけど、それでもなんとかしてあげたいって、思うのよね」
「そうだね」
「おかしいわよねェ、Knightsは、損得勘定で集まった利害一致の集団だったはずなのに。こんな家族みたいな気持ちを抱くんだから。でもそれは、いい変化だと思ってるわ。だからあの子がこんなところで過労死でもしたら、それこそ永遠に、傷跡は深く刻み込まれて消えやしないわよ」
 泉ちゃんの肩を持ちたいの、と嵐が言った。それがあの子の夢ならアタシは叶えてあげたいの、仲間ですもの。必死に守ってきた玉座に、いつか王が帰還したとして――その時王冠が欠けていたら、なにもかも報われないでしょ。
 嵐の視線の先には、空っぽの玉座が置いてある。撮影であの玉座を使ったことは、司が加入してから一度もない。それでも玉座は美しい。今日も。明日も、明後日も。
 あの玉座が埃を被り、錆び付いてしまったら、その日がKnightsの最後なのだ。
(そうなる前に帰って来てよね、王さま)
 本当のところ、凛月は知っている。
 月永レオは日本へ帰国していて、家の外を出歩けるようになっている。三毛縞がよしみで零に流してくれた情報だ。スターマインの頃には、レオはとっくに、国内へ戻ってきていた。更には作曲の勘も取り戻していて、泉が教えてくれた「絵はがきの音楽」だけに留まらず、数多の新曲をリリースしている。今度始まる月9ドラマの主題歌だって、レオの仕事なのだ。
 月永レオは蘇った。それは歪な死者蘇生かもしれないけれど、確かに彼は生き返った。
 瀬名泉とはまったく関係のないところで、ひとりでに起き上がり、未来へ向かって歩き出している。
 でも果たして彼は、知っているのだろうか。
 泉が張り裂けそうなぐらい胸を痛めていることを。
 今にも押し潰されてぺしゃんこになりそうな身体と心を、プライドだけでどうにか取り繕っていることを――知っているのだろうか?


◇◆◇◆◇


「まだ学院に復帰するつもりはないのかなあ、レオさん」
 夢ノ咲学院から少し離れた土地にあるカフェテリアで、三毛縞は向かいに座ったレオにそう語りかけた。帰国してしばらく経つレオは、レクイエムの演奏会を皮切りに、いくつもの仕事を国内でこなしている。もうすっかり国内に足を付けたようで、しばらくの間、海を渡るつもりはないらしい。
 レオはパフェにスプーンを突っ込み、無邪気に、いたって純粋にはにかむ。
「うん。ないよ」
「即答だなあ。まあ、いいか。それで……どうだった? そろそろ、わかったのかなあ。どうしてレオさんの曲が、泉さんのためのものになったのか。いくつも国を巡り、それを探す約束だっただろう?」
「ああ、うん、そんな話もしてたっけな。でも……どうだろ。そのへんの整理は、まだよく出来てないな……」
「そうかあ……」
 もぐもぐと小動物のようにパフェを食べているレオを眺め、三毛縞は息を吐いた。夢ノ咲学院という場所に対して、レオが多くのトラウマを抱えているのは理解している。単純に戻れというのは残酷な話だ。しかしそれでも、学院に戻らないことのほうが、レオの精神に今後悪影響を与えていくであろうことを、なんとなく三毛縞は察している。
 今の月永レオは瀬名泉のためにしか曲を作れない。
 それがこの数ヶ月間、レオを観察していて最終的に導き出した、三毛縞の結論だ。
 彼は今のところ、手に入らない本物の瀬名泉の代わりに空想の想い出をよすがにしてやっているようだが、それにもいずれ限界は訪れるだろう。
 想い出とは風化して劣化していくものであり、また、空想の中で美化されればされるほど、真実からかけ離れて歪曲していくものだ。
「ここのところかなり精力的に仕事をこなしているみたいだが、それらも全部、やっぱり泉さんに向けた曲なのかなあ、レオさん」
「そうだよ。だからセナにはそのお裾分け〜みたいな感じで、ちょっと早めに絵はがき送ったんだ。お礼っていうか。いやまあ、俺が勝手にセナの妄想して勝手に作曲してるんだから、セナにとっちゃ、知ったことないだろうけど」
「うんうん、ママはそれを聞いて安心したようなやっぱりと肩を落とすかのような、若干複雑な気分だぞお」
 泉さんも災難だなあ、と三毛縞が首を傾げると、レオが「なんで?」と無邪気に不思議がって笑った。


 パフェを頬張るレオに、三毛縞は少し考えてから、これまでに作った曲たちの話を聞きたい、と言った。レオがどんな気持ちでどんな想いを込めて曲を作っているのか知りたいのだ、と。
 レオにとっても、別段断ったり隠すような内容ではない。それでレオは、三毛縞に促されるまま、この数ヶ月に起こった出来事をとりとめなく話した。
 まず最初にレオは、パリで作った曲のことを話した。凱旋門を通り過ぎるとき、泉がぴっと背を伸ばしてその前に立っている姿が見えた――ような気がしたから、明るくかわいい、でもどこか凛とはりつめたところのあるシャンソンを作ったのだと話すと、三毛縞は興味深そうに頷いた。曲名に意味はあるのか、と訊ねられたから「セナのことだよ」と答えた。三毛縞は神妙にふたたび頷いた。
 続けてレオは、モン・サン=ミシェルまで足を伸ばした先でわき上がったインスピレーションのことを話した。大天使ミカエルのお膝元で行われる聖歌隊の合唱を聴きながら、もしも泉がそこで歌を披露していたら、というつもりで作曲をした。その次にヴェネツィアで見た光景のことも、ウィーンでひらめいたメロディのことも、アフリカで降ってきた流れ星のことも、メキシコで見たパレードのことも、そして、ナイアガラの滝でおりてきた、美しい旋律のことも、全部話した。レオが見た全ての景色の中には、いつも、空想の瀬名泉が立っている。
「おれがいつも考えてる妄想の中のセナに、現地のインスピレーションが合わさるとさ、おれ自身びっくりするぐらいの名曲が生まれるんだよな。で、それを契約先の会社に納品して、よしなに配給して貰う。その間に、おれはセナに絵はがきを送るわけ。ありがとう、セナのおかげでまた天才的なメロディをひらめいたぞ〜って、教えるんだ」
「なるほどなあ。泉さんから返事なんかは来たのか?」
「来ないよ、だっておれ、差出人書かずに出してるし。おれからの手紙だって、セナにはばれたくなかったんだ、なんか」
 頬をぷうと膨らませ、レオはテーブルを突っついた。
 三毛縞が呆気にとられたような顔をしていたが、レオとしては、送り主を泉に明かすなんて行為こそ、有り得ないものだった。レオは今まで、泉からあまりに多くのものを受け取っている。それなのにこれ以上を望むなんて、贅沢だ。
 色々な国を巡って、色々な曲を作った。そのたび、妄想の中の瀬名泉はレオに情熱的なメロディを授けてくれた。それだけでレオにとっては十分だった。
「日本に帰って来てみたらみたで、町中に、ちゃんとセナの歌声が聞こえてさ……。それを聞かされるの、最初、拷問かってぐらいつらかったけど。でも聞いてるうち、セナ以外にも、ナルとかリッツとか、あと知らんやつが歌ってることがわかってさ、ああセナは頑張ってるんだ、ってわかるんだ。そしたらさあ、邪魔したくないじゃん。俺なんかのせいでセナの頑張りが途絶されるのは、世界の損失だよ」
 だってあいつはあんなに美しくて、頑張ってる姿は、それに輪を掛けてずっと、きれいなのに。
王さまおれ ≠フ死んだKnightsで、何を目指してるのかなあとは、思ったけど」
 レオが何かを望んだら、その美を損ねてしまうかもしれない。今まで何度抱きしめても泉は美しいままだったけれど、あの最悪の雨の日でさえ、泉は輝いていたけれど。だけど次もそうだという保証はどこにもない。
 レオが何かを望んだせいで何かが変わってしまったら、それはもう、レオがきれいだと自信を持って胸を張れる、瀬名泉じゃなくなってしまうかもしれないのだ。
 それに……。
「でも今セナは立派なアイドルしてて、俺の曲をまだ歌ってくれるんだ。死に損ないの俺にはそれで十分、ううん、過ぎた幸せだ。おれはもう、セナの人生に干渉するべきじゃない。きっとそれをセナは望んでないよ……」
 レオの向かいで、三毛縞が幽霊でも見たような顔をしている。「どうしてだ?」三毛縞がぞっとしない声でそう訊ねた。「どうしてそう思うんだ、レオさん?」。決まってる、答えは簡単だ。
「ん。言ってなかったけ。おれ、一度セナに拒絶されたんだ」
 あっけらかんと言い放つと、三毛縞が目を見開く。
「おれたちKnightsが決定的な敗北を見た、あの最後のデュエルで……セナはおれに言ったよ、『俺たち、一体どこで間違えちゃったのかな』って」
 あの日の胸の痛みが、今でもまだ心臓を突き刺しているんだよ、とレオは苦笑いをした。
 Knightsと英智が真正面から激突したそのライブは、それはもう、ひどいものだった。度重なるジャッジメントやデュエルの開催で学院じゅうの人間を敵に回していたレオたちと、反対に、腐敗した夢ノ咲学院の平定を成し遂げた皇帝陛下。その結果は見るも無惨で、残虐なものだった。
 生徒会が支配する公式ドリフェスにありがちな、「前半の生徒会側ユニットのライブが終わった瞬間、観客が一斉にはけてしまう」みたいな展開ならまだいくらもましだ。しかしその日、観客たちは英智のライブが終わっても帰らなかった。彼らは深い憎しみをたたえた瞳でKnightsの登場を待った。そして――満を持してステージに立ったレオと泉に、無数の罵倒とごみを投げつけた。
 空のペットボトルが、ぐちゃぐちゃに潰れたお菓子が、誰かが脱いだ上履きが、割れた生卵が、そこらへんの石ころが、ステージに向かって延々と投げ込まれ続けた。生徒会が入場者の持ち物検査をしていなければ、刃物か何かが飛んできて、誰かが命を落としていたかもしれない。それぐらい、Knights――レオと泉に向けられた憎悪は苛烈だった。
 生徒会側も、そういった現状は把握していたのだろう。持ち物検査は徹底していたし、妨害行為(なんて生やさしいものではなかったが)が始まってからの取り締まりは迅速だった。事前に彼らが「無理をして舞台に上がる必要はない」と通達してきたのも、これを予測してのことだったと思う。
 だけど最早、その時のレオに敵前逃亡するという選択肢はなくて。
 レオの鞘たる泉も、そんな真似を許容出来るほどプライドが低くはなくて。
 結局、凛月と嵐だけを事前に逃がし……二人は、罵声の渦の中できっちりとパフォーマンスを成し遂げたのだ。
 その時の泉が見せた横顔を、レオは永遠に忘れられない。醜い罵詈雑言の中、それでも泉は、気高く誇り高い生き物だった。飛んできた石ころで頬に切り傷が出来ていたけれど、でも、誰よりも美しかった。世界じゅうで一番綺麗だった。そんな泉が、レオの作った曲を歌ってくれている。何者にも傷つけられない、レオの選び取った瀬名泉という男が――月永レオとのなにかを守るために、必死でアイドルをやっている。
 それがどんなにか嬉しかったことだろう。
 だからレオは、泉にキスしなきゃいけないと思った。ライブが終わり、観客が一人もいなくなり、スタッフの生徒もいなくなって……投げ込まれたごみが堆く積み上がったその中心で、泉の身体を抱き寄せて唇をつけた。泉の唇は柔らかく艶やかだった。
 ああ、セナ、きれいなセナ、おれの大好きなセナ。おまえは今もうつくしいよ。こんな狂った世界でも、セナの輝きだけは、ずっとずっと本物だ。
『これで終わりなの、俺たち』
 なのにどうして、あの時泉は泣きそうな顔で雨に打たれ、悲哀のまなざしをレオへ向けていたのだろう。
 どうしてレオの手を振り払ったんだろう……。
「……理由とかそういうのは、聞いてないからわかんないけど。セナは確かにおれを拒絶した。おれがきっと傷つけたんだ。セナの心のやわらかい部分を、ぐしゃぐしゃに潰して踏み荒らしたんだ。だったらもう、おれはセナのそばにいるべきじゃないよ。あわせる顔なんかどこにもない」
 どんなに嫌われたとしても、どんなに憎まれたとしても、レオは泉のことが大好きだ。そばにいたら、どうしたってレオは泉を抱きしめたくなる。声を聞きたくなる。泉の気持ちなんか考えもせず、またキスしたくなるかもしれない。それが彼を傷つけるかもしれないとわかっていても。
「だからおれは学院には帰れない」
 長い長い独白をその言葉で締めくくると、向かいの三毛縞は、はあ……と酷く重たい溜め息をこぼした。
「ママ、どしたの?」
 レオが身を乗り出すと、三毛縞がううんと低く唸る。
 三毛縞は迷っていた。「MaM」として、差し出がましくとも、口を挟むべきか。それとも月永レオの友人・三毛縞斑として、彼の考えを尊重するべきかどうか。
 ウインナコーヒーをゆっくりとすすり、三毛縞が眉間に皺を寄せ、そして解放する。
「レオさん、だったらなあ、泉さんに絵はがきなんか送っちゃ、駄目だ。……それは恐らく、泉さんにとっては最も、残酷な手段だから」
 その果てに絞り出された三毛縞の声は、苦渋の決断に満ちていた。
「……どういうこと?」
「いや、本当はこんなこと言うべきではないのだろうがなあ、ううん、それじゃあまりにも泉さんがかわいそうだ。なあレオさん、前にも言ったよなあ。泉さんは、ずっとレオさんの帰りを待ってる。リーダーの場所を空けて、玉座を綺麗に磨き上げ、折れぬことのない剣として振る舞えるよう、今も」
「……だから?」
「あの子は自分を責めているよ。今こうしている間にも、一分一秒、その全てで。レオさんを壊してしまったのは自分だってなあ。あの子は賢いが、純粋で、一途に過ぎる。レオさんが帰らない限り自分を責め続けるぞ。……それが本当にレオさんの望みなのかあ?」
「それは……」
 レオが言いよどむと、三毛縞は目を細め、「こんなことを言えた義理も権利もないのは重々承知だが」と彼にしては珍しく歯切れの悪い言葉を寄越した。声音は厳しく、おちゃらけた様子はどこにもない。
「レオさんはこの先ずっと泉さんから逃げ続けるつもりなのかあ? こんな狭い業界で、それがいつまで続くか、ママは甚だ疑問だなあ」
「だ、だけどさ。セナはおれの顔なんか見たくないよ」
「そんなこと一度でも泉さんに言われたか?」
「……。覚悟が出来ないんだよ、踏ん切りつかないっていうか、セナに嫌われるのが、怖いよ、おれは」
 嫌われるのが怖い、と口にした途端、パフェスプーンを持つレオの手が怯えに震えはじめた。
 怖い、怖いよ、怖いんだ、とレオは再三繰り返した。本物の瀬名泉に会いたい気持ちがないわけじゃない、とレオが呟く。「だけどセナはおれに多分愛想尽かしてるから」母親にこっぴどく叱られて自信を喪失した子供みたいな声で。「面と向かってもう一度拒絶されたら、おれ、今度こそ立ち直れないかも」まるでこの世の終わりみたいな調子で、身を竦ませている。
「……怖いのはきっと、レオさんだけじゃないぞお?」
「でも……」
「逃げていれば、確かに傷付くこともないかもなあ。妄想の中の泉さんは、決してレオさんを裏切らない。けどなあ……」
 三毛縞は震えるレオの手をそっとテーブルに握り止めた。恐れるのは、相手を思う心ゆえ。拒絶に怯えるのは、本当はそばにいたいという心の裏返し。ああ、この友人は、本当に作曲以外からっきしだ。そういうところが愛おしいし、なんとかしてやりたいと思わせるゆえんなのだけれど。
 「MaM」としては、出来るだけ全てのひとに幸福になってほしいし、泉の気持ちもちょっとは汲んでやりたい。
 三毛縞は野暮を承知ではっきり口を挟むことに決めた。この天才作曲家様には、荒療治を仕掛けるぐらいじゃなきゃ、きっと何も変わったりしない。
「話を聞いている限り、レオさんは泉さんにちゃんと向き合うべきだ。部外者の俺がとやかく言うのはフェアじゃないかもしれないが、レオさんの友達として、言わせてくれないか」
「な、なに……?」
「レオさんのその気持ちは、泉さんと同じものだろうな。然るに、それは……」
 ――恋だぞお、俗に言う。
 三毛縞が告げたその瞬間、レオのスマートフォンから、派手な着信音が鳴り響いた。