02 祈りし帝王、月の館にて



 ――世界の管理者を捜せ。

 汚い文字でそれだけ書かれた手紙を握り締め、泉は広大な敷地内を虱潰しに歩いた。一緒に着いてきている凛月が、「いつまで歩いてるの〜、俺疲れちゃったよ〜」と弱音を吐いても、無視して歩き続けた。不思議なことに、どれだけ歩いても、お腹が減ったり眠くなることはない。時々疲れたような気がして立ち止まるけれど、それだけだ。
 ……そういえば、夜にもならないな。
 ゲームの世界(だと泉は考えている)だから、そもそも夜が存在しないのかな。それにしては凛月がずっと活動していておかしな感じがするけど、そもそも宙に浮いている時点で不自然極まりないので、多分考えるだけ無駄だ。
「それでセッちゃん、次はどこを目指してるの」
「誰でもいいから生き残りを捜してる。世界の管理者とかいうのは、まだ、よくわからないし。その途中で同じく管理者を探してるだろう王さまと合流出来れば万々歳だけど……そうはいかないだろうしねえ」
「まあ、王さまとは会えないだろうね……。ていうか、そもそも生き残りなんてそう都合良く見つかると思ってる?」
「思ってない。だから左から隙間を縫うように移動してる」
 ああそれで虱潰しに動いてるんだ、と凛月が半ば呆れたふうに言う。その言い方にかちんときて、泉が、「言いたいことがあるならはっきりしろ」と怒鳴りつけた。凛月が肩をすくめる。
「そんな邪険にしないでよ……。俺いちおう、気配探知とか出来るから。つい今しがた、兄者のエリアを完全に脱出したってことぐらいお知らせしておこうかなって」
「朔間のエリア? あの森抜けた時点で、出てたんじゃないの?」
「そんなわけないじゃん。このクッソ広い学院を、奇人で等分してるんだよ。望まずとも生き残ってしまったあのひとたちは、手が届く範囲の死を見棄てられない。それがあのひとたちに課せられた縛り」
「なにそれ」
「奇人の制約=c…。この世界における、根本ルールみたいなものかなぁ。破滅の歌を聴いて生き残っちゃった奇人たちは、信仰されていた形に変生する。その際に、テリトリーが生まれるんだよね。世界を支えるための柱として保持していた機能が、変質しちゃうから。しかもそんな状態で大量の死を見届けようとしてるから、支払うコストは並大抵じゃない。桁外れの能力を持つ彼らでも、そろそろ限界きつくなってきてるのが、昨今」
「いや、説明されてるようで余計にわからなくなっちゃったんだけどぉ……」
「要するにね、終わりが近いんだよ、みんな」
 あるいは終わりにしたがってるのかもね、この哀しい世界を。
 凛月はふわふわ漂いながらぽつりと呟いた。
 そういえば。泉は不意にそのことに思い至って、首を傾げた。凛月の言うことは無闇矢鱈に曖昧で、小難しく謎かけめいて要領を得ない。だからだろうか? 彼は合流してから一度も、例の幼馴染の名前を口にしていないのだ。
 平素の凛月なら有り得ないことだった。だってこいつ、呼吸と同じようなペースでしょっちゅう幼馴染みの名前を呼んでなかったっけ?
「ねえ、」
 だけどその理由を聞こうとして躊躇い、泉は口を噤んだ。
 だって。出てこないってことは、つまり、多分、「そういうこと」かもしれないではないか。何しろこの世界は狂っているのだ。
「……ま〜くんのこと気にしてくれてありがと」
 すると心でも読んだのか、泉が聞けなかった言葉を引き継ぎ、凛月が辛へにゃりと笑った。
「……くまくん、俺、」
「いいよぉ、気にしなくて。ま〜くんがもういないのは、本当のことだしさ。……ま〜くん、っていうかTrickstarの奴らはさ、最前線組だったから。兄者もそうだけど、アイドル科の大勢の生徒――それこそ俺たちが顔も名前も覚えてないようなやつらまで――みんな守ろうとして、それで行っちゃったよ。我先にって感じでさ……俺はそれを見ていて、生きた心地がしなかった。あ、この比喩表現おかしいかな」
「守ろうとしたって、【破滅の歌】からってこと?」
「そう。ま〜くんだって【SS】で頂点に立ったトップアイドルだからさ、流石に一回聴いたくらいでやられるほどヤワじゃなかったんだけど。でも何度も何度も盾になってれば、いつか必ず限界がくる。耐久度は、有限だからね」
 最期にそばにいてあげることも出来なかったんだぁ、と凛月が寂しく呟いた。
 Trickstarが全員行ってしまったという言葉には当然ゆうくんも含まれているのだろうけれど、そのことについてぎゃあぎゃあ喚くような元気は、泉の中に残っていなかった。それに、一度も姿を見ていないのに「もう死んじゃったんだよ」なんて言われたところで、到底納得も理解も出来ない。現実味が薄すぎて、遠い世界の出来事を読み上げたおとぎ話みたいだ。
「俺はね、ま〜くんを助けてあげられなかったの」
「……そう」
「不可抗力とはいえ……死に目にさえ、あえなかった。――だからこれは俺のエゴなんだよ、セッちゃん。セッちゃんが管理者を捜すのならそれを手伝う。この世界を終わらせたいのか、どうしたいのかは、わかんないけど……ともあれ、俺はね、セッちゃんの願いを叶えます。せめて最後に残ったひとたちが、手ぇ繋いで寄り添いあえたらいいなって思うから」
 ま〜くんの一番最後の言葉は、「一緒にいられなくてごめん」だったんだよ、と凛月が言った。それはあまりにも残酷な言葉だった。「せめて最後はりっちゃんのそばにいたかったな」。朔間凛月は今もその遺言を胸に抱えている。だから泉を、生き残りのところへ導くのだと言う。
 泉は凛月を見つめたまま眉間に皺を寄せた。凛月は自由にふわふわと浮かんでいるが、それはかりそめの幻にすぎなくて、本当は……雁字搦めの鎖がその身に巻き付いているような、錯覚を覚えた。
「……あんたさあ、それは、自慰行為って言うんだよ」
 悪態を吐くと、凛月は笑う。子供っぽく悪戯っぽく。「わざと」そんな顔を作っているんだろうなということは、火を見るよりも明らかだ。凛月は泉に負担を掛けまいとする時、そうやって表情を取り繕うことが多かった。そういうところに救われたこともあったけれど、今はその顔が無性に悲しい。
「見るに堪えない。悲しい自慰行為……」
「ふふ。そうかな。そうかもな〜。だとしたら……多分この世界に残ってるのは、もうエゴとオナニーばっかりだよぉ」
「……。死んだやつらの墓を無限に作ってる吸血鬼とか、確かにエゴの固まりだけど」
「――なーんて話してるうちに、はい、次のエリアに来たよ、セッちゃん。このあたりは……んと、『人形の館』かな?」
「ちょっと話逸らしてるんじゃ……――は? 人形の館?」
 ぴたりと移動を止め、凛月が振り返る。つられて顔を上げると、いつの間にやら巨大な洋館が目の前にそびえ立っていた。豪奢だがどこかレトロチックな月の館。今にも朽ちてしまいそうなものわびしい雰囲気と、傷一つない潔癖症が同居して、おかしな感じの建物だ。
「もしかしなくてもここに斎宮とかいるわけ?」
 呆然と館を指さして訪ねると、凛月が神妙な顔で頷いた。
「うむ、当たり。そして俺は兄者以外の奇人とはわりと縁もゆかりもないので、どうしたものかと考えあぐねている」
「はあ?」
「吸血鬼は招かれないと入れないので。多分斎宮宗に会うためには、少なからず縁のある水先案内人が必要。そして俺じゃ無理」
「……急に役立たずになるんじゃないよ!」
 重たそうな玄関扉がきっちり閉じられた屋敷の前で、ふたり、立ちぼうけである。泉は苛立たしげに舌打ちをし、かるく地団駄を踏んだ。この世界を脱出するには生き残った人間を順番に訪ねてヒントをかき集めていくしかなくて、今まさにこの館の中に生存者がいるとわかっているのに足止めを食うのは、ものすごくストレスが溜まる状況だ。
「あ〜、こんな時、ナッちゃんがいてくれたらなあ……」
 そんな泉から目を逸らし、凛月がまるで独り言のようにぼやいた。はあ、なるくんか。あいつなら確かに、宗のお人形である影片と仲が良かったし。間接的に、縁はあるだろう。斎宮とそれなりのクラスメートでしかなかった泉よりは……。
「……だからってこんなところに都合良く出てきたりはしないでしょ……」
「願えば夢は叶うよぉセッちゃん、セッちゃんも一緒にお祈りして? 俺一人じゃナッちゃんを召喚出来ないの」
「召喚て」
 いよいよファンタジーゲームじみてきた。ゲームはさりとてやったことのない泉だが、レオがごく稀にやっていたのを、少しだけ後ろで見ていたことはある。コストを支払って「召喚」魔法を使うと神話生物の名を冠した召喚獣たちが現れて手助けをしてくれるのだ。
 ああでも、この状況では藁にも縋りたい。泉は深々と溜め息を吐いて適当な召喚の呪文を唇の中で弄んだ。エロイムエッサイム、アスタ、ラ、ビスタ、ベイビー。いるなら助けて、なるくん。俺は斎宮に会わなくちゃいけないの。
「早くどうにでもな〜れ……!」
 両手を合わせ、自暴自棄に叫んだ。しっちゃかめっちゃかな呪文に何故か神道に乗っ取った祈願のポーズというチャンポンにも程がある組み合わせで、きょうびこんなやり方では悪魔召喚でも失敗しそうなものだが、空恐ろしいことに効果はすぐに現れる。
「――はぁい、アタシのことを呼んだかしら、い・ず・み・ちゃん☆」
 やけにハイテンションな声が響いて、泉の頬がツンと突っつかれる。泉は我が目を疑ってぱちくりとまばたきを繰り返した。何度目を閉じて開いても、見知った男の顔は視界から消えてなくならない。
「……本当に出てきたんだけど!」
「あ、おい〜っす、ナッちゃん♪ 元気だった〜?」
「ウフフ、元気かどうかはちょぉ〜っと言いづらいのだけども。泉ちゃんがや〜っとアタシを呼んでくれたものですから、無理して出てきちゃったわァ」
 鳴上嵐。なんだかんだ言って、レオがいない頃のKnightsを支えてきた大事なメンバーの一人。
 嵐は軽い調子で泉に飛びついてきて、「泉ちゃん、大丈夫よ、これからアタシも一緒だからね」なんて囁く。泉は目を瞑ってやれやれと息を吐いた。一体どんな理屈で突然ここに現れたのかは知らないけれど、この際そんなことはどうでもいい。鳴上嵐という存在に、なんだか無性に救われた気がしたからだ。
 凛月もそうだったけど、顔見知りの存在は泉の心をこの上なく慰撫してくれる。こんなわけのわからない世界の中で一人で歩いていけるほど泉は強くない。人間というのは本当に脆い生き物だ。身体は況んや、まず心が、寂しさに押し潰されるとすぐに砕けて散ってしまう。
 ふと泉は、森の奥で無数の墓と棺桶を守って一人過ごす零にほんの少しだけ想いを馳せる。
 あいつも、これから会う斎宮宗も。この歪に狂った世界で、一体どんな気分で生きているのだろう。


 嵐がコンコンとノックをすると、玄関扉はいとも容易く開き、三人を内へ招き入れた。館の中は薄暗く、緻密で精巧なお化け屋敷を思わせる。東京ディズ*ーランドにあるホーンテッド・マンションみたいな。いつ何時、幽霊のダンスパーティに出くわしてもおかしくないような、そんな雰囲気だ。
「さっきから迷いなくズケズケと進んでるけど、本当にこっちで合ってるわけ」
「多分ね。斎宮先輩、隠し部屋とか作るタイプの方ではなかったし。みかちゃんの気配を辿って進んでいるから、いずれは着くと思うわよ」
「気配気配って、くまくんもそうだけどさぁ、いつからあんたたちはそんな霊感体質みたいになったの」
「え〜、俺は昔からそんな感じじゃない?」
「うそこけ。連絡手段なくしたくまくんが衣更に見つけてもらえなくなって庭で死んでたの、俺ずっと覚えてるんだからね」
「うげぇ、それ超大昔の話じゃん。セッちゃんって本当ねちっこ……」
 益体のない雑談をして気を紛らわせつつ、震える足を叱咤して奥へ奥へ進んでいく。本当なら、こんな幽霊が出そうな場所には一分一秒たりともいたくないのだ、泉は。いや、幽霊とかそんな非科学的なものは存在しないんだけど。それはそうとして長居したい感じではない。 
 そうして、迷路のように入り組んだ館内部を、元来た道が分からなくなるまで歩いた頃。やっと、こうこうと灯りの照った部屋が目に入る。泉は一目散に走り、奥の間へ駆け込んだ。広々とした部屋はもともと書斎のようだったが、本よりも洋服や人形がびっしりと飾られていて、部屋全体のホラーテイストを助長している。
 その中央で、一人の男が革張りのソファに腰掛けていた。
 男は駆け寄って来た闖入者を認めても微動だにせず、厳めしい顔をして頬杖を突いている。
「……い、つき?」
 彼の腕を握ろうとして間近に寄り、その頭を確かめ、泉は振り上げた手を落としながら呆然と呟いた。
「……斎宮、だよね?」
 何、その格好。泉の目に映る斎宮宗は、そう訊ねることさえ憚られる、異形の有り様をしていた。
 Valkyrieのゴシック調の衣装に包まれた彼の頭部から、エナメル質の太く巨大な双角が生え伸びている。帽子の影が深く落ちた眼窩に嵌るのは、ぎらついた蛇のような双眸。そして豪奢な洋服の裾の先から、竜の皮膚に似た、ごわごわした手が覗いている。
 元々吸血鬼を名乗っていた朔間零の姿でさえ、異様に映ったのだ。元来は神経質で繊細なだけの人間である斎宮宗が変貌した姿は、あまりにも異質で、おぞましいものとして泉の目に映った。
 泉は怯えて視線を彼の下へ落とす。顔を見ていられなかったからだ。しかしすぐに、そのことをもっと後悔することになった。
「なにこれ」
 零れ出た声は言い訳が出来ないぐらい震えていた。
 豪奢なゴシックチェアに腰掛けた宗の足下に、等身大の人形達が何体も並べられている。――否、人形ではない。それは人間だ。蝋人形のように冷たい顔をした、蒼白い肌の、そして恐らくは永久に眠り続ける定めの死体たち。
 影片みか。仁兎なずな。紫之創。真白友也。天満光。
 泉も知っている、五人の子供たちが――見たこともないぐらい白く瀟洒な衣装を着せられ、この部屋に数限りなく置かれた人形と同じように、物言わず安らかに宗へもたれかかっている。
 まるで天使の骸たちのよう。肌も布地も、雪花石膏より透き通って生気がない。
「なにと問われても見ての通りだが」
 宗は溜め息を吐き、立ち尽くす来訪者の疑問に答えた。
「瀬名。再会を喜ぶ暇もないのは、まあ仕方ないとしてもだね。見ればわかるだろう、陳腐な問いかけをするものじゃあないよ。君の品格に関わる」
「あのさあ、品格とか格調とか言ってる場合!? だってこの子たち……その、し、死んでる、んでしょ」
「何をそんなに驚いている? この世界には今や、生きているものより死体の方が数百倍多いのだよッ。フン、影片も仁兎も、仁兎の子供たちも……僕のエリアで眠りに就いたのだ。それだけの話だろう。ならばせめて、美しい衣装を着せて安らかな最期を願ってやるのが、人形師と言う名の悪魔に歪められた僕の努めではないかね」
「……斎宮、あんた……」
 いつからこんなことしてるの、と口にすることが、どうしても出来ない。泉は唇を固く閉ざした。斎宮宗の顔色は酷く青ざめ、彼の方こそ、安らかな顔をした雪花石膏の亡骸たちよりずっと、死人みたいな色をしている。
 きっとこの男は死にたいのだ。
 何も聞いていないうちから、なんとなく、泉にはそう思えてならなかった。
「……ねえ。確認、するけど。あんたも、【破滅の歌】とやらを聴いて生き残っちゃったクチなんだよね。朔間みたいにさ……」
「ああ、そうだ。……君こそ、こんなところで何をしている? 生き残りがまだいるのは、感じ取っていたがね。まさかそれが瀬名だったとは、正直、驚きを禁じ得ないのだよ。僕の予想では、君は真っ先に斃れていてもおかしくなかったから」
「は? どういう意味……?」
「いや。ただ僕は、あの男≠ネら、Knightsのメンバーを――特に君をこそ――真っ先にやると思っていたから。あてが外れた気分がしているだけだ。
 ともあれ、君は生き残ってしまった。というか、殺してもらえなかった=Bそういう仮定で、話を進めた方が良さそうだ……」
 掛けたまえ。ぱちんと指を鳴らし、来客用の椅子を一脚取り出すと泉に座るよう促す。なんで一脚だけ、と思ったが、いちいち話の腰を折っていられる雰囲気でもなかったので、大人しく自分だけ腰掛けて宗に向き合う。
 宗はそれを確かめると、「こんな状況だから茶の一つも出してやれない無礼を許してくれ」と前置き、淡々と、彼の知っていることを語り始めた。


 ――生き残りとして活動している以上、君が求めているのはこの世界の情報だな。ああ、ならば僕は、君にいくつかの情報を与えねばならない。先に零に会っているようだが、どうせあれはろくに話をしてもいないだろうからね。
 この世界が崩壊をはじめたのがいつかということに関して、実は正確な記録は存在していない。我々の記憶と自意識が確立された時には、既にこの世は終わりを迎え始めていたのだから。
 ……そう、呪いだよ。零の言う通りだ。この世界は呪われている。
 ある時誰かが、この世を呪ったのだ。そして呪いはいつしか、歌のかたちを取った。君は【破滅の歌】を聴いたことがあるかね? そうか、ないか。まあ、あんなものは聴くに堪えんからねッ、その方が幸せだと思うけども。
 ともあれ。
 誰かはアイドルたちを殺し始めた。それはもう徹底的に、機械的に、事務的に。指一本穢すことなく虐殺を続けた。僕が思うに、誰かは、その行為に何の感傷も覚えていなかった。これだけの大量殺人を行っておきながら罪悪感も満足感も高揚も消沈も何も無い。あるのはプログラムじみた純粋な意志だけ。ゾッとするね――しかし悲しいかな、僕にはその誰かを、吐き気を催す邪悪と罵ることは出来ない。
 僕はね、瀬名、奴の気持ちが、わからなくもないのだ。
 僕は芸術を追い求める。ならばどれだけ巫山戯ていようと、芸術に精魂を傾けるこの所業を、悪し様に言うことは許されまいよ。
 …………。ああ、まあ、そうだね。そんな繰り言を今並べたって仕方がない。話を戻そう。「誰か」の狙いは、この世にある全ての命の終わりだ。すくなくとも僕はそう睨んでいる。奴はこの世界を壊そうとしているのだよ。
 何故世界を壊したいのかは、僕たちの誰も知り得ない。ただ、やりくちがあまりに大がかりで人間離れしているので、奴は「世界の管理者」と呼ばれるようになり……そして僕らは、奴が【破滅の歌】を歌っている場所を【終わりの塔】と仮定した。本当に塔があるのかどうかは知らないが。まあ、歌があまねく世界に届くのであれば、きっとそれは塔の形をしているだろうと渉が言うのでね。あとは、大アルカナの十六番かな……。渉は詩人だからね、そのあたりを掛けた洒落でもあるのだろうさ。塔と言えば、タロットでは唯一の、正位置・逆位置にかかわらず凶事を指し示す、必要悪と悲劇のカードなわけだし。
 ……話が逸れたな。「世界の管理者」と【終わりの塔】についてだ。
 単刀直入に言うと、僕は世界の管理者の正体を知っている。しかしそれを君に教えることは出来ない。
 ……嗚呼、そんな顔をするな、美しい瀬名! 君の美貌が台無しだ。うん、済まない。本当に済まない。僕だって出来る事なら君には全てを開帳して遣りたいよ。けどもこの身は、忌々しい制約めに縛られているのだ。
 僕ら奇人も、一度は人として死に絶えた身。生者に渡せる言葉は限られている。死者を看取る以上の行いは許諾されない。故に僕たちは「誰か」を「世界の管理者」と仮称した。
 なればこそ、正真正銘「人」として生き残っている君には思うところがあるし、協力するのは吝かではない。何より、君のような美しい人間を、こんな黴の生えた世界に閉じ込めておくのは、僕は、どうもね……。
 君は真実を知るべきだ。
 しかし同時に、これだけは覚えておいて欲しい。自由の定義は一つではない。僕は【破滅の歌】を肯定しないが否定もしない。判断は【終わりの塔】を登りきった時に君自身が下したまえ。
 世界を終わらせるか、生き長らえさせるか。
 君を残した時点で、奴めはそういう腹積もりなのだろう。ああ、忌々しいッ。


「以上だ。他に何か?」
 斎宮が長い長い一人語りを終えても、窓の外に見える空は明るく白んでいた。夜のない世界。自律神経がまともに動かない異常な空間。その中で佇む悪魔の帝王と目を開かぬ子供たち。
 泉は顔を手で覆い、ちいさく息を吸った。
「……少し待って。頭の中整理したい……あんたの言うこと、小難しいし。要するに、いつか誰かがこの世を呪って、【破滅の歌】を作った。あんたたち奇人は、便宜上その誰かを『世界の管理者』って呼んでて、いちおうその正体は知ってるんだけど、俺には教えられない、と」
「いかにも」
「その理由が、死に対するペナルティ……? ……あのさぁ、『人間としては死んでる』云々ってなんなわけ? 朔間も言ってたけど、全然意味わかんない。あんたたち、見た目はすごいことになってるけど別に俺と会って会話出来てるよね?」
「ノンッ。瀬名、この世界における死というのは些か特異なものだ。死体は朽ちることなく、魂を抜かれた亡骸として永遠に残る。更に人間の魂にはいくらかの権利が内包されている。真実、自由、そして愛。ただし怪物の魂はこれに類さない。怪物には義務だけが紐付けられている」
「つまり、なぁに。あんたはその怪物だって言いたいわけ」
「これが怪物でなくてなんだというのだね。僕らは物言わぬ屍、死者に赦されしは奴隷の幸福のみ、というわけだ」
 僕だって仁兎や影片を守ってやりたかった、と宗は青ざめた唇で呟いた。
 その声色を聞き、泉はきっぱりとそれ以上の追求を止めようと思った。この男にこれ以上何を訊ねても仕方がない。顔の青さに反して語り口が達者なのでつい忘れそうになってしまったが、斎宮宗はもう限界なのだ。死にたがっているみたいだ、という直感はきっと当たっているし、大切なひとたちをこんな形でしか看取ってやれなくて、酷く辛いはずだ。
「……辛かったね」
 泉が言うと、宗は、「ノン」も「ああ」もなく、少しだけ肩を落として見せた。
「……正直に言えばね。弱った自分を認めるのは癪だが、精神状態にがたがきているのは事実だ。零はまあ……あの口調になった時点で、一度壊れていたような節があるから、たいして、変わっているように見えなかったかもしれないが。死を看取り続けて自分は眠ることも許されないという状況は、存外手ひどい拷問に似ているよ」
「だろうね。ごめん……俺、あんたに酷いことさせてる?」
「いや。零の真似をするわけではないが、生者の手助けぐらいしか、もう死者には愉しみもないから。――ああ、だけどね瀬名、どうかこれだけは約束してくれないか」
「なに?」
「歌を聴いてもあれを恨んでやるな。あれは信じられないほど愚昧で阿呆だが、しかし、君を愛していることに変わりはない」
 それから斎宮宗は、冷たくごつごつした竜の指先で泉の手をそっと握り止め、「君を独りで行かせてごめん」と呟いた。
 その時泉は、豪奢な椅子に腰掛ける、高校三年生の男の子の死体を幻視した。角が生え竜の表皮に覆われ、蛇の眼をした悪魔ではなく、生白い肌に神経質だが輝きに満ちた双眸をもち、繊細緻密な芸術を生みだし続けていた、誇り高き芸術家の遺体をそこに垣間見た。朔間零が守る墓地と違って墓も棺桶もなかったけれど、ああ確かに、この男はきっともう死んでるんだと確からしく感じた。そして死して尚泉を待っていてくれたのだと、直感した。
「斎宮、ありがとね」
「フン、礼など求めていないよ。それより、君が次に目指すべき場所だが。まずはこのエリアを抜けて噴水迷宮を目指したまえ。そこにいる奏汰なら、【終わりの塔】の場所を知っているはずだ」
「深海奏汰ね。わかった。……何か伝えておくこととか、ある?」
「……いや、遠慮しておこう。君に会えたことで僕たちは少なからず浮かばれた。そう遠くないうちに再会は果たされるとも」
「そっか」
 椅子から立ち上がる。踵を返し、何も言わずじっと黙っていた凛月と嵐に声をかけようとしたところで、泉はふと思うところがあり立ち止まった。ポケットの中で折りたたまれた手紙が揺れている。
 この男は生きているのだろうか。
 それとも。あいつも天才だったから、奇人たちのように、人間の尊厳を奪われ、才能の奴隷になって、怪物として生かされているのだろうか。
 だとしたら助けたかった。
 手を握って、一人じゃないから大丈夫だよって、言ってあげたかった。
「ねえあんた、王さまの居場所は知らない?」
「月永か?」
「そう。朔間はあいつが書いたっていう手紙を持ってたんだけど。斎宮は、何か知ってる?」
「――フンッ! 知るか、あんな大虚けのことなど。考えただけで虫唾が走るのだよッ!!」
「あ、ああ、そう……? ごめんね、じゃあ俺、行くから」
 けれどそれを訊ねると、宗は露骨に語尾を荒げ、しっしと泉を追い払う仕草まで始める。……まあ、元々宗とレオは馬が合わなかったしな……。泉は宗の不可解な態度を不問とし、二人に声を掛けると人形たちの部屋を後にした。


「……で、あんたたち一言も喋らなかったけど。いいの?」
 入り口へ戻る道すがら、泉は決まり悪く訊ねる。宗はまるで嵐と凛月をいないもののように扱い、二人も、それに異を唱えなかった。嵐は、まあ、仲の良いみかのあんな有り様を見せられたのだから、何も言えなかったのかもしれないとして……凛月がずっと黙っていると不気味で仕方ないのである。泉が知る限り、凛月はかなり好戦的な人種だ。
 けれど泉の疑問をよそに、凛月も嵐ものんびりした調子で泉の声に応える。
「べつに〜。みかりんやなずにゃんとは割かし親しかったし、は〜くんのことも大好きだけど。だけど俺が何か口出ししたからって、事実は特に引っ繰り返らないじゃん。死んだ人は生き返らない。この世界でも、それは同じ」
「わかんないよ? この世界がゲームのプログラムだとしたら、死者蘇生だって十二分に有り得るでしょ……」
「あらぁ、ゲームだから生き返るって考え方は、短絡的よォ。きょうび、死んだら生き返れないデスゲーム〜みたいな設定、ありふれてるわけだし。――まあそんなことより、今は次の目的地よねェ」
 噴水迷宮って言ってたかしら。あっけらかんとした口調で嵐が言う。みかの死体に驚いたりショックを受けている様子は、それほど見られない。
 泉は拍子抜けしてしまって、「あ、そう」なんて気のない返事をしてしまった。まったく、こいつらは本当に何を考えているんだろう。何か知っているふうなのに、大して教えてくれもしないし……。
 そうやってぐるぐる思案を重ねていると、嵐が「そんな怖い顔しないの!」と泉の肩をバンバン叩いてからからと笑う。
「さ〜て、ここからが大仕事よォ? 泉ちゃん!」
「は? いや、何?」
「俺たち、ス〜ちゃんを探さなくちゃなんないからね〜。終わりの塔に突入する前に、なんとか見つけなくちゃ。四人パーティが、ラストダンジョン突入条件なのです……☆」
「ちょっと何言ってるのかよくわかんない。なに? 召喚の次は、ダンジョン? やっぱりゲームなんでしょこれ?」
「さあ? まあ、でも。基本、謀反は下策だよねって今更ながらに噛みしめていたり。『世界の管理者』さんは容赦がないからな〜」
「何言ってんだか……って、ああもうっ、待ちな、この不思議ちゃん吸血鬼!」
 長かった洋館を抜け、ふわふわ浮かんでさっさと進んでしまう凛月を足早に追いかける。その後ろから嵐がばたばたと駆けて来て、門扉を通り越し、そして二度と、洋館の方を振り返りはしなかった。
 だからそのことを泉は知らない。
 朽ちた屋敷に苔むした壁、蔦の張った硝子窓。ようやく許しを得て眠りに就いた、悪魔の帝王が住む館の末期を――誰も知らない。