暁の小鳥:03



 セイラは孤児である。
 生まれてすぐに、傭兵団砦の入り口にバスケットに入れられて棄てられていたそうだ。
 そんなセイラを拾い育ててくれたのが、先代団長であるカイルの父。
 セイラはカイルと兄妹のように育ち、また傭兵団の仲間たちはセイラを可愛がってくれた。
 だからセイラはこの団が好きだ。カイルの傍で、守り続けていきたい。
 そんな彼女が憧れを抱いているのが、二代目団長の参謀――「静寂の風使い」、である。



 それはまだ、セイラが六つかそこらの頃の話だったか。幼いながらに聡明だった彼女は当時の参謀――カイルの母の手伝いをして、書類の整理をしていた。
 そんな折にふと見付けたのが、書庫の奥底に埋もれていた古めかしいファイルだった。
「ベグニオン歴……648年」
 今から200年も前の日付。それは紛れもなく、蒼炎の勇者のサーガが生まれた年、女神を勇者が倒した年を指し示していた。
 この団が長い歴史をもっているのも、蒼炎の勇者その人が二代目団長であったことも知っている。けれどそれは「そうらしい」と伝え聞いただけの上辺の知識だ。
「ほんとうに……あったんだ」
 そう思うと、紙束と相違ないはずのそのファイルが妙にずしりと重くて。
 セイラはこっそり、そのファイルを自室へと持って帰った。


「しゅうし報告と……いくさの、記録」
 どの書類にも「Ike」と直筆でサインがしてあり、その手のマニアに売ればかなりの高額になっただろうが……セイラが惹かれたのはそこではない。
 丁寧かつ正確に報告を綴る几帳面な文字の並び。
 参謀、軍師として書類を担当した旨を記す名前の欄には、「Senerio」と素っ気なく記されている。
「蒼炎の勇者のそばにいた人は、セネリオっていうんだ」
 セイラは感慨深げにそう呟いた。

 カイルが蒼炎の勇者に憧れを抱いているのはセイラならずともよく知るところだ。団長室に掛けられている肖像画を見てはおれもああなりたい、と力強く言うのである。
 実際カイルなら、いつかそうなれるとセイラは思う。
 そしてその時は、彼の軍師として補佐をしたいというのが目下セイラの願いだった。カイルの母がよく言い聞かせる蒼炎の勇者の軍師のように。


「私たちはね、いつも先代の参謀の背を見て学んできたのよ。私は先代の、先代は先々代の、先々代はその更に先代の背中を追って仕事を覚えてゆくのね。だからやがて仕事を継ぐあなたは、今までの参謀役全ての背中を私を通して見ているのよ。そして最後にその視線は、あの人に辿り着くのね」
「あのひと?」
「傭兵団の一番最初の参謀役。優れた戦術眼を持っていたという蒼炎の勇者の軍師よ」


 その人が記した文字が、今セイラの手の中にある。それが無性に嬉しくて、セイラはファイルをぎゅうと抱き締めた。
「わたしも、セネリオさんのようになる」
 それは生まれて初めてセイラがした、自身への誓いだった。



◇◆◇◆◇



「構うもんか! デインへ向かう!」
「落ち着いてくださいカイル! 将が冷静さを欠いていては勝てる戦も落としかねません、クリミア王家の方々を保護できただけでも光明があると言えるのですから!!」
「でもっ……」
「行かないとは言っていません! ですが準備を整えなければ、やられるのは私たちです。幸い反乱軍の狙いは王族や皇家のみ。向こうが民々を人質に押さえられない以上、まだ勝機はあります!!」
 今にもデインに単騎で突っ込んでいきそうな勢いのカイルを全身で抱き止め、セイラは叫んだ。
 親書を王家に宛て、それからグレイル傭兵団は一先ずクリミア王都メリオルへ向かった。王家に許可を願い、王宮軍とともに反乱軍の掃討をしようとカイルは考えていたのだ。
 だが予想外のアクシデントが発生してしまった。
 クリミア王宮軍の大半が、反乱軍の構成員となってしまっていたのである。
 なんとかクリミア王家の面々は保護したものの、追っ手の数は凄まじくそう長期間防ぎきれるものではないと思われた。
 確かに練度はこちらが格段に上だ。だが、質で覆せる数には限度というものがあるのである。
「セイラの言う通りですよ、カイル」
「エルランまで……」
「退き所を将が弁えなければ、その隊は全滅する他ありません。あなたは今、グレイル傭兵団とクリミア王族を揃って滅ぼす決断をしようとしているのです」
「…………」
 エルランに額を押さえながら諭され、カイルは黙り込んでしまった。滅ぼす、という言葉はやはり重い。
 けれどデイン王家、ひいてはベグニオン皇家が心配で心配でたまらないのは確かな気持ちなのだ。三王皇族と付き合いのあるカイルにとっては他人事ではない。
 クリミアを助けられた。ならばデインと、ベグニオンも。それは当然の思いだった。
「……納得がいかないようですね」
 エルランはどこか懐かしそうな顔でふふ、と微小する。よく燃える蒼の瞳。かつても見たものだ。
 今もまだ、彼の瞳は燃えているのだろうか。
 そう考えてふとエルランは、ちょっとした遊びを思い付いた。


「ならばカイル、奇跡を起こしましょう」
「は?」
「な、何を仰っているんですか、エルラン様」
「言葉の通りですよ、セイラ。デイン王都にて奇跡を起こしましょう。上手くいけば今のままでは切り捨てざるをえない犠牲をなくすことが出来ます。賭けですけれどね」
「――駄目です! 軍師として、そんな危険な可能性にすがることは許可しかねます!!」
 賛同しかけたカイルの口を無理矢理塞いでセイラはそう叫んだ。初めからセイラはなんとなくエルランを避けていたのだが、ここに来て彼への不信感が暴発する。
「奇跡だなんて曖昧な言葉に私は頼りません!」
「……すみません、セイラ。言い方が悪かったみたいですね」
「言い方とかそういう問題じゃありません。先ほどあなただって仰ったじゃありませんか。退き所を弁えなければ全滅しかねないと!」
「ええ。ですが、その問題は私がこの身を持って解決を保証します」
 エルランが静かにそう言うと、彼のまわりに無数の何かが沸いて出た。透明なそれはゆらゆらと動き、エルランのまわりを囲む。
 セイラは息を呑んだ。文献で目にしたことはあったが、実際にそれを見たことは今までにない。それは酷く難しい術からなるものなのだ。
「……精霊……」
 震える声で、セイラはその名前を口にした。
「その通りです。デインまでの道中、私も全力であなた方をバックアップしましょう。強引ですが、恐らくそれで活路が開けます。――カイルを見ていたら、久しぶりに彼らに会いたくなってしまったのですよ」
 エルランに名前を呼ばれると、セイラに口を押さえられたままのカイルが、もごもごと口を動かしながら不思議そうに自分を指差した。



◇◆◇◆◇



「信じられません……なんでまた急に、こんな無謀な行動に出たんですか」
「これは……暴挙としか言いようがないわ」
「……言ってやるな……」
 魔導師二人が辛辣な感想を述べる中で、何故かアイクだけは頭を抱えて踞っていた。
 場所はデイン領内の山岳中腹。その麓を行軍するグレイル傭兵団をセネリオとミカヤの魔術でスクリーンに映し出すようにして、山頂で見ているのだ。
「"千里眼"に監視を頼んでおいて正解でしたね」
「そうだな。まさか万が一が現実になるとは」
 アイクは深い溜め息を吐いて参謀の言葉に賛同した。



 ラグズ諸国は、ベオクそのものとの友好同盟を結んでいる。よって此度の内乱には手出しをしない。
 それが三王及びその付人が出した結論だった。
 現王家が打倒されようが、されなかろうが、絶対中立を守る。かつてのクリミア再興の時などとは状況が違うのだ。それは当然の判断だった。


「ただ、気になるのはグレイル傭兵団の動きでなー。あそことは縁も深いし、死にそうになるのをほっぽっとくのは流石に後味悪いんだよ」
「そうだな。表立って俺らが動くことは出来ん。だが……助力ならしてやれんこともない。どうせお前ら、動向を見て場合によっては助太刀するつもりだろう? ヤナフとウルキを持っていっていいぞ。こいつらの有能性は知っているだろう」
「ああ。すまないティバーン。恩に着る」
「構わん。今のところこいつらがいんと困るようなこともないしな」


 そんな流れで千里眼と順耳風を鷹王より借り受けたアイクなのだが、結論から言ってそれは大正解だったと言わざるをえないだろう。
 一応リワープの杖なんかは持っているとはいえ、正直そんな馬鹿げた行動を取られると即座には対応出来ない。
「どうします、アイク。このまま彼らがデイン王都に突っ込みなぞすれば、間違いなくベグニオンとクリミア両サイドから挟みうちにされてしまいます。……グレイル傭兵団がクリミア王族を保護しているというのは、結構な噂になっていますから」
「私の方でもその話は聞いたわ。私刑寸前の王族を救い出したんだ、まるで"救国の英雄"の再来みたいだ――っておばあさんが話してた……。どうもこの反乱軍、国民からの支持は低いみたい」
「それと彼らの生存確率は別問題ですよ。力を持たない平民がいくら盾となったところで無駄な死体が増えるだけです」
 セネリオとミカヤの言及にアイクはしばし唸り、目を閉じた。アイクは歴史の表舞台から姿を消した身だ。本来ならばもう二度と表舞台に出ることは許されない。
 けれど。
「……。セネリオ、一番危険性が高い場所は王都で間違いないんだな?」
「? ええ。誘い込む形で楽に布陣を敷けますから、少なくとも僕ならそうします」
「なら、そこへ先回りして待機だ。本来は良くないことかもしれないが、本当に危なくなったら介入しよう。俺は馬鹿だからな。見過ごすことは出来ん」
「……あなたらしいですよ」
「ええ、とてもアイクさんらしいと思います」
「そうか、なら異存はないな」
 二人の魔導師は、満足気に頷いた。