暁の小鳥:04 デイン王都。 そこを走る、蒼い髪。 その背中に付く黒髪。 「……懐かしい光景だねこりゃ。昔の将軍たちにそっくりだぜ」 「そうか、昔はああだったのか、俺たちは」 「今も変わらないですよ」 "千里眼"ヤナフがニヤニヤしながら言う言葉に真顔で頷くアイクを更に、ミカヤが肯定する。セネリオはなんだか嬉しいような恥ずかしいような複雑な気分になって、気を紛らわせようと魔道書のページを捲った。 グレイル傭兵団の面々は、かなり善戦していた。粗は残るものの、団員それぞれのポテンシャルを正確に理解したほぼ最善の布陣を敷いているだろうことは一目で理解できる。相当の策士がついていることは確かだった。 そしてその策士が恐らくは――若き団長の背を預かる、あの黒髪の少女であろうことも。 「……残念です……僕が指導してあげられれば……彼女はもっと伸びる」 「同感だ……俺が鍛えてやれれば、あいつの剣はまだ良くなる」 「だったら教えてあげればいいじゃないですか」 「そういうわけにはいかんだろう。俺はもう、あまり干渉してはいけない立場にいるから」 「そうですか? ……でも、きっとアイクさんは彼らに干渉しますよ。堪えきれなくなって。なんとなく視えます」 「……妙に背筋が寒くなったぞ、ミカヤ」 女性らしい所作で可愛らしく笑うミカヤにアイクは言い知れぬ何かを感じて、知らず汗を垂らした。 ◇◆◇◆◇ 「はあああああああっ!!」 「――ッカイル! 左斜め向こうにブリザード兵です!」 「了解、一瞬頼むセイラ!」 預けていた背中を離し、遠距離魔法を扱う面倒な魔導師を討ち取りに走る。この距離なら討ってすぐに帰れるだろう。セイラを長く一人にするわけにはいかない。 「くそっ……それにしたってキリがない……!」 悪態をつきつつ、カイルは地を駆け剣を振った。 事態はまあ概ね想定していた通りだった。デイン反乱軍は数が多く、元来武勇で馳せる国であるゆえにクリミア反乱軍よりも数段強い。しかも王都を守っていたのは、生半可な実力なら敵対した瞬間に殺られかねない精鋭集団だ。 グレイル傭兵団が今何とかこの体勢で応戦出来ているのは、単にセイラの策が上手くはまって増援を足止め出来ているからだった。 でも、その足止めも所詮は一時しのぎだ。どこまで持つかはわからない。 「奇跡とか……期待してたら死ぬってエルラン……!」 一閃の元に切り伏せ、バックを取られないよう警戒しながらセイラの元へ戻る。 ちなみに、デイン王族の保護はエルランに一任した。つまりそれはデイン王族が死ぬことはないがカイル達はその限りではないということだ。 自分の命は自分で守るしかない。 しばらくの間、傭兵団とデイン反乱軍との間では硬直状態が続いた。互いに引かず譲らず、命を賭けた接戦が続く。 しかし一刻程続けた後、カイルは変化に気付いた。 (……数が減ってきた?) 持久戦と化し、補給がきかないカイル達は相当に消耗している。仲間の司祭は優秀だが、それでも限度があるのは考えずともわかることだ。 そのはずなのだが、あまり苦しさがない。敵の総数が減っているのだ。 (そんなわけが……) 有り得ない事態にカイルの意識は確実に身構え、警鐘を鳴らす。しかし体の方はそうもいかなかった。一瞬の安堵を受け、動きが鈍ってしまったのだ。 「――カイル!!!!」 セイラの叫び声が、響く。 本当に敵の数が減っていたのならば、カイルが遅れを取ることなどなかっただろう。カイルとて蒼炎の勇者の後をゆくもの。それなりの才と鍛錬による実力は将軍クラスのものだ。 しかし、そんな都合のいいことがあるはずがないのである。増援は既にセイラの策を突破し、到着していたのだ。 出てこなかったのは、単に油断を誘うため。 効率良く敵将の首を掻くため――! 「南無三ッ……」 増援の量は信じられないものだった。 前方、デイン反乱軍。 左方、クリミア反乱軍。 右方、ベグニオン反乱軍。 最も恐れていた挟み撃ちの状態。 カイルは諦めに似た台詞を吐きながら剣を握る手に力を込めた。 絶体絶命の状態でも、降伏という選択肢は彼の頭の中にはなかったのだ。 そして三軍がカイルめがけて突進してきて、最早これまでかと思われた時―― 烈風が巻き起こった。 ◇◆◇◆◇ 「なん……で……」 はっとして意識を取り戻し、脈打っている己の心臓に気が付いてカイルは呆然とそう漏らした。 あれだけの数に囲まれたら、まず間違いなく死ぬはずだ。勝機どころか生存確率すら虚無に等しい。 しかし事実に驚いているのはカイルを襲った敵兵も同じようだった。 「貴様……何者……」 「喋るな。死ぬぞ」 「馬鹿な……。グレイル傭兵団にこれ以上の戦力なぞ……無かったはず……」 「まあな。基本的には助けないつもりだったから、その判断は間違っちゃいない。悪いな」 妙に懐かしく感じる声に、カイルは慌てて顔を上げる。目の前に一人の男が立ってカイルを守っていた。 緋のマントが悠然と広がり、はね気味の蒼い髪が風に揺れている。 そして右手に、端整な造りの美しい剣。 カイルはその剣に見覚えがあった。カイルが大好きな絵に描かれていたものだ。 幼い頃から、憧れていた人が手にしていたという剣。 「神剣……ラグネル」 ともすれば、この男は。 「俺は"グレイル傭兵団団長"のアイク」 名乗りとともに、下を向いていた剣が空目掛けてゆるゆると振り上げられる。 「命が惜しければ全員武器を仕舞え。反則かもしれんがな、俺だって後進はかわいい」 「貴様ッ何のつもりでそのような馬鹿げたことを――」 「ええ、馬鹿げていますとも。アイクに刃向かおうなどと考えるあなた方がね」 あんまりにも傍若無人な物言いに激昂した反乱軍将校の一人が、剣を抜き馬を駆ってアイクに向かって突進してくる。しかしアイクは剣を動かしすらしなかった。彼は判っていたからだ。 最も信頼を寄せる風使いが、言わずとも風切りの刃を放つことを。 一瞬の後に将校が倒れたことで反乱軍にどよめきが広がる。 「アイク。左方クリミア反乱軍鎮圧終了しました。――ご命令を」 「アイクさん、こちらも右方ベグニオン反乱軍鎮圧終了です。どうしましょう?」 「了解、ご苦労。……さて」 疲れたのか面倒になったのか、アイクは掲げていたラグネルを下げた。しかし反乱軍は――傭兵団側もだが――一歩も動くことがままならない。 中央のアイクも、その後ろに控える魔導師二人も、ただ立つだけでその場の人間を圧倒するのである。 おもむろに、アイクが口を開く。 「"蒼炎の勇者の名をもって"、一月の休戦を勧告する。勘違いするなよ。これは忠告ではなく命令だ」 鋭利に細められた瞳にそう睨まれて反抗出来る人間などいるわけがないのだと、後にこの場に居合わせた者たちは語ったという。 ◇◆◇◆◇ 「おやまあ……派手にやりましたね」 若干離れた場所で成り行きを見守っていたエルランは、嬉しそうにそう呟いた。 「こちらの目論見通りすぎて些かつまらないといえばそうですが、まあ上々――でしょう」 少なくとも、彼らがまだくすぶってなどいなかったということは証明できたのですしね、と黒き鷺の民は笑う。 「すみませんが、グレイル傭兵団と合流した際にこの包みを団長に渡しておいてください。エルランからの餞別です、ということで」 それだけ言い残すと、エルランは突然そこから消え失せた。 その後のエルランの消息は、ようとして知れない。 ◇◆◇◆◇ 「救国の英雄」「蒼炎の勇者」アイク。 「稀代の女王」「暁の巫女」ミカヤ。 人々はこの二人を、「二英雄」と尊敬と畏怖の念を込めて呼んでいる。 だが彼らは勿論、200年も昔の人物だ。その存在は過去のものでありまた、伝説上のものである。 ――そのはずだった、のだが。 「肉が足りん」 「アイク団長それ俺の! 俺の肉!」 「覚えておけカイル、世の中弱肉強食だ」 「……アイク。僕の分を差し上げますから、そういうはしたない行動は控えていただけませんか」 「すみません……明日から量を二倍にします……」 「あなたが気を遣う必要はないと思うわ……」 英雄と食卓を囲むという異常事態に若干の疑問符を浮かべつつも、夕食は粛々と進んでいた。 セイラが見たところ、特に肉の減りが異常に早い。カイルがよく食べるのでそもそも多めにしてあるはずなのにもう皿は殆ど空だった。 恐るべし蒼炎の勇者の胃袋。 そんなことを考えてから、大分お腹いっぱいになったと感じたセイラは、改めているはずのない人達の姿をじっと見た。 カイルをそのままそっくり成長させたような蒼髪の男性は蒼炎の勇者アイク。 銀色の髪を青いリボンで留めている女性が、暁の巫女ミカヤ。 そして長い黒髪を後ろで束ねた美丈夫が、セイラが尊敬してやまない静寂の風使いセネリオ。 ともかく、あまりにも顔触れが豪華すぎて、夢のような幻のような光景であることは確かだった。 「……アイク団長」 「なんだ」 「団長は――蒼炎の勇者は、200年も前の人間だろ。どうしてそんなに若いんだ?」 肉を食い荒らされてしまい、箸が鈍ったカイルは手持ち無沙汰になってしまってなんとはなしにそう聞いた。唐突な質問にアイクは一瞬きょとんとした顔をするが、すぐに何か企むようなニヤニヤ顔になる。カイルは何か嫌な予感を感じて無意識に後ずさった。 「知りたいか?」 「し、知りたい」 「じゃあ、俺から一本取れ」 「は?」 何を言っているんだこの人は、と怪訝そうな顔で冷や汗をだらだらと垂らすカイルにお構い無く、更にアイクは続ける。 「おまえの剣の腕は悪くないが、まだ未熟だ。勿体ないと思った。だから教えてやりたいとも」 「……団長、俺馬鹿だから話がいまいち読めない」 「ええと……ですからね、カイル」 理解することを綺麗さっぱり諦めたとおぼしきカイルに溜め息を吐いて(もういっそ清々しいくらいだ)、セイラは彼に説明をしてやる。 「アイク将軍はあなたに稽古をつけて……その上で、稽古中の勝負で一本取ってみろと、そう言われているんです」 |