暁の小鳥:05 先月、デイン王都に蒼炎の勇者が現れた。 聞けば後ろに、暁の巫女と静寂の風使いを従えていたとか。 そして現れた彼は愛剣ラグネルの一振りでその場にいた軍人みなをを地にひれ伏させたとか―― それが今、テリウス大陸中でまことしやかに囁かれている噂の概容だ。 「まあまあ、予想通りの尾ひれの付き方ですね」 誤算は僕の名前が出てしまったことですか――と言い、セネリオはティーカップをテーブルに置いた。 「あなたの威光は今日も健在のようですよ、アイク。……ああ、それとラグズ王の方々から『やりやがったな』との伝言です。鷹王なんて大笑いしてましたよ」 「あー、うん、だろうな……」 「まー結局アイクはアイクだったってことだろ。はははっ、一瞬理知的に見えたアレはやっぱ幻覚だったのかね?」 「うるさい、ライ」 会話に割り込んできた青猫はライだ。どうもガリア本国が平和なのをいいことに、面白そうだというだけで遊びに来たらしい。こんなんでも獅子王の補佐なのだが、果たして大丈夫なのだろうか。 「でも、ま……その気持ちはわからなくもないな。あれは手出ししたくもなるさ。本当によく似てる」 「昔の自分を見ているみたいで恥ずかしい時もあるけどな」 ライが視線で示した先には、剣の修行に励むカイルの姿があった。蒼髪を汗で濡らし、一心不乱に打ち込む姿はこの傭兵団にとってはお馴染みの光景だ。 今も、二百年前も。 「あの参謀の子もセネリオにそっくりだよな。まあ幸いと言うべきか、セイラは女の子だったけどな」 「……ライ。僕の性別にご不満が? 男では、アイクの隣にいてはいけないと? レクスフレイムで焼いて差し上げます。少し表へ」 「タンマタンマッ、んなこと言ってないって!!」 「今のはライが悪いな。だがセネリオ、レクスフレイムは流石にまずいだろう。ボルガノンぐらいにしといてやれ」 「セネリオのエルファイアーは並の魔導師のレクスフレイムを遥かに超える威力だって、解っててそれを言うのかアイク……」 「それを言うならお前だって並の兵士じゃないだろう? ボルガノンぐらいならギリギリ生きていられるはずだ」 「あのなあ……」 ぬけぬけとそんなことを言い放つアイクに、不安から汗だくになりながらライは深く息を吐いた。 状況は概ね良好だった。むしろ予想より大幅に良かったと言えるだろう。 偉大なる英雄とはいえアイクは過去の人間だ。そんな彼が再び表舞台に姿を現したところで、人々への信憑性は薄いんじゃあないかと危惧していたのだが、そんな心配は無用だったようなのだ。 そもそも敵上層部は三王皇家と繋がる有力組織としてグレイル傭兵団をかなり重く見ていたらしく、あの場には各国反乱軍のトップがきちんと出てきていたというのが大きかった。あの場に居合わせた人間ならば、アイクの重圧に触れた人間ならば、彼を偽物だと思うことは出来ようもない。 あとはそれに付け込んで、セネリオが噂を操作した。蒼炎の勇者が再び大地に立ち、剣を振るったのだと。一般の民々にその噂が浸透してしまえばこっちのものだ。 その状況で手出しをしようものならば、民々は反乱軍をよく思わない。それにそもそも反乱軍所属者たちの中には蒼炎の勇者に憧れて武器を取ったような人間も多い。憧れの英雄に牙を剥ける人間はそうそういなかった。 蒼炎の勇者を打ち破る自信があるのならば、その限りではないだろうが。 「本当はこの名前を使うのは嫌だったんだけどな」 カイルたちを助けに飛び込んでいく打ち合わせをする時、アイクはそうぼやいた。 「一人歩きして、神聖視されているこの浮き名自体あまり好きじゃないんだ。俺はそんな大層な人間じゃない。いつだって、ただ守りたいものの為に無我夢中で剣を振っているだけだった」 「……すみません。でも、一番効力のある方法がそれなんです。確かに僕たちが力ずくで介入すれば、反乱軍を壊滅させることは出来ます。でも、それは」 「わかってるさ。それは流石にやりすぎだ」 この時代の人間に任せなきゃ、意味がない。圧倒的な力でねじ伏せるのではなく、自分たちで納得させなければ問題は解決しない。 子供同士の喧嘩を親が無理矢理裁定したところで、上手くいかないのと同じ理屈。 「だからそれぐらいは我慢する。そもそもが俺の我が儘なんだから」 「……アイク」 「そうですね。この場合は――これが最善でしたから」 「そういうことだな。それじゃ……行くか」 久々の戦場だ――と呟く青年は、口端で薄く笑った。 「蘇る英雄か……。まるで神様だな、アイク。街じゃおまえの再臨を祝ってとかいう名目で大セール中だぜ。なんか買いに行ったらどうだ?」 「やめてくれ。俺はそういうのは好きじゃない」 「知ってる。ただの冗談だ」 けらけらと意地悪く笑って、青猫は蒼髪の彼の肩に手を回す。 「そんじゃ、オマケにもう一つ。『蒼炎の勇者は後継を育ててこの内乱を潰す気だ』っつう噂が各国兵士の中で急激に広まった。――どこまでおまえらの目論見だ?」 「……五割、というところです」 セネリオは彼にしては珍しく歯切れの悪い返事を返し、そしておもむろにライの手をアイクからはねのけた。 「……意外だな」 「想定外、でした。それを広めるつもりは今はまだありませんでしたから。不確定要素が何か僕たちのわからないところで働いているとしか思えない」 「セネリオにすら計りきれない要素か。ろくな予感がしないな」 「ええ。本当に」 叩きつけられた挑戦状に眉根を動かし、獰猛な表情でセネリオは嘯く。 「ろくでもない――」 般若の表情に、アイクとライは思わず"不確定要素"の身を案じた。 ◇◆◇◆◇ 「ほら、立て。まだ終わらんぞ」 「望む……ところだっ!」 アイクの一閃を受け損ね、大きく体勢を崩す。だがすぐに立ち上がって、また剣を構える。 模擬訓練の真っ最中であった。 アイクの装備は無論訓練用の剣だ。ラグネルは鞘ごと腰にさがったまま、ゆらゆらと揺れている。 対するカイルが握っているのは実戦用の重たい剣だった。これは慣れる為、と言ってアイクがそうさせているからだ。 それから二刻ほど飽きもせず二人は訓練を続けた。 「よし、今日はこのくらいにして休め。もうすぐ夕方だしな。書類とか溜めてないか?」 「セイラがせっついてくるから大体大丈夫……。あー、ほんっと強いな団長は」 「おまえとは生きている年数が違う。そうそう同じところに立たれてたまるか」 「子供みたいなこと言うな、団長……」 カイルが疲れたようにそう言うと、アイクは子供で構わん、だなんてのたまってカイルをひょいっと担ぎ上げた。 「うわ、何してんだ団長!」 「んーいや、疲れてるみたいだしな。担いでってやる」 「むぅ……」 少し不満そうな顔を覗かせながらも、カイルはそれに反抗しなかった。父さんみたいだ、と顔を若干緩ませる。 今はもういないカイルの父も、こんな風に自分を気遣ってくれる人だった。 「……団長はさ、何であの時俺を助けてくれたの?」 おもむろに、カイルが切り出す。 「団長、本当はもう表舞台には顔を出さないつもりだったんだろ?」 「まあそうなんだがな」 片手でひょいとカイルを担いだまま、アイクはぽりぽりと頬を掻いた。 「俺に子供がいたら、あんなふうなのかと思ったらほっとけなかった」 「……子供、いないんだ?」 「そういう体質なんだと思う。子供は出来ないんだ。まあ俺はセネリオがいればそれでいいし、ミストはちゃんと子供をつくってたし。ミストのお陰で、こうしてカイルとも会えたしな。それでいい」 「ふうん……。先生はそれで淋しくないのかな……」 「? なんでだ」 「女の方が子供って欲しがるじゃん」 「……何を言ってるんだ、カイル」 何のてらいもなく、ごく自然にそう言ってのけたカイルにアイクは顔をしかめて、それから心もち恥ずかしそうに目を伏せて少年の勘違いを訂正する。 「――セネリオは、男だ。俺とセネリオではそもそも子供は出来ん」 「……へ?」 カイルはものすごく間抜けな顔をして、それから団長ごめん! と何故か平に謝った。 ◇◆◇◆◇ 端正な顔立ちに、長く束ねた黒髪。 (……セイラにそっくりだしな……普通に女だと思ってた……) 声は確かに少々低いが、女性と言って通らなくもない程度だし、言ってはなんだが筋肉量も少ない。職業柄、そんなには要らないのだろうが…… それになにより、肌が白いのだ。粛々とした所作はどことなく女性めいていたし、時折振り返る姿は艶めいて見えることすらあった。 (ああ、ほら。団長の手の回し方とかもそれっぽいし) アイクが隣に立つと体格差が殊更に際立ち、男だと知らされた今でも女に見えて仕方がない。 (それに先生のあの表情は――) ぶっちゃけ同性に向けるものではない。 二百年生きると違ってくるのだろうか。 「何を、じろじろと見ているんですかカイル。師匠(せんせい)に失礼です」 「あ、いや、そういうんじゃないから」 「は?」 「あー……。そのさ……先生が。男だって聞いて……なんかいまいち信じられなくて」 「はあ……わからなくはないですけどね」 セイラはしどろもどろになったカイルの手をそれとなく取って、ぎゅうと握る。 「師匠は男性ですよ。わたしも聞きましたし。それに女にはなんとなくわかるんです。そういうのは」 「わかるのか」 「ええ」 握った手に強く力を込めて、セイラは話を続けた。 「女だから、とか、男だから、とか、師匠と将軍はそういうふうな考えでは生きてないんだと思います。そこに互いがいて、きっとその距離感だとか温もりだとかを愛しく感じているんです。――それってとても、理想的なことだと思いませんか?」 「うん。素敵だ」 「師匠にとって、隣にいて欲しいただ一人の人物が将軍で、将軍にとってはそれが師匠で。そうやって上手い具合にまとまっているということなんだと思うんです。……わたしはそれが、羨ましい」 「……セイラ」 カイルは少し驚いたような顔をして、強く握り締めてくるセイラの手を柔らかく握り返した。 「俺はセイラのこと、そのぐらい大事に思ってるぞ?」 「ばっ、な、何を言い出すんですカイル!」 「いやなんか。心外だったもんで」 急激に顔を赤らめるセイラに、カイルはからかうようににやにやと笑いかけた。 「あっちもこっちも春色と来ると、堪んないねこれは」 「仲が良いのはいいことですよ?」 「いやあ……昔も似たようなもん見たなあと思って。ムネヤケ」 「本国に奥方がいるのにわけのわからないことを言うんですね」 「そりゃうちの嫁は可愛いけどさ。あんなにベタベタ出来ねーって。もう若くもないし」 「それはまあ……。アイクさんたちは若くていいですよね」 「あそこまでくると、もう羨ましいとも思わないな」 溜め息まじりにぼやくと、ライは肩を竦めるようにしてひらひらと手を振った。出張しているために最近顔を見ていない奥の顔を、なんとはなしに思い浮かべる。 橙の耳をぴょこぴょこと揺らす彼女は、隊長として今なお一線級を保ち新人達をしごいている。今日も変わらずそんなふうにやっているのだろうか、と思うと何故だか無性に愛しかった。 「いや、やっぱ。自分の嫁が一番かわいい」 「だから伴侶に選んだんでしょう?」 「そうとも言う」 これ以上のろけてもしょうがないな、と若干顔を赤くしてライはまたアイクたちの方を振り返る。二人は何事か話し合って、今合意に達したようだった。 「おい、ライ、ミカヤ!」 「ん? なんだ?」 「話したいことがある。ちょっと来てくれ」 手招きすると、アイクは左手で抱えていた布ぐるみの何かをぽいと放り投げて寄越した。慌ててライはそれをキャッチする。硬く、重たく、鋭い感触。 「なんだこりゃ。剣かなんかか?」 「開けてみろ。見ればわかるはずだ」 「……あいよ」 言われた通りに白い布を剥ぎ、そして現れた刀身を見てライは絶句した。 白銀の刃に、意匠の美しい柄。見慣れているわけではないが、しかし幾度か相まみえた剣だった。 今やこの世にただ二振りの、正の女神アスタルテの加護を受けた一本――! 「神剣エタルド」 ミカヤがその名を口にする。 「……本物ですか?」 「ラグネルと反応した。間違いない」 「こいつは、マナイル大神殿に納められていたはずじゃなかったのか」 「それは百年ほど前までの話です。とはいえその後も独自に行方を把握していました。それがここ数年突然消息不明になり、僕らも不審には思っていたのですが……」 セネリオは言葉を切り、目線でアイクに続きを促す。どこか急いたような、苛立ちの滲む動作だった。 それを受けてアイクがセネリオを宥めるように撫で、言を引き継ぐ。 「押収した際に聞き出したところ、これを"託された"奴らは持ち主にこう言われたそうだ。『エルランからの餞別です』、とな」 先の大戦ぶりの名前に、全員が口をつぐんだ。 |