暁の小鳥:06



 エルラン。またの名を、宰相セフェラン。
 かつて人間に絶望し、女神による粛正を望んで戦乱を巻き起こした超本人。
 そしてミカヤの祖先でもある黒き鷺の民。
「ちなみに、押収した……って誰からだ?」
「デイン王家からだ。こそこそ隠し持っていてな。取り上げた」
「あー、まあ、渡したくないよなあ確かに。何たって長らくベグニオン皇家門外不出の一品だったわけだし……」
「だからと言ってそれを見逃すわけにはいかないんですけどね。どうも、『グレイル傭兵団の団長に』と宛てられたものらしいんです。――つまりこの場合は、カイルに」
 理由は知りませんが、と纏めてセネリオはライから包みごとエタルドを受け取ってくるみ直し、アイクに手渡した。アイクの腰のラグネルと触れると、双剣は布越しに共鳴して輝く。
「いつ、カイルに渡す?」
「まだ無理だな。せめてもう少し腕が上がってから……とはいえいきなり実戦で振らせるわけにもいかないし。そうだな、天空を会得出来たら渡すか」
「天空ってお前の奥義のあれか?! 会得なんて出来るのかよ」
「俺が出来るんだ。出来ないわけがないだろう」
 何を言っているんだ、と言わんばかりに不思議そうな面持ちで自分を見返してきたアイクにライはなんだそりゃ、とでも言いたげに耳をひくつかせる。それはいくらなんでも過大評価じゃないのかと言おうとしたが、しかしふと思い当たってライはその言葉を呑み込んだ。
 そういえばアイクの観察眼は、ことそういうことに関しては外れたことがない。
「カイルのことになると父親みたいね、アイクさんは。俺の息子なんだから出来るって言っているみたいに聞こえます」
「息子みたいなもんだろ。俺の――親父の血を、ひいているんだから」
「ふふ、そうかも。そうしたらセネリオはお母さんかな」
「……僕にそんな器用な真似は出来ませんよ」
「いやツッコミどころが間違ってるだろそれ」
 ミカヤの言は何かずれているような気もしたが、けれどその認識は概ね間違ってはいないのかもしれなかった。
 アイクとセネリオは、いわゆる「つがい」だ。しとねを共にして、彼らは二百年旅を続けている。
 彼らは支えあい愛しあって生きているのだ。
 そこに他者介入の余地はないし、何かとやかく言うつもりもない。ただ、漫然とその事実がそこにあるだけでそれを反芻しただけだ。
 特に意味もなく。
「おいライ。どうした」
「ん……いやね、ちょいと考え事。カイルもさ、鍛錬相手がいきなりおまえだとちっと厳しいんじゃないかとか思って」
 ひらひらと手を振りながらそんなことを口にして、ライは組んでいた腕をほどく。
 ちらりと目をやると、セネリオは相変わらずアイクにぴったりと寄り添って一分の隙も見せていなかった。いつものことながら甲斐甲斐しい。
(……元気かね、うちの嫁さんは)
 思わず嫉妬してそんなことを考え、青猫は大きく溜め息を吐いた。



◇◆◇◆◇



「あの、師匠(せんせい)。師匠と将軍は何故わたしたちに力を貸してくださるのですか?」
 納得がいかないんです、と言ってセイラはペンをデスクに置いた。丁度書類仕事が片付いて、実技指南に移る前に一息入れようかと話していた時のことだった。
「ごめんなさい。わたしは裏を読むのが仕事ですから……師匠方がわたしたちに手を貸してくださるのが不思議でならないんです。その、師匠方によくしてくださっているのにこんなことを言うのは不謹慎だとは、思うのですけど」
「いえ、別に気にしていないから構いません。それは職業病みたいなものですしね。僕とミカヤもそういうことを考えるのが仕事ですから、わかります」
「むしろよく考えていて偉いわ。戦争で深読みしておいて損をすることはないし」
「あ……はい……」
 セネリオとミカヤがちっとも嫌そうな顔をせずにむしろ肯定するものだからセイラは拍子抜けしてしまって、ぽかんとした顔でそう頷いた。まあ、セネリオはあの静寂の風使いだ。それは当たり前の反応なのかもしれない。
「確かに不自然に感じるでしょうね。とうに死んでいるはずの過去の亡霊がこの若さで動いているのですから。セイラ。まず最初にそこを疑ったでしょう?」
「……はい。その通りです。名を騙った偽者だという可能性をまず考慮しました。……ですが、敵意と害悪とを鑑みて……師匠方を砦にお招きしたんです。全てわたしの独断で、カイルには伝えてありません。――彼は蒼炎の勇者に強い憧れを抱いていましたから」
 隠すことなく大っぴらにセイラは自身の真意を語った。この人たちには隠しても無駄なのだ。ここ十日の共同生活でそのぐらいはわかっている。
「今は師匠方を疑ってはいません。ライさんがガリアの重鎮であることは既知の事実でしたし、実力、経験、言動、その全てにおいて疑う要素がありませんでしたから。ただ、どうしても動機だけがわからなくて」
「……まあ、そうでしょうね。動機は……気になるでしょう」
 怪しい人間が何かしてくれる場合には裏があるのが殆どですしね、と呟いてセネリオはセイラの頬に手をやった。途端、セイラの顔が驚きに赤くなる。
「でも、僕がセイラを助けるのにそんなに意味はないんですよ。僕が指導してあげればもっと伸びると思ったのも大きいですし、アイクがカイルに情愛を感じてここに戻ることを望んだのもある。いずれにせよ、僕とアイクはあなた方の害になるべくいるわけではありません。まあ、そこの巫女とあの青猫は興味の部分が大きいでしょうがね」
「失礼ですね。確かに興味関心があるのは認めますけど、それじゃまるで駄目な人みたいじゃないですか」
「そこまでは言ってませんよ、ミカヤ。ライはどうだか知りませんけど」
 セイラの頬から手を離してミカヤに振り向くと、セネリオは薄く微笑んだ。セネリオは度々自分にこういう表情をしてみせる。それを見る度、やはり変わったのだろうなととミカヤは思う。
 昔の彼の心は氷のように冷たくて――不可視の壁にがっちりと閉ざされていた。彼の心の中には小さいながらも暖かな光があったが、それはただただ最愛の人に向けられるものに他ならず、それ以外には目もくれなかった。
 あの頃のセネリオは、アイク以外の人間を損得勘定でしか測っていなかったのだ。
 誰かに(アイクに向ける絶対の愛とは違う、)穏やかな情愛を向けることなど、なかった。
「ふふ……やっぱりお母さんみたい、セネリオ。セイラの隣にいるとね、あなたの表情だとかも相まって親子みたいよ」
「そ、そんな滅相もないっ! カイルとアイク将軍は確かに似てますけど、わたしなんかが師匠と……」
 わたわたと手を振ってまで否定するセイラにセネリオはなんだか愛おしさを感じてしまい、背中をポンポンと叩いて抱きすくめた。母が子にするような抱擁に、自然とセイラも落ち着いてゆく。
「師匠……」
「ところで、セイラ」
「……はい?」
「カイルとは、どうなんですか?」
 セネリオの唐突な質問に(そういうことには頓着しなさそうだと思っていただけに)セイラは大仰に驚くのだが、セネリオの力というのが予想以上に強く抜け出すことは叶わない。
 おまけに端整なつくりの、紅い瞳をまじまじと見ざるをえない体勢なものだからセイラは内心泣きたくなってしまったが――ぐっと我慢して、折れた。
「う……あの、ですね、よくわからないんです」
「……へえ。それはまた、何故」
「わたしはカイルの傍にいたいです。出来ればずうっと隣にいたいです。ずっと傍で、支えていきたい。でも、」
 そこで躊躇うように一度言葉を切り、セイラは息を吸った。そして、先を促す先達の視線に観念したように続きを口にする。
「カイルがわたしをどう思っているかはわからない」
「ふふ、そうですか。懐かしい」
「せ、師匠……」
 セイラからすればそれは精一杯絞り出した言葉だったのに、セネリオは聞くなりそれを笑ってしまってセイラはなんだかばつの悪そうな表情になった。
 それに気付いたセネリオが慌てて少女をフォローしにまわる。
「ごめんなさい、セイラ。笑ったわけではないんです。ただ、昔僕もおんなじことを考えていたものだから」
「師匠も?」
「ええ。アイクのお傍で仕えたい、けれど拒否されたら。愛を伝えなぞしたら、棄てられやしないか。あの人口下手ですから、なかなか難しくて」
 昨日のことみたいに語る彼の顔は心なしかはにかんで嬉しそうで、アイクなぞが見でもしたらそのまま抱きついてしまいそうなほど可愛らしかった。二百年生きた男性にはとても見えな――
 そこまで考えて改めてセイラはある一つの事実を思い出し、恐る恐る口を開く。
「……そういえば師匠、結構力、お強いんですね?」
「? 当たり前でしょう。これでも僕は男なんですから。そのぐらいの腕力は持ち合わせていますよ」
 今交わしていた会話は明らかに女の子めいたものであったというのに。
 セイラは何か非情な現実を突き付けられたような気がしてがっくりと肩を落とした。



◇◆◇◆◇





『団長は――蒼炎の勇者は、200年も前の人間だろ。どうしてそんなに若いんだ?』


 先日蒼髪の子孫から投げ掛けられた純粋な問いかけ。それを思い出す度に連鎖的に記憶が揺さぶられ、過去の記憶が思い出される。


『……団長。あなたはそれで――それで、辛くないんですか』


 真摯な瞳で、憐れむわけでもなんでもなく、ただ本心から自分を案じてくれた緑髪の青年の言葉。
 呆然とした顔で紡がれた掠れるような小さな声。


『アイク団長……それは……それというのはつまり……』


『あなたは、必要以上の離別を、』





「おまえから見て、今の俺はどんなふうに映る。まだ肩肘張ってるように見えるか。まだ、多少なりとも未練があるように見えるか。まだ俺は――何かを背負いすぎているように、見えるか」
 普段なら何らかの言葉を挟んでくる最愛の人間は今は傍にいない。だから誰も、彼に言葉を返したりはしない。
 アイクは小さく首を振ると目を閉じ、何もない右手をゆるゆると閉じたり開いたりした。だからって声は返ってきやしないのだ。彼は――かつて少年であった時に面倒を見てやがて青年になって再会した彼は、もうこの世にはいないのだから。
 でも。
「そうか……まだまだだな。俺にはまだ未練がある。だから自分勝手な罪滅ぼしの気持ちで余計なちょっかいごとを出すんだろうな……」
 アイクは虚空に言葉を重ねる。蒼い天空の瞳には天井しか映っていなかった。亡霊ですら――いやしないのに。



「多分まだ、俺は割り切れていないんだ。あらゆることを……サザ、おまえに言われたことも」
 大分昔にかの青年から問われた言葉を心中で反芻して、アイクは自らをあざけるように笑って目を閉じた。