03:八番目のカイウス少年
恋をしたと思う。
恋だ。それは「八番目の生贄」として《石畳の緋き悪魔》に殺されることになる少年がまだそんなことを知る由もなかった頃、唐突に、そして劇的に体験することになった「一時の過ち」だった。
少年が一目惚れをした人は彼の目にはたとえようもなく美しい女性に映った。物憂げな横顔を覗かせながら気だるそうにプラスチックカップの中のコーヒー・フロートをくるくるとスプーンでかき回している。身を包むタイトな黒のハイネックとダークグレーのパンツ。それらの黒々しいイメージが彼女に未亡人めいた印象を付加していた。
「あの」
殆ど反射的にその人に声をかける。この機を逃してはならないと思った。そうしたらもう二度とその人と自身との人生は、穏便なコミュニケーションをもって交差しないのだと。
「お一人ですか」
「ん? ああ、そうだな……」
その人は瞳と同じ気怠く憂鬱そうな声音で少年の不躾な言葉に答え、そしてやにわに、ゆっくりと面を少年に向ける。
「一人だけど。それが、どうかしたのか?」
凍り付くように美しい双眸でその人は少年を見つめた。背筋をぞわりと雪の手が撫ぜていくような恐怖は、しかしこの時の少年には甘美な毒でもあるようだった。少年はこの時一度目の恋を自覚して、ただ恍惚として彼女の手を取った。
「あの、お暇でしたら――俺とデュエル、してくれませんか」
「……へ。デュエル」
どぎまぎとして上手い具合に言葉が出てこない。ばくばく鳴り響く自らの心臓の鼓動を感じながら、少年は妙なことを口走ってしまったとと後悔をした。今時誘い文句にこれはないだろう。しかし、その人はくすくすと笑って「いいぜ」と短く告げたのだった。
「いいぜ。デートのお誘いの類だったらすげなく断ろうと思ってたところだが、デュエルならいくらでも相手になってやる」
くすくす笑いを続けながらその人は懐からデッキを幾らか取り出す。デッキ・ケースには洒落っ気も何もない黒のマジックで『リチュア』『ヴェルズ』などと粗雑な日本語で殴り書きされている。そうか、この人はジャパニーズなのか、とぼんやり考え(ちょっと考えればわかることだったかもしれないが)、その割には綺麗なクイーンズで喋るのだなとどうでもいいことを思った。今一度、デッキの構成内容を隠そうともしないその豪胆な人を見返す。口端を僅かにつり上げてにやりとするその様はまるで悪戯を思い付いた女神のようだ。
ただそれは、後から思えば逃れられない終わりをもたらす破滅の女神に相違なかったのだけれども。
「イビリチュア・ジールギガスでダイレクトアタック。――俺の勝ちかな」
「また負けました。……思った通りだ。強いんですね」
「君だってなかなかのもんだ。自信持っていいぜ」
「どうかな。今ので完璧、打ち崩された感じですけど」
五回相手をして貰って、五回ともが惨敗だった。みるみる内にこちらの防衛ラインを根こそぎ剥ぎ取られ、がら空きになったフィールドにデッキ内のエースモンスターが強烈な一撃を叩き込んで容赦なくライフを奪い取っていく。
一回目は「氷結界の龍 トリシューラ」。二回目は「聖刻龍王‐アトゥムス」。三回目は「魔轟神レヴュアタン」。四回目は「ヴェルズ・ウロボロス」。そして五回目は「イビリチュア・ジールギガス」。
本気のデッキではないのだろうということは次々とテーマデッキを入れ換える様子から簡単に想像出来た。だがそのどれにもまるで歯が立たない。少年の「ジェムナイト」デッキは今まで向かうところ負けなしの自慢のデッキであったのだが、そんな自信は井の中の蛙に過ぎなかったのだと思い知らされる。
「……デッキ、なかなかに“とんがった”テーマのものが多いですね。飄々として捉え所がないくせして終盤は一転、苛烈に攻めて来る。あなたの性格を表しているんでしょうか?」
「さてな。聖刻とか氷結界、魔轟なんかはけっこう適当に組んだんだけど。リチュアとヴェルズはちょっと思い入れあるかな、テーマのバックグラウンドストーリーが好きでさ。……全てを腐蝕していく混沌として名状し難い暗闇のヴェルズに、禁断の秘術に手を出して悪魔にもなりそして破滅していくリチュア……俺みたいなのには似合いだと思ってさ」
「そうなんですか?」
「そうなんじゃないかな?」
その人は真意の読めない薄い笑みをぺたりと表情筋に張り付けて、きわめて曖昧に感情を濁していた。まどろんでいるようにも思えた。この美しい人は、きっとこの地面に足を付けてはいない。瞳は正面を見ていない。遥か遠い幽玄をふわふわと覚束ない足取りで夢見るように、
(……どうしてそんなことを考えているんだ)
そこまで思考を巡らせてからはっとして意識を現実に引き戻した。その人はやはり能面のような笑みを浮かべている。この顔が少年を不安にさせているのだということを遅ればせに悟った。腹の内で何を考えているのかわからない不気味さ、ようとした得体の知れなさがもやもやとした不安となって少年の心臓をつうと触れていくのだ。
また、ぞわり、とした。だが一番初めにその人に抱いた想い、突き堕とされたように魅入った心は変わる素振りを見せない。
「君が使うのはジェムナイトか。いいテーマだな。親友を思い出すよ」
「親友ですか」
意外だった。この人離れした雰囲気の人に「親友」という響きはあまり似合わない気がする。孤独、ニヒル、そういった言葉がその人の形容には相応しかった。アイロニカルなたたずまいのその人が唇を笑みと同じぐらいに薄く動かして紡ぐ「親友」という言葉は郷愁を帯びている。ノスタルジア。そんな、馴れない言葉が脳裏を掠めた。
「親友だよ。大事な人だ。……不思議な顔をするんだな。俺に大事な人がいちゃおかしいかい?」
「いえ。おかしいなんてことは、ありませんけど」
「だが腑に落ちない、そういう顔だな。カイウス、君は『孤高』に夢を抱え過ぎてやいないか」
「……どうして、俺の名前」
「たまたまさ。手帳に名前が書いてあったのが見えた」
その人の変わらぬ瞳が、一瞬何かに揺れたよう思えた。小年がぞっとしないふうに目を見開いていると不意に、ぷっとその人が吹き出す。
「ごめん。からかって悪かったよ」
その人は何でもなかったみたいにそう言った。瞳はまるで何事もなかったのだと言わんばかりに透き通った茶を落とし込んでいる。
「君は素直なところが俺の親友に少し似てるよ。まっすぐできれいだ」
その人の細く整った指が少年の顎をくっ、とつまむ。少年は呆けて無言でだらしなく口を開き間抜け面を晒した。指先は冷え冷えとしていた。気高い指だとそう思った。その人自身は否定したが、やはり、孤高だ。
「……雪の女王って、知ってますか」
「知ってるよ。アンデルセン童話の一編だろ」
「ええ。少し思ったんです、あの状況だなって。俺は砕け散った氷の鏡の破片が心に刺さってしまったカイという名の少年。あなたは女王。少年は雪の女王に魅入られ……あるいは魅入り、氷の城で過ごすことを望む。そして少年を救い出そうとする少女ゲルダはいない」
「……」
「俺は恐らく灼いているんです、あなたの『親友』に。あなたが大切に語る人に。おかしいですね。会ってすぐの人に俺は何てことを告白しているんだろう。……でも恋をするというのはこういうことなのかと思いますよ」
極めて至近距離でそう紡ぐとその人は凄絶な表情ににい、と唇を歪めて「惜しいな」と囁いた。蠱惑的な声音だった。ああやはり鏡の破片が刺さってしまったのだ、と納得せずにはいられない。
女王が、こんなにも悪魔的に、美しい!
「恋か。恋ね。昔は信奉したこともあるものだ。だが泡沫だよ。もろっちい夢幻だ。恋は永遠じゃない。不滅じゃない。無限じゃない。そんな一過性の病は、幻想はいつか終わる」
「でもあなたは、今でもその薄情な感情を棄てきれていないんでしょう?」
鏡に心を侵された少年が問うと雪の女王はぱちくりとその眼を幾度か瞬かせた。しかしすぐに驚きの表情はとって付けた笑みに変わる。凍て付く氷の仮面だ。
この人はどうしてこんなにも美しく、シニカルに自らを嘲るのだろう。貶めてしまうのだろう。少年にはそれがわからない。
「わかる必要はないよ」
最後に使用していた『リチュア』デッキをとんとんと整えてからケースに戻し、それを更に懐にしまい込んでその人は少年の肩に手を乗せた。軽く叩かれる。
「若いっていいよなあ。色んなものを信じていられる。無条件に何かを素晴らしいと思えるし、人生は希望に満ちていると思っていられる」
見たところまだ二十歳そこら、いいところが二十代前半と思しき外見のその人は年老いた老人が過去を懐かしむようにしみじみと呟いた。過ぎ去ってしまったものを噛み締めるように。
「悪いけど、俺は君の雪の女王にはなれないしましてやゲルダにもなれないだろう。だが君とは近い内にまた会うことになると思う。――本当にすぐだ。その時、俺の名前を教えてやるよ。最後の最期まで、俺だけが君の名前を知っているのはフェアじゃないからな」
「……そうですか。それは楽しみですね」
「ああ、俺も楽しみだよ」
立ち上がり、少年に背を向ける。すぐに雑踏に呑まれてしまってその人の姿は見えなくなった。ロンドン、イースト・エンドのカフェテリアのテラス席にはぽつりと少年だけが取り残される。
それは満月の五日前、よく晴れた日の午後のこと。
◇◆◇◆◇
あの邂逅からきっかり五日後に、放った言葉の通りに少年が「雪の女王」だと信じたひとはやって来た。満月の下で赤いジャケットと「悪魔の翼」を翻して雄然と立っている。中世の絵画にあるようなテンプレートな姿形をした翼はいっそ奇妙なまでにリアルな量感を伴ってそこに存在していた。ソリッド・ヴィジョンのデジタルデータなどではない。肉の厚みがある。
「名前、教えてくれる約束でしたよね」
「そういう約束だったな。だが通り名ぐらいは、勘が良ければもう薄々わかってきてるんじゃないか?」
わざとらしく翼をはためかせる。背後に背負った月が赤のジャケットを一層際立て、引きたてた。赤かった。あの時未亡人のような黒さだと感じたその人は、今日は燃えるように赤く滾るように朱くどろどろに紅かった。それでいて毅然とした緋さを持っている。
赤色、レッド、真紅、スカーレット、緋色――様々な形容が浮かんでは流れていく。少年はごくりと生唾を呑み込んだ。震わせた肩の向こうに覗いているその人の瞳は互い違いに発光して妖気を孕んですらいるようだった。少なくともまともな人間のする目ではない。
「《石畳の緋き悪魔》」
「ご名答。最近じゃ他にも《魔女メーディア》とか《マッド・スカーレット》、変わったところでは《血まみれマリア》なんて呼んで俺を崇めてる新興宗教徒紛いの奴らもいるらしいな。あいつら俺のこと何だと思ってるんだか。まったくどいつもこいつも、クレイジーだ」
「それをあなたが言うんですか……」
「お互い様だ。そうだろ」
「ええ。まったく」
少年は肩を竦めてひらひらと両手を振って見せた。
「一目見て、あなたに狂わされたんですよ」
「気狂いだな」
「恋です」
「どっちにしろ、気の迷いだ。……さて、これから自分がどうなるかぐらいは見当付いてるよな。どうする。命乞いでもしておくか」
絶対者である《石畳の緋き悪魔》は超然として少年を見下ろしている。ぞくりと背中を震えが走り抜けた。正直なところ、このひとに殺されるのならば怯えや恐怖はない。それで永遠になれるのなら一興かとも思う。だがその人がどうして悪魔なんて呼ばれながら殺人を続けているのかは気になるし、まだ一番大事な答えを貰っていない。
少年は静かに口を開いた。悪魔の表情が意外そうなものになる。
「まだ、大事なことを聞いていませんよ。それに冥土の土産に知りたいことが幾つかある。それらの疑問は許されますか」
「別にいいぜ。何が知りたい」
「まず、あなたの名前です。そして何のために手を染めるのか。あなたの『親友』のためですか? その血染めの翼は?」
そう問うと、悪魔はくすくす笑いをして恍惚とした、少年が初めて見る表情をして意地悪く笑った。宙空に浮かんでいてどこの世界で生きているのかも曖昧に思えた人が生き生きとして今確かにこの世界に存在している。
「約束だもんな。それに冥土の土産も、くれてやって構わない。死にたがりの顔をした雪の女王に魅入られたカイ少年が雪の女王から逃れられるはずもないもんな。――俺の名前は遊城十代。昔はヒーローを使ってたけど、今はもう止めたよ。あいつらあんまりいい顔しないんだ。心苦しくてさ。そんなふうにちっぽけな心を痛めながらも殺人を続けている理由は君が指摘した通り。俺はヨハンのために十二個の生贄、十二人分の死を欲している」
隠す素振りも見せず恍惚とした表情のまま自身の気のふれた望みを語るその人は、酷く人間くさいいきものであるようにその時少年には感じられた。《石畳の緋き悪魔》とさも人でなしや人外の化け物であるかのように噂されている遊城十代という人は、いざ対面してみると呆気なさに腰が抜けてしまうぐらいにどうしようもなく《人間》だった。ヨハンという親友のために十二の死を欲するというその欲望は、人間だから抱くものだろう。俗っぽさすら感じるようだった。
「僕はそのうちの何番目の獲物なんです?」
「八番目だよ。君までに七人の少年を殺した。君もその数字の中に列挙される。いいか、『八番目のカイウス』、君は俺に惚れたと言ったが俺にとっては君はその程度の価値でしかないってことだよ。ま、今までで一番気がふれてて面白い奴だったのは確かだけど」
「光栄ですよ」
「ああ、そういうところは嫌いじゃない。……だが俺の全てはヨハンのものだ。爪先から髪の一本細胞の一欠片に至るまでがヨハンの所有物だ。だから悪いな、君には唇一つくれてやるつもりはない」
あはは、あは、ははっ、そういうふうに悪魔は笑う。楽しくて仕方がないみたいで、しばらく壊れたラジオみたいに笑い続けた。マーダーの笑い声は止まらない。きっとこの人は願いが叶うその日まで、こうして夜中にきちがいの笑いをし続ける。
ヨハンという親友の男は随分と重たくこの悪魔に愛されているらしい。恐らくヨハンは死んでいるのだろうが、もしこの光景を見ていたとしたらまともな神経の持ち主であれば十代を拒むんじゃないかと少年は考えた。でもこの人をこうまでさせる人だから、まともな神経なんて持ち併せてはいないかもしれない。
揃いも揃って奇人変人だったかもしれない。仮定論だ。意味はない。
「俺じゃ、あなたの隣には役不足ですか」
「そうだな。お前じゃヨハンの代わりにはなれない」
悪魔は間髪明けず切って棄てた。わかりきっていた結果だった。
「でも、僕はだからこそヨハンという人が手に入れられないものを手にすることが出来るんです。尤もそれは僕以前の七人の少年も、そしてこれからの四人の少年も手に入れられるものでしょうけどね。そうでしょう?」
それでもいいとその時少年は思った。悪魔に殺されて、何かに捧げるための生贄にされるのもそれはそれで趣向があっていいなどと普通なら血迷ったと言われても仕方のないことを考えた。あの人に殺されて死ねるのなら本望だ。本気でそう思う。
出会った瞬間に刺さった氷の鏡の破片は少年の目を呪うに止まらず心臓を侵している。
「あなたのその刃――殺意だけは俺達のものだ。あなたが愛する人には絶対に向けられないものだ。それだけは唯一俺達が彼に勝れる点です。違いますか」
「……違いない。一枚取られたな。確かに俺はあらゆる感情をヨハンに向けたが、まあうん、嘘偽りのない殺意だけはないな。俺はヨハンを信仰しているから」
「“だから”ヨハンという人に似た少年を殺すんですね。無意識下での抑圧された感情をそうして形にするんだ。歪んだ愛を、歪な祈りを、そうして発露する。ぞくぞくする。幸せです」
「君、大概変態だな」
「褒め言葉ですよ、それも」
悪魔、うつくしい人、遊城十代。その人に信仰されているヨハンという男。しかし何故その男は死んでいるのだろう。事故だろうが他殺だろうがこの悪魔なら身を挺して守りそうなものだが……病死だろうか。そういえばあのペガサス・J・クロフォード氏も病で最愛の人を亡くし、デュエルキング武藤遊戯を巻き込む一大事件を画策したらしい――そういうゴシップを読んだことがある。愛は人を狂わせる、という見出し付きでだ。尤もペガサス氏は今なおカード・デザイナーとして活躍する著名人で、ゴシップは所詮噂話でしかないのだが。
「神を殺すのが、悪魔の役割なんだよ」
全てを見透かしたみたいに悪魔の、女王の声が真夜中の路地裏に響き渡った。少年はその時、光る滴を見て悟る。自分は「八番目のカイウス」。八人目、八番目であるからには二番も三番もいて、必ず一番がいる。
始まりの一人がいるはずだ。
「あなたは……《石畳の緋き悪魔》は、あなたの神を殺したんですね。《はじまりのヨハン》を。『一番目のヨハン』を」
「そう。悪魔は、神を殺す。愛したばかりに、俺が愛したばかりに、信仰され悪魔にとっての神となった男は摂理に殺されたよ。だから俺は十二人の少年も殺す。神の似姿を殺し、命を奪い集め、神を悪魔に蘇らせる」
「……クレイジーだ」
「愛は人を狂わせる。その通りだよ、悪魔をも狂わせる!」
だから君も死んでくれ。声を感じた時には、離れた場所に浮かんでいたはずの悪魔の顔が少年の首筋に迫っていた。醒めた吐息。悪魔に抱きすくめられ、しかしそれを感じる前に少年の意識が遠くなる。
間もなく少年の体は中心からひっくり返った。体中の皮膚がリバースし、柔らかでグロテスクな内部が剥き出しになる。出来たての死体におもむろに手を突っ込み、悪魔は目的の物を取り出した。温かい小腸だ。例によって脈打っており、つい先程まで生きていたことを確かに思わせた。
「カイウス、君は三つの過ちを犯した。一つ目は俺に出会ってしまったこと。声をかけてしまったこと。二つ目は恋だなどと盲信してしまったこと。そして三つ目、ヨハンを『一番目』と評したこと」
打ち棄てられた死体は今までの七人と同じ黙する死者となり、もはや何の言葉も持たない。
イースト・エンド、かつて《切り裂きジャック》が多くの女性を惨殺死体にしたかの通りに血を吹き出して壊れてしまった玩具を転がして悪魔は飛び上がった。今までの七人の時と同じように振り向きもせずねぐらへ飛んでいく。ただ、いつもと違って悪魔は小さな声で、誰に聞かせるでもなく一人ごちる。
「ヨハン・アンデルセン、俺のたった一人のかみさまは『零番目』なんだよ」
翌日発見された死体は今まで通り酷い有様で、誰がこのような姿にされてしまったのかを詳しく突き止める術はなかった。死体はひとまず『八番目のジョン=ドゥ』として処理され、そういうふうに人々の間を伝播していく。
そうしてカイウスという酔狂で愚かな変わり者の少年の名前は、悪魔の噂の中に埋没していった。ひっそりと、人々の記憶の中から消えていった。
「石畳の緋き悪魔」-Copyright(c) 倉田翠